葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣日野俊基を祀る神社。俊基は、倒幕を企てた罪で捕らえられ、1332年(元弘2年)6月3日、葛原ヶ岡で斬首されました。例大祭は俊基の…
気比神宮は北陸道の総鎮守。越前国の一宮。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向した紫式部も参拝したものと思われます。そして、紫式部の越前下向か…
「光る君へ」第8話で・・・散楽一座の直秀はまひろに語っていました。丹後・播磨・筑紫で暮らしたことがあると。「都の外には海がある。海の向こうには彼の国がある。晴…
明月院の本堂後庭園の奥に咲いているアジサイ。ここで育ったアジサイは、いつの日かメイン会場へ。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
見ごろと言うには少し早いかもしれませんが・・・明月院の本堂後庭園のハナショウブ。これから週末にかけて次々に開花し、見ごろとなってきそうです。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
鉢植えアジサイと緑陰の庭~長谷寺の紫陽花2024/05/29~
長谷寺の境内には鉢植えのアジサイが並び始めました。下境内の緑陰の庭では6月1日からあじさい路は有料になりますが、あじさい路に入らなくてもアジサイ鑑賞は楽しめま…
松原客館(まつばらきゃっかん)は、平安時代前期に渤海の使節団(渤海使)を迎えるため越前国敦賀に建てられた迎賓・宿泊施設。気比の松原付近にあったといわれています…
光則寺・浄妙寺・旧一条恵観山荘でヤマアジサイが見ごろ。これから、明月院や長谷寺が見ごろを迎えてきます。
『枕草子』によると・・・清少納言が清水寺に参籠したとき、藤原定子は山近き入相の鐘の声ごとに恋る心の数は知るらむ(山に近い寺の夕暮れ鐘の一声ごとに、そなたを恋し…
琵琶湖996年(長徳2年)、紫式部は父藤原為時に同行して越前へと下ります。為時が越前国司となったのは正月でしたが、旅立ったのは夏の事のようです。紫式部は塩津浜…
全国の稲荷社の総本宮伏見稲荷大社は、711年(和銅4年)2月7日の初午の日に、渡来系豪族の秦伊呂巨(はたいろぐ)が、稲荷山の三つの峰に神を祀ったことにはじまる…
本興寺の境内は、越前国府の中核施設があった地として注目されています。2023年(令和5年)から始まった発掘調査では、平安期の溝と柱穴が発見されているそうです。…
紫式部歌碑996年(長徳2年)、越前へ下向する父藤原為時に同行して都を旅立った紫式部。逢坂の関を越えて、琵琶湖の打出浜から船出。湖西を通って塩津浜へと向かう途…
長谷寺あじさい散策路は6月1日から有料!~鎌倉アジサイ情報~
アジサイシーズンには七色極楽浄土の世界となる長谷寺のあじさい散策路。五分咲き程度になると有料となります。(拝観料400円+あじさい路入場券500円)2024年…
旧一条恵観山荘の茶室「時雨」の円窓は鏡窓になっています。 旧一条恵観山荘は京都から移築された建物。庭園も復元され、今は紫陽花が見ごろ!☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大きな石の上に育ったモミジ。モミジが根を張る石にはイワタバコが咲きます。イワタバコが咲き始めると、アジサイの見ごろも間近。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユル…
開成町のあじさいの里は、田植えを終えたばかりの水田とアジサイの風景を楽しむことができる所。農道や水路沿いで約5000株のアジサイが植栽され、毎年「開成町あじさ…
宵宮祭6月8日(土) 18時30分~21時例大祭6月9日(日) 10時 式典 11時 神輿14時30分頃 神輿くぐり16時頃 海上神輿渡御五所神社☆ ☆ ☆ …
明月院の本堂後庭園のハナショウブが咲き始めています。本堂後庭園には、ユニセフ募金(300円以上)をすると入園できます。ただ、ハナショウブが見ごろになると入園料…
旧一条恵観山荘のヤマアジサイ・紫陽花設え・花手水2024/05/22
旧一条恵観山荘は、新緑の下に咲くアジサイとともに紫陽花設えや花手水が愉しめるところ。アナベルアジサイシーズン後半のアナベルは必見です。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス南部を流れる小出川の両岸、えびす橋から大黒橋までの約500メートルには、約500株のアジサイが植栽されています。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
1333年(元弘3年)5月7日、足利尊氏が鎌倉幕府を裏切って京都で六波羅探題を攻め滅ぼすと、翌5月8日には新田義貞が上野国の生品神社で挙兵。5月18日、義貞に…
稲村ヶ崎は、新田義貞の鎌倉攻めの際の古戦場。義貞が海に黄金の太刀を投げ入れて龍神に祈願すると、潮が引き、海上の北条軍がはるか遠くに流されたため、稲村ヶ崎を…
993年(正暦4年)頃から一条天皇の中宮・藤原定子に仕えた清少納言でしたが・・・996年(長徳2年)の長徳の変では、定子は里第の二条宮に下り、清少納言は「道長…
アナベルは、アジサイシーズンの後半に咲く白い紫陽花。旧一条恵観山荘の新緑の楓の下には「アナベルの小径」が設けられています。アナベルの花言葉は「ひたむきな愛」。…
『栄花物語』によると・・・父の藤原道隆の死後、内大臣として権勢を奮っていた藤原伊周は、弟の隆家とともに花山法皇に矢を向けたことなどの理由から配流の宣旨を下され…
沙羅双樹(夏椿)は朝開花して夕方には落ちてしまう一日花。アジサイが見ごろとなる頃、白い花を咲かせます。『平家物語』で語られた花。お釈迦様は、沙羅双樹の木の下で…
お釈迦様の誕生日(花まつり)に、誕生仏に灌ぐお茶の花です。本堂前に咲きます。花まつりでは、花御堂の中の水盤の上に誕生仏が置かれ、甘茶をかけて釈迦の誕生をお祝い…
996年(長徳2年)1月16日、藤原伊周と弟の隆家が花山法皇を射る事件(長徳の変)が起こりますが・・・紫式部の父・藤原為時は、正月28日、越前守に叙任されてい…
年々、見どころが増えている葛原岡神社の紫陽花。 近年では「鎌倉の紫陽花神社」と呼ばれるようになりました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
996年(長徳2年)1月16日、花山法皇を射るという事件を起こした藤原伊周(長徳の変)。弟の隆家は、それ以前に藤原道長の従者・秦久忠を隆家の従者が殺害するとい…
2013/06/07坂ノ下の和菓子の老舗「力餅家」さんの「あじさいポスト」。2015年(平成25年)、突然、観ることができなくなってしまいましたが・・・新たな…
紫式部は、生涯でただ一度、都を離れて暮らした越前武生を『源氏物語』に登場させています。「宇治十帖」~浮舟の巻~には、「武生の国府に移ろひたまふとも、忍びては参…
鎌倉あじさい物語~旧一条恵観山荘のヤマアジサイと紫陽花設え~
新緑の中に咲くヤマアジサイが美しい旧一条恵観山荘。「紫陽花設え」や「花手水」も愉しめます。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
葵祭(あおいまつり)は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭礼。清少納言や紫式部も見た五穀豊穣を祈願する王朝行事。5月15日の路頭の儀では…
長谷寺には三か所に良縁地蔵が置かれています。 2021年までは、あじさい散策路にも置かれていたのですが・・・ 現在は妙智池の奥に置かれています。☆ ☆…
上賀茂神社の橋本神社は、和歌・芸能の守護神・衣通姫神(そとおりひめのかみ)を祀る社。そこに合祀されているといわれるのが、歌人として知られ清少納言と交際して…
小田原城には、約10000鉢の花菖蒲と約2500株のあじさいが植えられています。2024年の小田原城あじさい花菖蒲まつりは、6月1日(土)~16日(日)【あじ…
明月院の境内を青く染めるアジサイは日本の古来品種。牧野富太郎が「女性的で優美」なので「姫アジサイ」と名付けたのだとか・・・。色づき始め日毎に青さを増していきま…
996年(長徳2年)1月16日、藤原伊周・隆家の兄弟は、花山法皇を襲撃します(長徳の変)。その理由は、花山法皇が伊周の妾のところに通い始めたから。伊周の妾とは…
福井県出身の歌手・五木ひろしさんは歌っています。紫式部もいたという♪いにしえに会いにゆく♪紫式部公園996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国武生に…
安房郡天津小湊町で誕生した日蓮は、比叡山や高野山などで学び、法華経が真の仏教の教えであるとして、1253年(建長5年)4月28日、法華宗を開きました。その地が…
山内首藤俊通は、相模国鎌倉郡山内荘を本拠とした武将。源義朝に従った平治の乱で討死。俊通の墓は京都に建てられていましたが、2023年(令和5年)、明月院に改…
昔、相州鎌倉長谷の村に観音山在り。極楽西方浄土と伝う地に華を咲かせたいと願う老師は、ある夜、霊夢を見た。一人の童女が観音山に向いてこの山に花を咲かせ給えと祈祷…
鎌倉の6月は、雨でも青い海と白い雲がある。明月院の青い海浄妙寺の白い雲☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一条院跡一条院は藤原詮子に献上された邸宅。999年(長保元年)、内裏を焼かれてしまった一条天皇が里内裏としました。里内裏は内裏の焼失にともなう仮の皇居。100…
北条五代観光推進協議会では、「北条五代」を題材としたNHK大河ドラマ制作を要望する署名活動を実施しています。北条氏にゆかりのある12市2町(岡山県井原市、大阪…
北条仲時と従士の墓(米原市:蓮華寺)北条仲時は、鎌倉幕府の初代執権北条時政から数えて六代の孫。1330年(元徳2年)、上洛して六波羅探題北方となりましたが…
河内源氏の源義国を祖とする新田氏は、新田義重から始まる源氏の名門。新田義貞は新田氏本宗家の八代目棟梁。☆ ☆ ☆ ☆ ☆生品神社(太田市)1333年(元弘3年…
鎌倉のアジサイはどこも素敵ですが、特にお薦めなのが・・・明月院ブルー日本古来の「姫アジサイ」が境内を青色に染め、その光景は「明月院ブルー」と呼ばれています。長…
六波羅探題府址(六波羅蜜寺)六波羅探題は、1221年(承久3年)の承久の乱後に設置された鎌倉幕府の出先機関。1333年(元弘3年)2月、討幕計画が露見して隠岐…
「トンボロ」は、干潮時に現れる砂の道。江の島と片瀬の浜がつながります。5月10、11、26日、6月9、22日の5日間は、江の島の護岸に仮設階段が設置されます。…
大河ドラマ「光る君へ」で、まひろ(紫式部)の家に度々訪問してくる藤原宣孝。そろそろ、まひろに求婚することになるのかも。宣孝は、幾度となく紫式部に求婚の手紙を書…
伊周ではなく道長が氏の長者に~一条天皇を説得した東三条院詮子~
995年(長徳元年)4月10日、関白・藤原道隆が死去。4月27日、道隆の弟・道兼が関白に就任しますが、5月8日に死去。弟の道長を特別扱いしていた東三条院(藤原…
「儀同三司」(ぎどうさんし)は、太政大臣・左大臣・右大臣と同格であるという意。高階貴子は、子の藤原伊周が三司と同格の内大臣となったことで「儀同三司母」(ぎどう…
源義経像「六日の菖蒲」とは、時機に遅れて役に立たないことのたとえ。菖蒲は5月5日の端午の節句に用いるもので、5月6日では間に合わない・・・。『平家物語』には、…
大河ドラマ「光る君へ」で、まひろ(紫式部)の母を殺した藤原道兼。寛和の変では花山天皇を出家させました。995年(長徳元年)4月10日、兄の道隆の死後、関白とな…
995年(長徳元年)4月10日、一条天皇の中宮・藤原定子の父の道隆が死去。清少納言の『枕草子』によると、定子は毎月10日に道隆の供養をしていたのだといいます。…
毎年、5月3日の小田原城は北條五代祭り。北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直を偲ぶ小田原市最大のイベント。北条早雲公像小田原駅前の北条早雲公像も兜に甲冑姿です。ス…
平将門は、自らを新皇と称して反乱を起こし、940年(天慶3年)2月14日、藤原秀郷と平貞盛によって鎮圧された豪族。将門塚藤原秀郷と平貞盛に討たれた平将門の首級…
ゴールデンウィーク期間中の5月3日から6日まで、建長寺では「金澤翔子展」が開催されます。場所:得月楼時間:10:00~16:00(6日は15:00まで)入場無…
蘆山寺蘆山寺は、紫式部の邸跡にある寺院。拝観入口には金色の紫式部像が置かれている。 紫式部公園紫式部が娘時代を過ごした越前市の紫式部公園には 十二単衣を…
大河ドラマ「光る君へ」で、まひろ(紫式部)が越前へと下るのもこうすぐかと思いますが・・・その頃、紫式部は姉を亡くしています。幼い頃に母を亡くしていた紫式部にと…
『白氏文集』「新楽府」~源氏物語や枕草子に影響を与えた詩文集~
『白氏文集』(はくしもんじゅう)は、中国唐の文学者・白居易の詩文集。承和年間(834-848)以降に日本に伝来し、平安貴族の間で流行しました。藤原行成はそれを…
奈良の長谷寺も鎌倉の長谷寺も十一面観音が本尊。創建当初の十一面観音は、徳道がクスノキの霊木で造立させたものだったのだと伝えられています。奈良の長谷寺奈良の長谷…
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葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣日野俊基を祀る神社。俊基は、倒幕を企てた罪で捕らえられ、1332年(元弘2年)6月3日、葛原ヶ岡で斬首されました。例大祭は俊基の…
1159年(平治元年)の平治の乱で平清盛に敗れた源頼朝。父義朝とともに都を落ちて東国で再起を図ろうとしますが、翌1160年(平治元年)1月3日、義朝は尾張国野…
小田原城の本丸東堀には、約2500株の紫陽花と約10000株の花菖蒲が。毎年、紫陽花と花菖蒲の開花に合わせて「小田原城あじさい花菖蒲まつり」が開催されています…
気比神宮は北陸道の総鎮守。越前国の一宮。996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向した紫式部も参拝したものと思われます。そして、紫式部の越前下向か…
「光る君へ」第8話で・・・散楽一座の直秀はまひろに語っていました。丹後・播磨・筑紫で暮らしたことがあると。「都の外には海がある。海の向こうには彼の国がある。晴…
明月院の本堂後庭園の奥に咲いているアジサイ。ここで育ったアジサイは、いつの日かメイン会場へ。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
見ごろと言うには少し早いかもしれませんが・・・明月院の本堂後庭園のハナショウブ。これから週末にかけて次々に開花し、見ごろとなってきそうです。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
長谷寺の境内には鉢植えのアジサイが並び始めました。下境内の緑陰の庭では6月1日からあじさい路は有料になりますが、あじさい路に入らなくてもアジサイ鑑賞は楽しめま…
松原客館(まつばらきゃっかん)は、平安時代前期に渤海の使節団(渤海使)を迎えるため越前国敦賀に建てられた迎賓・宿泊施設。気比の松原付近にあったといわれています…
光則寺・浄妙寺・旧一条恵観山荘でヤマアジサイが見ごろ。これから、明月院や長谷寺が見ごろを迎えてきます。
『枕草子』によると・・・清少納言が清水寺に参籠したとき、藤原定子は山近き入相の鐘の声ごとに恋る心の数は知るらむ(山に近い寺の夕暮れ鐘の一声ごとに、そなたを恋し…
琵琶湖996年(長徳2年)、紫式部は父藤原為時に同行して越前へと下ります。為時が越前国司となったのは正月でしたが、旅立ったのは夏の事のようです。紫式部は塩津浜…
全国の稲荷社の総本宮伏見稲荷大社は、711年(和銅4年)2月7日の初午の日に、渡来系豪族の秦伊呂巨(はたいろぐ)が、稲荷山の三つの峰に神を祀ったことにはじまる…
本興寺の境内は、越前国府の中核施設があった地として注目されています。2023年(令和5年)から始まった発掘調査では、平安期の溝と柱穴が発見されているそうです。…
紫式部歌碑996年(長徳2年)、越前へ下向する父藤原為時に同行して都を旅立った紫式部。逢坂の関を越えて、琵琶湖の打出浜から船出。湖西を通って塩津浜へと向かう途…
アジサイシーズンには七色極楽浄土の世界となる長谷寺のあじさい散策路。五分咲き程度になると有料となります。(拝観料400円+あじさい路入場券500円)2024年…
旧一条恵観山荘の茶室「時雨」の円窓は鏡窓になっています。 旧一条恵観山荘は京都から移築された建物。庭園も復元され、今は紫陽花が見ごろ!☆ ☆ ☆ ☆ ☆
大きな石の上に育ったモミジ。モミジが根を張る石にはイワタバコが咲きます。イワタバコが咲き始めると、アジサイの見ごろも間近。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユル…
開成町のあじさいの里は、田植えを終えたばかりの水田とアジサイの風景を楽しむことができる所。農道や水路沿いで約5000株のアジサイが植栽され、毎年「開成町あじさ…
1582年(天正10年)6月2日早朝、明智光秀の謀反により本能寺で織田信長が自刃すると、嫡男の信忠は二条殿に籠城。そして自刃。二条殿は誠仁親王の居所となってい…
1582年(天正10年)5月29日、羽柴秀吉援軍のため安土城を出た織田信長は本能寺へ。6月1日、丹波国亀山で明智光秀が謀反の挙兵し、翌早朝、本能寺を包囲。森蘭…
沙羅双樹(ナツツバキ)は、朝開花して夕方には落ちてしまう一日花。沙羅双樹は『平家物語』で語られた花。「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり沙羅双樹の花の色盛者必…
葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣日野俊基を祀る神社。俊基は、倒幕を企てた罪で捕らえられ、1332年(元弘2年)6月3日、葛原ヶ岡で斬首されました。例大祭は俊基の…
(2023/05/28)長谷寺のあじさい散策路は、昨年から5分咲の頃から見頃終了まで有料となっています。今シーズンは6月1日(木)から。入場料は小学生以上50…
徳川将軍家の菩提寺・増上寺の開山は、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)。聖聡は、千葉氏胤の子で、母は新田義貞の娘と伝えられています。千葉の妙見寺(現在の千葉神社)で…
浄妙寺と旧一条恵観山荘でヤマアジサイが見ごろです。浄妙寺旧一条恵観山荘旧一条恵観山荘では、花手水やアジサイ設えも。
長浜城は、1573年(天正元年)、浅井長政を攻略(一乗谷の戦い)した羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が、織田信長から長政の旧領の近江国長浜を拝領して築いた城。長浜城…
勝楽寺は、織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼が戦った古戦場にある寺院。毎年、8月15日に信玄塚で行われる「火おんどり」は、勝楽寺三世の玄賀和尚が松明を炊いて…
鋸引きの刑大岡弥四郎は、岡崎城の松平信康に仕えていた武士。1575年(天正3年)、武田勝頼に内通し、謀反を企てたことから「鋸引きの刑」に処せられました。武田勝…
徳川家康の側室西郷局の菩提寺・宝台院の本尊は阿弥陀立像。快慶作といわれる家康の念持仏。当初は白く塗られていたと考えられるため「白本尊」と呼ばれています(国重文…
奥平貞昌(信昌)は、奥三河の南設楽郡作手の有力国人・奥平貞能の長男。奥平氏は、はじめ今川氏に属し、桶狭間の戦い後、徳川家康の傘下に入りますが・・・奥三河で武田…
新田義貞像(太田市:生品神社)1333年(元弘3年)5月8日、上野国の生品神社で倒幕の挙兵をした新田義貞。小手指原の戦い・久米川の戦い・分倍河原の戦いで幕府軍…
鳥居強右衛門(とりいすねえもん)は、奥平家の家臣。1575年(天正3年)5月、武田勝頼が1万5千の兵を率いて長篠城を包囲すると・・・城主の奥平貞昌は、岡崎城の…
5月22日、鎌倉幕府が滅亡した日。徳崇大権現会後醍醐天皇が北条一族を弔うため足利尊氏に命じて建てさせた宝戒寺では、北条一族を供養するための「徳崇大権現会」が行…
瀬田橋(瀬田の唐橋)は、滋賀県大津市の瀬田川に架かる橋。神功皇后(200年代)の時代にはあった橋のようで、京都の宇治橋、山崎橋と並ぶ日本三古橋の一つ。現在の橋…
1572年(元亀3年)12月、三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄は、翌1573年(元亀4年)1月、三河国へ進軍。2月10日には野田城を落とします(野田城…
下鴨神社清少納言の『枕草子』には、見物に値する行事として、石清水の臨時祭・賀茂の臨時祭・天皇の行幸・斎王の還御・摂政関白の賀茂詣が挙げられています。賀茂詣は、…
三嶋大社『吾妻鏡』によると・・・五代執権北条時頼室の安産を三嶋大社に祈願していた鶴岡八幡宮の隆弁は、夢に現れた白髪の老翁に「祈念するところの懐婦は、5月15日…
徳川家康三方ヶ原戦役画像この絵は、三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗し、浜松城に戻った徳川家康が描かせたものとされてきました。憔悴した家康を表現した絵として「しか…