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プロフィール
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すずたさんのプロフィール

住所
東久留米市
出身
豊島区

小さな旅の行き先は、史跡めぐりや川の源泉、古墳、庭園ほか、何でもあります。

ブログタイトル
まち歩きで趣味探しと図書館めぐりを自転車で
ブログURL
http://tosyokan-bicycle.cocolog-nifty.com/blog/
ブログ紹介文
まち歩きプラス折りたたみ自転車(DAHON Speed P8)で、毎週小さな旅に出ます。今日はどこに行こうか。
更新頻度(1年)

52回 / 365日(平均1.0回/週)

ブログ村参加:2012/01/15

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ハンドル名
すずたさん
ブログタイトル
まち歩きで趣味探しと図書館めぐりを自転車で
更新頻度
52回 / 365日(平均1.0回/週)
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まち歩きで趣味探しと図書館めぐりを自転車で

すずたさんの新着記事

1件〜30件

  • 浜松町駅から海岸通りと首都高を乗り越えて、竹芝まで行けるという歩行者デッキはちょっと残念

    2020年9月中旬に再開発により新たな東京名所にもなり得るビルができ、ちょうどそこに出かける機会がありました。浜松町駅から海側の港区海岸一丁目で行われた大規模再開発で、駅からそこまでは歩行者デッキで繋がるといいます。 ↑浜松町駅から行きましたがデッキへの入口がよく分からず、まずそのオフィスタワーまで下の道路を歩いて行き、そのビルの3階からデッキに出て、首都高速に架かる橋から浜松町駅方向を見ています。「ポートデッキ」という、浜松町駅から竹芝駅、竹芝埠頭まで約500メートルがバリアフリーで行ける歩行者デッキとなります。 ↑首都高速道路の上を通れますから、南を見ると浜崎橋ジャンクションとレインボーブリッジを見渡すことが出来ます。↓北を見れば、都心環状線と汐留の高層ビル群が見えます。 これまでは駅から竹芝埠頭方面に行くには、海岸通りの横断歩道を渡り首都高速道路の下を通らなければ行...

  • 万葉集の読解への鎌倉時代の偉業と戦国時代の城跡、そして299メートルからの小川盆地の見晴らし

    7世紀後半の穴八幡古墳を前回見た小川町には、すぐ近くに埼玉県旧跡があります。市街地の西側に東西に長く延びる八幡台と呼ばれる台地の東端です。 ↑ 仙覚律師遺跡といい、碑はありますが遺跡としての何かモノがあるわけではありません。仙覚は鎌倉時代の天台宗の僧侶で、埼玉県ゆかりの偉人として県ホームページにも載っていました。 「万葉集註釈」を完成させたのが比企郡北方麻師宇郷であり、小川町大字増尾つまりこの辺りだったということです。仙覚は寛元3(1245)から宝治元年(1247)年にかけて、鎌倉4代将軍藤原頼経の命により、「万葉集」の諸本十数冊を校訂して、万葉集4500首のうちそれまで全く読めなかった152首に新たに訓点をつけました。 ↑仙覚とは関係なくでしょうが後年になって半僧坊大権現堂が建てられていて、階段前には数多くの羅漢像が並んでいます。仙覚は文永6(1269)年に我が国初の...

  • 県内最大級方墳である穴八幡古墳と八幡神社のある小川町

    小川町というまず思いつくのは、都営新宿線の千代田区にある小川町駅でしょうか。それとも、東武東上線の終点の小川町駅でしょうか。まあ実際には東上線の終着駅はもっと先の寄居駅ですが。 ↑東上線の小川町駅のある埼玉県小川町に古墳時代後期の古墳があります。昭和34年(1959)に埼玉県の指定史跡になりましたが、当初は円墳と考えられていたものが試掘調査で方墳とわかりました。 ↑ここは巨大な横穴式石室があることが特長です。全長8.2メートルもあり、南に向いてその入口が開いています。 前回見た川崎市の馬絹古墳と同じ7世紀後半の古墳ですが、大きく違うのは、この石室入口を見ることができることです。覗き込むと、奥行きが8メートル以上あるようには見えません。 内部は前室と後室に分かれているといいます。石室は、小川町下里地域で採掘される緑泥石片岩など結晶片岩の一枚石を組み合わせて、造られ...

  • 7世紀後半の神奈川県指定史跡の古墳や富士塚もあり貨物ターミナルも見渡せる馬絹神社の高台

    川崎市にある宮前区や宮前台、宮崎平の由来となった馬絹神社の続きですが、ここには富士塚もあります。 ↑馬絹という地名の由来ともいわれる、源頼朝が馬の袖衣を掛けた「御神木千年松の祠」があるところには、富士塚の入口があります。石段の前に「参明藤開山 富士浅間大神」と刻まれた石柱があります。 ↑上がっていくと途中には、富士講碑、二十三夜塔、地神塔などがあります。やがて広い空間に出ると、馬絹神社本殿の屋根も見渡せるのですが、富士塚らしき祠などが見当たりません。 探していると、折り返したもう少し高いところがありました。石碑には注連縄などが雨で濡れないように、保護されています。 この富士塚はあえて山を築いたというよりは、元々あった矢上川沿いの台地を利用しているようです。そして、先程の広くなったところから東側をみると、そちらにも小山があります。 ↑ 馬絹古墳といい、矢上川の沖積...

  • 川崎市宮前区の地名の由来となった馬絹神社は宮崎台の由来でもある

    川崎市には宮前区が、そして東急田園都市線には宮前平駅があります。神社つまり宮の前だから宮前でしょうが、川崎大師の近くではありません。 ↑地元の方は当然に知っているのかも知りませんが、この馬絹神社が地名の由来のようです。国道246号線から東名自動車道の川崎インターに向かう、尻手黒川道路との交差点名として、馬絹という名前は聞いたことがあります。 室町時代末期の永禄年間に、馬絹村、梶ヶ谷村、土橋村の三村ができました。そして、明治22年の町村制施行により馬絹、土橋、有馬(当時有間)、野川、梶ケ谷の5村と溝口村の飛び地が合併して、宮前(みやさき)村ができました。 馬絹神社は、創建年は江戸元禄以前で詳細は不明で、元は女体権現社と称していました。明治43年に近隣の八幡、三島、熊野、白山神社の4社を併合して神明神社に改称し、馬絹村の村社となりました。昭和61年に本殿を新築するとともに...

  • 久保沢跨線橋という跨道橋と川尻石器時代遺跡という縄文時代の遺跡

    インターチェンジなどで複雑な形状をした道路がよくありますが、一般道でもたまにあります。神奈川県道508号厚木城山線の終点近くにもありました。 ↑相模原市緑区久保沢の山王神社前交差点付近です。西の方に直進すると、国道413号線と合流して城山ダムのある津久井湖に行きます。左の道を下っていくと、表示のあるように小倉橋です。 ↑右にも下っていく道があり、こちらはすぐ先が県道510号長竹川尻線となり、反時計回りに回りこんで、先程の508号線の下を潜っていきます。 ↑潜るところから東向きに、上を渡る道路と山王神社を見上げれば、先程の右(こちらからは左)に下っていく道も小倉橋に行くという道路標識があります。この道路は北向きからぐるっと南向きに変わるため、最初に左に向かった道と合流して同じ小倉橋に向かうのです。 ↑わかりづらいでしょうから、マピオンの地図を載せます。道路形状は楽し...

  • 相原は予想外に八王子市ではなく町田市にあり、しかも相模原市にも相原

    八王子駅からJR横浜線で橋本駅に行く間に相原駅があります。八王子市と相模原市の間にあり、八王子みなみ野駅の隣なので八王子市内と思っていました。 ↑すぐ先に交差点は町田街道の相原十字路という交差点です。ここにある境川の橋が東京都と神奈川県の都県境になっており、手前が神奈川県相模原市で、奥は東京都です。ただし、八王子市ではなく、予想外に町田市で、町田市は北西に向けて長く張り出した形となっているようです。 ↑これは交差点近くにあった町田市地区案内図です。左側が北向きの地図なので、上方つまり東にある相原駅も町田市相原町になります。もう一つ驚くことに、右側の相原一丁目、二丁目、六丁目は相模原市緑区になります。 ↑その相原六丁目に相原総鎮守の相原八幡宮があり、そこに相原起番地之碑があります。明治時代初めの地租改正に際して、ここが相原1番地とされたことによります。 相原八幡宮...

  • さいたま市の二ツ宮には二宮神社があるのではなく二つの宮が並んでいる

    さいたま市西区には二ツ宮という地名があります。二ノ宮神社があるのかとも思い、近くに所用があったのでちょっと神社を探してみました。↑氷川神社の鳥居と参道があります。さいたま市の氷川神社といっても、武蔵国一ノ宮の氷川神社ではありません。村社 氷川神社と書かれています。↑左奥の方にあるのが氷川神社の鳥居ですが、右にも鳥居があります。ここには八幡神社があります。二ノ宮神社があるのではなく、氷川神社と八幡神社の二つのお宮があることから二ツ宮という地名となっています。慶安2年、3年(1649、1650)の「田園簿」に既に二ツ宮という村名が記載されていたそうです。江戸時代初期にはこの辺りは開発されており、既に二つの神社があったようです。↑二つの鳥居の中間から境内を見てみると、社殿らしきものはあります。氷川神社も八幡神社も参道の正面に社殿があるはずですが、中間にも社殿があるよ...

  • 秋川を挟んで対岸にある雨間の雨武主神社の鳥居場とアーチの美しい東秋留橋

    2ヶ月前に行った200段もの石段の上にある雨武主神社には、後で帰ってから調べてみて、離れたところに一ノ鳥居があることを知りました。気になっていたそこに行ってみました。 雨武主神社は秋川の右岸つまり南側にあるのですが、ここは左岸つまり北側になります。鳥居場というそうで、Googleマップにも載っていました。一ノ鳥居だけかと思っていましたが、道路というか参道を進むとニノ鳥居もありました。 しかも、立派な両部鳥居です。この形は厳島神社のものが有名です。この鳥居のすぐ先に遥拝場があります。秋川対岸の雨武主神社本殿まで行かなくても、ここでお参りできるようにということです。 高さを考慮しない直線距離でも660メートルほどあります。秋川の対岸からも参拝するということは、地元の鎮守様なだけでなく、かなり広域的な神社だったのでしょうか。 ↑天神山の頂上近くに本殿はあります。あ...

  • 【後編】日の出山荘で実際にロンヤス会談が行われた天心亭とゴルバチョフ大統領と有名な句碑

    日本の中曽根康弘首相とアメリカのロナルドレーガン大統領のよる日米首脳会談が行われた場所の続きです。前回はレーガン大統領夫妻を茶の湯で接待したり、会食したりした青雲堂を見ました。 ↑こちらは実際の首脳会談が行われた天心亭です。どちらも、東京都西多摩郡日の出町にある当時の中曽根首相の別荘である日の出山荘です。 ↑部屋の中には、やはり昭和58年(1983)11月の報道写真が飾られています。ここの窓から二人で外を見ているところですが、見れば記憶に残っています。建物の向こう側は土地が低くなっており、天心亭は石垣の上に築かれています。 かなり小さな建物であることがわかりますが、約25平方メートルしかありません。こんな狭いところで日米の首脳が会談したとは驚きです。しかも、周辺道路等の警護のためでしょうが、3600人もの警察官が日の出町に動員されたというから大変です。 ↑木々が...

  • ロンヤス会談が行われていたのをニュースで見たことのある自然いっぱいの日の出山荘

    日本の総理大臣は、アメリカの大統領とファーストネームで呼び合うような密接な関係を築こうとしています。その先駆けは中曽根首相であり、パートナーはレーガン大統領でしょう。それを印象付ける歴史的舞台としてニュースに登場したのが、日の出山荘でした。 ↑日の出町にありますが、来た道を振り返れば、都内とは思えないようないい景色です。駐車場がありましたが一台も停まっておらず、「この先にも駐車場あります」という看板もあるのでそちらを目指します。 ↑すると、真ん中の細い道のところに小さく「日の出山荘」と書かれた表示板があります。車一台がやっと通れるくらいの道幅です。総理大臣と大統領が来たところと思い甘く見ていましたが、やはり山荘です。 路面を川のように水が流れており、対向車が来たらどうしようかとヒヤヒヤしながら数百メートル登り坂を進むと、車が数台は停められるスペースがありました。やは...

  • 東久留米市指定史跡4つのうち2つや有形民俗文化財もある柳窪と登録有形文化財

    東久留米市内には、まず東京都指定文化財(史跡)として新山遺跡、下里本邑遺跡、米津家大名墓所があります。東久留米市指定文化財(史跡)は4つあります。その一つが柳窪5丁目にある筆子塚です。筆子とは江戸時代から明治期にかけて、寺子屋などで手習を受けた人たちのことで、その師匠を偲んで造ったそうです。この筆子塚は、安永4年(1775)に造立された市内最古のものです。墓地の中にこうしたものがあるとは知りませんでしたが、お参りさせていただきました。↑墓地入口には市指定有形民俗文化財もありました。地蔵菩薩石像で、宝永3年(1706)造立の市内では2番目に古いものだそうです。柳久保村とも書かれていますが、柳窪と柳久保の両方が使われていたようです。↑史跡の方のもう一つは柳窪4丁目にある柳窪梅林の碑です。江戸時代終期の安政4年(1857)に造られた石碑で、梅の植樹をしたことが記されてい...

  • ムサビ間を横切る小平市小川の不思議なほど幅は広いが短い道路

    青梅街道の小川寺前交差点から南に向かう「美大通り」があります。通称ムサビ、武蔵野美術大学の前を通るのでついた名前でしょう。 ↑その美大近くに、不自然に広い西方向に向かう道路が出来ていました。美大通りは左右の方向で、この広い道は数年前にはありませんでした。↓交差点側を振り返ると、東方向には住宅があり、T字路となっています。 西武国分寺線の鷹の台駅方面から大学に向かう、東から西に向けて小平市中央図書館前からの「たかの街道」は、玉川上水の流れところで行き止まり、西に向かえなくなっています。そのため、バスも北向きに進路を変えます。 となると、さらに西に向かう道が必要なのは理解できます。しかし、それならば、たかの街道を西に延伸すればいいはずです。 ↑先程の新しい道路を西に向かってみると、見事に武蔵野美術大学の敷地を分断しています。↓500メートルほどで、再びT字路となって...

  • ちょっと来るのが早かったか富士見市せせらぎ菖蒲園と紫陽花の名前と漢字の不思議

    富士見市が市制施行20周年記念して整備したという山崎公園、通称せせらぎ菖蒲園に行きました。と言っても、富士見市は昭和47年(1972)からですので、整備されて既に30年近く経っています。 昭和31年(1956)に鶴瀬、南畑、水谷の3村が合併して富士見村となり、昭和39年(1964)富士見町、そして8年後に市になりました。↑通称と言いながらも大きな石碑に「せせらぎ菖蒲園」と刻まれていますから、花菖蒲が期待できます。公園内に、広さ1000平方メートルの菖蒲田があります。 八ツ橋もあるのですが、新型コロナの3密対策として、その八ツ橋部分は立ち入り禁止となっています。雨も降っていて人はいませんでしたから、入っても3密は大丈夫でしょうが、やはり外から観賞することとしました。 パンフによると花菖蒲の見頃は5月下旬から6月とありましたが、まだちょっと早かったようです。5000株60...

  • 東久留米市八幡町の由来となっている八幡神社は新田義興が勧請か前沢御殿とともに造営か

    八幡町という地名は全国各地にありますが、ほぼ八幡神社があることが由来となっています。東久留米市にも八幡町があり、八幡神社があります。 前沢八幡神社とも言われています。古くから八幡宮と呼ばれていたようですが、詳細は不詳です。狛犬の奥で見づらいですが、灯篭は明暦元年(1655)造立されたといいます。 鎌倉時代末期の南北朝時代の武将である新田義興が元弘年間(1331〜34)に勧請したとされ、新田大明神だったともいいます。新田義興とは新田義貞の次男です。 ↑手水舎の水盤は文化4年(1807)のものとありました。アジサイがきれいです。紫陽花の花は色が変わるのが不思議ですが、土のpH値の影響で酸性だと青くなるのだそうです。 江戸時代、前沢村に尾張藩の鷹場御殿が造営された正保元年(1644)から延宝4年(1677)の頃に創建されたともいいます。歴史ある神社ですから、境内には...

  • 武蔵野とは何処のことなのかを小平市にある武蔵野神社で考えてみる

    小平駅と花小金井駅の中間にある西武新宿線の青梅街道踏切の近くに、武蔵野神社があります。武蔵野というと吉祥寺のある武蔵野市がまず浮かびますが、ここは小平市です。国語辞典によれば、東京都と埼玉県にまたがる洪積台地で、南は多摩川から北は川越市あたりまで広がるとあります。そう考えれば、小平市の武蔵野神社があってもおかしくはありません。武蔵野といえば、国木田独歩の随筆や、野口五郎の歌う「むさし野詩人」も浮かびます。その歌詞にも出てくる「武蔵野公園」は、小金井市と府中市にまたがっています。しかし、wikiによるとこの「むさし野公園」は井の頭恩賜公園をイメージしているといいます。作詞した人にどうなのか確認したいものです。改めて歌を聞いてみたら「映画帰りにここまで来たね」とあります。となると、野川や東八道路に近い武蔵野公園ではなく、映画館のある吉祥寺駅に近く、武蔵野市と三鷹市にま...

  • あきる野市雨間の明神山という200段もの石段の上にある雨武主神社

    あきる野市雨間にある雨武主神社、なんと読むのかと思いましたが、アメムシュと読みます。異動前の仕事では、アンブッシュマーケティングになるかならないかを気にしていたので、ついアンブッシュと読んでしまいたくなります。 ↑この一ノ鳥居らしきものは、実はニノ鳥居だそうです。すぐ先の三ノ鳥居のところには賽銭箱があります。 あまり見かけなく不思議に思えますが、社殿まで行けない人のためにあるのでしょうか。数段の石段の参道を進むと、先にはとてつもなく長い石段があります。 雨武主神社は196段もの石段の上にあるのです。これを登らなくてもお参りできるようにと、賽銭箱が鳥居のところにあるのでしょう。途中の踊り場ではハアハアして休憩しながら登っていきます。 ようやく到着すると、まずは神楽殿があります。↑その右が登ってきた階段になります。↓その参道である石段の正面に、雨武主神社の社殿があ...

  • 都内に2箇所しか残っていない蔵敷高札場と2つの本殿があるような厳島神社

    江戸時代に禁制や法令を伝えるための板札である高札を掲げたところを高札場といいます。当時はそこらじゅうにありましたが、現在は都内に二箇所しか残っていません。↑その一つが蔵敷高札場で、東京都旧跡に指定されています。慶長8年(1603)の年貢に関する高札が最初に掲示されたものといいますが、この年は徳川家康が江戸幕府を開幕した年ですから驚きです。青梅街道沿いにありますが、蔵敷のバス停の待合所のようなイメージで、これまで気付きませんでした。1年半ほど前には、大國魂神社のすぐ近くにある府中高札場を見ました。高札場とはもっと大きな高いものだと思い込んでいましたが、この蔵敷のものは比較的小さめです。蔵敷高札場の近くの青梅街道沿いに厳島神社という看板があり、こちらも気になっていました。↑狭山丘陵に登っていくところに蔵敷厳島神社の鳥居があります。↑鳥居をくぐると、参道の石段です。以...

  • 数少ない聖徳太子信仰の太子堂のあるクラシキではないゾウシキと蔵敷熊野神社からの眺望

    かつては、一万円札にも五千円札にも肖像画が描かれていた聖徳太子はとてつもない偉人であり、しかも超人であるように習ってきました。しかし、今ではあの絵のモデルはそもそも本人か不明として、「伝聖徳太子画像」とされています。実在しなかったかもしれないともいわれ、少なくとも厩戸皇子、厩戸王と書かれています。↑以前はヒーローですから、ここには江戸時代に聖徳太子を信仰する太子堂があり、「蔵敷太子堂」として東大和市史跡に指定されています。多摩郡山口領では太子堂はここだけにしかないそうです。山口領とは、現在の東大和市、武蔵村山市、東村山市一帯と一部の周辺市の範囲です。この裏は狭山丘陵になっており、上には神社らしきものが見えますから行ってみました。蔵敷は、クラシキと読むものと思い込んでいましたが、ゾウシキだそうです。そこには、蔵敷熊野神社があります。丘陵の斜面に建てられており、急な石段...

  • 小平霊園内で行われている道路工事と新青梅街道側入口前のサイゼリヤの想定外の後継店

    小平霊園は、小平市、東久留米市、東村山市に跨る広い敷地の都立霊園です。外出自粛のため、遠出できない数多くの人が散歩やジョギング、犬を散歩させたり、ヤギを散歩させている人もいました。その新青梅街道側のお盆時期しか車は入れない、通常は歩行者、自転車用の入口を入ると、すぐのところで工事が行われています。 新青梅街道に沿った道路の舗装が剥がされて、砂利道となっています。道路排水とともに道路(園路)整備をするようです。 ↑働き方改革の一環なのでしょうか、「週休2日確保試行工事」と書かれています。小平霊園内では近年こうした工事が順次実施されているようで、既に完了したところはこんな様子です。V型側溝に雨水を流し、集水桝で集めるようですが、雨水浸透桝ではなさそうです。小平霊園内では、最近こうした工事が順次実施されており、既に完了したところはこんな感じです。 幻の湧水と言われている「...

  • 小平市の小川駅付近を東西に立体交差する都市計画道路の事業が進められている

    西武拝島線と西武国分寺線の小川駅の西口には、南北方向に富士見通りという広い道路が通っています。しかし、その道を南に向かうと、西武拝島線の手前で細い路地となってしまい、直角に西向きのこぶし通りという道路と繋がっています。南北方向の道は、小平3・4・21号線という東村山市富士見図書館の辺りからの完成した都市計画道路です。もう一方の、東大和市方面に向かって西武拝島線と平行して真っ直ぐ西に向かっている道は。小平3・4・10号小平大和線という別の都市計画道路です。この東西方向の都市計画道路の東に向けての延伸計画が事業化されています。平成28年に策定された都による第四次事業計画でも、優先整備路線に位置付けられています。西から東を見ると、現在は畑で、その先には家屋等があります。さらにその向こうには西武国分寺線と北に向きを変えた拝島線の線路があります。その場所の様子を見ようと行ってみ...

  • 本殿に三面ある江戸時代の彫刻を見ることができる大和田氷川神社

    4月25日から5月6日までの「ステイホーム週間」前の先週末のことです。新座市のOSCデオシティ新座に近い柳瀬川沿いには、多くの人が散歩などをしていました。 外とはいいながらも、この人道橋の上などは「三密」が心配となるような感じでした。所用で行った新座市大和田のこのすぐ近くに、氷川神社があるというので立ち寄ってきました。 ↑道路である埼玉県道113号川越新座線からの入口には赤い神橋があり、蓋掛けされていますが間に水路があったようです。大和田の氷川神社は、縁起によると延暦21年(802)の創建といわれる神社です。平安時代初期ということになります。 ↑赤い三ノ鳥居は、両部作りといわれるものでした。この氷川神社のある大和田一帯は、古くから鎌倉幕府の支配する土地である国衙領だったそうで「大和田郷」といわれていました。 ↑狛犬のすぐ奥には、さらに一対の狛犬がいますが、こちらは...

  • 西新宿にある銀世界稲荷という名の神社と2年前の記憶とのつながり

    平日の西新宿に行きましたが、やはり人通りはかなり少ないです。私も外出自粛したかったですが、仕事だったのでそうもいきませんでした。 ↑パークハイアット東京が高層階にある新宿パークタワーの敷地内に神社があります。その名も、銀世界稲荷神社という不思議な名称です。さほど広くはないものの、きれいに整備されています。 平成6年(1994)に52階建ての超高層ビルとともに建てられたそうです。両脇にいるキツネさんも現代的な顔をしています。 江戸時代、この辺りには大名の下屋敷があり、春先には一面が銀世界のように梅の花の咲く名所だったそうです。それに因み、ここに鎮座した神社は「銀世界」という名がついているそうです。 ↑石の手水鉢もちゃんとあり、ビルとともに管理されていますから水も流れています。ところで、西新宿の銀世界といわれると、どこかで聞いたことがあるような気がしていました。家...

  • 富士塚のある三芳町上富の浅間神社と様々な名前の石碑

    埼玉県道56号さいたまふじみ野所沢線は、三芳町上富の辺りでは、特産品である「富の川越いも」を生産している農家が軒を連ねることから、「いも街道」と言われています。その三芳町の北端に近い道路沿いに、浅間神社があります。三芳町の設置した文化財の案内柱には、浅間神社と書かれています。社殿の中の社額には富士嶽神社と書かれていました。天保4年(1834)の勧請と伝えられています。この社殿の北側には富士塚があります。八軒家をはじめ近隣の富士講の人々により信仰されていました。↑山の中腹には、小室浅間神社という石碑があります。塚の高さは6メートルほどですが、かなりの急斜面で登山道もなく、上りはなんとか行けるものの、下りはかなり慎重に歩かなければなりません。...

  • 清瀬市下宿にあるのに上宮という名の上宮稲荷神社

    急に暖かくなり3月20日頃に一気に咲いた東京の桜は、その後に寒い日が続いたせいか、2週間経ったのに花がまだ咲いています。また、風に舞い散る花びらもキレイです。 清瀬市下宿の旭が丘交番交差点前のこの高台には神社があります。 鳥居には上宮稲荷神社と書かれています。東京都神社名鑑によると、鎮座地が下宿の上なので上宮稲荷と称せられているということです。 上、下という名は、川沿いや街道沿いにあるようですが、ここでは何をもって「上」なのでしょうか。近くには空堀川と合流した柳瀬川が流れていますが、清瀬市下宿という地域内でのこの位置から見れば、この神社のあるところは上流側になります。 それで上なのでしょうか。そう考えてみると、「下宿」というのも気になってきます。...

  • 富士見市にある関東に2つしかないという阿蘇神社は境内社が数多い

    埼玉県富士見市東大久保の道路を車で走っている時に、「鎮守阿蘇神社入口」という看板を見かけました。阿蘇神社とは珍しいなと立ち寄ってみました。 関東には、羽村市とここにしかないそうです。富士見市の観光パンフに、そのように書かれていました。松の木が立派だなと思い参道を進むと、手水舎の横にある境内社がいくつも並んでおり印象的でした。 神社の説明板には境内社の名として、八坂社、山神社、子安社、疱瘡社、稲荷社、琴平社と書かれています。阿蘇神社の祭神は阿蘇比女之命(アソヒノミコト)といい、女性の神です。 阿蘇神社という名から、阿蘇山が御神体なのかと思っていましたが、神武天皇の孫が神となる神話があるようです。そして、こちらの祭神は、そのストーリーにある健磐龍命の妃となります。 ↑拝殿と覆殿と隙間から見える本殿は趣があります。さらに、この参道の左にも鳥居があって、もう一本の参道が...

  • 練馬区で着実に進む石神井川の河川改修工事と桜の開花

    ここ数日はとても温かくなり、東京都内でも桜が咲き始め、一部は早くも満開です。春分の日に練馬区で見てみると、やはり桜が咲き始めていました。そうした中、夏のゲリラ豪雨や秋の台風に備えた石神井川の河川改修工事も着実に進んでいます。 ↑西武新宿線の上石神井駅と池袋線の大泉学園駅を結ぶバス通りである上石神井通りの「愛宕橋」から下流側は、川幅も20メートル程となり、ほぼ工事は完了しています。「あたご橋」というバス停名にもなっているこの橋は、しばらく前まで架け替え工事が行われていました。 ↑この上流が拡幅工事の前後の境となっています。鋼矢板による護岸はありますが、上流は川幅がかなり狭くなっています。 ↑この辺りも間もなく工事が行われるようで、ここ小ケ谷戸橋も3月末には通行止となるようです。このすぐ上流の新青梅街道の扇橋は、はるか高い位置を通っています。それにしても、道路の下にあん...

  • 茶畑の中のこんもり林にある三輪神社とそこにあった渋沢栄一書の記念碑

    入間市西部には「茶どころ通り」という道路もあるくらいで、広大な茶畑が広がっています。そうした茶畑の中に、こんもりとした林があります。 ↑埼玉県から「ふるさとの森」に指定されています。入間市三輪神社社叢ふるさとの森です。 ↑その名の通り、三輪神社の境内林になります。ここは地名も中神といいます。かつて琵琶を弾く翁と媼がいて、村人は国津神と敬い、村を中神村、ここを比和野と呼んだそうです。 承平6年(936)藤原秀郷が狩りの際に彼らに出会うと、宇賀彦、宇賀姫であるといわれ、ここに比和野大明神として社を建立したといいます。万次2年(1659)には三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社を勧請して、社号を三輪大明神と改めたそうです。 万延元年(1860)に拝殿を改築する時に書かれた天井絵は幅約6.1メートル、奥行き約3メートルの雲竜の墨絵で、入間市指定有形文化財となっています...

  • 朝霞市指定史跡らしく感じられない広沢の池とその水の出口と広沢観音

    東武東上線朝霞駅から600メートル程の距離を真っ直に南に向かうと「広沢の池」があります。京都にも同じ名前の有名な池があるようですが、こちらは朝霞市指定史跡となっています。 東西50メートル、南北25メートルで面積約1000平方メートルと、それほど大きくはありません。広沢の池の崖上には、かつては雑木林の広沢原が広がっており、それらの地下水が崖下に湧き出る湧水地です。 ↑確かに西側の朝霞中央公園の方から見ると、結構な高低差があることが分かり、建物2階の屋根しか見えません。江戸幕府により文政年間にまとめられた「新編武蔵風土記稿」にも記載があり、広沢の池の水が東に流れ、七ツ釜の水と合流して越戸川となり、灌漑用水として利用されていたといいます。 ↑池際には不動明王像があります。背中合わせにあるのは、池の横なので弁天様でしょうか。さらに西側の敷地には、広沢観音があります。 か...

  • 川越市古谷にあるのに古尾谷八幡神社という県指定文化財である神社と灌頂院

    JR埼京線というか正式には川越線の終点川越駅一つ手前には南古谷駅があります。地名も古谷本郷の、さらに古谷八幡通り沿いに「古尾谷八幡神社」はあります。古尾谷庄総鎮守であり、名称は古谷ではなく古尾谷といい、縣社にもなっていました。 隣りには広い駐車場もある大きな神社です。一ノ鳥居の先にはニノ鳥居、三ノ鳥居まで見えます。慈覚大師が石清水八幡宮の分霊を祀り、貞観4年(863)に創建したといい、この辺り古尾谷庄は石清水八幡宮の荘園だったそうです。 ↑ニノ鳥居は明和年間(1764〜1772)のもので、道を挟んである三ノ鳥居は慶長元年(1648)に建立されたものといいます。源頼朝や北条氏政、当地領主であった古尾谷氏などの崇敬を集め、天正19年(1591)には徳川家康から社領50石の御朱印状を拝領し、その寄進状は川越市指定文化財となっています。 ↑ちょっと左を見ると、境内に稲荷社もあ...

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