静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「掛川藩の文化展・大庭松風(おおば しょうふう)の世界」を開催。大庭松風は、掛川藩下俣(しもまた)町の名主(庄屋)を代々務めた大庭家の9代目当主で、掛川藩の御用商人(ごようしょうにん)です。江戸
静岡県内の埋蔵文化財(遺跡古墳横穴窯跡経塚城跡砦陣屋)を探訪し地図付きで紹介。
旧石器、縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、江戸、明治、大正、昭和時代、原始古代中世近世の歴史、郷土史のサイト。 原則リンクフリーです。
江戸時代 曲亭馬琴,谷文晁の書簡、墨梅図の掛軸「掛川藩の文化展・大庭松風の世界」掛川市立中央図書館 (静岡県掛川市掛川1148-1)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「掛川藩の文化展・大庭松風(おおば しょうふう)の世界」を開催。大庭松風は、掛川藩下俣(しもまた)町の名主(庄屋)を代々務めた大庭家の9代目当主で、掛川藩の御用商人(ごようしょうにん)です。江戸
縄文時代後期,晩期の集落 平地式住居跡,集石墓,貯蔵穴 市指定史跡 清水天王山遺跡 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
縄文時代 前玉原遺跡、横穴式石室を有する円墳5基 ネット初公開 前玉原古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉下原)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の前玉原遺跡(さいたまはらいせき)は、前玉原と呼ばれる丘陵(標高約30~32m付近)上に所在する縄文時代の遺跡です。遺物は、石器(石鏃(せきぞく)、石錘(せきすい))、黒曜石(こくようせき)などが見つかっています。周辺には前玉原
弥生時代後期から古墳時代前期の集落・墓域 小深田西遺跡 (静岡県焼津市西小川(小川字小深田))
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西遺跡(こふかだにしいせき)は、大井川水系によって形成された沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。弥生時代後期後半(3世紀前半)から古墳時代前期初頭(3世紀後半)にかけて集落遺跡で、発掘調査では竪穴式
弥生時代中期から古墳時代初頭の集落,水田跡 南谷遺跡 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈誰政,南谷 宮内温屋団地の南)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
縄文時代中期(約4,000~5,000年前)・奈良時代(8世紀)の住居跡 鹿島遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済字西原 鹿島神社の東)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の鹿島遺跡(かしまいせき)は、鹿島神社の東側に所在。発掘調査では、縄文時代中期(約4,000~5,000年前)の住居跡2軒を検出し、縄文土器、石斧、黒曜石が出土。東南の部分と町道から境内に入る道の辺りからは、奈良時代(8世紀)の
弥生時代から中世,近世の複合遺跡 遠江国府跡 御殿・二之宮遺跡 御殿遺跡公園 (静岡県磐田市御殿・二之宮)
静岡県磐田市御殿(ごてん)・二之宮(にのみや)の御殿・二之宮遺跡(ごてん・にのみやいせき)は、磐田駅南側の南北約500m、東西約1100mの範囲の平野部(標高約2m)に広がる市内最大規模の遺跡です。北側は磐田原台地(いわたはらだいち)の南端で平坦面を形成する市街地化が進んだ
江戸時代 天明の大飢饉 民衆救済のため建立 市指定史跡 妙昌寺経塚 曹洞宗 海照山 妙昌寺 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江854⁻1)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
江戸時代? 一字一石経が出土 祖父ヶ谷経塚 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田伏方祖父ヶ谷)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
古墳時代(5世紀末~6世紀後半) 遠江最古級の須恵器,埴輪を焼いた窯 衛門坂古窯跡 (静岡県袋井市岡崎上区衛門坂)
静岡県袋井市岡崎(おかざき)の衛門坂古窯跡(えもんざかこようせき)は、古墳時代中期末~後期(5世紀末~6世紀後半)に遠江(静岡県西部)最古級の須恵器・埴輪(はにわ)を焼いた窯跡です。衛門坂古窯跡の埴輪は、市内の大門大塚古墳・貫名地B2号墳に使われました。発掘調査では
奈良・平安時代の土器を焼いた窯跡 静居寺裏古窯 (静岡県島田市伊太 静居寺北側の墓地)
静岡県島田市伊太(いた)の静居寺裏古窯(じょうこじうらこよう)は、奈良時代から平安時代にかけて土器を焼いた窯跡です。曹洞宗 青原山 静居寺(じょうこじ)裏側(北側)の歴代住職の無縫塔(むほうとう)が並ぶ墓地に、窯跡1基の一部が観察できます。静居寺は、室町時代末期(戦
江戸時代 一石一字経を納めた石塔を建立 町指定文化財 長源寺の経塚 曹洞宗 竜沢山 長源寺 (静岡県榛原郡吉田町神戸3592)
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の曹洞宗 竜沢山 長源寺(ちょうげんじ)には、町指定文化財 長源寺の経塚(ちょうげんじのきょうづか)があります。江戸時代の寛政10年(1798年)9月、遠江国榛原郡前玉(さいたま)村(現在の牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉)の本間代五郎が郷土
和鏡15面,太刀,白磁などが出土 西ノ平経塚 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿字御月山668)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿(との)の西ノ平経塚(にしのたいらきょうづか)は、中世(11世紀後半~16世紀後半)に土中へ経典(きょうてん)などを埋納した場所です。昭和5年(1930年)、前年に土採りした直径約4mの土盛りから和鏡(わきょう)15面、土器24点、鉄製品(太刀(
江戸時代(幕末頃?) 一字一石経を積み上げた 馬場平経塚 (静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下字馬場平 桑の山地区)
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
最古の東海道「東路」万葉の道 史跡 手児の呼坂 (静岡県静岡市駿河区丸子・向敷地)
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)・向敷地(むこうしきじ)の史跡 手児の呼坂(てこのよびさか)は、丸子から宗小路(そうこじ)を通って手越(てごし)へ抜ける峠道で、都から東国へ通じる最古の東海道「東路」(あずまじ)の一部です。現在では、ウォーキング・ハイキングコースとし
巨石の岩陰にお稲荷様を祀る 磐座信仰 巌室神社 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷新町1)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷新町(かなやしんまち)の巌室神社(いわむろじんじゃ)は、東海道金谷宿の氏神(うじかみ)です。鎌倉時代前期の正治元年(1199年)には、金山彦命(かなやまひこのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)・木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこ
今川義忠家臣 右近将監の夫人が創建した尼寺の大陽山 昌隆寺跡? 竜源寺跡 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野中西)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の竜源寺跡(りゅうげんじあと)は、戦国時代(室町時代)の尼寺 大陽山 昌隆寺跡だと推定されています。菊川市(旧小笠郡小笠町)の曹洞宗 磯部山 正林寺に伝わる『大樹の蔭』に、「上の原に一刹を建立す、大陽山 竜源寺是なり」と
市指定文化財 伝駿河国分寺の塔心礎 臨済宗 正覚山 菩提樹院 (静岡県静岡市葵区沓谷1344-4)
静岡県静岡市葵区沓谷(くつのや)の臨済宗 正覚山 菩提樹院(ぼだいじゅいん)には、市指定文化財「伝駿河国分寺の塔心礎(とうしんそ)」があります。寺院の塔の心礎(中央の柱の礎石)に用いられた石材です。江戸時代中期の明和8年(1771年)、駿府城代 武田越前守信村(たけだ え
江戸時代末期から昭和初期にかけて建築 市指定文化財 旧澤野医院(澤野医院記念館) (静岡県袋井市川井444-1)
静岡県袋井市川井(かわい)の市指定文化財 旧澤野医院(澤野医院記念館)は、江戸時代末期から昭和初期にかけて建築され澤野医院として使われた建物です。現在は、昔の病院の内部(レントゲン室、診察室、手術室、病室、居宅)が一般公開され資料館になっています。2007年6月に
日本初の郵便局 東海道 日坂宿 江戸時代末期の商家「藤文」 (静岡県掛川市日坂)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。商家「藤文」(ふじぶん)は、江戸時代末期(幕末)の万
県内最古の民間の図書館 県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館 (静岡県掛川市掛川1176)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の県指定文化財 淡山翁記念報徳図書館(たんざんおうきねんほうとくとしょかん)は、明治8年(1875年)設立の遠江国報徳社(明治44年(1924年)に大日本報徳社と改称) 2代目社長の岡田良一郎(淡山)の功績をたたえて、昭和2年(1927年)に建てられました。
大井川右岸の牧之原台地 縄文時代 沼伏神社遺跡 (静岡県島田市阪本沼伏)
静岡県島田市阪本(さかもと)の沼伏神社遺跡(ぬまぶしじんじゃいせき)は、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地にある縄文時代の遺跡です。土器、石器(打製石斧(だせいせきふ)、石錘(せきすい)など)、石器の材料として使用した黒曜石(こくようせき)・頁岩(けつがん)などが見つか
六角形の竪穴式住居跡 縄文時代中期の集落 東鎌塚原遺跡 (静岡県島田市湯日本村)
静岡県島田市湯日(ゆい)の東鎌塚原遺跡(ひがしかまつかばらいせき)は、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に営まれた縄文時代中期(約5,500~4,500年前)の集落遺跡です。牧ノ原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、標高約135~140mの遺跡の範囲(南北約900m、東西約500m)
珍しい家形土器が出土 弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉時代 鳥居松遺跡 (静岡県浜松市中央区森田町,神田町他)
静岡県浜松市中央区森田町(もりたちょう)・神田町(かみだまち)の鳥居松遺跡(とりいまついせき)は、弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉時代にかけての複合遺跡です。これまでの発掘調査では、弥生時代の集落・水田、奈良時代(8世紀)から鎌倉時代(13世紀)にかけての推定幅30m以上
木簡が出土 奈良時代から平安時代の古代東海道 曲金北遺跡 (静岡県静岡市駿河区曲金 JR東静岡駅南口~グランシップ北側周辺)
静岡県静岡市駿河区曲金(まがりかね)の曲金北遺跡(まがりかねきたいせき)は、奈良時代(8世紀初め頃)から平安時代前半(10世紀初め頃)の古代東海道です。平成6年(1994年)、JR東静岡駅南口の県立複合文化施設グランシップ建設に伴う発掘調査を実施。長さ約350mにわたって、両
鎌倉時代 区画溝で囲まれた掘立柱建物の屋敷跡 一反田遺跡 現地説明会 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土490)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)赤土(あかつち)の一反田遺跡(いったんだいせき)では、鎌倉時代の区画溝(くかくみぞ)で囲まれた掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)の屋敷跡が見つかりました。区画溝は幅約2m、深さ約0.6mのコの字形で、南北約30m、東西8m以上の規模。調査範囲
縄文,古墳,奈良,平安時代,中世,近世の複合遺跡 青木原遺跡 (静岡県島田市阪本)
静岡県島田市阪本(さかもと)の青木原遺跡(あおきばらいせき)は、大井川右岸の牧ノ原(牧之原)台地に所在する縄文,古墳,奈良,平安時代,中世,近世にかけての複合遺跡です。牧ノ原台地は、更新世(約258万年前~約1万年前)に大井川が上流から運んだ砂礫が隆起して形成された洪積
縄文,弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉,室町,江戸時代の複合遺跡 山王前遺跡 (静岡県島田市大草字山王前)
静岡県島田市大草(おおくさ)の山王前遺跡(さんのうまえいせき)は、大津谷川(おおつやがわ)と尾川(おがわ)の合流地点北側に位置する山王丘陵上と東側の裾部(南北約100m・東西約70mの範囲)に広がっています。縄文、弥生、古墳、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸時代の複合遺跡で
古墳時代(約1,500年前)の集落跡 焼失住居跡を発見 宮之腰遺跡 (静岡県焼津市焼津2丁目,4丁目)
静岡県焼津市焼津(やいづ)の宮之腰遺跡(みやのこしいせき)は、約1,500年前の古墳時代を中心とする集落跡です。遺跡は、焼津神社境内や焼津中学校周辺の広範囲におよんでいます。宮之腰遺跡 焼失住居跡(焼津中学校の案内板より)
古墳時代前期(4世紀後半)の方墳 弥生,古墳時代の集落,水田跡,祭祀跡 曲金C遺跡 (静岡県静岡市駿河区曲金2丁目)
静岡県静岡市駿河区曲金(まがりかね)2丁目の曲金C遺跡(まがりかねしーいせき)は、安倍川(あべかわ)が形成した扇状地(せんじょうち)の静岡平野中央部に立地する、弥生時代後期(1世紀)から古墳時代後期(6世紀前半)にかけての遺跡です。静岡市環境保健研究所の建設に伴う試掘
縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)の集落 馬平遺跡 (静岡県島田市阿知ヶ谷馬平)
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の馬平遺跡(まだいらいせき)は、縄文時代晩期(約3,300~2,800年前)を中心とする集落遺跡です。明治35年(1902年)頃、道路建設のため丘陵を開墾したところ、縄文時代の石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、石錐(いしきり、せきすい)、石剣(せっけん
弥生,古墳,奈良,平安,鎌倉時代の集落 中世の荘園 藤守遺跡 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)藤守,上小杉ほか)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)藤守(ふじもり)・上小杉(かみこすぎ)ほかの藤守遺跡(ふじもりいせき)は、駿河湾に面した大井川下流左岸の沖積微高地 志太(しだ)平野に立地し、東西約2.5㎞・南北約1㎞の範囲に広がっています。弥生時代、古墳時代末期(7世紀)~奈良時代(8世
旧石器,縄文,古墳時代,中世の複合遺跡 大乗寺遺跡 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷114 臨済宗妙心寺派 高部山 大乗寺周辺)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)草ヶ谷(くさがや)の大乗寺遺跡(だいじょうじいせき)は、縄文時代前期(7,000年前~5,500年前)後半を中心とする複合遺跡です。遺跡の範囲は、大乗寺平と呼ばれる東西約400m・南北約50mの台地東側にある臨済宗妙心寺派 高部山 大乗寺の境内周辺。
古墳時代前期 古式土師器が出土した崖 宮奥遺跡 (静岡県周智郡森町一宮(宮代)字神沢 小國神社の北)
静岡県周智郡森町一宮(宮代)(しゅうちぐん もりまち いちみや(みやしろ))の宮奥遺跡(みやおくいせき)は、遠江国一宮 小國神社(おくにじんじゃ、おぐにじんじゃ)境内を流れる宮川の遊歩道沿いに所在。平成8年(1996年)、土壌調査中に遊歩道で削られた崖から、古墳時代前期(3
弥生時代後期(3世紀頃) 湿地に営まれた遺跡 市指定史跡 白鬚遺跡 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝俣1903他)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝俣(かつまた)の市指定史跡 白鬚遺跡(しらひげいせき)は、秋葉山(標高約60m)山麓の勝間田川(かつまたがわ)下流右岸の湿地に営まれた弥生時代後期(3世紀頃)の遺跡です。秋葉山中腹にある古墳時代の白ヒゲⅡ遺跡と区別するため、白ヒゲⅠ遺跡
国内最多の短刀,折り曲げられた黒漆太刀,銅製経筒,経容器,和鏡などが出土 堂ヶ谷廃寺・堂ヶ谷経塚 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂口(さかぐち)の「堂ヶ谷廃寺・堂ヶ谷経塚(堂ヶ谷遺跡)」(どうがやはいじ・どうがやきょうづか(どうがやいせき))は、富士山静岡空港建設に伴う調査で見つかりました。平成17年(2005年)5月から平成19年(2007年)3月に、発掘調査を実施。富士
弥生時代の伝統を受け継いだ在地型古墳 古墳時代前期の方墳 倉見原古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部字倉見)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の倉見原古墳群(くらみはらこふんぐん)は、高根山(標高150m)を主峰とする丘陵に築かれた古墳4基(円墳、方墳)で構成。倉見原3号墳は、古墳時代前期(3世紀中頃~4世紀後半頃)に築かれた方墳で、弥生時代の墳墓(ふんぼ)である台状
弥生時代中期~後期の集落 ネット初公開 白岩遺跡 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂字八幡前)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)加茂(かも)の白岩遺跡(しらいわいせき)は、弥生時代中期(約2,500年~2,000年前)・後期(約1,900年~1,750年前)を中心とする集落遺跡です。菊川の支流 西方川(にしかたがわ)が形成した、自然堤防上の微高地(標高約19m)に立地。昭和22年(1947年)1
西国三十三所観音霊場札所巡りにならった巡礼コース 県立自然公園 大浜公園 (静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂8261-1)
静岡県掛川市(旧小笠郡大東町)大坂(おおさか)の県立自然公園 大浜公園(おおはまこうえん)には、西国三十三番(さいごくさんじゅうさんばん)観音巡りがあります。西國三十三所観音霊場札所巡り(京都府・大阪府・和歌山県・奈良県・兵庫県・滋賀県・岐阜県)にならった、ミニ巡
江戸時代 幕府に直訴して処刑 中条右近太夫の供養塔 井の宮神社 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)嶺田1-1)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)嶺田(みねだ)の井の宮神社(井之宮神社、井宮神社)には、江戸時代前期に嶺田用水建設を幕府に直訴(じきそ)した、中条右近太夫(ちゅうじょううこんだゆう)の供養塔があります。徳川家康ゆかりの用水建設計画であったため許可されましたが、寛永3
戦国時代 武田氏が築城? 龍眼山城跡 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波96-1,植松字龍眼 榛原公園)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)静波(しずなみ)の榛原公園(はいばらこうえん)は、龍眼山城跡(りゅうげんざんじょうあと)です。龍眼山(標高76m)の山頂付近に築かれた平山城(ひらやまじろ、ひらやまじょう)で、遺構は曲輪(くるわ)・土塁(どるい)・堀切(ほりきり)。戦国時代、
幕末の万延元年(1860年)に移転 旗本 久喜藩分家米津氏 平芝陣屋跡 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽字平芝)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)字平芝の平芝陣屋跡(ひらしばじんやあと)は、久喜藩(現在の埼玉県久喜市)分家米津氏の陣屋跡です。江戸時代前期の貞享元年(1684年)、初代久喜藩主 米津田盛(よねきつ ただもり)の長男 米津政武(よねきつ まさたけ)は、父の死去で
鎌倉時代 長沼五郎宗政の居城 長沼古城(長沼砦) (静岡県静岡市葵区長沼1丁目,沓谷 愛宕霊園)
静岡県静岡市葵区長沼(ながぬま)・沓谷(くつのや)の長沼古城(長沼砦)は、鎌倉時代に御家人 長沼五郎宗政の居城だったとされる場所です。愛宕霊園になっている観音山(茶臼山)山頂周辺に2~3段の曲輪と、西側の愛宕山砦(愛宕砦、長沼塁)との間に堀切が設けられていたと推測さ
田中城の裏門が移築された山門 浄土宗 光明山 悟真院 了善寺 (静岡県藤枝市天王町1-4-1)
静岡県藤枝市天王町(てんのうちょう)の浄土宗 光明山 悟真院 了善寺(こうみょうざん ごしんいん りょうぜんじ)は、室町時代(戦国時代)の文明18年(1486年)に遠江国見崎の海で引き揚げられた善導大師像を、この地に祀ったのが始まりです。江戸時代の天和2年(1682年)、14世霊
谷に掘られた2群8基の横穴墓 春日山横穴群 (静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草字馬場)
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)棚草(たなくさ)の春日山横穴群(かすがやまよこあなぐん)は、春日神社東側の谷に分布する2群8基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前
仏像が出土 奈良,平安,室町時代の山岳密教寺院 市指定史跡 岩室廃寺跡 (静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)岩室)
静岡県磐田市(旧磐田郡豊岡村)岩室(いわむろ)の市指定史跡 岩室廃寺跡(岩室廃寺遺跡)は、獅子ヶ鼻(ししがはな)公園周辺に所在する寺院跡です。奈良時代に小規模の山岳密教寺院が開かれ、平安時代には多くの堂宇が点在する岩室寺となりました。敷地川(しきじがわ)東岸の丘陵
平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀) 灰釉陶器,山茶碗,仏具,瓦を焼いた 皿山古窯跡群 (静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田)
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)和田(わだ)の皿山古窯跡群(さらやまこようせきぐん)は、平安時代末期から鎌倉時代(12~13世紀)にかけて、灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)・仏具(ぶつぐ)・瓦(かわら)などを焼いていた窯跡です。平成14年(2002年)の排水路建設
奈良,平安,鎌倉時代 須恵器,灰釉陶器,山茶碗を焼いた 助宗古窯跡群 (静岡県藤枝市助宗)
静岡県藤枝市助宗(すけむね)の助宗古窯跡群(すけむねこようせきぐん)は、奈良~平安時代に須恵器、平安~鎌倉時代には灰釉陶器(かいゆうとうき)・山茶碗(やまぢゃわん)を焼いていました。別名は助宗窯跡群で、山茶碗の窯跡としては東海地域最東端です。100基以上の窯跡が、
江戸時代 巡礼者が建立した廻國供養塔 臨済宗 不動山 善能寺(波切不動尊) (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江696)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江の臨済宗 不動山 善能寺(お不動さん、波切不動尊)は、安土桃山時代(戦国時代)の天正5年(1577年)2月に以震祖英が臨済宗 吸江山平田寺(へいでんじ)の末寺として開きました。江戸時代後期の嘉永7年11月4日(1854年12月23日)、震度7と推定さ
江戸時代に建立された西國(国)三十三番観世音菩薩 臨済宗妙心寺派 石脇山 宝積寺(寶積寺) (静岡県焼津市石脇下692)
静岡県焼津市石脇下(いしわきしも)の臨済宗妙心寺派 石脇山 宝積寺(いしわきさん ほうしゃくじ)は、平安時代頃に法華寺(焼津市花沢)の寺坊として海岸の小浜(おばま)に創建されました。高波で破壊されたため、室町時代の永享10年(1438年)に瑞然(ずいねん)和尚が現在地の近
薩埵山の戦いで討死した戦国武将の墓 日蓮宗 霊瑞山 本光寺 (静岡県静岡市清水区(旧庵原郡由比町)由比617)
静岡県静岡市清水区(旧庵原郡由比町)由比(ゆい)の日蓮宗 霊瑞山 本光寺は、鎌倉時代の元弘元年(1331年)に宗祖 日蓮大聖人の直弟子 白蓮阿闍梨日興(びゃくれんあじゃりにっこう)聖人が蒲原に開いた、硯水山 慶徳寺(けんすいざん けいとくじ)がはじまりです。戦国時代の永
今川義元公慰霊塔(墓),墨崎延命地蔵尊 臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院 (静岡県静岡市葵区大岩本町26-23)
静岡県静岡市葵区大岩本町(おおいわほんちょう)の臨済宗妙心寺派 花屋山 富春院(ふしゅんいん)には、今川義元公慰霊塔(今川義元の墓)があります。境内の地蔵堂は、今川義元ゆかりの伝説がある墨崎延命地蔵尊(高さ約80cm)を祀る駿河一国百地蔵尊 第52番札所です。今川義元公
江戸時代のオランダ貿易使節団 東インド会社商館長 ゲースベルト・ヘンミィの墓 浄土宗知恩院派 泉洞山 天然寺 (静岡県掛川市仁藤町5-5)
静岡県掛川市仁藤町(にとうちょう)の浄土宗知恩院派 泉洞山 天然寺(せんとうさん てんねんじ)には、東インド会社商館長 ゲースベルト・ヘンミィの墓があります。オランダ貿易使節団であるヘンミィの一行約70名は、江戸時代の寛政10年(1798年)はじめに長崎の出島を出発。寛
歌舞伎「白波五人男」のモデルになった盗賊 日本左衛門首塚 宅円庵 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東2丁目 大井川鉄道新金谷駅の南東)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷東(かなやあずま)2丁目の宅円庵(たくえんあん)には、日本左衛門首塚(にっぽん ざえもん くびつか)があります。日本左衛門(本名 濱島庄兵衛)は江戸時代中期の盗賊で、歌舞伎「白波五人男」(しらなみごにんおとこ)の日本駄右衛門のモデルに
清水次郎長の子分「遠州 森の石松の墓」遠州三十三観音霊場 第2番札所 曹洞宗 橘谷山 大洞院 (静岡県周智郡森町橘249)
静岡県周智郡森町橘(しゅうちぐん もりまち たちばな)の曹洞宗 橘谷山 大洞院(きっこくさん だいとういん)は、室町時代の応永18年(1411年)に恕仲禅師(じょちゅうぜんじ)が梅山禅師を開山として、第4代将軍 足利義持(あしかが よしもち)が寄進した荘園の場所に創建。全国に3
本多忠勝のひ孫 市指定文化財 遠江相良藩 初代藩主 本多忠晴の墓 (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津632-6 小堤山公園)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)波津(はづ)の小堤山公園(こづつみやまこうえん)には、市指定文化財の遠江相良藩 初代藩主・本多忠晴(ほんだ ただはる)の墓があります。本多忠晴は、徳川家康の重臣・本多忠勝(ほんだ ただかつ)のひ孫です。江戸時代中期の正徳3年(1713年)、
町指定文化財 天方城主3代の墓 天方氏の菩提寺 曹洞宗 松厳山 蔵雲院 (静岡県周智郡森町大鳥居540-1)
静岡県周智郡森町大鳥居(しゅうちぐん もりまち おおとりい)の曹洞宗 松厳山 蔵雲院(しょうがんざん ぞううんいん)には、町指定文化財 天方(あまがた)城主3代の墓があります。3基並んだ石塔の中央が、蔵雲院開基の天方郷18代地頭 天方山城守通季(あまがた やましろのかみ
鎌倉時代の武将 梶原景時の三男 梶原景茂を討ち取った 吉川友兼の墓 「吉川氏の墳墓」 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)吉川(きっかわ)の吉川氏館跡(きっかわしやかたあと)は、鎌倉幕府御家人 吉川氏の居館跡(きょかんあと)です。平安時代末期の寿永2年(1183年)頃、源頼朝から駿河国吉河荘を所領として与えられた豪族 入江(いりえ)氏が地名の吉河(吉川、吉香)を名
平安時代 後白河天皇の勅使が自害した伝説 勅使塚 (静岡県袋井市豊沢2410-31)
静岡県袋井市豊沢(とよさわ)の勅使塚(ちょくしづか)は、平安時代に後白河天皇(ごしらかわてんのう、在位 久寿2年7月24日(1155年8月23日)~保元3年8月11日(1158年9月5日))の勅使(使者)が埋葬されたという伝説の地です。決められた日の夜明け前に、法多山へ参拝するよう命じ
江戸時代 領民に慕われた波津陣屋代官 小島焦園の墓 波切不動尊(臨済宗 不動山 善能寺) (静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江696)
静岡県牧之原市(旧榛原郡相良町)大江(おおえ)の臨済宗 不動山 善能寺(お不動さん、波切不動尊)には、江戸時代後期に一橋領の遠江国 波津(はづ)陣屋(相良御役所)代官を務めた小島源一焦園(こじま げんいち しょうえん)の墓があります。文政6年2月12日(1823年3月24日)、小島
戦国時代 徳川家康の正室 旭姫(朝日姫)の墓所 曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺 (静岡県静岡市葵区井宮町48)
静岡県静岡市葵区井宮町(いのみやちょう)の曹洞宗 泰雲山 瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、室町時代末期(戦国時代)の永禄3年(1560年)に曹洞宗 大森山 長源院(静岡市葵区沓谷)5世 能屋梵藝(のうおくぼんげい)大和尚が開創。豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の異父妹(いふまい)で、徳川
江戸時代 全国の社寺を巡礼した六十六部の記念碑 廻国供養塔 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)下小杉(しもこすぎ)の廻国供養塔(かいこくくようとう)は、江戸時代に全国の社寺を参拝する六十六部(ろくじゅうろくぶ)廻国巡礼を行なった巡礼者が建立した巡礼(順禮)塔です。宝永6年2月19日(1709年3月29日)、遠江国(遠州)榛原郡下小杉村の横
古墳時代前期(4世紀後半頃) 三角縁神獣鏡が出土した前方後円墳 連福寺古墳 (静岡県磐田市二之宮字大道東1262 臨済宗妙心寺派 龍池山 連福寺)
静岡県磐田市二之宮(にのみや)の連福寺古墳(れんぷくじこふん)は、臨済宗妙心寺派 龍池山 連福寺の本堂付近にあったと考えられる古墳時代前期(4世紀後半頃)の前方後円墳です。全長50m以上・後円部直径約50mの規模で、前方部が西向きと推定されています。昭和5年(1930年)の
古墳時代中期(5世紀前半頃) 直径約36mの円墳 県指定史跡 土器塚古墳 (静岡県磐田市国府台(中泉(西新町)字八幡前))
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の県指定史跡 土器塚古墳(かわらけづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築かれた円墳です。直径約36m、高さ約5mの規模で、墳丘に埴輪(はにわ)は無し。墳丘の外側には、幅約7mの周溝(しゅうこう)が巡っています。東西方向長さ7~8m、
茶畑の前方後円墳? 貫名地A3号墳 ネット初公開 貫名地A古墳群 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の貫名地A古墳群(ぬきなじえーこふんぐん)は、6基(5基?)の古墳で構成。残存している古墳は、前方後円墳または円墳の貫名地A3号墳(ぬきなじえーさんごーふん)だけです。貫名地A古墳群
古墳時代中期(5世紀頃)の円墳3基 観音山古墳群(五ヶ山C古墳群) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽・浅名)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)・浅名(あさな)の観音山古墳群は、古墳時代中期(5世紀頃)の築造と考えられる円墳3基で構成。別名は五ヶ山C古墳群(ごかやましーこふんぐん)で、古墳4基とする文献もあります。岩松寺観音堂南側の、五ヶ山(ごかやま)と呼ばれる丘陵
山林の中の円墳 ネット初公開 貫名地C古墳群(平芝古墳) (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)浅羽(あさば)の貫名地C古墳群(ぬきなじしーこふんぐん)は、茶園が広がる地域の山林の中にあります。貫名地C古墳群は、貫名地C1号墳(平芝古墳)の1基だけです。南側に貫名地A古墳群と貫名地B古墳群、東側には貫名地D古墳群が分布しています。貫
弥生時代の山畑遺跡、5基の円墳 ネット初公開 山畑古墳群 (静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井字山畑 諸井共同墓地)
静岡県袋井市(旧磐田郡浅羽町)諸井(もろい)の山畑古墳群(やまはたこふんぐん)は、諸井共同墓地内の円墳5基で構成されています。この周辺は弥生時代の山畑遺跡で、古くから人々に利用されてきた土地です。山畑古墳群
サツマイモ栽培を広めた大澤権右衛門 市指定文化財 供養塔(宝篋印塔),いもじいさんの碑 曹洞宗 大澤山 海福寺 (静岡県御前崎市(旧榛原郡御前崎町)御前崎4434)
静岡県御前崎市(旧榛原郡御前崎町)御前崎(おまえざき)の曹洞宗 大澤山 海福寺(かいふくじ)には、市指定文化財 大澤権右衛門 供養塔と「いもじいさんの碑」があります。江戸時代中期の明和3年(1766年)春、遠州灘(えんしゅうなだ)の御前崎沖を航行していた薩摩藩(さつまはん
古墳時代終末期・奈良時代の横穴墓 石田横穴群 (静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋605 臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺)
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)門屋(かどや)の石田横穴群(いしだよこあなぐん)は、臨済宗妙心寺派 天寿山 長永寺周辺の丘陵に築かれた横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)2基で構成。静岡県内に分布する約3,000基の横穴墓は、古墳時代後期末(6世紀末頃)から古墳時代終末期前半
石棒,石剣,石冠が出土 縄文時代前期~晩期の集落 下開戸遺跡 (静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉468‐3 大井川鉄道 井川線 奥泉駅前広場)
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)奥泉(おくいずみ)にある大井川鉄道 井川線 奥泉駅の駅前広場周辺は、縄文時代を中心とする下開戸遺跡(したのかいといせき、しもかいといせき)です。縄文時代前期~晩期(約6,000~2,300年前)と、平安時代~江戸時代(約800~300年前)の遺物
縄文時代晩期の遮光器土偶が出土 縄文時代早期~弥生時代初頭 上長尾遺跡 (静岡県榛原郡川根本町上長尾1000 川根本町立中央小学校)
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の上長尾遺跡(かみながおいせき)は、大井川中流域の一番低い河岸段丘(大井川から10m程の高さ)に位置する、縄文時代早期から弥生時代初頭の遺跡です。昭和27年(1952年)、島田高等
土器,石器,黒曜石などが見つかった 縄文時代後期~弥生時代前期 大島遺跡 (静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)東藤川大島)
静岡県榛原郡川根本町(旧本川根町)東藤川(ひがしふじかわ)の大島遺跡(おおしまいせき)は、大井川左岸の一番低い河岸段丘(大井川の水面から約10mの高さ)に位置する、縄文時代後期(約4,500年前~3,000年前)から弥生時代前期(約2,500年前~2,000年前)の遺跡です。縄文土器(縄
後醍醐天皇の首塚伝説 室町時代頃の短刀が出土 天王原墳丘墓 (静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(梅島)字天王原)
静岡県榛原郡川根本町(旧榛原郡中川根町)上長尾(はいばらぐん かわねほんちょう かみながお)の天王原墳丘墓(てんのうばらふんきゅうぼ)は、中世(平安時代後期・院政期(11世紀後半)から戦国時代(16世紀後半)まで)の築造と考えられる墳丘墓です。墳丘は南北に長い楕円形で、
太平洋戦争中に掘られた 掛川古城の防空壕5基 (静岡県掛川市掛川1104 龍華院子角山公園)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の龍華院子角山(りゅうげいんねずみやま)公園周辺は、室町時代(戦国時代)の文明5年(1473年)頃に、守護大名 今川義忠(いまがわ よしただ)の家臣 朝比奈泰熙(あさひな やすひろ)が築いたとされる掛川古城(かけがわこじょう)です。掛川古城本丸東側
歌舞伎役者 三代目尾上菊五郎の墓所 真宗大谷派 福田山 広楽寺 (静岡県掛川市中央2-8-1)
静岡県掛川市中央(ちゅうおう)の真宗大谷派 福田山 広楽寺(廣樂寺)には、歌舞伎役者 三代目 尾上菊五郎(おのえ きくごろう)の墓があります。江戸時代後期の嘉永2年4月24日(1849年5月16日)、三代目 尾上菊五郎は興行のため滞在していた掛川宿 中町の捻金屋治右衛門方で病死
装飾大刀,銅鏡,金銅装馬具などが出土した古墳11基 高根森古墳群 (静岡県島田市阪本字色尾)
静岡県島田市阪本(さかもと)の高根森古墳群(たかねもりこふんぐん)は、古墳11基以上で構成されています。高根森2号墳は、古墳時代後期(6世紀末)に築かれた疑似両袖式(ぎじりょうそでしき)の横穴式石室を有する円墳。大正4年(1915年)3月、装飾大刀(そうしょくたち)・金銅装
古墳時代後期後半(6世紀後半頃~7世紀初頭頃) 横穴式石室を有する円墳 市指定史跡 横岡宮の段古墳 (静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡字宮之段)
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)横岡(よこおか)の「横岡宮の段古墳群」(よこおかみやのだんこふんぐん)は、大井川右岸の河岸段丘「宮の段」に分布する古墳3基(4基?)で構成。市指定史跡 横岡宮の段古墳(横岡宮の段1号墳、宮ノ段古墳)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃~7世紀
太平洋戦争 戦没者の遺品・遺書などの資料を展示公開 静岡懸護国神社 遺品館 (静岡県静岡市葵区柚木366)
静岡県静岡市葵区柚木(ゆのき)の静岡懸護国神社(しずおかけんごこくじんじゃ)は、明治32年(1899年)11月13日に共祭招魂社として創建されました。昭和14年(1939年)に静岡懸護国神社と改称し、昭和17年(1942年)に静岡市北番町から現在地へ遷座。静岡懸護国神社には、明治維新
市指定文化財 移築された掛川城主の茶室 東海道日坂宿 旅籠「川坂屋」 (静岡県掛川市日坂149‐1)
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。江戸時代の旅籠(はたご)「川坂屋」(かわざかや)には、移築された掛川城主 太田候の茶室が現存しています。この茶室は、江戸時代後期の文化2年(1805年)に掛
第14代将軍 徳川家茂,明治天皇が休息 東海道岡部宿 内野本陣史跡広場 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部831)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)は、東海道五十三次の品川宿から数えて21番目の岡部宿(おかべしゅく)が整備されました。内野本陣(うちのほんじん)は、江戸時代に参勤交代の大名・旗本などが宿泊。江戸幕府第14代将軍 徳川家茂(とくがわ いえもち)や明治天
平安時代(11世紀前半) 灰釉陶器,碗,瓦を焼いた窯跡 新池古窯跡群 (静岡県浜松市浜名区(旧浜北市)宮口)
静岡県浜松市浜名区(旧浜北市)宮口(みやぐち)の新池古窯跡群(しんいけこようせきぐん)は、農業用ため池「新池」のほとりにある窯跡です。平安時代(11世紀前半)に、灰釉陶器(かいゆうとうき)・碗(わん)・瓦(かわら)を焼いていました。新池古窯跡群は、周辺にある奈良時代か
古墳時代中期後半 埴輪を焼いた窯跡 京見塚古墳群 埴輪窯 (静岡県磐田市国府台653-1 京見塚公園)
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん) 埴輪窯(はにわかま)は、古墳時代中期後半(5世紀中頃)に埴輪を焼いた窯跡です。東海地方で初めて見つかった埴輪専用窯で、京見塚古墳北側にある周溝(しゅうこう)の外堤部(がいていぶ)に2基築かれてい
遠州七不思議 陰陽師 安倍晴明が祈祷した伝説 市指定史跡 晴明塚 (静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)大渕3901-2 浜地内)
静岡県掛川市(旧小笠郡大須賀町)大渕(おおぶち)には、遠州七不思議(えんしゅうななふしぎ)のひとつの市指定史跡「晴明塚」(せいめいづか)があります。遠州七不思議とは、遠州地方(静岡県西部の遠江国)に伝わる不思議な伝説・物語のことです。伝説によれば、平安時代の陰陽
東海道一の大親分 清水次郎長が埋葬した咸臨丸乗組員 壮士の墓 (静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町1)
静岡県静岡市清水区(旧清水市)築地町(つきじちょう)の市指定文化財 壮士の墓(そうしのはか)は、東海道一の大親分といわれた清水次郎長(しみずのじろちょう)が埋葬した、咸臨丸(かんりんまる)乗組員の墓です。明治元年8月19日(1868年10月4日)、江戸幕府海軍副総裁 榎本武揚(
戦国時代 武田家家臣 笹田源吾供養塔 曹洞宗 那智山 長命寺 (静岡県袋井市木原1)
静岡県袋井市木原(きわら)の曹洞宗 那智山 長命寺(ちょうめいじ)は、室町時代後期(戦国時代)の天文元年(1532年)9月に海蔵寺(袋井市堀越)8世 日山天恵和尚が開山。長命寺の境内には、戦国時代の武将 笹田源吾(ささだ げんご)の供養塔があります。安土桃山時代(戦国時代)の天
江戸時代後期 『駿河大地誌』撰者 河野通世の墓碑 市指定文化財 河野蓀園碑文 十石坂観音堂 (静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部)
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)岡部(おかべ)の十石坂観音堂(じっこくざかかんのんどう)には、市指定文化財の河野蓀園碑文(こうの そんえん ひぶん)があります。江戸時代後期の文化8年(1811年)3月、駿府町奉行 服部久右門貞勝(はっとり きゅうえもん さだかつ)が『駿河
静岡県最多7万609枚の埋蔵銭(古銭)出土地 大門遺跡 (静岡県周智郡森町森字西ノ海戸)
静岡県周智郡森町森(しゅうちぐん もりまち もり)の大門遺跡(だいもんいせき)は、静岡県内最多7万609枚の中世備蓄銭(埋蔵銭)が出土しています。昭和60年(1985年)、大門東(森高校の西側)土地区画整理事業で、地元小学生が廃土の中から約50枚の古銭を発見。この時には、正確
単独で築かれた謎の円墳 八王子神社古墳 (静岡県掛川市富部282 八王子神社)
静岡県掛川市富部(とんべ)の八王子神社古墳(はちおうじじんじゃこふん)は、八王子神社裏の丘陵に築かれた円墳です。直径約10mの円墳のようですが、全体が古墳なら直径約20mの円墳に見えます。未調査なのか、詳細不明の古墳です。八王子神社古墳
市指定文化財 掛川城 蕗の門 円満寺 山門 (静岡県掛川市掛川459)
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の円満寺 山門は、徳川家康・山内一豊ゆかりの掛川城にあった四脚門の「蕗の門」(ふきのもん)です。「蕗の門」は、掛川城東側の内堀(蓮池)のほとりに建てられていました。明治5年(1872年)、廃城となり競売にかけられた「蕗の門」を円満寺が買い
江戸時代に耕地整理を実施した豪農 河守宗太夫(惣太夫)秀延の墓 市指定史跡 百ヶ間地田跡 (静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)上新田829-3 桜井医院付近)
静岡県焼津市(旧志太郡大井川町)上新田(かみしんでん)の市指定史跡 百ヶ間地田跡(ひゃっかまちだあと)は、江戸時代前期の寛文年間(1661~1672年)に耕地整理が行なわれた場所です。豪農であった河守家3代目の河守宗太夫(惣太夫)秀延が、屋敷前の所有地(現在の桜井医院付近)
戦国時代 徳川家康の陣跡 旗指の権現森 (静岡県島田市旗指)
静岡県島田市旗指(はっさし)の史跡 権現森(ごんげんもり)は、徳川家康ゆかりの地です。 室町時代末期(戦国時代)の永禄11年(1568年)12月、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄(たけだ しんげん)が今川氏真(いまがわ うじざね)の領国 駿河(静岡県中部)へ侵攻。今川氏領国のうち
江戸時代の古銭が出土 御陣屋稲荷神社 島田代官所跡(御陣屋遺跡) (静岡県島田市柳町・本通4丁目)
静岡県島田市柳町(やなぎまち)・本通(ほんとおり)4丁目の島田市民会館南側のおび通り周辺は、江戸時代の島田代官所跡(しまだだいかんしょあと)です。御陣屋遺跡(ごじんやいせき)とも呼ばれます。江戸時代前期の元和2年(1616年)、東海道 島田宿と周辺地の天領(てんりょう、
古墳時代後期(6世紀)以降 横穴式石室を有する円墳 飯室山古墳群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江3538 飯室乃神社)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の飯室山古墳群(いいむろやまこふんぐん)は、飯室乃神社(いいむろのじんじゃ)境内に分布する円墳4基で構成。古墳時代後期(6世紀)以降の築造と考えられ、少なくとも3基の古墳は横穴式石室が見つかっています。神社の踏み石は、石
戦国時代 徳川軍に敗れた武田兵の墓? 坂部の中世石塔群 (静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部 加茂神社の裏山)
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)には、謎の中世石塔群(ちゅうせいせきとうぐん)があります。昭和53年(1978年)秋、加茂神社裏山で農道建設のため草ボタを掘り起こしました。五輪塔(ごりんとう)20基余りが掘り出され、遺骨が1つの甕(かめ)に8分目くらいと小蓑に
磐田原台地西縁辺上に築かれた円墳22基 ネット初公開 馬坂上古墳群 (静岡県磐田市匂坂上)
静岡県磐田市匂坂上(さぎさかかみ)の馬坂上古墳群(うまさかかみこふんぐん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)西縁辺上に分布する22基の小円墳で構成。天竜川左岸(東岸)の磐田原台地には、古墳時代に多数の古墳が築かれました。茶園開墾・道路建設・土採り工事などで古墳が
奈良時代 官衙跡(役所跡)または豪族の居館跡 県指定史跡 長者屋敷遺跡 (静岡県磐田市寺谷字長者屋敷)
静岡県磐田市寺谷(てらだに)の県指定史跡 長者屋敷遺跡(ちょうじゃやしきいせき)は、磐田原台地(いわたはらだいち)の標高85~88m付近に所在する謎の遺跡です。飛鳥時代(古墳時代終末期)から奈良時代(7~8世紀)の、豪族(有力者)の居館跡(きょかんあと)または官衙跡(かんがあ
縄文時代の竪穴式住居跡 弥生時代の土器棺墓,土坑墓 新豊院山遺跡 (静岡県磐田市向笠竹之内字新豊院山)
静岡県磐田市向笠(むかさ)の新豊院山遺跡(しんぽういんやまいせき)A~D地点は、曹洞宗 鷲渓山 新豊院の北・南・西側の丘陵尾根に立地しています。発掘調査では、縄文時代の竪穴式住居跡(たてあなしきじゅうきょあと)、弥生時代の土器棺墓(どきかんぼ)・土坑墓(どこうぼ)・
横穴式石室を有する円墳? ネット初公開 地蔵山古墳 (静岡県島田市阿知ヶ谷字地蔵山)
静岡県島田市阿知ヶ谷(あちがや)の地蔵山古墳(じぞうやまこふん)は、阿知ヶ谷アルプス・ハイキングコースの地蔵山山頂(標高約183m)付近に所在する円墳です。山頂から少し下った緩斜面に、石室材らしき砂岩が露出。古墳時代後期(6世紀)以降に築かれた、横穴式石室を有する古
古墳時代後期(6世紀) 横穴式石室を有する円墳15基? 鵜田古墳群 (静岡県島田市野田北ノ谷他)
静岡県島田市野田(のだ)の鵜田古墳群(うだこふんぐん)は、野田山(標高143.3m)東裾部の舌状台地に分布する古墳15基で構成された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳時代後期(6世紀代)に築造された、主体部(埋葬施設)が横穴式石室の円墳だと考えられています。島田市大津地区(
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静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、「掛川藩の文化展・大庭松風(おおば しょうふう)の世界」を開催。大庭松風は、掛川藩下俣(しもまた)町の名主(庄屋)を代々務めた大庭家の9代目当主で、掛川藩の御用商人(ごようしょうにん)です。江戸
静岡県静岡市清水区(旧清水市)宮加三(みやかみ)の市指定史跡 清水天王山遺跡(しみずてんのうざんいせき)は、縄文時代から古墳時代にかけての複合遺跡です。縄文時代後期・晩期の集落で、発掘調査では平地式住居跡3軒、集石墓、貯蔵穴などが見つかっています。静岡県中部を
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部(さかべ)の前玉原遺跡(さいたまはらいせき)は、前玉原と呼ばれる丘陵(標高約30~32m付近)上に所在する縄文時代の遺跡です。遺物は、石器(石鏃(せきぞく)、石錘(せきすい))、黒曜石(こくようせき)などが見つかっています。周辺には前玉原
静岡県焼津市西小川(小川字小深田)の小深田西遺跡(こふかだにしいせき)は、大井川水系によって形成された沖積地(大井川平野)の小川(こがわ)微高地上(標高約3m)に立地。弥生時代後期後半(3世紀前半)から古墳時代前期初頭(3世紀後半)にかけて集落遺跡で、発掘調査では竪穴式
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)下朝比奈(しもあさひな)誰政・南谷の南谷遺跡(みなみやいせき)は、弥生時代中期から古墳時代初頭を中心とする集落遺跡です。発掘調査では、弥生時代から江戸時代までの竪穴系平地式住居跡(たてあなけいへいちしきじゅうきょあと)・掘建柱建
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)半済(はんせい)の鹿島遺跡(かしまいせき)は、鹿島神社の東側に所在。発掘調査では、縄文時代中期(約4,000~5,000年前)の住居跡2軒を検出し、縄文土器、石斧、黒曜石が出土。東南の部分と町道から境内に入る道の辺りからは、奈良時代(8世紀)の
静岡県磐田市御殿(ごてん)・二之宮(にのみや)の御殿・二之宮遺跡(ごてん・にのみやいせき)は、磐田駅南側の南北約500m、東西約1100mの範囲の平野部(標高約2m)に広がる市内最大規模の遺跡です。北側は磐田原台地(いわたはらだいち)の南端で平坦面を形成する市街地化が進んだ
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)細江(ほそえ)の市指定史跡 妙昌寺経塚(みょうしょうじきょうづか)は、曹洞宗 海照山 妙昌寺境内に建立されています。別名は青池経塚。安土桃山時代の天正10年(1582年)、曹洞宗 日照山 円成寺(牧之原市細江)6世 伝室全鏡がこの地へ隠居した
静岡県牧之原市(旧榛原郡榛原町)勝田(かつた)の祖父ヶ谷経塚(そふがやきょうづか)は、近世(江戸時代)の築造だと推測される経塚です。お経を扁平(へんぺい)な河原石に一文字づつ墨書(ぼくしょ)した、一字一石経(いちじいっせききょう)が出土。天災・飢饉(ききん)・疫病(えき
静岡県袋井市岡崎(おかざき)の衛門坂古窯跡(えもんざかこようせき)は、古墳時代中期末~後期(5世紀末~6世紀後半)に遠江(静岡県西部)最古級の須恵器・埴輪(はにわ)を焼いた窯跡です。衛門坂古窯跡の埴輪は、市内の大門大塚古墳・貫名地B2号墳に使われました。発掘調査では
静岡県島田市伊太(いた)の静居寺裏古窯(じょうこじうらこよう)は、奈良時代から平安時代にかけて土器を焼いた窯跡です。曹洞宗 青原山 静居寺(じょうこじ)裏側(北側)の歴代住職の無縫塔(むほうとう)が並ぶ墓地に、窯跡1基の一部が観察できます。静居寺は、室町時代末期(戦
静岡県榛原郡吉田町神戸(かんど)の曹洞宗 竜沢山 長源寺(ちょうげんじ)には、町指定文化財 長源寺の経塚(ちょうげんじのきょうづか)があります。江戸時代の寛政10年(1798年)9月、遠江国榛原郡前玉(さいたま)村(現在の牧之原市(旧榛原郡榛原町)坂部前玉)の本間代五郎が郷土
静岡県藤枝市岡部町(旧志太郡岡部町)殿(との)の西ノ平経塚(にしのたいらきょうづか)は、中世(11世紀後半~16世紀後半)に土中へ経典(きょうてん)などを埋納した場所です。昭和5年(1930年)、前年に土採りした直径約4mの土盛りから和鏡(わきょう)15面、土器24点、鉄製品(太刀(
静岡県島田市川根町(旧榛原郡川根町)笹間下(ささましも)の馬場平経塚(ばばだいらきょうづか)は、昭和60年(1985年)の道路建設の際に発見されました。24,520個の扁平(へんぺい)な河原石の経石(きょういし、きょうせき)が出土し、そのうちの10,086個の石に墨書(ぼくしょ)され
静岡県静岡市駿河区丸子(まりこ)・向敷地(むこうしきじ)の史跡 手児の呼坂(てこのよびさか)は、丸子から宗小路(そうこじ)を通って手越(てごし)へ抜ける峠道で、都から東国へ通じる最古の東海道「東路」(あずまじ)の一部です。現在では、ウォーキング・ハイキングコースとし
静岡県島田市(旧榛原郡金谷町)金谷新町(かなやしんまち)の巌室神社(いわむろじんじゃ)は、東海道金谷宿の氏神(うじかみ)です。鎌倉時代前期の正治元年(1199年)には、金山彦命(かなやまひこのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)・木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこ
静岡県御前崎市(旧小笠郡浜岡町)新野(にいの)の竜源寺跡(りゅうげんじあと)は、戦国時代(室町時代)の尼寺 大陽山 昌隆寺跡だと推定されています。菊川市(旧小笠郡小笠町)の曹洞宗 磯部山 正林寺に伝わる『大樹の蔭』に、「上の原に一刹を建立す、大陽山 竜源寺是なり」と
静岡県静岡市葵区沓谷(くつのや)の臨済宗 正覚山 菩提樹院(ぼだいじゅいん)には、市指定文化財「伝駿河国分寺の塔心礎(とうしんそ)」があります。寺院の塔の心礎(中央の柱の礎石)に用いられた石材です。江戸時代中期の明和8年(1771年)、駿府城代 武田越前守信村(たけだ え
静岡県袋井市川井(かわい)の市指定文化財 旧澤野医院(澤野医院記念館)は、江戸時代末期から昭和初期にかけて建築され澤野医院として使われた建物です。現在は、昔の病院の内部(レントゲン室、診察室、手術室、病室、居宅)が一般公開され資料館になっています。2007年6月に
静岡県掛川市日坂(にっさか)は、江戸時代に東海道五十三次の25番目の宿場 日坂宿(にっさかしゅく)が整備されました。現存する江戸時代の旅籠(はたご)や商家などは一般公開され、ウォーキングコースとして人気があります。商家「藤文」(ふじぶん)は、江戸時代末期(幕末)の万
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)下内田(しもうちだ)の国指定史跡 高田大屋敷遺跡(たかだおおやしきいせき)は、周囲に土塁(南北93m、東西70m)を巡らせた中世の方形居館跡(ほうけいきょかんあと)です。上小笠川右岸の、沖積平野の自然堤防上(標高約11m)に立地。上小笠川の水運
静岡県掛川市掛川(かけがわ)の掛川市立中央図書館 1階生涯学習ホールで、企画展『掛川三城ものがたり展』を開催。掛川市内の掛川城(かけがわじょう)、高天神城(たかてんじんじょう)、横須賀城(よこすかじょう)のジオラマ模型・出土品などの資料を展示した企画展です。企画
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳群(きょうみづかこふんぐん)は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃)から終末期(7世紀後半頃)に磐田原台地の西縁部へ築造された群集墳(ぐんしゅうふん)です。古墳13基(文献によっては14基)のうち、1基は調査前に消滅していました。京
静岡県島田市野田(のだ)の真言宗泉涌寺派 天正山 鵜田寺(うだじ)は、奈良時代の天平宝字2年(758年)に大井川で拾った薬師如来を安置したのが始まりと伝えられる市内最古の寺です。病気平癒・眼病平癒に御利益があるという本尊 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞ
静岡県島田市阪本(さかもと)の谷口原古墳群(やぐちばらこふんぐん)は、牧之原(牧ノ原)台地の東端に築かれた、古墳時代後期(6世紀中頃)から終末期(7世紀)の群集墳です。牧之原台地は東洋最大の茶園が広がるお茶の産地で、谷口原古墳群の20基以上(200基説もあり)あった古墳の
静岡県菊川市(旧小笠郡菊川町)中内田(なかうちだ)の杉森横穴群(すぎもりよこあなぐん)は、丘陵斜面に掘られた36基または37基の横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)で構成されています。別名は「内田の横穴」です。静岡県内には、約3,000基の横穴墓が分布。菊川市の横穴墓は、古
静岡県菊川市(旧小笠郡小笠町)大石(おおいし)の興勝寺横穴群(こうしょうじよこあなぐん)は、丘陵の南向きの崖に穴を掘り死者を埋葬した横穴墓(よこあなぼ、おうけつぼ)です。興勝寺1号横穴からは、須恵器が出土しています。静岡県内には約3,000基の横穴墓が分布しており、
静岡県磐田市国府台(こうのだい)の京見塚古墳(きょうみづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀中頃)の築造と推定される円墳です。規模は墳丘基底径47m、周溝(しゅうこう)底面からの高さ8.7m、周溝の幅9m。墳丘は2段築成で、上段墳丘裾から段築平面にかけて葺石(ふきいし)が見つ
静岡県磐田市三ケ野(みかの)の大日堂古墳(だいにちどうこふん)は、磐田原台地(いわたはらだいち)東端(標高約38m)の、東海道 三ケ野坂に所在する円墳です。円墳の墳丘には、大日如来(だいにちにょらい)を祀る大日堂が建てられています。三ケ野坂は、鎌倉・江戸・明治・大正
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の松林山古墳(しょうりんざんこふん)は、国指定史跡 御厨古墳群(みくりやこふんぐん)を構成する大型古墳5基のひとつです。古墳時代前期(4世紀後半頃)の築造と考えられる前方後円墳で、全長約107m・前方部の推定幅約48m・前方部高さ約3m・後円部径
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和金塚古墳(かくわかなつかこふん)は、古墳時代中期(5世紀初頭)に築かれた全長66.4mの前方後円墳です。掛川市各和・高田・吉岡地区に分布する有力な古墳5基(前方後円墳4基、円墳1基)で構成された、国指定史跡 和田岡古墳群に含まれています。
静岡県掛川市各和(かくわ)の各和金塚古墳(かくわかなつかこふん、かくわかなづかこふん)は、河岸段丘の東端に築かれた古墳時代中期(5世紀初頭)の前方後円墳です。掛川市各和(かくわ)・高田(たかだ)・吉岡(よしおか)地区の、原野谷川(はらのやがわ)が形成した河岸段丘上に分
静岡県掛川市高田(たかだ)の瓢塚古墳(ひさごづかこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)に築造された前方後円墳です。古墳の規模は、全長66m、後円部直径37.8m、後円部高さ5m、前方部高さ3.5m。前方部は南向きで、後円部の北東に幅7mの周溝(しゅうこう)があります。掛川市各
静岡県掛川市吉岡(よしおか)の春林院古墳(しゅんりんいんこふん)は、古墳時代中期(5世紀前半頃)の築造とされる直径30m、高さ5mの円墳です。昭和38年(1963年)、発掘調査が行われました。墳頂部に主体部(埋葬施設)があり、鉄剣(てっけん)・やりがんな・鉄針が出土。また、壺
静岡県掛川市岡津(おかつ)の堀田古墳は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)に築造された石室が無い円墳だと考えられています。茶園が広がる段丘上に、石碑(大庭愛玉翁顕彰碑)が建てられた古墳が現存。堀田古墳
静岡県磐田市鎌田(かまだ)の八王子古墳(古墳7基からなる八王子古墳群の5号墳?)は、古墳時代後期(6世紀頃)の築造と考えられる円墳です。墳丘の規模は直径約15m、高さ約1.5mで、太平洋戦争中に掘られた防空壕(ぼうくうごう)が残されています。八王子古墳がある兎山(うさぎ
静岡県掛川市逆川(さかがわ)の前田古墳(まえだこふん)は、逆川高区配水池の北西に伸びる丘陵尾根に単独で築かれた小円墳です。文献によっては、所在地が掛川市満水(たまり)になっています。前田古墳
静岡県袋井市高尾(たかお)の渋垂神社上古墳群(しぶたれじんじゃうえこふんぐん)は、古墳時代中期(4世紀末頃~5世紀後半頃)~後期(5世紀末頃~7世紀初め頃)の築造と推定される円墳7基で構成。赤尾渋垂郡辺神社(あかおしぶたれこうりべじんじゃ、渋垂神社とも呼ばれる)の裏山
静岡県磐田市見付(みつけ)の時宗 東福山 西光寺(さいこうじ)は、鎌倉時代の文永2年(1265年)に真言宗の阿闍梨傾木(あじゃりけいぼく)和尚が創建。建治・弘安年間(1280年前後)、時宗の開祖 証誠大師一遍上人(しょうじょうだいしいっぺんしょうにん)がこの地を訪れて、時宗の
静岡県掛川市満水(たまり)の踊原古墳(おどりはらこふん)は、丘陵尾根(標高約73m)に単独で築かれた直径約10mの円墳です。周辺の丘陵上には、多くの古墳が分布しています。踊原古墳