長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
今日で三月が終わり、明日から四月だ。身辺で行き違いがあったせいか天候が不安定だったせいか、すっきりしない日々だった。月が変わって気分がいくらか晴れそうな気がする。当たり前だが自分一人だけで生活できるわけではない。アラスカの山中で独り暮らしする人も居るようだが、殆んどの人は濃淡様々な人との関わりの中で生きている。時には思いがけぬ摩擦が起きる。高齢者は一線は守り、あとはそっと遠ざかるのが賢明な気がしている。有難いことにあちこちから様々な励まし手助けがあり、徐々に抜け出せそうだ。日本人には桜があるせいか、春の四月の年度替わりが合う。三月が終わり、新年度
岸田首相がウクライナに必勝しゃもじを持って行ったと聞いて驚きあきれた。誰の発案か、まさか首相本人じゃあるまいな、だれも止める人は居なかったんだろうか。外交認識を疑う。ゼレンスキーの爪の垢を貰ってきただろうか?。煎じて飲んだらと思うが、手遅れかも知れない。自分の間違い至らなさを感じられない人達が集められた内閣なのが明らかになってきた。陰謀、捏造と言い張れば通ると思っているらしい。言葉を並べ替えれば言い抜けられると思っておられるらしい。まやかし間違いの付けを払わされるのは御免こうむりたい。遺憾なのがまともな大臣の影が薄いこと、野党党首が腰が据わらずまとまりがないこと、政治記者が厳しいことを書かないことだ。逃げ切りを図る黒田日銀総裁の自画自賛を許すなんて一太刀浴びせなければ。実りなきアベノミクスを居なくなった人...爪の垢
年を取ったせいか、年を取ると高い音が聞きにくくなる、ソプラノやテノールよりもメゾソプラノやバリトンが心地よく聞こえるようになった。意外なことにメゾソプラノやバリトンの音源が少ない。バリトンの立川澄人、懐かしい人なのだが余り歌手として意識したことはなかった、の長崎の鐘を聞いて素晴らしい歌声が心に沁みた。残念なことにユーチューブを検索しても立川澄人さんの歌はさほど多くない。どうしたことだろう。ソプラノ、テノールよりも
一体暑いのか寒いのか、不安定な気候が続いている。突然のように桜が咲いた。二分咲きから一気に八分咲きになった。明日は満開だろう?。空が曇っているせいか、例年より大人しく地味な感じがする。ああまた桜が咲いたと例年と同じ感想が浮かぶ。新聞が読まれなくなっているようだが、ネットのニュースまがいやコメントには浅く傾いたものが多く、まだまだ新聞は土俵際で踏ん張っている。BSやユーチューブ、ブログには見たり読めたりするものが結構あり、新聞と共に主な情報源になっている。地デジテレビはほとんど見ず、ネットニュースも一瞥するだけになっている。ガーシーや高市をいつまで取り上げるのだろう、問題(職務不履行、政権からのマスコミへの圧力)を人物から切り離して論じなければ、興味本位の騒ぎに終わり、何も学べず何も改善できないと思う。暑いのか寒いのか
地方選挙が始まった。多くの政治家は問題点から目を逸らし希望的観測で誤魔化そうとする。先のことは分かりにくいが、地方選挙でも少なくとも十年先のことをデータに基づいて予測して政策を訴える人物を政党を選びたい。日本の現実を見ないでやる振りをする政治家を淘汰しないと、現状維持さえ困難になる。老後が不安だから先行きが暗いのは不愉快だからと目をつむっていると、赤信号みんなで渡って事故に合う。少子化対策はよし効果が出ても十年先では負担は増えても生産力向上には繋がらない。三権分立の裁判所には曙光が見える気がしている。選挙の季節
朝倉さやの歌を聴き、先崎学の「うつ病九段」を読んだ。朝倉さやはとても歌が上手い女の子と思っていた程度だったが、ユーチューブで見ているうちに失礼な言い方になるかもしれないが魅力的な女性で個性的な美しさのある人だと気が付いた。先崎九段は好きな棋士ではなく、小賢しい生意気な奴という印象で同じ米長門下では中川八段と中村八段の方がうんと好きだった。しかしうつ病九段を読んで、なぜそうした印象を与えるようになったのかが分かり見る目が変わった。人は世界を視覚だけで見ているわけではない。そう云えば「そうなのよ、先生」と婦長が言っていたな。心でも見ている
栗山ジャパン、WBC優勝。事実は漫画以上の結果を残す。大谷がトラウトを三振に仕留めて、三対二で優勝を決めるなんて、漫画でも描きにくい筋書きで凄いことを達成した。実はよく知らない選手も居るのだが、選手を生かし切った栗山監督は凄い人だ。選手と監督が上手く噛み合った結果だと思う。遺憾ながら唯一の朗報という気がする。野球以外の分野への波及効果があると良いのだが。WBC優勝
岸田首相がキーウを突然訪問した。007風のインドからポーランド経由の列車訪問で隠密行動だった。記者団は煙に巻かれたと書いているが、読者の私はサミットまでに訪問するだろうなと見ていた。サミットの首脳の中で自分だけ訪問していないのは様にならないと考えていると読めたからだ。首相は首都キーウ近郊のブチャにある教会で献花し、ロシア軍に虐殺された犠牲者らを追悼し、ロシアの仕打ちに憤りを覚えると気持ちを吐露している。珍しく率直で首肯できる発言だ。同様の態度と行動を国内事情にもお願いしたい。そうすれば支持率も上がるだろう。木に竹を接ぐ?人
今日は春分の日、数日前よりやや肌寒く桜の開花も足踏みしているようだ。このところ身辺でボタンの掛け違いから思わぬ問題が起き、対応に追われ草臥れてしまった。そんな人だとは思わなかったという問題なのだが、入れ知恵する人物の存在とお金が絡むと思いがけぬことになる。臨床経験が豊富でも患者さんだけの経験では、追いつかないのが金銭が絡むもめ事だと思い知った。前もって相談してくれれば譲ってあげたのにと思っても、視野狭窄の人には通じない。人を見る目がなかったとおおいに反省している。後の後悔
個人差はあると思うが、年を取ると新しいことを始めるのは中々難しい。方向転換することも難しくなる。若い力がないとできないことがいくつもある。自分が学生の頃には学生運動があった。その是非はとても一言では言えないが、若い力が渦巻いていたのは間違いない。純粋は幼く空回りであったとしても、若い力があった。今の世にも若い力は勿論あると思うのだが、力強さが感じられない。青春というものが薄れた、どこかへ行ってしまった。若い力はどこに
君知るや南の国ではなく、城達也のジェットストリーム。あまり夜更かしをする方ではないが、青春の日々時々聞いた城達也のジェットストリームは懐かしい。私のジェットストリームは城達也で完結している。ちょっと前ユーチューブで城達也のジェットストリームを見付け、時々聞いている。今聞いても色褪せず、夜の静寂の中、心に響いてくる。青春の記憶と重なり、学生時代を思い出しなんとも言えず懐かしい気持ちになる。今の人は何と聞くだろう。君知るや
昨夜は家内が晩ご飯作りにくたびれた様子なので、近くの洋食店へ出向いた。二ヶ月に一度くらい行く店なのだが、昨夜の客は私たち二人だけだった。フロアーには誰も居ず、全て店主が一人でこなしていた。和風ハンバーグとオムライスを頼んだのだが、静かな店内に調理の音が響き、十分ほどで注文の品が出てきた。私たち夫婦は口数の多い方ではないので、静かな店内で黙々と食べ「美味しかったごちそうさま」と店を後にした。近隣に洋食店は貴重で閉められるようなことになっては寂しくなる。中華に比べると僅かにお値段は高いが美味しいし落ち着いた雰囲気なのでなんとか存続して欲しい。貴重な洋食店
人間は間違える動物である。あの天才藤井五冠でさえプロならさほど難しくない詰みを逃すことがあることから人間は間違いから逃れられないのが分かる。間違いで大切なことが二つある。第一は間違える割合を減らすこと、第二は間違えた時に適切に対処することだ。間違いを減らす簡単で有効な方法は複数の眼で確認することだ。どんなに注意深い人でも見逃したり勘違いしたりする。それに慌て者の人を加えても効果がない気がするかもしれないが、そうでもない。慌て者の人でも人が違うと視点が違い視野が違うので、他人の見逃し勘違いに気付くことが結構ある。慌て者も責任を負うと意外に注意深くなるものだ。注意深い人が二回見直すよりも、注意深い人と慌て者が二人で見た方が間違いが減る。間違いを減らす方法
昨日は色々なことがあった日だった。中で袴田事件再審開始決定は諒と聞いた。雑草という名の草はないと言う。どうも雑から受ける印象か、雑文や雑談には大した価値はないというニュアンスを感じる人も居るようだ。まあ、価値などという捉え方自体が雑文や雑談の面白さ大切さに気付いていないような気がする。世の中には雑談をしないというより多分できない人達が居るようだ。相性というものもあるかもしれないが、雑談ができない人には巧言令色の人と同じように注意をした方が良い。そういう人とは意思疎通が難しい。雑談が伝えるもの
藤井五冠が王将位を四勝二敗で防衛した。藤井聡太こそ本当の異次元強さで、前人未到タイトル九十九期保持の羽生九段を退けた。さすが百戦錬磨の羽生九段、二勝できたが及ばなかった。私はヘボではあるが羽生九段の封じ手と藤井五冠の踏み込んだ3六銀打ちを当てることができたのが嬉しかった。勿論、まぐれの当たりで深い読みがあったわけではない。5七飛車打ちで羽生九段が頭を下げて投了した対局場の外は木々が揺れ佐賀県上峰町は春の嵐のようだった。一体何故上峯町が選ばれたのか分からないが、対局がなければ一生知ることのない町だったのは確かで、王将戦準備の新聞社の選択も絶妙の気がした。外は春の嵐
二週間ほど前に通勤電車内で失くした手袋、結局出てこなかった。使い古した手袋で、多分ゴミ箱行きになったのだろう。十年ほど使い指先に穴も開いていたので今年が最後と思っていた。そしていつの間にか手袋のいらない陽気になった。取っておいた片方も処分することにした。三寒四温といっても、もう一度手袋が要るほど寒くなることはないと思う。また寒い季節になったら新しいのを買うことにしよう。出てこなかった手袋
どういうものか、世間では自分の非を認めない人反省しない人責任を感じない人が随分と幅を利かしている。自分の非を認めない人、反省しない人、責任を感じない人がどうして伸し上がるのか不思議だ。多分、心の奥ではドジを踏んだと思っているのだろう?、それとも悪いのはいつも他人なのだろうか。尤も、さすがに三ない揃いの人は世間でもだんだん落ち目になってゆくことが多いようだ。自分の非を認めない、反省しない、責任を感じない医師は優れた臨床医にはなれないとしたものだ。三ない人
半年に一回歯の定期検診に行く。今回の歯科衛生士は珍しくちょっと年増の女性だったのだが、中々厳しい人で、まずまず磨けているが歯の裏側の磨きが不十分ですと、きつく注意を受けた。確かにそう言われれば表側に比べると磨きにくく多少おざなりになっていたなと勉強になった。以来注意し、今朝も念入りに裏側も磨いた。どうも裏側というのはついおろそかにしがちになる。それは歯の裏側だけでなく、生活そして生き方にも通じるのではないかと思った。本物と感じる人物は裏側にも目が行き届き手を抜いていない、それが意識することなく身に付いているのは本物中の本物だな。裏側が大事
ガーシー議員と高市議員の茶番劇そろい踏み。この二人に公費を使うこと、この二人の言動を報道することは無駄なので止めた方がいい。お二人とも議員を辞職して第二の人生を歩むことをお勧めしたい、きっと新しい発見と生き方があると思う。しかし、茶番の主役が去ったとしても、露呈した政治劣化は看過出来ず放置できない。茶番劇の背後に
マスクの本来の意味は覆い隠すで、実はマスクで困ることは多く大きい。マスクで顔と表情が良くわからず相手がどういう人か何を考えているのかよくわからなくなるのだ。実はもう働き出して数ヶ月になる受付の女性のマスクなしの顔を見たことがなく、毎朝「おはよう」「おはようございます」と言葉を交わすのだが、雑談の機会もなくまだどんな人かよくわからない。患者さんの場合は診察するときマスクを取って貰うので大体の感触は掴める。顔と表情から得られる情報は物凄く多く、マスクで覆い隠されて分からない謎に包まれてしまう部分は馬鹿にならない。それでもまずまず世の中回っているようだが、顔が分からない表情が分からないことによる不都合問題点が指摘されず大きく取り上げられないのが不思議だ。勿論、マスクで化粧の手抜きや表情が隠せて好都合という人も居...マスクを考える
きちんと叱れるのは大切な能力で人類が生き延びてゆくのに欠かせない資質だ。そうした能力のある人物を見極めることは実は平凡な並の人間にも可能だと考える。まあ叱るというといわゆる上から目線と言われる傾きを感じる人も居るかもしれないが、それは平等の理解が不消化のためと思う。それに現代カタストロフ論の著者らにおそらく叱るという感覚はなく警鐘を鳴らし科学的に対応を模索しようと提言する気持ちがあるだけと思う。著者らは前書きで今はカタストロフと呼ばれる予測と異なる大きな構造的な変化の時期を迎えつつある。そしてカタストロフの時期では危機が起きてもじっとしていれば大丈夫。格差や歪みが生まれて止まらなくなり行くところまでいかないとよくならない。そして繰り返しながら変わってゆくことを否定し同じことを繰り返せばよいという三つの誤っ...きちんと叱れるのは
棋王戦第三局、最終盤で藤井五冠が女流初段でも解けるさほど難しくない詰みを逃した。最近は自信に満ち貫禄も付いてきた藤井五冠が自分の不甲斐なさに最後は身をくねらせてがっくりしていた。優勢だった将棋をひっくり返されて負けそうだった渡辺名人もここで負けたら、これから藤井五冠にもう勝てないという烙印を押されるところだったが、これで藤井苦手意識をいくらかは払拭できたかもしれない。人間は間違える生物と見付けた。天才も人間、間違える
陰謀と捏造は両輪。誰もが当事者であることは不可能で人間は事実を共有できない。しかるに利益は共有することが可能で、何が何でも自己の主張を実現しようとする人は利益誘導で支持を得るために都合の良い陰謀や捏造を作成し、そして自分に不利不都合なものは陰謀論と捏造説で退けようとする。疑心暗鬼は人類が誕生した時から心に植え付けられた感覚で取り除くことは中々難しい。つまり人間の心の奥に根付いているので、教えられた良心や学んで得た理性では簡単には消せないのだ。捏造なら議員辞職はどこかで聞いた台詞で、似ている人は同じことを言うと思った。そう言えば単なる否定よりも強く響くのを見越しておられるのだろう。政治で大切なことは振りをすることだというのも残された言葉で、政治家の言動は眉に唾を付けて見極めねばなるまい。陰謀と捏造
街中の中華が好きで昔はよく出かけた。学生の頃は週三回くらい**十番なる店に行っていた。卒業して数年後東京旨い店に載っていたので、カウンター十席くらいの小さい店だったが当たりの店だったらしい。その街角中華の元気がない。その間隙を縫って中国台湾系の店が増えている。こうした店は割安だが、日本人の私にはもう一つで旨いと感じられず滅多に行かない。ユーチューブで見ると関西方面ではまだまだ街角中華が健在のようで羨ましい。生き残って欲しい店
あっという間に三月三日。日差しは春だが、残念ながら華やいだ雰囲気はどこにもなく、今日はひな祭りかと心の中で思うばかりだ。少子化対策予算を出し渋り、トマホークをごっそり言い値で買う阿保田首相。山上憶良が何と歌ったかご存じないらしい。春三月だが
宇宙飛行士に二人が選ばれた。諏訪理さん46歳男性と米田あゆさん28歳女性だ。米田さんは外科医だそうだ。そうすると直ぐ思い浮かぶのが日本初の女性宇宙飛行士の向井千秋さんだ。向井さんも外科医で、どうも宇宙飛行士を目指す医師は外科系が多い。十二人の日本人宇宙飛行士の内三人までが医師で全て外科医だ。今もそう言うかどうか知らないが昔は医師を大きくメスを持つ持たないで二区分していた。それはメスを持つ医師と持たない医師の違いが意識されていたからだと思う。大雑把に言えば外向的で決断力があり手を動かす仕事を好む外科系と内向的で思慮深く指導会話を好む内科系ということになるだろうか。もう少し上手な説明があると思うが、兎に角メスを持つ医師と持たない医師に気質の違いがあるのは確かだ。勿論、時々は例外があり何であいつが**科なのとい...宇宙飛行医師
ガーシー議員が陳謝すると云っているが本当だろうか?。実際に陳謝しても、その後の行動が議員に相応しくなければ意味がない。完全に清廉潔白な人は殆ど居ない。間違いや嘘は誰にもある。反省して悔い改めれば受け入れられるが、口だけではますます罪は重くなる忘れっぽいマスコミだが本件は粘り強く報道して戴きたい。話を逸らし他者を攻撃して自分の不誠実を誤魔化す人が多過ぎる。箍(たが)の緩んだ社会がどうなって行くのか、私ごときにどうにかできるわけではないが心配になる。言葉だけなら意味がない
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長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
gooがブログを止めるというので引っ越しを始めた。うまく行くかどうか手探りだが、「はてな」に引っ越すことにした。新天地でさてどうなることか。お名残り惜しいが、心機一転。取り敢えずご報告。引っ越します。
家内が夕飯作りに草臥れたというので、老夫婦で回転寿しに行った。私は光り物中心に八皿、家内も巻物デザートなど八皿で合わせて十六皿。会計は三枚でお釣りが来て嬉しかった。お腹が空いていても十皿が限界なのだが、隣の若い二人連れは三十皿近く積み上げていた。男性の方は中肉中背で大食らいには見えないのだが、一人で二十皿くらい平らげていた。自分も二十歳の頃はあれくらい食べられたと思う。若い力を目の当たりにした。隣の客はよく食う客だ
敵愾心を煽るのが得意な人達が活躍している。妬み辛み恨みを利用して他者を非難し不平不満を掬い取り、それで稼いだり支持を取り付けたりしている。人間には劣情がある。それを利用した戦術なのだ。昔、小学校でそれは醜いこと慎むべきことと教わったのでその感覚が身に染みている。それが絶対に正しいことかどうかは分からないが、それに人類の知恵が詰まっているのは確かだと思う。何でもあり、とにかく数を集めれば勝ち?の世の中では、人類の知恵がかき消されてしまう。今だけ金だけ自分だけには同感できない、明日もあなたも思いやりも大切だと思うのだが。敵愾心を煽る戦術
高い関税は脅しだろうと高をくくっていたら同盟国?にも掛け始め、どうも本気らしいと身構えたら僅か二週間で腰砕け、やっぱり脅しで交渉の手札だったと思わせる兆候が表れてきた。猫の目トランプに振り回される世界だが、アメリカが信頼できない国になったのは間違いなく世界秩序は変容した。色々な人が指摘しているようにこのピンチは日本が変わるチャンスだ。歴史の知識は乏しいが、日本は変わらない変われない国だいうことは歴史から分かる。革新する信長のような人物は例外で、故に本能寺の変が起きたと観測している。いつも変化をもたらしたのは外圧で、トランプは大きな外圧と捉えられる。これを利用して変らないと日本はじり貧になる。先送り隠蔽体質の自民党では駄目だ。ではどこにと代わる政党がないようでも変えないと、トランプがもたらした秩序破壊という...トランプという外圧
趣味は何ですかという問いに旅行という答えを時々見たり聞いたりする。今はそうでもないが、以前は旅行って趣味でするものかなあと妙な感じがした。史跡を巡るとか旨いものを食べに行くとか言われれば成程感が出てくるのだが、漫然と旅行が趣味と言われるとピンとこなかった。知らない土地に行ってみたいという好奇心が根底にあるのだろう。中には世界一周に出かける人もおられる。さすがに世界一周となると趣味を越えるようで半ば本業になってしまうようだ。世に転勤族と呼ばれる人達が居られる。お付き合いのある薬品メーカーの人はみなさん全国を何か所か転々とされており、住んだ土地の話を聞かせてもらうのは楽しかった。世の中で言われていることは概ね正確なようで、九州博多は良いですね。引退するなら静岡でしょうか。名古屋京都はやりにくいですと言われる。...旅行が趣味
備蓄米を放出しても米価が下がらない。価格は需要と供給で決まると思っていたのだが、何か別の絡繰りがあるらしい。米作の調整をしてきた政府は、この謎を解明して国民に説明する義務と責任がある。米食を減らして食パンやスパゲッティにしているという主婦がテレビに出ていた。需要が抑えられているのに米価が下がらない、どういうこと?。農家の販売価格が消費者の手に届く間に、どのように変化してゆくのか調査をして報道してほしい。もし米が不足しているのなら、備蓄米をすべて放出すればよい。新たな備蓄米は安くアメリカから輸入すればよい。カルフォルニア米は安くて十分美味しい。何故米価が下がらない
内科学会総会で大阪に行ってきた。自宅でオンラインでも受講できるのだが、長年の習慣で家内を連れて大阪に一泊した。私は勉強、家内は買い物。新幹線は半分が外国人で、何だか外国旅行気分だった。欧米人はともかく、どこかの国の人はエスカレータの乗り口を塞いで立ち話、思わず通り道ですと注意しようとしたら日本語ではなかった。大阪は二年振り、同じ大都会でもどこか東京とは違う。東京より立て込んでビルが多い、広告が多い、緑が少ない。関西と一口にいうが、関西はひとまとめにできない、京都大阪神戸で違うのだ。微妙というより大きく違う。好きかと言われると、すぐには返事ができないが、大阪にはエネルギーを感じる。大げさかもしれないが快適な新幹線乗って大阪の街を歩いて、まだ日本は大丈夫と感じた。大阪と新幹線
鶯の泣き声が聞こえる。初心者のはずだがきちんとホーホケキョと聞こえる。どこかで練習してから来たのだろうか。三月にも聞こえていた記憶があるから、きっとそうなのだろう。まだ時々冷え込むが、ずいぶん暖かくなった。桜も散り、あっという間に緑の若葉に置き換わり桜の木だった面影は消え、なんだか不思議な感じがする。そういえば今年はまだ桜餅を食べていない。柏餅に変わる前に食べておきたい。春夏秋冬と四季の味わえる日本だが、春は短い。五月は初夏で夏に入る気がする。新緑、青壮年には意欲の湧く季節なのだが、高齢者には少し重い。心が沈みがちの鬱傾向の人にも付いてゆけない感じがするようだ。多様を受け入れる柔らかい世の中がいい。鶯が鳴いている
トランプ大統領はあたふたと言うことが変わるが、実はこれも策略で裏に深い狙いを持っていると解釈する解説者が居る一方、ころころ変わるのは場当たりの表れで関税に捉われた視野の狭い愚策だと断ずる解説者も居る。当初、私もひょっとして深い戦略があるかもしれないと思わされたが、ここまで言うことがころころ変わると単なる乱心と思えてきた。誤った現状認識に基づいた愚策でパンドラの箱を開けて世界をカオスに陥らせた人物として記憶されることになるのではないか。しかしながら、決して自分の間違いを認めたり悪かったと謝罪しないから厄介だ。うまく行くと自分の手柄うまく行かないと誰か他者のせいにする。そうして岩盤支持層は繋ぎ留められ、一定の評価をする人たちは途切れないだろう。いくら何でも猫の目では
手品師ではないけれども、あまり手の内は明かさないほうが良いかもしれない。でもまあ、知って貰うのと理解が深まるかもしれない。病気というのは嫌なもので、中でも質の悪い病気は診る方も負担が大きい。有難いことに医学は進歩しており、癌と言えば死刑宣告のように響いた時代は過ぎ去り、早期のがんは治る時代に進行したがんもかなり生きながらえることができる時代になった。そうはいっても人間は心配から逃れることはできない。後医は名医と言われるように、早期に疾患を見付け適切に対処することは難しい。病気が少し進行してから診断することはさほど難しくない。市井の開業医はできる検査は限られているし、早期の疾患を診ることが多いので、簡単そうに見えるかもしれないが実は中々難しい。なんでも気軽に話せてご心配ありませんよと言ってくれる先生と思われ...手の内
見出しに本当や真相が踊る。実際に記事を読んでみると、たいてい本当や真相は書かれていない。そう思わせる状況や思惑が書かれているだけだ。人の目を引く釣り見出しなのだが、人はそれに釣られるし状況思惑でそうなのだと納得してしまう人も多い。どうも人間の遺伝子の中に話を信じてしまう思考回路が組み込まれているらしい。世に悪知恵のある人物は多く絶えることはない。どうすれば怪しい話うまい話・・に踊らされることから逃れられるだろうか。歴史と経験に学ぶことがその方策の一つなのは間違いない。万年の歴史から学ぶことは難しいかもしれないが千年の歴史からは学べる。千年の経験は不可能だが祖父母の伝聞まで広げれば百年の経験に手は届く、各々方今はその時と申し上げたい。本当と真相の語るもの
長くgooでブログを書いてきたが、gooがブログサービスを止めるという。どうしたものか。これが潮時とブログを辞めるか、あるいはどこかに移転するか。最初はブログというものがあるそうなと聞き、自分もやってみようと始めたのだが、いつの間にか習慣となり幾許かの仲間というか知己もでき、ボケ防止とストレス解消の効果もあり続けてきた。毎日三、四十分ばかり、最近は日記のように書いていた。サービス中止まで数か月あるので、一か月くらいどうするか考えたい。どうするか、思案投げ首
ユーチューブから世の中の情報を得るようになって三年ほど経つ、新聞は全国紙二紙を読んでいるが地上波テレビはほとんど見なくなった。ユーチューブの登録チャンネル数は三百くらいあり、ほぼ毎日チェックするものからニ三か月に一度チェックするものまで色々だ。三百以上はあまり増えない。というのは月にいくつか新たに登録するが同じくらい登録を外すものがあるからだ。視聴登録数がみるみる増えたチャンネルにPIVOTがある。比較的中立で経済に力点が置かれている。ゲストが適切でインタビュアーの質問も的を得ていて聞いてみたいことを聞いてくれる点が視聴者が増えている理由と思われる。竹下隆一郎氏が抜けても勢いに陰りはない様子だが、それには新しい魅力的な女性陣の力が与っているようだ。移転した竹下氏のCROSSDIGがどの程度伸びるか不明だが...PIVOTはPIVOT
友人のS氏がコーヒーに凝りだし、豆を挽いて飲むと美味しいですよと言われるので自分も豆を挽いて飲みだした。実は二十年ほど前は自分も豆を挽いて飲んでいたのだが、ちょっと億劫になり最近はインスタントを飲んでいた。まあ最初はブラジルが良いかとブラジルから始め次いでグアテマラと飲んでみた。確かに香りがよく美味しい。ちょっと手間がかかるが色々な豆を試す楽しみもある。さて次はと迷っていたら、今月お得なのはペルー産ですというのでそれを買ってきた。お得と言ってもコーヒー豆は高騰しており100g700円もした。ペルーMべロニカ、果たしてどういう味がするだろう。職場に着いたら早速飲んでみたい。ペルーMベロニカは初めて飲んだが、マイルドで苦みは少なくわずかな酸味に旨味があり飲みやすく美味しかった。単独もよいがケーキも合いそうだ。ペルーのコーヒー
左足の親指が腫れて痛く、この二三日びっこを引いている。痛風だねというのが医者の反応だろう。ところが後期高齢者の場合違うことも多いのだ。実は階段を登る時、左足が思ったほど上がっておらず躓いてしこたま親趾を打撲してしまったのだ。幸いあと二段ほどだったので、二階に倒れこみ階段から落ちるのは免れたのだが、打撲の後遺症でびっこを引いている。年を取ると僅か1cmのことだが足が思ったほど上がっていないことが起きる。以前にも軽く躓くことがあり、気を付けていたのだが今回に懲りて、今は意識して足を挙げて兵隊の行進のように階段を登っている。それと階段は真ん中は歩かず手摺のそばを昇降している。転倒は高齢者に思わぬ障害をきたすことが多い。いつも段差にはご注意と申し上げているのに、自分が怪我をしてしまった。極めて遺憾だ。左足の親指が腫れて痛い
ユーチューブで政治経済の解説を視聴している。皆さん色々なことを言われる。バランスの取れた視野の広いものよりも自分の主張が正しいというニュアンスのあるものの方が多いかもしれない。そうしたユーチューブも結構な視聴回数なので、そういうものかと思っている。何十万という視聴回数を持つものには色々なゲストに様々な視点から解説を聞くバランスの取れた公平客観的な感じのものが多い。そうしたチャンネルに登場する中で成程と感じることを言われる三人に注目している。それはエミンユルマズ、ジョゼフクラフト、モーリーロバートソンの御三方だ。日本語も日本人以上に巧みで、見方はそれぞれ違うのだけれども視野が広く鋭いことを指摘される。ロジカルでしがらみがないせいかもしれない。とても参考になる。外国名だけれども
結構涼しいというか寒いといってもいい日が多かったので桜が長持ちした。入学式の日にも満開の桜が見られた様子だ。地方によって新学期の日は異なるようだが七日八日のところが多かったのではないか。七十年前で今では記憶も薄れたが、自分が小学校に入った日にも桜が咲いていたと思う。大した風もないのに桜は散る、桜吹雪の中を出勤している。株価が乱高下し、経済学者から評論家、素人のはずなのに色々口をはさむ人まで百家争鳴で解釈予想がネットで乱舞している。私も爺のつぶやきに過ぎないが、政治経済のことを書くので人間には世の中のことを色々気にしたり考えたりして発言したい性質を持った人間が居るのだと分かる。女性も居るが男の方が多い。自分の場合、多少のストレス発散になっている気がする。百家争鳴に参加
トランプ関税発表直後、証券アナリストの多くは米株価は下がるが日本株の下げは大きくない、35000円で底だなど色々勝手なことを言っていた。ところが、株価は下げ続けて大きく下落した。一体どこが専門家なのだろう。確かに明日のことはわからないのだが、わからなさにも専門性があると思っていたがトランプが相手では考えても分からないということか。トランプの関税は単なる脅しで、米株価下落を気にするから実際には高い関税は掛けないと言われていたが、現実は株価暴落もなんのそのしばらくすれば回復する我慢しろと突っ走っている。トランプ自身は意図も予期もしていなかったと思うが、パンドラの箱を開けてしまった。アメリカには頼れないアメリカは信用できないというパラダイムシフトが起き始めている。日本の政治家も経済人もまだそこまでは考えていない...パンドラの箱を開けた
人相というとどうも褒めない方に使われることが多いので気を付けて使いたい言葉だが、顔が物語ることは多い。誰でもある程度長く生きていると顔から人を推しはかる能力を知らないうちに身に付ける。勿論、外れることはあるのだがやはりとゆうことは多い。多くの人が頷かれるだろう。リンカーンが四十になったら自分の顔に責任を持たねばならないと言ったと読んだことがある。色々な人が似たようなことを言っているから、間違いない所だろう。誰もが政策の実現可能性や政治家の言明の信憑性を裏付ける大量の情報を持っているわけではないし分析する能力に恵まれているわけではない。しかし誰もが人相と表情を読むことはできる。選挙の時はマスコミや噂などは参考にとどめ、要するにこの人物は信用できそうかと受け答えする表情と声音、レンズを見つめる人相を見極めるこ...顔は雄弁
嫌な顔をされるのが苦手だ。救急外来に患者さんをお願いする時、出てくる医師によっては声から嫌そう面倒くさそうな顔が分かるのでどうしても下手に出てしまう。いい年をして、情けないと思いながら受けてもらわないと困るのでお願い口調になる。お忙しいところ申し訳ありませんがどうぞよろしくと電話口で頭を下げてしまう。医師によっては笑顔が見える受け答えで、はいはいどうぞと言ってくれる。需要と供給は権力とは違うけれども、権力に似ている。不利というか立場の弱い方が下手に、有利と言うか立場の強い方が横柄になる傾向がある。尤も救急外来は忙しくて大変なところだが、あまり横柄だと批判が出るし競争原理が働いて依頼が減るので応対は改善されてゆくことが多い。立場によって
このところ外食が増えている。外食で困るのは、家内が食べきれないからと私に色々呉れることだ。食べようと思えば食べられるし残してはいけないと教えられて育ったので食べ残すのも気が進まない。ダイエットが中断されて大袈裟だが遺憾だ。この頃は無念だが断っている。日本では食べきれなかった分を持ち帰るのが難しい、言い出しにくい、嫌な顔をされる、断られる。勿論、どうぞというところもあるが。小食者用というか高齢者人口も増えたことだし高齢者用の七分目の量のメニューを作って欲しい。採算的に難しいのは分かるので値段は一二割引きで文句は言わない。ところが実際には単に量を減らしただけのメニューは出しにくいらしく、殆んどの店で見かけない。もっと客の多様性を考えてと申し上げたい。家内は写真のリンゴは毒林檎というが本当だろうか?。毒林檎の苗...できないものか?
遠い昔、寛容と忍耐と説いた首相が居られた。それに習い、異なった異なった意見にも耳を傾けるのを信条としてきた。しかし高齢者になってくるとあにはからんや円熟とは参らず、少しづつ忍耐力の衰えを感じるようになった。年を重ねると穏やかな達観の境地が訪れるというのは希望的観測のように思われる。私が残念な例外という可能性もあるが、どうもそういうわけでもなく寛容はともかく忍耐力は年と共に衰える傾向があるように感じ観測している。尤も、判断力が付いて評価に値しない意見に貴重な時間を使わなくなったと言えるかもしれない。いづれにしても、この人の言うことは聞いていられないと思う人が増えた。勿論、一二割は頷ける意見や考え方を含んでいるのだが根本のところで堪えきれない軋轢音を発生するのだ。堪え性がなくなる
限られた経験だが、四十代と思しき歯科衛生士にお目にかかったことがない。殆んどの歯科衛生士さんは二十代だった気がする。今お世話になっている歯科の衛生士さんは二十四、五、六才の気がする。歯科衛生士さんは普段はあり得ない距離でお顔を拝見できる。見まいと思っても腕や首が目の前に迫ってくる。日本人女性はと言っても外人をよく知っているわけではないが肌が細かく美しい。若いから皺がなく大袈裟かもしれないが若さで輝いている。何故歯科衛生士は若い女性ばかりなのか知らないが、アラフォーだと再雇用の口がないのかなと推測する。歯科衛生士は若い
まさかということが起きた。人類とは思えない強さの藤井八冠が伊藤匠七段に敗れ七冠になってしまった。今期に入り永瀬九段などにやや不調ではと言われていたのだが、調子を落としていたのだろうか。勝勢から逆転負けするなんて、今までの藤井には考えられないことだ。大谷も一時通訳の不祥事で調子を落としていた。やはり二人とも人間だった。伊藤が勝てるならと端から気勢を削がれていた棋士達が新たな戦略で向かってくるだろうから、藤井七冠もこれから大変だろう。しかし、タイトルの数など気にせず目の前の一局に全力を注ぐ人柄なのでこれからも名勝負を楽しませて貰えると思う。十一連敗からの奪取、師匠はありがたいね。師匠の宮田八段は伊藤が勝ちますと断言していた。藤井敗れる
五十年以上の長い記憶のある国民は、とりあえず平和そうな日本も内実はあちこちガタが来ていると思われているのではないだろうか。特に劣化しているのは政治家だが、もう一つ改革が必要なのはマスコミだ。自立しておらず金と権力におもねる姿勢が透けて見える。政治資金規正法が成立したが、形だけの改善で抜け穴だらけのザル法だ。十年後に領収書を公開するなど何の意味もない。しかも一部は黒塗りだ。それを衆議院賛成参議院反対と支離滅裂な維新の馬場代表が得々と支持している。阿保らしくて話にならない。国会中継の党首討論で岸田首相の答弁を聞いていると国民よりも自民党議員を守っているのがよく分かる。日本の政治家は選挙のことしか考えていないという米国投資家の批判は当たっている。情報が操作されては票が資金力で左右されてしまう。政治家とマスコミ
新型コロナがここにきて再びやや増加し始めたようだ。地方都市の一診療所の報告だからどこまで正確に全体像を伝えているか不明だが、今日複数の陽性者が出た。死亡率を下げて生き延びようとするウイルスの戦略は恐るべきもので、インフルエンザの向こうを張る存在になりつつある。嫌なものは早く忘れたいのが人間の心性ではあるが、厚労省はそうであってはならず科学的に粘り強く対応していただかねばならない。災害は忘れた頃にやってくるが、悪疫は忘れようとすると盛り返すから油断は禁物なのだ。新型コロナくすぶり続けている
今朝は本降りで風があり、なかなか辛い駅までの歩きだった。株式投資で大儲けするのは五十人に一人程度と言われている。ギャンブルはどうだろう。似たようなものと思われる。困ったことに?、この五十人に一人の人達があたかも二人に一人居るようにうまい話が喧伝されている。証券会社や株予想で仕事されている人は、素人が株投資すると損しますよとは言わない。儲かりますよと上がりそうな銘柄を紹介しても必ず小声で買う時は自己責任でと釘を刺している。政治家も似たようなもので、不都合なことは言わない。アべノミクスで大企業が儲かればおこぼれがあると聞いたが嘘だった。嘘だったと責めれば**が悪かったせいだと上手に責任を逃れる。まあ嘘と言えば聞こえが悪いが夢と言えば美しく響く。夢を売る仕事と言われてしまうと咎めにくくなる。夢とまでは言わず商売...五十人に一人
距離と時間は長く生きて居ると短くなる。自分を尺度にするから、短く感じるようになるわけだ。唯、距離は交通機関の発達もあるから科学技術の進歩も与っている。一年が短くなった一か月が短くなったと感じるわけだが、この頃は一時間が短くなったと感じる。一週間が早くなったとよく聞くが一時間が短くなったというのはあまり聞かない。しかし、自分はこの頃一時間が短くなったと感じる。そのうち一分が短くなったなどと言い出すかもしれない。短く早く感じる
愛飲するウイスキーがボトルにあと半分、まだ半分あるという人ともう半分しかないという人が居る。中にはちょうど半分だという散文家も居るだろう。還暦が人生の感慨深い通過点だったのは半世紀前のこと、今では赤いちゃんちゃんこを着る人は殆んどいないだろうが、六十になった時あと四分の一かと鬼が笑うようなことを思ったものだ。今ではあとどれくらいなどという、逆立ちしてもどのみち残り少ない年月を思いめぐらすことはなくなった。行けるところまでというのが、多くのご同輩の心境だと推察する。それにしてもバイデンとトランプは外れている。トランプと同い年の自分は顧問はできても社長院長大統領・・トップは難しいと断言できる。半分はどれだけ
寒い時に暖かい食べ物が美味しいように、暑い時には冷たいものが美味しい。何時からかき氷が庶民の御馳走になったか知らないが、慌てて食べると額がツーンとするかき氷では宇治金時が一番好きだ。同意される方も多かろう。これが許せんことにかなりお値段が張るのだ。子供の頃どころか成人してもしばらくは簡単には手が出なかった。せんじと言って分かる人はどれくらい居られるだろう。宇治金時に手が出ないころはもっぱらせんじを頼んでいた。ぜんざい、お汁粉は全国的に通じると思うが、大判焼きやせんじは全国版ではないのを故郷を出て初めて知った。暑い日には冷たいものが美味しい
痩せる方法は数えれば何百もあり、色々な人が本やユーチューブ動画で提案している。何百種類といっても基本的なところは似ており、数種類にまとめられる。ただ、独自性を出すためや商業的な思惑があって、少しづつ変えている変わっているだけだ。食事と運動が基本でそれに睡眠時間や仕事と自宅での生活習慣と体質が加わる。ではなぜ、それほど沢山の方法があるのに中々痩せられない人が多いかというと結局はきちんと実行できない人が多いからだ。肥満された患者さんに受診された時注意をすればできない言い訳があれこれ返ってくる。強く言えば反発する人嫌がられる人も多く、その塩梅は難しい。高脂血症や高血圧症でコレステロールの多い食品や塩辛い味付けを避けるように減らすように説明しても、中々守れない人も多い。幸い今はとても良い薬があるので、食事が厳格に...人間は思うようにできない
街中の蕎麦屋中華料理屋・・を選ぶ時は、味と値段そして雰囲気で決めてゆくわけだが、まず選び損ないというか失敗というのはないと思う。自分が気に入ればそれでよいわけで違ったということもあるかもしれないがそれは非常に稀だろう。ところが医者や歯医者選びでは時々間違いが起きる。というのは食べ物の美味しさと違い医者や歯医者の能力得意分野は素人には分かりにくいからだ。後期高齢者になって、年に二回歯の点検と歯の磨き方の指導を受けているが、もっと早く今の先生のところに来ればよかったと後悔している。そうすれば多分抜かないで済んだ歯が何本もあるのではと思う。店の選び方
今朝は比較的涼しい。季節感覚を失ってしまったように感じる、季節がはっきりしない日が時々紛れ込むようになった。今日の日付が答えられない認知症が忍び寄るお年寄りに今何月ですかとお聞きすることがある。それも答えられないと今の季節は春夏秋冬のいつですかと聞く。季節くらいは分かるだろうと思っても結構外す患者さんが居られる。挨拶など普通にできるのにと意外に感じるが、この頃は気温の上がり下がりが大きく陽気が不安定なので、間違えるのもしょうがない気もする。冷やし中華に柏餅と食べ物屋は供するもので季節を告げるが、医院では六月になってもインフルエンザBが出たりして、医者が目をこすって何度も結果を見つめている。今、何時だい
五、六年前に比べたらユーチューブを見るようになったので、少しはマスコミで話題になる人を識別できるようになった。人物と同じように時々見かけ聞きかじる知らない言葉の意味もある程度分かるようになった。知らない言葉は文脈から何となく意味が分かることもあるが、キーボードを叩いて意味を調べないと分からないことも多い。たとえばリスキリング、ディスルなど分かったような分からない言葉も解するようになった。勿論、こうした言葉は知らなくても生活できるが、世の中の流れ雰囲気を理解するには、知っておいた方が良さそうだ。しかしなぜカタカナ英語と言うか短縮語を使うのか、どこかに上滑りで済ましじっくり深く考えるのを避ける風潮があるようだ。その背景に情報過多があるのは間違いない。知らない人と知らない言葉
東京都知事選挙、蓮舫VS小池百合子の一騎打ちだったはずだが、予想通りの貶し合いというか悪口の言い合いで、それが飛び込み参戦の石丸氏に有利に働き三つ巴になりそうな気配だ。尤も石丸氏も人気が出ればどこからか否定的な情報が出てきて叩かれるだろう。ドレッシングというのはサラダの材料本来の味を引き出し引き立たせ美味しくするもののはずだが、東京都知事選では不味い苦い悪臭を放つドレッシングを掛ける連中が居て、肝心の政策の吟味が霞んでしまいそうだ。都民の方は怪しげなドレッシングを断固として断り、塩コショウ酢サラダオイルのシンプルで間違いのない自家製のドレッシングで政策と人物を確かめて投票していただきたい。これでは本来の味が分からなくなる
ユーチューブはそれこそ玉塵混淆で良質なものを見付けなければ時間の無駄になってしまう。積極的にユーチューブサーフィンをしているわけではないが、様々なチャンネルが目に飛び込んでくる。面白いもの有用なものを登録してきたが登録チャンネル数が三百近くになって限界と感じ、結局は見ないものは削除し始めている。ユーチューブを見て驚くことは、世の中にはどうしてと思う程自分の主張を発表せずにおれない人が多いことだ。まあ自分もブログを書いているので、お前もと言われそうだが人間には発信したい人が多いようだ、生存証明にもなっているらしい。多様性に寛容でありたいと思うので、さまざまな発言主張を見聞きしているが、中には強烈と言うか独善と言うか異論に攻撃的なチャンネルも結構ある。正直どうもそういうチャンネルは見ると嫌な気持ちになったり疲...ユーチューブ界隈
中華料理に粥がある。中華料理と言っても色々で一概に油を使ったこってりばかりではないが、それでも香辛料がきつかったりカロリーが多かったり胃腸に負担を掛けるものが多い。そこでそれを和らげるためにお粥が登場しているのだと思う。昔は少ない穀類で取り敢えず満腹を実現するための方策という意味もあったかもしれない。どうも外食が続くと体重が増えてしまうので、お粥というのも良い方法かなと思ったりしているが、中々実現はできていない。一番簡単な方法に一食抜くというものであるが、これは健康的にはあまりお勧めできない。自分が健康で居るのも仕事のひとつなので、どうするかと体重計を睨みながら考えている。粥の知恵
自民公明維新の政治資金改正法はザル法でザルに申し訳ない、ザルの方がもっと物を掬えますからと玉木代表も言っている。維新の代表の弁明を聞いていると十年後の領収書公表に黒塗りもあるなどと言い出し、馬脚が露呈した。余程隠したい使い道があるのだなと疑惑が深まるばかりだ。大体十年後では、黒塗りでなくとも意味はない。知恵を絞って抜け道を探る、それは悪知恵。誰のための政治?