7月19日の宵宮祭りでは、花火が打ち上げられる予定。山ノ内八雲神社は京都の祇園社(八坂神社)を勧請して創建された社。江戸時代までは牛頭天王を祀る天王社でした。…
六波羅蜜寺一条天皇の皇后宮・藤原定子は、1000年(長保2年)12月15日、平惟仲の屋敷で媄子内親王を出産した後、翌16に崩御。藤原行成の『権記』によると・・…
上巳の節句と雛まつり~平安時代の流し雛+女子の雛遊び=雛人形~
3月3日は「雛まつり」。「雛まつり」は、3月上旬の巳の日に、「邪気祓い」のために行われていた「上巳の節句」がその起源だといいます。「上巳の節句」は、平安時代に…
六道の辻六道の辻は、平安京三大葬送地の一つ鳥辺野の入口。 西福寺六道の辻にある西福寺は、空海が鳥辺野の入口にあたる地に地蔵堂を建てたことに始まります。 幽…
清水の舞台平安時代、野ざらしにされる死体が多かったことから、化野(あだしの)・蓮台野(れんだいの)・鳥辺野(とりべの)・華頂(かちょう)・西院(さいいん)が葬…
藤原道隆の正妻・高階貴子の曾祖父・高階師尚は、伊勢斎宮の恬子内親王と在原業平の密通によって誕生したという噂があります。貴子の孫・敦康親王(藤原定子の子)は、そ…
「光る君へ」第8話では、藤原道兼がまひろの父藤原為時に近づき、藤原兼家からDVを受けていることを告白。それを為時が花山天皇に話すと・・・花山天皇は道兼に心を許…
『源氏物語』で琵琶の名手というと、明石の巻で光源氏を明石に連れて行った明石入道。光源氏が琴を弾いていると、明石入道も琵琶を持って参上しています。そして、明石入…
花山天皇に寵愛された藤原忯子は、藤原為光の次女。長女は、藤原義懐の正室。三女は、寝殿の上で藤原伊周の妾四女は、花山法皇が愛人とした藤原儼子。この三女と四女をめ…
口寄せ(くちよせ)は、霊を自分に乗り移らせて、霊の代わりにその思いなどを語る降霊術。「光る君へ」第8話では、安倍晴明が祈祷をしていると藤原忯子の霊が降りてきた…
安倍晴明:閻魔大王から授かった五芒星パワー~真如堂の不動明王伝説~
真如堂の本尊・阿弥陀如来の脇侍の不動明王は、平安時代に活躍した陰陽師・安倍晴明の念持仏。晴明が横死したときに閻魔大王に頼んで蘇生させたという伝説の像。 不慮…
藤原実資の最初の娘は、985年(寛和元年)4月28日の誕生。実資は、毎月18日に清水寺参詣を心がけ、娘にも清水寺に参詣・参籠させていたようです。清水寺ただ、娘…
浄楽寺浄楽寺は、源頼朝とともに鎌倉に武家政権を樹立させた和田義盛が建立した寺。「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は、胎内の銘札から和…
紫式部歌碑(越前市 蔵の辻)「ふるさとに 帰る山路の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし」父・藤原為時とともに越前武生で暮らした紫式部が「早く都へ戻りたい…
紫式部公園歌碑「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる」父・藤原為時に同行して越前武生に下向した紫式部が初めて迎えた冬・・・初雪が降った…
小田原城址公園では、桜の開花時期に合わせて桜のライトアップも行われます。3月21日(火)~4月9日(日)の予定。※桜の開花状況により変更あり。小田原城址公園の…
埼玉県北本市は、謀反の罪で伊豆修禅寺に幽閉された源範頼が落ち延びた地といわれています。石戸蒲ザクラ東光寺にある石戸蒲ザクラは、範頼の杖が根付いたものといわれ、…
流鏑馬は3月9日(土)片瀬海岸東浜12:00~ 奉仕される武田流流鏑馬は、YORITOMO-JAPANの四天王・武田信光から伝わる弓馬術。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
何年植向壇上早晩移栽到梵家雖在人間人不識与君名作紫陽花『白氏文集』白楽天(白居易)は、人が知らない花に「紫陽花」という名を付けました。この花を源順は日本のアジ…
平安時代には盗賊が横行。藤原保輔は『宇治拾遺物語』に「盗人の長にてぞありける」と書かれた盗賊。盗賊として名をはせた保輔は、988年(永延2年)、のちに悪霊左府…
多賀城碑多賀城碑は、陸奥国府が置かれていた多賀城に建てられた碑。平城京、蝦夷国、常陸国、下野国、靺鞨国から多賀城までの距離が記されています。靺鞨とは、度々日本…
「光る君へ 越前 大河ドラマ館」が2月23日(金・祝)にオープンします。場所は、武生中央公園にある屋内催事場「しきぶきぶんミュージアム」内。開催期間2024年…
「光る君へ」第7話のタイトルは「おかしきことこそ」。前回、直秀に「散楽はおかしきことこそめだたけれ」と言われていたまひろ(紫式部)ですが・・・右大臣家の権勢を…
口寄せ(くちよせ)は、霊を自分に乗り移らせて、霊の代わりにその思いなどを語る降霊術。「光る君へ」第8話では、安倍晴明が祈祷をしていると藤原忯子の霊が降りてきた…
「光る君へ」では、まひろ(紫式部)の父藤原為時は、藤原兼家の推薦で花山天皇の教育係をしながら、花山天皇の状況を兼家に報告していました・・・第7話では・・・愛す…
死穢(しえ)=死の穢れ。平安時代、死は恐怖の対象とされ、伝染すると信じられていたようです。「光る君へ」第7話では、弘徽殿女御(藤原忯子)が亡くなりますが、花山…
ある日、遍照寺の寛朝僧正のもとを訪れた安倍晴明は、若い僧に「蛙を殺してみてくれ」と言われ、広沢池の蛙に草の葉を投げて殺してみせたのだとか。遍照寺遍照寺は、98…
名古曽の滝跡名古曽の滝は、大覚寺の日本最古の人工の庭池・大沢池にあった滝。藤原公任は、枯れてしまった滝を見て「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて…
国宝「白氏詩巻」(東京国立博物館)国宝「白氏詩巻」は、藤原行成が『白氏文集』巻第六五から八篇の詩を揮毫したもの。『白氏文集』は、平安時代の承和年間(834-8…
「空寒み花にまがへて散る雪にすこし春ある心地こそすれ」藤原公任と清少納言の連歌。風が吹き、空は黒く、少し雪が舞う2月末、清少納言のもとへ藤原公任から「すこし春…
雪がとても高く降り積もった日、中宮・藤原定子は清少納言に「香炉峰(こうろほう)の雪はどうでしょうか?」と尋ねます。清少納言は、女房に御格子をあげさせ、みずから…
「光る君へ」第7話では、藤原道長が打毬(だきゅう)で活躍するようですが、打毬は、平安時代に端午の節会の際に行われた馬術競技。その起源はヨーロッパに伝えられた馬…
藤原実資の『小右記』や赤染衛門の『栄花物語』によると・・・花山天皇に入内した藤原忯子は、懐妊しても里下がりを許されず、懐妊5か月にしてやっと里(実家)へ帰るこ…
「光る君へ」第6話の漢詩の会で藤原道長は白楽天(白居易)の詩を選びました。「歌詞の酒は十分あるが君をおいて誰と飲もうか宮中の菊花を手に満たして私は独り君を思う…
泉涌寺の大涅槃図特別公開と清少納言・源頼朝・北条政子・北条泰時・蘭渓道隆・願行…
「仏涅槃図」は、仏教の開祖・釈迦が沙羅双樹の下で、頭を北にして、西を向き、右脇を下にした姿と、十大弟子をはじめとするさまざまな生き物が嘆き悲しむ様が描かれた図…
『大鏡』によると・・・有明の月がまだ明るい時刻、藤原道兼に連れられて内裏を抜け出した花山天皇。花山寺(元慶寺)に到着すると剃髪しますが・・・一緒に出家して弟子…
寛和の変 花山天皇が出家!~『扶桑略記』と『愚管抄』が伝える政変~
986年( 寛和2年)6月23日、花山天皇が元慶寺で出家するという事件が発生(寛和の変)。事件の首謀者は右大臣・藤原兼家。長男の道隆・次男の道綱・三男の道兼、…
986年(寛和2年)6月18日、清少納言は、藤原済時の小白河殿で営まれた法華八講を聴聞します。『枕草子』には・・・のちに関白となる藤原道隆や藤原義懐が素晴らし…
「光る君へ」で「おかしきことこそめだけれ」と言われた紫式部の物語論
「光る君へ」第6話では、まひろ(紫式部)は、散楽の直秀らに笑いの種にするための物語を提案しますが・・・直秀に「その話のどこが面白い。散楽を観に来る者たちは笑い…
「光る君へ」第6話の漢詩の会で、ききょう(清少納言)は藤原斉信が選んだ漢詩がよかったと言っていましたが・・・『枕草子』によると、斉信は、中宮・藤原定子が亡き父…
「光る君へ」第6話では、若者が藤原義懐のもとへ流れていくのを心配した藤原道隆は、正妻の高階貴子の案で漢詩の会を開くこととします。講師は、まひろ(紫式部)の父…
「光る君へ」第6話で、藤原道長は、まひろ(紫式部)に恋の歌を贈ります。「ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の みまく欲しさに」『伊勢物語』第七十一段…
花山天皇に望まれて入内した藤原忯子(弘徽殿女御)。寵愛を受けて懐妊しますが、病に伏してしまいます。「光る君へ」第5話では、藤原兼家が安倍晴明に子を呪詛するよう…
嘆きつつ ひとり寝る夜の~蜻蛉日記:藤原道綱母の歌・光る君へ~
「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」(一人で嘆きながら夜が明けるまで寝ている時間がどれだけ長いか分るでしょうか?分からないで…
稲荷神は、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神。伏見稲荷大社(京都)全国の稲荷社の総本宮伏見稲荷大社は、711年(和銅4年)2月7日の初午の日に、渡来系…
総社大神宮・国分寺・御霊神社は、紫式部が暮らした越前武生にある寺社。 総社大神宮総社大神宮は、着任した越前国司が参拝した社。紫式部の父藤原為時も参拝したはず…
長谷寺鐘楼長谷寺の鐘は午前6時と正午の二度撞かれ、正午には法螺貝も吹かれます。そして、夜8時の法螺貝で長谷寺の時報は終わり。清少納言は『枕草子』に「師の坊に、…
清少納言~庚申の夜の歌会 清原元輔の娘と言われなければ・・・~
5月の庚申の夜が更けた頃、藤原伊周が女房たちに歌を詠むよう命じます。しかし、清少納言は中宮・藤原定子の許可を得て歌を詠みませんでした。この歌会で定子は「元輔が…
『栄花物語』によると、藤原道長が源倫子と結婚したのは、987年(永延元年)12月16日。道長22歳、倫子24歳。道長は藤原兼家の五男。兼家の正室・時姫の生んだ…
花山法皇が隠棲した菩提寺の麓の地名は「尼寺」(にんじ)。法皇が菩提寺に隠棲すると・・・法皇付きの女官11名は、法皇が寵愛していた藤原忯子の位牌を持って訪ねてき…
「はらへどの 神のかざりの みてぐらに うたてもまがふ 耳はさみかな」(祓戸の神にお供えする御幣と見違えるほどの紙の冠を耳にはさんだりして・・・)3月1日、紫…
法住寺は、989年(永祚元年)に藤原為光が建てた寺。985年(寛和元年)に亡くなった妻と娘の忯子(花山天皇女御)の菩提を弔うために建立したのだと伝えられていま…
藤原兼家・道兼父子の謀略により元慶寺で出家した花山天皇は、播磨国の円教寺に入った後、比叡山に登り、戒壇院で受戒して法皇となります。花山法皇は、大和国長谷寺を開…
2月の初午の日、清少納言は朝早くから伏見稲荷に参拝。稲荷山に登り始めますが、中の御社のあたりで疲れてしまいます。それでも我慢して登っていると・・・後から登って…
平安時代は猫ブームだったらしい。清少納言の『枕草子』によると、一条天皇も猫を飼っていたようです。紫式部の『源氏物語』にも猫が登場します。「若菜上の巻」では、病…
「亡き人に かごとをかけて わづらふも おのが心の 鬼にやはあらぬ」(後妻に亡き先妻の物の怪がついて悩んでいるのは、自分の心の中に鬼がいるからなのでは?)この…
満月の夜、まひろと道長が逢っていたのは河原院?~光る君へ第5話~
満月の夜、まひろ(紫式部)と道長が逢った六条の寂れた屋敷は、『源氏物語』~夕顔の巻~で光源氏が夕顔を連れ出した某院をイメージしているのかも・・・某院は、光源氏…
平安時代、病気の原因は物の怪(怨霊)の仕わざと信じられていました。そのため、病人が出ると物の怪退散の加持祈祷(調伏)が行われたようです。「光る君へ」第5話では…
更雀寺は、清少納言と交際していたという藤原実方の供養塔がある寺。雀塚雀塚は、陸奥国に左遷となり、都に帰れぬまま没した藤原実方の供養塔。勧学院の観智上人の夢…
紫式部ゆかりの越前武生に「しきぶきぶんミュージアム」がオープンします。
紫式部が生涯で唯一、都を離れて暮らした越前武生。2月23日、武生中央公園内のまさかりどんの館内に「しきぶきぶんミュージアム」がオープンする予定。「光る君へ…
清少納言の恋人・藤原実方に罰を下した出雲路道祖神の娘~京都:幸神社~
清少納言と交際していたといわれる藤原実方は、995年(長徳元年)、陸奥守に左遷されます。そして、998年(長徳4年)12月13日、陸奥国の佐具叡神社の前を下馬…
塩竃神社は、新京極にある錦天満宮の境内社。紫式部の『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされる源融を祀ります。源融は、邸宅の河原院に陸奥国の塩竈の風景を…
『古事談』によると・・・花山天皇は頭痛に悩んでいたようです。特に雨の日はひどかったらしい・・・それを救ったのが陰陽師・安倍晴明。晴明は花山天皇にこう申し上げま…
まひろが使っている机と和歌~光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館~
1月29日から開催されている「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」には、まひろ(紫式部)が使っている机が展示されています。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ…
大津市にある延暦寺慈眼堂は、天海(慈眼大師)の廟所。そこにあるのが平安時代の女流文学者・清少納言、紫式部、和泉式部の供養塔。大津市は三人ゆかりの地。特に石山寺…
「陸奥の いはで忍は えぞ知らぬ かき尽くしてよ 壷のいしぶみ」この歌は、源頼朝が慈円に贈った歌。後鳥羽上皇の命により編纂された『新古今和歌集』に載せられてい…
花山天皇が出家した元慶寺の隣接地には、藤原詮子が建立した慈徳寺があったといわれています。藤原実資の『小右記』によると、慈徳寺は999年(長保元年)に落慶供養が…
「源氏物語と大津」で再現されている源氏の間~大津市歴史博物館~
大津市歴史博物館のエントランスには、石山寺の「源氏の間」を再現したフォトスポットがあります。「源氏の間」は、紫式部が『源氏物語』を書き始めたという部屋。中に入…
節分の夜の豆まきは、大晦日に宮中で行われていた悪鬼を追い払う「追儺」(ついな)という行事に由来しているそうです。「おにやらい」「なやらい」とも呼ばれました。大…
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7月19日の宵宮祭りでは、花火が打ち上げられる予定。山ノ内八雲神社は京都の祇園社(八坂神社)を勧請して創建された社。江戸時代までは牛頭天王を祀る天王社でした。…
2025年の江の島灯籠は・・・7月19日(土)~8月31日(日)(雨天中止)18:00~20:30(土・日・祝と8/7~15は21:00まで)☆ ☆ ☆ ☆ ☆
白旗まつりは、源義経を祀る白旗神社の例大祭。木曽義仲追討(宇治川の戦い)、一ノ谷の戦い、屋島の戦い、壇ノ浦の戦いで活躍しますが、兄の源頼朝と不仲となり、118…
山鉾巡行の見せ場の一つ「辻回し」は、鉾・曳山・船鉾が交差点で90度方向転換させる技。巨大な車輪を持つ鉾は自由に操作することはできません。方向を変えるためには、…
貞観年間(859-877)、京都では疫病が大流行。平安宮の庭園・神泉苑で御霊会を行いますが収まりません。そこで、神泉苑に当時の国の数である66の矛を立て、祇園…
かつて、祇園祭の神輿渡御を先導していた「武者行列」が半世紀ぶりに復活!祇園祭の武者行列は、1974年(昭和49年)を最後に途絶えてしまいました。2025年(令…
長刀鉾は、山鉾巡行(前祭)の先頭を行く鉾。毎年、巡行の順番を決める「くじとり式」が行われていますが、長刀鉾は「くじ取らず」の鉾で、古くからの慣習により、必ず巡…
日和神楽は、祇園祭の宵山(7月16日と23日)に行われる行事。提灯が付けられた屋台に鉦・太鼓を据え付け、四条御旅所まで祇園囃子を奏でながら練り歩き、翌日の晴天…
鎌倉の建長寺では、毎年7月15日、三門施餓鬼会と梶原施餓鬼会が行われています。梶原施餓鬼会は、1200年(正治2年)1月20日、駿河国清見関で討死した梶原景時…
今日は小動神社天王祭。小動神社の天王祭は、神戸町・濱上町・土橋町・下町・中原町の5ヶ町の山車が巡行する壮麗な山車祭として知られていました。しかし、1962年(…
2025年は巳年。巳年と亥年に行われる江の島八坂神社の例大祭は、6年に一度の大祭。八坂神社の例大祭は「江の島天王祭」と呼ばれ、腰越の小動神社との行き合い祭。7…
小動神社の天王祭は祇園信仰の祭礼。祇園信仰の祭礼のもとは、京都八坂神社の祭礼「祇園祭」。かつての小動神社の天王祭は、「西の祇園の花車、東は腰越の人形山車」とい…
大町まつりは、明治の神仏分離まで鎌倉祇園社と呼ばれていた八雲神社の祭礼。八雲神社は、永保年間(1080年頃)に新羅三郎義光が京都の祇園社(現在の八坂神社)の神…
四万六千日は観音さまの縁日。観音さまは、この世で幸福と息災を叶えてくれる仏さまとして信仰されてきました。平安時代から18日の観音さまの縁日には、各地の観音霊場…
小動神社小動神社(こゆるぎじんじゃ)は、鎌倉時代に佐々木盛綱が近江国の八王子社を勧請したことに始まるのだと伝えられています。そのため江戸時代までは八王子社と呼…
七夕(7月7日)は、彦星と織姫が年に一度だけ会える日。七夕の頃に咲くのが朝顔。朝顔が咲くのは、彦星と織姫が無事に再会できた表しているのだとか。そして、七夕に食…
貴船まつりは貴船神社の祭礼。宮城県・鹽竈神社の「塩竈みなと祭」、広島県・厳島神社の「管絃祭」とともに「日本三船祭」の一つで、国の無形民俗文化財に指定されていま…
京都の祇園祭の別名は鱧祭り。鱧(ハモ)は京料理にかかせない魚。祇園祭の時期に旬を迎えることから、祭鱧(まつりはも)とも言われるハモ料理でもてなしたからなのだと…
大和郡山城下にある源九郎稲荷神社は、豊臣秀長が郡山城の守護神とした社。源九郎とは・・・源義経の郎党・佐藤忠信に化けて吉野山へ向かう静御前を助けたという白狐…
本覚寺の「にぎり福」は、愛・健・財・学・福の5つを握り込んだお守り。夷堂は、源頼朝が御所の鬼門の鎮守として祀った夷三郎社に始まります。☆ ☆ ☆ ☆ ☆夏休み…
江の島サムエル・コッキング苑でアオノリュウゼツランが咲いています。アオノリュウゼツランは、種が芽吹いてから30年から40年後に10メートルほどの茎を伸ばして黄…
蘆山寺の源氏庭に咲いていたキキョウ。蘆山寺は紫式部の邸跡。『源氏物語』に出てくるアサガオはキキョウのこととも。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
長刀鉾は、祇園祭の「前祭巡行」の先頭を行く鉾。三条宗近が愛娘の病気平癒を願って祇園社(八坂神社)に奉納した長刀を立てたことから「長刀鉾」と呼ばれているのだとい…
1027年(万寿4年)12月4日、摂関政治の最盛期を築いた藤原道長が死去。同日、道長を支えてきた藤原行成も死去。政権が不安定となる中、安房国で反乱を起こしたの…
鎌倉の建長寺では、毎年7月15日、三門施餓鬼会と梶原施餓鬼会が行われています。梶原施餓鬼会は、1200年(正治2年)1月20日、駿河国清見関で討死した梶原景時…
999年(長保元年)の祇園御霊会でのこと。雑芸者の無骨(むこつ)という法師が、大嘗祭で使われる標山に似せた作山を製作し、祇園八坂社の社頭で引き回しました。それ…
円応寺鎌倉西方の境界・長谷には墓地が置かれ、閻魔大王をはじめとする死後に出会う十王を祀る新居閻魔堂がありました。新居閻魔堂は1250年(建長2年)に建立された…
石清水八幡宮石清水八幡宮は、859年(貞観元年)、宇佐八幡宮に参籠した行教が「われは都の近くに移座して国家を鎮護したい」という託宣を受けて石清水男山に創建した…
1028年(長元元年)、関東では平忠常が反乱を起こします。この乱を鎮圧したのが河内源氏の祖・源頼信とその嫡子・頼義。この時代の鎌倉は、平直方が本拠としていまし…
「源氏ゆかりの地である鎌倉を根拠地とするように源頼朝に進言したと『吾妻鏡』に書かれている人物はだれか」答えは千葉常胤。源頼朝は、1159年(平治元年)の平治の…
996年(長徳2年)、越前国司となった父の藤原為時とともに越前国府(武生)へ下った紫式部。一行は、逢坂の関を越えて大津に入り、琵琶湖を渡って塩津浜に上陸。塩津…
「この街の検定はおもしろい」確かに面白い!2024年(令和6年)の鎌倉検定は11月24日(日)に実施されます。試験会場は、鎌倉女子大学大船キャンパス3級午後1…
鶴岡八幡宮の七夕祭神事は7月7日「午後5時から。巫女さんによる神楽舞が奉納されます。 梶の葉をかたどった色紙や短冊型の絵馬に願いを込めます。☆ ☆ ☆ …
江の島天王祭は、「かながわの祭50選」の一つ。対岸の小動神社との行合祭です。神幸祭は7月14日。☆ ☆ ☆ ☆ ☆神幸祭行程9:30 辺津宮祭典10:00 発…
小動神社の天王祭は、江の島の八坂神社の天王祭と同時開催される行合祭。神幸祭は7月14日(日)。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
江の島のアオノリュウゼツランの開花が間もなくです。アオノリュウゼツランは、種が芽吹いてから30年から40年後に10メートルほどの茎を伸ばして黄色い花を咲かせま…
永福寺跡のハスは、2019年(平成31年)に平泉町から鎌倉市に寄贈された中尊寺ハス。中尊寺ハスは、源頼朝の奥州征伐で滅ぼされた藤原泰衡の首桶から見つかったハス…
2024/06/20鎌倉の中心を流れる滑川の河口には、海水浴シーズンになると夏場だけの橋が架けられます。夏場だけの橋夏場だけの橋は、由比ガ浜海水浴場と鎌倉中央…
大町の八雲神社は鎌倉最古の厄除け神社。祭礼の大町まつりは7月13日から7月15日。最終日は縁日。☆ ☆ ☆ ☆ ☆
伝説によると・・・1204年(元久元年)、源実朝は鶴岡八幡宮の供僧・良真を宋国に派遣。江の島の辺津宮にある江島霊迹建寺の碑は、能仁寺の慶仁禅師より贈られた…