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奥井みさき
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滝上町
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2010/04/17

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  • 東滝川駅

    根室本線の起点の滝川駅の、次の駅です。開業は1913年、当初の駅名は幌倉(ほろくら)駅でしたが1954年に東滝川駅に改称、現駅舎は1950年に改築されたもので木造平屋建てモルタル塗りです。相対式ホーム2面2線、国道と駅の間にある周辺に小さな市街地があります。特筆すべきは駅舎の中で、昭和40年の住宅地図や開業当時の古老のお話などが壁に貼られています。その住宅地図を見ると国道と駅の間だけではなく、その西側や駅裏にも住宅地が広がっています。学校、農協、畜産試験場、その他諸々の商業施設や公的施設の名がある。この住宅地図を見ると、東滝川は昭和40年代はかなり栄えていたということがわかります。それと前述の通り、開拓期や駅開業後の地域の様子の記述が述べられています。その様子の生き生きしていること、苦労も多かったろうに先...東滝川駅

  • 0泊2日で弘前へ … おまけ

    今回は夕方に札幌を出て函館からフェリーの夜行便で青森へ行き、翌日の青森港発14:35のフェリーで函館に戻りそのまま札幌に戻ってきました。実はこれ、コロナ禍真っ盛りの2020年5月に全く同じコースで五所川原に行ったことがありました。その時は函館に戻った後そのまま1泊し翌日に札幌に戻ったので1泊3日でしたが。当時はコロナ禍の影響で宿泊料金が激安で、1泊2,500円だったからな。さてその時と今回が違ったのは青函フェリーのシップが違うこと。先の旅では函館発の夜行便は今は引退した「3号はやぶさ」で、帰りは今回函館から夜行便で乗った「あさかぜ21」でした。「あさかぜ21」は当時は新鋭船でしたが、今は最古参だ。青函フェリーはこのところシップのリプレイスが激しい。そんなことを思いながら、弘前まで行ってきた、今回の決算です...0泊2日で弘前へ…おまけ

  • 0泊2日で弘前へ … 後

    17日は昨日書いた通り温泉でのんびりした後、7:56発の弘前行きへ乗車、8:39に弘前到着後に知り合いと会い、10:57発の青森行で青森へ戻りました。弘前滞在、約2時間、このためだけに弘前にやって来ました。そしてこのまますぐ、同じルートを辿って札幌に戻ります。青森着は11:43、新装なった駅ビルで昼食を済ませ駅を堪能します。青森駅は2021年、5代目駅舎が供用開始になりました。先代の駅舎は私がこの駅に出入りするようになってからずっとお世話になっていました。その懐かし駅舎の面影はなく、貴方もどこにでもありがちな立派なビルになったことよのう…。4代目駅舎の面影は、西口も含め何もなくなってしまいました。立ち蕎麦も青森駅からはなくなり、新青森駅に行かないとお目にかかれなくなりました。立ち蕎麦・「八甲田」を利用する...0泊2日で弘前へ…後

  • 0泊2日で弘前へ … 前

    6月16日と17日に、弘前へ行ってきました。16日は16時過ぎに札幌を出て青函フェリーの函館ターミナルへ、そのまま車を預けフェリーの夜行便で青森へ。17日は午前中に青森から弘前に行き、所要を済ませ再び青森へ、フェリーで函館に戻り預けておいた車を走らせ帰宅したのはその日の深夜。ほぼ30時間で札幌から弘前往復を往復しての0泊2日の弾丸ツアーになりました。その様子を今日と明日で書いていきます。16日は札幌を出て長万部で休憩、そのまま函館まで直行し市内のスーパーで食料を調達、夕食を取りながらマイカーの中でドラマの最終回を見ながら時を過ごしました。この時間は話題のドラマが2本、最終回だったので視聴出来て良かったよ。函館港出航は23:30分の「あさかぜ21」、青森港到着は3:20、ターミナルで身支度を整えた後、歩いて...0泊2日で弘前へ…前

  • また今日から出かけます

    5月からお出かけしてばかりですが、また出かけます。今回でしばらく遠出はしない予定ですが、よくわかりません。今回はコロナ禍以降、久しぶりの東京です。東京とはいってもメインは千葉と埼玉で、東京にはあまりいませんが。今日はスカイマークで茨城へ、その後目的地の柏市に移動し夕食は東京駅界隈で済ませまた柏へ。明日は午前中は柏にいて午後は茨城県へ、そしてまた柏に戻ります。23日(日)は柏を出て埼玉県白岡市へ、夕方にいつもの南千住でお泊り。24日(月)は朝に東京から水戸に向かい夕方まで滞在、大洗からのフェリーで船中泊、25日(火)は苫小牧に上陸後高速バスで札幌に戻ります。予定ね、上のスケジュールはあくまでも予定です。関東は私が滞在中に梅雨入りしそうです。程度はともかくどちらにしろ雨は避けられない状況です。その状況によって...また今日から出かけます

  • 「北海道&東日本パス」発売

    昨日は「青春18きっぷ」が発売されると書きましたが、今日は「北海道&東日本パス」の発売のお話です。それにしてもあれだ、どうせなら同時に発表してもらえないものか。“18きっぷ”はJRグループ全体のこと、“北東パス”はJR北と東だけのこととはいえ、別々の日に発表されると結構面倒くさい。それはそれとして、この夏も無事発売されて何より。詳しい設定などはJR北と東のリリースをご覧ください。私はコロナ禍以降、道外に行くことがなかったのでしばらくは“北東パス”を使っていません。前回使ったのはいつだったかと調べてみると2019年春でした。今年は8月か9月に道外に行く予定があるので久しぶりに“北東パス”を使うかもしれません。もし使うことがあれば5年ぶりになりますが、どうなることやら。さてこれで、例年通り“18きっぷ”と“北...「北海道&東日本パス」発売

  • 「青春18きっぷ」、今夏も発売へ

    JRグループは18日、今夏の「青春18きっぷ」の発売を発表しました。詳しくは各社のリリースをご覧ください。「青春18きっぷ」(と、「北海道&東日本パス」)は例年、春に1年分の発売を発表していました。ところが今年は春の分だけを発表し、夏と冬の分は発表されませんでした。一部ではこのまま廃止かとも噂されたりもした。ここにきてやっと、この夏は無事に発売されることとなりました。せっかくなので私もこれを使ってどこかに行こうかな。さて、今回は夏の分だけの発表ですがとなると冬はどうなるのか。この調子では時期になったらまたどうなるのかドキドキしながら待つことになりそうです。そして「北海道&東日本パス」はどうなるのかな?こちらは同時の発表がなかったのでこのまま廃止かもしれません。廃止なら廃止でいいのですが、ちゃんと発表して欲...「青春18きっぷ」、今夏も発売へ

  • 明日は弘前へ

    今日と明日は出かけてきます。今日は出かけるとは言っても、札幌は夕方に出ることになります。車で函館に向かい、青函フェリーのターミナルへ直行しそこで車を留め置き、青森までは夜行便で津軽海峡を渡ります。青森ターミナルには未明に到着し徒歩で青森駅に移動、早朝から営業している天然温泉で寛いだ後に弘前に参ります。午前中は弘前で用事を済ませ青森に戻り、函館には再びフェリーで移動し夕方に到着、函館ターミナルに留め置いた車で札幌に戻ってきます。札幌には明日深夜に戻ってくる予定、0泊2日の弾丸ツアーです。以上なのですが、あくまでも予定です。函館で力尽きるかもしれませんし、函館からの帰りのどこかで力尽きるかもしれません。その場合は力尽きた場所で宿泊するかもしれませんし、車中泊になるかもしれません。どうなるかは私の体力次第、とい...明日は弘前へ

  • 三井芦別駅跡

    三井芦別鉄道は芦別駅から頼城駅(玉川停留場)までを結んでいた鉄道で路線距離は9.9㎞、駅数は起終点を含め12駅ありました。1940年に芦別ー西芦別(後の三井芦別)間が開業、1945年に頼城まで延伸しています。昨日のブログで書いた旧三井芦別鉄道炭山川橋梁はその延伸区間にあります。開業当初は三井鉱業所専用鉄道でしたが、1949年に地方鉄道に転換しています。さて開業時の終着駅だった西芦別駅は地方鉄道転換と同時に三井芦別駅に改称、以後1972年に旅客営業廃止、そして1989年の鉄道営業廃止になるまで存続しました。駅名が「三井芦別」ですよ。ここは芦別で操業する三井の中心だという宣言そのものではないですか。その通り、最盛期はかなり栄えていたらしい。駅は西芦別地区(地元では“にしあし”と呼んでいます)の中心として賑わい...三井芦別駅跡

  • 旧三井芦別鉄道炭山川橋梁

    先日、芦別に行ってきました。芦別に行くときは国道38号線を通ることが多いのですが、今回は岩見沢から国道452号線を行った。この路線、芦別市内に入って頼城地区から先は石炭が最盛期だったころの炭鉱遺産が各所にあります。その中で代表的な“ブツ”が「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」です。炭山川(たんざんがわ)にかかる旧三井芦別鉄道炭山川橋梁は長さ94m、鋼製6連プレートガーター桁橋で渓谷に立つ約30mの橋脚が連続する様は見事。その橋の上にディーゼル機関車のDD51と石炭専用貨車セキ3820を保存展示しています。緑深い山の中にかかる鉄橋とその上に佇む機関車と貨車は絵になる。今の時期だけではなく、四季折々の美しさがあるのだろうな。場所は芦別市内国道452号線が炭山川を渡る橋のすぐ近くにあります。橋の芦別市街側に道道115号...旧三井芦別鉄道炭山川橋梁

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 終わりに

    今回は1泊2日で亀田半島を海岸沿いに一周してきました。この海岸部を通るのが国道278号線、起点は函館駅前で終点は森町の国道5号線の交点です。ここをメインに、ところどころ道道にそれながらあちこちに立ち寄りました。このルートの特徴はとにかく海岸美、陸側は山で海側は津軽海峡と太平洋、そこに挟まれた狭い平地に人家が立ち並ぶという景色が連続します。逆に言うと、シビアな自然環境ということができます。その海岸美と厳しさが一番実感できるのが日浦洞門なのでしょう。晴れていればともかく、私が行ったときには雨模様だったのでかなり緊張感があったぞ。恵山も晴れていれば絶景だったろうにと、ここでアップした画像を見て思います。それからとにかく、ネットではあまりヒットしない名も知れぬ温泉が温泉が多い。石田温泉、恵山温泉、川汲温泉、大船温...ぐるり亀田半島、一周の旅…終わりに

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 東蝦夷地南部藩砂原陣屋跡(森町)

    江戸末期、幕府は南下するロシアに対する警備のため東北6藩に蝦夷地の警護を命じました。仙台藩は白老に本陣を置き広尾、厚岸、根室、国後、択捉に出張陣屋を置きました。→https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/a2a953179e037119fd2ef9bf96108987/?st=1庄内藩は浜益に本陣を置き留萌、苫前、天塩に出張陣屋を置いています。→https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/581b78d2c5994569cc8534dcaf49bfbfそして南部藩は函館に本陣を置き砂原、モロラン(室蘭)、ヲシャマンベ(長万部)に出張陣屋を置きました。函館の本陣は遺構は残っていませんが、ロープウェイ山麓駅付近の“南部坂”に名を残しています。出張陣屋の砂原、室蘭、長万...ぐるり亀田半島、一周の旅…東蝦夷地南部藩砂原陣屋跡(森町)

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … しかべ間歇泉公園(道の駅 しかべ間歇泉公園)

    さて旧南茅部町内をバイパスを通らずひたすら海沿いに北上、鹿部町に入ってからも海沿いに…。道南は北海道の中でも早くから開けていた場所、自転車でゆっくり走れば気になる“ブツ”があるだろうに。実際に、道中にはちょっと立ち寄りたくなった建物やスポットがいくつもありました。そろそろ休憩でと立ち寄ったところが「道の駅しかべ間歇泉公園」です。間歇泉そのものにあまり興味はない、しかしたまたま寄ったとはいえここにあるのなら見てみるか。そんな軽いノリで、道の駅の受付で入場料(300円)を払いしかべ間歇泉公園へ。受付で10分~15分おきに温泉が噴き出すとの説明を受ける、その高さは約15mだという。ところで“間歇泉”とは、周期的に地面より噴き出す温泉のことです。北海道では羅臼温泉と登別温泉にもありますが、噴き出す間隔が長い(2~...ぐるり亀田半島、一周の旅…しかべ間歇泉公園(道の駅しかべ間歇泉公園)

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 北海道建網大謀網漁業發祥之地・碑

    旧椴法華村を出て旧南茅部町のエリアに車を進めます。国道は海に沿って立ち並ぶ集落を縫うように通っています。尾札部の集落に黒鷲岬という小さな岬があります。国道はその岬の付け根をトンネルで通過しますが国道から離れて旧道に入る。そこに建っているのが「北海道建網大謀網漁業發祥之地」に記念碑です。“大謀網(だいぼうあみ)”とは大型の定置漁網のひとつ。→https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0004990536_000001839年(天保10)に尾札部村の飯田屋与五左衛門と臼尻村の小川屋幸吉が計画、南部地方の田鎖丹蔵を招き黒鷲岬と弁天岬(臼尻地区)で鮪大謀網漁をしたと伝えられています。これが北海道の大謀網漁の始まりとされ、それを記念して1954年に建立されました。田鎖丹...ぐるり亀田半島、一周の旅…北海道建網大謀網漁業發祥之地・碑

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 恵山岬公園

    水無海浜温泉から少し戻ると恵山岬公園があります。背後にそびえる山は恵山、山の麓にはホテル恵風(ケイプ)があり、海のそばには恵山岬灯台がそびえ立っています。恵山と恵山岬灯台はフェリーの上から何度も見ています。一番間近で見ることができるのは青森発室蘭行のフェリーで、恵山と灯台、海沿いの厳しい地形がはっきりと見えます。また夜も時期によっては無数の漁船の漁火とその先に見える灯台の光が美しい。今回はそんな恵山と灯台を目の前にしています。あいにくの天気で恵山はほとんど雲の中でしたが、晴れていたら海と山の絶景が見られるのであろうな。ところで恵山は活火山、有史以来も被害を出す噴火をしています。山頂付近では山肌が露出し噴気もあげています。そのおかげで周辺には数多くの温泉が湧きだしています。山の中の一軒宿もあちこちにあります...ぐるり亀田半島、一周の旅…恵山岬公園

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 水無海浜温泉

    函館市街地を出て旧戸井町、旧恵山町を通り、旧椴法華村までやって来ました。車窓から見える海は津軽海峡から太平洋に変わりました。ここでは国道から離れ、道道231号線とその先につながる635号線の、その最先端まで行きました。海岸に沿って形成されている集落を縫うように走り人家が途切れたその先のどん詰まりまで行きついた。集落が途切れた先に車を走らせるのは勇気がいるぞ。何しろ道は急に細くなりアップダウンもきつく、先に行くのが不安になるのですから。その行きついた先にあるのが「水無海浜温泉」です。太平洋にむき出しになった天然の露天風呂、真下から恵山の熱源による温泉が湧き出ています。満潮になれば水没し干潮になれば入浴できるという自然任せの温泉です。近くに男女別の脱衣所がありますが、そこを出れば混浴だ。私はここを小学生の時か...ぐるり亀田半島、一周の旅…水無海浜温泉

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 日浦洞門

    亀田半島の海岸沿いはすぐ背後に山が迫り、山と海とのわずかな平地に人家があります。その平地が少し広ければ市街地が形成され、その地域の中心となる。今は難しい地形であればバイパスやトンネルでスルーするのですが、土木技術の未熟な昔は地形の険しい海岸沿いに道を拓くしかなかったのです。函館市街地から亀田半島に向かう国道278号線を進み戸井市街地を過ぎると日浦の集落があります。その日浦を過ぎるとバイパスのサンタロトンネルがありますが、そこに入らず海岸沿いの旧道へ行く。そこは道道41号線(函館恵山線)で、トンネルとの分岐点からしばらく先は車1台が通れるくらいの細道が続きます。そして先人たちが素掘りで堀抜いたという7つのトンネルが連続してあり、日浦洞門と呼ばれています。この先を進んでいくと何があるのかという細い道、待避所は...ぐるり亀田半島、一周の旅…日浦洞門

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 旧戸井線アーチ橋

    函館市の旧戸井町にある汐首岬と対岸の大間の間は北海道と本州が最も近い場所。晴れていればここから対岸の大間の街並みが見えるらしい。観光的にはそれでいいのですが、軍事的視点から見るとここは弱点となります。外国の艦船などが津軽海峡を自由に航行することは許されないのある。それでこの地に要塞を築くことになりました。その要塞への物資と要員輸送のために1936年に建設が始まったのが戸井線で、戦時中の物資不足のために工事は1943年に中断しました。計画されたのは五稜郭ー戸井間の29.2㎞。このように計画されたが完成しなかった鉄道路線は未成線といいます。五稜郭駅からの路盤はほぼ完成したとされており、それは今でも見ることができます。その中で一番有名な遺構が汐首岬灯台近くにあるアーチ橋です。私は今まで、画像で見たことはありまし...ぐるり亀田半島、一周の旅…旧戸井線アーチ橋

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 土方歳三最期の地碑

    新選組副長、函館で成立した蝦夷共和国では陸軍奉行並、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争で戦死した土方歳三。1869年5月11日(新暦の6月20日)、箱館を包囲した新政府軍が総攻撃を開始、土方歳三は旧幕府軍を率い五稜郭を出発、一本木関門付近で新政府軍の銃弾に倒れた。その最期の地がここ、と言われています。諸説あるのですが、この辺りが有力らしい。“一本木関門”はこの近辺にあったのは本当らしいのですが、さて。場所は若松緑地公園内(若松町33-6)、函館市総合福祉センター(あいよる21)の前です。函館駅からは歩いて10分ほどのところになります。土方歳三は新選組の有名人、ファンも多く来歴など詳しい方もいらっしゃるに違いない。なので私なんぞが土方について詳しく解説することは控えます。土方を題材とした小説やドラマなども多数...ぐるり亀田半島、一周の旅…土方歳三最期の地碑

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 函館市青函連絡船記念館 摩周丸

    かつて函館と青森を結んでいた青函連絡船。今は青森に八甲田丸が、函館には摩周丸が保存されそれぞれ内部が公開されています。私は2009年12月にここを訪問しています。→https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/638c14c56126494f10671f2e7ed91a86読み返すと、厳しいことを書いていますなぁ。今回再度訪問した感想も前回と同じ、船体本体は当時のままですが内部は賑やかだったころの面影はありません。なので今回訪問した際の感想などは書きません。前回のブログをご覧ください。青森の桟橋から連絡船に乗るとレセプションと売店があり、レセプションでは乗客の対応で混みあっていた。夜行便の売店ではレストランの営業の代わりに弁当やつまみを販売、私は焼き鳥とお酒を買い、シャワーを浴びた後軽く...ぐるり亀田半島、一周の旅…函館市青函連絡船記念館摩周丸

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 函館市縄文文化交流センター

    『かっくう』が見たい!函館市の旧南茅部町の著保内野遺跡で発見された中空土偶(中が空洞の土偶)で、南茅部の「茅」と中空土偶の「空」から『茅空(かっくう)』と呼ばれています。展示されているのは道の駅「縄文ロマン南かやべ」に隣接するこの施設。道の駅とこの施設の海側には世界文化遺産に登録された垣ノ島遺跡が広がっています。小高い平地を下ると太平洋、反対側は山間部、海と山の幸に恵まれた豊かな土地だとわかります。ここは縄文早期前半(紀元前7000年頃)から後期後半(紀元前1000年頃)まで、6000千年間の長期にわたる集落だっただったということがわかっています。さて館内の展示だ。縄文時代の暮らし、文化、精神世界などが展示とともに解説されています。そしてこの施設の本命、北海道に2つしかない国宝に指定されている『かっくう』...ぐるり亀田半島、一周の旅…函館市縄文文化交流センター

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … 渡島砂原駅

    渡島砂原駅の起源になったのは1927年に東森ー砂原間に開通した渡島海岸鉄道。翌年に森まで全通しましたが、敷設の目的は森と砂原を結ぶため。当初のルートは鉄道の名前にある通り、海岸線に沿っており砂原駅も砂原市街地にありました。第2次世界大戦が起こると山間部を通る函館本線の輸送がひっ迫、勾配の緩い砂原を経由する支線(砂原支線)が計画されました。その結果、1945年に渡島海岸鉄道は国に買収され廃止されました。砂原支線は函館本線の急勾配を避ける目的で敷設されたため、経路は砂原市街地を無視し渡島砂原駅は市街地とは離れた現在地に設けられました。駅は市街地から離れて高台を通っている国道278号線の目の前、その先は内浦湾、国道から坂を下りると砂原の市街地があります。この高台という立地が渡島砂原駅の成り立ちを現していますね。...ぐるり亀田半島、一周の旅…渡島砂原駅

  • ぐるり亀田半島、一周の旅 … はじめに

    昨日まで道北の旅日記を書いていたばかりなのですが、今日から道南を旅した時の旅行記を書いていきます。渡島・檜山地方は両地区合わせて渡島半島に立地しています。その渡島半島の先端は更に、函館市街地を境に西が松島半島、東は亀田半島と呼ばれます。亀田半島は地理的には森町から函館市街地辺りまで、駒ヶ岳や恵山、横津岳の山岳地帯が中心になりますが、函館平野では農業が盛んです。また湯の川温泉をはじめとして温泉も各所にあります。5月12日~13日、函館に行ったついでにその亀田半島を一周してきました。海岸沿いにぐるり一周したのですが、とにかく風光明媚な海岸線がどこまでも続く。そこに住む人の営み、漁業を中心とした産業、温泉、産業遺産などを見て回ろう。事前にある程度の下調べはしていきましたが、細かいことは行ってから考えるとしましょ...ぐるり亀田半島、一周の旅…はじめに

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