この先待ち受ける山間の難所へと、33‰の大築堤を駆け上がるキハ58。あの年、国鉄信楽線時代には成し得なかった様々なポイントでの撮影にトライしたいとの思いが募り、通い詰めることになったのは、世界陶芸祭のピストン輸送に急行色のキハ58が充当されるという、正に夢のよ
国鉄蒸機末期から約40年間に撮りためたネガ・ポジを中心とした自分自身のアルバム代わりblogです。
誰からもホメてはもらえそうにない初代の怪しいハンドルネームは、国鉄蒸機終焉時のあの抜け殻のような自分自身を自虐的に表したもので、大学鉄研当時のニックネームでした。このblogはその前後約四十年の写真を公開しています。blog二年目からは、鉄チャン的にはごくありきたり(?)なハンドルネームにしてみました。どうぞお気軽にご来訪&コメントをお願いします!
この先待ち受ける山間の難所へと、33‰の大築堤を駆け上がるキハ58。あの年、国鉄信楽線時代には成し得なかった様々なポイントでの撮影にトライしたいとの思いが募り、通い詰めることになったのは、世界陶芸祭のピストン輸送に急行色のキハ58が充当されるという、正に夢のよ
あらぬ期待を抱かせる勇ましいドラフトと共に、新緑の木立の陰から現れたのは・・・見事なまでのスッカスカ。このすぐ先は線路際派が大勢待ち構える有名撮影ポイントで、大きなため息が漏れたであろうことは想像に難くないが、それも想定済みのこの場所この構図なら、まいっ
これから始まる登攀の助走路の如く、行く手に立ちはだかる飯道山・庚申山へと一直線に向かっていく築堤。そして、山岳路線たる信楽線を象徴する33‰の勾配標。あの年のゴールデンウイークは、この場所から撮影を始めたのだが・・・ 【 信楽高原鐵道 貴生川-小野谷(信)/
初夏。この時間帯はボイラーに照りつけるトップライトの処理が悩ましいが、それを逆手に取って見上げてみると、透き通った若葉がキラキラ輝いて実に美しかった。【 北陸本線 田村-坂田 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 ND8X / May '12 】SL・鉄道写真ブログに参加中
新線の真新しい高架から駆け下りてきたのは、形式入りプレートのD51211[奈]。関西地区で形式入りのカマと言えば、同じく煙室扉のプレートが形式入りの山陰線京都口のプリンセス・C575[梅]が真っ先に思い浮かぶが、標準型と戦時型くらいしか変化がなかった亀山・奈良両区のD51
午前中のスジでは肌寒さを感じることもあるGWの運行は、難攻不落のスカびでも淡い期待を抱くことがあって、この時は狙い通りの煙。力行時はお決まりのスッカスカでも、経験上「閉め」た直後はこうなる確率が高いと思うのだが、どうだろう?【 北陸本線 長浜-虎姫 / Nikon D3
当時の機関区でよく見かけた日本庭園。この日の主役、二両のC11は機関士席側がその庭園に面して留置されていたため、反対の非公式側はずらりカメラの砲列。ならばと、窮屈な構図ながら庭木との隙間から広角レンズを使って、公式側も一応押さえておくことにした。SLブーム真っ
春色に彩られた石引神社の境内に、静々とDE10が現れた。桜吹雪舞う、赤坂祭りの日曜日。地味なDDもいいが、この日ばかりは国鉄色がベストコーデ。【 西濃鉄道 市橋線 美濃赤坂-乙女坂 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Apr.'16 】SL・鉄道写真ブログに参加中
校庭の桜並木が見下ろす線路端。時折り通りかかる生徒達のたわいない会話を聞くともなく聞きながら電車を待つ、長閑なひととき。そんな春の日の、ゆっくりとした時間の流れを一瞬切り裂いて、特急の轟音が駆け抜けていく。【 名鉄名古屋本線 本星崎-本笠寺 / Nikon D300 17
新幹線、高速道路、国道といった幹線インフラに囲まれた田園風景の中に、ポツンと取り残されたような小駅に、どこからともなく古ぼけた客車を牽いて蒸気機関車がやってくる・・・そんなトワイライトゾーン的な雰囲気も醸し出していた手原。D511020[亀]牽引725レ。確か国道の法
連日TVを賑わす開花情報。その淡紅色のソメイヨシノを観ていると、次々とやって来る春色の電車達のイメージを重ね合わせ、兎にも角にも何処かに撮影に出掛けたくて、居ても立っても居られない・・・そんな季節の到来だ。【 名鉄犬山線 犬山-犬山遊園 / Nikon D300 70mm F2.8
おおらかな山容の野坂岳が見下ろす広大な敦賀駅の構内。午後4時過ぎ、小浜線経由で6時間以上かけて終着京都を目指す長距離鈍行924レが、静々と後進して小浜線5番ホームに入線する。北陸新幹線延伸で大変貌を遂げた敦賀駅。行って確かめてみたいと思う一方で、半世紀前のこんな
昭和50年3月18日(火)宗谷本線318レ 急行「利尻」= 札幌6:00着(車中泊)千歳・室蘭・函館本線6204D 急行「すずらん2号」= 札幌9:02発 ⇒ 函館14:10着?青函連絡船18便=函館15:05発 ⇒ 青森18:55着東北本線204レ 急行「十和田2号」=青森19:50発 ⇒ 上野7:25着??
昭和50年3月17日(月)石北本線518レ 急行「大雪5号」= 札幌6:13着(車中泊)千歳線6202D 急行「すずらん1号」= 札幌7:02発 ⇒ 苫小牧7:57着室蘭本線222レ = 苫小牧8:06発 ⇒ 社台8:28着千歳線209D 急行「ちとせ6号」= 苫小牧14:19発 ⇒ 札幌15:24着?函館・宗谷
昭和50年3月16日(日)相生線730D = 北見相生17:25発 ⇒ 美幌18:30着石北本線1529レ = 美幌18:53発 ⇒ 網走19:37着石北本線1528レ(北見から518レ 急行「大雪5号」)= 網走20:33発(車中泊)ユースホステルで北見相生行の路線バスの時刻を調べて、ゆっくり目に出発した
昭和50年3月15日(土)石北本線517レ 急行「大雪5号」(北見から普1527レ)= 緋牛内6:41着(車中泊)石北本線555D= 緋牛内10:36発 ⇒ 美幌10:48着C58目当てのこの日、緋牛内で“大雪くずれ” を下車し、先ずは駅近で客522レを撮影。7時過ぎの発車で、鼻毛は凍るわ素手の指
昭和50年3月14日(金)宗谷本線318レ 急行「利尻」= 札幌6:00着(車中泊)石北本線517レ 急行「大雪5号」= 札幌22:15発(車中泊)相変わらずの好天で雪が降る気配のないこの日、ただ単に本数が稼げて且つ積雪がそれなりに残っているというだけで、夕張線を再訪したのだと思
昭和50年3月13日(木)宗谷本線340D= 稚内10:10発 ⇒ 抜海10:34着宗谷本線344D= 抜海13:52発 ⇒ 勇知14:03着宗谷本線348D= 勇知16:25発 ⇒ 音威子府18:56着宗谷本線318レ 急行「利尻」= 音威子府23:48発(車中泊)何処かの撮影地で出会って、時に道北での行動を共
昭和50年3月12日(水)興浜北線923D= 浜頓別7:36発 ⇒ 斜内7:55着興浜北線926D= 斜内13:01発 ⇒ 浜頓別13:19着天北線304D 急行「天北」= 浜頓別13:27発 ⇒ 音威子府14:32着宗谷本線321レ= 音威子府15:19発 ⇒ 稚内19:02着偶数日運転の興浜北線の臨貨を狙うべく、
昭和50年3月11日(火)天北線723D= 浜頓別7:37発 ⇒ 小石8:29着天北線725D= 小石13:04発 ⇒ 曲淵13:28着天北線728D= 曲淵17:09発 ⇒ 浜頓別18:35着ユースホステルでの食事と睡眠で十分英気を養ったこの日は、駅間距離が17.7Kmと当時は最長だった天北線の小石-曲淵間
昭和50年3月10日(月)宗谷本線317レ 急行「利尻」= 音威子府3:08着天北線721D= 音威子府4:14発 ⇒ 浜頓別5:25着興浜北線921D= 浜頓別5:38発 ⇒ 北見枝幸6:22着興浜北線922D= 北見枝幸6:38発 ⇒ 斜内7:04着興浜北線928D= 斜内16:38発 ⇒ 浜頓別16:56着この日は
昭和50年3月9日(日)根室本線423レ「からまつ」= 富良野1:58着根室/函館本線424レ「からまつ」= 富良野2:39発 ⇒ 札幌5:36着?(車中泊)函館/宗谷本線317レ 急行「利尻」= 札幌21:20発(車中泊)この日はおそらく、早朝というか深夜2時の「からまつ」折り返し、“富良
昭和50年3月8日(土)室蘭本線224レ= 岩見沢9:15発 ⇒ 追分10:12着夕張線729D= 追分11:32発 ⇒ 紅葉山12:12着夕張線730D= 紅葉山14:10発 ⇒ 滝ノ上14:24着夕張線734D= 滝ノ上17:00発 ⇒ 追分17:22着函館/根室本線423レ「からまつ」= 札幌21:30発(車中泊)?室蘭
昭和50年3月7日(金)石北/函館本線518レ 急行「大雪5号」= 札幌6:13着(車中泊)おそらく、上り大雪5号を岩見沢では下車せずに、一旦終着札幌まで行ってから、寝ぼけ眼で幌内へ向かったのだと思う。また道央に戻ってきたのは3日前の大雪の再現を期待してのことなのだが、再
昭和50年3月6日(木)湧網線924D= 網走8:15発 ⇒ 常呂9:23着湧網線927D= 常呂17:50発 ⇒ 網走18:32着石北本線1528レ(北見から518レ 急行「大雪5号」)= 網走20:33発この日も常呂で二日連続の流氷狙い。午前の上り貨1990レは、一面の流氷が雪原と区別がつかず、能取岬へ
昭和50年3月5日(水)石北本線517レ 急行「大雪5号」(北見から普1527レ)= 網走7:53着湧網線924D= 網走8:15発 ⇒ 常呂9:23着湧網線925D= 常呂13:18発 ⇒ 網走14:00着宿代わりの「大雪5号」が所謂 “大雪くずれ” に変わる北見で、停車時間を利用して交換する客522レのC
昭和50年3月4日(火)この日は、本数の多さとキューロクに惹かれて、幌内支線に行くことにした。前日の栗丘は、らしくない天気で拍子抜けだったのが、ユースホステルでの朝食時に外を見ると寒々とした曇り空で、雪が期待できそうだ。三笠から乗った路線バス(中央バス)で幌
昭和50年3月3日(月)青函連絡船11便=青森0:10発 ⇒ 函館4:00着函館本線1D 特急「おおぞら1号」=函館4:45発 ⇒ 苫小牧7:57着室蘭本線223レ=苫小牧8:01発 ⇒ 栗丘9:21着栗丘9:34発のC5738[岩一]牽引224レから撮影開始。終日栗丘-栗山間で撮影するも、有名撮影地の割に
山陽新幹線博多開業50周年・・・今月号の「鉄道ファン」をパラパラとめくっていると、そんな文言が目に留まった。そうだった。誇らしげに0系が並んだ表紙に「新幹線博多開業 3月10日全国ダイヤ大改正」と書かれた分厚い交通公社時刻表と、ネオパンSSSを主体にブローニーのSS
こんな陰気な画作りを意図した訳ではなかったのだが、一縷の望みを託した日没。終わり良ければなんとやら・・・夕陽が燃えないフィナーレでは流石に萌えず、機材の撤収も面倒で、ブルーマンデーの仕事さえ気になる足取り重い帰路。【 東海道本線 稲枝-能登川 / Nikon D300 1
昇圧しブロアを効かせた重連の黒煙と発車の汽笛が、寒風に煽られる。未だフェンスが設置されていなかった頃、特等席に陣取った親子はこれ以上ない臨場感で呼応する河毛発車の長笛ニ声に驚いて、お決まりのポーズ。【 北陸本線 河毛 / Nikon F801s 100-300mm F4 RVP / Feb.'9
下り急行「わかさ1号」と交換した貨973レの発車の汽笛が遠くから聞こえると、この日トライXを奮発したことを後悔させるような眩い太陽がのぞいた。それでも、北の空は未だ雪雲が優勢。美浜発車時の黒煙と、峠へ加速する白煙が交差する。【 小浜線 美浜-東美浜 / Minolta SR-T
特徴的な吾妻建ちの家が点在するのは、国鉄C56時代から見慣れた光景。車窓右手に穏やかな内浦と鹿島の集落を見て、重連が往く。そんな能登の佇まいの中を走った蒸機は、永遠の心象風景。一日も早く、彼の地に平穏な日々が戻りますように・・・【 七尾線 能登鹿島-穴水 / Nik
EF65PFに身を委ね、夕陽に向かって帰投する。緊張した面持ちの送り込み回送時とは打って変わって、C56のシルエットからはこの日の仕業を無事やり遂げた安堵感が伝わってくる。それを見送る側も、デジイチでのSL撮影デビュー戦をなんとか終えて、ホッとひと息・・・【 東海道
本命の大築堤に辿り着く前に決まって寄り道して撮ったお手軽定番、板屋にある小学校前の築堤。晴れ間がのぞき始めたものの未だ雪が舞う中、眼前を本務機D51654[奈]が通り過ぎる直前に、長大編成をプッシュする後補機がギリギリ姿を現した。それにしても、もしこんなロケーシ
客車を持つ北陸線内での本仕業よりも、パフォーマンス的にはむしろ上、いやクライマックスと言っても過言ではない朝の瀬田川橋梁は、文字通り送り込み回送時の檜舞台。その日の煙の90%は出し切ってしまうのでは?と思うほど力行する此処では、機関士さん夫々の個性が現れる
跨線橋から草津線下りホームを見下ろすと、到着したばかりの列車後方、払暁の空から眩い太陽が昇り始めた。冷え込んだ朝。10両編成の雑多な客車からは、DD51の暖房用SGから供給されたスティームが漏れ、暖かそうな車内の様子がうかがい知れる。発車間近、通勤通学客で溢れて
何気ない日々の営みの中を走る、スカーレットレッド。そう遠くない将来、この光景が決して当たり前ではないことを、増殖するステンレス車に思い知らされる前に、ちゃんと記録しておきたい・・・ 【 名鉄尾西線 五ノ三-弥富 / Nikon D60 28-70mm F3.5-4.5 / Jan.'10 】SL・
京都市電最後の年が明けた。未だ暗いうちから烏丸車庫を出庫し、元日の早朝から初詣客を捌く6号系統の仕業に就く1800形。ネガカバーには「北大路通並走」と書いてあって、まさか自分で運転しながら・・・ということはなかっただろうから、運転が上手い同じ学生アパートに住む
薄雪のまずまずのコンディションの中、C56160は珍しくいい煙で現れた・・・常連さん達が集う撮影ポイント。三脚を立てる余地もなく僅かな隙間から手持ちで狙ったのが、それなりの勝負デジイチを購入して初めて撮ったこのカット。APS-Cの焦点距離換算に戸惑いながら、ホワイト
年末に某書店で「CAPA」を手に取ったら、表紙に50%オフのシールが貼ってあった。2-3ヶ月前のバックナンバーがまるで写真機店のジャンクかごのような棚に並べてあったのだ。それでも未だ少し高いかなと思いつつ気になる記事も載っていたので、レジに持って行くとなんと242円
この記事が予約投稿でupされるのは、「よるたの」を存分に堪能し終えたばかりの頃かもしれない。というのも、大井川鐵道の年越しSL夜行列車の運転日だからだ。まさか50年後も夜通しで「よるたの」をやっているとは、それも年越しで・・・半世紀を経て尚全く進歩の無い自分の
盲腸線には少しばかり場違いな急行形のキハ58。終着駅の車止めから狙ったこの時は、既にタラコが幅を利かせていた頃だというのに、山岳ローカル線本来のキハ52や53だったらなぁ・・・などと贅沢なことを思いながら撮っていた。あれから40年余り。撮りたい被写体は激減してし
追分区第24仕業・貨1297レ。予期せぬ6x6カメラ故障そして修理手配のドタバタで、この日室蘭本線上で出会えた蒸機は、結局このD51118一両のみ。残された時間はあと僅か。12月の低い太陽は無情にも足早に沈みゆき、かけがえのない一日がまた終わろうとしていた・・・【 室蘭本
どうしようもないドン曇りの朝。桜紅葉も中途半端で、アイデアが全く浮かばず時間切れ。石山発車の汽笛に続いて、ドラフト音が段々大きくなる中、「ありゃりゃ~なんだなんだ?」近くのマンションから起き抜けに飛び出してきたのだろうか、親子連れが突然目の前に!平々凡々
川霧漂う、白い朝。坊谷川隧道から勢いよく飛び出してきたD51も、純白の煙と給水温め器からの排気を纏わりつかせながら、眼前を通過していく。完全燃焼の石炭の残り香、遠ざかるドラフト・・・余韻に浸るひととき。【 関西本線 関-加太 / Minolta SR-T101 28mm F3.5 Tri-X /
期待した朝焼けにはなりそうもなかったこの日は、未だ薄暗い中、順光側で待つことにした。やがて鬼気迫る力行で橋上に姿を現したC56の煙は寒風に暴れ、比良おろしに流されてきた暗雲が、そう遠くない冬の到来を予感させた。【 東海道本線 石山-瀬田 / Canon EOS 50D 50mm F
前後にある25‰の築堤を繋ぐため高い位置に架かっている板屋川橋梁を、河原から見上げる。この写真を見る度に気になるのが、浅瀬のお誂え向きの水溜まりに映るはずの「逆さデゴイチ」を、どうして狙わなかったのか?・・・だ。通過時刻が迫ってバタバタしていたのか、これ以
更に傾いた冬の夕陽は、弱々しく消え入る前に扇形庫内に差し込み、最後の力を振り絞るかの如く除煙板の燕を照らす・・・【 梅小路蒸気機関車館 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jan.'15 】SL・鉄道写真ブログに参加中
満開の桜との組み合わせを撮る機会こそついぞ訪れなかったが、冬枯れ間近の桜も、それはそれで絵になるものだ。それにしても、しっかり力行しているにも拘わらず、野焼きの煙の方が存在感があるとは・・・。なかなかやってくれます。【 北陸本線 高月-木ノ本 / Nikon D300 5
黄金のスポットライトを浴びたターンテーブル上から一転、扇形庫に収まるまでのほんの僅かな間に訪れた無彩色の刻。【 梅小路蒸気機関車館 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jan.'15 】SL・鉄道写真ブログに参加中
あれれ~、こんなの撮ったっけ?デジタル奥手を自認しているので、即ち最近の画。ということで、銀塩の頃ならまだしも、覚えていないことが情けない、ちょっとショックな1枚。【 北陸本線 田村-坂田 / Nikon D300 35mm F2 / Nov.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
この季節この時間帯に、2号機が一瞬見せるキリリと引き締まった表情は、長万部で下り103レの到着を今や遅しと待ちわびる前補機の幻影か・・・【 梅小路蒸気機関車館 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jan.'15 】SL・鉄道写真ブログに参加中
高台から見下ろした八百津駅の跡を、今度は近くで観察するために、八百津高校を後にした。程なくして着いたその空地は防草シート様のもので覆われ、“廃線跡あるある”で如何にも不自然な角度で道路と接していたが、位置的には駅舎の跡というよりも、八百津駅の中野方にあっ
え~っと、ごーしちご、五・七・五・・・と。『 黄葉や 撮りに行けない 北びロス 』(泣)【 北陸本線 坂田-田村 / Nikon D300 24mm F2.8 / Nov.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
八百津駅を見下ろした場所自体はすっかり忘れてしまっていたものの、その同じ場所から少し中野駅方面に目を転ずると、八百津の町の佇まいが何ともphotogenicで印象的だったのは、今も記憶に残っている。朝日に浮かび上がる瓦屋根の家々が美しく、単行のレールバスが家並の間
朝の八百津駅。孫をベビーカーに乗せて、可愛い“電車”を見物に来たお爺さんの姿が微笑ましい。駅前に目をやると、大書された「歓迎・観光八百津・国定公園」の文字も誇らしげなアーチ看板には、丸山ダムや蘇水峡といった名所が列記されている。鄙びたローカル線の終着駅か
黄色いエイリアン、セイタカアワダチソウは余計だが、前景はススキで決まり・・・と。さて背景は、古びた跨線橋メインか、それとも篠原寺の立派な反り屋根にするか?どちらも捨てがたい、“昭和な”虎姫発車シーン。【 北陸本線 虎姫 / Nikon D7200 300mm F4 / Oct.'17 】S
ようやく見つけることができたかつての俯瞰撮影ポイント・美濃金山城跡からは、兼山駅も見下ろすことができたようで、180mmで撮った写真が1カット残っている。名鉄八百津線はかつては八百津支線と呼ばれていたということだが、兼山駅のホームに進入する単行のキハ10は“支線
35年前と言えば、国鉄蒸機時代以来の付き合いのミノルタから最新のニコンAFシステムに買い替えたばかりの頃で、八百津線を訪れたのはそのF-801の試し撮りも兼ねていたように思う。 同時に購入したAFニッコールの内の1本が180mmで、定番焦点距離の200mmではないのが少し気にな
鉄道開業150年と比べれば、東海道新幹線の60年は、未だ60年なのか、それとも、もう60年なのか・・・、私的には後者の感覚だろうか。それにしても、あの衝撃的な分離事故は東の東北新幹線で除外するとしても、皮肉にも60周年という記念すべき年に頻発した計画運休やら保守用車
昭和47年10月1日 日曜日、52年前の今日。秋晴れの爽やかな朝を迎えたこの日は、草津線の定期SL列車最終運行日(信楽線用回送を除く)とあって、貨物ホームで出発を待つ貨786レ牽引のD51145[亀]は、多くの少年達に取り囲まれていた。一方、草津線ホームの方も、「さよならSL近
甲賀市市制施行20周年を記念して、大学鉄研時代の友人A君の作品を中心とした「甲賀市公共交通の歩み」写真展が開催されます。学生時代からとにかくパワフルで行動的だった彼らしい企画で、自治体や鉄道会社も巻き込んで、アクセスし易い複数の会場での展示そして長丁場の開催
初めて名鉄八百津線を訪れたのはもう35年も前のことで、電化された路線を敢えてレールバスに転換して運行するという“枯れた”路線への興味と、その大手私鉄らしからぬ車両への好奇心が撮影の動機だったと思う。ただ、国鉄蒸機が消えてから動態保存機が各地で復活し始めるま
八百津という地名を聞いて、何を思い浮かべるだろうか?「命のビザ」で有名な八百津出身の偉人・杉原千畝。木曽川の水を満々と湛える兼山ダム、丸山ダムそして建設中の新丸山ダムの巨大なダム群と蘇水峡。酷道として全国に名を馳せる国道418号、そのバイパスに架かる新旅足橋
琵琶湖線の快速に乗って流れる車窓を眺めていると、一瞬目に飛び込んでくるのが、存在感抜群のこの誓念寺。まるで撮ってくれと言わんばかりに・・・ところが、いざ撮影するとなると、これがなかなかの難攻不落。その立派な本堂の反り屋根をバックにする場合、朝の送り込み回
沿線には茅葺屋根の家屋が点在し、未だ国鉄信楽線時代の面影が残っていた三セク化間もない頃。開業当初の車両SKR200も、暖色系をアクセントにした塗色を纏って、意外と好印象だったのだが・・・【 信楽高原鐵道 雲井-勅使 / Nikon F801 180mm F2.8 RFP / Sep.'89 】SL・鉄
だだっ広い構内を往き来して雪まみれになったキューロクが、ホッパーから牽き出してきた幌内炭満載のトラを従えてホームに入線するや否や、乗務員は逃げるようにストーブの燃え盛る駅務室に駆け込んでいった。駅に静寂が訪れ、発車まで暫くの間この59609を独り占め出来る。白
今にもC11が現れて給水を始めそうな、半世紀前と変わらぬこの情景には、派手なラッピング車はちょっぴり不似合いだろうか。それでも、セメント貨物扱いの名残りの広い構内に架かる古びた跨線橋は、昔も今も少年達の“汽車”見物の特等席であることに変わりない。【 樽見鉄道
「さぁて、行くべか。」9時3分、下り225レのD51が発車の汽笛を鳴らすと、反対側のホームで一服していた222レの機関士がようやくC57に乗り込んだ。この駅で30分近く停車して、後続の上り特急「北斗1号」と急行「ちとせ1号」をやり過ごしたというのに、222レを牽くC5738[岩一]の発
日曜16時、2往復の仕業も残すところあと僅か。真夏の太陽は尚高く、華奢なボイラーをジリジリと焦がし、力行の煙も消し去ってしまうが、逆機運転の軽快なシルエットには本来のC56らしさが感じられた。【 北陸本線 田村-坂田 / Nikon F4s 24-50mm F3.3-4.5 RVP / Aug.'95 】
萌える緑の中の第4種踏切は、勝手踏切も顔負けの風情でおよそ人が通りそうな気配がない。「ボーッ!」少しタイミングが遅れたようにも思えたC57144の適度一声は、本来の警笛だったのか、それともオーバークロスから手を振る僕に応えてくれたのか・・・【 室蘭本線 幌別-富
「北びわこ」が運行を始めたばかりの年、あの8月も連日ピーカンでやたら暑かった。心が洗われるような青原山 宗禅寺の木陰でホッと一息ついていると、機関車も一瞬の涼を取って駆け抜けていった。【 北陸本線 河毛-高月 / Nikon F4s 35mm F2 / Aug.'95 】SL・鉄道写真ブロ
EXPO'70から55年になる来年、多くの課題を抱えたまま大阪・関西万博が開催されようとしている。既にリモートは当たり前で、VRも認知されつつあり、国を挙げてDXを推進しようとしている時代に、それでも敢えて、それもこの異常に暑い夏の時期にわざわざ現地を訪れて実際に見て
緑の谷間によく調和した緑色の鉄橋を、単8153レの88623[福]が往く。ハチロク特有の三室汽笛が物悲しく響く・・・日祝日は一往復のみのスジとなることが多かったのに加えて、大野以東は転向のためだけの単機仕業なのだが、それでも敢えて撮りたいと思わせる魅力がこの区間には
由仁の丘に登る道すがら何本か蒸機列車をスナップし、ある程度高度を稼いでから最初に迎えたのが、この上りコンテナ貨物。遥か遠く夕張の山々を望んで、一面に広がる田園地帯。未だ朝の爽やかな冷気が残る中、いい煙を残してデゴイチが由仁の町を後にしていった。【 室蘭本
湖西線が開業してから、今月でちょうど50年とか。「とか」などと、鉄ちゃんにあるまじき言い種をするのには訳があって、その昭和49年7月と言えば、本州の国鉄蒸機は風前の灯火で、尚且つ個人的な事を書けば、全く思うように進まない受験勉強の真っ最中。これでは、道理でそれ
ゴシック様式の尖塔が異彩を放ち、湖北のランドマーク的な存在でもあった東阿閉公民館、通称ヤンマー会館が、有ろう事か取り壊されてしまうという。ヤンマー創業者によってその生誕の地に建てられてから約70年、耐震基準を満たせないのが理由とのことで、既に解体工事も進ん
400Rのカーブが連続する伊吹山麓の区間。485系特急「しらさぎ」とEF66牽引コンテナ高速貨物、客貨両雄の出会い。「しらさぎ」と言えば、今春の北陸新幹線敦賀開業に伴って、後継の681/683系が名古屋-敦賀間の運転に短縮された。相変わらず律義に米原でスイッチバックして北上
煙も期待できない上に、どんよりとした梅雨空ではアイデアも浮かばず、写欲は減退気味。こんな時は、色濃くなった緑でも梅雨空に配して、変化をつけてみようか・・・【 北陸本線 坂田-田村 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Jun.'11 】SL・鉄道写真ブログに参加中
せっかく社台に来たというのに、牧場にサラブレッドの姿は疎ら。端っこにたった一頭では存在感も無く、やがてやって来た別種のサラブレッドはと言えば、こちらもスッカスカで自己主張まるで無し。嗚呼、無い無い尽しで、役者不在の社台ファーム・・・【 室蘭本線 社台-白老
499仕様の変形デフと集煙装置を纏った山伏498、雨中の力闘。視界も霞む程の本降りの雨が名残りの若葉を叩き、主役の息遣いを妖しく演出する。【 中央本線 長坂-小淵沢 / Nikon D300 85mm F1.8 / May '10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
昼下がりの三笠、炎天下のタブレット授受。単5685レのD51414[岩一]は、終点の幾春別で転向した後、今度は貨5692レとなって三笠に戻ってくると、キューロクがヤマから下ろしてきた幌内炭満載のセキやトラを増結して、追分へと向かうことになる。運炭路線としての歴史と栄華を誇
晩秋から冬にかけての夜明けに見るこのシーンは実に感動的だが、初夏の爽やかな朝も捨てたもんじゃない。やがて河畔に絶気合図が響くと、朝の瀬田川の短いドラマが終演を迎える・・・【 東海道本線 石山-瀬田 / Nikon D300 85mm F1.8 / Apr.'12 】SL・鉄道写真ブログに参加
セキを連ねた下り貨5785レと、函館を目指すキハ82上り特急北斗2号の出会い。空荷のセキは却って空気抵抗が大きいことを裏付けるかのように、海風を受けたD51は平坦区間でも力行を続けている。「おおぞら」、「北斗」、「おおとり」・・・80系気動車が一番輝いていた頃、山線経
いくつになっても心臓バクバク鼻血ブーで、とっくに平常心は何処へやら。一方、石山発車の勇壮な汽笛も、瀬田川を渉る豪快なドラフトも、我関せずとひたすら川面に集中するBasser。 朝の瀬田川畔、それぞれの休日・・・【 東海道本線 石山-瀬田 / Canon EOS 50D 105mm F2.5
Nikon D700デジタルに奥手と自認する我がカメラ遍歴、ようやく最後にデジタル一眼レフの話です。名鉄パノラマカーがブームとなっていた頃、周りの同業者さん達は撮影を終えるや否やほぼ例外なく「下を向いて」いました。そう、デジイチの液晶モニターで撮影結果のチェックで
Nikon F10050年程前のSLブームの頃は、春夏秋冬、朝な夕な、蒸機の日常の姿を撮っておきたいと思っても、土地勘もない撮影地ではそれどころではなく、残された僅かな日々がただ慌ただしくそして虚しく過ぎていきました。ところが、その頃の事を想起させるようなブームが30年
Fuji CARDIA mini Elite OP10台だけに絞るとなるとなかなか悩ましいところですが、半世紀に亘る我がカメラ遍歴を振り返る企画も残り僅か。その中でも忘れてはならないのは、何もコーワシックスやニコンF4のような重量級の分不相応なカメラの事ばかりではなく、むしろ身近なコ
大会でもあるのだろうか、東海道線の橋梁の下では何艇ものボートがオールを漕いで練習中。一方、橋梁上では、この区間は舵手に徹する惰性のEF65PFを、漕手のC56が懸命にロッドを漕いでプッシュする。こちらも北び本番前の朝のウォーミングアップ中。【 東海道本線 石山-瀬田
Canon EOS RT購入の経緯は此処でも触れていますが、要するにレンズありきのほぼ俯瞰専用機。ニコンがAF単焦点の400mm F5.6を出してくれなかったので、止むを得ずキャノンの白玉を購入したため、とにかく安いボディなら何でも良かったという虐げられた扱いのカメラで、アサヒ
Nikon F4/F4s西のC56160の活躍に負けじと、東でもD51498が動態復活し、地方巡業的な出張運転だけでなく特定線区での季節列車としての運転が定着したのが90年代で、とりわけ積雪が期待できる磐越西線や上越線の冬季運行の恒例化には狂喜したものでした。更には北のC623も・・
Nikon F-801JRが発足したバブル真っ只中の'80年代末期以降は、それまで限られた線区で偶に走る程度だったC56160のイベント運転も俄然活性化し、運転頻度が増えると共に全国各地へ出張するようになると、週休二日の定着も手伝って「行きたい」と思える線区での撮影機会に恵ま
瓦屋根が印象的な牛飼の集落。その上にチラリと見える33‰の築堤を駆け上がり、喘ぎ喘ぎ登ってきたキハが、新緑の山間からようやく顔を出した。毎年この時期になると思い出す、この新緑の大パノラマ。そして、あの痛ましい事故のこと・・・【 信楽高原鐵道 貴生川-小野谷(
FUJICA GS645 Professional コーワシックスは、バケペンことペンタ67やマミヤRB67に比べると、小型軽量な部類に入る中判カメラだったと思いますが、流石に常に持ち出す気にはなれず、蒸機という絶対的な被写体が消滅すると、殆ど出番がなくなりました。それでも、ブローニー
Minolta XD社会人に成り立ての1980年代は、可処分所得だけはそれなりに余裕があったので、マイカーを手に入れ、カメラ機材も自分の意志で気兼ねなく買うことができました。当時はまさかミノルタブランド(SRマウント)が消滅するなど夢にも思わなかったので、SR-T101の流れで
Kowa SIX MMSLブームの真っ只中の1970年代、田舎町の本屋にも並ぶようになった鉄道雑誌の一つが「鉄道ジャーナル」でした。「今月のフォト」、後に「トップ・アングル」となった月例フォトコンテストはカメラ好きにとっては楽しみな連載で、中でも入選の常連・窪裕文氏が6x6
※何度も訪れた能登そして七尾線・・・その思い出多き地を元旦に能登半島地震が襲いました。年初から始める予定だったカメラに関する周年企画記事は、その中で七尾線の写真をいくつか取り上げるつもりだったこともあり、UPを見合わせていましたが、先頃のと鉄道七尾線が全線
主役のC11155の陰に隠れて目立たないが、青ナンバーやランボードの白線、そして随所に施されたシルバーの塗装は前機155号機と同様で誇らしげ。52年前の今日、重連さよなら運転の朝。そんな次位355号機の表情を、順光側で取り囲む大勢のギャラリーの邪魔にならないよう、遠慮
河畔に重なり合う見事な枝振りのソメイヨシノ。この時期ばかりは、此処の主役は存在感抜群のこの桜、心なしか特急電車も隅っこで小さくなっているように見える。敢えて逆光となる午後もずっと粘った甲斐があった、郷瀬川の夕暮れ・・・【 名鉄犬山線 犬山-犬山遊園 / Nikon
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この先待ち受ける山間の難所へと、33‰の大築堤を駆け上がるキハ58。あの年、国鉄信楽線時代には成し得なかった様々なポイントでの撮影にトライしたいとの思いが募り、通い詰めることになったのは、世界陶芸祭のピストン輸送に急行色のキハ58が充当されるという、正に夢のよ
あらぬ期待を抱かせる勇ましいドラフトと共に、新緑の木立の陰から現れたのは・・・見事なまでのスッカスカ。このすぐ先は線路際派が大勢待ち構える有名撮影ポイントで、大きなため息が漏れたであろうことは想像に難くないが、それも想定済みのこの場所この構図なら、まいっ
これから始まる登攀の助走路の如く、行く手に立ちはだかる飯道山・庚申山へと一直線に向かっていく築堤。そして、山岳路線たる信楽線を象徴する33‰の勾配標。あの年のゴールデンウイークは、この場所から撮影を始めたのだが・・・ 【 信楽高原鐵道 貴生川-小野谷(信)/
初夏。この時間帯はボイラーに照りつけるトップライトの処理が悩ましいが、それを逆手に取って見上げてみると、透き通った若葉がキラキラ輝いて実に美しかった。【 北陸本線 田村-坂田 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 ND8X / May '12 】SL・鉄道写真ブログに参加中
新線の真新しい高架から駆け下りてきたのは、形式入りプレートのD51211[奈]。関西地区で形式入りのカマと言えば、同じく煙室扉のプレートが形式入りの山陰線京都口のプリンセス・C575[梅]が真っ先に思い浮かぶが、標準型と戦時型くらいしか変化がなかった亀山・奈良両区のD51
午前中のスジでは肌寒さを感じることもあるGWの運行は、難攻不落のスカびでも淡い期待を抱くことがあって、この時は狙い通りの煙。力行時はお決まりのスッカスカでも、経験上「閉め」た直後はこうなる確率が高いと思うのだが、どうだろう?【 北陸本線 長浜-虎姫 / Nikon D3
当時の機関区でよく見かけた日本庭園。この日の主役、二両のC11は機関士席側がその庭園に面して留置されていたため、反対の非公式側はずらりカメラの砲列。ならばと、窮屈な構図ながら庭木との隙間から広角レンズを使って、公式側も一応押さえておくことにした。SLブーム真っ
春色に彩られた石引神社の境内に、静々とDE10が現れた。桜吹雪舞う、赤坂祭りの日曜日。地味なDDもいいが、この日ばかりは国鉄色がベストコーデ。【 西濃鉄道 市橋線 美濃赤坂-乙女坂 / Nikon D300 16-85mm F3.5-5.6 / Apr.'16 】SL・鉄道写真ブログに参加中
校庭の桜並木が見下ろす線路端。時折り通りかかる生徒達のたわいない会話を聞くともなく聞きながら電車を待つ、長閑なひととき。そんな春の日の、ゆっくりとした時間の流れを一瞬切り裂いて、特急の轟音が駆け抜けていく。【 名鉄名古屋本線 本星崎-本笠寺 / Nikon D300 17
新幹線、高速道路、国道といった幹線インフラに囲まれた田園風景の中に、ポツンと取り残されたような小駅に、どこからともなく古ぼけた客車を牽いて蒸気機関車がやってくる・・・そんなトワイライトゾーン的な雰囲気も醸し出していた手原。D511020[亀]牽引725レ。確か国道の法
連日TVを賑わす開花情報。その淡紅色のソメイヨシノを観ていると、次々とやって来る春色の電車達のイメージを重ね合わせ、兎にも角にも何処かに撮影に出掛けたくて、居ても立っても居られない・・・そんな季節の到来だ。【 名鉄犬山線 犬山-犬山遊園 / Nikon D300 70mm F2.8
おおらかな山容の野坂岳が見下ろす広大な敦賀駅の構内。午後4時過ぎ、小浜線経由で6時間以上かけて終着京都を目指す長距離鈍行924レが、静々と後進して小浜線5番ホームに入線する。北陸新幹線延伸で大変貌を遂げた敦賀駅。行って確かめてみたいと思う一方で、半世紀前のこんな
昭和50年3月18日(火)宗谷本線318レ 急行「利尻」= 札幌6:00着(車中泊)千歳・室蘭・函館本線6204D 急行「すずらん2号」= 札幌9:02発 ⇒ 函館14:10着?青函連絡船18便=函館15:05発 ⇒ 青森18:55着東北本線204レ 急行「十和田2号」=青森19:50発 ⇒ 上野7:25着??
昭和50年3月17日(月)石北本線518レ 急行「大雪5号」= 札幌6:13着(車中泊)千歳線6202D 急行「すずらん1号」= 札幌7:02発 ⇒ 苫小牧7:57着室蘭本線222レ = 苫小牧8:06発 ⇒ 社台8:28着千歳線209D 急行「ちとせ6号」= 苫小牧14:19発 ⇒ 札幌15:24着?函館・宗谷
昭和50年3月16日(日)相生線730D = 北見相生17:25発 ⇒ 美幌18:30着石北本線1529レ = 美幌18:53発 ⇒ 網走19:37着石北本線1528レ(北見から518レ 急行「大雪5号」)= 網走20:33発(車中泊)ユースホステルで北見相生行の路線バスの時刻を調べて、ゆっくり目に出発した
昭和50年3月15日(土)石北本線517レ 急行「大雪5号」(北見から普1527レ)= 緋牛内6:41着(車中泊)石北本線555D= 緋牛内10:36発 ⇒ 美幌10:48着C58目当てのこの日、緋牛内で“大雪くずれ” を下車し、先ずは駅近で客522レを撮影。7時過ぎの発車で、鼻毛は凍るわ素手の指
昭和50年3月14日(金)宗谷本線318レ 急行「利尻」= 札幌6:00着(車中泊)石北本線517レ 急行「大雪5号」= 札幌22:15発(車中泊)相変わらずの好天で雪が降る気配のないこの日、ただ単に本数が稼げて且つ積雪がそれなりに残っているというだけで、夕張線を再訪したのだと思
昭和50年3月13日(木)宗谷本線340D= 稚内10:10発 ⇒ 抜海10:34着宗谷本線344D= 抜海13:52発 ⇒ 勇知14:03着宗谷本線348D= 勇知16:25発 ⇒ 音威子府18:56着宗谷本線318レ 急行「利尻」= 音威子府23:48発(車中泊)何処かの撮影地で出会って、時に道北での行動を共
昭和50年3月12日(水)興浜北線923D= 浜頓別7:36発 ⇒ 斜内7:55着興浜北線926D= 斜内13:01発 ⇒ 浜頓別13:19着天北線304D 急行「天北」= 浜頓別13:27発 ⇒ 音威子府14:32着宗谷本線321レ= 音威子府15:19発 ⇒ 稚内19:02着偶数日運転の興浜北線の臨貨を狙うべく、
昭和50年3月11日(火)天北線723D= 浜頓別7:37発 ⇒ 小石8:29着天北線725D= 小石13:04発 ⇒ 曲淵13:28着天北線728D= 曲淵17:09発 ⇒ 浜頓別18:35着ユースホステルでの食事と睡眠で十分英気を養ったこの日は、駅間距離が17.7Kmと当時は最長だった天北線の小石-曲淵間
Nikon F-801JRが発足したバブル真っ只中の'80年代末期以降は、それまで限られた線区で偶に走る程度だったC56160のイベント運転も俄然活性化し、運転頻度が増えると共に全国各地へ出張するようになると、週休二日の定着も手伝って「行きたい」と思える線区での撮影機会に恵ま
瓦屋根が印象的な牛飼の集落。その上にチラリと見える33‰の築堤を駆け上がり、喘ぎ喘ぎ登ってきたキハが、新緑の山間からようやく顔を出した。毎年この時期になると思い出す、この新緑の大パノラマ。そして、あの痛ましい事故のこと・・・【 信楽高原鐵道 貴生川-小野谷(
FUJICA GS645 Professional コーワシックスは、バケペンことペンタ67やマミヤRB67に比べると、小型軽量な部類に入る中判カメラだったと思いますが、流石に常に持ち出す気にはなれず、蒸機という絶対的な被写体が消滅すると、殆ど出番がなくなりました。それでも、ブローニー
Minolta XD社会人に成り立ての1980年代は、可処分所得だけはそれなりに余裕があったので、マイカーを手に入れ、カメラ機材も自分の意志で気兼ねなく買うことができました。当時はまさかミノルタブランド(SRマウント)が消滅するなど夢にも思わなかったので、SR-T101の流れで
Kowa SIX MMSLブームの真っ只中の1970年代、田舎町の本屋にも並ぶようになった鉄道雑誌の一つが「鉄道ジャーナル」でした。「今月のフォト」、後に「トップ・アングル」となった月例フォトコンテストはカメラ好きにとっては楽しみな連載で、中でも入選の常連・窪裕文氏が6x6
※何度も訪れた能登そして七尾線・・・その思い出多き地を元旦に能登半島地震が襲いました。年初から始める予定だったカメラに関する周年企画記事は、その中で七尾線の写真をいくつか取り上げるつもりだったこともあり、UPを見合わせていましたが、先頃のと鉄道七尾線が全線
主役のC11155の陰に隠れて目立たないが、青ナンバーやランボードの白線、そして随所に施されたシルバーの塗装は前機155号機と同様で誇らしげ。52年前の今日、重連さよなら運転の朝。そんな次位355号機の表情を、順光側で取り囲む大勢のギャラリーの邪魔にならないよう、遠慮
河畔に重なり合う見事な枝振りのソメイヨシノ。この時期ばかりは、此処の主役は存在感抜群のこの桜、心なしか特急電車も隅っこで小さくなっているように見える。敢えて逆光となる午後もずっと粘った甲斐があった、郷瀬川の夕暮れ・・・【 名鉄犬山線 犬山-犬山遊園 / Nikon
725レを牽引してきたD51が転向所へ向かうのを見届けると、今度は急いで草津線ホームへと移動する。というのも、そろそろ単762レのC58が発車する時間で、7時過ぎからの小一時間に4本もの蒸機が発着する草津名物の朝のゴールデンアワーが、これで一段落となる。東側にある行き止
EF58が725レに連結されると、EXPO'70を契機とした輸送力増強により複々線化成った広い構内を転線して、145号機が戻ってきた。この亀山区D51第1仕業は、転向と給炭給水を済ませると11時過ぎの貨788レで亀山に戻るまで、草津転向所で暫しお昼寝タイムとなる。今となっては旧客を
D51から725レを引き継ぎ、草津から京都までの牽引を担当するのは右手奥、天井川の草津川隧道手前で勢い良くSGの蒸気を上げて待機しているEF58。それにしても、この時のD51145[亀]の純白の煙と長く尾を引くドレインは美しく、今も印象に残っている。よく見るとテンダにはもう1
眩い朝日に純白の煙を輝かせながら、725レの客車から開放されたD51145[亀]が誘導掛の手旗に導かれて引き揚げていく。柘植方面からやってくる朝の京都直通客レは721、723、725レの3本で、蒸機はいずれも草津で御役御免となるが、信楽線にも入線する仕業の721レはC58牽引。そして、
蒸機には似つかわしくない真新しい橋上駅。その薄暗いホームに草津線の京都直通通勤通学列車のしんがり、725レが到着した。客車9両の堂々たる編成だが、この日は春分の日で日曜日ということもあって乗客が少ないのか、牽引機のD51145[亀]は安全弁を吹いたままで余裕綽々のよう
期待していた雪も無ければ、端から期待していない煙も勿論無し。終にはドラフト音も途絶えて、瓦屋根の美しい千田集落にスハフ12の騒々しいディーゼル発電機の音だけが響く・・・【 北陸本線 高月-木ノ本 / Nikon D300 135mm F2.8 / Feb.'10 】SL・鉄道写真ブログに参加中
紀勢線亀山口に疎遠だった後悔の最たるものは、本州では既に珍しくなっていたC57、それも希少な四次型198号機を撮り逃がしたことだろうか。とは言え、C57198ならぬ若番DF50の4号機が、荷物車を含む旧客に10系軽量客車を加えた雑多な出で立ちの編成を牽く姿は、今となっては記
紀勢本線亀山口は、本州では比較的遅くまで蒸機が残った線区。なのに結局一度も足を延ばすことがなかったのは、蒸機末期の加太越えの喧騒で亀山行きを躊躇したからだったと思う。そんな疎遠を後悔する悪循環は無煙化後も続き、初めて訪れてDF504の牽くこの普通列車を撮ったの
妙蓮寺本堂の立派な屋根も、伊吹山に負けじと雪化粧した絶好の撮影日和。それならと、大勢の同業者さんが集う定番撮影地の隅っこでのんびり待つことにした。ところが、ご丁寧な事に肝心な時だけ日が陰り、あちこちから声にならないため息が漏れて、orz・・・【 北陸本線 長
煙は消え、DD50やED70といった古豪もいなくなったが、相変わらず交直接続の機関車達が行き交い、国鉄マンの心意気が垣間見える職員の営みがある田村に、まだまだ活気が感じられた頃。【 北陸本線 田村 / Minolta SR-T Super 50-135mm F3.5 Neopan SS / Feb.'80 】SL・鉄道
撮ろう撮ろうと思いつつ、C58の頃はついつい33‰ばかりに目が行って、結局撮ることはなかった、典型的な信楽の構図。ようやく実行に移すことができたのは、国鉄色の気動車も貴重になりつつあった頃のことだった。【 信楽線 勅旨-雲井 / Minolta XD 50-135mm F3.5 Neopan SS
雪が降りしきる12月の運転日。雪の造形美に魅かれて、小さな踏切で撮ることにした。列車を待つ間、ふと気がついた。「そうか、今日は12月14日か・・・」あの日から、かれこれ40年。12月14日という忘れ得ぬ日に、再び雪景色の中で蒸機と相見えていることに、ちょっぴり感慨に