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風太郎のPな日々 http://futaro1980.blog.fc2.com/

昔の国鉄ローカル線、地方私鉄や最近のローカル線など、旅の写真と思い出で綴るブログです。

1980年代、「鉄道のある風景」を求めて全国を旅した風太郎が写真と文章で綴る、ローカル線紀行。バリ鉄ではありませんが、自然溢れる沿線や、出会った人々など、しばし「鉄路の叙情」を感じて頂ければ、と思っています。しばらく「鉄」から遠ざかっていましたが、最近復活、ローカル線の「今」も綴っています。その他自然風景、日々雑感諸々まで。なるべく頻繁に更新したいと思っています。よろしくお願いいたします。

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2011/12/18

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  • 人間の土地

    奈良原一高さんの写真集「人間の土地」のページをめくる。今では知らぬ人も珍しい長崎の端島(軍艦島)と桜島の火山灰の大地、に生きる人間の記録。1954年から1956年の撮影。 軍艦島の刻明な映像記録としてはおそらく初めてのものだろう。奈良原さんのあとがきによれば、所縁のあった九州各地を旅行中、23歳の一学生はこの被写体に偶然出会い、「思い立った者が行わなければならない」なる声を聴き、「はじめて自分のカメラを手に...

  • 匂う朝

    只見線 若宮 2017年始発列車までまだ1時間。地表を覆った朝靄が少しづつ空に消えてゆく。誰もいないホームに立ってそっと吸い込むのは、露に濡れた土と線路の赤錆、そしてやって来た実りの匂い。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...

  • 「たまゆら」写真展余聞 メモリアル

    ご来展者から本を頂いた。昭和24年生まれというからひと回りは年上の方なのだが、SNSで拙写真集の存在を知り、以来この写真展に期待されていたそうだ。賛辞を頂くと共に時代の記録について話は尽きなかった。その後の入院でベッドに伏せっていた時、カミさんが家に届いたと持ってきてくれたもので、若い看護師は不思議なものを見るような顔をしていたが。「撮り鉄60周年記念」のメモリアルに制作した私家本だそうだ。 高度成長...

  • 揺らめく翳

    島原鉄道 大三東 2016年ホームがかさ上げになり、それに応じて待合室も横断踏切の位置も変わったか。海と空は変わらない。 そして足許に揺らめく翳の濃さも。古い写真から紡ぐのみならず、その場所で今この時も生み出されている写真の物語。 島原鉄道 大三東 1982年 写真集 「旅のたまゆら 1981-1988」 「夏の光」より本日発売の「旅と鉄道」。フォト&エッセイ「旅のたまゆら 1981-1988」 連載第...

  • お囃子が聴こえる

    島原鉄道 大三東 1982年これは写真展ハガキ「天狗」のラストショットである。咄嗟に望遠レンズに付け替えて「その後」を追ったらしい。天狗と子供たちはホームを降り、線路敷を悠々と歩いて神社の境内に向かう。トップライトを受けて鳥居の前に白く光るものは夜店のビニール屋根である。急行列車が乾ききった砂埃を上げて通り過ぎる。夏祭りのお囃子とざわめきが聴こえてくるだろうか。夏空に。 以前の五十肩でも筋トレ...

  • ドゴール帽

    高千穂線 川水流 1988年オリンピック絡みでドゴール帽をしょっちゅう見せられると、つい思い出すのがこの夏のJR九州だ。1987年の分割民営化の際、同社の制帽として採用されたのがドゴール帽である。 あくまで俗称で、自由フランス軍のド・ゴール将軍のそれが大戦中やたら目立ったことから来る。近代軍隊の制服デザインの歴史というのは二大陸軍国とされたフランス系とドイツ系に大別されるそうだが、当初各国が真...

  • 連載始めます。

    「旅と鉄道」誌(隔月刊 イカロス出版)に連載を持つことになった。お題は「旅のたまゆら 1981-1988」。 そもそもいつまでこのネタで引っ張るつもりだと囁かれるものもあったし、写真集も出せば先日の写真展もやったのを機に区切りを付け、「次」に向かう腹積もりだった。しかし世の中はまだまだ広い。SNS上やご来展者とのお話を通じて、「知らなかった」という未開拓顧客層が多数存在することが分かってきたことに加え、編集部...

  • さざ波

    磐越西線 山都 2015年さざ波立つ川面は秋の訪れを告げるか。© 2011 風太郎のPな日々 All rights reservedにほんブログ村...

  • 歴戦のニコワン

    保険会社に送った悲惨な写真負傷事故の際持っていたのは、Nikon1V3 10-30mm F3.5-5.6VR付きである。落下した瞬間のカメラの様子は知る由もないが、多分オシャカと思ったし、そんなものを確認している余裕も無かったから、転がっていた奴をそのまま持ち帰り、被害状況を確認したのはひと月後の退院時である。まずバッテリー室の蓋が開いて、中のバッテリーはどこかに吹き飛び、バッテリーを押さえていた黄色いプラの留め金が...

  • 油照り

    鹿児島交通 撮影地不明 1982年「油照り」という俳句の季語を初めて知った。 そうかああいうのを言うのかと、遠い夏の日が蘇る。台風銀座にまた大きい奴が迫っていて、予兆の雲が空に広がっていた。真夏の烈日こそ無いものの、熱気が雲に蓋をされ地表に沈殿したか。風はない。 流れる汗というより体中の脂を絞られるような田舎道の果てに、また暑苦しい色の流線形が来るのだった。あの頃の南九州より今の東京の方が暑い...

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