ブログ引っ越し先:https://ameblo.jp/amezuki-mk/しばらくは同じブログ名『まさか日本でカルチャーショックを!』を使用いたします。一応すべての記事を移動させるつもりですが、どうなることやら・・・・・・。かなり時間もかかりそうです。【2025年4月16日JST22:10現在】アメブロに引っ越します
旧タイトル:まさか私が日本語教師に!(NO.3) 日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
あれこれ自由に記しています。
いちおうブロガーであり、どんな記事が閲覧されているのかを確認することは多い。また、それらの過去記事を読み返してみることも多い。・「俺、お馬鹿なことを記してんな・・・・・・」と思うことは多い。・反面、日本語教育、言語学、教師としての観点から、自分でもびっくりするようなことを記しることに気づくこともある。その「自分でもびっくりするぐらいのこと」で一番多いのが、言葉の細かなニュアンスの違いの解釈。話は変わる。なぜ私が方言に興味があるかという下地について記したい。30代後半から40代後半まで海外で日本語教師をしていたわけであり、元々外国のことにはとても興味を持っているし、言葉については敏感である。土曜出勤から戻り、素敵な週末を迎えた。先ほどまでYouTubeで複数の外国語によるチャンネルを観ていた。そのようなとき...最近よく方言のことを記すが・・・
具体的な都市名の表示は避けておくが、私は愛知県の東三河に住んでいる。以前は新幹線が豊橋駅に近くなると、そこで降りようとする乗客から三河弁が聞こえることが多かった。これは私だけでなくネット上に同じような表現が上がっていた。特に帰国に残っているのが、中国からの一時帰国。2010年からの帰国は利用していた飛行機の路線がなくなったり、利用する時間帯の都合により、夜電車がなくなる直前に中部国際空港に降り立つようになった。だが、それまでは広州に泊まることにより、関空と成田から夕方に豊橋駅に降り立つ経験を2回ずつ利用している。不思議と新大阪方からはあまり感じないのだが、東京方からのひかり号やこだま号の場合、やはり豊橋が近くなると三河弁が聞こえていた。乗客の安堵感であろうか。実は静岡県浜松市近辺から静岡県湖西市の遠州弁も...方言使用率の低下なのかしら?
今年は「いくら仕事が忙しくても、体を大切にしよう」と決意している。そこで、仕事始めの後の最初の土曜日を休んだ。「休んだ」といっても、元々土曜休みであり、残業規制もあるので、当然と言えば当然である。しかし、複数の仕事のピークが思いっきり重なっており、休んでいてもこの先のことを考えると気が気でない。そんな土曜日、起床時の体は疲れを引きずっていた。それでも買い出しや家の中のことをこなした。午後も買い出しに車を出し、その後自分の自由時間を得た。車での移動時に中国語曲を聴いていた。最近の休みは欧米言語に触れていることが多く、久しぶりであった。JayChouのとある歌。相変わらず「難しい・・・」と感じた。中国での日本語教師生活もそろそろ終わりを迎えようとしていた頃であった。学生というよりも友達と表現したほうが良い方々...菊花台
2025年1月1日早々に躓いて転んでいる。数日前にとある警告があったのだが、それは秋のことだと思い込んでいた。親族全員集合の後、一部親族でお出かけする恒例行事に出かけた。だが、今年は出発が遅くなり、すっかり暗くなった某所で躓いたのであった。普段暗くなってから立ち入らないほうが良い場所ではあり、私は避けたかったのだが、忙しい中わざわざうちまで来てくださった方々に「嫌だ!」とは言えない在所の長男。※在所:様々な地域の方言であるが、ここでは実家のことを指す。2日は未明から出かけた。夜明け前から東に走る習慣がある私だが、今年は珍しく日の出をバックミラーで見ることとなった。長期休みの息抜きの旅であるのだが、今年は方言の確認のためでもあった。行きたかったところを楽しんだ後、一気に言葉が変わる地域に行き、ディナーを楽し...全休できる長期休暇も久しぶり
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gooブログ終了それは昨日2025年4月14日(月)の夜に知った。もちろん驚いたが、時代の流れも強く感じた。2012年6月に中国で突然発生した”co.jp規制”。それはすぐに終わったが、突然私の消息が途絶えてはいけないと、それまでの楽天ブログ「まさか私が日本語教師に!」のサブとして、gooブログにて「まさか私が日本語教師に!(No.3)」を始めた。すぐにgooをメインとしたのは心機一転でもあった。2024年夏に帰国後、しばらくして現在の「まさか日本でカルチャーショックを!」に名称を変えた。思えば、2009年9月から始めたブログ。何度か止めようと思った。だが、今までずっと続いている。さて、gooブログ終了の知らせを受け、瞬時にあれこれ考えた。その一つが、「新たな始まり」だということ。今さっき新たにブログを契...gooブログ終了ですって・・・
時代も変わってきている。私自身も半年前からはみなし残業代の枠内の残業で収まることが増えてきた。ただ、それは同時進行のプロジェクトが3つから2つに減ったからでもある。そして現在残る1つを進めている。ただ、同時進行の仕事が1つだろうが3つであろうが、新卒1年目の方には極力残業させないようにしている。とはいえ、そのうち嫌でも残業することになる業界ではある。それもあり、今経験しておかないと後で困ることだけは残業をお願いすることもある。それ以前に、日が落ちないとできない技術的なこともある。さて、昨年新卒でやってきた方も既に2年目に突入している。その方の先を考えるからこそ、あれこれ仕事を振ることが増えてきた。(近年稀に見るぐらい優秀な人材だと思う。)ただ、いつも考えることがある。「これはパワハラではなかろうか」と。自...昭和のパワハラおやじ?
4月になった。私に与えられた道?(その3)でも匂わせていた。実は本来ならば違う部署に異動しているはずであった。しかし、今の仕事が終わらないと身動き取れない。昨年9月に私名義のプロジェクトものを終わらせ、この3月にはもう1本終わらせた。しかし、どうしてなのか客先に受けの良い私はとある事情から、ある種の人質として居残りしている・・・・・・。さて、本題。仕事柄技能実習生と対峙することもある。元日本語教師であり、「ティーチャートーク」も「やさしい日本語」も使えるとは思っている。だが、ときに通じないこともある・・・・・・。。しかたなく「シンプルイングリッシュ」を交えるのだが、これも通じない・・・・・・。「あのー、連れてきた責任者さん、御社ではコミュニケーション成り立ってんの?」来たばかりの技能実習1号の方を使うにあ...やさしい日本語もシンプルイングリッシュも通じない!
2025年3月24日(月)の記事パスポートオンライン更新の続きである。翌日25日の昼休みに再度個人のiPhoneでマイナポータルに入ろうとしたのだが、やはり無理であった。しかたなく仕事用のAndroid端末にてログイン。処理中のままであったが一応大丈夫であろうと思った。なぜなら、何年も前の金融口座とメールアドレスの確認情報が下に載っていたので。日付を見ればわかることなのだが、それに気がつかなかった。ちなみにiPhoneからも読めるメインメールのアドレスには25日未明と26日の2件の通知があった。その意味は本日知ることとなった。今晩やはり会社支給のスマホよりマイナポータルにログイン。処理中をクリックしてみると、受け取り期日が記されていた。そして受付票をDLしてみると、25日と26日の2つが届いていた。「いっ...パスポートオンライン更新2
本日2025年3月24日から新しいパスポートに変更されるとのこと。今年に入ってすぐ有効期間1年を切ったのだが、この日まで申請を待ってみた。本日21時頃に速更新申請をしてみたのだが、iPhoneがマイナンバーカードを読み取ってくれず、マイナポータブルに入れないこと30分・・・・・・。いつもすぐに入れるので、焦った。さらに30分待ってもだめであった。しかたなく手持ちのAndroid端末にマイナポータブルをインストール。トータル15分程度で無事に申請完了。手間は自分のiPhoneからAndroid端末に写真を転送したことぐらい。確かに多くの方々が記しているとおり、何度もマイナンバーカードやパスポートを読み取らなければならないのも事実だが、あまり苦にはならなかった。さて、私のiPhone。の読み取りがおかしくなっ...パスポートオンライン更新
最近いくつかの取引先の方々、特に若い方が書類などでやらかしてくれることが多い。それも企業の規模で考えると、自分たちより上のところでも発生している。書類をわざわざ持ってきてくださったのに、その場で間違いを見つけ、修正を依頼。翌日持ってきてくださったのだが、また違う・・・・・・。「製本などしなくても良いから」とメールでPDFデータを送ってもらうことにした。後でばらしてスキャンを取ることを考えても、そちらのほうが手間がない。この数日など、電子上でとんでもないことをやらかした業者もあった。これに関しては、寝ながら考えた。「私の責任にしておけば何とかなる」であろう。しかし、私も技術者としてのプライドはあるので、実はかなり腹立たしい。と、歯ぎしりしながらの土曜出勤。昼休みに考えた。これは自分に返ってきたということなの...自分に返ってきた?
今現在、1つのプロジェクトの終わりが近く、客先提出物の作成に追われている。とはいえ、今までのプロジェクト終了に比べれば、少しはのんびりムードでもある。もちろん今までとは信じられない人数で構成されていることもあり、多少は私の負担も減っている。ただ、「少しはのんびり」である理由は他にもある。今までは「とある筋からの超級的な無茶ぶり」を乗り越えることで精一杯であった。その厳命を受けては「お国からの厳しい残業規制」など守ってはいられない矛盾。それを乗り越えたわけであり、少しはリラックスさせていただく権利があると自分勝手に思うだけでなく、実践している。10年半前、帰国した直後もかなり大きな非道の無茶ぶりがあった。私自身は数か月だけであるが、無情の暴風雨の中で過ごしたことがあった。ただ、その経験に近いことを「厳しい残...私に与えられた道?(その3)
車のマフラーの音が大きくなった。元々走行中にうるさい車であるのだが、耳が良い私は見逃さなかった。そこで懇意の自動車屋さんに連絡を取ったところ、超級的な忙しさであり、来週にして欲しいとのこと。お互いさまであり納得したその晩の帰宅途中、少々荒れた舗装面で小さく「カラン」という音が聞こえた。窓を開けつつ、橋の伸縮装置を通ったところ、やはり聞こえた。帰宅してから手を伸ばしてスマホで撮影したところ、見事にマフラーが外れていた。本日仕事で大事な来訪があったため、それを終わらせた後で会社に向かい(まだ退勤時間でもないのに)社用車からマイカーに乗り換え、自動車屋さんに向かった。あらかじめ電話してあったのは「とりあえず外れた部分を結束するか、外してしまうかの処置」であった。そのお店の営業時間内にたどり着き、見てもらったとこ...代車でるんるんドライブ
この半年ほど、日本でのカルチャーショックの真っ只中にいた。10年以上前の中国で観察していたような現象。まさか日本帰国後に自分がその現象に振り回されるとは思ってもいなかった。私は影の影の影に等しいが、まだ多少は光を浴びていたと言えなくもない。だが、私よりも影の方々はとても多く、その苦労は計り知れない。とにかくそれは躱した。それが終わった直後の疲れは尋常ではなかった。あとはそのカルチャーショックに振り回された最後の2本のプロジェクトを終わらせるだけ。日本でとある現象に振り回され・・・
自分の体調不良で突然休むことは少ない。この1年でも仕事中に病院に駆け込んだことは二度しかない。他は熱があろうが、咳がひどかろうが、膝や腰が痛かろうが仕事をしている。そんな私でも突然休むことがある。そのひとつが家の事情によるもの。もっともこちらも出来るだけ避けてはいる。とはいえ、何もかにも捨てて、帰国した理由の最大の要素は親の扶養であるからには、それを優先とすることは当然であろう。今回別に親の身体の問題ではなく、心豊かな生活を送ってもらいたいがための休みであった。本来、本日は仕事の状況から私がいることは必須であった。残っているプロジェクトでの私の位置は番頭的なものであったりする。そして仕事上マイルストーンとなるこの数日。さらにはほぼ「だんな」がいないという本日に私がいないことは避けなければならないこと。とは...親のためであれば、遠慮なく(?)休みを取る
本日帰宅前突然思い出した。2014年夏に帰国して、9月に車を手に入れた。その際の手続きのひとつが自動車保険。当初はその春に運転免許証を返納した父親の自動車保険の中断証明書を使用するつもりであった。しかし、私が日本を離れてから約9年しか経っていなかったため、自分の中断証明書を利用することができた。(10年有効)どちらも同じ自動車店の保険業務を利用していたことは幸いであり、損保代理店が気づいてくれたという次第。おかげで以前の等級を引き継ぐことができた。それも私がしょう自動車保険中断証明書
本日金曜日、夜に2時間残業した。たかが2時間である。しかし、ひどく体力を消耗した……。20代後半。無理編に無理を書く生活をしていたことがあった。その準備期間と本編の間、無理のクライマックスになると、とある症状が身体に現れていた。30年後の今、その症状が現れている。いや、日本語教師勉強中も異国で教えていたときもあった。しかし、今回は30年前と同じくらいひどい状態。確かにこの2年無理をしている。ただ、深く感じることは、「歳を取ったなぁ……」なのである。あと半年弱でこのプロジェクトが片付くであろう。既に私は(このプロジェクトから離れるために)半年前から自分の名前を使っての仕事はしていない。それなのに(責任者で名前を出していないのに)客先から電話がかかってきたり、ご指名により客先まで出かけることもある。簡単にいえ...無理はできない
先週この前の記事『私に与えられた道?(その1)』を書く数日前に全編中国語の夢を見た。南方方言が何一つ登場しない普通話だけのもの。普段私が話す中国語は発音がけっこう南方的であるのだが、夢の中ではまったく標準的な中国語を話していた。そして夢の中の私の思考までもが全部中国語であった。帰国して10年が過ぎているのに、こんなこともあるのだと驚いた。夢というのはけっこうしっかりとしている。私が20代の頃に夢見た将来、子どもの頃から20代の奮闘の夢。すべてが色鮮やかなのである。大和和紀氏の『よこはま物語』で登場する表現を借りれば、「夢は色あせない」ということになる。話を元に戻す。30代最初であったと思う。自分が将来日本語に関係する仕事に就く予感はあった。まだ、日本語教師という仕事が気になる前であり、「小説家にでもなるの...私に与えられた道?(その2)
このブログの以前のタイトルが「まさか私が日本語教師に!(No.3)」であるのだが、まったくそのとおりであった。(No.3というのは2012年の中国で突然発生したco.jp問題で新たにブログを起こしたため。)確かに何かしらの教師にはなりたかったので、夢のリストにはそれが記してあった。とはいえそれは夢のひとつに過ぎなかった。そして数年後に夢のひとつをかなえ、大学に入学することができた。二足のわらじであり、とても大変であったが、それが私に様々な方向性を与えることとなった。例えば外国語恩師の授業、例えば同じ社会人学生の仲間の生き方、例えば年下の学友の生活。それまで建設業しか知らなかった自分に多様性という言葉を与えた。さて、大学を卒業後1年必死に働いて会社に恩返しして30歳で中国生活を始めようという行動計画があった...私に与えられた道?(その1)
(年を取ると、同じようなことを何度も呟くもの)農暦正月初一を迎えたと思ったら、節分もやって来た。2025年の今年は春節も節分もいつもより早めであった。特に帰国して11回目となる今年は節分と家の大切な行事とが重なり、様々なことを考える週末となった。約6年前、体が弱っていた父親とそれを支える母親のために、通勤に時間がかかる職場から隣の市の職場に異動(出向)させてもらった。3年前からは出向先に転籍もしている。新型コロナウイルス感染症により、休日も地元にいることが多くなった数年で、以前とはあれこれ変わった地元を知ることができた。話は前後する。できれば日本でも日本語教師がしたかったことはしつこいぐらいに記している。帰国直前から直後はチャンスがなかった。だが、2017年3月にチャンスが訪れた。しかし、いくら試算しても...2025年立春の前日の記事
いちおうブロガーであり、どんな記事が閲覧されているのかを確認することは多い。また、それらの過去記事を読み返してみることも多い。・「俺、お馬鹿なことを記してんな・・・・・・」と思うことは多い。・反面、日本語教育、言語学、教師としての観点から、自分でもびっくりするようなことを記しることに気づくこともある。その「自分でもびっくりするぐらいのこと」で一番多いのが、言葉の細かなニュアンスの違いの解釈。話は変わる。なぜ私が方言に興味があるかという下地について記したい。30代後半から40代後半まで海外で日本語教師をしていたわけであり、元々外国のことにはとても興味を持っているし、言葉については敏感である。土曜出勤から戻り、素敵な週末を迎えた。先ほどまでYouTubeで複数の外国語によるチャンネルを観ていた。そのようなとき...最近よく方言のことを記すが・・・
具体的な都市名の表示は避けておくが、私は愛知県の東三河に住んでいる。以前は新幹線が豊橋駅に近くなると、そこで降りようとする乗客から三河弁が聞こえることが多かった。これは私だけでなくネット上に同じような表現が上がっていた。特に帰国に残っているのが、中国からの一時帰国。2010年からの帰国は利用していた飛行機の路線がなくなったり、利用する時間帯の都合により、夜電車がなくなる直前に中部国際空港に降り立つようになった。だが、それまでは広州に泊まることにより、関空と成田から夕方に豊橋駅に降り立つ経験を2回ずつ利用している。不思議と新大阪方からはあまり感じないのだが、東京方からのひかり号やこだま号の場合、やはり豊橋が近くなると三河弁が聞こえていた。乗客の安堵感であろうか。実は静岡県浜松市近辺から静岡県湖西市の遠州弁も...方言使用率の低下なのかしら?
今年は「いくら仕事が忙しくても、体を大切にしよう」と決意している。そこで、仕事始めの後の最初の土曜日を休んだ。「休んだ」といっても、元々土曜休みであり、残業規制もあるので、当然と言えば当然である。しかし、複数の仕事のピークが思いっきり重なっており、休んでいてもこの先のことを考えると気が気でない。そんな土曜日、起床時の体は疲れを引きずっていた。それでも買い出しや家の中のことをこなした。午後も買い出しに車を出し、その後自分の自由時間を得た。車での移動時に中国語曲を聴いていた。最近の休みは欧米言語に触れていることが多く、久しぶりであった。JayChouのとある歌。相変わらず「難しい・・・」と感じた。中国での日本語教師生活もそろそろ終わりを迎えようとしていた頃であった。学生というよりも友達と表現したほうが良い方々...菊花台
2025年1月1日早々に躓いて転んでいる。数日前にとある警告があったのだが、それは秋のことだと思い込んでいた。親族全員集合の後、一部親族でお出かけする恒例行事に出かけた。だが、今年は出発が遅くなり、すっかり暗くなった某所で躓いたのであった。普段暗くなってから立ち入らないほうが良い場所ではあり、私は避けたかったのだが、忙しい中わざわざうちまで来てくださった方々に「嫌だ!」とは言えない在所の長男。※在所:様々な地域の方言であるが、ここでは実家のことを指す。2日は未明から出かけた。夜明け前から東に走る習慣がある私だが、今年は珍しく日の出をバックミラーで見ることとなった。長期休みの息抜きの旅であるのだが、今年は方言の確認のためでもあった。行きたかったところを楽しんだ後、一気に言葉が変わる地域に行き、ディナーを楽し...全休できる長期休暇も久しぶり
私は愛知県東部に住んでいる。高校生の頃はどこに行くにも自転車であった。アルバイトも一度しかせずに、体と頭を鍛えることばかり行っていた。つまり、小遣いの中でやりくりすることとなる。高卒後、社会に出た私は自分を広げるために、今まであまり乗らなかったJR在来線や名鉄本線に乗るようにもなった。本日は朝から己の時間が使えることになった。そこで車で熱田神宮に行くことにした。最近はあまり名古屋に行っていない。新型コロナウイルスが私の行動範囲も変えてしまったことになる。熱田神宮付近も様変わりしている。その後、熱田神宮から大津線を北上し、金山総合駅の横を通った。初めて名鉄やJRで金山に降り立ったときとは全然違う風景である。(当時は名鉄金山橋駅とJR金山駅であり、両駅は離れていた。)いや、総合駅となった後もけっこう変わってい...生活態度の見直し
何回か記している。人は知らず知らずのうちに罪を犯す。気づいたときどうすべきか。罪つくり
愛知県。その中でも外国人の居住率がかなり高い地域に住んでいる。ただ、そこで聴こえる外国語も様々。約7年前からはベトナム、フィリピン、タイ、インドネシアの方々が多くなった。当然30年以上前から、ポルトガル語やスペイン語を話す方々はたくさんいる。これも7,8年ほど前から感じているのだが、中国語話者はたいてい日本語が話せる。しかし、本日うまく日本語が話せない方を発見したので、通訳に入った。状況によってはヘルプに入るが、介入しないこともある。異国で外国人として生活していた経験。日本語教師の経験。そのふたつが安易な介入を避ける場合がある。理由は、困らないと上達しないので。別に中国語に限らず、英語での場合もやさしい日本語での場合もそうなのだが、緊急を要したり、乗り間違える可能性があったり、買い間違えると後で厄介になる...私って、ひどい人、悪い人かも
2024年4月に入り、土日と休むことにした。もともと土日の週休2日であるし。だが、金曜夜と土曜日の疲れが半端ない。今年から簡単に休日出勤できないのは痛い。休日出勤1回でかなりカウントされることになる。それはできるだけ避けたい。さて、そんな状態がこれから1年は続くかと思うとぞっとする。話は変わる。折に触れてNHKR1の「子ども科学電話相談」を聴く。時々、「先生、それ難しいよ・・・」とつぶやくことがある。専門用語はもちろんであるが、難しい漢字語は現れるは、方言も現れる。(方言がいけないわけではなく、他地域の子どもが聴いてもわかりにくいということ。)現在の子どもが使わない言葉も現れる。日本語教師としても、技術のことを後進に教える身としてもけっこうためになる。ここで少しだけ方言に触れた。実は本日の話題はそれ。年配...先生、それ難しいよ・・・
働き方改革良い響きだが、残業しないわけにはいかず、規制の中で上手く動かしていくしかない。この4月からはそれほど残業しなくてもやっていけるかと思いきや、仕事量は変わらないどころか増えている・・・・・・。私の場合、様々な諸事情により、休日出勤したとしてもまる1日は仕事できない。とはいえ、休日出勤を行うと、簡単に残業週45時間を超えてしまう。つまり、仕事が進まないからと言っても、休日出勤は避けねばならない。とはいえ、平日の勤務時間内と朝や夜の残業では仕事が進まないことを知ったこの2週間。どの業界もまだまだ夜明けは遠い。そんな(昨年より追われている状態で)自分のことなど進められもしない。親の世話などしなくても良いのなら別だけれども。それでも、このまま老いていくのも嫌である。というわけで、(夢は追い続けるが)今年は...言語って不思議
年を重ねたせいなのか。例えば、テレビ、ラジオ、新聞などのニュース。目にすること、耳にすることで縁を感じることがある。縁と記したが、良い意味での縁もあれば、悪い意味での縁もある。そのどちらも本人たちが知らない力が作用しているのかもしれないと考えると、己の生活態度を見直したくもなる。さて、このブログ。某ランキングサイトでOUTが減っている。当然のことであるが、それだけ魅力のある記事を書いていないことになる。(いつもこのブログからランキングサイトに入り、INを稼いでくださる誠に貴重な読者様、ありがとうございます。)いやぁ、本当に忙し過ぎて、日本語や中国に関することを記せない。ただ、これでも毎日多少はかかわって生きていることだけはお伝えしておきたい。もっとも日本語に関しては「教える」ことよりも「覚える」や「比較す...忙しさの中で感じる縁
(2024年)4月に入り、少しだけ仕事量も減り、けっこう早めに帰宅した1週間であった。ただ、この先を考えると、やることの膨大さに気が滅入っている。まあ、健康こそ大切なので、無理は避けたい。さて、2月にこっそり受けた試験。けっこう書類に追われているさなかの受検であり、昨年の秋よりも大変であった。元々興味があったものであるが、現在の己の実力を試すためでもあった。昨年まであれば、マイカーで行ける試験地も存在していた。20年以上前から場所も把握していたし、付近の時間貸し駐車場もだいたい把握している。また、そうであれば、帰りも楽であった。気軽にラジオも聴けたし、外国語の聴解練習もできたし、3時のおやつも気軽に買えた。それ以前に遅い昼ごはんを慌てて食べなくても良かった。まあ、そうは言っても、2月に行った試験地も帰国後...悩めるお年頃・・・
なんとか間に合った。というよりは間に合わせた。仕事はまだまだ続くけれど・・・。こんな拙い文章ではあるが、文を作ったりすることが好きである。それは企画書や計画書に活かせる。それだけでなく、PC仕事全般が嫌いではないので、何でもかんでもやっている。外に行かなければならないのに、部屋の中にいるほうが多い。だが、別に管理職ではない。それを望まないことを伝えて途中入社している。ただ、単なる技術屋ではないことは記しても差し支えはない。そんな私であるが、今年になってからずっと無理して仕事をしてきた。もっとも、昨年の秋もそうであったけれど。ただ、2024年4月からの各業種に対する働き方改革を考えると、以降は無理であろう。帰国した直後の数年は80時間の規制ぎりぎりの残業を続けていたし、それを上回ったときもあった。だが、7年...夢も大事だが、体も大事にしたい
2021年1月に据え置き型のWifiが壊れた。そこの対応が良くなかったこともあり、乗り換えキャンペーンをやっていた他社に乗り換え3年使用した。お金を払うどころか、今までより支払いが少なくなる状態で機器を5G型に取り替えたのが今年2024年2月半ば。ところが、3月25日(月)の夜につながらないことを知った。前夜までは普通に使えていたのだが・・・。電源を切り、再び入れること数回でも駄目。コンセントを抜いてしばらく待ち、再接続しても駄目。SIMを確認しても、一度抜いて入れ直しても駄目。翌日電話をしたら、SMSにURLが届き、そこでやり取りしたのだが、結局は電話を受ける日時の予約をしなければならなかった・・・。だが、そんな複雑であっても、数分もしないうちに、新しい端末と交換する話になった。月曜日に電話をして、本日...またまたWifiの無い生活を体験
特にこの10年。ブログでほとんど写真やイラストを用いていない。教育のみならず、人材の採用を考えても、長ったらしい文章だけではやっていけない。それでも私が文章にこだわる。その理由は「読む方々が自由にイメージできる」から。もっとも長ったらしい文章のせいか、まったく理解していない方々も現れる・・・。「どうしたらそんな解釈ができるのぉ・・・・・・」とため息ひとつ、ふたつの時代もあった。まあ、文章を書ける割にはそのセオリーがわかっていないので仕方がない。力技一本で勝負している。そして話はあちこち飛ぶ。まだまだ勉強しなければならない。まあ、それはともかくとして・・・。昔の私は口下手であった。おまけに作文も苦手かつ苦痛であった。小学4年生の頃の夏休みの宿題の作文で同じ文章を延々と書いた。担任も「なんじゃこりゃ」と記した...偶然は必然
私が登録日本語教員となるのは簡単ではない。今現在所定の機関で教えていないし、この先数年の間にそれを行うことは難しい。おまけに、私が過去に受講した420時間の養成講座も今現在は存在しない。だからといって、今から養成講座に通ったり、ネットで受講するという時間とお金の余裕などない。だいたい多くの方々が勧めてくださるオンライン日本語教師でさえ行うことが難しいのである。まあ、多くの方々は自分が経験したことがない職業について多くを知らないので仕方がない。ましてや今の私は一年先までは確実に追われまくることになっている。毎日1、2時間程度にすぎない残業でさえ驚く方もいらっしゃる世の中では理解しろというほうが無理だと思う。せめて、土日が確実に休めたり、夜遅くならないうちに帰ることができたり、老いた親を支えなくても良かったり...やはり自己研修かな
早い話、お金のために戻った職業。しかし、世の中のことを考え、またそれなりの誇りを持って仕事をしている。さて、今の忙しさはまだまだ続くのだが、本日の夕方はホッと一息つけるはずであった。ところが本日とあることが発生した。そこで感じたのが因果応報。まだ私が若かりし頃、技術の世界でとある失敗をやらかした。おそらく若すぎる技術者である私を守ってくださったのだと思う。何の問題にもならなかった。ただ、これはいつか自分に舞い戻ってくると感じた。であるから、そうはならないよう努力した。どんな業界にいても、折に触れてその出来事を思い出していた。だが、この数年はすっかり忘れていた。本日自分の元に返ってきた。とはいえ自分に直接衝撃を与えたわけではない。それでも自分が関係しているプロジェクトに戻ってきたわけであり、深く考えるところ...自分のしたことが自分に返ってきた・・・
とても簡単に記すと、国家資格は10個持っている。ただ、国家資格だけが資格かといえば、私はそうとは思っていない。民間の資格もけっこう取得しているし、活用している。「今年2024年4月から国家資格になる日本語教師」しかし、現役日本語教師のすべてがそれに対処するとは思えないし、これから日本語教師を目指す方でも、別に国家資格など考えていない方もいらっしゃるであろう。過去に10年近く日本語教師の経験がある私。できれば今の仕事をリタイアした後を見越して、登録日本語教員になりたいものではあるが、今の状況でそれは難しい。ただし、登録できるためのすべてを手に入れられなくても、将来のために近づいていくことは可能である。もっとも私にとっては無くてもなんとかできるかと思う。「では、何故に欲しいのであろうか・・・」まあ、それはとも...なぜ欲しいのか
数日前もとある言語教育のニュースで思った。「かなりの無理強いだなぁ・・・・・・」と。だが、こんなことはどの業界でもある。さて、本日(も)土曜出勤をした。そうしないと終わらない。だが、実はどんなに努力しても終わらないことはわかっている。もうすぐ客先に渡すプロジェクトは無事に終わるはず。だが、同時進行で行っているほうは進んでいないのである。そしてそれは1つではない。とても簡単な話であるが、複数のことをすべて100%ではやっていけない。いや、期限が迫っているものであっても、100%でやっていては、他のプロジェクトが進んでいかない。Aを81%、おそらく半年以上先に期限がくるBを61%、まだ期限が1年あるCを8%の力で進めている。そう、すでに計算が合わない。Bも最終的には80%の力を出さなければならない。そのときに...腹をくくる
出先での用事が終わり、スマートEXで帰りの新幹線の予約をしようとするのだが、カードが認証されない……。昨年夏にようやく使えるようになったはずのスマートEX。だが、よく支払いで弾かれる。今回の行きに関しては2週間ほど前に行ったのだが、何回目で支払いできたのか……。本日も上手くいかず、新幹線駅を通り越してしまった……。結局駅の券売機で購入した。さて、駅ビルにて、遅い昼ごはんを食べ、ホームに上がった。今まであったコーヒー売り場がなく、販売機で購入。そしてradikoでお気に入りのラジオを聴こうとするのだが、イヤホンが認識されない……。列車やバスにに乗るときはワイヤレスではなく、百均のイヤホンにiPhoneのlightning端子を接続して使っている。やっと接続出来たと思ったら、イヤホンが壊れた……。駅前駐車場で...メッセージかな
「あれっ、やばいかも・・・」そう思ったのが昼休み直前。午後から仕事を少しだけセーブした。16時過ぎからはそれが顕著になり、「体が大切だ」と残業を諦め、定時の十数分前にパソコンを閉じた。もっとも、会社に戻って車を乗り換えれば、定時の30分過ぎ。今週は早出残業が二回、夜の残業も2回で抑えている。明日の土日は休む。これは数か月前から決めてある絶対的なこと。つまり、ゆっくり体を休めている時間などない。今年早々から数か月がかなり忙しいことは昨年の夏からわかっていた。それ以前に9月、10月、12月も相当忙しかったけれど。正月明けの土曜日は個人的な用事があり休んだ。そこから2週連続で土曜出勤をし、マイルストーンとなった日の翌日の土曜日は休んだ。だが、その後も2週連続で土曜出勤。いくら土曜の朝は家の買い物を行ってから出勤...気のせいだと誤魔化せない
自分から言うことは多くない。(中国で)日本語教師をしていたことを。私など教師らしくない教師であった。特に日本語教師にはその傾向があるような気がする。とはいえクラスコントロールができないようではやっていけない職業。ときに言われる。「先生みたいですね」と。「えっ!?」と声を上げそうになる。その様子を見た私の過去を知っている方は笑いをこらえている・・・。話は変わる。2024年の春節を迎えた。中国語圏とかかわりを持つ日本人としては、年に3回新年行事があったりする。(ひとつは節分。)だが、今年は一般的な新年以外はそれほど気にならない。伝統行事として大切にはしているものの、今までとは力の入れようが違う。けっこう疲れているようである。かなり仕事に追われている。家のことも自分のこともやることがある。何かの比重を減らさない...新年(旧暦)のつぶやき_2024
現在技術の世界にいる。後進やまったく技術のことがわからない事務の方に指導や指示、お願いをしていて時々思う。「日本語教師をしていた頃、俺の言葉は通じていたのかな・・・」と。日本語母語話者に話が通じないのであるから、非母語話者であればなおさらであろう。仮に後進の方が技術系の学科を出ていたとしても、ただ単に「○○の写真を△△の方向から撮っておいて」では文字通りにしか解釈できない。文系の出身であればなおさらのこと。写真を整理していると、確かに△△の方向から撮ってはいたが、物体の動いている方向が△△とは逆の方向であったりする。つまり、指示は具体的に行わなければならない。技術のことがわからない事務の方に、具体的に説明した。折に触れて何度も何度も。だが、30分以上経った時点で、まったく理解していなかったことを知り、愕然...ギャップ萌え?
メニューの選択はインドネシア語とポルトガル語とスペイン語とイタリア語・・・。第一段落は2014年3月にこのブログで記した内容の一部分である。本日は土曜日であるが、出勤した。ただ、朝は土日恒例の母親を連れての買い出しがある。そのため本社で車を乗り換えるのは10時から11時ぐらいとなる。簡単にいえば、朝若干の余裕がある。その間に部屋の掃除を行うのだが、本日ふと第一段落を思い出した。2012年夏の一時帰国から中国に戻ると、様々な家電製品に問題が発生した。尖閣問題で大変なときにとても困った話であった。秋になってやっとテレビを買い換えた。(当時まだ液晶は高かったので、ブラウン管にした。)しかし、翌年の雷の後、テレビのメニューの言語は第1段落のとおりとなった。2014年3月のその記事に記してある。「今考えるとこれは現...忙中の楽しみ
無茶だ・・・。昨日の夜は体が言うことを聞かなかった。21時台にはベッドに上がっている。本日土曜日は久しぶりに休んだ。午前中すべての時間を家のために使った。午後買い物に出かけながら、途中公園駐車場に車を停めて勉強したのだが、数問解くたびにうつらうつらと・・・。1時間もせずに諦めて、仮眠を取った。正月明け早々から3週間飛ばして仕事をしてきた。何せ複数の仕事を抱えているため、膨大な量の書類をこなさなければならないだけでなく、外での管理も必要なわけであり、疲れは激しい。特に昨日の午前は節目となったこともあり、少し気が緩んだのであろう。月曜日も疲れはひどかったが、昨日土曜日はかなりのものとなった。来週、再来週はまた土曜出勤をしなければ、書類も減らないであろう。その2月は2月で個人的なスケジュールもあるからこそ、そう...無茶な行為と本心