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まち歩きで趣味探しと図書館めぐりを自転車で https://tosyokan-bicycle.cocolog-nifty.com/blog/

まち歩きプラス折りたたみ自転車(DAHON Curve D7)で、毎週小さな旅に出ます。今日はどこに行こうか。

小さな旅の行き先は、史跡めぐりや川の源泉、古墳、庭園ほか、何でもあります。

すずた
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住所
東久留米市
出身
豊島区
ブログ村参加

2012/01/15

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  • あまり見かけたことのない戦国時代に石積みがあり大堀切や切通しも立派な小倉城跡

    ときがわ町、嵐山町、小川町境界付近にあり、国指定史跡にもなっている小倉城跡を郭1、郭2と前回見てきました。さらに、様々な工夫が凝らされた山城らしいところがあります。郭2の南側には大堀切があり、そのさらに南にある郭4との間を仕切っています。↑この奥がクランク状の形となっており、上段にのぼり旗があるところが郭2です。両側には竪堀があり尾根道を完全に遮断していました。当時はここに木橋が架けられていたようです。↑郭2より少し低い位置にあるのが郭4です。こうした説明だけでは全体像が伝わりづらいので、ときがわ町によるパンフレットにも載っている復元想像図です。前回触れたように西を流れる槻川が北で向きを変え、さらに東を流れていくという、川に囲まれた小倉城跡ですから、南側から来る敵をまず迎え討つのが郭4になります。↑この郭4へは南から急な斜面となっており、ここには虎口があったよう...

  • 蛇行する槻川に囲まれた天然の要害である小倉城跡

    ときがわ町にある小倉城跡は平成20年に国指定史跡となっています。嵐山町の菅谷館跡、杉山城、吉見町の松山城跡とともに比企城館跡群として指定されました。↑城山と呼ばれる山の山頂から中腹にある戦国時代の山城で、攻守一体で様々な工夫が凝らされたもので削平地を連ねています。車で行けば、大福寺前に駐車場もあります。↑コースマップの上から右に流れている川と下にある川は同じ槻川で、右端のすぐ先でヘアピンカーブして下では右から左に流れています。つまり、小倉城のある城山は三方を槻川に囲まれています。↑大福寺裏手にも登山道はありますが、戦国時代にはなかった道だというので、マップにあるとおりまず北へ向かいます。6分程歩いたところに山への入り口がありました。江戸時代の新編武蔵風土記稿では、戦国時代の小田原北条氏の重臣遠山氏を、武蔵志では遠山氏あるいは上田氏が城主とも伝えています。↑急坂を東...

  • ひだかモール近くのタワークレーンなどがあり開発現場か、ロケット発射台もあるかと勘違いしてしまった工場

    日高市のひだかモールの屋上駐車場から見てみると、タワークレーンなどがいくつもある工事現場と思われるものが見えます。おそらく大規模な開発工事が行われていると思われちょっと見に行きました。三成研機という会社の敷地のようです。しかし、開発工事が行われているのではなさそうです。タワークレーンだけでなく自走式クレーンなどの数多くあります。そもそも、それを作る工場のようでした。休日で稼働していないですが、外から見学させてもらいました。工場は広い敷地なのですが、間に狭い一般用の道路が通っている見やすい?構造です。調べてみると、三成研機株式会社は、工事用エレベーター、タワークレーンの設計、製造、販売、レンタルを行っている会社です。タワークレーンなどのこうした大型機器は注文による製造であり、また現場組立でしょうから、ここに置いてあるのは実物カタログ的な意味合いなのでしょうか。...

  • 妙に碁盤の目状に区画されていると思えば高萩飛行場跡だったという旭ヶ丘

    地図を見ると、日高市旭ヶ丘は全域に渡って碁盤の目のようなきれいな区画となっています。土地区画整理事業が行われたのかとも思いましたが、住宅地や工業団地として開発されたわけでもないようです。↑(国土地理院地図より)その中央部にある旭ヶ丘神社に「高萩飛行場跡」という碑があり事情がわかりました。高萩飛行場とは昭和13年(1938)陸軍航空士官学校の高萩分教場として使用開始されたものです。空軍はない時代ですから、航空も陸軍傘下ということです。当時この地は、北海道などからの入植者によって山林が農地として開拓されていたといいます。そこが日華事変の拡大に伴い軍用地として接収されたと書かれています。日華事変という用語は最近あまり聞かれなくなった気がします。かといって、北支事変、支那事変、日中戦争、どれが多いのかもわかりませんでした。↑隣には「開拓碑」というのもあります。飛行場開...

  • 調節池のすぐ近くでの想像していなかった川越江川による浸水被害とそのための調整池

    平成10年(1998)には新河岸川の越水による3800戸もの家屋への浸水被害が発生して寺尾調節池は平成15年(2003)に整備されました。この辺りでは被害はもう起きなくなったのかと思っていましたが、そうでもないようです。↑寺尾調節池のすぐ東隣りには川越江川が新河岸川に流れ込んでいます。ややこしいことに、wikiで見ても埼玉県だけで江川は6つあります。しかも、新河岸川支流だけで富士見江川、福岡江川、川越江川の3つがあります。↑樋門から上流側を見ても、右には堤防に囲まれた寺尾調節池があります。その調節池があるというのに、平成29年そして令和元年の台風で寺尾地区では浸水被害が発生してしまいました。↑沿って500メートルほど歩きましたが、以前は蓋掛けされていて、それが壊れるほどの被害だったようです。新河岸川増水時には逆流防止のため先程見た樋門は閉まってしまいます。↑寺尾調...

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