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  • 縄文人の「本然の性」

    縄文人の「本然の性」

    (1)「本然の性」とは、本来からの当然の「性質=身魂(みたま/体を支える心/様態を支える精神)」であり、縄文人の「本然の性」とは、次のようなものである。 ①食料不足防止のため余分に動物を殺すことはしない・出来ないのと同様に、〈生きていくうえで不可欠な仲間である人間〉を殺すことはしない・できない。 ②狩猟採集という獲得経済のもとでは、農耕牧畜という生産経済に不可欠な土地の所有が必要ないため、「所有」という概念がないので争いの元となる物の「所有」がないため、争いに勝つために「他の人間を殺す」という概念も生まれないため、人間を殺すことはしない・できない。(2)(1)のことから、縄文人の「本然の性」を一言でいうと、「殺戮しない・出来ない精神」となる。...

  • 生駒の神話<最新版>

    生駒の神話<最新版>

    ~図はクリックで拡大できます。~ これは、24.2.4の第15回らら まつり<ミラー>で、大事なことは皆で考え決めよう会がパネル展示した〈生駒市「神話と里山の都市」構想 〉 .pdf〉のために書いたものです(パネル展示の文に若干追記したところあり)。 「最新版」である事由 ⇨(5)のパート:「命を頂く道具」と「命を奪う武器」を明確化しました/(7)のパート:「国譲り」の定義を補修しました/(8)のパート:和(倭)魂の移動という折口信夫の見解を基に補修しました。(1)海の向こうからやってきて日向(ひむか/現宮崎県)を治めていたイワレヒコ(のちの神武天皇)は、九州を征したのち、内つ国(うちつくに/国の中心/生駒山の東側/現在の生駒~奈良盆地周辺)を征服せんと瀬戸内海を東進して難波(なにわ/現大阪平野/生駒の神話が生まれた縄文時代から弥生時代への移行期、まだ大部分は海<右写真ご参照>)にいたり、そこより生駒山を越えようとした。 (2)このとき、内つ国ではナガスネヒコが、イワレヒコより先に海の向こうから内つ国にやってきたニギハヤヒと共に、戦う(人間を殺す)ことのない平和なクニづくりをしており、狩猟採集漁労に生きるナガスネヒコたちは、武器でない狩猟用の弓矢しか持たなかったので、侵攻軍を撃退するために、雨のように矢を放った。侵攻軍を射抜くためではなく、前進してくる侵攻軍の眼前に天から降ってくる矢で鉄壁の壁をつくることで、侵攻を許さない意思を突きつけ、物理的な障壁をつくるために。ナガスネヒコたちは、投石や落岩等も駆使して、侵攻軍を殺すことなく撃退した(クサカの戦い)。(3)内つ国征服に執着する侵攻軍は、太陽に向かって進んだので撃退されたと思い、迂回して南東方向から太陽を背に内つ国に侵攻せんとした。(4)侵攻軍は迂回ルートを進む途上、その先々で、食糧・寝所・休養所等を得るために、ナガスネヒコたちと同様にこれまで戦う(人間を殺す)ことのない世界に生きてきて戦うことなど知らない狩猟採集民を一方的な攻撃や謀略によって殺戮(食べるため以外の目的で殺すこと)した。(5)侵攻軍が殺戮しているという知らせを受けて怒りをたぎらせたナガスネヒコたちは、再び侵攻軍と会いまえた時(トミの戦い)、侵攻軍をせん滅(殺戮)せんとして、食べるために動物の命をいただく狩猟の道具である弓矢を人間の命を奪う武器に変え、彼らは軍隊に変質した。(6)ナガスネヒコ軍が、

  • 鶏(にわとり/ニワトリ)

    鶏(にわとり/ニワトリ)

    生駒検定<全国版><問21>生駒伝承の解答・解説に戻る (1)から(8)は始発記事で昇順(数の小さいものから大きいものへ進む)、(9)以後は後発記事で降順(数の大きいものから小さいものへ進む)です。(9)【23.7.21】<唐古・鍵では権力のステータス・象徴たる鶏を飼育していた> ①<この記事(ミラー)より/太字は引用者による> 弥生時代で最大規模の集落跡として知られる唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)で発掘された鳥のヒナの骨・・・・・日本最古のニワトリのものだとわかった。権力の象徴として、集落で飼育されていたらしい。ニワトリの主な祖先は東南アジアの森林に生息するセキショクヤケイ。ニワトリは約3千年前には欧州やオセアニアにもいたとわかっているが、飼育がいつごろ始まったかは謎だ。日本列島には弥生時代、朝鮮半島や中国を通じて入ってきたと考えられているが、詳細な年代は不明だった・・・・・唐古・鍵遺跡の弥生時代中期初頭のものと見られる溝から1995年に見つかった、ニワトリ、キジ、ヤマドリのいずれかとみられていたキジ科のヒナの骨2点を分析。わずかに採取した骨に含まれるコラーゲンたんぱく質の構造を質量分析という手法で調べたところ、ニワトリのヒナの骨だとわかった。炭素の放射性同位体の割合を調べる年代測定法で、この骨は紀元前3~同4世紀のものと確定した。年代が特定された日本最古のニワトリのヒナの骨になるという・・・・・弥生時代の日本にいたのは、骨の形状からほとんどが雄。繁殖させられなかったのだろうと考えられてきた。朝鮮半島や中国からもらってくるほかなく、ニワトリは鏡や剣といった宝物と同じく権力の象徴だった可能性が高い・・・・・家の中で飼っていても、鳴き声で存在を示せる。鏡や剣はずっと残るが、ニワトリは死んでしまう。新しいニワトリをもらい続けるのは大変で、「すごい」とわからせやすかったのではないか・・・・・今回の研究で唐古・鍵にニワトリのヒナがいたことがわかり、ここでは他の集落と違い、雌雄をそろってもらってきた可能性が高いという・・・・・弥生時代最大の集落である唐古・鍵だからこそ、ニワトリを雌雄で飼育することができたのかもしれない・・・・・。 ②<この記事(ミラー)より/太字は引用者による>日本列島で稲作が根付いた弥生時代、すでに養鶏も行われていたことが・・・・・科学分析で分かった・・・・・「唐古・鍵遺跡」(国史跡)から出土した弥生中

  • 大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀

    大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀

    大嘗祭に戻る(1)「大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀」であることを説明する資料 ①・・・・・麻と粟が優先されるのは、それらがこの国にまず先にあったからである。つまり、麻と粟は縄文人の象徴であり、稲と絹は弥生人の象徴であるのだ。大嘗祭は、この両者の共生を示す祭祀である・・・・・。<この記事より/太字は引用者による> ②・・・・・粟は、稲の栽培が盛んになる前から食料として利用され、大地の恵みの最たるもの。すなわち神前に供えて感謝する産物だった。考古学的には、日本には縄文時代から存在していたことが分かっている。この「縄文」とは、表面に縄目を記した土器に由来する。この「縄」は麻縄で付けられた。縄文時代において「麻」はそれほどポピュラーな植物だった。麻は神事でも、きわめて重要な役回りがある。神具のいくつかには必須であり、大麻でつくられた巨大なハタキのようなものによるお祓いの儀式は今も地鎮祭などで見られる。そして大嘗祭。そこでは麻の織物「あらたえ」と、絹の織物「にぎたえ」が献納される。神前に供える食物は「粟」と「稲」をともに献上する。一般的には、「大嘗祭は稲の祭祀」と思われているが・・・・・「粟+麻」と「稲+絹」の儀式・・・・・「粟」と「麻」は縄文の、「稲」と「絹」は弥生の象徴であり、「大嘗祭は、この両者の共生を示す祭祀」・・・・・麻は大麻でもあり、古代の人びとは麻を単に縄や衣服で用いただけではなく、「麻酔い」で神がかり状態になったり、薬にもなるという特別の効能についても知っていたはず・・・・・今度の大嘗祭に使う麻は、そのためにわざわざ徳島で種を撒かれ栽培されたもの。麻織物を手掛けるのは古代の職能集団「阿波忌部」の末裔だという。「大麻比古神社」を一宮とする徳島(阿波)における「粟」や「麻」、神事とのつながりは今も続いている・・・・・。<大嘗祭は「稲の祭祀」ではなかった!(ミラー)より/太字は引用者による >(2)(1)を踏まえた考察 ①弥生の精神は「水田耕作を中心とする国(瑞穂の国)づくり」であり、縄文の本然の性は「非戦・避戦の精神(殺戮はできない・しない)」である。〈この弥生の精神と縄文の本然の性を併せ持つ者〉、つまり、〈殺戮を含む強制力を属性とする「国家=世俗権力の統治機構」の時代にあって世俗権力をけん制しながら「瑞穂の国」づくりをする天皇〉を誕生させるのが大嘗祭である。 ②「天皇を誕生させる」ことは大嘗祭のページによ

  • 「生駒の神話研究会」の訴え

    「生駒の神話研究会」の訴え

    「国家はなにがしかの国民の物語を必要とする」<日本人が意外と知らない「戦前の正体」…「神話」からみる戦前の「本当の姿」(ミラー)より>そのため、戦前では「神武東征神話」(西からやってきた神武天皇がまつろわぬ者たちを征服して即位され建国された、とするもの)が「国民の物語」(国民のアイデンティティの物語)とされ、これに加えて、天皇は現人神であり「日本は神国」で、その栄光は世界に及んでいるという物語がつくられ、それがアジア侵略を正当化・推進し、あげく亡国(大日本帝国の崩壊)をもたらした。 かかる「征服(侵略)」を正当化する「神武東征神話」は「記紀」を創作した時の世俗権力者によって、それまで言い伝えられてきた神話を改ざんして捏造された神話である。「征服(侵略)」を正当化する「神武東征神話」は戦後になっても「国民の物語」 であることが否定されていない。それは、再び戦前の誤りを繰り返す要因となる。「新しい戦前」が始まった今、一刻も早い、改ざんされる前の神話である「生駒の神話」を復活・普及させ、これを日本の未来を切り開く「国民の物語」にしなければならない。 <生駒の神話は、以下のことを物語にしたものである> 西からやってきた(侵略してきた)後期渡来人が、先住民と前期渡来人を征服して国家を建設せんとした。先住民と前期渡来人は侵略者を殲滅(殺戮)することもできた。しかし、2つの理由でそれはできなかった。①「殺戮は不可能」というのが先住民の「本然の性」であったこと。②先住民が「本然の性」を捨て去って侵略者を一旦殲滅しても、歴史の流れ(必然性)は「国家建設」の時代の到来であり、この流れは 、国家(殺戮を含む「強制力=暴力・武力」を属性とする)をつくろうとする者を何回殲滅しても止めることは不可能であったこと。 ならば、国家をつくろとする者に、先住民の「本然の性」を受け継ぐことを条件に国づくり(これは現実的には「国家」づくりとなってしまう)を委ねた(これを「国譲り」という/出雲神話では、先住民の「本然の性」を受け継ぐという条件の見える化として、国を譲るかわりに出雲大社をつくれという条件がつけられたことは有名)。 こうして、後期渡来人は先住民の「本然の性」を受け継ぐという約束の下に国家をつくっていったが、それは、矛盾する行為だった。「殺戮は不可能」という「本然の性」を保持しながら「殺戮を属性」とする国家をつくるという行為だったからだ。 し

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    建国神話<ミラー>...

  • 工藤隆「大嘗祭と天皇制」<抜粋>

    工藤隆「大嘗祭と天皇制」<抜粋>

    全文はこちら.pdf (太字・番号・< >は引用者による/・・・・・は省略部分)<語句の定義>天皇存在を、武力王(軍事行使力)、行政王(行政権限行使力)、財政王(財政力)など現実社会的威力の面と、神話王(神話世界的神聖性)や呪術王(アニミズム系の呪術・祭祀を主宰する)など文化・精神的威力の面とに類別しながら分析する<185頁><皇室の特性> ・・・・・イギリス王室など西洋近代社会における王室の場合は、武力王・行政王・財政王(多くの私的財産を保持できた)として君臨していた過去を持っているのは普通だが、しかし、日本の皇室のように、神話世界(『古事記』『日本書紀』の高天原神話のような神話)に発する起源を語り、かつアニミズム系文化の呪術とも密接に結びついた過去を持っていて、しかもその神話王・呪術王の側面を1946年公布の民主主義憲法においてさえも継承して21世紀にまで維持している王室は無い<185頁> <万世一系>・・・・・「万世一系」は・・・・・明治政府による新たな“神話”の創出である<186頁> <男系・女系の継承/女性天皇> ・・・・・〈古代の古代〉(縄文・弥生時代、古墳時代)・・・・・の時期には、男系(父系)と女系(母系系)が併存していて、おそらく臨機応変に両者が使い分けられていて、王位継承にもその性格は及んでいたと思われる。それに対して、500年代くらいには大王位の男系優位観念が出始め、さらに・・・・・700年前後の時期の場合には、古代中国国家の皇帝制度の模倣によって男系優位観念が一段と強化されたと考えられる。国家体制の強化のためには先進国家唐の皇帝の、男系男子継承主義を模倣するのが得策と考えられたのであろう。しかしその場合でも、女性天皇は、四一代持統天皇以後も、元明天皇(四三代、即位708年)、元正天皇(四四代、即位716年)、孝謙天皇(四六代、即位749年)、称徳天皇(四八代、孝謙天皇が重祚、即位 765年)、明正天皇(一〇九代、即位1629年)、後桜町天皇(一一七代、即位1762年)と登場したのであるから、唐の皇帝制度の模倣が強化されたあとでも、 〈古代の古代 〉以来の、女性リーダー 違和感を感じない伝統は生き続けていた<186頁>・・・・・しかし、明治22年(1889) に大日本帝国憲法が発表され、同年同日に施行された旧皇室典範の第1条、に天皇の男系男子絶対主義が法律として明文化されたことによって、天皇

  • 生駒の神話<提要>

    生駒の神話<提要>

    生駒の神話のTOP PAGEに戻る(これまでの最新の研究成果をコンパクトにまとめています。) 【1】記紀(古事記・日本書紀)に記されている「神武東征」神話のあらすじ 九州にいたイワレヒコは、ニギハヤヒが治めている内つ国(うちつくに/生駒山の向こうにある日本の中心/現在の生駒から奈良盆地)に国をつくるため、瀬戸内海を東に向かい難波の海の東海岸に上陸して生駒山を越えようとした。しかし、ニギハヤヒの盟友である長髄彦(ナガスネヒコ/別名登美彦・登美毘古)によって撃退された(クサカの戦い)。東に向かって進軍したのは太陽に逆らうことになったので敗退したと考え、紀伊半島を迂回して熊野付近より太陽を背にして侵攻せんとした。迂回の先々で、先住民を平定しながら、内つ国の南東に到着し、再度長髄彦と会いまみえた(トミの戦い)が、今度も苦戦した。そのとき、金色の鵄(トビ)が生駒の地を飛び立ち突然に飛来して閃光を放って長髄彦をして戦わさせなくし、ニギハヤヒが国を譲り、イワレヒコは神武天皇として即位した(長髄彦は、紀ではニギハヤヒに殺害されたことになっているが、記ではその最後の記載がない)。【2】「神武東征」神話については、次のような意見があります。 ①〈神武天皇の方が侵略者という見方もできる〉<右記の画面(この動画より)ご参照> ②〈金色の鵄は、本来は長髄彦の側のトーテム(神)〉(「生駒市誌Ⅰ」P.79) ③〈神武東征の際に河内の生駒山麓で頑強に抵抗した先住民とは一体何者であったのか(略)この点を不問にしているため、さまざまな重要な問題が不明のままに歴史の闇に葬りさられてしまっている〉(谷川健一「隠された物部王国『日本(ひのもと)』」)/〈神武天皇にもっとも頑強に抵抗し(略)たほどの登美毘古の最後がはっきりしない〉(直木孝次郎 「日本神話と古代国家」)【3】「生駒の神話研究会」で「神武東征」神話の登場人物・その舞台等について記された資料を読んで(2)の意見を念頭に考察を進めたところ、次のような見識を得ました。(1)3つの人々がいた。 ①長髄彦は先住民(縄文人)・・・食料不足防止のため余分に動物を殺すことは出来ないのと同様に、‹生きていくうえで不可欠な仲間である人間を殺すことはできない〉というのが「本然の性(根本の性質)」である人々で、国家(統治機構/「権力=強制力」の機構)をつくること(つくる必要)はなかった人々。 ②ニギハヤヒは早期

  • 生駒神話の概説(2023.1)

    生駒神話の概説(2023.1)

    TOP PAGEに戻る 日本人にとって最も大切な神話が「生駒神話」。これは、日本国家確立期に、当時の世俗権力者(=祭祀権力者たる天皇と区別してこういわれる)によって「神武東征神話」へと改ざんされた上で古事記・日本書紀に記された。元の姿の詳細は、生駒の神話に記載されているが、簡潔に述べると、下記の<骨子>の通りである。 この神話は、日本が、縄文時代(国家のない時代)から弥生時代(殺戮を属性とする国家が成立していった時代)に移行していく中にあって、人々の今後の歩むべき道を示し、それを後世にも伝えるために成立した。 この神話の主人公は3人。ナガスネヒコ(国家意識は皆無で、殺戮を知らない・出来ないが本然の性の先住民たる縄文人を人物化したもの)、ニギハヤヒ(国家意識はあるが小さい前期渡来人ー前期弥生人-を人物化したもの)、イワレヒコ(国家意識が強烈で、国家をつくり維持強化するためなら殺戮はいとわない後期渡来人ー後期弥生人- を人物化したもの/即位して初代天皇となる)生駒神話の<骨子>(1)ニギハヤヒが海のかなたから現在の生駒北部に渡来し、ナガスネヒコに自分たちの居住地を提供してくれるように依頼した。ナガスネヒコはそれに応え、両者は話し合い、縄文人はこれまで通り山や川で狩猟漁労採集を主とする生活を営み、前期渡来人は田畑に適した場所で水田耕作を主とする生活を営み、両者はお互いの恵みを交換していくことにした。このような人々の結びつきは、古代的・封建的な「服従と保護」や資本主的な「貨幣・商品の媒介」ではない「互酬(贈与と返礼) 」と呼ばれる(ご参照.jpg)。この神話が後世に伝えたいことの1つに、本来の人間の交換様式(結びつきの様式)は「互酬(贈与と返礼) 」であり、それを未来の人類は再び取り戻すだろう、ということである。なお、この様式は、縁起の法(すべてのものはつながり互いに助け合っている、との法)の風がそよぐ中で行なわれる。(2)こうして両者は共存・共栄していくことで日本人が形成されていった。それをこの神話は、ナガスネヒコの妹の縄文人たるミカシキヤヒメ(ミカシキヤは漢字で「御炊屋」で 「山の木で田でとれた米を煮たきする大切な所」の意)と弥生人たるニギハヤヒが婚姻し、いわば縄文人と渡来人のハーフたる日本人としてのウマシマジが誕生した話を添えることで見える化している。そして、縄文人と渡来人(弥生人)が共存・共栄することで縄文的要素

  • 縄文人の「本然の性」

    縄文人の「本然の性」

    縄文と弥生に戻る(1)「本然の性」とは、本来からの当然の「性質=身魂(みたま/体を支える心/様態を支える精神)」であり、縄文人の「本然の性」とは、次のようなものである。 ①食料不足防止のため余分に動物を殺すことはしない・出来ないのと同様に、〈生きていくうえで不可欠な仲間である人間〉を殺すことはしない・できない。 ②狩猟採集という獲得経済<注1>のもとでは、生命の源たる食を生産する必要はなく、従って農耕牧畜という生産経済<注2>とは違って土地の所有が必要ないため「所有」という概念がないので、争いの元となる物の「所有」がないため、物を取りあいする争いに勝つために「他の人間を殺す」という概念も生まれないため、人間を殺すことはしない・できない。 <注1>獲得経済 ⇨食は神が授けてくれるもので、それを「獲得する=得る」ことで生きることができるという経済。この経済の下で縄文人は食・土地を含むすべてのものは神からの授かりものと考えていた。ピュシス的経済。 <注2> 生産経済 ⇨ 食は「生産する=作ることを自然に強制する」という経済。これは「強制=暴力」的な経済であり、現代農業では、農薬で土を苦しめていることでそれを見える化している。ロゴス的経済。(2)(1)のことから、縄文人の「本然の性」を一言でいうと、「殺戮しない・出来ない精神」となる。*******...

  • 内つ国(うちつくに)/中洲(なかつくに・なかす・ながす)

    内つ国(うちつくに)/中洲(なかつくに・なかす・ながす)

    〇内つ国とも中洲ともいう 〇国の中心(のち、大和やまと/ヤマトと呼ばれる)/生駒山の東側/現在の生駒~奈良盆地周辺) ⇨ 右地図ご参照〇都のある国(大和国/倭やまと)、都に近い地方(畿内・近畿地方)や外国に対して日本の国をいうときもある〇南北2つの鳥見とみ(登美とみ)は中洲(大和)の入り口にあたる(この地図.jpgご参照)。この2つを抑えることで中洲(大和)を治めていた首長が鳥見(登美)彦・中洲根なかすね/ながすね(長髄ながすね/なかすね)彦であった。「根」は根本・基礎という意で、中洲根彦というのは、中洲(国の中心)の根(根本・基礎)をつくった彦(おおいなるひと・すぐれたひと)という意味を持つ。 なお、北の鳥見(登美)は長髄彦の本拠地であり、その守護神(金の鵄トビ)の発祥の地であり、南の鳥見(登美)は長髄彦軍とイワレヒコ軍が再度あいまみえ、金の鵄が飛来したところである。******* ...

  • 鬼

    鬼...

  • 命をないがしろにする者は罰を受ける

    命をないがしろにする者は罰を受ける

     日本人の集団的無意識たる「非戦・避戦の精神」に戻る 生駒の神話では、ナガスネヒコがイワレヒコを殺戮せんとして打ちのめされるという「罰」を受けた。 これは、①命をないがしろにする者は罰を受けるという教えとなり、それはその後、〈命にかかわるモノ〉や〈命にかかわるコト〉をないがしろにしたことでわざわい(禍・災 い・厄)を受けてきた体験の蓄積が、②〈命にかかわるモノ〉や〈命にかかわるコト〉をないがしろにすると怒りをかって「罰」を受けるという教えとなり、①と②は、日本人の集団的無意識となっていった。 この無意識は、 日本人の集団的無意識たる「非戦・避戦の精神」と連動したもの。 この無意識が顕現化した事例として、「太陽の塔」の永久保存がある(岡本太郎「太陽の塔」はなぜ永久保存されることになったのか?.pdfご参照)。**************...

  • 「天皇の約束」の実現

    「天皇の約束」の実現

    生駒の神話<提要>に戻る【1】明治・大正・昭和天皇は「天皇の約束」を果たすため苦悩した。 ①そのことがこの文<開戦の詔書 天皇の真意は何だったのか(ミラー)> に、次のように示されている(・・・は省略部分) 昭和天皇・・・は・・・詔書の文中に「豈(あに)朕(ちん)が志ならんや」との字句を入れ、自らの本意ではないとして開戦への葛藤の意を示した・・・「朕が志ならんや」との文句は・・・日清、日露戦争時の詔書にもあった・・・開戦の詔書が天皇の「真意に背いて」出された・・・。 ②〈この国は、江戸時代には、ただの一度も国家として対外戦争を体験していないという、世界に冠たる名誉を持っていた。・・・・・朝廷は、江戸時代には戦争と縁遠い存在であった。その余韻もあって、明治天皇が日清戦争時には当初、いわば、「これは朕(ちん)の戦争ではなく、政府の戦争だ」と述べたのは有名な話である。日露戦争の時も、感情を表さず、推移を見ていたという。・・・・・大正天皇にしても、むしろ「武」よりも「文」の天皇であった。その漢詩は、近代日本では最高峰に位置しているともされるほどだ。大正天皇は大正7(1918)年頃に詩作をやめたが、それは第一次大戦などでの人々の苦労を実感していたからであろう。昭和天皇も、戦争に当初は極めて臆病であった。しかし大元帥としての教育を受け、軍事上は神格化した存在となって、見事に戦争へ取り込まれたのである。昭和天皇を反戦とか平和の天皇だと言いたいわけではない。歴代の天皇は、江戸時代の歴史を踏まえて見ると、戦争に懐疑的だったと分かるのである。・・・・・NHKが探し出したとされる海軍側の2・26事件についての記録などからも、天皇がこの種の事件に本能的な恐怖感を持っていたことがうかがえる。・・・・・。〉<・・・・・は中略部分/この記事(ミラー)より>【2】明治~戦前における開戦の詔勅・・・天皇は、日清戦争は「せざるをえない」というように消極的反対に態度をとったが、日露戦争・アジア太平洋戦争については、明確に「天皇の意志・本意ではない」と宣言している。 ②と③の「開戦の詔勅(宣戦布告)」を読むと、天皇は「天皇の約束」(国家の殺戮という属性を制御して平和を維持すること)を果たそうと努力してきたことが分る。宣戦布告の中でさえ「戦争は天皇の意志・本意ではない」と言い切っている。この2つの文中の青字部分は、現平和憲法の精神とまったく同じである

  • 三種の神器

    三種の神器

    生駒神話の小辞典に戻る(1)<「三種の神器 —〈玉・鏡・剣〉が示す天皇の起源」(ミラー)より/太字は引用者による>・・・・・ 「三種の神器」とは・・・・・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)。天皇践祚、つまり天皇職を引き継ぐときにこれらを所持することが皇室の正統たる帝の証で同時に継承される。しかし実物が天皇の手元にあるわけではなく八咫鏡本体は伊勢の神宮の皇大神宮に、草薙剣は名古屋の熱田神社にご神体として奉斎されているため、形代という分身が皇居に置かれている。唯一、玉璽と言われる八坂瓊曲玉のみ本体が宮中にあるとされている・・・・・草薙剣の由来は・・・・・スサノヲ命(須佐之男命)が出雲国で倒したヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出てきた太刀、天叢雲剣が後に名を変えて草薙剣となった。スサノヲからアマテラスへ奉納され、天孫降臨のさい、ニニギ尊(瓊瓊杵尊)に手渡されたもの・・・・・敵方の、それも負けた剣が天皇家いや日本を守る宝となった・・・・・八坂瓊曲玉は勾玉とも書く。しかし“勾”という字は本来の意味で「曲る」だが、白川静の『字統』によると骨の屈折を著し「死体」を意味するという。古事記では勾玉と書かれているものが日本書紀では曲玉に書き換えられている。こういう例は倭と大和があり、卑字・凶字が吉字・好字として書き換えられた・・・・・祀るという行為は、本来「祟られないように奉る」ことである。三種の神器それぞれも、害を成したことによって祀られ、それでも祟りを恐れて八咫鏡と草薙剣は第10代天皇崇神天皇により皇居の外へ出され、やがて伊勢神宮、熱田神宮に祀られることになる・・・・・日本の基礎を築いた最大の傑物は天武天皇・・・・・新たな身分制度と、体系的な律令制を確立し、古事記・日本書紀を編纂した。そしてこの時に初めて三種の神器が制定された・・・・・。(2)(1)の太字部分を踏まえて考察 ①曲(勾)玉とは「死体」と「タマ(魂=霊)」、つまり「死者」のことである。 ②草薙剣は負けた、つまり殺戮された者たちの剣である。 ③鏡は古墳の副葬品であることから、八咫鏡は「死者への捧げもの」と考えられる。 ④三種の神器は、それぞれ、害を成したことによって祀られている。 ⑤生駒の神話(生駒の神話<提要>ご参照)によれば、大和国家が後発渡来人が先住縄文人と先発渡来人の殺戮の上に立って成立するとき、

  • 大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀

    大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀

    大嘗祭に戻る(1)「大嘗祭は縄文と弥生の共生を示す祭祀」であることを説明する資料 ①・・・・・麻と粟が優先されるのは、それらがこの国にまず先にあったからである。つまり、麻と粟は縄文人の象徴であり、稲と絹は弥生人の象徴であるのだ。大嘗祭は、この両者の共生を示す祭祀である・・・・・。<この記事より/太字は引用者による> ②・・・・・粟は、稲の栽培が盛んになる前から食料として利用され、大地の恵みの最たるもの。すなわち神前に供えて感謝する産物だった。考古学的には、日本には縄文時代から存在していたことが分かっている。この「縄文」とは、表面に縄目を記した土器に由来する。この「縄」は麻縄で付けられた。縄文時代において「麻」はそれほどポピュラーな植物だった。麻は神事でも、きわめて重要な役回りがある。神具のいくつかには必須であり、大麻でつくられた巨大なハタキのようなものによるお祓いの儀式は今も地鎮祭などで見られる。そして大嘗祭。そこでは麻の織物「あらたえ」と、絹の織物「にぎたえ」が献納される。神前に供える食物は「粟」と「稲」をともに献上する。一般的には、「大嘗祭は稲の祭祀」と思われているが・・・・・「粟+麻」と「稲+絹」の儀式・・・・・「粟」と「麻」は縄文の、「稲」と「絹」は弥生の象徴であり、「大嘗祭は、この両者の共生を示す祭祀」・・・・・麻は大麻でもあり、古代の人びとは麻を単に縄や衣服で用いただけではなく、「麻酔い」で神がかり状態になったり、薬にもなるという特別の効能についても知っていたはず・・・・・今度の大嘗祭に使う麻は、そのためにわざわざ徳島で種を撒かれ栽培されたもの。麻織物を手掛けるのは古代の職能集団「阿波忌部」の末裔だという。「大麻比古神社」を一宮とする徳島(阿波)における「粟」や「麻」、神事とのつながりは今も続いている・・・・・。<大嘗祭は「稲の祭祀」ではなかった!(ミラー)より/太字は引用者による >(2)(1)を踏まえた考察 ①弥生の精神は「水田耕作を中心とする国(瑞穂の国)づくり」であり、縄文の本然の性は「非戦・避戦の精神(殺戮はできない・しない)」である。〈この弥生の精神と縄文の本然の性を併せ持つ者〉、つまり、〈殺戮を含む強制力を属性とする「国家=世俗権力の統治機構」の時代にあって世俗権力をけん制しながら「瑞穂の国」づくりをする天皇〉を誕生させるのが大嘗祭である。 ②「天皇を誕生させる」ことは大嘗祭のページによ

  • 鶏(にわとり/ニワトリ)

    鶏(にわとり/ニワトリ)

    生駒検定<全国版><問21>生駒伝承の解答・解説に戻る 生駒神話の小辞典に戻る (1)から(8)は始発記事で昇順(数の小さいものから大きいものへ進む)、(9)以後は後発記事で降順(数の大きいものから小さいものへ進む)です。(9)【23.7.21】<唐古・鍵では権力のステータス・象徴たる鶏を飼育していた> ①<この記事(ミラー)より/太字は引用者による> 弥生時代で最大規模の集落跡として知られる唐古・鍵遺跡(奈良県田原本町)で発掘された鳥のヒナの骨・・・・・日本最古のニワトリのものだとわかった。権力の象徴として、集落で飼育されていたらしい。ニワトリの主な祖先は東南アジアの森林に生息するセキショクヤケイ。ニワトリは約3千年前には欧州やオセアニアにもいたとわかっているが、飼育がいつごろ始まったかは謎だ。日本列島には弥生時代、朝鮮半島や中国を通じて入ってきたと考えられているが、詳細な年代は不明だった・・・・・唐古・鍵遺跡の弥生時代中期初頭のものと見られる溝から1995年に見つかった、ニワトリ、キジ、ヤマドリのいずれかとみられていたキジ科のヒナの骨2点を分析。わずかに採取した骨に含まれるコラーゲンたんぱく質の構造を質量分析という手法で調べたところ、ニワトリのヒナの骨だとわかった。炭素の放射性同位体の割合を調べる年代測定法で、この骨は紀元前3~同4世紀のものと確定した。年代が特定された日本最古のニワトリのヒナの骨になるという・・・・・弥生時代の日本にいたのは、骨の形状からほとんどが雄。繁殖させられなかったのだろうと考えられてきた。朝鮮半島や中国からもらってくるほかなく、ニワトリは鏡や剣といった宝物と同じく権力の象徴だった可能性が高い・・・・・家の中で飼っていても、鳴き声で存在を示せる。鏡や剣はずっと残るが、ニワトリは死んでしまう。新しいニワトリをもらい続けるのは大変で、「すごい」とわからせやすかったのではないか・・・・・今回の研究で唐古・鍵にニワトリのヒナがいたことがわかり、ここでは他の集落と違い、雌雄をそろってもらってきた可能性が高いという・・・・・弥生時代最大の集落である唐古・鍵だからこそ、ニワトリを雌雄で飼育することができたのかもしれない・・・・・。 ②<この記事(ミラー)より/太字は引用者による>日本列島で稲作が根付いた弥生時代、すでに養鶏も行われていたことが・・・・・科学分析で分かった・・・・・「唐古・鍵遺跡」(

  • 日本の建国神話

    日本の建国神話

    【1】(従来の)日本の建国神話とは、記紀(古事記・日本書紀)に記された神々による日本の建国と神武天皇の即位の物語である。【2】(従来の)日本の建国神話の問題点(1)<この記事(ミラー)より>・・・・・神話である以上、歴史的な出来事(史実)ではないにもかかわらず、建国神話は事実として教えられ、ときには暴走を伴ってきた過去がある。そして、その過去は「教育勅語」をめぐる議論がくすぶり続けるなど、いまに至るまで決して一掃されていない。他方、『古事記』『日本書紀』の研究は、それらが成立した八世紀の政治情勢が投影されていることをあきらかにし、神話学も他の神話との比較をおこない、日本の建国神話を特別視しない。こうしたなか、あらためて建国神話に、いかに向き合うことが可能であるのか・・・・・そもそも根拠が薄弱な建国神話が、建前上「事実」とされ、筆禍事件などの「波紋」を引き起こし、「矛盾」をもたらす・・・・・建国神話が教科書に・・・・・に記述され・・・・・うに学校で教えられた・・・・・そして、一九二六年には建国祭が開始され、満州事変後には建国神話が「排除の論理」となっていき、戦争動員に利用される・・・・・また、オリンピックや万博の誘致・開催にも建国神話が「活用」された・・・・・このとき、「史実でない話」を、史実を話題とする教室で、史実として教えなければならない矛盾に直面する教師・・・・・建国神話を「民主的な愛国行事」に活用しようという動き・・・・・戦時体制のもとで書かれた『国体の本義』や『臣民の道』・・・・・「紀元二千六百年祭」・・・・・建国神話の解釈や活用、その影響・・・・・建国神話の強行に、虚構でも人びとに通用するはずである、という為政者の愚民観を見いだす・・・・・。(2)<この記事(ミラー)より> 天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)に降り(天孫降臨)、その曽孫である彦火火出見(ひこほほでみ)が紀元前660年に橿原宮で初代天皇(神武天皇)に即位した――『日本書紀』は以上のように建国の由来を語っている。王政復古の大号令から始まった明治政府、そして大日本帝国は『古事記』・『日本書紀』の建国神話を正統性の根拠とした。もちろん天孫降臨うんぬんがあくまで神話であることは、当時の日本人も理解していた。神話を歴史の教科書に載せるべきではないという意見が教育現場で公然と語られた。神武天皇の即位

  • 〇工藤隆「大嘗祭と天皇制」<抜粋>

    〇工藤隆「大嘗祭と天皇制」<抜粋>

    大嘗祭に戻る 天皇制/天皇の約束に戻る 参考文献等に戻る全文はこちら.pdf (太字・番号・< >は引用者による/・・・・・は省略部分)<語句の定義>天皇存在を、武力王(軍事行使力)、行政王(行政権限行使力)、財政王(財政力)など現実社会的威力の面と、神話王(神話世界的神聖性)や呪術王(アニミズム系の呪術・祭祀を主宰する)など文化・精神的威力の面とに類別しながら分析する<185頁><皇室の特性> ・・・・・イギリス王室など西洋近代社会における王室の場合は、武力王・行政王・財政王(多くの私的財産を保持できた)として君臨していた過去を持っているのは普通だが、しかし、日本の皇室のように、神話世界(『古事記』『日本書紀』の高天原神話のような神話)に発する起源を語り、かつアニミズム系文化の呪術とも密接に結びついた過去を持っていて、しかもその神話王・呪術王の側面を1946年公布の民主主義憲法においてさえも継承して21世紀にまで維持している王室は無い<185頁> <万世一系>・・・・・「万世一系」は・・・・・明治政府による新たな“神話”の創出である<186頁> <男系継承・女系継承/女性天皇> ・・・・・〈古代の古代〉(縄文・弥生時代、古墳時代)・・・・・の時期には、男系(父系)と女系(母系系)が併存していて、おそらく臨機応変に両者が使い分けられていて、王位継承にもその性格は及んでいたと思われる。それに対して、500年代くらいには大王位の男系優位観念が出始め、さらに・・・・・700年前後の時期の場合には、古代中国国家の皇帝制度の模倣によって男系優位観念が一段と強化されたと考えられる。国家体制の強化のためには先進国家唐の皇帝の、男系男子継承主義を模倣するのが得策と考えられたのであろう。しかしその場合でも、女性天皇は、四一代持統天皇以後も、元明天皇(四三代、即位708年)、元正天皇(四四代、即位716年)、孝謙天皇(四六代、即位749年)、称徳天皇(四八代、孝謙天皇が重祚、即位 765年)、明正天皇(一〇九代、即位1629年)、後桜町天皇(一一七代、即位1762年)と登場したのであるから、唐の皇帝制度の模倣が強化されたあとでも、 〈古代の古代 〉以来の、女性リーダー 違和感を感じない伝統は生き続けていた<186頁>・・・・・しかし、明治22年(1889) に大日本帝国憲法が発表され、同年同日に施行された旧皇室典範の第1条、に天

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