ならまちにも「御霊神社」があります。やはり、桓武天皇の祈願所です。 794年、桓武天皇の即位に伴う「平安遷都」がありましたが、時代が大きく変わるときには、色々…
テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。
最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。
JR久留米駅前ロータリに「とんこつラーメン発祥の地」碑があります。久留米に、九州で最初のラーメンが誕生したには、昭和12年頃のこと。 中華料理の「汁そば」をル…
元和7年(1621)、荒れ果てて廃城寸前の「久留米城」に、丹波福知山から移封された「有馬豊氏(久留米藩有馬氏初代)」が入城しました。有馬氏は村上源氏の流れを汲…
「月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ふるものは、日々旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。・・・…
文禄3年(1594)に関東郡代:伊奈忠次により架橋された「千住大橋」。写真の橋上部に書かれた橋名は「大橋」です。即ち、文禄3年の段階では、隅田川に唯一架橋され…
「素戔雄神社」を北上し「千住大橋」の手前にあるのが「誓願寺」です。こじんまりとした寺院ですが、長保元年(999)に恵心僧都源信が開創したと言われる古刹です。 …
南千住の日光街道沿い。「素戔雄神社」の反対側にある「真養寺(日蓮宗)」です。 万治2年(1659)に「運千山自性院」として創建されました。横浜の吉田新田を開拓…
時あたかも6月下旬。南千住は日光街道沿いの「素戔雄神社」では、「夏越しの祓」の真っ最中でした。「素戔雄神社」は、創建1200年と言われる下町の古社です。かつて…
日光街道を北上、千住大橋の手前に鎮座する「素戔嗚神社」です。正式字体は「戔」の下に「皿」が入ります。 「役小角の高弟、黒珍」が、延暦14年(795)に創建した…
寛文7年(1667)に、両国回向院の住職/義観が幕府に願い出て、小塚原刑場で刑死したり横死した罪人を弔うべく、創建しました。浄土宗の寺院です。「史跡:小塚原回…
久留米散策の途中ですが、短期、東京へ。江戸時代、刑場は、御府内のすぐ外に設けられました。北には「小塚原刑場」が今の南千住に、そして、南は鈴ケ森刑場が南品川に(…
美味しい「鰻のせいろ蒸し」は、久留米か柳川へ行かないと難しいですが、美味しい中華なら東京で戴けます。日本テレビビルのジブリ時計台の下「潮夢来」です。6月半ば、…
久留米の鰻と言えば「柔らかく風味豊かなせいろ蒸し」。有馬の殿様の「うなぎ好き」が高じて根着いたとも言われています。 JR久留米駅から徒歩3分の「田中鰻屋」。2…
久留米藩21万石有馬家の菩提寺「梅林寺(ばいりんじ)」です。JR久留米駅から徒歩5分の位置にある臨済宗妙心寺派の古刹です。 久留米藩初代・豊氏は、前任地の丹波…
幕末の尊王攘夷派の志士で、禁門の変で自刃した真木和泉を祀る「真木神社」です。和泉は水天宮の宮司で、「真木神社」も水天宮の境内に鎮座しています。 幕末期の有馬家…
JR久留米駅「水天宮口」から徒歩10分の位置に鎮座する、全国総本宮「水天宮」です。御祭神は、天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮そして二位尼です。 寿永4年(11…
「坂本繫二郎生家」を出て少し歩くと、「日輪寺」があります。 平安時代創建の天台宗の寺でしたが、鎌倉時代に「曹洞宗」に改宗しています。菊池氏、加藤清正、細川忠利…
久留米へ入ります。久留米市は人口30万人を超える福岡県第3の都市ですが、博多(JR)や福岡(西鉄)から数十分と近すぎるからか、宿泊したいホテルが無く、博多に宿…
明治43年建築の老舗商店「旧吉田屋酒店」です。「下町風俗資料館付設展示場」として、言問通り沿いに建っています。旧「谷中茶屋町(現:谷中6丁目)」。昭和61年ま…
寛永寺から少し歩くと、「浄名院(天台宗)」があります。寛文6年(1666)開創で、「寛永寺36坊のひとつ」です。4代将軍・家綱公の母親(宝樹院)の菩提所として…
延暦寺や醍醐寺のように、ときの年号を戴く寺院は、極めて稀です。此の「寛永寺」は、山門主に「輪王寺宮(=後水尾天皇の第三皇子)」を迎え、上野忍岡の広大な地に、寛…
上野の東京芸大裏にある「黒田記念館」です。この2階に「黒田清輝記念室」があり、時々ですが、教科書で見た名作も掛かっています。 黒田清輝は薩摩の生まれ。伯父の黒…
現在の「国際こども図書館」の建物は、1906年に落成した「帝国図書館」の建物をリノベーションし使用しています。此の「帝国図書館」こそ、時の大日本帝国が、東洋一…
元和8年(1622)天海は江戸城の鬼門に当たる上野忍岡の地を与えられ、徳川家の祈願寺としての大寺院の建造を許されました。貫主の「輪王寺宮(=後水尾天皇の第三皇…
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ならまちにも「御霊神社」があります。やはり、桓武天皇の祈願所です。 794年、桓武天皇の即位に伴う「平安遷都」がありましたが、時代が大きく変わるときには、色々…
前身は「元興寺の子院」だったと言われている「法徳院(融通念仏宗)」です。「十輪院」の左隣りにあります。 17世紀初めに、倍巖上人が再興しました。 御本尊の「…
「ならまち」へ戻り、「興善寺(浄土宗)」です。前身は、元興寺の奥之院だったと言われる寺院です。 天正年間(16世紀)に、慶誉上人により、開創されました。 …
薬師寺から唐招提寺へ行く途中に発見した、風雅な蕎麦処です。予備知識なく散策の途中に出逢った、当に、一期一会の遭遇でした。 「蕎麦処 よしむら」です。 香…
天平宝字3年(759)に鑑真和上が、当時の新田部(にたべ)親王の旧宅地を賜り創建した「唐招提寺」です。 各伽藍を見てみましょう。 まずは「金堂(奈良時代、国…
それでは「鑑真和上」とは。 和上は688年に、中国の揚州で誕生されました。14歳のときに、揚州の「大雲寺」で出家。21歳で長安の実際寺の「戒壇」で、弘景律師に…
薬師寺を出て北へ5分程歩くと、松林と土塀に囲まれた厳かな雰囲気の「唐招提寺」が見えて来ます。此処は律宗の総本山で、艱難辛苦の末、日本への渡来を果たされた「鑑真…
「大講堂」です。 多くの学僧が、仏教を学んだ古代の伽藍。規模は、金堂よりも講堂の方が大きい。平成15年の再建です。伝統工法による再建では、史上最大です。 本尊…
平城京の前の藤原京からの長い歴史を有する「薬師寺」は、天平2年(730)には、金堂の前に東塔と西塔を有する「薬師寺式の伽藍配置」を完了したと思われます。 しか…
近鉄「西ノ京」駅を出ると薬師寺の大きな境内があり、象徴的な東塔と西塔が目に飛び込んできます。 ただ、「西ノ京」駅に近い薬師寺北側の「與楽口」は、いわば裏口で、…
「休ケ岡八幡宮」の末社、「孫太郎稲荷神社」です。江戸初期に、姫路から此の地へ遷座してきました。更に古くは、下野・佐野からとも。 平安中期、藤原頼行公により、…
「薬師寺」へ進みますが、まずは、関連社寺から。 薬師寺の南門の手前に鎮座するのが「休ケ岡八幡宮」です。薬師寺の鎮守社です。 祀られているのは、僧形八幡神、神…
JR奈良駅前のホテルに宿泊した場合、食事処は近場に殆どなく、三条通りやならまち辺りまで出掛けていく必要があります。 此処は、ホテル日航奈良内の和食処「よしの」…
「法華寺(光明宗)」です。 もとは藤原不比等邸があった場所で、その娘の「光明子(聖武天皇后)」が相続し、「皇后宮」となり、天平17年(745)紫香楽宮から平城…
広さ:約130haもの「平城宮跡歴史公園」の東張り出し部に、「東院庭園」、宇奈多理神社、建部門(東院南門)などが復元されています。 「東院庭園」は、東西約80…
「平城宮跡(国の特別史跡)」は、近鉄奈良線の西大寺駅と新大宮駅の途中に、広大に広がっている広場に復元されています。 その広さは、約1km四方に「750m×25…
「平城宮跡歴史公園」は、奈良時代を今に感じる特別な場所です。公園内には、色々な施設がオープンしていますが、「平城宮いざない館」は、時空を超えて奈良時代に誘われ…
「庚申堂」は京都の「八坂の塔」の前にもありますが、此方は「ならまちの庚申堂」です。青面金剛を祀る「庚申信仰の中心地」です。 「庚申」は「庚申(かのえ…
豆腐造りに拘って70年。手間を惜しまず豆腐を造り続ける、当に「豆腐匠」。「近藤豆腐店」です。 ならまちに相応しい店構えです。 お店の豆腐・油揚げ…
嘉永6年(1853)6月3日に浦賀沖が現れたペリー艦隊。武力を背景とするペリーの強硬な態度=艦隊が戦闘態勢を解かず=に、幕府は6日後の6月9日(新暦では7月1…
「久里浜天神社」から真っ直ぐに海岸方面へ。「東京湾フェリーターミナル(浜金谷との航路)」の右に、住吉神社が鎮座しています。 約1000年前の創建と伝わる古社で…
「日米和親条約」の結果、開港された下田と箱館を見てきた処で、少し遡り、ペリーが最初に訪れた浦賀と久里浜を訪問します。 歴史的事実としては、嘉永6年(1853)…
「了仙寺」から「ペリーロード」を南下すると、突き当りが「旧澤村邸」です。旧「下田ドック」の創始者で戦前に旧下田町長も務めた澤村久右衛門氏により、大正4年に建築…
「ペリーロード」の脇道を少し上ると「長楽寺(真言宗)」があります。ロシア使節海軍大尉プチャーチンとの交渉の結果、「日露和親条約」が調印された場所です。 安政元…
「日米和親条約」及び「下田条約」により開港地となった下田ですが、江戸時代、「出船入船3000艘」と言われ、東西を往復する船の「風待ちや避難の寄港地」として繁栄…
下田マイマイ通りの突き当りに、「了仙寺(日蓮宗、国史跡)」があります。此の寺で、ペリー提督と日本全権(林大学頭)により「下田条約(日米和親条約の附則13カ条)…
「泰平寺(臨済宗建長寺派)」です。此の辺りは京都より鎌倉に近いので、建長寺派です。 下田5000石の初代領主:戸田忠次が開基となり、雪叟紹立を開山として創立し…
嘉永7年(1854)吉田松陰は、ペリー提督を乗せた米艦「ポーハタン号」へ弟子の金子重輔と「密航」を企図するも拒絶され、小舟を漕ぎだした柿崎の名主:増田平右衛門…
下田開港後の「欠乏所(下田市指定史跡)」跡の古民家で営業されている「平野屋」です。開港当時の下田の雰囲気を味わいつつ、ステーキやコーヒーを味わうことが出来るお…
安政元年(嘉永7年、1854)に「日米和親条約」が締結され、下田港が開港場となりましたが、外国船が必要な消耗品(=欠乏品=薪、水、食料、石炭など)を供給する場…
「宝福寺」の南隣り「下田八幡神社(御祭神:誉田別命)」です。正応年間(13世紀後半)の創建と言われ、古くから下田の人々の篤い信仰を集めています。 「迎神の松」…
マイマイ通りに沿い稲田寺、海善寺と並んでいる「宝福寺(浄土真宗)」です。下田開港に伴い、一時、下田奉行所が設置されました。また、唐人お吉の菩提寺としても知られ…
マイマイ通りに沿って稲田寺の南隣りの「海善寺(浄土宗)」です。まずは、此の山門の見事さ。思わず見惚れます。 江戸時代の寺院には珍しくなかったのでしょうか。思わ…
伊豆急下田駅から「マイマイ通り」へ出ると、「稲田寺(とうでんじ、浄土宗)」があります。お吉の恋人/船大工「鶴松(川井又五郎)」が眠っています。 当寺は、幕末の…
「伊東遊季亭」です。JR伊東駅からタクシー送迎があるので、熱海や伊豆高原などの伊豆東海岸への旅では、此の宿で宿泊することにしています。 何より、食事が素晴らし…
「MOA美術館」は、創立者:岡田茂吉により第二次世界大戦後から本格的に蒐集された、国宝3点を含む総数約3500点もの膨大なコレクションを有しています。此の日も…
「大阪城天守閣」にも展示されている「黄金の茶室」ですが、MOA美術館にも、特別展示されています。当時の公卿、武将、茶人、外国人宣教師らの記載文献などの史料から…
MOA美術館内「茶の庭」の、「二條新町/そばの坊」と「和食/花の茶屋」の真ん中にある「光琳屋敷」です。勿論、当美術館の看板所蔵品「国宝/紅白梅図屏風(尾形光琳…
MOA美術館内の「日本庭園/茶の庭」には、「和食/花の茶屋」、「二條新町/そばの坊」と、2件の食事処があります。此の日は「和食/花の茶屋」が貸切中のため、「二…