「蛸壺やはかなき夢を夏の月」この句は「笈の小文」からの選定で元禄元年に行った芭蕉の小紀行文には若さというか色気が感じられる。わび・さびに慣れた目にはこの句をはじめとする諸作が眩しく映る。とくに蛸壺の句が好きだ。現代の文芸作品と比べても優れている。芭蕉は若い時も老境になっても色あせない。才能が頭抜けている。6月18日、明け方になっても蒸し暑い。ぼくはこれから眠るから蛸と一緒に「はかなき夢」でも見よう。芭蕉の名句㊱『はかなき夢を夏の月』
斬新な切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設17年目に入りました。
自然と共生しながら、生きてきました。 ここでは4,000字(原稿用紙10枚)程度の短い作品を発表します。 <超短編シリーズ>として、発表中のものもありますが、むかし詩を書いていたこともあり、コトバに対する思い入れは人一倍つよいとおもいます。
今回は小説家であり詩人でもある佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を読んでみよう。佐藤春夫秋刀魚の歌あはれ秋風よ情〔こころ〕あらば伝へてよ――男ありて今日の夕餉〔ゆふげ〕にひとりさんまを食〔くら〕ひて思ひにふけると。さんま、さんまそが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせてさんまを食ふはその男がふる里のならひなり。そのならひをあやしみてなつかしみて女はいくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。あはれ、人に捨てられんとする人妻と妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。あはれ秋風よ汝〔なれ〕こそは見つらめ世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。いかに秋風よいとせめて証〔あかし〕せよかの一ときの団欒ゆめに非〔あ...心に残る詩人たち8
〇総裁選アレ松虫か進次郎〇雌伏十年鬼の石破の目に涙〇収獲の秋には早苗〈高市〉時期遅れ〇祝・地区優勝大谷決めた勝ち越し打〇兵庫知事出直し選挙に賭ける意地俳句川柳12
アマゾン奥地の少数民族ヤノマミ族を初めて紹介したテレビ番組に毎週くぎ付けになった思い出がある。日本の探検家であり人類学者でもある関野吉晴氏が外科医師になったいきさつは今回初めて知った。少数民族と接触するうちに少しでも彼らの役に立ちたいという思いからだった。1976年一橋大学中退後1982年横浜市立大学医学部卒業。一橋大学在学中に自ら探検部を創設。大学3年次の1971年に1年間休学し、3人で部隊を組みアマゾン川全流域を下る。その後南米中を旅行する。早稲田大学探検部にも参加し、留年、休学、編入と、7年間大学に在籍。7年かけて法学部を卒業した後、一橋大学社会学部3年に編入して、探検家に必要な知識を身につけるため社会人類学のゼミを受講していた。しかし、旅先で世話になる現地住民の足手まといに、なっているとの思いから...心に残る『グレートジャーニー・関野吉晴』
〇立憲民主の代表決まるアーソレソレ党員・議員が野田元総理を推したソレカラドーシタ今度は本気で政権撮る覚悟と息巻いた〇過去は言いたくないけれどアーソレソレ故安倍党首との討論でソレカラドーシタ挑発に乗って解散約束させられた〇党の現状見通せずアーソレソレ党勢拡大口にするがソレカラドーシタ自民の顔〈進次郎〉に顔負けして野党第一党もおぼつかない当世呆れ節10
〇「大相撲も終わったな。大の里の2敗目にはがっかりしたな」「立ち合いでつっかけたり気が逸っていましたね」〇「心技体の心がまだまだだな」「そりゃそうですよ。今どきの若者ですから」〇「ま、これからの伸びしろと考えれば納得か」「新大関になって2,3回優勝してすぐにその上に・・」〇「おい、ひとのお株を奪うな」「へいへい、ご隠居の真似をしてすみませんでした」〇「十両じゃ尊富士が優勝するし、言うことなしだ」「怪我からよく復帰しましたよ」〇「弱い大関二人は8勝7敗で踏みとどまったな」「貴景勝の引退で寂しくなった大関陣ですから頑張ってもらわなくちゃ」〇「立行司・木村庄之助も引退らしいな」「花束をもらって笑顔を見せていましたね。ほっとしたんでしょうね。いい光景でした」紙上大喜利69『じじいの時事ばなし』
〇祝50-50荒神〈あらがみ〉様の出現だ俳句川柳11
〇「大の里がただひとり11連勝痛中だ」「強いですね。大関昇進は確実ですね」〇「取り組み相手を考えると全勝優勝も見えてきたな」「ご隠居、勝負事は下駄を履くまでわからないといいますけど」〇「それはそうと、錦木が2敗で続いているのには驚いた」「一時は十両陥落かと心配しましたが、何があったんでしょうね」〇「相撲も面白いが、やっぱり大谷翔平はすごい。48号を打って48-48をクリアした」「あと残り11試合で2ホームラン2盗塁ですから50-50も夢じゃないですね」紙上大喜利68『じじいの時事ばなし』
黒田三郎〈画像はウィキペデイア〉より黒田三郎といえば、詩の芥川賞といわれるH氏賞を取った『ひとりの女に』〈1954〉が有名である。東大経済学部卒という高学歴ながら、自分の弱さをさらけ出した詩風が共感を呼んだ。妻の入院中、父娘2人の生活をうたった絶唱『小さなユリと』(1960年)で現代詩を誰にもわかる平明なものにした。ほかに『時代の囚人』(1965年)など。詩集『ひとりの女に』の中の「賭け」という一篇を読んでみよう。五百万円の持参金付の女房を貰ったとて貧乏人の僕がどうなるものかピアノを買ってお酒を飲んでカーテンの陰で接吻してそれだけのことではないか美しく聡明で貞淑な奥さんを貰ったとて飲んだくれの僕がどうなるものか新しいシルクハットのようにそいつを手に持って持てあますそれだけのことではないかああそのときこの世...心に残る詩人たち〈7〉
ポエム(268)『ターシャ・テューダーの庭』2020-12-0200:15:40 ポエム年老いた絵本作家のおばあさんが家族と接するように庭の花々に手を伸べる私の庭は「楽園」だと思うわ物にあふれた世の中とは別世界植物が満ち足りているかどうか見て確かめるのおばあさんの庭は四季を問わず風がすり抜ける季節によって咲く花の種類はちがうがどの花にも優しく語りかけるのだこのシャクヤク色が珍しいでしょう古い品種で種から育てているのが自慢なの中世のオランダ絵画に描かれているのよターシャ・テューダーバーモント州の絵と庭仕事が好きなおばあさんしわが目立つけれど気高い顔をしているんだ四人の子どもを女手ひとつで育て上げ古びた木造家屋に住むのは犬のメギーとおばあさんだけ今では子どもも孫もみなターシャのお手伝い崩れた玉石を前にしたエイ...心に残る『ターシャ・チューダー』
〇斎藤劇場はまだ続いてる?アーヤレヤレ県議団全会派が辞職要求したがソレカラドーシタ県民の支持があるから辞めないとのたもうた〇兵庫県知事につぎつぎ矢を射るがアーソレソレ証人喚問も辞職要求もどこ吹く風とソレカラドーシタ改めるべきは改めると深々と頭は下げる〇「ああいえば上祐」も呆れて口あけたアーソレソレ事件簿をさかのぼっても類型見当たらずソレカラドーシタ新典型の一つに登録した統制呆れ節9
天からのひとすじの慈愛めぐみの雨ふる歩くたびに靴をおおった土埃が雨を吸い込みやがて茶に染まる馬車道の轍も消え畑のみどりが蘇るなつかしい日照り天も地も慈愛に満ちていたポエム394『ひでり』
〇「おい。大相撲がはじまったぞ」「知ってますけど、何か変わったことがあったんですか」〇「大の里が熱海富士とのきわどい勝負に勝って白星発進だ」「よかったですね」〇「隆の勝が先場所から急に強くなったので魂消てる」「ほんとですね、豊昇竜を圧倒しましたからね」〇「きょうは以上・・変わったことはないな」「ご隠居、あっしの言ったことが気に障ったんですか」紙上大喜利67『じじいの時事ばなし』
石垣りん〈ウェブ無料画像〉よりくらし食わずには生きてゆけない。メシを野菜を肉を空気を光を水を親をきょうだいを師を金もこころも食わずには生きてこれなかった。ふくれた腹をかかえ口をぬぐえば台所に散らばっているにんじんのしっぽ鳥の骨父のはらわた四十の日暮れ私の目にはじめてあふれる獣の涙。まず最初に代表作の一つを読んでいただいた。平易な言葉だが人間の本質を抉り出している。くらし・・という日常を描きながら台所には非日常が散らばっている。これが石垣りんの世界だ。1920年(大正9年〉生まれ2004年〈平成16年)没。東京市赤阪(現在の東京都港区)生まれ。銀行員として働きながら、詩を次々と発表。主な詩集として、『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』(1959年)、『表札など』(1968年)、『略歴』(1979年)、『やさ...心に残る詩人たち〈6〉
草野心平〈写真はウィキぺデイア〉より草野心平といえば「蛙の詩人」で知られている。オノマトベ〈擬音〉という技法でカエル語を表現したり蛙を詠んだ詩が多いからだろう。しかし、本人はそう呼ばれることに満足していたわけではなく、「僕は蛙をそんなに愛していない」と抵抗感を示すこともあった。草野心平は他に「富士山」「天」などの対象物、語句が好きで、しばしば詩の中に詠みこんでいる。享年85歳という活力に満ちた生涯の中から傾向の異なる2編を選んでみた。「夜景」コウノトリの。鳴き声の。あと。音なく。一切なく。ここは地球の。ドまんなか。動かない。天の。戸鎌の。月。「窓」波はよせ。波はかへし。波は古びた石垣をなめ。陽の照らないこの入江に。波はよせ。波はかへし。下駄や藁屑や。油のすぢ。波は古びた石垣をなめ。波はよせ。波はかへし。波...心に残る詩人たち〈5〉
中原中也〈写真はウィキぺデイア〉より中原中也の「汚れちまった悲しみに・・」も知らない人がいないぐらい有名である。一部分だけが印象付けられているが、せっかくだから全文を読んでみたい。汚れつちまつた悲しみに……〈青空文庫からコピー〉汚れつちまつた悲しみに今日も小雪の降りかかる汚れつちまつた悲しみに今日も風さへ吹きすぎる汚れつちまつた悲しみはたとへば狐の革裘かはごろも汚れつちまつた悲しみは小雪のかかつてちぢこまる汚れつちまつた悲しみはなにのぞむなくねがふなく汚れつちまつた悲しみは倦怠けだいのうちに死を夢む汚れつちまつた悲しみにいたいたしくも怖気おぢけづき汚れつちまつた悲しみになすところもなく日は暮れる……感覚が素晴らしい。人の心を引き付ける天性の才を持っていたのだろう。中原中也は1907年4月29日、山口県(現...心に残る詩人たち〈4〉
田村隆一〈写真はウィキぺデイア〉より前2回と比べると少し長めの作品だが田村隆一詩集の中でもよく知られた『四千の日と夜』から取り上げる。『四千の日と夜』一篇の詩が生れるためには、われわれは殺さなければならない多くのものを殺さなければならない多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ見よ、四千の日と夜の空から一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、四千の夜と四千の日の逆光線をわれわれは射殺した聴け、雨のふるあらゆる都市、熔鉱炉、真夏の波止場と炭坑からたったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、四千の日の愛と四千の日の憐みをわれわれは暗殺した記憶せよ、われわれの眼に見えざるものを見、われわれの耳に聴えざるものを聴く一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶をわれわれは毒殺し...心に残る詩人たち〈3〉
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「蛸壺やはかなき夢を夏の月」この句は「笈の小文」からの選定で元禄元年に行った芭蕉の小紀行文には若さというか色気が感じられる。わび・さびに慣れた目にはこの句をはじめとする諸作が眩しく映る。とくに蛸壺の句が好きだ。現代の文芸作品と比べても優れている。芭蕉は若い時も老境になっても色あせない。才能が頭抜けている。6月18日、明け方になっても蒸し暑い。ぼくはこれから眠るから蛸と一緒に「はかなき夢」でも見よう。芭蕉の名句㊱『はかなき夢を夏の月』
月の裏側はわからないことばかりだ何年か前に中国がロケットを着地させたらしいがその後の様子は皆目わからないもしかしたすでに基地を作っていて秘密の地下壕に宇宙飛行士が住んでいるかもしれない太陽風や隕石に耐えながら暗闇の生活に慣れる訓練も月は地球を回る公転と自転の関係で地球の人にいつも良い顔を見せている三日月から満月まで風流の極みを提供して月にはかつて水が存在したらしい井戸掘りしなくても光さえあればプラントの中で野菜を栽培することもできるなのになんで月の裏側にこだわるのか月面裏側の地下シェルターの奥深くに会議室を設け核戦争後の地球支配を協議するつもりか1959年に初めて月の裏側を見たルナ3号も地球は青かったのボストーク1号もソ連だった習近平さんウラジーミル・プーチンさん仲良くしましょポエム413『月の裏側では』
「野を横に馬牽きむけよほととぎす」この句は「おくの細道」に載っている。この句が読まれた場所は、宇都宮から日光街道と分岐する奥州街道の拓けた場所らしい。〈白河の関へ向かう直前の作〉野の端っこからホトトギスの鳴き声が聞こえてきたので、すかさず芭蕉が反応した即興の名句である。絶えず句作のことに留意している芭蕉ならではの馬子への命令「馬牽き向けよ」に切迫感を感じないだろうか。今この瞬間を逃したらホトトギスはどこかへ行ってしまう。忍者まがいの健脚で知られる芭蕉がたまには馬に乗ることもあったのかと思う一方、江戸時代初期には馬子という職業が定着してとも考えられる。もともと伊賀の武士出身の芭蕉に職業意識はあるまいが、とっさの言葉に馬子への優位が覗かれる。いろんな面白さを含んだ名句として取り上げた。芭蕉の名句㉟『野を横に馬牽きむけよ・・』
〇古・古・古米ニワトリ啄みコケッコー〈結構〉*立憲民主の原口さんが「くず米〈家畜用〉」と呼んだ備蓄米です。〇六方を踏んで「どうだ」と進次郎*JA・全中〈農協〉を相手に富樫〈総理・農水省〉承知の勧進帳俳句川柳21『コメ騒動余波』
〇「退院のとき禁酒を申し渡された肝臓病患者」とかけて「看護婦なんぞに命より大事なものがあるのがわかるめえ、と帰りしなに蕎麦屋で祝杯をあげるオッサン」とときますそのこころは「おれの辞書には婦も屋も酒もちゃんと載っている、サ別用語じゃありません」*謎かけ問答変則版新企画『ととのいました』34
〇「長嶋茂雄が死んだな」「89歳というのはミスターらしいですね」〇「どのテレビ局も特集を組んで悼んでいるな」「エピソード満載の人ですから材料に事欠きませんね」〇「ジャイアンツでの活躍と慌て者のイメージが目立つ人だった・・」「そのギャップが愛されましたね」〇「やっぱり白鵬が相撲界を去ったな」「ご隠居の言った通りでした」〇「辞めさせられた白鵬の反撃で相撲協会もおちおち眠れないか」「何を言われても沈黙を押し通すらしいですよ」紙上大喜利91『じじいの時事ばなし』
栃木県の白河の関は奥の細道の入り口とあって芭蕉は待ち構えていた門人たちの大歓迎を受けた。そのため、かなりの期間黒羽町に滞在したと記されている。ある解説によれば「白河の関は東北の玄関口とされ、芭蕉は古歌や故事を偲ぶのに夢中で句を詠む余裕がなかったとされています。一カ所一句の原則は後に紀行文「おくの細道」を編纂する際に確立したものである。立ち寄らなかった場所でも俳句を載せて紀行文の体裁を整えた。『田一枚植えて立ち去る柳かな」尊敬する西行の五百年祭を記念する「遊行柳」などには実際に足を延ばしたが、門人のいない場所では連歌や連句を巻くこともできず早々に通過したことは前にも記した。「俤(おもかげ)や姨ひとりなく月の友」数年前の中秋9月10日、千曲市八幡の長楽寺で、松尾芭蕉の没後を偲ぶ会が催された。この句は「亡き母の...芭蕉の名句㉞『姨ひとりなく月の友』
〇新国劇のヒーローは月形半平太「春雨じゃ濡れて行こう」〇深刻劇に登場は斎藤兵庫の輔「責められても蛙の面にしょんべん」〇魔手・訴え返しで職員を告発「立花孝志さんに立ち話以上の秘密を洩らした」時代変われば主役も変わる『月形半平太もどき』
お土産にもらった魚沼産こしひかりの塩にぎり舌が感じるほんのり甘いコメの味ふるさとの川に戻った鮭が嗅ぎ取る匂いのように新潟の味が鼻腔をくすぐるうまいうまいよう何も足さない何も引かない思わずコピーライターの顔が浮かぶほど完璧な商品魚沼産こしひかりの味は三日過ぎてもまだ舌に残っているポエム412『塩にぎり』
「夏の夜や崩て明し冷し物」物知り博士の解説によれば以下の通り。前月下旬から嵯峨落柿舎に滞在していた芭蕉は、膳所に戻った翌日、元禄七年六月十六日(1694年8月6日)曲翠亭にて夜遊の宴、支考らと五吟歌仙を巻きました。掲句はその発句です。脇は曲翠、露ははらりと蓮の縁先。「今宵は六月十六日のそらみずにかよひ、月は東方の乱山にかゝげて、衣装に湖水の秋をふくむ。されば今宵のあそび、はじめより尊卑の席をくばらねど、しばしば酌みてみ(乱)だらず。人そこそこに涼みふして、野を思ひ山をおもふ。(中略)しからば湖の水鳥の、やがてばらばらに立わかれて、いつか此あそびにおなじからむ。去年の今宵は夢のごとく、明年はいまだ来たらず。今宵の興宴何ぞあからさまならん。そぞろに酔てねぶ(眠)るものあらば罰盃の数に水をのませんと、たはぶれあ...芭蕉の名句㉝『崩て明し冷し物』
松島トモ子という元子役は長じてライオンにがぶりと噛みつかれて有名になった最近では芦田愛菜ちゃんや鈴木福くんが印象に残る活躍をした中でも忘れられないのはひとひとピッチャンひとピッチャン万屋金之助映画「子連れ狼」の子役だろうか「大五郎」は役の上とはいえ毎回幼くして命を狙われる劇画家・小島剛夕が作りだした独特の死生観を付与されたまさか大五郎が実人生で事件を起こすとは子役の時に与えられた死生観が実人生に影を落としたのか不思議な縁だが深淵を覗き込んだ気がする子役のたどる運命は難しい芦田愛菜ちゃんのように親のサポートがしっかりしていて才能をどう伸ばすか方針が決まっている親の役割は成人になるまで卒業できない鈴木福くんも大学生になってそろそろ卒業するころだろう有名大学で学んだ学業を生かして実りある社会人生活を送るのももう...ポエム411『子役』
〇「大相撲夏場所は大の里の優勝で終わったな」「惜しくも全勝はできませんでしたが圧倒的な強さでした」〇「翌日には理事全員一致で横綱審議委員会に諮問された」「初土俵以来13場所での横綱は異例の速さだそうですね」〇「しかし千秋楽で豊昇龍に突き落とされたのは不覚だった」「14日目から緊張してましたものね」〇「二所ノ関〈稀勢の里〉親方がコメントして「アドバイスはほとんどない。この負けを来場所以降の糧にしてほしい・・と手放しのほめようだった」「稀勢の里以来の日本人横綱というんですから因縁を感じますね」〇「優勝2回の師匠を早くも上回っているぞ」「ご隠居、朝青龍・白鵬・日馬富士などモンゴル勢全盛時代に2回優勝した稀勢の里は立派でした」紙上大喜利90『じじいの時事ばなし』
「曙はまだ紫にほととぎす」「曙」は言うまでもなく、清少納言の『枕草子』の「春は曙。やうやう白くなりゆく山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。‥を下敷きにしている。曙はまだむらさきにほとゝぎす(真蹟)(あけぼのはまだむらさきにほととぎす)元禄3年(1690)。芭蕉47歳。前書きに、「勢田に泊まりて、暁、石山寺に詣。・・とあるように、やはり芭蕉は近江にも縁が深い。前に「石山の石より白し秋の風」を取り上げた際にも触れたが、奥の細道以前の小紀行文にも優れた句が載せられている。あらためて伊賀時代からの学識の厚みに敬服する。47歳で病没する最晩年の句業「奥の細道」がいかに過酷な行脚だったか、胸が痛む。芭蕉の名句㉜『曙はまだ紫に・・』
〇コメがない張り紙貼って店閉じる〈大阪のコメ販売店〉〇江藤農相「コメ買ったことない」で辞任する〈正直な人だ〉〇次期農相進次郎さん就任で失言待ち?〈コメ見たことない・・とでも〉〇備蓄米政府と農協で高値維持〈古米を高く売りさばき新米を高値で買い付ける=政府もJAもホクホク〉〇5キロ袋を買えずに2キロ選ぶ人〈庶民の生活苦は深刻だ〉俳句川柳20『コメがない』
「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」出羽三山の一つ湯殿山には、そこでの修行〈体験〉を他人に漏らしてはいけないという決まりがある。修験者にとっては掟と言ってもいい。芭蕉の句の「語られぬ」は「湯殿山のことは」の意味で「ぬらす袂かな」は修行の有難さに感激して涙で袂を濡らすほどだと詠んでいる。芭蕉が実際にどんな体験をしたのかは知る由もないが、ここで作った句は俳諧師松尾芭蕉の得意とする言葉遊びも若干顔を覗かせている。別の解説を見ると、湯殿山は女人禁制で「恋の山」という別名があるそうだ。また、湯殿山でのことは昔から「語るなかれ、聞くなかれ」とされており、この俳句が収められている「おくのほそ道」の文章の中にも、「惣而此山中、微細(総じてこの山の中の微細)、行者の法式として他言する事を禁ず。」という部分があるらしい芭蕉の名句㉛『湯殿にぬらす袂かな』
〇「五月場所も中日を過ぎて大の里が全勝で突っ走ってるな」「強いし安定してますね」〇「15日間白星を並べて横綱昇進に花を添えてほしいな」「白鵬みたいに何回でも全勝優勝できそうな逸材ですからね」〇「その白鵬に近々引退のうわさが流れているのを知っているか」「親方になって相撲解説などで活躍してましたが弟子の暴力事件を黙認していた責任を問われてミソを付けましたね」〇「弟子の伯桜鵬が必死に頑張っているみたいで痛々しい」「親がなくとも子は育つんじゃないですか」〇「青い目の力士が強くなって早晩上へあがってきそうだ」「琴欧州みたいな大関が誕生してほしいですね」紙上大喜利89『じじいの時事ばなし』
最近、佐藤浩市の顔を頻繁に見る「ファミリー・ヒストリー」にも登場したから何ごと?と思っていたら映画で吉永小百合の夫役を演じたのが話題になっているらしい父親の三国廉太郎も吉永小百合と共演しているから親子二代の縁とは珍しい父親は「釣りバカ日誌」のマドンナ吉永と佐藤浩市はエベレスト女性初登頂の田部井順子モデルの夫役佐藤浩市も渋い演技〈田部〉役で存在感を出しているが80歳の吉永小百合の妻役〈登山家〉にはビックリだ映画の完成報告会見だそうだから十何回忌の三国廉太郎も「てっぺんの向こうあなたがいる」を喜んでいるだろうポエム410『あの親子』
〇「大相撲五月場所も3日目が終わっておおむね期待通りの成績だな」「大の里の綱取りはほぼ固いんじゃないですか」〇「もう一人の横綱も負けて優勝が見えてきたな」「ご隠居、大の里はまだ横綱じゃないですからね」〇「おまえが固いというからついその気になった」「それにしても王鵬は絶好調ですね、豊昇龍を破って自分も大関を目指してますよ」〇「三役復帰した高安は負け先行だな」「先場所の優勝決定戦に負けてガックリしているんでしょうね」〇「尊富士は3連勝で力通りの相撲を取っている」「精悍で気持ちのいい力士ですよね」〇「心配なのは琴櫻だ、なにが原因なんだ」「先場所やっとカド番を脱したばかりなのにまたカド番もあり得ますね」紙上大喜利88『じじいの時事ばなし』
「象潟や雨に西施がねぶの花」象潟に義母の親せきがあるので結婚当初はよく遊びに行った。鳥海山もいいが、親せきが夏には海の家を経営していたので口に余るほどの岩ガキをごちそうになって思い出になっている。さて、この句は「奥の細道」の中でもよく知られた一句である。雨降る象潟で花びらを閉じた合歓の花を見かけたのだろう。「まるでまつ毛を閉じた西施の横顔を見るようだ。憂いに沈んだ表情が胸を打つ。・・」と漢籍にも強い芭蕉が思ったのかどうか。西施は歴史上中国の古代四大美女として楊貴妃らとともに登場した。生没年は不明だが、呉の時代に陰謀を託されて王に献上された美女の一人として古来から人気が高い。芭蕉の俳句も西施の印象を決定づけたのかもしれないが。参考=〈ウィキぺディアより〉本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋...芭蕉の名句㉚『象潟や・・ねぶの花』
〇走るのも地獄降りても税地獄〈ゴールデン・ウィーク〉〇梅雨寒とともに自動車税期限〈6/2〉〇お土産ははしか?近場の渡航客〇トランプの関税破綻も友〈英国〉ありて〇寝ていても太刀筋きわめホームラン〈早くも11号〉俳句川柳23
ホタルブクロ画像は〈季節の花300より〉昼間白いホタルブクロの前でふたりの女の子がしゃべっていたねえクレハちゃんこのホタルブクロの中に妖精が隠れているのようそだメミルちゃん見たことあるの?クレハのことだましちゃいやだよ見たことはないけどきっと妖精がいる夜中にホタルブクロを見るとボウっと明るいんだって道草していた女の子二人はお布団の中でスヤスヤきっとたくさんの妖精がダンスをしている夢でも見ているんだろうなポエム383『ホタルブクロの秘密』
〇「芦田愛菜ちゃんはますます活躍してるな」「ご隠居、急にどうしたんですか。鈴木福君ともども成人になって知的なタレントになりましたよ」〇「いや、親がここまでよく育てたなと思ってさ」「そうですね、2人とも反抗期とかなかったんですかね。子育ての本でも出せば売れますね」〇「北朝鮮のゴミ風船は飛ばした50パーセントは韓国に届いているらしいぞ」「いやですね、イメージが・・飛ばす方の品格が問われますね」〇「日本も先の戦争末期には風船爆弾を飛ばしたけれど何個かアメリカ本土に届いただけだ」「太平洋を越えてよく届きましたよ。北朝鮮と韓国は隣同士の諍いで始末が悪いですね」〇「大谷翔平は背番号と同じ17号に到達したけど、ヤンキースのジャッジに大差をつけられたな」「相手投手の攻め方にも大差があるように見えますよ」〇「小池百合子さん...紙上大喜利60『じじいの時事ばなし』
駐車場の奥の崖下に黄色い百合が咲いていた梅雨入り前の真夏日の午後人間どもがあえぐ日盛りに黄色い百合はいとも涼しげに大きな花を咲かせていたなんだかノカンゾウに似ているがきみは野の百合だよね群れてないところが最高だ花言葉は「陽気」というんだってきみに出合ってよかったよ運勢がよくなる前兆だってさ駐車場の雑草の中で輝く黄色い百合これから仕事に出かけるけどよろしくなポエム382『黄色い百合』
茨城県に五浦海岸〈いづらかいがん〉という場所がある。岡倉天心のもとに集まった横山大観、下村観山、菱田春草らが日本画の美を極めようと切磋琢磨した北茨城市の景勝地である。海水浴場にもなる砂浜には海風にもめげず松が枝を伸ばし、岩場を望む六角堂にこもると打ち寄せる波の音が思索を深化させるようだ。天心は後に六角堂を日本美術院の本拠地にした。横山大観のいわゆる朦朧体などは五浦で生まれたものである。冬場はボストン美術館の中国・日本美術部長を務める天心は、夏場は五浦に戻って日本美術界の改革に注力した。もともと日本美術品の研究・収集に造詣の深かったフェノロサの通訳を務めていた天心は、自らも日本美術の研究にのめりこむ。弟子たちはみな家族とともに五浦で夏を過ごし、橋本雅邦ら若き天才画家たちが日夜日本画の可能性を追求した歴史的な...真夏の怪談その5『五浦海岸』
昨日のニュースで嘴太ガラスを肩に乗せて散歩する青年のインタビューに答える様子を放映していたとにかくカラスは頭がよくて可愛い同居していて新たな発見があり伴侶として申し分のない存在だという話変わって都内の繁華街からカラスが激減いま何が起こっているのかとミステリー仕立ての特集でもあった有力な答えは頑丈なゴミ箱の設置だカラスを兵糧攻めにする施策がやっと浸透してきたのだろうというその一方で鷹やハヤブサが増えているらしい都心の高層ビルは崖みたいなもので天敵を避けて営巣するには最適なんだとか新たな悩みに都知事候補はどう応えますか小池さんはまだ出馬表明せず蓮舫さんならビルに網かけろとでも・・ポエム381『カラスをペットにする男』
海野太吉は千葉県内をよくドライブした。勝浦や御宿が好きで、家族を乗せて行楽に引き回した。自宅が都内にあったので、あるとき茂原から四街道を経由して家に帰ることにした。自動車の道路ナビなどない時代に地図を頼りに近道を探して強行突破してきた。すると四街道に近づいたと思われる頃いきなり目の前に竹襖が現れた。「えーっ、なんじゃこれ?」家族も身を乗り出して怖がった。「おとうさん、引き返しましょう」「いや、竹藪が道までせり出しただけだ、道がないわけじゃない」農道なのか畑の中の私道なのかわからないがギリギリ通り抜けられそうだ。太吉は運転席のミラーを引っ込め、竹の幹にこすりそうになりながらなんとか通過した。「いやー、水木しげるの妖怪が出たかと思った・・」「お父さん無謀だから、いつもヒヤヒヤするわよ。いつか青梅の方でコンクリ...真夏の怪談その4『四街道の竹藪』
〇10代二人がバールを持って民家に押し入ったアーソレソレ主人殴って妻からカネ奪うソレカラドーシタあわてて逃げたが忽ち捕まった〇架空の投資で60億円集めたアーソレソレ社債を印刷くばってその場をごまかしたソレカラドーシタいくら稼ごうが悪銭身につかず〇詐欺をしようが強盗だろうがお札に色はないアーソレソレ金を使えばクラブは恵比須顔ソレカラドーシタ焼酎飲み飲みマルサ対策考えた当世あきれ節2
「羽衣の松」という小説を書いた仲間がいた。老境に入ってロマンスには無縁と感じ始めていた時、突然女性の方から思いを告げられたのだ。彼は驚き、うれしくも感じた。若い時は何度か恋愛をしたことがあったが、縁あって現在の女房と結婚し40年を共に過ごしてきた。それだけに同じ同人誌に所属する女性に誘われて食事をし、その後一夜を共にしたことはそれとなく記録しておきたかった。天女からふわりと羽衣をかけられたと表現したのは彼の心境そのものだ。富士山が世界遺産になったとき三保の松原もその一部に認定された。羽衣伝説は世界中に説話として存在し、日本では滋賀県や京都府の風土記に残されているのが最も古いのだが、富士山がよく見える場所として世界遺産に含まれたことから三保の松原が有名になった。本来、羽衣伝説とは関係のない話であるが、三保の...真夏の怪談その3『三保の松原浮気考』
〇八冠が叡王戦で踏みとどまる〇連敗のあと1勝返し2対2に〇挑戦者伊藤匠はAI通〇子供のころから聡太のライバル互角の才〇現棋界勝率1位の匠立つ〇21歳聡太・匠の若武者戦〇八冠は先に名人位防衛す〇藤井聡太に過密日程発汗やまず〇AIにもまれて予備軍虎視眈々〇もはや大人の出る幕なしか将棋界俳句川柳7『藤井聡太八冠』
〇牽制球が足に当たって痛い顔〇そんな翔平見たことなかった心配だ〇監督が復調予言ほっとした〇翔平が10試合ぶり14号〇トップまで2本差いずれ追いつくさ〇とはいうが守りの姿勢が垣間見え〇水原に受けた裏切りトラウマに〇新住居〈十数億円〉へ移って心機一転か〇ロバーツ〈監督〉のおねだり〈自動車〉変じてミニチュア・カー〇背番号〈17〉譲った選手と違うわい〈奥さんにポルシェ贈って話題に〉俳句川柳6『心配させんなよ』
現在はにかほ市になった秋田県の象潟町で重吉は炭焼きを生業にしている。東京の大学を卒業したあと実家の山を預けられ、楢や橡の木を切り倒しては木炭づくりを目指した。ところが重吉は炭窯に火を入れた後持ち込んだ哲学書を読みふけるものだから、火を止めるタイミングを失い出来上がった木炭はほとんど灰に近い状態になってしまった。「重吉さんなばダメなもんだ。炭つくってんだか灰つくってんだか売り物になるのは一本もなかった」口さがない住民が噂するうちはよかったが、そうち呆れて誰も近寄らなくなった、そうして一年が過ぎ炭の材料になる木を伐りに遠くまで足を運ばなくてはならなくなttころ、重吉さんの炭の品質がきゅうによくなった、聞きつけた住民が重吉さんから話を引き出したところでは本に夢中になっていても木の精が勝手に話しかけてくるのだとい...真夏の怪談その2『にかほ市の哲学者』
〇「どうだ、やっぱり大の里が優勝したろう?」「ご隠居の言う通りでしたね。しかし、中日のあと2敗したんでハラハラしましたよ」〇「負けを肥やしにしてどんどん強くなったよ」「最後の3日間は自信に満ちた顔をしてましたね」〇「大の里はあと何場所かで大関になる、横綱も遠くないだろう」「そう簡単にいきますかね、人生何が起こるかわかりませんよ」〇「大丈夫だ。オーラがある。謙虚さもある。相撲の型もある」「へえへえ、ご隠居を信じますよ」〇「ライバルの琴桜もうまく育ってほしいな、尊富士も復帰してくれば面白くなる」「平戸海や熱海富士も見どころありましたしね」紙上大喜利59『じじいの時事ばなし』
市ヶ谷駅は僕がよく利用した駅である。夏の深夜、大急ぎで改札口に降りていくと頭上から人のすすり泣く声が降ってきた。声の主はたぶん女性だろうと気になったが、こちらも電車に乗り遅れる心配があったので確かめることなくホームへ走った。何日か経って市ヶ谷駅のすすり泣きのことが週刊誌に載っているのを中吊り広告で知った。早速買って読んでみると、僕が体験したよりも大分前から噂になっていたらしい。誌面によると夫に捨てられた女性がJRの線路上で飛び込み自殺した事件があり、その時の状況がこだまのようによみがえって夜な夜な誰かしらの耳に届いていたらしい。よほど無念だったのか、聞いたのは男性ばかりで男への恨みも感じられる話だった。週刊誌の記事を読んで以来、僕は市ヶ谷での乗降を避けるようになった。総武線ではなく中央線の快速や準急電車を...真夏の怪談その1『市ヶ谷のすすり泣き』
天・点天を仰ぐ暑い直視できない点黒点子供の絵なら簡単ゴマのような黒点太陽フレアまでクレヨンカナダでオーロラ電離層パニック気象衛星多数墜落・点天天を仰ぐ熱い直視できない黒点気象も天文学も天に始まり点に終わる人生は天の思し召しポエム380『天』
〇社長が一瞬目をかけたアーソレソレ早くあと継がせろと焦る娘婿ソレカラドーシタ魂胆読まれると匿名人間を雇って深い闇深い闇〇政党交付金の使い道報告下限はいくらアーソレソレ与党の協議はいくらやっても折り合わずソレカラドーシタ自民は10万以下に切り下げず国民無視国民無視〇クマがやたと人を襲うアーソレソレ暖冬で冬眠短め腹が減ってたまらないソレカラドーシタ民家に侵入し貯蔵庫開けて好き放題好き放題当世あきれ節1
〇「おい、小相撲って知ってるか」「えッ?大相撲なら今やってますが」〇「横綱照ノ富士をはじめ大関貴景勝、霧島、関脇若隆景、朝乃山など注目力士がみんな休場で元気なのは小物ばかり」「それで小相撲ですか、ご隠居」〇「今場所の優勝は大の里で決まりだな」「またまた、気が早い。まだ8日目ですよ」〇「先場所だって尊富士か大の里のどっちかといったろう、今場所は大の里の番だ」「へえへえ、外しても知りませんよ」〇「大谷翔平が13号を打ってトップに並んだな」「打率もトップだし三冠王が狙えるんじゃないですか」〇「ロサンゼルス市が大谷翔平の日を制定したな」「5月はアメリカ政府がアジアやハワイ、太平洋の島々にルーツを持つアメリカ人の歴史・文化や功績をたたえる月間でそれにあやかったらしいですよ」紙上大喜利57『じじいの時事ばなし』
巣鴨プリズンが解体されたとき、ある独房の壁の中から奇妙な塊が転がり出てきた。公には報道されなかったが、それは高温の熱によって溶かされたコンクリートが、冷えて固まった状態に見えた。普通、ブルドーザーで破砕された壁は、捻じ曲がった鉄筋を除けば、セメントと砂、砂利による組成が一目瞭然だった。それに対し、発見された塊は内部でガラス質の粒子が滾り、流れ出たような形跡が見られた。飴を塗りつけたような表面には、わずかながら人をほっとさせる暖色系の彩りがあった。なぜ、コンクリートが溶けたのか。壁の一部だけが、どうして他と違う様相を見せるのか。独房に収監された囚人が、脱獄を図るために薬品で壁の腐食を狙ったと考える者もいた。壁の解体に携わった業者は、上司を通じて拘置所の責任者に報告した。あり得ないことだが、少しの疑いでもあれ...思い出の短編小説『壁の中』
『東海道中膝栗毛』〈とうかいどうちゅうひざくりげ〉で名の知られた十辺舎一九は1802年~1814年にかけて初刷りされた滑稽本である。「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意で人気作品となり刊行は『東海道中膝栗毛』と『続膝栗毛』あわせて20篇に及んだ。後世に読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八コンビのキャラは歌舞伎や映画等で現在でも活躍が続いている。文才とともに絵心のあった作者による挿絵が多く挿入され、江戸時代の東海道旅行の実状を記録する、貴重な資料でもある。版木による出版が何版にもおよび、今でいうベストセラー作家となった十辺舎一九は文筆業だけで生計を立てたわが国最初の人物ともいわれている。通称「弥次喜多道中記」のあらすじは、江戸の神田八丁堀の住人である栃面屋弥次郎兵衛と居候の喜多八が二人と...新作KAIDANその10『十辺舎一九』
那須野が原には「九尾の狐」が住んでいるといわれている。最近、那須野が原を舞台にいやな事件が勃発しているが、ご当地の九尾の狐がどう思っているか世間の口端も喧しい。「ぼくは九尾の狐はワルだから冷ややかな顔で見ていたんだと思う」「いや、わたしは九尾の狐は憤慨していると思います。もともと伝説では神獣といわれて王朝を支えてきたのだから今回の事件はイメージダウンになると怒っているはずです」「読み本屋、曲亭馬琴の受け売りだな?」「そういう貴方こそ玉藻前〈平安時代末期に登場する『玉藻草紙』で鳥羽上皇の姫に化けた狐〉にたぶらかされているんでしょう」「九尾の狐をワルだと言っているぼくが騙されるわけがないだろう、何を考えているんだ」「全身〈心〉全霊で化かすというから、あんたなんかイチコロよ」「ちょっと待った,お二人さん、九尾の...新作KAIDANその9『九尾の狐』
〇「大谷翔平が11号ホームランで両リーグトップに立ったな」「3連発の後このまま突る可能性がありますね」〇「護衛艦『いずも』をドローン撮影した奴はドロンしちゃったのか」「中国のSNSに投稿されたということですが誰かはわかりませんね」〇「政治資金規正法はどうなった?」「連座制は決まりみたいですが問題は使い道ですよね」〇「何に使ったか記録し党に報告する金額を10万にするか5万にするかで自民・公明の折り合いがつかないんだろ」「ザルの目を粗いままにしたい自民が引き延ばししているようですね」〇「宇野昌磨が今シーズン限りで引退するらしいぞ」「男子フィギアという激しいスポーツでよく頑張りましたよ」紙上大喜利57『じじいの時事ばなし』