おはようございます。20年近く4400以上の投稿をしたGooブログに感謝しつつ、Amebaブログに引っ越ししました。新しいブログはこちら今後ともよろしくお願いいたします。このブログの閉鎖は未定ですがGooブログの最終日までということになるかと思います。ただ、新しい投稿はAmebaになりますのでご注意ください。使い勝手などが変わりまして、皆様には申し訳なく思っております。森裕行ブログを引っ越ししました。
「生き甲斐の心理学」の知恵を活かし、イキイキと毎日を生きましょう。私は縄文小説も楽しんでます!
東京生まれ。7才のときに米国アラスカで暮らす経験をもつ。外資系コンピュータ会社に勤め、52歳で円満退職。その後、生き甲斐の心理学を学び特定非営利活動法人CULLカリタスカウンセリング学会理事兼講師。縄文小説を2017年に上梓し縄文文化の研究もしている。
何を信じて生きるのか?(8/10 縄文時代をどう解釈するか)
何を信じて生きているか・・・これは結構大きな問題である。自分の人生を振り返っても、例えば高校生ー大学生のころの学生運動が激しかった時期などは、青春時代なのでということもあるが、相当揺らいだ経験がある。信じる対象は、宗教や哲学、学校や企業、共同体、人間関係などいろいろあるが、バックボーンというような死生観を含む宗教や哲学は特に重要。そして、バックボーンが決まってくると、不思議なことに自分の道が見えてくる。人生の始まりから終わりまでを託せるような道が見えてくると、何が変わるか。一番変わってくるのは、ストレス曲線というか暗い感情への対応かもしれない。暗い感情の情動に振り回されず、自分の道がより俯瞰でき、行動が的を得るようになってくる。これはどんな状況でも明るさを失わず前向きに生きることにつうじるが、ストレスに耐...何を信じて生きるのか?(8/10縄文時代をどう解釈するか)
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おはようございます。20年近く4400以上の投稿をしたGooブログに感謝しつつ、Amebaブログに引っ越ししました。新しいブログはこちら今後ともよろしくお願いいたします。このブログの閉鎖は未定ですがGooブログの最終日までということになるかと思います。ただ、新しい投稿はAmebaになりますのでご注意ください。使い勝手などが変わりまして、皆様には申し訳なく思っております。森裕行ブログを引っ越ししました。
春生まれで春が好きだったのに、花粉症で外出がつらいこのごろ。いつの間にか、この季節は籠って本を楽しむことが増えた・・といって縄文の合間であるが。もともと、私は少年時代から理科系で科学好きだったので、この季節は理科系の人(今の職業というより理科系出身者や理科系の思考に長けている方か)の書いたものを読むとイキイキしてくる。最近心に残った本としては、魂の問題を追った本「精神の考古学」(中沢新一著新潮社2024)に感動した。仏教だけでなく三位一体の神のキリスト教も理解されたうえで語られており勉強になった。縄文を語る上でも大事な本だと感じた。また、ギリシャの沈没船での謎の歯車で作られた機械を追った「アンティキティラ古代ギリシャのコンピュータ」(ジョー・マーチャント著木村博江翻訳文芸春秋2009)は天体と宗教や生活に...2-4月の花粉の季節は私の読書季節(3/10五感と縄文時代)
縄文時代の土偶。日本の考古学は明治時代から始まるが、一般には女神像と言われることが多い。国宝の土偶などほれぼれするものもあるが、例えば巻頭の東京都の子抱き土偶を見ると、まず、この像をご覧になった多くの方は、母の子に対する無条件の愛や子の母に対する無条件の信頼を思い出したりし、深い感動を覚えるのではないだろうか。そして、それが約5000年前、つまり150世代とか200世代くらい引き継がれていることを知ると、さらに感動するかもしれない。しかし、この像をじっくり見ると、何か変な部分がいくつか見つかる。ある考古学者は、単なる女神像ではなく人間以外の生命体=精霊もかたどっているのではないかと言われていたが、たしかにそういう見方もあるかもしれない。もともと、神仏の像は人智の及ばぬものとし、偶像崇拝に疑問を投げかける先...湧き上がる感情の真実・・子抱き土偶雑感(2/10五感と縄文時代)
何百種類の動植物と日常的に接していた縄文時代。彼らの五感・体感はどうだったのだろうか。素晴らしい蒸し器に使ったと思われる深鉢や、素晴らしいご馳走が並んだと思われる大振りの浅鉢を見ると、どうしても空想の世界に誘われる。特に私は20年以上U先生の比較宗教学や比較文化論の影響をうけた生き甲斐の心理学を学んでいて、五感に関わる世界にとても興味がある。そんなことで自分の生育史上の五感、喜怒哀楽、真善美についてはいろいろ研究している。こうした自分自身の研究が縄文時代の解釈と繋がって、例えば縄文人の味覚について何か分かればとも思うが、それはまだまだ未知の世界である。特に私だけでないかもしれないが、五感に対する感受性は低くなり、例えば食べられるか食べられないかを判断するときに、賞味期限表示で見て決めたりする。昭和30年台...味覚に潜む愛・・(五感と縄文時代1/10)
発達心理学で有名なエリクソンは、60歳以降を知恵の年代と呼んでいた。生物学的に衰え次世代に様々なことを引き渡す年代であり、やがて死を迎える年代である。私も70台で確かに、体力的にも記憶力なども衰えていくのを感じるが、そうでないのが一つあるようだ。結晶性知能という経験や学習で積み重ねられた能力のことらしい。現代でも様々な分野で活躍されている70歳台、80歳台・・の方々は多いし、過去を振り返って立派な足跡をのこされた方も少なくない。しかし、この知恵の年代。気が重くなることも多い。知人から訃報や病気の話を聞くことも多くなる。また、時代や価値観も変わり若いころに苦労したのは何だったのかと考え込むこともある。人間関係など年をとったからと言って同じように悩むこともあるだろう。そして、この年代特有といってもよいネガティ...知恵を育み手放していく・・・(今ここと縄文時代10/10)
縄文人の生活の場である環状集落や貝塚、ストーンサークルをいろいろ調べていると、縄文人の時間や空間認識の特殊性に気付いてくる。現実の普通の時は我々も縄文人にも等しく物理学でいう時間が流れ、空間も東西南北を中心に正確に位置決めができる。ただ、例えば時は決して体験上同じではなく(空間もそうだが)、ある瞬間に何か質的に異なる流れ方をするようだ。ギリシャ人はクロノスとカイロスとわけたが、私もそうかなと思う。U先生から15年くらい昔に教えてもらって購入し、当時感動した「脳はいかにして<神>を見るか」(アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ウィンズ・ローズ著茂木健一郎監訳PHP研究所2003)を思い出して取り出した。この本は実に不思議な実験をもとに神秘体験を脳科学的に追っている。空間や時間の感覚がなくなるとい...縄文人の時空感覚と子抱土偶(9/10今ここと縄文時代)
この頃「生き甲斐の心理学」の師匠であるU先生の影響か、個性の美についてよく考える。人生を左右するようなその人の傾向と渇望、人生の方向性は意外に人生のスタート地点の0歳から2歳ごろ(少年少女時代もあるだろうが)に決まってくるのではという学説がある。記憶も定かでないころ。私は一年羽田飛行場の近くに住んでいた。まあ多摩川の河口の近くといえば言える。ただ、物心ついてからは四ツ谷坂町で就職してすぐのころまでそこに住んでいたので、四ツ谷生まれという自己イメージを持っていたが、その後の人生を振り返ってみると、多摩川の支流の大栗川下流域に20年近く、さらに中流域に20年近くとサケのように?しかもゆっくり遡っている。これは、私の源流を求めるような無意識の仕業ではあるまいか。笑ってしまうが、歴史の興味も飛鳥時代から始まり、今...縄文人の個性の美(8/10今ここと縄文時代)
もう10年以上前だが、多摩動物公園のパスポートを購入して、しばしば動物を見に行った時期がある。まだ、縄文時代に開眼しておらず(笑)、U先生の比較宗教学や文化人類学をベースにした臨床心理学の研究の一環であった。写真のイノシシはさほど慎重に見なかったが、今のように縄文時代に興味があれば一日見学していたかもしれない。当時はシマウマの観察だった。大きなストレスがあるようでいつも飼育舎の前で怒り蹴ったりして暴れていた、その後仔馬が生まれて安堵したこともあった。動物のこころの成長は専門知識がなくて詳細は分からないが、ロジャースの人格形成論(19の命題)の半分以上は行動を見ていると当てはまるようだ。先のシマウマの異常行動/愛の孤独?も当のシマウマにとっては何らか意味があることはあきらかではあるが、それが何かは近しい関係...イノシシが見えると言うこと・・・人格形成論を巡って。(7/10今ここと縄文時代)
少し前の10月25日に江戸東京たてもの館の展示を見に行った。目的は珍しく一つ。八王子市の中原遺跡の土器の見学でした。残念なことに優品の土器二つの内一つしか展示されてなかったものの、四把手のキャリパー型土器(おそらく蒸し器)をじっくり味わうことができた。このところ縄文中期の祖先たちがどのような食事をしていたのか興味をもち、特に祝宴のご馳走をどのように作り皆で共食していたかにうつつを抜かしていた。土器は煮炊きや蒸かし器などとして利用されたようだが、どのような材料を調理していたかが大きな関心だった。中原遺跡の顔面把手深鉢や蛇文土器、さらに同時期に非常に近しい関係にあった子抱き土偶で有名な宮田遺跡も何かイノシシに縁が深い集落のようで、武蔵野郷土館のイベントを知って猪突猛進で見学に来てしまった。展示は正面ではなく横...イノシシを追って!旧武蔵野郷土館・中原遺跡の土器と愛の原型・・・(6/10今ここと縄文時代)
暑い夏から秋が何となく終わって急に寒くなったっこのごろ。季節の変わり目は体調を崩しやすいので注意していたものの、この数日体調がが今一つだった。そんな時にU先生の比較宗教学や比較文化の影響を受けた生き甲斐の心理学のテキストを読み直していたら、体調を崩していたのはひょっとしたら心因性の問題も絡んでいたかと気づいた。年をとってから時間に追われるような生活を、年よりのひやみずでしていたこともあったのだろう。不安が怒りに、怒りが身体症状に・・・(このあとほっていくと身体症状がウツ、さらに錯乱と進む)亢進していったのかもしれない。そうした時、生き甲斐の心理学では幼いころのウツの原型(体験)を思い出すことを勧められる。ある状況に陥ると変になっていく自分の傾向を知ることは大切だ。そうした傾向を知っていると、自分の環境を変...ストレスの解放と縄文土器のものがたり(5/10今ここと縄文時代)
7月の種子島の旅、そして最近行った青森の旅。そこで時に旧石器時代、時に縄文時代、そして時に数百年前の日本列島の住人たちの偉業に驚嘆した。WebマガジンAMORで種子島の旅について(こちら)書かせていただいたが、写真の三内丸山遺跡の栗の巨木(直径1m)で作った大型掘立柱構造物も二至二分との関係や正確な縄文尺(35cm)を駆使しした設計であり、柱の残存物(焼いたりして保存性が高まったのだろう)が地下に残っていたことなどから、ただものでない偉業であることが感じられた。三内丸山遺跡常設展にて筆者撮影八戸の是川縄文館で見た「縄文時代の編組の探求」展。縄文晩期の籃胎漆器(らんたいしっき)や編み籠にはさらに驚いた。何年か前に佐賀県の東名(ひがしみょう)遺跡で8000年前の沢山の編みかごを見て、現代の編組技術がすでに遥か...縄文時代の偉業は何故達成されたのか?(4/10今ここと縄文時代)
やっと縄文小説の2作目が身近になってきたような気になっている。もちろん道半ばなのであるが。2016年の終わりに第一作目を書いてから8年目。そもそも小説を書こうと思ったのは2014年ごろで、U先生の「生き甲斐の心理学」の私的論文執筆を意識し始めたころだ。2015年に論文は完成したものの、書き足りない部分を並行して表したのが縄文小説第一作であった。小説家になるなど今まで考えてもいなかったので、自分でも驚いた。U先生の心理学(生き甲斐の心理学)は比較宗教学と比較文化論をベースにした欧米の学問であり、キリスト教文化圏の影響が大きい。さらに私自身も幼児洗礼のカトリック信徒だったこともあるのだろうか、古層の縄文文化が私の中で不思議に響いた。人の成育史は生れ落ちてからの経験の地層のようなものから形成されるように考えてい...縄文小説の第2作の決意表明(3/10今ここと縄文時代)
0歳から12歳までは真善美の真の時代だと心理学のU先生から学んだが、この数か月の地元の子供にふるさとの縄文を学んでもらおうとする中で、これはかなり正しい見方だと思うようになった。ちなみに13歳から34歳は善、それ以降は美とのこと。人間の子供は、他の動物と比べて五感も未発達な早熟の状態で生まれるが急速に成長し、6-7歳になると罪悪感で悩むこともでてくるが自発性を発達させ。そして、8歳くらいになると回りを気にし劣等感を味わう中で好奇心や集団性も育てていく。そして、なにより12歳くらいまでは五感・体感が鋭くかつ変な知識や身体の発達からくる欲望の影響も少なく、世の中をありのままに捉えることのできる年代なのだと思う。この世の真実は今ここの現実の中に宿る。それは科学的な知識ではなく、個人の直観(防衛機制から離れた)を...こどもと縄文人の不思議な関係(2/10今ここと縄文時代)
かつて私が某外資系企業で働いていた時(35年くらい前だったか)、久しぶりに元同僚のN氏にあった。楽しい語らいの中で、彼は最近ストレスがたまると年表を眺めると言っていた。その年表は江戸時代とかが出てる年表ではなく、カンブリア紀とか先カンブリア紀といった何億年単位の年表だそうだ。すると、今の自分の問題もあまりに小さく見えてくるとのこと。そんなことを思い出したのは、今回「南の縄文の旅」という国際縄文学協会の催しに参加したためである。この10年くらい心理学からの興味から縄文時代に興味を持ち、あちこち旅をしたり地元の西関東や甲信の縄文を学んだりしていた。当然ながら早期や前期も気になるものの中心は中期で4500年前から5500年前が中心。それが南九州や種子島などの島しょ部になると一挙に8000年前とか11000年前が...桜島を眺めながら時を考える(1/10今ここと縄文時代)
2024年6月1日(土)と2日(日)の両日は、千葉県の養老渓谷駅近くの土偶作家の田野紀代子さんのアトリエ、土偶ZANMAIに滞在していた。田野さんは土偶を所蔵されている現地に出向き、実測図などを入手するだけでなく、出来るだけ五感で体得され。そっくりなものを魂を込めて造る。当然ながら、粘土や混ぜ物、焼き方も当時の縄文人を意識して作られる。造形保存の森山哲和氏がいみじくも述べられた「原位置再生」というレプリカとは全く異なる地平を切り開いていらっしゃるのだ。縄文時代の祖先の造ったモノをとおして、それを本当に再生されているのかもしれない。私は、八王子市の宮田遺跡で発掘された「子抱き土偶」に強い関心を持っていた。縄文時代の愛の原型とは何なのだろうか。そしてレプリカであるが八王子市の郷土資料館で出会った(巻頭の写真)...縄文時代の愛の原型を想う(10/10縄文時代をどう解釈するか)
約20年前に八王子市に引っ越ししてから、いつも愛でていた大イチョウ。八王子市由木東市民センターのそばにあり、樹齢500年とも言われる。かつては神社の境内にあったそうだが、神社は移設され今は大イチョウだけが残る。この大イチョウのそばの由木東市民センターは、尾根に近く見晴らしがすばらしいので良く利用させて頂いたが、次第にこの清々しい地域の由来に興味が湧くようになってきた。やがて、縄文時代に興味を持つようになり、このイチョウの近くに多摩ニュータウン64遺跡があることがわかり、調査報告書を読んだりした。中期と後期(前半の堀之内期)の住居址が二つ見つかり、大イチョウのそばに柄鏡形敷石住居が発掘されたことを知った。その住居址の入口はほぼ真西の向きにあり、春分や秋分の入日が住居の中に差し込むようになっていたようだ。日本...大イチョウのささやき(9/10縄文時代をどう解釈するか)
何を信じて生きているか・・・これは結構大きな問題である。自分の人生を振り返っても、例えば高校生ー大学生のころの学生運動が激しかった時期などは、青春時代なのでということもあるが、相当揺らいだ経験がある。信じる対象は、宗教や哲学、学校や企業、共同体、人間関係などいろいろあるが、バックボーンというような死生観を含む宗教や哲学は特に重要。そして、バックボーンが決まってくると、不思議なことに自分の道が見えてくる。人生の始まりから終わりまでを託せるような道が見えてくると、何が変わるか。一番変わってくるのは、ストレス曲線というか暗い感情への対応かもしれない。暗い感情の情動に振り回されず、自分の道がより俯瞰でき、行動が的を得るようになってくる。これはどんな状況でも明るさを失わず前向きに生きることにつうじるが、ストレスに耐...何を信じて生きるのか?(8/10縄文時代をどう解釈するか)
私の祖父母は文字通り東男と京女であった。当時は非常に珍しかっただろうに、夫婦円満で私の母が東京で生まれた。そして、東京で母は育ち、西日本生まれの父と結婚し東京に住むようになった。その後、私は東京に生まれ育ったが、西日本生まれの妻と大阪で結婚した。こうして三代にわたり正月には丸餅と角餅の葛藤(郷にあって郷に従うのだが本音は?)があったことになる。しかし、つい最近まで、そのこと自体が特別なことと全く感じていなかった。しかし網野義彦氏の「東と西の語る日本の歴史」をパラパラみていたら、東と西が結婚する確率はせいぜい10%くらいだそうで(昭和42年)ふつうは東は東、西は西どうし、明治や平成でその確率は変わるのだろうが、3代にわたり東と西が結婚するのはこの10%の確率を仮定すると、えいやで3代にわたる東西婚は0.1%...国内の異文化結婚、何か寅さんを思い浮かべる・・・(7/10縄文時代をどう解釈するか)
この一週間は人生の中でも特出すべき一週間であったようだ。先の土曜日は高校卒業後54年、はじめての同学年合同クラス会。当然ながら皆前期高齢者であった。私の時代は都立高校は学校群1年生で揺れた上に、2年3年は学園紛争の最盛期であり、高校生活も生徒による封鎖や学校によるロックアウトで授業もろくに行われなかった。青年期の多感な時期の混乱で何か学校はバラバラになったように感じた。それ故、同学年合同クラス会には150人くらい集まったが、恩師の参加は当たり前だがなかった。年を取りすぎたのである。そして、私も友人と集会の前に一緒に食事をしたり、二次会に参加したりでまる一日親交を温めた。そして、不思議なほど高齢者の話題は出ず(病気、孫、お金)ある意味幸せな時間を過ごさせていただいた。ただ、世相を反映してか年の影響かここ一つ...縄文時代だけでなく今を生きる神話論理・・・(6/10縄文時代をどう解釈するか)
文章も残されていない先史時代の縄文時代をどのように学んだ行くかは大きな課題である。考古学にたずさわる先輩等のお陰で考古資料もきちんと残され、また記紀、万葉集、昔話など神話や伝承も7-8世紀以降ではあるがきちっと残されている。民俗学の知見も役に立つ。日本は島国ということもあったのだろう、同調意識やアイデンティティの強い社会であったこともあり、縄文時代を研究することは決して無謀でもなく、行き詰まった現代文明を照らす成果は期待できると思う。そして、縄文文化の理解のカギは、そのアイデンティティである宗教の解明ではないかと思う。しかし、こうした手がかりだけで理解を深めることができるだろうか。比較宗教学のある研究者の方は自分の信じている宗教以外を研究する場合は、その宗教を信じている信者と信頼関係を結び、インタビューし...縄文時代の人たちとの接し方(5/10縄文時代をどう解釈するか)
2024年6月1日(土)と2日(日)の両日は、千葉県の養老渓谷駅近くの土偶作家の田野紀代子さんのアトリエ、土偶ZANMAIに滞在していた。田野さんは土偶を所蔵されている現地に出向き、実測図などを入手するだけでなく、出来るだけ五感で体得され。そっくりなものを魂を込めて造る。当然ながら、粘土や混ぜ物、焼き方も当時の縄文人を意識して作られる。造形保存の森山哲和氏がいみじくも述べられた「原位置再生」というレプリカとは全く異なる地平を切り開いていらっしゃるのだ。縄文時代の祖先の造ったモノをとおして、それを本当に再生されているのかもしれない。私は、八王子市の宮田遺跡で発掘された「子抱き土偶」に強い関心を持っていた。縄文時代の愛の原型とは何なのだろうか。そしてレプリカであるが八王子市の郷土資料館で出会った(巻頭の写真)...縄文時代の愛の原型を想う(10/10縄文時代をどう解釈するか)
約20年前に八王子市に引っ越ししてから、いつも愛でていた大イチョウ。八王子市由木東市民センターのそばにあり、樹齢500年とも言われる。かつては神社の境内にあったそうだが、神社は移設され今は大イチョウだけが残る。この大イチョウのそばの由木東市民センターは、尾根に近く見晴らしがすばらしいので良く利用させて頂いたが、次第にこの清々しい地域の由来に興味が湧くようになってきた。やがて、縄文時代に興味を持つようになり、このイチョウの近くに多摩ニュータウン64遺跡があることがわかり、調査報告書を読んだりした。中期と後期(前半の堀之内期)の住居址が二つ見つかり、大イチョウのそばに柄鏡形敷石住居が発掘されたことを知った。その住居址の入口はほぼ真西の向きにあり、春分や秋分の入日が住居の中に差し込むようになっていたようだ。日本...大イチョウのささやき(9/10縄文時代をどう解釈するか)
何を信じて生きているか・・・これは結構大きな問題である。自分の人生を振り返っても、例えば高校生ー大学生のころの学生運動が激しかった時期などは、青春時代なのでということもあるが、相当揺らいだ経験がある。信じる対象は、宗教や哲学、学校や企業、共同体、人間関係などいろいろあるが、バックボーンというような死生観を含む宗教や哲学は特に重要。そして、バックボーンが決まってくると、不思議なことに自分の道が見えてくる。人生の始まりから終わりまでを託せるような道が見えてくると、何が変わるか。一番変わってくるのは、ストレス曲線というか暗い感情への対応かもしれない。暗い感情の情動に振り回されず、自分の道がより俯瞰でき、行動が的を得るようになってくる。これはどんな状況でも明るさを失わず前向きに生きることにつうじるが、ストレスに耐...何を信じて生きるのか?(8/10縄文時代をどう解釈するか)
私の祖父母は文字通り東男と京女であった。当時は非常に珍しかっただろうに、夫婦円満で私の母が東京で生まれた。そして、東京で母は育ち、西日本生まれの父と結婚し東京に住むようになった。その後、私は東京に生まれ育ったが、西日本生まれの妻と大阪で結婚した。こうして三代にわたり正月には丸餅と角餅の葛藤(郷にあって郷に従うのだが本音は?)があったことになる。しかし、つい最近まで、そのこと自体が特別なことと全く感じていなかった。しかし網野義彦氏の「東と西の語る日本の歴史」をパラパラみていたら、東と西が結婚する確率はせいぜい10%くらいだそうで(昭和42年)ふつうは東は東、西は西どうし、明治や平成でその確率は変わるのだろうが、3代にわたり東と西が結婚するのはこの10%の確率を仮定すると、えいやで3代にわたる東西婚は0.1%...国内の異文化結婚、何か寅さんを思い浮かべる・・・(7/10縄文時代をどう解釈するか)
この一週間は人生の中でも特出すべき一週間であったようだ。先の土曜日は高校卒業後54年、はじめての同学年合同クラス会。当然ながら皆前期高齢者であった。私の時代は都立高校は学校群1年生で揺れた上に、2年3年は学園紛争の最盛期であり、高校生活も生徒による封鎖や学校によるロックアウトで授業もろくに行われなかった。青年期の多感な時期の混乱で何か学校はバラバラになったように感じた。それ故、同学年合同クラス会には150人くらい集まったが、恩師の参加は当たり前だがなかった。年を取りすぎたのである。そして、私も友人と集会の前に一緒に食事をしたり、二次会に参加したりでまる一日親交を温めた。そして、不思議なほど高齢者の話題は出ず(病気、孫、お金)ある意味幸せな時間を過ごさせていただいた。ただ、世相を反映してか年の影響かここ一つ...縄文時代だけでなく今を生きる神話論理・・・(6/10縄文時代をどう解釈するか)
文章も残されていない先史時代の縄文時代をどのように学んだ行くかは大きな課題である。考古学にたずさわる先輩等のお陰で考古資料もきちんと残され、また記紀、万葉集、昔話など神話や伝承も7-8世紀以降ではあるがきちっと残されている。民俗学の知見も役に立つ。日本は島国ということもあったのだろう、同調意識やアイデンティティの強い社会であったこともあり、縄文時代を研究することは決して無謀でもなく、行き詰まった現代文明を照らす成果は期待できると思う。そして、縄文文化の理解のカギは、そのアイデンティティである宗教の解明ではないかと思う。しかし、こうした手がかりだけで理解を深めることができるだろうか。比較宗教学のある研究者の方は自分の信じている宗教以外を研究する場合は、その宗教を信じている信者と信頼関係を結び、インタビューし...縄文時代の人たちとの接し方(5/10縄文時代をどう解釈するか)
U先生から比較宗教学や文化人類学の影響を受けた臨床心理学の「生き甲斐の心理学」を学び続け、NPOに所属しその普及活動もさせていただいている。そんなことでU先生の「生き甲斐の心理学」のテキストは何回も読み返しているが、奥が深いので読むたびに何か発見がある。今日も何か新鮮な一文を見つけて感動してしまった。それは、人は自分の本音がなかなかつかめないということ。学術用語で自己覚知の話である。生きていくと、利害得失や倫理観、プライド・・・そんなことにこころを奪われ、自分の本音が見えなくなる。本音とは深い意味がここではあり、生命体の核心にある知恵とも言えるかもしれない。それは真善美にも通じ、人生でぶつかる問題解決への道でもあろう。そして、この本音が見えない時(もやもやする時)に助けてくれるもの、それについてテキスト7...自分を知るために縄文を学ぶ・・・(4/10縄文時代をどう解釈するか)
のんびりと谷川と渓谷の地層を見ながら温泉に入る。千葉県房総半島の真ん中あたりの養老渓谷周辺に縄文も楽しみながら素敵な小旅行をしてきた。今回はこの地層について語っていきたい。地層に大いに興味を持ち始めたのは若狭の福井県年稿博物館に行ってからだ。水月湖の底をボーリングして7万年分の堆積物(地層)を主な展示物とする年稿博物館。その年稿の美しさに気づいたのはMさんのお陰もあるが、地層もまったく同じである。地層は考古学では遺跡の調査報告書には必ずと言っていいほど記載されていて、昔は飛ばして読んだものだが、最近は丁寧に読むようになった。小学生のころ庭に穴を掘ったりした経験なども繋がってきているようである。今興味を持っている多摩境の小山白山公園の245遺跡や周辺の粘土採掘場遺跡あたりの地層・・・今は綺麗に整地され写真で...心の地層をたどる旅(3/10縄文時代をどう解釈するか)
人生は不思議な巡り合いで紡がれていくようである。昨年はWebマガジンに「縄文時代の愛と魂」お題で、小説ではなくある研究会での講演内容を骨格にエッセイ(自分なりに学術的基盤もつくる意味があったが)を毎月投稿し始めた。その活動もあり、当初の第2段の小説はだいぶ遅れてしまった。ただ、縄文時代の人々がどういうアイデンティティをもっていたかについては、かなり自分なりに理解できたところがある。私は幼児洗礼を授かったカトリック信徒であるが、日本文化においては井上洋治神父などの研究はあるものの、今だ根無し草のような感じを持っていて、それゆえ日本の原型の縄文時代に憧れを持ったところがあった。人類は20万年前にアフリカで誕生し、6−7万年前にアフリカを出立して世界に散らばったという説は、遺伝子科学の進展でほぼ定説化されている...明るい縄文短編小説でも書こうか・・(2/10縄文時代をどう解釈するか)
今年は元旦に能登半島地震と航空機事故があり、いつもと違う正月を迎えた。新年会で「辰年は大きな変化がある年」そんな挨拶に耳を澄ませたことも。人は大きな変化のある時に悩み、時に自分で背負いきれなくなり心の病に陥ることが多い。元旦の事件のように運命的な事件に巻き込まれるとき。あるいは人生の大きな節目のとき、そして今日お話ししたい異文化に遭遇したとき。こうした時はかつての自分なりの常識がなりたたず、途方に暮れてしまうことも多い。その中でこころの健康を保ち生き抜くには、心のオアシスを見つけ育てていくことかもしれない。戦ってばかりいると人間は意外に簡単に参ってしまう。心のオアシスはこうした時には、殆ど見えにくいが確実にあるはずだ。ちょっとした他者の善意にほっとするとき、普段ではなんだそんなものとネガティブにとらえてい...変化がある辰年のような時代を生き抜くには・・(1/10縄文時代をどう解釈するか)