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まち歩きで趣味探しと図書館めぐりを自転車で http://tosyokan-bicycle.cocolog-nifty.com/blog/

まち歩きプラス折りたたみ自転車(DAHON Speed P8)で、毎週小さな旅に出ます。今日はどこに行こうか。

小さな旅の行き先は、史跡めぐりや川の源泉、古墳、庭園ほか、何でもあります。

すずた
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住所
東久留米市
出身
豊島区
ブログ村参加

2012/01/15

すずたさんの人気ランキング

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  • 多摩川に翻弄された青柳村の常夜燈と稲荷神社、どちらかわからない青柳2号墳

    平成19年(2007)に日野バイパスができるまでは国道20号として甲州街道であった、都道256号八王子日野線沿いの国立市青柳に「元青柳村の常夜燈」があります。江戸時代の寛政11年(1799)のものです。常夜燈とは聞き慣れたものですが、案内板によれば、秋葉燈とも呼ばれるということで、江戸時代に町を火から守るために油屋近くに建てられたものだそうです。秋葉というのは火伏せの神である秋葉神社への信仰です。常夜燈といいながら形は石灯籠です。↑甲州街道沿いですから、現在の街灯の役割だとばかり思いましたが、関係あってか無くてか、脇には鳥居があります。多摩川や府中用水のある南に向いた道の左右には民家への入り口があり、この参道は古くから地元に使われていたことがわかります。↑車は通れない参道の先に二の鳥居があり青柳稲荷神社です。宝暦5年(1755)に創建されたといいますが、ここに青柳村が...

  • 多摩川に翻弄された青柳村の常夜燈と稲荷神社、どちらかわからない青柳2号墳

    多摩川に翻弄された青柳村の常夜燈と稲荷神社、どちらかわからない青柳2号墳

    平成19年(2007)に日野バイパスができるまでは国道20号として甲州街道であった、都道256号八王子日野線沿いの国立市青柳に「元青柳村の常夜燈」があります。江戸時代の寛政11年(1799)のものです。常夜燈とは聞き慣れたものですが、案内板によれば、秋葉燈とも呼ばれるということで、江戸時代に町を火から守るために油屋近くに建てられたものだそうです。秋葉というのは火伏せの神である秋葉神社への信仰です。常夜燈といいながら形は石灯籠です。↑甲州街道沿いですから、現在の街灯の役割だとばかり思いましたが、関係あってか無くてか、脇には鳥居があります。多摩川や府中用水のある南に向いた道の左右には民家への入り口があり、この参道は古くから地元に使われていたことがわかります。↑車は通れない参道の先に二の鳥居があり青柳稲荷神社です。宝暦5年(1755)に創建されたといいますが、ここに青柳村が...

  • 多摩川で隣り合う府中用水取入れ口と緑川排水樋管

    多摩川で隣り合う府中用水取入れ口と緑川排水樋管

    多摩川左岸側の桜咲く土手に水門があります。感覚的には立川市かと思っていましたが、国立市青柳のようです。実は府中用水取入れ口がここにあると来たのですが、ちょっと違うようです。緑川排水樋管と書かれています。川辺の方から見上げてみると、割と大きなものです。高低差からして取水するためのものでないのは一目瞭然です。もう4年前になりますが矢川緑地の湧水を見た時にあった擁壁は緑川の暗渠によるものでした。↑土手から振り返ると道路になっていますが、この下に緑川が流れているのです。緑川といいますが、昭和22年(1947)に開通した人工の立川排水路だったものです。旧陸軍立川飛行場の排水のためのもので、現在は暗渠化されており、立川市環境下水道部下水道管理課が管理しています。↑河原に戻ると、緑川排水樋管のすぐ上流にも水門らしいものがあります。こちらが府中用水取入れ口のようです。...

  • 水面に浮かんでいるようだという浮島神社と他県に迷惑かけないための霞川調節池

    水面に浮かんでいるようだという浮島神社と他県に迷惑かけないための霞川調節池

    霞川という一級河川が東京都に流れていますが、都内であまり知名度は高くないでしょう。青梅市に流れており、埼玉県に入り入間川に流れ込む川です。そんな霞川沿いに浮島神社があります。川の左岸で青梅市今井にあり、山根通りに面して一の鳥居があり、参道を入った正面が霞川です。二の鳥居から川に沿うように直角に参道は曲がり、正面が社殿です。↑傍には少し高くなった位置に東屋があり、休憩したり霞川を眺めたりできるようになっています。浮島神社は創建年次は不詳ですが、安土桃山時代の文禄3年(1594)に再建されたという記録が残っています。江戸時代の新編武蔵国風土記稿には浮嶋天満宮として載っています。その記載に、霞川が氾濫した際も沈まず水面に浮かんだ島のようだということで呼ばれたとあります。↑そのことからか、社殿裏側には小さな池があり、弁天様と思われる祠がありました。...

  • 越辺川の大川堤、鶴見線の大川駅や大川町の由来と横沼白髭神社

    越辺川の大川堤、鶴見線の大川駅や大川町の由来と横沼白髭神社

    越辺川右岸の坂戸市側の土手のところに「大川堤遺跡」という石碑が立っています。遺跡という名に惹かれて調べてみましたが、私が勝手に勘違いした古い時代の「遺跡」ではないようです。前回見た郷土の偉人大川平三郎の功績の一つです。生誕の地である坂戸市横倉の辺りは、大雨が降ると越辺川の氾濫により水害が発生する状況でした。大川平三郎は私財を投じて南へ1150メートルの堤防を築き、大川堤と呼ばれるようになりました。ここに架かる橋は道場橋といい、剣術家であった祖父平兵衛英勝の道場であり、平三郎の生家である大川道場から名付けられているようです。碑のある右岸下流側を見てきましたが、右岸上流側も同じような景色です。奥に見えている高架は圏央道です。大川について調べていて驚いたのですが、JR鶴見線の大川駅や地名の大川町も大川平三郎に因んだ名前だったのです。...

  • 坂戸の偉人である大川平三郎とロシアから移設されてきた頌徳碑

    坂戸の偉人である大川平三郎とロシアから移設されてきた頌徳碑

    圏央道坂戸インターから降りると、「大川平三郎翁生誕の地」という大きな看板が目に付きます。日本の製紙王・郷土の偉人とも書かれた坂戸市によるものです。前から気にはなっていたので、失礼ながら大川平三郎という人のことをよく知りません。周辺を見てまわりました。郷土の偉人を訪ねてという地図が、坂戸市教育委員会による案内板があります。ここには、大川平三郎翁記念公園があります。公園は7番となっており、大川道場のあったところで、平三郎の生家でもあったところです。剣術家大川平兵衛英勝の孫として川越藩三芳野村(現在の坂戸市横沼)で生誕しました。叔父である渋沢栄一を頼って上京し、明治5年(1872)抄紙会社(現在の王子製紙)に入社しました。毎日早朝から出社して製紙技術を学び、日本人初の製紙技師になり多くの会社経営に携わり、日本の製紙王と呼ばれるほどになったということです。↑公園内に頌徳碑...

  • ネーミングライツのアクアリウムさがみはらと高台にある山門の立派な宗佑寺

    ネーミングライツのアクアリウムさがみはらと高台にある山門の立派な宗佑寺

    2回に渡って見てきた水郷田名ですが、かつては観光地として栄えたというものの、今では残念ながらそうした雰囲気はあまりありません。ある程度人が集まりそうなところと言えば、「アクアリウムさがみはら」でしょうか。相模原ふれあい科学館として昭和62年(1987)にオープンしたといいます。昭和時代だし、国鉄が分割民営化されJR各社となった年ですから、若い人から見たらここも歴史的なところです。科学館というだけあって、敷地内にはアルキメデスのポンプなんていうものもあります。平成26年(2014)リニューアルオープンするに当たり、水族館をアピールするためアクアリウムさがみはらという愛称も付けたということです。ホームページによると、ネーミングライツの契約期間が令和6年3月31日までとなっていますから間もなく切れます。どうなるのでしょう、更新されるのでしょうか。豊かな相模川の水を利用した水...

  • 小田急多摩線の田名への延伸計画と田名八幡宮の微妙な時期の改称

    小田急多摩線の田名への延伸計画と田名八幡宮の微妙な時期の改称

    前回見てきた相模原市の水郷田名を巡っていると「小田急多摩線を田名に延伸させよう」という立看板をいくつか見かけました。小田急線の新百合ヶ丘から多摩ニュータウンへのアクセス路線として唐木田まで整備されている路線です。そんな延伸話あるのかと戻って調べてみると、相模原市ホームページにも載っていました。「小田急多摩線について、町田市を通り、JR横浜線相模原駅、JR相模線上溝駅、更には、田名地区を経由し、愛川・厚木方面へ延伸する計画です。」とあります。平成28年に国の交通政策審議会答申「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」で、小田急多摩線の延伸が、東京圏の都市鉄道が目指すべき姿を実現する上で意義のあるプロジェクトの一つとして位置付けられましたということです。↑ただし、その答申本文を見てみましたら、唐木田から上溝までの延伸で、記載されているのも上図です。なお書きで「更なる延伸...

  • 相模川沿いの水郷田名と小沢頭首工という名称の水郷と頭首工の意味

    相模川沿いの水郷田名と小沢頭首工という名称の水郷と頭首工の意味

    いつもよりちょっと遠出して、車で相模原市の水郷田名に行きました。 相模川沿いに水郷という場所があるなんて知りませんでしたし、興味もありました。↑(国土地理院マップより)相模川に架かる神奈川県道54号相模原愛川線の高田橋の北側です。川の土手に「水郷田名の歴史」という説明板がありました。田名地区の中でも相模川に面した久所(くぞ)を中心とした地域をいうそうで、田名地区の歴史は古く、原始、古代の時代に遡ることができるという。江戸時代後半には、橋本から下九沢を通る大山参りのための大山街道が通っていて、ここから「渡し」で相模川対岸の小沢に行っていました。相模川は水上交通の流通路として筏、高瀬舟などが往来していました。その後、もともと盛んだった鮎漁に観光的要素をもつ鵜飼も加わり、旅館などが立ち並ぶ歓楽街として繁盛し、「水郷」と呼ばれるようになったということです。私のイメージして...

  • ついに撤去されたカリヨンブリッジといいアイディアな新宿駅西口駅前広場に建設中の巨大構造物

    ついに撤去されたカリヨンブリッジといいアイディアな新宿駅西口駅前広場に建設中の巨大構造物

    渋谷だけでなく新宿の街も大きく変貌をし始めました。小田急百貨店が閉店して解体工事が進み、日々小さくなっていきます。↑そんな中の2月21日朝、旧小田急百貨店とハルク(現小田急百貨店)の間の景色に、さらに違和感が感じられました。カリヨンブリッジが無くなっているのです。↑以前から閉鎖されてはいましたが、先週撮った写真(2月15日)ではこのようにまだあります。実は、真下には横断歩道もあるし、2階で小田急とハルク間を行き来する機会もあまりなく、渡ることはありませんでした。でも無くなるとなると、やはり懐かしさを感じますから不思議です。↑地下にある西口駅前広場から小田急百貨店の方を見てみます。解体工事が進行して建物がどんどん低くなっていることよりも、右には気になるものがありました。地上から地下へのスロープ上に覆いかぶさるように鉄骨が組まれています。↑何やら巨大な構造物を造っ...

  • 銀座線渋谷駅車庫引込線の移設とJR線路上に建設している構造物

    銀座線渋谷駅車庫引込線の移設とJR線路上に建設している構造物

    渋谷駅には行くたびに、駅や通路もそして周りのビルも変わっていて、毎回驚かされます。地下鉄銀座線の線路を移設したときは大きくニュースにもなりました。細かい話になりますが、渋谷駅から奥の車庫引込線もふと気付いたら少し移設されていました。↑駅から西口の渋谷マークシティ下の車庫方向を見ています。乗客は下りた後なので目立ちませんが、向かって左側にあった引込線が右側に移されています。↑逆に駅ホームの方を見てみると、少しだけ、ここにかつてはレールがあったなという残骸?があります。この車庫引込線の奥、つまり北側を見れば、こちらは何やら大規模な構造物が建設されています。銀座線とは垂直に交差しているJR山手線、埼京線の線路の真上に当たります。昨年11月に山手線を運休して線路位置とホームを高くする工事を最後に、大きな運休はしないと言っていましたが、関係はないのでしょうか。す。↑外から見...

  • 松風公園という高坂ニュータウンにある谷戸公園

    松風公園という高坂ニュータウンにある谷戸公園

    前回見た東松山市はにわの丘は、関越自動車道を渡るひきのみちの東側にありましたが、それを西に向かうと「松風公園」があります。「むさし緑園都市高坂ニュータウン」として住宅都市整備公団により開発されたこのエリアは歩車分離されています。岩殿丘陵の東端にあたり、この辺りから高くなっていきます。昭和50年(1975)に関越道の川越東松山間が開通した後の、昭和59年(1984)に入居開始となる街開きでした。国土地理院の過去の航空写真を見てみると、松風公園のところは谷戸のようで、池があったようです。↑公園入り口からすぐのところに大きめの池があり、地獄坊池といいます。↑西の上流側から水が流れてきます。地獄坊池とはおどろおどろしい名前ですが、灌漑用ため池であり、古い開発前の航空写真でも直線の堰堤が見られました。↑さらに西へ上流側に行くと、菖蒲田があります。ここにあった谷戸は呉器谷と呼...

  • はにわの丘はちょっと微妙なところだけど桜山窯跡群はすごいところ

    はにわの丘はちょっと微妙なところだけど桜山窯跡群はすごいところ

    いつものように地図を眺めていたら、はにわの丘というところが東松山市にありました。関越自動車道の東松山サービスエリアの少し北東になります。↑「ひきのみち」と名付けられた歩行者自転車用道路の弁天山橋から、南の練馬方面を見たものです。ひきのみちを東に進むと、「はにわの丘」があります。古墳時代後期である1450年前の須恵器や埴輪の窯の跡が見つかっています。平成14年(2002)の東松山市教育委員会による説明板ですから、552年頃ということになります。日本に仏教が伝来したのが538年とか552年とか言われますから、その頃のものかと思うとやっぱり悠久の昔です。昭和55年(1980)に行われた発掘調査で、ここに須恵器の窯跡2基があったということです。土器の中で、須恵器というものがよくわかっていませんでしたが、青灰色の1200度ほどの高い温度で焼かれた焼き物だということです。それ...

  • 治水橋の由来となった斎藤祐美の出身地である飯田新田のびん沼と対岸の萱沼の読み

    治水橋の由来となった斎藤祐美の出身地である飯田新田のびん沼と対岸の萱沼の読み

    橋の名前には地名が付けられたものが多いですが、荒川の治水橋はそうではなく、前から疑問に思っていました。今回はその由来を調べてみました。前々回に取り上げた飯田新田の出身である斎藤祐美という人が関係していました。名前からはじめ女性かと思いましたが明治時代の男性でユウビと読みます。厳密には江戸時代末期の慶応2年(1866)に、飯田新田で代々続く外科医の次男として生まれました。明治23年(1870)荒川の氾濫で自宅付近が水没するのを見て、埼玉県議員となって水害から故郷を守ろうとしました。↑当時の荒川の流れである、びん沼川を挟んで飯田新田の反対岸から見たところです。ちょうど前々回見た、荒川で分断された馬宮地区の、さいたま市消防団馬宮西分団のある辺りになります。↑下流側を見ると、大きく左に曲がっていて、かつて暴れ川だった名残りが感じられます。旧荒川であるびん沼川が市境となって...

  • 多摩川沿いの新春飾りがまだあった阿蘇神社の古くからの由緒

    多摩川沿いの新春飾りがまだあった阿蘇神社の古くからの由緒

    多摩川サイクリングロードの上流端ともいえる羽村取水堰のあたりのことです。左岸側をさらに少し進むと鳥居があります。↑阿蘇神社があり、都重宝とも書かれています。参道とはいっても林多摩川沿いなのに林の中の古道のようないい雰囲気のところを300メートルほど進みます。↑用水路を渡り、多摩川の流れが再び見えたところに阿蘇神社入り口があります。鳥居があり石段を少し登った先に本殿が見えます。阿蘇神社は以前は阿蘇大明神、阿蘇宮といい、創建は推古天皇9年(601)と伝えられています。平安時代の承平3年(933)には平将門が社殿を造営し、天慶3年(940)には藤原秀郷が社殿を造営したといいます。藤原秀郷といえば、新皇を称した平将門を討った武将です。両者とも阿蘇神社を余程重視したのでしょう。藤原秀郷がお手植えしたシイが本殿左にあり、東京都指定天然記念物になっています。手前の木だとば...

  • 荒川の東だけでなく西岸にもあるさいたま市西区の馬宮にある飯田新田

    荒川の東だけでなく西岸にもあるさいたま市西区の馬宮にある飯田新田

    11月に荒川の東側にあるさいたま市西区の馬宮地区に行きました。その馬宮は荒川西側にもあるようです。↑さいたま市立馬宮西小学校です。屋上に「創立148年」との看板がありますから歴史は古く、明治8年(1875)からあるということです。校舎の右側、東方になりますが見えているのは荒川の堤防になります。ここは荒川の西側になり、富士見市か川越市のどちらかだと思っていましたが、大宮市であって今はさいたま市西区です。もともと荒川が境界で、その流れの東側にあったため大宮側であったものが、荒川を直線化したため地区が分断されてしまいました。↑さいたま市消防団馬宮西分団もこの近くにあります。比較的新しく平成28年(2016)にできたということで、それまでは荒川東側の馬宮分団しかなかったそうです。↑裏の林の木々の奥に見える水の流れがかつての荒川でした。びん沼川となっているところが、かつて...

  • 船には見えなかったフローティングドックと中防外側埋立地の東と南と西端

    船には見えなかったフローティングドックと中防外側埋立地の東と南と西端

    首都高湾岸線の東京港トンネルを初めて通った時は、海底トンネルが珍しかったのでワクワクしたものでした。そうした海底トンネルも今では珍しくもなくなり、東京港にもいくつもの海底トンネルができています。↑臨港道路南北線の「海の森トンネル」もその一つで、東京オリンピック前にできたことは聞いたような気もします。中央防波堤内側と外側埋立地へは、テレコムセンターや青海コンテナ埠頭から行く海底トンネルがありましたから並行してもう一本できたとは知りませんでした。↑海の森公園の東端からはゲートブリッジがよく見えるのではと思い行ってみました。海の近くの道路までで、直接海岸には近付けません。↑すぐ北側の海の森船着場の辺りにガントリークレーンのようなものが見えます。でもちょっと違うようなものにも見えるので近づいて見ます。両側をコンクリート構造物で囲まれているようですがクレーンも含めた一体構造です...

  • 水没する前提の狭山台図書館駐車場と狭山台団地の広い調整池

    水没する前提の狭山台図書館駐車場と狭山台団地の広い調整池

    狭山市にある狭山台図書館は体育館やプールも併設されており、すぐ横には久保川が流れています。通常流れている水はごく少量です。久保川は川越市を通り不老川へと流れる準用河川です。駐車場があり、出入り口にはブースと遮断棒がありますが今は使われていないようです。ただし、入ってすぐのところには、ちょっと気になる看板が立っていました。駐車場は下へのスリープで降りていくのですが、地形のためか半地下構造です。奥にはグラウンドのような広い空間が広がっています。そちらから建物と駐車場を振り返れば、地下とは思えない一階部分です。駐車場から図書館や体育館へ行く階段には多くの警告板があります。降雨時水没注意、この駐車場は降雨時水没しますなどと書かれています。狭山市ホームページによると、雨水調整池を利用した駐車場だということです。その際は緊急放送するから車を移動させろとのことです。場内には最高水...

  • 国分寺崖線西端の国分寺市西町にある西向きの西町神明社と中藤公園

    国分寺崖線西端の国分寺市西町にある西向きの西町神明社と中藤公園

    国分寺崖線は、古代多摩川が南へと流れを変えていく過程で武蔵野台地を削り取ってできた河岸段丘の連なりで、30キロほどあります。立川市ではほとんど高低差はありませんが、国分寺市からは崖線らしい高低差があり、東南に向け大田区田園調布まで続きます。↑その国分寺崖線の西端となるところに西町神明社があります。村社神明社と刻まれた石碑があります。この付近はかつて中藤新田と称されおり、江戸時代の享保年間(1716〜35)に新田開発と考えられています。ここに限らず北多摩地区を巡っていると、至るところで享保年間の開発地があると感じられます。学校で習う享保の改革が実際にあったことが実感できます。本殿拝殿などの建築は昭和3年(1928)ということです。社殿は西向きに建てられており、石段から鳥居を振り返ってみると、さらに西向きの道が延びています。国分寺崖線もこの辺りでは既に10メートルほど...

  • さいたま市西区にあるプラザという多摩プラーザのように有名にはならなかったカタカナ地名

    さいたま市西区にあるプラザという多摩プラーザのように有名にはならなかったカタカナ地名

    多摩プラーザは東急田園都市線の有名な駅名ですし、街としても有名です。さいたま市西区にプラザという地名があるので行ってみました。↑住居表示版にもカタカナで「プラザ」と表示されています。数週間前に見た馬宮や西優馬のすぐ近くで、失礼ながら、あまりプラザというイメージとは違うところです。↑郵便局も大宮プラザ郵便局という名です。昭和59年(1984)にプラザという大宮市内で唯一のカタカナ地名になったということです。当時の大宮市だけでなく今に比べてカタカナ地名は珍しかったはずです。↑スーパーのマルエツも大宮プラザ店です。この地区は総面積31万2600平方メートルは、昭和46年(1971)から東急不動産が「大宮プラーザ団地」として販売をしました。プラザではなく、プラーザです。田園都市線の多摩プラーザ駅で聞き覚えのあるプラーザです。↑区域内の公園はプラザ中央公園となっています...

  • 新宿西口で進む再開発によるビル解体と新築工事の2023年12月の状況

    新宿西口で進む再開発によるビル解体と新築工事の2023年12月の状況

    11月中旬から新宿駅西口地下の歩行者の通り道が変更されています。西口地下広場と丸ノ内線の間の通路が通れなくなったのです。小田急百貨店の解体工事が進められているので、理由はわかっており当たり前のことなのですが、ついに地下まで影響範囲がきました。↑新宿駅山手線ホームから見ると、小田急百貨店の北側半分は既に無くなっており、向こうが見通せます。↑現在の小田急百貨店として営業されているハルクの横から見ても同様です。今年2月に解体工事が始まったころ、見に来て初めて知った、実は建物は二つに分かれていたことが実感としてわかりました。↑西口駅前広場の向かい側からも見ると、スタジオALTAなどが見通せます。2014年3月に「笑っていいとも」の生放送も終わり、すっかり存在感が薄れてますが、しっかり今も新宿駅東口駅前にあります。↑小田急百貨店の解体工事現場を、現在もまだ頑張って営業している...

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