chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 命をないがしろにする者は罰を受ける

     日本人の集団的無意識たる「非戦・避戦の精神」に戻る 生駒の神話では、ナガスネヒコがイワレヒコを殺戮せんとして打ちのめされるという「罰」を受けた。 これは、①命をないがしろにする者は罰を受けるという教えとなり、それはその後、〈命にかかわるモノ〉や〈命にかかわるコト〉をないがしろにしたことでわざわい(禍・災 い・厄)を受けてきた体験の蓄積が、②〈命にかかわるモノ〉や〈命にかかわるコト〉をないがしろにすると怒りをかって「罰」を受けるという教えとなり、①と②は、日本人の集団的無意識となっていった。 この無意識は、 日本人の集団的無意識たる「非戦・避戦の精神」と連動したもの。 この無意識が顕現化した事例として、「太陽の塔」の永久保存がある(岡本太郎「太陽の塔」はなぜ永久保存されることになったのか?.pdfご参照)。**************...

  • 相澤雅子さん作「生駒と天皇(ナガスネヒコ物語)」

    ①WEB版 ⇨ 相澤雅子さんの公式サイトに〈古代生駒の縄文人と弥生人の短編マンガ〉というコピーを付して 「生駒と天皇(ナガスネヒコ物語)」がアップされています。 ②PDF版 ⇨ 相澤さんより、生駒神話を広めるために自由にご利用くださいというお言葉と共にいただいたPDF版.pdf ③生駒と天皇(ナガスネヒコ物語) (全1巻) Kindle版 *相澤雅子「生駒と天皇(ナガスネヒコ物語)」 at DuckDuckGo *******...

  • 「天皇の約束」の実現

    生駒の神話<提要>に戻る【1】明治・大正・昭和天皇は「天皇の約束」を果たすため苦悩した。 ①そのことがこの文<開戦の詔書 天皇の真意は何だったのか(ミラー)> に、次のように示されている(・・・は省略部分) 昭和天皇・・・は・・・詔書の文中に「豈(あに)朕(ちん)が志ならんや」との字句を入れ、自らの本意ではないとして開戦への葛藤の意を示した・・・「朕が志ならんや」との文句は・・・日清、日露戦争時の詔書にもあった・・・開戦の詔書が天皇の「真意に背いて」出された・・・。 ②〈この国は、江戸時代には、ただの一度も国家として対外戦争を体験していないという、世界に冠たる名誉を持っていた。・・・・・朝廷は、江戸時代には戦争と縁遠い存在であった。その余韻もあって、明治天皇が日清戦争時には当初、いわば、「これは朕(ちん)の戦争ではなく、政府の戦争だ」と述べたのは有名な話である。日露戦争の時も、感情を表さず、推移を見ていたという。・・・・・大正天皇にしても、むしろ「武」よりも「文」の天皇であった。その漢詩は、近代日本では最高峰に位置しているともされるほどだ。大正天皇は大正7(1918)年頃に詩作をやめたが、それは第一次大戦などでの人々の苦労を実感していたからであろう。昭和天皇も、戦争に当初は極めて臆病であった。しかし大元帥としての教育を受け、軍事上は神格化した存在となって、見事に戦争へ取り込まれたのである。昭和天皇を反戦とか平和の天皇だと言いたいわけではない。歴代の天皇は、江戸時代の歴史を踏まえて見ると、戦争に懐疑的だったと分かるのである。・・・・・NHKが探し出したとされる海軍側の2・26事件についての記録などからも、天皇がこの種の事件に本能的な恐怖感を持っていたことがうかがえる。・・・・・。〉<・・・・・は中略部分/この記事(ミラー)より>【2】明治~戦前における開戦の詔勅・・・天皇は、日清戦争は「せざるをえない」というように消極的反対に態度をとったが、日露戦争・アジア太平洋戦争については、明確に「天皇の意志・本意ではない」と宣言している。 ②と③の「開戦の詔勅(宣戦布告)」を読むと、天皇は「天皇の約束」(国家の殺戮という属性を制御して平和を維持すること)を果たそうと努力してきたことが分る。宣戦布告の中でさえ「戦争は天皇の意志・本意ではない」と言い切っている。この2つの文中の青字部分は、現平和憲法の精神とまったく同じである

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、生駒の神話さんをフォローしませんか?

ハンドル名
生駒の神話さん
ブログタイトル
生駒の神話
フォロー
生駒の神話

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用