〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
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(前日からの続き)人間神の子、人間神の子、確かにね、そう言ってれば、何か落ち着くようなことを感じる人もいるかもしれないけれども、自分の生活は落ち着いていないし、性格もイライラして良くないし、こんなのどこが神の子なのかなあと思う。でもそれは自覚が足りないからだという。それだけじゃあ駄目なの。それだけじゃあ、やっぱり〇〇さんが言うようにね、暗示になっちゃう。そこが説明が足りないと言ったのは、さっきも申しましたように、世界人類が平和でありますようにという中へ、私たちの想いも願いも、足らないという想いもね、いろいろな苦しみも悲しみも、全部放り投げて、そして光になっていく。光のエレベーターである、世界人類が平和でありますようにというこの祈りを、我々は持ってる訳でしょ。ね、教義も持ってる訳ですよ。で、いざとなったら、...人間神の子論が暗示にならないように(2)
これは、非常に大事なことなので申し上げますけど、人間神の子論ですがねえ、これは、私が生前から言ってますようにね、人間神の子というと、それをお題目のように唱えて、いやそりゃあ本当なんですよ。人間は神の子なんですもの。人間は分霊(わけみたま)で分生命(わけいのち)で来てるんだから、神の子なんだけど。例えば、それだけを追って、ずっと言って、それが出来ないのは、お前の心が悪いんだ、お前の心がけが何とかという風になっちゃうと、それが責めることになる。人間の今の現実の状況といいますか、人間の心の状態、有りのままの自然な状態、それを認めないことになる。だから、私はそこに、人間神の子だけじゃなくて、世界人類が平和でありますようにという、あの世界平和の祈りを出したし、神様のお約束によって、祈りと教義を出した訳ですよ。それで...人間神の子論が暗示にならないように(1)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(7)
(前日からの続き)その後というのは、やっぱり皆の想いぐせですよね、いつも私が言う。私なんてどうせとか、私がやったってこんなことはなりっこないとか。ね、それから、変に責任感じたりとかね。いろんなその人の性格のね、個性といいますか、その現われ方によって、何か苦しみがそこへ生まれてきちゃう。それが業になってくる。だから、業というのはね、消すのは大変なんですよ。本当に消すのは大変なんだけども、つくるのは本当にすぐ出来てしまう。だからね、皆そういう弱い自分の、人間の体と、本来の人間の奥深い、神様の光に満たされた神性の体と、両方持っていて、そうして、今はその神性の方の体を自覚せよと言っている。何も現実の部分を軽視する訳じゃないんだけど、そっちの想いの方よりも、むしろ、この世の中の空気を明るくしてゆく為に、あなた方の想...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(7)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(6)
(前日からの続き)人間というのは、そのいろんな所へ光をふりまく、明るい想いをふりまいて、自分も人も尊敬して、生命を尊んで、この世界を平和にしてというのが人間の真性ですから、そっちの方を磨いていく、見つめていくという事が大事なんです。それは何も、現実の苦しみ、悩みだとか、自分の子どものことで死ぬ程私は悩んでいるのに、その悩みを無視するんですかって、そうじゃないんですよ。さっき申しましたように、その悩みであろうと苦しみであろうとね、神様というのは、守護霊さん守護神さんというのは、それを必ず向こうで良いように使って下さるわけ。だから、皆が把われているのを放っておくというのではなく、必ずね、この世の中で使って下さる。この世の中で良いように使って下さる。この世の中で駄目だったら、次の世の中で使って下さる訳なんです。...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(6)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(5)
(前日からの続き)私なんか先生、私なんか役に立ちますか、私なんかお役に立ちませんから、どうぞ他の人を求めて下さい。私なんかって、そんな引っ込んじゃあ駄目なんですね。何故かというと、皆平等に公平にそれを持ってるんですよ。あなただけが持ってるんじゃない。皆持ってるんです。肉体の力量というか才能というかね、そういう所だけでみちゃうと、そんなに輝いてるものがあるなんて言ったって、肉体の人間の我から観れば、そんなの私の中にある筈ないと思っちゃうから、否定してしまうけども。否定しきれないというのはね、ほらあなた生きてるじゃないですか。生きているその根元は何かというと、神様からの光ですよ。その光が来て、あなたはその光に養われて生きてるわけ。だから、その光の元をあなたが体の中に持ってるとしか、私は言いようがない訳ね。皆そ...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(5)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(4)
(前日からの続き)人間は、肉体持ってる間はものすごく不自由なのね。肉体持ってる為に、家を建てたり、ここへ住んでとか、土地のこと財産のこと、いろんなしがらみが出てくるし、肉体を養わなきゃならない、家族を養わなきゃと、いろんなことが出て来て、そして動きがとれない。ところが、死んじゃうと、自在身でしょ。何処へでも行ける。だから、本当にいろんな働きが出来る訳ですよ。ところがさっきも言いましたようにね、人間というのは、肉体を持っていても自在に動きまわれる。それは距離だけじゃないんです。いろんな人の心の中に入って、光を燈すことが出来る。そういう体を、深いところで、あなた方みんな持ってるんですよ。(つづく)五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(4)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(3)
(前日からの続き)そこでもう一つ言えば、今、白光が伝えようとしている、つまり、あなた方は神の子なんだよと。これも言い過ぎるとねえ。確かに、講師の性格とかね、いろんな人の性格によって、押しつけに聞こえたり、いろいろに聞こえるんですよ。それで、実際に本当に苦しんでる人とかね、もう本当にそうは思えない状況の中にいる人たちなんかね、ため息ばっかりですから、想えって言う方が無理だ、それは分かるの。だから、想えという方が無理だから、この消えてゆく姿があるんだけれど。今、消えてゆく姿よりも、神の子の方がというのはね、実際に世界そのものが、本当にものすごい勢いで変わっていってるんですね。例えば、あのイランにしてもイラクにしても、国連で平和のセレモニーがあるということにしても、それは何を意味するかといったら、この世界人類と...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(3)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(2)
(前日からの続き)この世の中だって、霊界のつづきなんで、一続きなんで、結局、霊界もこの世も一緒なんですよね。同じ空気とは言わないけれども、霊界の一部がこの世なんですよ。ということになると、その想いの貯金といいますかねえ、どういう想いを自分の中に積み重ねて行くかということによって、それがいわゆる業といいますか、カルマといいますか、そういう悪い方の業になっていくか、そうじゃないかというので、随分と違って来る訳なんです。ところが、そこに人間の弱さもろさというものがあって、さっきも言ったように、そっちの方へ行きたくないんだけれど行っちゃうとか、行かされるとか。とてつもなく苦しい所へ来ちゃったとか。そっちの方へ行かないようにするけれども、ところが、これは非常に難かしいところなんですがね。行かないように努力しているの...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(2)
五井先生がご帰神の際 本当に皆の業を持って行かれたのか(1)
まあ一つ言えるのは、私は嘘つきじゃないということですね。五井先生が亡くなった時に、つまり昌美(現会長)がね、五井先生が全部あなた方の業は持って行きましたと。だから、あと残ってるのは燃えかすみたいなもんで、皆救われますよという風な言い方をしたと。ところが、今の白光真宏会は、そういう言い方よりも、むしろね、あなた方が神の子の自覚が少なすぎるから、いつまで経ってもという言い方をするけれども、それだったら、五井先生は持って行ったというのは、あれ嘘なんですかという質問が確かあったと思いますがねえ。五井先生は嘘は言わないんです。どこかの総理大臣じゃないけどね、五井先生は本当に嘘は言いません。業は持って行ってるんですよ。ところがね、業というのはね、さっきの話じゃないけども、つくろうと思えば、いとも簡単に出来るんですよ。...五井先生がご帰神の際本当に皆の業を持って行かれたのか(1)
(前日からの続き)光に対して闇は勝たないんです。そういう訳で、我々はすうっと光を通しやすい。光を通すということは、あなたたちの運命修正をしやすいんです。だから、あなたたちがくよくよ考えてね、どうにかして下さい。もうどうなるんだろう。もうそういう嘆きがね、本当に沢山の人のが聞こえて来るけど、やっぱりそれはね、祈れば何とかなる。ご利益みたいだけれど、そうではなくて、本当に真実に預けて祈っていったら、自分が光になっちゃって、そうして、本当に真実の一本のね、光り輝く光体になって、人連らなりの生命になるんです。光明体になるんです。だから、その事だけを素直に無邪気に信じて、そうして、何もかもね、五井先生に文句もいう。文句を言うけども任せもするという生活をしていただいたらね、そうしたら皆が平和になっていくし、子どもが出...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(13)
(前日からの続き)神様これ何とかして下さいというのは分かりますよ。私も人間だったんだからね。だけども、何とかして下さい、苦しくってたまりませんというのをね、もう本当に大変だろうけれども、その想いを出来るだけ短くしてね、すいません私はもう考えられません。考えられませんから、守護霊さん守護神さん神様よろしく、五井先生よろしくお願いしますと言って、もう想えなきゃあ、それだけを想ってスイッチを切り換えて下さいな。そうでないと、こちら側はね、この人とこの人をこういう風にくっつけて、あるいは別れさせてとか、ね、まあこれは冗談だけども、この辺でこういう商売をさせてとか、こういうコースを歩ませてとか、守護霊さん守護神さんとね、我々の方でちゃんとそのコースをね、神様の方で決定しているのに、何かその辺でぐっとすがられちゃって...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(12)
(前日からの続き)ついでに言うと、その祈りの中で、過去世の誤まてる想念がとありましょ。あの消えてゆく姿というのも、我々の方から言いますとね、深いところを一つ言うとね、この現われの今あなた方が生きてる世界の中で、いろんな現実的な悩みや苦をとる、軽くしていく消していく消えてゆく姿もあるけれども、その現われが前生の念で現象界に出てきたとするならば、その過去世にさかのぼって、その念も消していくというのがあるんですよ。だから、人間の生命の本体のね、本心の洗い浄めといいますかね、掃除といいましょうかね。ずっとさかのぼって、何十世代何百世代にもわたる、何十代何百代にもわたる生き通しの生命の掃除をする訳です。それぞれのですよ。それが神様の愛なんですよ。もちろん、今の生活が安楽である方がいいし、平和である方がいいし、皆と仲...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(11)
(前日からの続き)で結局ね、いろんな所へ話がいってるようですが、つまり、そういう苦というものが、やっぱり神様を語る時にはなきゃあ、そして、神様の愛をいろいろな人にしみ渡らせる為には、とってもじゃないけど、やはり説得力がなくなるという話でしたね。しかし、それだけの為に苦を味わうのかといったら、そうじゃない。その人の魂が光り輝いていく為、その人の本心が輝いていく為にもちろんそれはあるんですけれどもね。だから、子どもが出来る出来ないという問題にしたって、もう子どもは要らないから次には絶対中絶しても子どもをつくらないようにすると。例えばずっと念じたとしますよ。念じたとしたら、さっきの、この人の子どもを産みたくないという話じゃないけれども、やっぱりその念というものが次の世界の中に現われてきて、それは業ですけどね。そ...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(10)
(前日からの続き)苦というのはやっぱり離れていかなきゃいけないです。苦は引き寄せちゃあいけないですよ。業も引き寄せちゃあいけないんですよ。非常に難かしいけれどもね。例えば、杖の話をしましょうか。杖というのは、足を悪くした人なんか良く分かると思いますけど。坂道や自動車なんか来る時あぶないですよね。そのあぶないという時に皆杖にすがっちゃうんですよ。すがると全体重をかけちゃって、それで余計に転んで怪我してあぶなくなっちゃう。左足が悪かったのに、余計に右足も悪くしたなんて話を聞きますけど。これは何かというと、あぶないと思ったら、その苦しみの渦からすっと逃げちゃえばいいんです。柔道じゃないけど、あっとその杖をはなして、その苦しみを離れて、後ろ向きにひっくり返って、ちょっと離れりゃあいいんです。離れたら苦というのは、...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(9)
(前日からの続き)私はいろいろ神様のことをやさしく説くというのは、そのやさしくというのはね、話を難かしくすることは幾らでも出来るんです。だけど、子どもからね、708090になるおじいちゃんおばあちゃんまで、皆悲しみも苦しみも喜びも持ってますよ。そういう心を持ってる人たちに神様の話をする時に、神様の愛について語る時に、こちらのそういう心の糧になるようなね、苦しみなどの財産の一つや二つは、やっぱりなきゃうそなんですよ。だからね、この世の中から、平和の祈りをしていれば苦しみがなくなってゆく筈なのに、業は消えてゆく筈なのに、業というものは消えていかない。何故なんだろう。業というのは人間がつくるんです。業というのは神様がつくるんじゃない。業というのは、この肉体をかぶって生きざるを得ない、この地球世界で生きざるを得な...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(8)
(前日からの続き)と同時にですね、この人間が生きていくということの中には、様々な苦しみが伴なってく訳ですよ。例えば、仕事にしろ家庭生活にしろ、結婚生活にしろすべてのことについて、悩み苦しみがある訳なんですよね。つまり、私がさっき申しましたように、何故人類を根絶やしに出来ないかといったら、神様の光の生命だから。それは事実根絶やしになりようがないし、またそれはしちゃあいけないんです。でも、それは大目的だけれども、例えば、私たちが神様のことを語る時に、神様というのは愛ですよという時にですね、何も苦労もしない人が、何の挫折も悩みも味わって来ない人が、神様は愛ですよと言ったって、説得力がありますか。説得力ありませんよ。何にもありませんよ。例えば、ここに十人、人がいるとしましょうかね。十人いるとして、仕事がなくなって...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(7)
(前日からの続き)生命というのは、ずっと私が申しておりますように、ずっと続いてまいりますから、その次の世の中で、やっぱり子どもというものはいいもんだなというか、必要なもんだなと、人類にとってはね。子どもが出来なきゃ光が絶えてゆく訳ですよ。我々は神の光の生命なんだからね。光の一筋なんだから。その種が絶えるということは光の種が絶えるということであって、光の種蒔きが出来ないということなんですね。だから、人類が絶えるということはあり得ないし、核戦争だとかいろいろ不安はあるけれども、皆が平和な方向へ平和な方向へと、今イランやイラクでもそういう風な方向へ行くでしょう。というのは、やっぱりこの人類の種を根絶やしにしちゃあいけない。その根絶やしにしちゃあいけないという想いの奥には、我々は神様の分生命(わけいのち)の分霊(...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(6)
(前日からの続き)そして、もう一つ言っとかなきゃいけないのは、我々は前生もあるし前々生もあるし、いろいろなもう前々々生もあるんだけれども、霊界からこの世の中に親子になって降りて来る時に、この人が親ですよ、あなたはこの両親の間に生まれて来るんですよという時に、我々は素直に向こうから来る時は、はいと言って、そうだと想って降りて来る訳ね。で、それと同時に記憶が消えるんですね。つまり、そういう記憶があっちゃあ、この世の中で光明体として神の器として生きていく、本当の意味で修行していく為に、そういう記憶は邪魔になってくる訳ですよ。いろんなものがあったら困る。だから、ごく少数の人をのぞいてはね、前生に自分は何してたとか、男であったとか女であったとか、いろんな記憶を消しちゃう。そうして、もちろん霊界からの記憶も消しちゃう...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(5)
(前日からの続き)だけれども、そういう人たちはどういう今度生き方をするかというと、それは様々ですけれども。例えば、夫婦の間で、他の子どもたちは可愛いのに、自分の御主人との間の子どもはどうしても産みたくないとか。そういう風な想いになって出てくる。そして、産みたくないという気持ちと同時に、あるいは親になりたくない母親になりたくない、父親になりたくないという気持ちと同時に、子どもが無いことへの寂しさなり悲しみ、孤独、あるいは葛藤ですね。そういうものを味わう。そういうことによって、子どもの生命というもの、人間の生命というものが何処から来るかとか、それが無いことがどれ程大変なことかとか、そういうことをずっと考えさせられていく訳ですよね。そういう形で、神様、守護霊さん守護神さんというのは、やっぱり学ばせていくんですね...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(4)
(前日からの続き)そこで、前生にそう想わせられてこの世に出てきた時に、その為に子どもを持てなくなるという人があるかというと、無いことはない、あるんです。それはどういう人があるかというと、例えば、子どもに本当にひどい目にあって、もう裏切られて裏切られて切ない想いをして、もう子どもなんてものはたくさんだ、もう懲り懲りだ、とんでもないという想いが出た時、守護霊さんや守護神さん、神様に、神様もう子どもは懲り懲りですと申し上げた時に、向こうの世界では、やっぱり厳正な審査がある訳です。ただその想いをそのまま受けとって、ああそうかと子どもが出来なくする訳じゃないんです。その想いが、その人の我、欲になってないかどうか。子どもが出来なくなったらいいというのは、これも欲の一つなんで、その欲になってないかどうかね。いわゆる自分...前世との関わりで子どもが授かるかどうか(3)
(前日からの続き)まあそこに入る前に、本当に今、子どもで苦労してるお母さんが多いですね。子どもの気持ちが分からなくなっちゃったとかね。それから、これだけ手塩にかけて子どもを育てて来たのに裏切られちゃったとか。何十年育てて来たのに、どうも何か価値観が異なっちゃって親子でありながら何か意見が合わずに、気持ちが合わずに悲しい切ない想いをしてるとかですね。そういうことが随分私の耳に今も聞こえて来ますね。昔から何かそれはあるようで。そういう苦労というのはおそらく人間がこの世の中に生きていく限り、絶えないんだろうなあと。そういう苦労を何かの形でさせられるんだろうなあという気も致しますが。(つづく)前世との関わりで子どもが授かるかどうか(2)
子どもが欲しくない、もう子どもはこりごりだと前生で想ってしまって、そこで生命を終えると、この世の中に出てきた時に子どもが出来なくなると。そういう話を村田さんなんかが言ったり(当時)しているけれども、それは本当にそうなのかと。もしそうならば、この世の中で子どもが欲しいと想っている人なんかが、そういう前世との関わりなんかで、宿命なんかで、出来ないというようなことになってしまうのかという質問があったと思いますが。(つづく)前世との関わりで子どもが授かるかどうか(1)
(前日からの続き)だから、臓器移植の問題とかいろいろ言うけれど、ヨブ記にあるように、神様がとろうと思えば、この瞬間でもあなた方の生命はとれる。霊界移行させようと思えばいつでも出来るんです。向こうで働くことになる。それが本当に神様のみ心ならば、そうなるんですよ。だけども、今ここで生きてね、何か働いて、存在してるということは、この世の中であなた方がやらなきゃいけないことがいっぱいある訳ね。まだある訳なんです。だから、いろんな苦しみがあるだろうけれども、しかし、そこであなた方がしなきゃいけないと言うのは、とに角、私も含めて、我々のまわりの空気を清浄にして下さい、世界人類を平和にして下さいといって、本心から祈っていく時に、本当にこの世の中は浄められていくんです。その浄められた空気が宇宙全体にまで広まって、宇宙の平...臓器移植について(10)
(前日からの続き)あなた方の光が皆かけ回って、そういう屈折したいろんな人の想いだとか、悲しみだとかを浄めてね、そうして、その空気を清らかにしていくのは、こっちから見えてるんです。だから、皆が、私なんか私なんかというのはね、それは私は卑下高慢というのね。私はちゃんとうたにも詠んだと思うけれども、ああいう卑下高慢はいけないんですよ。肉体の私を私と思ってる間、私は出来ないんです。だけども、肉体の私は私じゃない。本当は、その真実の奥に、つき動かしてる、神様の生命に輝いてる自分自身がある訳だから。そして、それは何の我も苦しみもない自分がある訳なんですよ。それを自分の中に、我々は一つずつ皆奥に持ってるわけ。だから、それを眠らせちゃあもったいないのね。みんな、自分が働けないと思っても、自分が眠ってる間に、その真実の体は...臓器移植について(9)
(前日からの続き)信じなきゃ駄目。信じてやっぱりやっていかなきゃ駄目なんです。どうしても皆信じる気持ちがねえ。私なんかが信じたって、私一人が…と、あの先生のあの信仰は素晴らしいけれど、私なんかの信心はとね。そうじゃないのね。法然に、ある時ある人が、その辺のおじさんかおばさんかだったと思いますね、法然さん、私は南無阿弥陀仏言ってる時に雑念が出てしょうがないんだけれど、こんなんでも阿弥陀さんの浄土に通じてるだろうかと言いますよ。そしたら、おまえもそうか、わしもそうだと言ったというじゃないのね。皆そうなんです。皆肉体が苦しみながら悩みながら、祈る時にね、やっぱりそれはそのままでいいんです。その肉体だけが祈ってる訳じゃない。あなた方の霊体、神体、神界に満ちる全部、本来の自己、真実の自己というものがそこで合体してね...臓器移植について(8)
(前日からの続き)我々人間というのは、野蛮時代は過ぎておりますからね。その過ぎていってるというのは確かなんです。だからこそ皆、世界平和の運動がどんどん世界へ広がって行って、今、国連でピースセレモニーをやろうというところまで来ている訳ね。それは実現してゆくでしょう。段々運動だけが宗教色を抜いて広まっていくというのも、つまり、人類のね、人間の本心というものを呼び醒ます為の先駆(さきが)けなんですから。で、先駆けというのは、私はここで一言申しますけど、我々は祈りの先兵ではあっても、だから我々が世界人類の中で選ばれたものなんだと思っちゃうと、これはいけないんですよ。これはちょうどね、ユダヤ教が言ってますけれども、メシア思想というのがあって、我々は神に選ばれた、父なる神に選ばれた、世界中でたった一つのイエスの民族だ...臓器移植について(7)
(前日からの続き)本当に世界が平和に調和した時には、臓器移植を例えすることがありましてもね、する方もされる方も、本当にありがとうございますと受けとってね、それから、された人の方の記憶というのもね、した方の記憶というのも、それぞれの子孫につながって行きますよ。今は、どうしても我々は、健康になった人の方の生命、生活という方をやっぱり覚えていきましょ。ね、心臓や肝臓の提供を受けたあの人のおかげで、私の夫、子どもの生命が助かったんだと最初は思いますよ。で、忘れにくいとは思うけれども、しかし、それで元気になってる我が子や主人とか娘や息子とか見てゆく内に、やっぱり、その人の為にその臓器を提供してくれた人の、それまで生きた生命の過ぎゆきとかなどは何処かにいっちゃって、目の前の人が元気になっていく、それだけの人間になって...臓器移植について(6)
(前日からの続き)実は、臓器移植がどうのこうのというよりも前に、我々はこういうもっともっと深いところを見つめて、その上で自分の存在の根元を何処に求めるか、それは神に求めるんだ、神様の愛に求めるんだという、その深いところを見つめた人たちが、こういう是か非かだけで侃々諤々やってる空気の流れをね、もっと愛のある光のある平和に満ちた空気の流れに変えていかなきゃならない。本当のところを言えば、我々のなすべき仕事というのはそれなんですよ。臓器移植というものは、本当に必要があって、その人の運命、生命に、あるいは器にとってそれがその時必要であれば、神様というのは何が何でも臓器移植をさせると思うね。あるいは、させられる人もする人も決まってるかもわからない。だけども、私がここで言いますのは、そういうことによって人間という尊厳...臓器移植について(5)
(前日からの続き)我々の生命というのは、絶対な神様の愛、生命から分かれてきてるものなんですね。神様以外からこの生命というものは出て来てないんです。世界人類どの人一人とってもね。例え、世の中にとても貢献をしてる人も、あんな人がと思うような人の生命であってもね、裡(うち)の本心本体というものは、皆神様から分かれて来ている。だからそういう意味で言えば、皆神の子どもでしょう。そういう分け隔てのない公平な本心本体をもってる、生命をもってる、我々の大元、それは何から来てるか、それは神様からなんだ、神様の愛なんだと。何度もくり返して申しますけど、我々は神の分生命であって、我々はこの地球世界の運命修正というものを、それぞれの持ち場持ち場でさりげなくやっていかなきゃなんない。そういう大きな大使命みたいなものをおびて、この肉...臓器移植について(4)
(前日からの続き)じゃあ、臓器移植は絶対駄目かというと、そうじゃないんですよ。例えばね、交通事故なんかでね、誰にも働いて欲しい、もう五十や六十でこんな事故なんかで向こうの世界へもっていかれるのは、皆の為にも個人としてのその人の運命を考えてもね、とてもたまらないという場合には、守護霊様守護神様よろしくお願いしますと言ってですね、そして、臓器移植でも何でもやって、何とかこの人の運命も、この人に関わるいろんな人たちの運命修正も、この人を通してこの器を通してさせて下さいと、皆やっぱり祈ると思うんです。そういう臓器移植がね、やっぱりないとはいわない。ただ私が申しますのは、それが一人や二人ならばいいんですよ。一人や二人ならば、そういう祈りに満ちた、皆の祈りに支えられて、たとえ肉体の臓器移植であろうと人工の臓器移植であ...臓器移植について(3)
(前日からの続き)人間の生命というものは、我々から観ればずっと生き通しのものなので、たとえこの世で区切られても、次の世の中で、又次の世の中で、ずっと神様の世界へ入り込むまで、生命というのは永世なものなんですけれども。しかし、まだそのことについて迷いをもったりね、この世の中で死んでしまえば終わりだとか、いろいろな悲しみや嘆きをもってる人たちの想いがある訳なんですね。そういう人たちからみれば、もうこの世で生命が終わりになるのに、そこで臓器移植をされてしまう、ねえ、受ける方じゃなくて、されてしまうという悲しみがある。その空気がなかなかあって、受ける側はそれで生命が何とか助かるんだからいいけども、される側の身になってほしいという気持ちが拭えない訳なんですね。そして一方では、さっきも申しましたように、臓器が人工的に...臓器移植について(2)
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〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない
〇私は光と光を結ぶために来たんだよ。光と光を結ぶために
〇人はいろいろと迷うものだ。けれど、本当のことをいえば、迷っているその奥に、こゆるぎもしない自分がいる。それが本心であり、それが本当の自分なんだ。本心はこゆるぎもしない
〇光一元、光一元、私のからだは光一元そう思えばいい。私のからだは光一元
〇素直な人。ただ、いい人を目ざすのではない。はじめは、善意にあふれた思いやりの深い人というのでも、段々、そこにつよさとたくましさを加えて、内のいのちが光りかがやくようになる。そこまでを神様は考えていらっしゃるし、私はそれを手伝っている。つよさとたくましさを加えて
〇神に不可能はない。ただ愛念を送る方法を、一人一人の器にしたがってかえているだけである。神に不可能はない
〇神のしらべはいつも流れて、光に溶け込んでいる。神のしらべは光の中に
〇自然は神と調和し、人と調和するすがたをあらわしたものである。皆様、明けましておめでとうございます本年もどうぞよろしくお願いいたします自然というもの
〇生かされているということはありがたい。生かされていることに感謝
〇 神々の助けがいつも及んでいる。いつも神々が…
〇こころを鎮めれば、消えてゆく姿がみえる。こころを鎮めれば
〇愛を入れなさい。 〇 身もこころも神にゆだねなさい。身もこころも神に
〇沈思黙考というのは大事なことだ。沈思黙考を
〇想いを遊ばせるようにすると、ゆとりが出てきて、いつの間にかとらわれの少なくなっている自分に、気付くようになる。皆さま、いつもありがとうございます。都合により本日をもちまして、しばらくブログを休ませていただきます。想いを遊ばせるように
〇不安や恐怖にとらえられたら、平和の祈りをして、守護霊様、守護神様をよびなさい。そして、それでもおさまらなかったら、私を呼んで下さい。空に雲がうかんでいる。しかし、空は、雲をうかばせているというおもいもないし、雲は空にうかんでいるという気持ちもないだろう。全託とは、こういうことなんだよ。全託というもの
〇自分を空っぽにすると、そのまま光が入ってくる。空っぽというのは、いいかえれば無であり、空なのです。空になると光が入ってくる
〇私もあなたもいのちの元は一つ。みんな神さまの子なんです。みんな神の子
〇祈りとおもいとはちがう。しかし、おもいを祈りにたかめて、神様のみこころのなかに、いつか入り切るようになるのが、人間の本来の相(すがた)なんだ。おもいを祈りにたかめること
〇心をただしく保つこと、それには世界平和の祈りのなかに、すべてを投げ込んでしまうといいね。守護霊、守護神が助けて下さる。心をただしく保つには
〇何が善で、何が悪かと人は考える。けれど本当は善も悪もない。光にみちているのがこの世界なのです。この世界は光にみちている
〇神様ごめんなさい、といっぺんいえばいい。くよくよ思っているのは、いのちの流れをとどこおらせる。くよくよ思わない