2011年4月15日(金)雨・曇午後6時から、尼崎・座三和スタジオで大衆演劇観劇。「鹿島順一劇団」(座長・三代目鹿島順一)。芝居の外題は「明治六年」。江戸から明治へと時代が移りゆく中で、その流れに翻弄される武家三人の物語である。一人目は、緒形新之丞(座長・三代目鹿島順一)、年は若いが、新しい波に乗りきれず、未だに髷を結い腰には刀を差している。二人目は、金貸しの嘉助(甲斐文太)。徳川方の武家に生まれたが、十五年前、官軍との戦いで父は討ち死に、母も二人の子ども(嘉助とその妹)を残して自害した。以後、嘉助は町人に転身、今では東京屈指の金持ちに成り上がっている。三人目は「ぽんた」という半玉芸者(春夏悠生)。苦界に身を沈めているが、どこか品のある風情が漂っている。酔客に絡まれていたところ助けられた縁で、新之丞を慕っている...「鹿島順一劇団」・《芝居「明治六年」》
2011年4月13日(水)晴東京新聞4月12日付け夕刊1面トップに「福島原発事故レベル7」という記事が載っている。その内容は以下の通りであった。〈東京電力福島第一原発の事故で、経済産業省原子力安全・保安院は十二日、原発事故の深刻度を示す「国際評価尺度」(INES)の暫定評価を現在のレベル5から最悪のレベル7に引き上げた。レベル7は、過去に1986年旧ソ連のチェルノブイリ原発事故だけだった〉〈放出された放射能性物質のほとんどが三月十五日までに出たにもかかわらず「7」の判定に至るまでに一カ月以上を要した。政府の対応に疑問の声が出ている。放射性物質の拡散を予測する緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム「スピーディ」(SPEEDI)は、事故当時から稼働していたにもかかわらず、その結果が公開されたのは同二十三日になって...福島原発「レベル7」・《今、やるべきことは何か》
2011年4月6日(水)晴「面白いほどよくわかる般若心経」(武田鏡村・日本文芸社・平成17年)という本を読んでいたら、以下の一節が目にとまった。〈江戸時代の禅僧、良寛は、何ものにもとらわれずに生きた禅僧である。その晩年、新潟の三条を中心とした大地震に見舞われた。死者千六百余人、負傷者二千五百余人、全壊一万三千余戸、半壊九千三百余戸であった。このとき良寛は、のちに亡くなる所となる和島村島崎にある納屋に住んでいて被害はなかった。良寛は、地震に見舞われた友人に次のような手紙を送っている。「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是れはこれ災難をのがるる妙法にて候」地震という自然の営みをそのまま受け入れ、しかも自然の一部となる人の死にとらわれ、逆らうことなく泰然として受けとめよ。それが災難や死...「東日本大震災」・《「良寛さま」の言葉》
2011年4月3日(日)曇私は「自然」である。そう、今回の大災害を引きおこした張本人である。はたして、今の「人間」に、私の「言葉」を聴き取れるだけの能力があるかどうか、極めて疑問だが、まあ、話してみるか。まず第一に、私は、なぜ今回の「巨大地震」を引きおこしたか。それは、「人間」に反省を求めるためである。これまでに、「人間」は私の「摂理」を侵してきた。あろうことか、私と「対峙」し、私を「克服」しようなどと、大それたことを目論んできた。とんでもないことである。「人間」が私に勝てるはずがない。なぜなら、「人間」は、私の「力」で生かされているからである。太陽光、太陽熱、空気、水、土、そして、ありとあらゆる生物はすべて、私の掌中にある。しかるに「人間」は、おのれを「万物の霊長」などと見誤り、本来「仲間」であるはずの「生物...「東日本大震災」・《自然》の言葉
2011年4月1日(金)晴今日から新学期がスタートした。しかし、「東日本大震災」被災地の学校は、教育活動の再開に困難を極めているとのことである。過日のテレビ報道では、①学校が避難場所になっており「教室」が使えない。②「教科書」など教材・教具が欠乏している。④「教員」が不足している。といった問題点が指摘されていたが、本当にそうだろうか。一方で、〈先生も、子どももいるのに「学校教育」が始められないのが現状です〉などというコメントも添えられていたようだが、私は肯けない。「みんなと一緒に勉強したい」という子どもたち(被災児)の願いが、単に「教室」の中で、机に向かいながら、「教科書」を手元に置いて、黒板の字を写したり、先生の質問に答えたりする「学習活動」に終始する限り、東日本(被災地)の復興は覚束ない、と私は思う。未曾有...「東日本大震災」・被災地の《学校教育》
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