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畑に吹く風 https://blog.goo.ne.jp/yukiguni01-47

 雪国魚沼生まれの魚沼育ち。生粋の田舎人です。愛犬マックスと共に畑仕事や魚沼の自然を紹介しまします。

 早期退職をして早六年。細々と始めた個人経営の農産物直売所の営業も五年目のシーズンを無事に終えています。 無農薬、減農薬を主体とし、減化学肥料、有機主体の農業に挑戦しています。 石の上にも三年。徐々に畑の趣旨も知られるようになり、長岡の「越後の台所 すずきち」は大のお得意さん。なんと、お店には私たち夫婦と私の畑の写真が沢山掲げられていますよ。

スベルべ
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魚沼市
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魚沼市
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2012/03/02

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  • 畑仕事中に急な雨がきた

    3時に起きて、お握りを作り枝折峠に出かけた日です。朝早かったと言っても、休んているわけには行かない。曇り空で比較的に涼しい午前中に、山の畑のジャガイモの収穫跡を整理。取った草やら、ジャガイモの枯れた枝葉を片付けていると、急に雨が始まった。空の一部には青空さえ見えるのに、土砂降り状態の雨。簡易舗装の農道の上は、たちまち川のようになって雨が流れます。広域農道に出ます。ここも川のようになっています。両側は栽培フキノトウの枯れる寸前の親株。これで少しは息をついたかな。先日も降ったけれども畑の土は2~3cmしか濡れていなかった。今回はもう少しは濡れることでしょう。雨が上がったらトラクターで耕そうか。空が明るくなってきました。耕す前に発酵鶏糞「笑愛」を撒こう。土が十分に湿ったら、耕して畝も作られるのですが、雨はいつま...畑仕事中に急な雨がきた

  • 滝雲に会えた

    一昨日は枝折峠に行ったが、霧が濃すぎて滝雲を見ることは叶わなかった。昨日、前日の天気予報を見て再び枝折峠へと向かった。着いたのは4時40分。途中で湯之谷に住む、姉の娘、姪を載せて行った。姪は何回も行っているのだが、今回は最高だと喜んだのでした。徐々に夜が明けるにしたがって、滝雲は増える。正に滝の水のように、北の俣川で発生した霧が尾根を越えて流れ落ちる。ビューポイントを何カ所か移動してカメラを構える。時間の経過とともに、滝雲は色々な表情歩見せてくれるのだった。朝日が昇るとまた違った表情になる滝雲。このビューポイントは視線が滝雲とほぼ平らになる絶好の場所。姪は市役所関係に勤めていて、知人も多い。このビューポイントで出会ったのは、魚沼市観光協会の職員だった。なんと、この人物がこの滝雲を世に知らしめた、最大の功労...滝雲に会えた

  • 霧が晴れることは無かった

    明るくなったので、外を見るが霧は晴れない。どうやら、自らが滝雲、深い霧の中にいるような様子でした。一人の若者がビューポイントまで歩くと言うので後を追う。途中の352号線脇には、「蔓ニンジン」があり、特徴的な花の姿も。この花にある、特徴的な斑点から「ジーソブ」とも呼ばれる。何のことは無い、老人斑の事ですよ。嫌ですねー。でも、この蔓ニンジンはサポニンが多く含まれて、朝鮮人参にも負けない薬効が。昔、亡父から聞かされたのは「大変な貴重品」と言われた。気が付いたら裏山にいくらでもあると聞き、スベルべも気が付いた。踏みつけたりすると、特徴的な甘い香りが漂い、すぐに見つけられます。これは、独活の花です。天婦羅種にも使えます。大きく開いたゼンマイの葉です。山形ナンバーのオートバイの若者と話を交わします。そして、トイレに設...霧が晴れることは無かった

  • 滝雲が見たい

    24日付の地方紙に、面白い記事が掲載された。以前から言葉だけでは知っていて、一度は見たい、写真を撮りたいと思っていました。場所は奥只見湖(別名銀山湖)へ抜ける、枝折峠です。高い尾根を、さながら大瀑布のように雲が尾根を越え流れると言います。夏休みの自由研究と言う副題で起きる理由も開設。昼夜の寒暖差が大きい、晴れて日の朝に出現することが多いようです。物好き、好奇心旺盛なスベルべがいかない訳は無い。今朝は、月曜日で観客も少ないだろうと考え、3時に起きおにぎりを作って3時半に出発。枝折峠に行くには2コースある。奥只見ダム建設のために作られた、大部分がトンネルのシルバーライン。そして、拡幅はされたけれど、古い国道352号線「樹海ライン」です。時間が気になり、行きはシルバーラインを使います。長いトンネルが続くコースで...滝雲が見たい

  • 92年前の尾瀬紀行(12終わり)

    五十年前の尾瀬紀行(12終わり)お昼を食べてから、愈々燧岳登りだ。湖尻から登った。湖尻の標高が一六〇〇米だから、二三四六米の頂上迄は七百米そこそこ、大したことはない。連日の疲れも見せないで一気に登った。皆元気だ。旧火山の燧は姿が良く、尾瀬の象徴とも謂れ、会津駒と並んで県境に君臨している。登る道の両側に生える樹木には殆どその木の名札が付けてあって一見してよくわかる。頂上迄標高に従って、植物の標高分布がはっきりして非常に参考になった。登り口から三百米位は闊葉樹、それから三百米位は針葉樹、更に上は灌木類、頂上並びに頂上付近はイタドリの類、この区切りが実にはっきりとしていて珍しいものだ。これ又、大変参考になった。晴れていたので頂上の眺めは良い。下を見れば尾瀬沼、沼尻川、下の大堀、川上川、ヨッピ川と、湿原を流れて赤...92年前の尾瀬紀行(12終わり)

  • 魚沼砂漠で元気なのは

    昨日の午後は雷雨もあったが降水量は精々3mm程度。土を十分に濡らすまでには至らず、栽培のフキノトウの親株も赤茶けてきました。そんな砂漠状態の山の畑で元気なのは飼料用トウモロコシのデントコーン。今回、昨日の雨はまだしも、砂漠のように乾燥した土で発芽し、成長する逞しさ。こちらは我が家の畑の隣り。こちらもデントコーンです。でも、先の写真と比較すると雑草が多い。もう少しすると雑草の丈を越えるでしょう。こちらも砂漠状態の土に生えたスベリヒユです。先のデントコーンと言い、「お前たちはエアープランツか」なんて呟く。朝仕事のジャガイモ掘りを終えて帰ります。越後三山の上は薄い雲のみで、これからの気温上昇を示唆するかのよう。はるか彼方に魚沼市の中心市街地の屋根の輝きが見えます。週間天気予報は、時々傘マークが出るけれど、日柄が...魚沼砂漠で元気なのは

  • 92年前の尾瀬紀行(11)

    五十年前の尾瀬紀行(11)中田代に入ると、数知れぬ池塘や、小川の辺に大葉の毛せん苔や太さ指程のトクサが一米余に伸びて、平地には見れない珍しいものだ。原一面に日光キスゲが真っ盛り、遅れているあやめの花もきれいだ。チングルマ草など、珍しい草花は数えきれない。当時でもこれ等の高山植物の保護に相当力を入れ、監視員が時折巡視して盗む者が見つかれば注意し、悪質の者は処罰していた。このようにしてねこの自然保護が今日に引き継がれているので、何と言っても日本で著名の高山植物の宝庫というのも過言ではない。私は尾瀬が好きだ。静かで美しい自然が殆ど損なわれていない。広々とした湿原に数知れない池塘や四周の山々、尾瀬沼、沼尻川、白樺、ダテカンバの林、楢の古木等、之等が自然の中に尾瀬の中に創り出している。景観は概ね女性的で飽かぬ眺めは...92年前の尾瀬紀行(11)

  • ジャガイモ掘りラストスパート

    ジャガイモ掘りがラストスパートに入っています。この一画で残るのは「北海黄金」と「シャドウクイーン」です。草取りを兼ねての仕事になります。雨が降ると、草もしっかりと根を張るのですが、水不足であっけなく抜けるほど。ただ、草が少なく畝の土が直接強い日差しを浴びて腐っている株も。たまにはこんな、しっかりとした株もあり、全株がこんな状態だったら大豊作でしたね。ここのところ毎日、毎朝8時近くまで2時間近く掘っている。もう少しこの夏が涼しかったら、友人知人にもお手伝いを頼めるのでしたが。陽が高く昇り、気温が上昇し始めたらやめて帰ります。今回も北海黄金は、ユリの球根用コンテナに二箱分でした。ナスやピーマンなどへの潅水は、前日の夕方にしっかりとしています。帰ったら、シャワーを浴びて着替え、エアコンの効いた部屋で読書や、SN...ジャガイモ掘りラストスパート

  • 野菜がダウン寸前

    梅雨が明けてから一ヶ月以上もまともな雨が無い。その間、一日都合で休んだがそれ以外は毎日山の畑に潅水に通った。ナスもピーマン類も何とか生きているという状態。成長は止まりナスなど、ヘタから腐って下に落ちてしまうほどの暑さ続き。トマトには全く灌水していない。半分以上は枯れてしまっているが、これも仕方ないと諦めるしかない。スズキチさんの仕入れ日に、それでもと思い収穫をする。もったいない精神です。でも、通常と同じ価格では売れません。矜持です。切ないほどに味は良くなっている。まったく灌水せず、雨も無いので糖度が上がり、果物のような甘さです。こちらはピーマン類。ピー太郎、万願寺唐辛子、神楽南蛮です。水分不足で、実は付いても大きくならず、早々に赤く色づいてしまう。昨日のニュースで、南魚沼市のJA系農産物直売所が紹介されて...野菜がダウン寸前

  • タヌキの夕食

    昨日はスズキチさんの仕入れ日。朝早く山の畑に行くと・・・。何やら道の向こうに転がっている。なんとスイカですよこれは。苦労して運ばなくても畑の中で食べたらよいのに。でも、スイカ畑には初めのころのカラス対策にネットを張ったから足が絡むのでしょう。これがカラスだと、乱暴に突く嘴の跡になるのですが。タヌキは器用に皮を食いちぎり、中に顔を突っ込んで食べたようです。右下にネットの端が見えます。タヌキは足に絡みつき、舌打ちしながら運び出したのかな。カラスは見つけると片端から手、いや嘴を付けるがタヌキは行儀も良い。毎日一個ないし二個ずつ、運び出しては食べている。ま、スイカならばご馳走しようか。初めはカラスの害に悩んだけれど、草丈が伸びたら来なくなっていた。合計すると30個くらいは収穫できたのかな。ま、おこぼれですから狸さ...タヌキの夕食

  • 草薮から「とうや」

    畑の真ん中に草薮が出現です。実はただの草薮ではない。この草はジャガイモ「とうや」を覆っているのです。8月も下旬。そろそろ秋野菜が気になるタイミングです。草取りも兼ねて、まだ残っているジャガイモも掘らなければならない。畝の草も場所によって生え方が違った。ケガの功名と言うか、草に覆われた畝は大きな「とうや」がゴロゴロ出てくる。サツマイモの隣り、じゃ街畑の左端は紫色のシャドウクイーンでした。ここは草が余り生えていず、地温が上がったためか半分も腐っていたのでした。雨が降らないから、抜いた草も2、3日すると枯れてごらんのとおり。野焼きは禁じられているが畑は例外。集めて火を放つとすぐに煙を上げて燃え尽きました。草薮から「とうや」

  • 紫式部変じて紫奏子となる

    大型ホームセンターの園芸用品コーナーでこれも見つけた。紫色の白菜「紫奏子」です。中が白いので白菜と言うのならば、これは紫菜かな。固定種、在来種を作り自家採種したい主義だが好奇心に負けての一代交配。見つけてから何年も経つが、最初の名前は「紫式部」でした。パテントが被ったらしく、名前が変わりましたね。種子袋の中が何だかごつごつとした手触り。開封してみると、こんな丸薬のような容器に入っていました。種蒔きは5×5で25穴の連結ポット歩使います。発芽率を高めるために、ここは節約しないで種蒔き培土を使用します。種子袋には45粒入りと書いてある。それならば25穴二枚で済むかな。スベルべの可愛い?手に取りだした、紫奏子の種です。消毒剤で粉衣でも、25穴二枚の連結ポットに丁寧に一粒ずつ蒔くと余る。結局、再度一粒ずつ足し、数...紫式部変じて紫奏子となる

  • 音はすれども姿は見えぬ

    毎日夕方、日によっては朝夕二回の潅水が欠かせない。最近の魚沼の天気予報は、午後の雷雨が予報されるのだが、降らない!魚沼と言っても範囲は広い。遠く見える越後三山に近い湯之谷地域も魚沼。そして、守門岳、浅草岳に近い、入広瀬地域も魚沼。山に近けりゃそりゃ降りますよ。雷鳴に雨を期待し、空を見上げながらもタンクから如雨露に移し散水。400ℓタンクですが、いつも300ℓ強の水をエンジンポンプで組み入れて運搬。うーん、今日も音だけで雨は降らずじまい。西の空が明るくなる。間もなく陽が沈み、今日も又きれいな夕焼けなんでしょうね。嬉しくもないけれど。サツマイモは一度も潅水しないけれども何とか頑張っている。でも、こんな水分不足状態でどんなサツマイモになるのだろうかと心配にもなる。沈む夕日に長く伸びるスベルべの影です。消えゆく雷...音はすれども姿は見えぬ

  • 秋用種子を買い求める

    長岡に所用で出かけたついでに大型ホームセンターに立ち寄る。長く続く干ばつ、高温状態が続く畑だが時期的には秋野菜の時期になる。何年も作っていなかったニンニクも今年は植えよう。もちろん、種球にも拘り日本産。ついでに気まぐれ気味にラッキョウも入手。定番になっている大根類です。お店に人気の四種類。特に真紅の「紅くるり」は4袋買い求めました。普通大根と言うか、秋大根の定番「耐病総太り」は1袋。これに、別の店で「英才」を買う予定。前者はパリパリで後者は蕪のような食感です。葉物類も、買いそろえる。「新潟とう菜」と「川流れ菜」は春用になります。珍しく、紫色の白菜(白くないから白菜ではなくて紫菜かな)を見つけてゲット。帰宅して早速、紫白菜の「紫奏子」を連結ポットに蒔きました。45粒って袋には書いてあったが、50数粒あり儲け...秋用種子を買い求める

  • 92年前の尾瀬紀行(10)

    50年前の尾瀬紀行(10)中田代に入ると、数知れぬ池塘や、小川の辺に大葉の毛せん苔や太さ指程のトクサが一米余に伸びて、平地には見れない珍しいものだ。原一面に日光キスゲが真っ盛り、遅れているあやめの花もきれいだ。チングルマ草など、珍しい草花は数えきれない。当時でもこれ等の高山植物の保護に相当力を入れ、監視員が時折巡視して盗む者が見つかれば注意し、悪質の者は処罰していた。このようにしてねこの自然保護が今日に引き継がれているので、何と言っても日本で著名の高山植物の宝庫というのも過言ではない。私は尾瀬が好きだ。静かで美しい自然が殆ど損なわれていない。広々とした湿原に数知れない池塘や四周の山々、尾瀬沼、沼尻川、白樺、ダテカンバの林、楢の古木等、之等が自然の中に尾瀬の中に創り出している。景観は概ね女性的で飽かぬ眺めは...92年前の尾瀬紀行(10)

  • 当世畑事情

    昨日の朝です。朝日を写したついでに広域農道脇の畑も。昨年秋、この畑の持ち主が思いがけないところで軽トラを脱輪し助けたのでした。少し変だと思ったら、どうも認知症が始まっていたようで、今年は畑も手付かず。畑は一年手抜きして、耕さなかったら御覧の通りですね。ただの草むらと化しています。左の青々として背丈の高い草はアカザです。昨年秋には野沢菜が作られていた。大きくなると杖代わりにもなるというだけあり、あっという間に大木です。手前の赤い草は、オオアレチノギクかな、これも成長は早い。これも大きくなり、根もしっかりと張るのでここまで大きくなると抜くのも大変。これは草ではありません。畑の持ち主は珍しく親子での専業農家。栽培用の山菜「ウルイ」の親株ですが、水不作で真っ赤に枯れています。ここだけは青々として見えます。先日も紹...当世畑事情

  • 雨が降った日の翌朝

    昨日は天気予報通りに15時過ぎに雨になった。でも、期待したほどの雨量ではなくて、丈夫さを誇るクズも葉が赤い。まだ日は昇らないが、越後三山、高い山には日が当たる。夏休みの家族行事で、当時65歳の義母も連れて越後駒ケ岳に登ったことを思い出す。下権現堂山の右肩から太陽が顔をのぞかせる。権現堂山は家族で初めて登った山で、下の娘は三歳と2、3ヶ月だったかな。まだ、魚沼の中心市街地は朝霧の下。当世の皆さんは、まだ眠りの最中なんだろうなー。ほぼ完全に太陽は昇りきった。さて、わずかでも雨が降った畑が楽しみです。畑に急ぎましょうか。雨が降った日の翌朝

  • 92年前の尾瀬紀行(9)

    50年前の尾瀬紀行(9)四日目の予定は、尾瀬ヶ原の湿原を午前中見て、午後は燧岳に登山、植物の標高分布や尾瀬の概観をして、長蔵小屋泊まりということであった。幸いに初日から四日間、天候に恵まれて快適の毎日を続け、一行の人達とも懇親を重ね実に愉快である。朝早く温泉を出発、愈々尾瀬ヶ原、中田代の湿原巡りということで歩き始めた。面積は一寸解りかねるが、三十平方粁位はあるか、沼尻川から至仙山の麓迄、雨の日や霧の日は全貌を見ることが出来ない。私共は中田代の一部を回ることにした。リーダーの佐藤村長は、植物の知識は広く且つ深い。尾瀬の湿原地帯に群生する珍しい植物の殆どは解明することが出来、私共に説明してくれた。湿原歩きは徒歩では無理で、二、三寸から四、五寸は足が埋まるので、当時から此の湿原には山毛欅の幹を二つ割にした歩行桁...92年前の尾瀬紀行(9)

  • 92年前の尾瀬紀行(その8)

    五十年前の尾瀬紀行(その8)あの有名な三条の滝はもう近くだ。暫く進むと微かに滝の音が聞こえる。日本一の水量と、高さ百米、巾三十米という大瀑布の偉容は素晴らしい。大平さんの講演によれば、滝の景観は高さあり巾あり流量の豊富なことと、更に滝の落ち口は幽すいで、樹木がうっそうと茂って小暗いものであること。特に滝壺は深く広ければ一段と豪快さを増すということで、滝の条件として挙げられていた。日本中にも著名な滝は数多くあるが、高さは高いが巾がない。つまり、流量が少ない。あたりの景観に幽すいさがない。豪快さに欠けるなど。蓋し此の滝などは、条件の揃ったもので、三条になって落ちる景観は蓋し日本一というも過言ではあるまい。三条の滝に別れを告げて、次は平滑の滝を見た。これも全国では珍しいものの一つで、尾瀬を象徴する一つの見処と言...92年前の尾瀬紀行(その8)

  • 雨・・・

    午後四時ころだったか、雨の音に外を見る。屋根からバシャバシャと落ちる音に嬉しくなり、網戸越しにシャッターを切る。梅雨明け以降4週間近く続いた晴れの日々。パイプラインの設置されている水田はともかく、畑は地割れするほどに乾いていた。裏の小さなスペースに植えてある、夏野菜たちも嬉しそう。すぐ家の裏なので、潅水は毎日していたし、日陰で夏には良い環境です。家の裏に蒔いたヒマワリの種は成長を続け3メートルにも。国道を行きかう自動車のワイパーが動くなんて久しぶりに見る光景。でも、激しい雨ではあったけれども降った時間は10数分。2mmくらいの雨量にはなったのだろうか。今日も午後からは雷雨の予報だが期待はできません。雨・・・

  • 四年ぶりの夏祭り

    コロナ禍三年休まざるを得なかった夏祭りが再開。三年休み再開という事で張り切ったのか、集合時間の6時前には全員が集合。三年も休むと、道具を持ち出し揃えるのも大変。しかも、ようやく材料が集まったのに、縛り方さえ忘れている始末。あーでもない、こーでもない。長老格のスベルべにも質問が飛ぶけれど、答えられない始末。でも、ようやく幟旗が上がりましたよ。祭りを待ち望んでいた、子どものような嬉しさがこみ上げる。幟旗は二対上げる。神社の入り口には「奉献若宮八満社」の文字。八万太郎義家をまつった神社なのです。こちらは神社の真ん前の参道脇の一対。右が「五穀豊穣」で左が「萬民豊楽」で、大好きな幟旗の見事な文字。農村である、集落の守り神が八幡太郎義家で戦の神様とは少し不思議な事。でも、「五穀豊穣」は農民全ての祈り。天候不順も吹き飛...四年ぶりの夏祭り

  • この暑い中お仕事ご苦労様です

    今でも毎日、朝夕は野菜への潅水のために山の畑に通う。皆さんが耕した畑が気になり、見ると点々と動物の足跡です。雨が全く降らない日が続き、土は砂のように乾ききっている。少し湿っていたら、動物の足跡も爪の形さえ残ることがあり分かりやすいのだが。先ほどの足跡は帰宅途中で見つけたもの。我が家の畑が気になり始めて、引き返して子細に見ると・・・。なんと、暑さのために中断しているジャガイモの畝を荒らした跡さえある。この暑い中、ご苦労様です。なーんて言っている場合ではないですね。暑さで人間も食欲不振気味なのに、動物たちだって食べなきゃ死ぬ。うーん、この齧り跡だと、クマではないな。とすると、アナグマ・ムジナかな。可哀そうだとは思っても、みんな君たちの餌にするわけにも行かない。急きょ残してあるキタアカリをコンテナに半分ほども掘...この暑い中お仕事ご苦労様です

  • 猛烈な暑さの中でトラクター

    八月も中旬に差し掛かり、そろそろ秋野菜用の畑も気になる。適度に湿った土が耕運には適するのだが、こう降らなくては雨を待つ場合ではなくなった。そこで、潅水・収穫などの朝仕事を終えて朝食後にジャガイモの収穫跡を整理。整理し終え、一旦軽トラで帰宅してトラクターでそこを耕すために山道を登ったのでした。積乱雲は見えなくもないが、どうも雨を降らすほどに発達する気配もない。しかも、その小さな積乱雲の後方には筋雲。秋の気配さえ感じさせる雲ですよ。三週間、いや一か月近くも雨が降らないと、斜面の雑木も枯れ始める。平成6年の大干ばつの年は、樹齢30年以上の立木も枯れたから、それに匹敵するかのよう。スベルべのように気楽な百姓は草取りも手抜き中。でも、勤勉な専業農家のお母さんは、カンカン照りの下で「ナルコユリ」の草取り。でも、可哀そ...猛烈な暑さの中でトラクター

  • のめしこきの節季稼ぎ

    随分日が短くなりました。日の出は5時10分過ぎです。山の畑へ向かう前に、途中で川から水をエンジンポンプ出汲み上げて行く。今日熱くなりそうです。越後三山には雲一つかかっていません。週間予報で15日辺りに見えた傘マークも、また消えてしまった。遠く望む魚沼市中心市街地。まだ皆さんが涼しくなった空気の下で眠っているのでしようね。沢を挟んで隣の平らの畑越しに見えるのは巻機山。先日、ヌクビ沢コースで遭難死がありました。スベルべは家族と犬まで連れて登ったコース。あの沢は残雪が多くて年によっては9月ころまで消え残りコースが分かり難い。何回も登っていたので、迷わずに登り、道に迷った大学生を案内していました。遭難事故は余談です。ナスの収穫を終えたら潅水です。ピーマン類もいれたら100本をはるかに超える数で時間もかかります。晩...のめしこきの節季稼ぎ

  • 大きなスイカがゴロゴロと

    スイカはカラスの近寄りやすい周辺部から食害に。でも、さすがにこの蔓と雑草の威力。そして早期に張ったネットも役立ちスイカがゴロゴロと。タヌキやカラスで無かったら、この草藪がスイカだなんて思わないだろう。やや、蔓の樹勢が弱まったら、いや見えること見えること。大きなスイカがゴロゴロです。梅雨明け以降ほとんど雨は降っていない。でも、潅水もしないのに枝豆「湯上り娘」は実が入るし、スイカも育つ生命力の不思議さ。ここのところ、朝夕二回山の畑はナスとピーマン類の潅水に通う。朝はついでに、枝豆やスイカを収穫して帰宅するのが、朝飯前仕事です。この朝は4個かな5個だったかな。帰り道で皆さんに進呈しながら帰宅する。でも、何といっても収穫の喜びは大きい。大きなスイカを抱えて一人で歌い踊る。黒沢映画の七人の侍の収穫祭の場面でも無いけ...大きなスイカがゴロゴロと

  • 92年前の尾瀬紀行(その7)

    五十年前の尾瀬紀行(その7)よもや、こんな所にこんな軽装で、而も女性を連れた山男に出会うとは思わなかった。それが何と小出小学校の教員、星野徹次郎夫妻であった。呆れたりたまげたり、後で聞くと彼等は新婚旅行のコースを此の尾瀬に求め、而もこの難コースの鷹之巣須原口から栃尾又に出ようとしているのだという。流石に変わり者の変わった行動には開いた口が塞がらない。奥さんも偉いもんだ。下りの道とは言え、あの三条の滝の手前の急な坂は角度六十度はあろう。坂を木の根、藤蔓につかまり乍ら、あの靴でよく下りたものだ。偉いものだ。星野氏は翌年の六月女の子が生まれたので、記念に「ぎん子」と名付けたと、小出の人から聞いた。良い記念であったろう。(続く)92年前の尾瀬紀行(その7)

  • 92年前の尾瀬紀行(その6)

    五十年前の尾瀬紀行(その6)さてこれからが大変、道のような道はない。只見川の川辺に沿って上り始めた。右岸から左岸に渡る橋もない。暫く進むと山毛欅の大木が流木になって、橋の形よろしく左岸に架かっていた。長さは凡そ十間はあるかと思われた。それを橋にして向こう岸に渡るという具合で、余程天候に恵まれないと危険此の上なし。幸いに桜井儀八郎氏が一、二回通ったことがあるというので、それが頼みで約三里の道を背丈の笹を分け、千古斧鉞を入れない山毛欅林、済々と天を覆う許り、この大木が所々倒れて行く手を塞いでいる。此の障害物一本越すのに十数分はかかるという始末。茲で熊にでも出られては大変、何となく薄気味が悪くなった。幸いに大勢の集団であった為、出ることもなくがやがやと賑やかな音がするので熊よけには適当、熊は斯うした音には避けて...92年前の尾瀬紀行(その6)

  • 大干ばつの朝仕事

    経験したことの無いような暑さが続きます。朝から雲一つ見えない空。平成6年も同じように雨が降らなかったけれど、気温はきっと今年の方が高い。あの年は、樹齢数10年と思われる立ち木さえ枯れた。そして、当時は請負会社に出向中で、現場第一線で監督作業。唇まで日焼けしました。梅雨明け以来、雨らしい雨は全く降っていません。それでも大豆、早生種の「湯上り娘」は健気に実を膨らませる。邪魔になる根は切り取って集積し軽トラへ。粒々に見えるのは大豆類独特の根粒菌。これで、空気中の窒素を取り込むのですね。軽トラには400ℓのローリータンクとエンジンポンプ。朝夕、畑に向かう前に、300ℓほどの水を汲み入れ、着いたらまず潅水です。毎日の潅水作業は、発熱した日に一日休んだのみです。ナス類を収穫。上の紫色のナスはイタリアナスの「ヴィオレッ...大干ばつの朝仕事

  • 92年前の尾瀬紀行(その5)

    五十年前の尾瀬紀行(その5)此処から鷹之巣迄二里半、道は細いが好い。一里歩くと昔の鉱山跡に来た。谷合の梢、広地に鉱石の吹き殻がうず高く今は風雨に晒されて、一面草におおわれている。右手の山の腰根には、昔そのままの坑道の入口の穴が幾つも不気味にあいている。近づいてみると可成り大きなもので、坑道は皆繋がって、長さや深さは知る術もないが、流れる只見川の下をくぐって延びていると言うことだ。入口の付近には無数の無縁仏の墓が立ち並んで、往時を偲ばせるものがあった。最盛期にはどれ程の人が此処に集まったものか、未だに骨投沢、傾城沢の地名も残っていた。所謂銀山の名称は、ここからつけられたものかと思われる。ここから一里半、鷹之巣部落に来た戸数は、十二、三戸か立派な部落だ。この部落は隣の福島県桧枝岐の部落と交流があり、縁組も行わ...92年前の尾瀬紀行(その5)

  • 昭和レトロの温泉旅館

    そうだよねー、こんな電話機なんて見たことないもんねー。赤電話、公衆電話の下には、これまたダイヤル式の黒電話です。別の和室にはインベーダーゲームも。スベルべ以降ですね。こんなゲーム機が登場したのは。スベルべりも知っている孫。「ねーねー、これって何のゲーム機?」これはねパチンコと言って、ジーちゃんが泣かされたか泣かした機械!これを知っていたら年齢も分かってしまう代物。手回し計算機ですよ。電卓が出るまでは掛け算割り算はこの機械頼みでした。三馬印のゴム短靴!汗を掻いたり、水が入ったりするとぬるぬる滑って困った。でも、捕まえた小魚を入れたり。前にも紹介しましたが、ここは市街地に遠くない六日町の駅裏。スベルべが六日町に5年間勤務していたのは50年以上も50年五時前のことになりました。送りに出てくれた男性従業員にそのこ...昭和レトロの温泉旅館

  • お祝いの夕食

    遅れてきた家族もそれぞれ風呂を済ませて夕食パーティーに。総勢大人が6人に、子どもが3人の9名でにぎやかに開始です。孫三人はお子様ランチ風に工夫が凝らされていました。どの孫も好き嫌いも無く、そして食欲旺盛で頼もしい限りです。そこで、ハッピーバースデーのケーキが届きます。見せに冷蔵保存を依頼済みでした。「今日はどなたの誕生日?」なんて仲居さん。「ハーイ!」なんて、元気よく手を挙げたのは可愛くもないジーさん。孫たちは、揃ってロウソクを吹き消そうと一生懸命です。ジーさんも同じ6歳かな。そして、孫が手づからプレゼントを渡してくれる。催促されて、箱を開けると・・・。なんと、孫が描いたイラストが気つけられたカップ。余りの可愛さに皆が拍手喝采。いやー、照れるなぁー。もう一個はもちろん、大好きなバーちゃんです。ん?目の下は...お祝いの夕食

  • 客室の構造も変わっています

    客室は畳敷きで、庭の露天風呂に入るには、この左から入る。そして、二階に上がる階段がありますが、そこはロフト構造で寝室です。ベッドに寝転んでテレビの鑑賞も出来る。ただし、気持ちよすぎてすぐに眠気が模様して来るのが難点ですかね。下の部屋から見上げるとこんな感じです。板張りの上には電気マッサージ器の一部も見えますね。ロフトですから、天井が低く秘密の部屋のよう。老夫婦で新婚気分には程遠い。眠るのが楽しみのようなものですから。こんな風にロフトの部屋からも露天風呂は見えます。ゆっくりと、温泉に入ったり、出たりを繰り返される癒しの設備かな。(続く)客室の構造も変わっています

  • 娘家族に祝ってもらいました

    昨日は午後3時チェックインを目指して夫婦で六日町に向かいます。人生の一区切りを娘夫婦二組が、お祝いしてくれるという計画なのでした。気が短いのは年取った証拠。娘たちよりも大分早い到着。ウエルカムドリンクの冷酒は、二人で一杯だけに。夕食がありますからね。この温泉宿は以前も紹介したことがありますが、部屋の庭先に露天風呂。おっと危ない。使用面からシャッターを切ろうとしたら、あろうことか真っ裸のスベルべ。大きな一枚ガラスの窓に、鏡のように映し出されるのでした。しばらく、入れ続けているので暑いと思います、という言葉に従い板で揉む。でも、しばらく掻き回して足をそろりと入れてみるが、まだ熱くてとても入れない。可笑しいことに、こんな浅いプールるみたいな風呂と、そしてブランコ。ここは温めだから、まずはここで体を慣らしましょう...娘家族に祝ってもらいました

  • 夏バテ防止の鯨汁

    スベルベママが夕食に鯨汁を作ってくれた。具材はミズナ、ナスなどと並んで鯨汁定番の夕顔です。一個を4つの輪切りにした山本ナスのステーキです。二つは皿に取り、残った小さいサイズの二枚がフライパンに残る。相変わらずとろけるような柔らかさと甘い味。柔らかくて箸では取れず、皿を近づけてフライパンの縁を滑らせて皿に移すほど。初採りのミニカボチャ「栗坊」はバター味で。何でもスベルべも大好きな、大原千鶴さんのレシピを参考にしたのだとか。訪問販売の、発酵文化で知られる長岡市摂田屋の豆腐。摂田屋豆腐と言いますが、若者が10年も週一で通ってくれる。おぼろ豆腐ですね。先ずはビールってわけでも無いけれど、夏の夕食はここから始まる。350ml1本では足らないのが難点ですね。さて、次は何を呑みましょうかね。夏バテ防止の鯨汁

  • 92年前の尾瀬紀行(その4)

    五十年前の尾瀬紀行(その4)これが私には大変なことになったのだ。疲れたのに、もとよりアルコールに弱い私は、そんなに多く飲んだとも思わぬのに腰が抜けて、便所にも行けぬ始末、頭ははっきりしているが体が利かない。十二時、私の側でヒソヒソと話しているのが聞こえる。「上村君の始末どうする?これではとても明日のコースは無理だろう。誰か残って一緒に来た道を大湯に連れて帰るより仕方あるまい」という相談であった。さあ大変と、私は寝静まるのを待って寺の納戸から掛樋の水のみ場迄這って行った。星夜の晩で天気は良い、流石に銀山平だ、滅法涼しい、私は喉の渇きに任せて、切れるような水を四、五杯飲んだ。そうして暫くする中に、不思議に体の自由が利き、立って歩くことが出来て、寝床へ帰った。それから皆の者にそのことを話して、明日は日程通り進ん...92年前の尾瀬紀行(その4)

  • スイカにカラスに次ぐ敵が来た

    スイカの緑色の茂みの中でこの赤はよく目立つ。カラスの襲撃が終わったと思ったら、この食べ方はどうもタヌキらしい。カラスは利口なのに熟さないまた小さくて青いスイカも突く。でも、タヌキは本能的に熟し方を知っていて、熟してそろそろというタイミングで食べにくる。タヌキを防ぐには周りをネットで囲うか電柵しかない。でもまぁー、全部食べることも有るまい。隠し絵でも無いが何個見えますか?藪と化したスイカ畑の緑の中にはゴロゴロと何個ものスイカが見える。カラスは撃退できたのに、勿体ないですね。今年はカラスには大分御馳走してしまったし・・・。所々にカラスを撃退するために張ったネットが見える。タヌキのやつもこのネットに足を絡ませたら諦めてくれるかな。手ごろな一個を初収穫しました。重いですよ数キロはあるな。今年のスイカの味には自信が...スイカにカラスに次ぐ敵が来た

  • エスポワールで昼食を

    先日長岡市栃尾地区にあるレストラン「エスポワール」で昼食。テーブル上のメニューですが、「今日のメニューは黒板を」という事でそちらを見る。スベルベママはAのローストポーク。スベルべはBのアクアパッツァという事に決定してオーダーする。先ずは前菜のサラダです。そして、特別サービスでビール。ノンアルですよ。でも、これがまた美味しい。ローストポークは予想を超えたこんな一品です。一見生ハムですね。低温でローストして薄切りにしてありました。スベルべのアクアパッツァです。なんだか見たとたんに、白ワインが欲しくなったけれどもそこは我慢でした。締めのスイーツです。オール自家製でマスターの腕は確かと安心。プロの料理に安心って失礼だけれどもそれには、伏線、理由があった。今年最初に訪れた際に、マスターの元気なさに気づき心配していた...エスポワールで昼食を

  • 天気予報に雨のマークが無い

    梅雨明け宣言から晴天の高気温が続いている。毎日の畑の野菜への潅水は欠かせないが、昨日は都合できなかった。今朝は5時前から出動。このエンジンポンプは10数年つかっているが壊れずに活躍。エンジンを掛けるための引き綱が切れて、交換しただけです。安価な2サイクルだけれど、スベルべと同じに丈夫で、長持ち。山の上に着くと朝日が照らし出しました。日が短くなり、日の出の時刻も5時頃と遅くなってきましたね。畑に着くと軽トラをナス畑の横まで入れる。そして、タンクの水栓を開くと勢いよく水が出てきます。如雨露の頭(ハスの実と呼ぶ)を外して、根元をめがけて水を注ぐ。こんな単純作業ですが、ナスとピーマン類で合計150本は結構疲れる。灌水が終わったら、収穫をします。一日省いたら、ナスもズッキーニも収穫籠からあふれ出るほど。それにしても...天気予報に雨のマークが無い

  • 少肉多菜の夕食なれど・・・

    老境に入りつつある、スベルべ夫婦。夕食のテーブルにも夏野菜のオンパレードです。これは先日、アトリエにお邪魔した高名な山古志の写真家から頂いたもの。興味はあったが、作ったことの無い韓国の生食用カボチャですね。ズッキーニりは柔らかです。トマトとオクラの和え物ですね。何本も植えていないのだけれど、トマトも盛りになるとたくさん採れる。万願寺唐辛子を焼いて塩を振る。この万願寺唐辛子とピー太郎という小さなピーマンはたくさん植えてあります。さすがに、キリギリスでも無いから多少の動物性たんぱく質も。出雲崎の知人が釣り上げて何匹も持ってきてくださったイナダの味噌漬けです。しかし、少肉多菜とは言っても、多ワインだからなー。もう少しアルコールの量を減らすか、休肝日なんて言われるのですが・・・。四国の高知在住の送ってくれた自家栽...少肉多菜の夕食なれど・・・

  • 92年前の尾瀬紀行(その3)

    五十年前の尾瀬紀行(その3)部落の中央に一寸した、二階建ての建物があった。これは折立小の分校で、三里離れた上流の鷹之巣部落に在る分校と一日交替で受け持つ教員が居た。私は昭和十八年に此の両分校の視察と青年訓練所指導のために、佐藤地方事務所長と一緒に再度訪れたことがあったが、今だに印象が深い。この部落も分校も、今は奥只見ダムの完成で数十米の湖底に沈んで跡形もない。須原口から二粁上流の浪拝まで、疲れた足を延ばして夕刻漸く銀山寺に到着した。今晩は、ここに宿泊させて貰うのだ。流石に銀山ともなれば真夏といえども涼しい。下界の蒸し暑さなど少しも感じない。風呂は寺の前の只見川の辺にあるが、浪拝の岩場を前に只見の清流の川辺に石で川瀬をよけて作られ、温泉と水が丁度よく混合する頃合いの露天風呂であった。湯量の豊富なのに驚いた。...92年前の尾瀬紀行(その3)

  • 涼を求めて渓流公園へ

    満102歳になった義母にひ孫を見せたくて訪問。95歳差の対面の後は、約束の川遊び「戸隠渓流公園」へ行く。こんな小さな渓流はその名も「小黒川」です。50年以上も前の話になりますが、母方の祖父から聞いてイワナ釣りに通った。小さな川ですが、地付きのこの岩のような褐色系のイワナがいた。長年生息し、繁殖し続けるとその川の色に染まってしまうのです。ところが、近年は漁協の考えで釣れることだけを考えて放流を続けることに。彼等を責めても仕方ありませんが、魚沼地域の小河川は在来種のイワナはほぼいなくなったでしょう。我が家から遠く見える、権現堂山の麓で流れる水は冷たい。流れは早いというのに、黒いオタマジャクシの姿。これは尻尾は残っているがカジカ蛙ですね。捕虫網を持ち、わずかに見えるそのカジカカエルとオタマジャクシを狙う。一時期...涼を求めて渓流公園へ

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