長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
口先言葉遊びの岸田総理に失望しているせいか、総理大臣の時は褒めていなかったと記憶するが、菅前首相を見直している。中々現総理にたとえまともな諫言であったとしてもものの言える人は少ない。失礼ながら教養や広い視野には不十分なところがあるように見受けるが、謙虚で強い信念があり、現総理より国民の声が届いたと思い返している。前総理のことを偉そうにと言われるのは承知しているが、政治家が国民の評価に晒されるのは立場上避けられないことで民主主義国家では仕事の一部だと思う。訥弁口下手で、矢面の総理大臣はもう結構と表明されているが、どうなってゆくか分からない。見直したい人物
週に二三回朝トーストを食べる。あとはシリアルのことが多い。朝米飯のことは月に一二回で少ない。トーストパンにピーナッツバターとブルーベリージャムが定番でこの組み合わせが好みだ。ピーナッツバターが美味しいと思うようになったのは三十半ば過ぎてからだ。それまではバターに比べパサついた感じで何だこれと思っていた。ジャムは子供の頃はもっぱらイチゴジャムだったのだがママーレード次いでブルベリーと徐々に好みが変わってきた。年齢による食べ物の好みの変遷があるようで、今は美味しいと思うネギの白い部分やニンジンを子供の頃は嫌いだった。年を取らないと美味しさが分からない食べ物というものがあると思う。食感と苦みが関係している気がするが、子供の頃からネギの白い部分が好きだったという例外の人も居るようだ。ピーナッツバターとブルーベリージャム
藤井王将と羽生九段の王将戦第三局、解説者がさっぱり分からないと首をひねっている。よく岡目八目と言って傍で観戦している人の方が冷静で対局当事者よりも良く手が見えると言われるが、それはこの二人には当てはまらない。岡目八目はアマチュアではよくあることだが、プロの対戦でも希にはあるようで、後から指摘されてあっそうかと言う解説を読むことがある。勿論、指摘するのはプロ、アマチュアには無理で、そうしたことが出来たとすればその人はセミプロだ。しかし人生というか生活にはプロもアマもなく、岡目八目は意外と多いのではと思う。さっぱり分からない
僅かに和らいだ寒さも夜はしんしんと冷え込んでエアコンでは十分暖かくならない。北国寒い夜の御馳走はまず暖と思う。訪れた客人を暖かい部屋に通すのが、多分まず最初のおもてなしなのだろうと想像する。次いで暖かい料理だ。昨夜は妻が鮭のかす汁を作ってくれた。美味しいだけでなく、身体が温まり思わずお代わりをした。いやあこんなに旨いと思わなかった。寒い夜の御馳走は
第八波も徐々に収まりつつあるが立ち上がりよりも終息の方が傾きが緩くゆっくりしている。まだ新型コロナワクチンを打っているが多い時の四分の一くらいに減ってきている。慣れたのか狎れたのか、新型コロナと診断しても驚く患者さんは居なくなった。幸い当院からこの一年亡くなった患者さんは出ていないが、全国的には第八波での死者数が今までで一番多い。五月から2類から5類に扱いが変わってゆくようだが、もう一つ説明が不十分で経済優先ということなのだろうか、すっきりしない。岸田首相は話をしても中身がなく、不支持が支持の倍もあって信任されていない。何が専権事項だと申し上げたい。本当に日本人は大人しいというか諦めが早いというか、なぜちゃんと説明しろと声を上げないのだろう。岸田は駄目だでは済まない。聞こえても理解できない人物にはお引き取...説明責任はどこへ
昔はバイキングと言った気がするがこの頃は殆んどのホテルでビュッフェと言うようだ。正確にはビュッフェは一定料金で食べ放題とは違う意味らしいが、日本のビュッフェは以前のバイキングと同じ定額食べ放題という意味で使われている。どうもこの食べ放題というのが良くない表現理解で、つい食べ過ぎてしまう。そのため朝食以外はできるだけバイキング方式の食事は取らないことにしてるのだが、この頃ホテル業界は低調高額でつい割安のビュッフェに入ってしまった。気を付けなければと言い聞かせながら、あれこれとつい食べ過ぎて胃がもたれ後悔している。何度目否何十回目の後悔か、我ながら情けない。まあこうして欲に目が眩むから、人類は生き延びてきた側面もあるのだともっともらしい理屈を見付けて言い訳にしている。バイキング?ビュッフェ?
今頃になって旧統一教会との関係を告白する政治家が居る。ほとぼりが冷め批判の声が小さくなるのを見極め、いつまでもだんまりを決め込んで狡いと言われるのを回避しようという魂胆と思われる。勿論、すべての人がというわけではなく民族による差もあるが、まあ日本人はせっかちで熱しやすく冷めやすい。それに多くの人は事実よりも事実にまつわる話や周りの人の反応に影響される。声の大きい断定的な人の判断に頼りやすく、事実のもたらす利害で変容する。人間は事実では動かない。こうしたことに気付いたのは六十過ぎてからだ。少し遅すぎた気がしている。情報に対する大切なリテラシーと思う。若い人達に気付いてほしい。何故今頃
パソコンのキーボードや携帯電話のキーや画面に触れたつもりはないのに勝手に反応されて困ることがある。すぐ戻せる時はまだしも、あれどうしたら戻るかとあれこれ操作しなければならないと頭を切り替えねばならず、流れが中断され時間が掛かってしまう。そうしたことが以前より増えた。まだ手は震えていないが、動きが少し悪くなったようだ。もう東京のぎゅうぎゅう詰めの電車に乗らなくなって半世紀経つが、今でもラッシュアワーは身動きできないほどのすし詰め電車なのだろうか。すし詰めだと思わず手が触れることが数回あったと記憶するが、その場合は意図的でないと判定され事なきを得たと思う。パソコンや携帯電話は打ち手の意図までは判定はできないようで、意図と反した設定になり流れが滞ってしまう。尤も、意図的かどうかパソコンや携帯が判断するようなこと...触れもせで
王将戦第二局はへぼの私の予想と違い羽生九段が勝った。流石、凄いと痺れている。第二局は番勝負では重要で第一局の勝利よりも重みがある。8二金は羽生九段とコンピュータしか思いつかなかった手のようだ。さすがの藤井王将も持ち時間を投入して読みに読んだが打開策が見つからなかった。持ち時間の長い将棋では正確に深く読める藤井五冠に勝てる棋士は居ないような気がしていたが不明を恥じなければならない。羽生九段のここ一番の無類の強さが戻ってきたようでタイトル百期も夢でないかもしれない。今日は王将戦観戦の合間を縫ってちょっと早いが床屋に行ってきた。気分転換には散髪が一番だ。先先代の頃は散髪の待ち時間に将棋を指しているお客さんも居ましたと話してくれた。多分、店主が子供の頃のことで四十年以上前のことだろう。今は予約制で待ち時間も五、六...羽生天才健在
この頃映画を見ていない。勿論、映画と言っても映画館でではない。映画館にはもう三年行っていない。数か月前まで時々ネットで洋画を見ていたのだが、お気に入りのシリーズ新米刑事モースを見終わったのとちょっと仕事で問題が起き何となく落ち着けず、この頃はもっぱらユーチューブを見ている。ユーチューブは長くても三十分大抵十五分くらいで終わるので、尻焼け猿には向いている。人生は問題山積、あちこちに躓く石が転がっている。後期高齢になれば欲も減り病気を除けば問題など起こるまいと思っていたら、外から問題が降りかかり苦笑いしている。新旧天才対決の王将戦、さすがの羽生九段も若き天才には敵わないだろうと思っていたら出た8二金。果たしてこの羽生マジックを藤井王将は解くことができるだろうか。またまた手に汗握る第二局後半戦で日曜日はじっくり...落ち着かない日々
ユーチューブのプロ歌手の歌声にはソプラノが多い。勿論、ソプラノの美しさ魅力を愛する者だが、メゾソプラノの歌声がもっとあったらと思う。メゾソプラノの深み広がり暖かさをもっと聞きたいと思う。音楽の知識や教養の乏しい高齢者の素朴な願いだが、日本の歌曲を歌詞が明瞭に分かるメゾソプラノで聞いてみたい。尤も、私がよく知らないだけでメゾソプラノの歌声も数多いのかもしれない。メゾソプラノの魅力
翻訳を産む文学、文学を産む翻訳藤本和子、村上春樹、SF小説家と複数の訳者たち/邵丹(ショウ・タン)。この本は第44回サントリー文芸賞の受賞作なのだが、まだ買ってもいないし読んでもいない。藤本和子さんの本は愛読書(何度でも読める本)なので、インタビュー記事が目に留まった。タンさんは中国の方で日本語は成人してから学ばれたようなのだが、翻訳というものに着目して掘り下げこうした本を書かれたようだ。読んでみたいが大作のようで読み切れない気がする。唯、人間はバベルの塔の天罰を乗り越え新たな地平を望む力を持っているのだと教えられる。言語にも才能があって(努力が足りない?)私は英語だけしか理解できないが、言葉の力の大きさと言葉の広げる地平というものを垣間見る気がした。しかし日本語の翻訳を生む文学、文学を生む翻訳を中国生ま...翻訳の生み出すもの
朝新聞を取りに庭に出る時はまだ暗いが、出かける時は明るくなって道の向こうに淡い青色の山並みが見える。又寒波が来るらしいが、一月始めほどではない感じがしている。既に日差しに微かな和らぎがある。北国の人は何をとぼけたことをと言われるだろう。何というか、微かな気配に気付き、それを楽しむのが日本の文化のように思う。微かな変化や違いを味わえば、人生は豊かになる。そうしてもう一頑張りしたい。微妙な変化
「お酒を飲んではいけませんよ」ではうまくゆかない。物忘れがひどくなり酒を飲んで怒鳴るご主人を認知症専門医に紹介しアルコール性認知症の診断と薬の指示を貰った。それから半年、素面で通院の時は大人しく殊勝で「はい」と言われるので何とか平穏にやっているのかと思ったら、二か月ほど前からきちんと薬は飲まず年末年始は酒量が増え真夜中に出て行けと怒鳴り出したそうで、奥様が耐えられないと相談に来られた。新型コロナの流行で精神科が手一杯になりなかなか受けてくれる所がない。受付が粘り強く頑張り二時間ほど掛けてかけてようやく何とか診ていただける所を見つけた。この程度のことで医療危機などと言うなと官邸は反応するかもしれないが、患者さん達はこんな時に何で外国を回っている、経費削減にはまず国会議員の数を減らすことだ、ねえ先生と言われる...新型コロナが通常診療を圧迫
年に一つくらい使い慣れた薬が生産中止になる。効果がなくなったわけではなく、利が薄くなったかあまり売れなくなったか・・が理由だと推定する。勿論、代替えできる薬はあるのだがちょっと値が張ったり名前が馴染みにくく直ぐに憶えられず、しばらく躓いてまう。どういうものか薬価(厚労省の定める薬の値段)は時を経るとだんだん下がってゆく。四十年前に一錠二十二円だった薬が今じゃ九円五十銭などと聞くとあんまりじゃないかという製薬メーカーの気持ちが分かる気がする。中には殆んど利益の出ない薬もあるのだろう。この値上がりする世の中で改定のたびに値段が据え置きあるいは下がるのでは生産中止する会社が出てくるのも仕方がないと思う。医師が使う薬の値段は天丼やラーメンと違い店で決めるわけではなく行政の薬価算定組織で決められるので、薬品メーカー...生産中止になる薬
時折寄り合い語らい飯を食うただそれだけのことだが、暇乞いした後これが貴重な至福の時だと感じるようになった。故郷を離れ四十過ぎてからの友達なのだが、何度か一緒に外国に旅行もした。最後にもう一度行きたいと言いながら実現できるかどうか覚束ないが、かけがいのない友達と感じるようになったのはやはり年を取ったせいだろうか。私だけが当地の生まれ育ちではないので、彼らの若い頃の話には付いていけない時があるが、ああ昔はあそこに堤防があったんだ、橋が架かっていたんだと聞いている。集い飯を食い語らうのは普遍的な楽しみで民族を超えて人類に共通なものなのだと今頃になって気付いた。集い飯を食う楽しみ
半世紀以上前のことだが小説家が、確か吉行淳之介だったと思う、選挙なんか行っても意味ない私一人が行かなくても何も変わりはしないと言っていた。若い私はそうは思わなかったし塵も積もれば山となるのだが、すべての小説家がそうかどうかは知らないが知らぬ他人の意見などには耳を貸さなそうな人だ。まあ小説家の考えとは別種の心境と思うが、政治不信というよりは政治無関心政治諦観がこの国を覆い始めている。全く支持されていない政治家が極めて重要な政治案件を国民の意見を無視して自分勝手に決めてゆくのを止めることができない。政治は別世界で動いてゆくものだという感覚は恐ロシア感覚のように観測している。これが新しい戦前としたら本当に恐ロシア化だ。ロシア化する日本?
今朝は雨がしとしと降っている。雨を運ぶ気団は南から来たので昨日の午後から暖かかった。久しぶりの雨なので歓迎している。昔は雨で嫌な顔をするとお百姓さんが喜んでいると言われたものだ。夏の蒸し暑さは歓迎しない人が多いと思うが、それでも日本人は乾燥よりも湿気を好むような気がする。この雨でお百姓さんでなくてもほっとしている人は多いと思う。私がイエローカードを出したのにワンテンポ遅れて、行政が第八波警戒宣言を出した。遅れるのは当然、検査が不十分に加えデータがまだらなので現状把握が遅れるのだ。尤も、これは日本だけでなく、長引く感染で対応に息切れしている国が多いようだ。習近平の威光も新型コロナには全く通じない。感染が広がって大変らしいが、都合の悪い情報には蓋をする国なので正確なことは分からない。落ち込んだ経済から混乱して...恵みの雨
週末は暖かくなる予報だが、この二週間ばかり好天で乾燥して寒い。日中陽が射している間はまださほどでないが、日が陰るとエアコンでは暖まりきらず膝に毛布を掛けている。北国の人に氷点下でないのに寒いとはどういうことだと言われそうだ。全館暖房でないので階段や廊下は寒く、僅か十数秒のことだが震えながら移動している、家内にはガウンを羽織るように命じられているのだが。ユーチューブでシベリアのヤクーツクのリポートを見ていたら零下40度は寒いうちに入らないそうで零下50度になると寒いなどと土地の人が言っている。どういうこと、零下10度以下は極寒で寒いに決まっている、零下20度も40度も同じと思ったら、零下30度は暖かい春を感じるなどと言っている。半年零下が続くこの極寒の地に三十万人の都市があり、土地の人はここの空気はよく住み...極寒の地に暮らす
なぜか失くなる、失くすのではない。あの本はどこへ行った。孫の手がなくなった。リモコンが見えなくなった。子供の頃、恐ろしい神隠しというものがあると聞いた。幸いそうしたことを見聞きせずに後期高齢者になったが、何のことはない鼠隠しか猫隠しか知らないが、つい一昨日までいやついさっきまであったものが見当たらないことが頻発するようになった。阿保な話だが、こんなところに置いておくと分からなくなると仕舞い込んで、さて何処へ仕舞ったか分からなくなっている。取り敢えずはステレオのリモコンが見えなくなり困っている。五輪真弓の心の友が聞きたいのだ。猫隠し?
目の前に一冊の本がある。「祈りの島五島列島」。これは出会いだと感じている。学生時代の微かな郷愁に長崎を旅先に選び、訪れた出島の売店で表紙の写真が目に留まり買い求めた。迫害されたキリシタンの知識は僅かなものだが、子孫が今日に連なり今も残る教会群に深い感動を覚えた。不思議な縁を感じる。命長えばいつか訪れたい五島列島。出会った一冊の本
藤井VS羽生の王将戦緒戦は藤井王将が危うげなく僅か91手で勝利した。素人目には1ハ角で勝負あったように見えた。紛れを許さない手順で鮮やかに羽生九段の指す手を無くしてしまった。予想範囲だが、さすがに強かった。とにかく考える時間があれば、思わぬ手にも考え抜いて対応してくるので飛車を手にした羽生九段も肉薄できなかった。王将戦は藤井五冠の防衛、羽生九段が一局入れることができるかどうかという展開になった。昼飯では羽生九段に軍配を上げたいが、及ばなかった。オムライスが勝った。藤井王将は強かった
王将戦で夢の対決藤井王将対羽生九段が始まった。さすが羽生九段と私が言っては噴飯ものだが、封じ手まで五分五分しかも羽生九段が封じたので、やはり違うと感激した。羽生ファンには申し訳ないがタイトル戦でなければ対戦成績が示すように藤井王将が有利なのだが、タイトル戦でしかも百期が掛かる試合だと羽生九段の念力と戦術で殆んど五分に近い戦いになりそうだ。へぼの見立てではさすがの羽生マジックも藤井王将には通じないと思っていたのだが、緒戦の封じ手までの動きを見るとそうでもないかもしれないと今日の戦いに目が離せなくなった。内心はそれでも藤井王将がタイトルを防衛するとみているが、もし後手番の初戦で羽生九段が勝つと分からなくなる。世に天才と呼べる人は少ないがそれでも十指に余る。その天才でも羽生九段が謙虚にあっさりと将棋以外の才能は...天才決戦
年明けに新型コロナの感染者が増えて、一般診療に影響を与えている。第8波は立ち上がりが遅く長引きそうだ。おまけに今年はインフルエンザも出てきた。三年で八回目、それでもいまだに根本的で十分な新型コロナ患者対応の医療態勢が整わない。専門家の意見で司司でと言われるが、実際には司も都道府県レベルでの対応に頼っているのが実情のようで、比較的上手くいっている所から下手している所までばらつきがある。内閣政府の指導不足を批判した大騒ぎにならないのは、ウクライナ侵略戦争や物価高で国民の眼が逸れているのと慣れそれに大人しい国民性に依るものだろう。新型コロナの扱いを2類から5類にという現実的荒療治も一理あるが経済活動のために増える死者をどう受け止め説明するか政治家の覚悟と責任が問われる。多少の混乱はあるだろうが準2類といった現実...コロナ第8波に難渋
昨日は今年初めての絵の教室だった。年初の金曜日で生徒は僅かに四人、ちょっと寂しく少し寒かった。おばさん生徒さんの熱気もなく、天井が高く広い教室なので暖房が効きにくいのだ。まあちょっと億劫に感じる時もあるがきちんと通うことで年に何枚かの作品が完成できる。先生の指導も大切で有難い(十年選手でアドバイスも一言二言と少なくなった)のだが、何よりも継続は力なりと感じる。継続できているのは仕事をしていて教室に通っているからだと思う。毎日が日曜日だと意識して余程工夫しないとまとまったものは生まれない気がする。長崎で三十枚ほど写真を撮ってきた。この頃はデジカメ不要、携帯で良い写真が撮れる。何枚か作品にできそうなのがあるので取り組んでみたい。絵にすると不思議なことに写真とはまた違った印象が生まれる。絵にできそうな写真
何年くらい前からかはっきり分からないが十数年前からあちこちにナンで食べるインドカレーの店を見かけるようになった。チェーン店ではないと思うがインド人と思われる肌色と顔つきの人がやっている。彼らは総じて日本語が上手く発音も自然で、インド人に日本語はしゃべりやすいのだろうかと思ったりする。どの店も大体似たような値段でチキン、シーフード、ホウレンソウ、マトン、キーマカレーなどをナンと一緒に出している。自分はマトンが好きだ。牛丼や讃岐うどんよりやや高いが、それでも千円程度で昼時は結構混んでいる。このナンがカレーに合って病みつきになるほどおいしく二三か月に一度食べている。飲み物はラッシーが合う。インドも広いからカレーも場所によって違いがあると思うが、どういうものかもう十軒くらいの店に入っているが皆大体同じようなカレー...インドカレー
以前四つも五つも入っていた学会も少しづつ減らし今は内科学会だけ、あとは職種の日本医師会に所属しているだけで随分すっきりした。医学雑誌の購読も医事新報(週刊)だけにしたので、月に送っている会誌は六冊に減った。以前は月に十二冊ほどあり目を通すのが大変だった。勿論、六冊でも十分な量だが。このほかに時々、本屋に行ったり書評を読んだりして参考になりそうな専門書を購入する。一般の本の三、四倍の値段がするが、一つでも診療に役立つことがあれば良いと買ってしまう。元々医学書は高いという先入観があるので、五千円と言われてもそんなものかと支払ってしまう。旅行ガイドブックや料理本なら精々千数百円までで、実際そうした本はそのように値段が設定されている。なぜ医学書がこんなに高いのか誰か調べてせめて二三割でも安くしてくれないかと思う。...医学書の値段
元々どちらかと言えば乾燥肌だったせいで、寒くなると皮脂欠乏で身体のあちこちが痒くなって困る。同類の患者さんは多くあなたもですかと保湿剤を処方してあげている。毎日きちんと塗ればかなり有効のようで、冬になると希望者は多い。自分も時々使うがちょっと良くなるとすぐ塗るのを怠り、ぼりぼり搔いている。乾燥肌は父親譲りで指先も荒れやすい。指だけは仕事で使うので小まめに手入れをしている。子供の頃は全快膏という塗り薬があり、毎年富山の薬屋さんが持ってきて呉れていたが、富山の薬売りも来なくなって久しく最近はハンドクリームとメンソレータムを使っている。どうも年々暑さよりも寒さが苦手になってゆく。いくら寒い冬に慣れていると言っても、暖房の乏しい零下のウクライナはどんなに辛いだろう。発電所を狙って爆撃するプーチンロシアのなんと卑劣...寒さが身に沁みる
年が明け2023年になった。時及行楽と母が教えてくれた。長い休みは取りにくいので年末年始の機会を取らえて三泊四日で遠出をした。この写真で何処かお分かりになる人は少ないと思う。五十五年前同級生五人と九州を回った。既にTとHは亡くなり、昔話ができるSやOと会う機会も中々ない。懐かしの長崎の市電と坂道は健在だったが、あとは往事茫々飲み食いしたスナックの場所は皆目分からなかった。ただ異国情緒は今も残り、今回は出島を親しく見学することができた。二百六十年もの長い間、こんな狭い所にオランダ人を閉じ込めて僅かな交易を続けることができたのがとても不思議に感じられた。ジパングは謎の国、徳川時代とは何だったのだろうと改めて疑問が湧いてきた。唯一の被爆国で不戦の憲法を持つ国、運が尽きた太平洋戦争後奇跡の復興を遂げながら二十一世...年明けに
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長い間gooでブログを書いてきましたが、gooが店じまいするというので「はてな」に引っ越しました。ブログの仕様が異なり、よちよち運転ですが新天地で運転を始めました。ご興味のある方はまた読んでいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。駅前糸脈店主敬白移転先住所https://higshimaru.hatenablog.com/https://higshimaru.hatenablog.com/引っ越しました
gooがブログを止めるというので引っ越しを始めた。うまく行くかどうか手探りだが、「はてな」に引っ越すことにした。新天地でさてどうなることか。お名残り惜しいが、心機一転。取り敢えずご報告。引っ越します。
家内が夕飯作りに草臥れたというので、老夫婦で回転寿しに行った。私は光り物中心に八皿、家内も巻物デザートなど八皿で合わせて十六皿。会計は三枚でお釣りが来て嬉しかった。お腹が空いていても十皿が限界なのだが、隣の若い二人連れは三十皿近く積み上げていた。男性の方は中肉中背で大食らいには見えないのだが、一人で二十皿くらい平らげていた。自分も二十歳の頃はあれくらい食べられたと思う。若い力を目の当たりにした。隣の客はよく食う客だ
敵愾心を煽るのが得意な人達が活躍している。妬み辛み恨みを利用して他者を非難し不平不満を掬い取り、それで稼いだり支持を取り付けたりしている。人間には劣情がある。それを利用した戦術なのだ。昔、小学校でそれは醜いこと慎むべきことと教わったのでその感覚が身に染みている。それが絶対に正しいことかどうかは分からないが、それに人類の知恵が詰まっているのは確かだと思う。何でもあり、とにかく数を集めれば勝ち?の世の中では、人類の知恵がかき消されてしまう。今だけ金だけ自分だけには同感できない、明日もあなたも思いやりも大切だと思うのだが。敵愾心を煽る戦術
高い関税は脅しだろうと高をくくっていたら同盟国?にも掛け始め、どうも本気らしいと身構えたら僅か二週間で腰砕け、やっぱり脅しで交渉の手札だったと思わせる兆候が表れてきた。猫の目トランプに振り回される世界だが、アメリカが信頼できない国になったのは間違いなく世界秩序は変容した。色々な人が指摘しているようにこのピンチは日本が変わるチャンスだ。歴史の知識は乏しいが、日本は変わらない変われない国だいうことは歴史から分かる。革新する信長のような人物は例外で、故に本能寺の変が起きたと観測している。いつも変化をもたらしたのは外圧で、トランプは大きな外圧と捉えられる。これを利用して変らないと日本はじり貧になる。先送り隠蔽体質の自民党では駄目だ。ではどこにと代わる政党がないようでも変えないと、トランプがもたらした秩序破壊という...トランプという外圧
趣味は何ですかという問いに旅行という答えを時々見たり聞いたりする。今はそうでもないが、以前は旅行って趣味でするものかなあと妙な感じがした。史跡を巡るとか旨いものを食べに行くとか言われれば成程感が出てくるのだが、漫然と旅行が趣味と言われるとピンとこなかった。知らない土地に行ってみたいという好奇心が根底にあるのだろう。中には世界一周に出かける人もおられる。さすがに世界一周となると趣味を越えるようで半ば本業になってしまうようだ。世に転勤族と呼ばれる人達が居られる。お付き合いのある薬品メーカーの人はみなさん全国を何か所か転々とされており、住んだ土地の話を聞かせてもらうのは楽しかった。世の中で言われていることは概ね正確なようで、九州博多は良いですね。引退するなら静岡でしょうか。名古屋京都はやりにくいですと言われる。...旅行が趣味
備蓄米を放出しても米価が下がらない。価格は需要と供給で決まると思っていたのだが、何か別の絡繰りがあるらしい。米作の調整をしてきた政府は、この謎を解明して国民に説明する義務と責任がある。米食を減らして食パンやスパゲッティにしているという主婦がテレビに出ていた。需要が抑えられているのに米価が下がらない、どういうこと?。農家の販売価格が消費者の手に届く間に、どのように変化してゆくのか調査をして報道してほしい。もし米が不足しているのなら、備蓄米をすべて放出すればよい。新たな備蓄米は安くアメリカから輸入すればよい。カルフォルニア米は安くて十分美味しい。何故米価が下がらない
内科学会総会で大阪に行ってきた。自宅でオンラインでも受講できるのだが、長年の習慣で家内を連れて大阪に一泊した。私は勉強、家内は買い物。新幹線は半分が外国人で、何だか外国旅行気分だった。欧米人はともかく、どこかの国の人はエスカレータの乗り口を塞いで立ち話、思わず通り道ですと注意しようとしたら日本語ではなかった。大阪は二年振り、同じ大都会でもどこか東京とは違う。東京より立て込んでビルが多い、広告が多い、緑が少ない。関西と一口にいうが、関西はひとまとめにできない、京都大阪神戸で違うのだ。微妙というより大きく違う。好きかと言われると、すぐには返事ができないが、大阪にはエネルギーを感じる。大げさかもしれないが快適な新幹線乗って大阪の街を歩いて、まだ日本は大丈夫と感じた。大阪と新幹線
鶯の泣き声が聞こえる。初心者のはずだがきちんとホーホケキョと聞こえる。どこかで練習してから来たのだろうか。三月にも聞こえていた記憶があるから、きっとそうなのだろう。まだ時々冷え込むが、ずいぶん暖かくなった。桜も散り、あっという間に緑の若葉に置き換わり桜の木だった面影は消え、なんだか不思議な感じがする。そういえば今年はまだ桜餅を食べていない。柏餅に変わる前に食べておきたい。春夏秋冬と四季の味わえる日本だが、春は短い。五月は初夏で夏に入る気がする。新緑、青壮年には意欲の湧く季節なのだが、高齢者には少し重い。心が沈みがちの鬱傾向の人にも付いてゆけない感じがするようだ。多様を受け入れる柔らかい世の中がいい。鶯が鳴いている
トランプ大統領はあたふたと言うことが変わるが、実はこれも策略で裏に深い狙いを持っていると解釈する解説者が居る一方、ころころ変わるのは場当たりの表れで関税に捉われた視野の狭い愚策だと断ずる解説者も居る。当初、私もひょっとして深い戦略があるかもしれないと思わされたが、ここまで言うことがころころ変わると単なる乱心と思えてきた。誤った現状認識に基づいた愚策でパンドラの箱を開けて世界をカオスに陥らせた人物として記憶されることになるのではないか。しかしながら、決して自分の間違いを認めたり悪かったと謝罪しないから厄介だ。うまく行くと自分の手柄うまく行かないと誰か他者のせいにする。そうして岩盤支持層は繋ぎ留められ、一定の評価をする人たちは途切れないだろう。いくら何でも猫の目では
手品師ではないけれども、あまり手の内は明かさないほうが良いかもしれない。でもまあ、知って貰うのと理解が深まるかもしれない。病気というのは嫌なもので、中でも質の悪い病気は診る方も負担が大きい。有難いことに医学は進歩しており、癌と言えば死刑宣告のように響いた時代は過ぎ去り、早期のがんは治る時代に進行したがんもかなり生きながらえることができる時代になった。そうはいっても人間は心配から逃れることはできない。後医は名医と言われるように、早期に疾患を見付け適切に対処することは難しい。病気が少し進行してから診断することはさほど難しくない。市井の開業医はできる検査は限られているし、早期の疾患を診ることが多いので、簡単そうに見えるかもしれないが実は中々難しい。なんでも気軽に話せてご心配ありませんよと言ってくれる先生と思われ...手の内
見出しに本当や真相が踊る。実際に記事を読んでみると、たいてい本当や真相は書かれていない。そう思わせる状況や思惑が書かれているだけだ。人の目を引く釣り見出しなのだが、人はそれに釣られるし状況思惑でそうなのだと納得してしまう人も多い。どうも人間の遺伝子の中に話を信じてしまう思考回路が組み込まれているらしい。世に悪知恵のある人物は多く絶えることはない。どうすれば怪しい話うまい話・・に踊らされることから逃れられるだろうか。歴史と経験に学ぶことがその方策の一つなのは間違いない。万年の歴史から学ぶことは難しいかもしれないが千年の歴史からは学べる。千年の経験は不可能だが祖父母の伝聞まで広げれば百年の経験に手は届く、各々方今はその時と申し上げたい。本当と真相の語るもの
長くgooでブログを書いてきたが、gooがブログサービスを止めるという。どうしたものか。これが潮時とブログを辞めるか、あるいはどこかに移転するか。最初はブログというものがあるそうなと聞き、自分もやってみようと始めたのだが、いつの間にか習慣となり幾許かの仲間というか知己もでき、ボケ防止とストレス解消の効果もあり続けてきた。毎日三、四十分ばかり、最近は日記のように書いていた。サービス中止まで数か月あるので、一か月くらいどうするか考えたい。どうするか、思案投げ首
ユーチューブから世の中の情報を得るようになって三年ほど経つ、新聞は全国紙二紙を読んでいるが地上波テレビはほとんど見なくなった。ユーチューブの登録チャンネル数は三百くらいあり、ほぼ毎日チェックするものからニ三か月に一度チェックするものまで色々だ。三百以上はあまり増えない。というのは月にいくつか新たに登録するが同じくらい登録を外すものがあるからだ。視聴登録数がみるみる増えたチャンネルにPIVOTがある。比較的中立で経済に力点が置かれている。ゲストが適切でインタビュアーの質問も的を得ていて聞いてみたいことを聞いてくれる点が視聴者が増えている理由と思われる。竹下隆一郎氏が抜けても勢いに陰りはない様子だが、それには新しい魅力的な女性陣の力が与っているようだ。移転した竹下氏のCROSSDIGがどの程度伸びるか不明だが...PIVOTはPIVOT
友人のS氏がコーヒーに凝りだし、豆を挽いて飲むと美味しいですよと言われるので自分も豆を挽いて飲みだした。実は二十年ほど前は自分も豆を挽いて飲んでいたのだが、ちょっと億劫になり最近はインスタントを飲んでいた。まあ最初はブラジルが良いかとブラジルから始め次いでグアテマラと飲んでみた。確かに香りがよく美味しい。ちょっと手間がかかるが色々な豆を試す楽しみもある。さて次はと迷っていたら、今月お得なのはペルー産ですというのでそれを買ってきた。お得と言ってもコーヒー豆は高騰しており100g700円もした。ペルーMべロニカ、果たしてどういう味がするだろう。職場に着いたら早速飲んでみたい。ペルーMベロニカは初めて飲んだが、マイルドで苦みは少なくわずかな酸味に旨味があり飲みやすく美味しかった。単独もよいがケーキも合いそうだ。ペルーのコーヒー
左足の親指が腫れて痛く、この二三日びっこを引いている。痛風だねというのが医者の反応だろう。ところが後期高齢者の場合違うことも多いのだ。実は階段を登る時、左足が思ったほど上がっておらず躓いてしこたま親趾を打撲してしまったのだ。幸いあと二段ほどだったので、二階に倒れこみ階段から落ちるのは免れたのだが、打撲の後遺症でびっこを引いている。年を取ると僅か1cmのことだが足が思ったほど上がっていないことが起きる。以前にも軽く躓くことがあり、気を付けていたのだが今回に懲りて、今は意識して足を挙げて兵隊の行進のように階段を登っている。それと階段は真ん中は歩かず手摺のそばを昇降している。転倒は高齢者に思わぬ障害をきたすことが多い。いつも段差にはご注意と申し上げているのに、自分が怪我をしてしまった。極めて遺憾だ。左足の親指が腫れて痛い
ユーチューブで政治経済の解説を視聴している。皆さん色々なことを言われる。バランスの取れた視野の広いものよりも自分の主張が正しいというニュアンスのあるものの方が多いかもしれない。そうしたユーチューブも結構な視聴回数なので、そういうものかと思っている。何十万という視聴回数を持つものには色々なゲストに様々な視点から解説を聞くバランスの取れた公平客観的な感じのものが多い。そうしたチャンネルに登場する中で成程と感じることを言われる三人に注目している。それはエミンユルマズ、ジョゼフクラフト、モーリーロバートソンの御三方だ。日本語も日本人以上に巧みで、見方はそれぞれ違うのだけれども視野が広く鋭いことを指摘される。ロジカルでしがらみがないせいかもしれない。とても参考になる。外国名だけれども
結構涼しいというか寒いといってもいい日が多かったので桜が長持ちした。入学式の日にも満開の桜が見られた様子だ。地方によって新学期の日は異なるようだが七日八日のところが多かったのではないか。七十年前で今では記憶も薄れたが、自分が小学校に入った日にも桜が咲いていたと思う。大した風もないのに桜は散る、桜吹雪の中を出勤している。株価が乱高下し、経済学者から評論家、素人のはずなのに色々口をはさむ人まで百家争鳴で解釈予想がネットで乱舞している。私も爺のつぶやきに過ぎないが、政治経済のことを書くので人間には世の中のことを色々気にしたり考えたりして発言したい性質を持った人間が居るのだと分かる。女性も居るが男の方が多い。自分の場合、多少のストレス発散になっている気がする。百家争鳴に参加
トランプ関税発表直後、証券アナリストの多くは米株価は下がるが日本株の下げは大きくない、35000円で底だなど色々勝手なことを言っていた。ところが、株価は下げ続けて大きく下落した。一体どこが専門家なのだろう。確かに明日のことはわからないのだが、わからなさにも専門性があると思っていたがトランプが相手では考えても分からないということか。トランプの関税は単なる脅しで、米株価下落を気にするから実際には高い関税は掛けないと言われていたが、現実は株価暴落もなんのそのしばらくすれば回復する我慢しろと突っ走っている。トランプ自身は意図も予期もしていなかったと思うが、パンドラの箱を開けてしまった。アメリカには頼れないアメリカは信用できないというパラダイムシフトが起き始めている。日本の政治家も経済人もまだそこまでは考えていない...パンドラの箱を開けた
デイープヴォイスと言うらしいのだが、懐かしのヘレンシャピロをネットで見つけ聞いている。「悲しき片想い」青春の忘れられない歌声だ。昔はラジオが主だったからこんな女性だったのだと映像を見ながら聞いている。曲も歌詞もよいが、何と言っても声に不思議な魅力がある。声の魅力と言えば吉田日出子の「林檎の木の下で」も挙げておかねばなるまい。否、倍賞千恵子、アレサフランクリンもと・・挙げ出せば次々出てくる。不思議な声の魅力
人相というとどうも褒めない方に使われることが多いので気を付けて使いたい言葉だが、顔が物語ることは多い。誰でもある程度長く生きていると顔から人を推しはかる能力を知らないうちに身に付ける。勿論、外れることはあるのだがやはりとゆうことは多い。多くの人が頷かれるだろう。リンカーンが四十になったら自分の顔に責任を持たねばならないと言ったと読んだことがある。色々な人が似たようなことを言っているから、間違いない所だろう。誰もが政策の実現可能性や政治家の言明の信憑性を裏付ける大量の情報を持っているわけではないし分析する能力に恵まれているわけではない。しかし誰もが人相と表情を読むことはできる。選挙の時はマスコミや噂などは参考にとどめ、要するにこの人物は信用できそうかと受け答えする表情と声音、レンズを見つめる人相を見極めるこ...顔は雄弁
嫌な顔をされるのが苦手だ。救急外来に患者さんをお願いする時、出てくる医師によっては声から嫌そう面倒くさそうな顔が分かるのでどうしても下手に出てしまう。いい年をして、情けないと思いながら受けてもらわないと困るのでお願い口調になる。お忙しいところ申し訳ありませんがどうぞよろしくと電話口で頭を下げてしまう。医師によっては笑顔が見える受け答えで、はいはいどうぞと言ってくれる。需要と供給は権力とは違うけれども、権力に似ている。不利というか立場の弱い方が下手に、有利と言うか立場の強い方が横柄になる傾向がある。尤も救急外来は忙しくて大変なところだが、あまり横柄だと批判が出るし競争原理が働いて依頼が減るので応対は改善されてゆくことが多い。立場によって
このところ外食が増えている。外食で困るのは、家内が食べきれないからと私に色々呉れることだ。食べようと思えば食べられるし残してはいけないと教えられて育ったので食べ残すのも気が進まない。ダイエットが中断されて大袈裟だが遺憾だ。この頃は無念だが断っている。日本では食べきれなかった分を持ち帰るのが難しい、言い出しにくい、嫌な顔をされる、断られる。勿論、どうぞというところもあるが。小食者用というか高齢者人口も増えたことだし高齢者用の七分目の量のメニューを作って欲しい。採算的に難しいのは分かるので値段は一二割引きで文句は言わない。ところが実際には単に量を減らしただけのメニューは出しにくいらしく、殆んどの店で見かけない。もっと客の多様性を考えてと申し上げたい。家内は写真のリンゴは毒林檎というが本当だろうか?。毒林檎の苗...できないものか?
遠い昔、寛容と忍耐と説いた首相が居られた。それに習い、異なった異なった意見にも耳を傾けるのを信条としてきた。しかし高齢者になってくるとあにはからんや円熟とは参らず、少しづつ忍耐力の衰えを感じるようになった。年を重ねると穏やかな達観の境地が訪れるというのは希望的観測のように思われる。私が残念な例外という可能性もあるが、どうもそういうわけでもなく寛容はともかく忍耐力は年と共に衰える傾向があるように感じ観測している。尤も、判断力が付いて評価に値しない意見に貴重な時間を使わなくなったと言えるかもしれない。いづれにしても、この人の言うことは聞いていられないと思う人が増えた。勿論、一二割は頷ける意見や考え方を含んでいるのだが根本のところで堪えきれない軋轢音を発生するのだ。堪え性がなくなる
限られた経験だが、四十代と思しき歯科衛生士にお目にかかったことがない。殆んどの歯科衛生士さんは二十代だった気がする。今お世話になっている歯科の衛生士さんは二十四、五、六才の気がする。歯科衛生士さんは普段はあり得ない距離でお顔を拝見できる。見まいと思っても腕や首が目の前に迫ってくる。日本人女性はと言っても外人をよく知っているわけではないが肌が細かく美しい。若いから皺がなく大袈裟かもしれないが若さで輝いている。何故歯科衛生士は若い女性ばかりなのか知らないが、アラフォーだと再雇用の口がないのかなと推測する。歯科衛生士は若い
まさかということが起きた。人類とは思えない強さの藤井八冠が伊藤匠七段に敗れ七冠になってしまった。今期に入り永瀬九段などにやや不調ではと言われていたのだが、調子を落としていたのだろうか。勝勢から逆転負けするなんて、今までの藤井には考えられないことだ。大谷も一時通訳の不祥事で調子を落としていた。やはり二人とも人間だった。伊藤が勝てるならと端から気勢を削がれていた棋士達が新たな戦略で向かってくるだろうから、藤井七冠もこれから大変だろう。しかし、タイトルの数など気にせず目の前の一局に全力を注ぐ人柄なのでこれからも名勝負を楽しませて貰えると思う。十一連敗からの奪取、師匠はありがたいね。師匠の宮田八段は伊藤が勝ちますと断言していた。藤井敗れる
五十年以上の長い記憶のある国民は、とりあえず平和そうな日本も内実はあちこちガタが来ていると思われているのではないだろうか。特に劣化しているのは政治家だが、もう一つ改革が必要なのはマスコミだ。自立しておらず金と権力におもねる姿勢が透けて見える。政治資金規正法が成立したが、形だけの改善で抜け穴だらけのザル法だ。十年後に領収書を公開するなど何の意味もない。しかも一部は黒塗りだ。それを衆議院賛成参議院反対と支離滅裂な維新の馬場代表が得々と支持している。阿保らしくて話にならない。国会中継の党首討論で岸田首相の答弁を聞いていると国民よりも自民党議員を守っているのがよく分かる。日本の政治家は選挙のことしか考えていないという米国投資家の批判は当たっている。情報が操作されては票が資金力で左右されてしまう。政治家とマスコミ
新型コロナがここにきて再びやや増加し始めたようだ。地方都市の一診療所の報告だからどこまで正確に全体像を伝えているか不明だが、今日複数の陽性者が出た。死亡率を下げて生き延びようとするウイルスの戦略は恐るべきもので、インフルエンザの向こうを張る存在になりつつある。嫌なものは早く忘れたいのが人間の心性ではあるが、厚労省はそうであってはならず科学的に粘り強く対応していただかねばならない。災害は忘れた頃にやってくるが、悪疫は忘れようとすると盛り返すから油断は禁物なのだ。新型コロナくすぶり続けている
今朝は本降りで風があり、なかなか辛い駅までの歩きだった。株式投資で大儲けするのは五十人に一人程度と言われている。ギャンブルはどうだろう。似たようなものと思われる。困ったことに?、この五十人に一人の人達があたかも二人に一人居るようにうまい話が喧伝されている。証券会社や株予想で仕事されている人は、素人が株投資すると損しますよとは言わない。儲かりますよと上がりそうな銘柄を紹介しても必ず小声で買う時は自己責任でと釘を刺している。政治家も似たようなもので、不都合なことは言わない。アべノミクスで大企業が儲かればおこぼれがあると聞いたが嘘だった。嘘だったと責めれば**が悪かったせいだと上手に責任を逃れる。まあ嘘と言えば聞こえが悪いが夢と言えば美しく響く。夢を売る仕事と言われてしまうと咎めにくくなる。夢とまでは言わず商売...五十人に一人
距離と時間は長く生きて居ると短くなる。自分を尺度にするから、短く感じるようになるわけだ。唯、距離は交通機関の発達もあるから科学技術の進歩も与っている。一年が短くなった一か月が短くなったと感じるわけだが、この頃は一時間が短くなったと感じる。一週間が早くなったとよく聞くが一時間が短くなったというのはあまり聞かない。しかし、自分はこの頃一時間が短くなったと感じる。そのうち一分が短くなったなどと言い出すかもしれない。短く早く感じる
愛飲するウイスキーがボトルにあと半分、まだ半分あるという人ともう半分しかないという人が居る。中にはちょうど半分だという散文家も居るだろう。還暦が人生の感慨深い通過点だったのは半世紀前のこと、今では赤いちゃんちゃんこを着る人は殆んどいないだろうが、六十になった時あと四分の一かと鬼が笑うようなことを思ったものだ。今ではあとどれくらいなどという、逆立ちしてもどのみち残り少ない年月を思いめぐらすことはなくなった。行けるところまでというのが、多くのご同輩の心境だと推察する。それにしてもバイデンとトランプは外れている。トランプと同い年の自分は顧問はできても社長院長大統領・・トップは難しいと断言できる。半分はどれだけ
寒い時に暖かい食べ物が美味しいように、暑い時には冷たいものが美味しい。何時からかき氷が庶民の御馳走になったか知らないが、慌てて食べると額がツーンとするかき氷では宇治金時が一番好きだ。同意される方も多かろう。これが許せんことにかなりお値段が張るのだ。子供の頃どころか成人してもしばらくは簡単には手が出なかった。せんじと言って分かる人はどれくらい居られるだろう。宇治金時に手が出ないころはもっぱらせんじを頼んでいた。ぜんざい、お汁粉は全国的に通じると思うが、大判焼きやせんじは全国版ではないのを故郷を出て初めて知った。暑い日には冷たいものが美味しい
痩せる方法は数えれば何百もあり、色々な人が本やユーチューブ動画で提案している。何百種類といっても基本的なところは似ており、数種類にまとめられる。ただ、独自性を出すためや商業的な思惑があって、少しづつ変えている変わっているだけだ。食事と運動が基本でそれに睡眠時間や仕事と自宅での生活習慣と体質が加わる。ではなぜ、それほど沢山の方法があるのに中々痩せられない人が多いかというと結局はきちんと実行できない人が多いからだ。肥満された患者さんに受診された時注意をすればできない言い訳があれこれ返ってくる。強く言えば反発する人嫌がられる人も多く、その塩梅は難しい。高脂血症や高血圧症でコレステロールの多い食品や塩辛い味付けを避けるように減らすように説明しても、中々守れない人も多い。幸い今はとても良い薬があるので、食事が厳格に...人間は思うようにできない
街中の蕎麦屋中華料理屋・・を選ぶ時は、味と値段そして雰囲気で決めてゆくわけだが、まず選び損ないというか失敗というのはないと思う。自分が気に入ればそれでよいわけで違ったということもあるかもしれないがそれは非常に稀だろう。ところが医者や歯医者選びでは時々間違いが起きる。というのは食べ物の美味しさと違い医者や歯医者の能力得意分野は素人には分かりにくいからだ。後期高齢者になって、年に二回歯の点検と歯の磨き方の指導を受けているが、もっと早く今の先生のところに来ればよかったと後悔している。そうすれば多分抜かないで済んだ歯が何本もあるのではと思う。店の選び方
今朝は比較的涼しい。季節感覚を失ってしまったように感じる、季節がはっきりしない日が時々紛れ込むようになった。今日の日付が答えられない認知症が忍び寄るお年寄りに今何月ですかとお聞きすることがある。それも答えられないと今の季節は春夏秋冬のいつですかと聞く。季節くらいは分かるだろうと思っても結構外す患者さんが居られる。挨拶など普通にできるのにと意外に感じるが、この頃は気温の上がり下がりが大きく陽気が不安定なので、間違えるのもしょうがない気もする。冷やし中華に柏餅と食べ物屋は供するもので季節を告げるが、医院では六月になってもインフルエンザBが出たりして、医者が目をこすって何度も結果を見つめている。今、何時だい
五、六年前に比べたらユーチューブを見るようになったので、少しはマスコミで話題になる人を識別できるようになった。人物と同じように時々見かけ聞きかじる知らない言葉の意味もある程度分かるようになった。知らない言葉は文脈から何となく意味が分かることもあるが、キーボードを叩いて意味を調べないと分からないことも多い。たとえばリスキリング、ディスルなど分かったような分からない言葉も解するようになった。勿論、こうした言葉は知らなくても生活できるが、世の中の流れ雰囲気を理解するには、知っておいた方が良さそうだ。しかしなぜカタカナ英語と言うか短縮語を使うのか、どこかに上滑りで済ましじっくり深く考えるのを避ける風潮があるようだ。その背景に情報過多があるのは間違いない。知らない人と知らない言葉
東京都知事選挙、蓮舫VS小池百合子の一騎打ちだったはずだが、予想通りの貶し合いというか悪口の言い合いで、それが飛び込み参戦の石丸氏に有利に働き三つ巴になりそうな気配だ。尤も石丸氏も人気が出ればどこからか否定的な情報が出てきて叩かれるだろう。ドレッシングというのはサラダの材料本来の味を引き出し引き立たせ美味しくするもののはずだが、東京都知事選では不味い苦い悪臭を放つドレッシングを掛ける連中が居て、肝心の政策の吟味が霞んでしまいそうだ。都民の方は怪しげなドレッシングを断固として断り、塩コショウ酢サラダオイルのシンプルで間違いのない自家製のドレッシングで政策と人物を確かめて投票していただきたい。これでは本来の味が分からなくなる
ユーチューブはそれこそ玉塵混淆で良質なものを見付けなければ時間の無駄になってしまう。積極的にユーチューブサーフィンをしているわけではないが、様々なチャンネルが目に飛び込んでくる。面白いもの有用なものを登録してきたが登録チャンネル数が三百近くになって限界と感じ、結局は見ないものは削除し始めている。ユーチューブを見て驚くことは、世の中にはどうしてと思う程自分の主張を発表せずにおれない人が多いことだ。まあ自分もブログを書いているので、お前もと言われそうだが人間には発信したい人が多いようだ、生存証明にもなっているらしい。多様性に寛容でありたいと思うので、さまざまな発言主張を見聞きしているが、中には強烈と言うか独善と言うか異論に攻撃的なチャンネルも結構ある。正直どうもそういうチャンネルは見ると嫌な気持ちになったり疲...ユーチューブ界隈
中華料理に粥がある。中華料理と言っても色々で一概に油を使ったこってりばかりではないが、それでも香辛料がきつかったりカロリーが多かったり胃腸に負担を掛けるものが多い。そこでそれを和らげるためにお粥が登場しているのだと思う。昔は少ない穀類で取り敢えず満腹を実現するための方策という意味もあったかもしれない。どうも外食が続くと体重が増えてしまうので、お粥というのも良い方法かなと思ったりしているが、中々実現はできていない。一番簡単な方法に一食抜くというものであるが、これは健康的にはあまりお勧めできない。自分が健康で居るのも仕事のひとつなので、どうするかと体重計を睨みながら考えている。粥の知恵