この時期には夕陽が真横に沈んで、先頭車両の特徴的なシルエットを強調してくれる此処にも、すっかりご無沙汰になってしまった。その理由のひとつに、画一的なN700系一族で統一されて、0系が支配していた頃と同様に車両に変化がなくなってしまったことがある。果たして、こう
国鉄蒸機末期から約40年間に撮りためたネガ・ポジを中心とした自分自身のアルバム代わりblogです。
誰からもホメてはもらえそうにない初代の怪しいハンドルネームは、国鉄蒸機終焉時のあの抜け殻のような自分自身を自虐的に表したもので、大学鉄研当時のニックネームでした。このblogはその前後約四十年の写真を公開しています。blog二年目からは、鉄チャン的にはごくありきたり(?)なハンドルネームにしてみました。どうぞお気軽にご来訪&コメントをお願いします!
遠く甲斐駒ケ岳をはじめ残雪の岩峰を望む場所で、マーガレットだったろうか、咲いていた草花を前景に汽車を待つことにした。程無く力行して現れた「499モドキ」の498の黒煙は、既に初夏の様相。季節が混在するそんな南アルプス山麓の光景はとても新鮮に映った。【 中央本線
夕陽のスポットライトを浴びて33‰の築堤を駆け下りてきたキハ58は、八面六臂の活躍で信楽線内の機織り仕業を終え、大阪への帰途に就こうとしていた。その急行色をひたすら追ったGWの一日が、心地良い疲労と共に今終わろうとしている。しかし、そんな日々も長くは続いてくれ
毎年この時期、安土城考古博物館前に広がるお花畑は、行ってみてのお楽しみ。この年は菜の花とルピナスに加えて国鉄色のDD51と、目にも鮮やかな暖色系の競艶。C56160のエスコート役、そして名脇役でもあったDD51がEF65PFにその役目を譲ったのは、同年秋の事だった。【 東海
この先待ち受ける山間の難所へと、33‰の大築堤を駆け上がるキハ58。あの年、国鉄信楽線時代には成し得なかった様々なポイントでの撮影にトライしたいとの思いが募り、通い詰めることになったのは、世界陶芸祭のピストン輸送に急行色のキハ58が充当されるという、正に夢のよ
あらぬ期待を抱かせる勇ましいドラフトと共に、新緑の木立の陰から現れたのは・・・見事なまでのスッカスカ。このすぐ先は線路際派が大勢待ち構える有名撮影ポイントで、大きなため息が漏れたであろうことは想像に難くないが、それも想定済みのこの場所この構図なら、まいっ
これから始まる登攀の助走路の如く、行く手に立ちはだかる飯道山・庚申山へと一直線に向かっていく築堤。そして、山岳路線たる信楽線を象徴する33‰の勾配標。あの年のゴールデンウイークは、この場所から撮影を始めたのだが・・・ 【 信楽高原鐵道 貴生川-小野谷(信)/
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この時期には夕陽が真横に沈んで、先頭車両の特徴的なシルエットを強調してくれる此処にも、すっかりご無沙汰になってしまった。その理由のひとつに、画一的なN700系一族で統一されて、0系が支配していた頃と同様に車両に変化がなくなってしまったことがある。果たして、こう
麗しき貴婦人の“御御足”にこんな悪戯をしたら、ゴルフを愛する人への冒涜・・・もとい、蒸機を愛する人々への冒涜か!?いえいえ、廣田さんの「SL夢幻」に憧れた少年の成れの果て、爺鉄の単なる遊び心から。ごめんね、C57・・・。【 室蘭本線 志文-栗沢 / Minolta SR-T101
生憎の天気で伊吹の頂は見えずとも、そのお陰でスカびは回避でき、田畑の一角には僅かながら湖北らしさも感じられた。あれから20年余り、恐らくもう此処にはこんな光景は残っていないのだろう・・・。【 北陸本線 田村-長浜 / Nikon F801s 85mm F1.8 RVP100 / May '04 】SL
在りし日の近鉄八王子線廃線区間を彷彿させるような、古い街並みが印象的。一軒だけ緑色の瓦屋根の家と、ちょうどやって来た三重交通復刻塗色の緑のコラボ。【 三岐鉄道北勢線 馬道-西別所 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jun.'15 】SL・鉄道写真ブログに参加中
国鉄蒸機時代は行きそびれた小海線の超有名撮影ポイントから至近とあって、背景は申し分ないのだが・・・せっかくの山伏重装備も、まるでフェードアウトするかのように、音もなく通り過ぎる「ぶら下がり」では、どうにも絵にならず、周りに同業者がいないのも、なるほど・・
狭軌と標準軌をオーバークロスするナローは、この街ならではの光景。夕映えの街並みに独特のモーター駆動音を響かせ、オーバークロスへの勾配を登ってきたのは復刻塗色の編成で、レリーズボタンを押す指先にも自然と力が入る。【 三岐鉄道北勢線 西桑名-馬道 / Nikon D300
遠く甲斐駒ケ岳をはじめ残雪の岩峰を望む場所で、マーガレットだったろうか、咲いていた草花を前景に汽車を待つことにした。程無く力行して現れた「499モドキ」の498の黒煙は、既に初夏の様相。季節が混在するそんな南アルプス山麓の光景はとても新鮮に映った。【 中央本線
夕陽のスポットライトを浴びて33‰の築堤を駆け下りてきたキハ58は、八面六臂の活躍で信楽線内の機織り仕業を終え、大阪への帰途に就こうとしていた。その急行色をひたすら追ったGWの一日が、心地良い疲労と共に今終わろうとしている。しかし、そんな日々も長くは続いてくれ
毎年この時期、安土城考古博物館前に広がるお花畑は、行ってみてのお楽しみ。この年は菜の花とルピナスに加えて国鉄色のDD51と、目にも鮮やかな暖色系の競艶。C56160のエスコート役、そして名脇役でもあったDD51がEF65PFにその役目を譲ったのは、同年秋の事だった。【 東海
この先待ち受ける山間の難所へと、33‰の大築堤を駆け上がるキハ58。あの年、国鉄信楽線時代には成し得なかった様々なポイントでの撮影にトライしたいとの思いが募り、通い詰めることになったのは、世界陶芸祭のピストン輸送に急行色のキハ58が充当されるという、正に夢のよ
あらぬ期待を抱かせる勇ましいドラフトと共に、新緑の木立の陰から現れたのは・・・見事なまでのスッカスカ。このすぐ先は線路際派が大勢待ち構える有名撮影ポイントで、大きなため息が漏れたであろうことは想像に難くないが、それも想定済みのこの場所この構図なら、まいっ
これから始まる登攀の助走路の如く、行く手に立ちはだかる飯道山・庚申山へと一直線に向かっていく築堤。そして、山岳路線たる信楽線を象徴する33‰の勾配標。あの年のゴールデンウイークは、この場所から撮影を始めたのだが・・・ 【 信楽高原鐵道 貴生川-小野谷(信)/
初夏。この時間帯はボイラーに照りつけるトップライトの処理が悩ましいが、それを逆手に取って見上げてみると、透き通った若葉がキラキラ輝いて実に美しかった。【 北陸本線 田村-坂田 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 ND8X / May '12 】SL・鉄道写真ブログに参加中
新線の真新しい高架から駆け下りてきたのは、形式入りプレートのD51211[奈]。関西地区で形式入りのカマと言えば、同じく煙室扉のプレートが形式入りの山陰線京都口のプリンセス・C575[梅]が真っ先に思い浮かぶが、標準型と戦時型くらいしか変化がなかった亀山・奈良両区のD51
午前中のスジでは肌寒さを感じることもあるGWの運行は、難攻不落のスカびでも淡い期待を抱くことがあって、この時は狙い通りの煙。力行時はお決まりのスッカスカでも、経験上「閉め」た直後はこうなる確率が高いと思うのだが、どうだろう?【 北陸本線 長浜-虎姫 / Nikon D3
当時の機関区でよく見かけた日本庭園。この日の主役、二両のC11は機関士席側がその庭園に面して留置されていたため、反対の非公式側はずらりカメラの砲列。ならばと、窮屈な構図ながら庭木との隙間から広角レンズを使って、公式側も一応押さえておくことにした。SLブーム真っ
春色に彩られた石引神社の境内に、静々とDE10が現れた。桜吹雪舞う、赤坂祭りの日曜日。地味なDDもいいが、この日ばかりは国鉄色がベストコーデ。【 西濃鉄道 市橋線 美濃赤坂-乙女坂 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Apr.'16 】SL・鉄道写真ブログに参加中
校庭の桜並木が見下ろす線路端。時折り通りかかる生徒達のたわいない会話を聞くともなく聞きながら電車を待つ、長閑なひととき。そんな春の日の、ゆっくりとした時間の流れを一瞬切り裂いて、特急の轟音が駆け抜けていく。【 名鉄名古屋本線 本星崎-本笠寺 / Nikon D300 17
新幹線、高速道路、国道といった幹線インフラに囲まれた田園風景の中に、ポツンと取り残されたような小駅に、どこからともなく古ぼけた客車を牽いて蒸気機関車がやってくる・・・そんなトワイライトゾーン的な雰囲気も醸し出していた手原。D511020[亀]牽引725レ。確か国道の法
連日TVを賑わす開花情報。その淡紅色のソメイヨシノを観ていると、次々とやって来る春色の電車達のイメージを重ね合わせ、兎にも角にも何処かに撮影に出掛けたくて、居ても立っても居られない・・・そんな季節の到来だ。【 名鉄犬山線 犬山-犬山遊園 / Nikon D300 70mm F2.8
晩秋から冬にかけての夜明けに見るこのシーンは実に感動的だが、初夏の爽やかな朝も捨てたもんじゃない。やがて河畔に絶気合図が響くと、朝の瀬田川の短いドラマが終演を迎える・・・【 東海道本線 石山-瀬田 / Nikon D300 85mm F1.8 / Apr.'12 】SL・鉄道写真ブログに参加
セキを連ねた下り貨5785レと、函館を目指すキハ82上り特急北斗2号の出会い。空荷のセキは却って空気抵抗が大きいことを裏付けるかのように、海風を受けたD51は平坦区間でも力行を続けている。「おおぞら」、「北斗」、「おおとり」・・・80系気動車が一番輝いていた頃、山線経
いくつになっても心臓バクバク鼻血ブーで、とっくに平常心は何処へやら。一方、石山発車の勇壮な汽笛も、瀬田川を渉る豪快なドラフトも、我関せずとひたすら川面に集中するBasser。 朝の瀬田川畔、それぞれの休日・・・【 東海道本線 石山-瀬田 / Canon EOS 50D 105mm F2.5
Nikon D700デジタルに奥手と自認する我がカメラ遍歴、ようやく最後にデジタル一眼レフの話です。名鉄パノラマカーがブームとなっていた頃、周りの同業者さん達は撮影を終えるや否やほぼ例外なく「下を向いて」いました。そう、デジイチの液晶モニターで撮影結果のチェックで
Nikon F10050年程前のSLブームの頃は、春夏秋冬、朝な夕な、蒸機の日常の姿を撮っておきたいと思っても、土地勘もない撮影地ではそれどころではなく、残された僅かな日々がただ慌ただしくそして虚しく過ぎていきました。ところが、その頃の事を想起させるようなブームが30年
Fuji CARDIA mini Elite OP10台だけに絞るとなるとなかなか悩ましいところですが、半世紀に亘る我がカメラ遍歴を振り返る企画も残り僅か。その中でも忘れてはならないのは、何もコーワシックスやニコンF4のような重量級の分不相応なカメラの事ばかりではなく、むしろ身近なコ
大会でもあるのだろうか、東海道線の橋梁の下では何艇ものボートがオールを漕いで練習中。一方、橋梁上では、この区間は舵手に徹する惰性のEF65PFを、漕手のC56が懸命にロッドを漕いでプッシュする。こちらも北び本番前の朝のウォーミングアップ中。【 東海道本線 石山-瀬田
Canon EOS RT購入の経緯は此処でも触れていますが、要するにレンズありきのほぼ俯瞰専用機。ニコンがAF単焦点の400mm F5.6を出してくれなかったので、止むを得ずキャノンの白玉を購入したため、とにかく安いボディなら何でも良かったという虐げられた扱いのカメラで、アサヒ
Nikon F4/F4s西のC56160の活躍に負けじと、東でもD51498が動態復活し、地方巡業的な出張運転だけでなく特定線区での季節列車としての運転が定着したのが90年代で、とりわけ積雪が期待できる磐越西線や上越線の冬季運行の恒例化には狂喜したものでした。更には北のC623も・・
Nikon F-801JRが発足したバブル真っ只中の'80年代末期以降は、それまで限られた線区で偶に走る程度だったC56160のイベント運転も俄然活性化し、運転頻度が増えると共に全国各地へ出張するようになると、週休二日の定着も手伝って「行きたい」と思える線区での撮影機会に恵ま
瓦屋根が印象的な牛飼の集落。その上にチラリと見える33‰の築堤を駆け上がり、喘ぎ喘ぎ登ってきたキハが、新緑の山間からようやく顔を出した。毎年この時期になると思い出す、この新緑の大パノラマ。そして、あの痛ましい事故のこと・・・【 信楽高原鐵道 貴生川-小野谷(
FUJICA GS645 Professional コーワシックスは、バケペンことペンタ67やマミヤRB67に比べると、小型軽量な部類に入る中判カメラだったと思いますが、流石に常に持ち出す気にはなれず、蒸機という絶対的な被写体が消滅すると、殆ど出番がなくなりました。それでも、ブローニー
Minolta XD社会人に成り立ての1980年代は、可処分所得だけはそれなりに余裕があったので、マイカーを手に入れ、カメラ機材も自分の意志で気兼ねなく買うことができました。当時はまさかミノルタブランド(SRマウント)が消滅するなど夢にも思わなかったので、SR-T101の流れで
Kowa SIX MMSLブームの真っ只中の1970年代、田舎町の本屋にも並ぶようになった鉄道雑誌の一つが「鉄道ジャーナル」でした。「今月のフォト」、後に「トップ・アングル」となった月例フォトコンテストはカメラ好きにとっては楽しみな連載で、中でも入選の常連・窪裕文氏が6x6
※何度も訪れた能登そして七尾線・・・その思い出多き地を元旦に能登半島地震が襲いました。年初から始める予定だったカメラに関する周年企画記事は、その中で七尾線の写真をいくつか取り上げるつもりだったこともあり、UPを見合わせていましたが、先頃のと鉄道七尾線が全線
主役のC11155の陰に隠れて目立たないが、青ナンバーやランボードの白線、そして随所に施されたシルバーの塗装は前機155号機と同様で誇らしげ。52年前の今日、重連さよなら運転の朝。そんな次位355号機の表情を、順光側で取り囲む大勢のギャラリーの邪魔にならないよう、遠慮
河畔に重なり合う見事な枝振りのソメイヨシノ。この時期ばかりは、此処の主役は存在感抜群のこの桜、心なしか特急電車も隅っこで小さくなっているように見える。敢えて逆光となる午後もずっと粘った甲斐があった、郷瀬川の夕暮れ・・・【 名鉄犬山線 犬山-犬山遊園 / Nikon
725レを牽引してきたD51が転向所へ向かうのを見届けると、今度は急いで草津線ホームへと移動する。というのも、そろそろ単762レのC58が発車する時間で、7時過ぎからの小一時間に4本もの蒸機が発着する草津名物の朝のゴールデンアワーが、これで一段落となる。東側にある行き止
EF58が725レに連結されると、EXPO'70を契機とした輸送力増強により複々線化成った広い構内を転線して、145号機が戻ってきた。この亀山区D51第1仕業は、転向と給炭給水を済ませると11時過ぎの貨788レで亀山に戻るまで、草津転向所で暫しお昼寝タイムとなる。今となっては旧客を
D51から725レを引き継ぎ、草津から京都までの牽引を担当するのは右手奥、天井川の草津川隧道手前で勢い良くSGの蒸気を上げて待機しているEF58。それにしても、この時のD51145[亀]の純白の煙と長く尾を引くドレインは美しく、今も印象に残っている。よく見るとテンダにはもう1