気だけは若い。 超純情小説や日々のさまざまなことを、ぼちぼちとつづっています。
娘が登録しました、 ぜひ見てやってください。
春子さんが花絵さんと住田君のことを話し合ってから随分時間が経った。 あれは十六夜の月が美しい秋の夜、もう半年も前のことだったのかと、大切なことを 放り出したままにしておいた自分に呆れてしまった春子さん。 この間少し体調を崩してそれを花絵さんに知られたくなくて、つい長いご無沙汰になった。 住田夫人に不信を抱いたまま花絵さんの方からも、このことについては何の話もなかった。 そうして春子さんも大分元気になり、気持ちの整理もできたので、やっと花絵さんとじっくり 話せると思っていた矢先に突然花絵さんの訃報が届いた。 春子さんは愕然として悲しみのどん底に沈んだまま、浮き上がることが出来ずにいた。 冷たい雨が降りしきる夜に、花絵さんは心不全で一人で逝ったのだという。 だんだん事情が分かってきてもどうして?何故?あの元気だった花絵さんが。と彼女の死を 受け入れ..
令和になってもたもたしているdanをあざ笑うかのようにはや半月。 今朝がた夢をみました。なんだかやたら長い夢で夫を始め大勢の登場人物ががやがやと 海だか山だかで、楽しそうにバーべーキューなんかしています。 少し離れた木陰でパソコンを膝に四苦八苦しているdanがいます。 ああこの夢はすぐ記録しておかないと忘れてしまうからと枕元のメモ帳を探しているところで 目が覚めました。 そして考えました。夢の中でも折角出て来た夫と話もせずにパソコンに向かっている私。 ブログ始めた頃は何も知らないから怖いものなし。 だらだらと面白いように何でも書いていた。そしてそれを負担に思ったことなどなかったのに。 そのうち種切れ、才能なしに気がついてあたふた。ブログのこともだんだんわかって来て少し 怖くなったのも事実です。 でも書くことが嫌いではなかったし、素敵..
平成から令和へ。 計画通りの二週間を終えて我が家に帰りました。 子供世代と行動を共にしたら、さすがに疲労困憊。 今日はごろ寝を決め込んでいます。 平成最後の日は娘と銀座の空気を胸いっぱい吸い込んで深呼吸。いい時代でしたと。 令和の幕開けは皇居前広場をゆっくり歩いて二重橋まで。新天皇、皇后さまに最敬礼。 午後からは、一別以来の親友に逢いに娘さんの案内でお墓参りに行きました。 お花をあげてお線香をたいて手を合わせると涙が溢れました。 美しくて賢くて元気な、私の自慢の彼女がすっきりとした立ち姿で目の前にいました。 子供たちとの温泉行は甲府湯村温泉。新宿からスーパーあずさ号で二時間の快適な旅。 六十余年前、夫が出張で行って「とてもよかった新婚旅行ならよかったのに」と絵葉書をくれた のを思い出して昇仙峡へも足を延ばしました。 甲府駅からタクシーで滝上まで、..
平成最後の日、この記念すべき日に東京に居るのです。どこかへに行こう。 皇居に近いところは人でいっぱいでしょう。ずっと一人で考えていました。 私にとっての平成を思い返してみました。 もしかして人生で一番のんびりしていた頃だと思います。 昭和に生まれて大人になり「この人でなれければ」と思う人と結婚して、二人の子供を育て 大学入学と同時に二人とも十八歳で家を出て行きました。 私たちは子供の思うように彼らの人生を生きてもらいたいと、いつも話していたので 別に寂しいとも思わなかったし、卒業したら帰れとも言いませんでした。 それでも長男は就職を決める時「帰らなくてもいいのか」と言ってくれました。 友人たちが家の都合で実家に帰るのを目の当たりにしたからでしょうか。 で、そのまま二人とも東京に居ついてしまいました。 私たち夫婦は二人して大好きな自分たち..
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