ものごころついたときに、自分の人生は 「すでに余生」 だった。 数奇な人生を歩むことになったアラフィフおじさんが、残りの人生を生き直す日々に、ふとつぶやくためのブログです。
45歳からフルートを始めました。 3年ほどがむしゃらに練習をして、まだまだうまくなりたいと、練習場所確保のために防音室を借りました。 防音室にスペースがまだあったため実家に置きっぱなしにしていたピアノを入れたのですが…。 ピアノの世界に触れるにつけその広さと奥の深さに圧倒され、ピアノに夢中になってしまいました。 音楽について、そして人生について恥も外聞もなく熱く語っております。
最近、あらゆることがいとおしい、そう感じる瞬間が以前よりも格段に多くなった。 もちろん、わたしは聖人ではないので、毎日腹が立つこともあれば、好きになれない人もいるし、そういう意味では普通の人間だ。 でも、自分の人生の妙味というか、そのかけがえのなさを感じることが多くなるにつれ、同じようにそれぞれの人生を生きる人たちや、そういう人生というものがあるこの…
また至福の土曜の朝がやってきた。1週間の仕事を終え、喫茶店でコーヒーを飲み、音楽を聴きながら、こうやって文章を考えているこの時間がなんとも言えない幸せな時間だ。 仕事は楽しいしやりがいを持って取り組んでいるけど、週末の休みを待ち遠しく思うこの気持ちは派遣社員の時にはさほど感じなかった。 同じように仕事をしているようで、やはり責任の重さや使命感など全然違うから当たり前なのかもしれ…
人生の晩年で、あるいは死ぬ間際に、自分の人生はもっといろんな選択が可能だったんじゃないか、もしかしたらもっと別の人生があったかもしれない、と感じるような人生は、不幸な人生だと言ってもよいと思う。 幸/不幸というのは、個人の価値観の問題だから、他人が人の人生の幸/不幸を言うことはできないのだけれど、「自分にはこれしかなかった」と言える人生を送ったかどうかということ…
ようやく春らしい天気になって、今日は日本全国でお出かけ&お花見モードだろう。やはり1年でいまのこの季節が一番いい。 高校・大学のころは、春の訪れはかならずシューベルトのリート「春の想い(Fl
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