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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 旧坪井川河道の跡

    壺川小学校裏の民家(下の地図の赤〇)が解体され更地になっていた。この家は旧坪井川河道(地図の黒いライン)が湾曲している場所にあたる。既に整地が始まっていたのでわからないが、旧河道の土手の痕跡があったのではないかと思う。10年ほど前、黒ラインの上端辺りの家の長老に会ってお話を聴いた時、家の裏に古い土手の跡があるとおっしゃっていた。普通の民家なので調査などは行わずに工事を行ったものだろうが、坪井川の歴史を確かめるいい機会ではなかったかとちょっと残念な気がした。解体前の民家(正面突き当り)家の位置と旧坪井川河道解体され整地が進む更地旧坪井川河道の跡

  • 郷土芸能の伝承に励む高校生にエール!

    天草伝統の唄と踊り「牛深ハイヤ」を守る牛深高校郷土芸能部は、全国高校総文祭に25回出場し、日本一に輝いたこともある名門。しかし、少子化の影響で生徒数が減少、2年前の春には3年生が卒業し部員ゼロという存続の危機に立たされたこともあったという。その年の熊本県高校総文祭パレードでは郷土芸能部門の常連である牛深高が数名の部員で参加し、とても寂しかったことを覚えている。今年の1月だったか、NHK九州・沖縄で放送された「キミだけ応援団」や5月に放送されたNHKの「ひむバス!」などでその活動が紹介され、復活の兆しを感じてはいたが、今日、今年の熊本県高校総文祭パレードをナマで見ることができ、踊り手、地方ともに10名以上のメンバーが揃っていることを確認して安心した。郷土芸能は伝統を繋いでいくことが大変だと聞く。何とか頑張っ...郷土芸能の伝承に励む高校生にエール!

  • 大相撲と熊本

    大相撲五月場所は、初土俵から7場所目という、まだ大銀杏も結えない大の里の優勝で幕を閉じた。評論家が口を揃えて「横綱の器」だという大の里はおそらく大関昇進までそれほど時間はかからないだろう。最近、やたらと多い短命大関にならないことを願うばかりだ。かつて熊本は相撲の聖地だった。それは相撲の宗家である吉田司家があったからである。僕らが子どもだった頃、新横綱が誕生すると藤崎八旛宮の参道沿いにあった吉田司家で免許状の授与が行われていた。吉田司家はもともと越前国の武家。後鳥羽天皇(平安末期-鎌倉初期)の時代、初代の吉田家次が節会相撲の行司官に任ぜられ、以後、相撲の宗家として代々「追風」の号を名乗った。肥後細川3代の細川綱利公の時、招かれて熊本藩に仕えた。寛政元年(1789)19代吉田追風が「横綱」を考案し、谷風梶之助...大相撲と熊本

  • ジェット・ストリーム(再編集版)

    20代の頃、会社の担当者会議でよく東京に出張した。1日で会議が終わる時は熊本ー東京間を飛行機で日帰りした。ある時の出張の帰り、熊本へ向かうJAL最終便の離陸を待つ機内でラジオを聴いていた。少し遅れて搭乗してきたダンディな紳士が隣りに座った。この紳士、他の乗客と様子が違っていた。離陸する時、頭を傾げてじっと聞き耳を立てていた。僕は気にしない素振りをしていた。飛行機が上空に上がって安定飛行に入った時、その紳士が突然話しかけてきた。「いや、私もね、この飛行機を操縦するもんですからね、離陸と着陸は気になるんですよ」。そうですかと答えた僕に「今日の機長は上手いですよ」と続けた。それからしばらく、お互いの身の上などを語り合った。紳士が「どこにお住まいですか」とたずねたので、「京町です」と答えた。すると紳士は「それじゃ...ジェット・ストリーム(再編集版)

  • 「光る君へ」と藤原保昌

    大河ドラマ「光る君へ」には肥後国司を務めた清原元輔(清少納言の父)が登場しましたが、もう一人、同じく肥後国司を務めた藤原保昌(ふじわらのやすまさ)は武勇の誉れ高く「道長四天王」の一人とも呼ばれた人物ですので登場してもおかしくありません。熊本県観光連盟のウェブサイト「ふるさと寺子屋」には肥後の名国司の一人として保昌のことが次のように紹介されています。▼強盗の親玉も恐れる国司藤原保昌(ふじわらのやすまさ)昭和の初めまで藤原保昌が肥後の国司であったことは、伝承でしかありませんでしたが、『御堂関白記(みどうかんぱくき)』と称される藤原道長の日記に「藤原保昌を肥後守にした」と記されてあります。保昌は有名な武士で、強盗の親玉が恐れる程の人物でした。寛弘二年(1005)に肥後の国司が殺される事件があり、強剛な保昌が任命...「光る君へ」と藤原保昌

  • VRおじさんの初恋

    最近はテレビドラマといえば、大河や朝ドラをつまみ食い的に見るくらいだが、1回15分という気楽さもあって、珍しくズーっと見たのが「VRおじさんの初恋」(NHK)。最初はVR(バーチャル・リアリティ)の中の物語というので、ちょっとメンドくさいドラマかなと半歩ほど引き気味に見ていた。しかし、見始めると妙に心に響くものがあった。ドラマの中のVRはおそらく近未来のものと思われるのだが、そこに描かれているのは時代を問わない人間臭いドラマ。80の坂が見えて来た僕にとって、人生を振り返り、自分を見つめ直すこともあり、そこには「生き直し願望」のようなものが生まれる。仮想空間上のアバターに託して別の世界を生きてみたいという主人公たちの願望が痛いほどわかる。そしてアバターが自分自身のリアルワールドにおけるふるまいにも影響を与え...VRおじさんの初恋

  • まぼろしの銘菓「さおしか」(その後)

    先日、25回忌を営んだ亡父が幼い頃(大正時代初期)日参した泰勝寺の長岡家でふるまわれた銘菓「さおしか」。その「さおしか」を製造販売していた老舗菓子舗・福栄堂さんが、味噌天神近くで火曜日だけ営業しているという「肥後ジャーナル」の記事を発見し、直接福栄堂さんに電話をかけて確かめたのが昨年11月のことだった。わが父の思い出の菓子だったことや今でもどこかで作っていないか探していたことなどを女将さんに説明した。その折、今は「さおしか」は作っていないが、復刻を検討していることや合志市須屋の大盛堂さんが同じような作り方で「さおしか」を作っておられることをご紹介いただいた。しかし、ひょっとして25回忌までに福栄堂さんが「さおしか」を復刻されるかもしれないという微かな期待があり、大盛堂さんを訪れることはなかった。その後の経...まぼろしの銘菓「さおしか」(その後)

  • 高瀬裏川花しょうぶ

    今日は所用で玉名に行ったついでに高瀬裏川の花しょうぶを見に行った。思えば玉名に初めて勤務した昭和46年(1971)裏川沿いの、かつて米問屋だった町家を工場立上げ要員の仮住まいとして借りていた頃から53年という歳月が流れた。高瀬裏川というのは、現在の玉名市中心部が肥後高瀬藩だった頃、菊池川流域でとれた米を積んだ平田舟が行き交った運河で、河岸には町屋や蔵が軒を連ねていた。今も往時の風情を感じる町屋が残っている。肥後米の積出し港として栄えた高瀬町は、菊池川とその支流の繁根木川の中州にできた商業の町。古代から菊池川河口に開けた港町でもあった。古くから関西、関門、博多方面と交流があったと伝えられる。江戸時代には高瀬藩の御蔵が置かれ、肥後米最大の積出し港となっていた。この港から積み出し大坂堂島へ運ばれた米は「高瀬米」...高瀬裏川花しょうぶ

  • 伊勢へ七度 熊野へ三度(考察)

    「伊勢へ七度熊野へ三度」という俚諺がある。国語辞書には「伊勢神宮や熊野三社へたびたび参ること。信心の深いこと、また、信心はどんなに深くしても限りはないことのたとえ。」とある。そして、多くの場合、あとに、「愛宕様(山)へは月参り」と続けていう。いったいいつ頃からいわれ始めたのだろうかと調べてみると、コトバンクに「伊勢へ七度熊野へ三度」の初出の実例として「浮世草子・風流比翼鳥(1707)」が挙げられていた。江戸中期ということになる。しかし、それよりさかのぼること100年、江戸初期の阿國歌舞伎歌の中に「茶屋のおかかに末代添はば伊勢へ七度熊野へ十三度愛宕様へは月参り」という詞章が既にある。阿國歌舞伎は中世から近世にかけて流行した小歌などを取り込んでいるそうなので、この詞章も巷で歌われていたと考えられる。そこでオヤ...伊勢へ七度熊野へ三度(考察)

  • ポケットコンピュータとエイティーズ(80's)

    ブログ友の「小父さんから」さんが、電機メーカーのシャープが大阪のテレビ向け液晶パネル工場を生産停止したニュースを取り上げておられた。日本の電機メーカーが市場を切り開いてきたテレビ用の液晶パネル産業は、最後に残されたシャープの生産終了によって、事実上、幕を下ろすことになるという。日本の家電メーカーの凋落には「諸行無常」の思いを感じざるを得ない。中でも僕にとってシャープには特別な想いがある。1980年代の初め、僕は東京で勤務していたが、ちょうどその頃、パソコンが普及し始め、間接部門のOA(オフィス・オートメーション)化が始まった。その頃のパソコンというのは今から見れば、やっかいなシロモノで、「パソコンを使う」ということは「プログラム言語を使ってプログラミングする」ということだった。社員のほとんどがおよそコンピ...ポケットコンピュータとエイティーズ(80's)

  • 第29回くまもと全国邦楽コンクール

    邦楽の祭典「~長谷検校記念~第29回くまもと全国邦楽コンクール」が熊本市民会館で行われます。熊本市鍛冶屋町に生まれ、九州系地歌を全国に普及させた長谷幸輝(ながたにゆきてる)を記念して平成5年から始まったこのコンクールも今年で29回を数え、若手邦楽家の登龍門となっています。今年はどんな若手が飛び出すか楽しみです。本選出場者のメンバーが下記のとおり発表されました。日時:2024年6月9日(日)10:00〜会場:市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)入場無料今年の出場者で個人的に注目しているのは、筝曲部門の安嶋三保子さん、尺八・笛音楽部門の出会ユキさん、三味線音楽・胡弓部門の今藤政優さんなどです。第29回くまもと全国邦楽コンクール

  • 父の二十五回忌と「受け念仏」の話

    今日は父の二十五回忌。自宅に近親者のみ集まってささやかな法要を営んだ。最後に菩提寺ご住職の法話があり、浄土真宗の「受け念仏」についての話があった。大要は次のとおり。――私の恩師がアメリカのシアトルに招かれて広島県出身の信徒に法話をされたことがある。その時、今日、日本ではほとんど行われなくなった「受け念仏」が300人以上の信徒によって行われ、異常なほど盛り上がった。「受け念仏」とは、説教者のお話の中で、聴き手がいいお話をいただいたと感じた時はその都度手を合わせ「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と唱えること。その信徒たちは広島県からアメリカに移民として渡った人たちの三世・四世の人たちで、父母や祖父母などからそうするように教わって育ったという。日本では既に廃れてしまった宗教的風習が遠く離れたアメリカの地に残っていて感...父の二十五回忌と「受け念仏」の話

  • 「草枕 鏡が池」のモデル

    昨日、子飼へ車の給油に行った帰り、泰勝寺跡の前を通ったのでちょっと立ち寄った。昨年、一時干上がった池の現状が気になっていたからだ。満水まではいかないが4分の3くらいまで水位が戻っていて安心した。2016~2017年に開催された夏目漱石記念年事業の一環として出版された「漱石の記憶」(熊日出版)の中に、中村青史先生(元熊大教授、2023年8月没)の「草枕鏡が池のモデル」という小論が掲載されていて、漱石の「草枕」に登場する「鏡が池」は泰勝寺の池がモデルではないかと推論されている。「草枕」の「鏡が池」のくだりでは、画工と那美さんのやりとりの後、「鏡が池」の描写がある。--------------------------------------------------------------------------...「草枕鏡が池」のモデル

  • ビートルズ60年

    ザ・ビートルズが「ラブ・ミー・ドゥ」でメジャーデビューしたのは1962年10月のこと。しかし、日本では1964年2月に発売された「IWantToHoldYourHand(抱きしめたい)」がビートルズの日本デビュー曲となった。この1964年がいわば日本のビートルズ元年といえる。僕は当時も今も特別なビートルズファンというわけではないが、彼らが世に出た頃が一番音楽を聴いていた時期なので、その時代の空気感みたいなものはよく憶えている。この1964年、僕は高校を卒業して上京した。この年は東京オリンピックの年で、大学の水泳部もシーズンインがいつもの年より早く、まだ卒業式前の2月に入ると早くも大学水泳部の寮に入った。慣れない寮生活で楽しみと言えば、高校時代からのラジオでヒットポップスを聴くことだった。なかでも熊本では聞...ビートルズ60年

  • 清少納言と清原元輔そして檜垣媼

    昨夜のNHK「歴史探偵」のテーマは「清少納言と枕草子」だった。大河ドラマ「光る君へ」を放送中なので番宣の意味もあったのだろう。「清少納言と枕草子」についてはこれまでも「100分de名著」などいろんな番組で取り上げられてきたので、あらためて内容については触れない。そこで、清少納言の父親、三十六歌仙の一人で肥後国司を務めた清原元輔との関係について気になっていることを記しておきたい。清少納言は生没年不詳とされているが最近では康保3年(966年)生まれとする説が有力のようだ。ということは、元輔が59歳頃に生まれたことになる。現代でも70歳前後で子を生す人はいるので不思議ではないが、平均寿命が50歳くらいだった平安時代に随分お元気だったのだなぁと思う。元輔が天延2年(974年)周防国司として赴任した時、清少納言はま...清少納言と清原元輔そして檜垣媼

  • 60年の歳月を隔てて

    今日ネットニュースで嬉しい写真を見つけた。ドジャースの専属カメラマン、ジョン・スーフーさんが今日、自身のインスタグラムに公開した、大谷翔平選手と日本人初のメジャーリーガー、村上雅則さんのツーショット写真だ。60年前、それまで日本人にとっては遠い夢の世界だったメジャーリーグに先鞭をつけた村上さんと、今やメジャーリーグのトップスターとなった大谷選手。60年の歳月を隔てて二人が並び立つ姿を見て感慨もひとしおである。MasseyMurakami(村上雅則)メジャーリーグ初の日本人選手、村上雅則さんがSFジャイアンツのリリーバーとして活躍したのは1964年と1965年。当時の日本ではMLBのテレビ放送などはなく、毎朝、新聞のスポーツ欄で確かめ、たまに数日遅れの映像をテレビで見るのが楽しみだった。さらにその3年ほど前...60年の歳月を隔てて

  • 伝説の起り

    先月、NHK「歴史探偵」で平安時代の名僧・空海を取り上げていた。日本各地およそ3,000ヶ所に空海伝説が伝わるという。それは、「高野聖(こうやひじり)」と呼ばれた下級僧たちが全国各地に赴き、勧進をし空海の教えを説いたからだという。それはいつの頃からか空海本人が訪れたという話に変わっていった。見ながら僕は「小野小町」のことを連想した。小野小町も全国いたるところに生誕地や墓などゆかりの地が存在する。柳田國男は著書「妹の力」の中で、「小野小町の遺跡が全国に(西は九州の熊本付近から、一方は奥州羽州にかけて)充満している事実に対しては、(中略)わたしはこれを小町の物語をもってあるく女性が、もとはおおよそ一つの中心から、発足したからではないかと想像している。(中略)小野小町の物語をしてあるく者を、直接にその小町が来た...伝説の起り

  • 「そうじゃおまへんか節」の系譜

    ブログ友の「無題・休題-ハバネロ風味-」さんが地元である山形県酒田市の趣のある料亭街などを紹介されていました。その中に街中の路面にはめ込まれた「酒田甚句」のプレートが印象的で、同じ系統といわれるわが熊本の「おてもやん」のことを思い出しました。5年ほど前、熊日新聞の連載企画「肥後にわか~笑いの来た道~」に、東海風流プロジェクト(水野詩都子・﨑秀五郎)さんが「おてもやん」の音楽的系譜について寄稿されました。その要点は――明治20年頃「きんらい節」という曲が流行りました。上方の噺家・初代芝楽が京都から江戸に移り、「きんらい節」を披露し花柳界から瞬く間に全国に届くほど大流行しました。蓄音機ができる10年前ですから、広範囲で流行したというのは凄い事だと思います。曲のおしまいに呪文のような囃子言葉があります。「キンム...「そうじゃおまへんか節」の系譜

  • 「母の日」に想いだすこと

    今日は「母の日」。僕は「母の日」に必ず想いだすことがある。今年102歳となった母はもう炊事をすることはないが、まだ元気に炊事をしていた頃、時々作ってくれたのが「炊き込みご飯」だった。といっても、にんじんと揚げとゴマメを入れ、醤油で味付けしただけの質素な「炊き込みご飯」である。実はこれ、昭和15、6年頃、母が勤めていた島崎尋常高等小学校で、待労院(慈恵病院の前身)から登校していた孤児たちに給食として食べさせていた一品らしい。おかずはない。孤児たちはこれが大好きで喜んで食べていたそうだ。2006年だったか、慈恵病院が「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を立ち上げた時、メディアなどでは売名行為などと批判する声もあった。時の某首相など、この件を記者から尋ねられると、あからさまに不快な表情を隠さなかった。孤児...「母の日」に想いだすこと

  • シーボルトのかっぽれ

    この映像に付けられた音楽は、江戸後期、長崎のオランダ商館の医師として日本へやって来たシーボルトが採譜し、ドイツの作曲家ヨーゼフ・キュフナーによってピアノ曲に編曲されたた「日本の旋律」という楽曲である。全7曲のうち2曲目に収められているのが、俗にいう「シーボルトのかっぽれ」という曲で「Pocolento(かっぽれ)」という題名が付けられている。「Pocolento」とはイタリア語で「少しゆっくり」という意味だそうで、0:47から2:20までが「Pocolento(かっぽれ)」である。この映像を視聴すると、誰しも「かっぽれ」とは似ても似つかぬと思うだろう。いったいなぜこんな曲になったのだろうか。まず、シーボルトはいつ、どこで、どのような状況で「かっぽれ」に接したのだろうか。この時代、彼がいた長崎出島周辺に「か...シーボルトのかっぽれ

  • 中将湯と中将姫

    ブログをフォローさせていただいている「りぼんの部屋」さんが、朝ドラ「虎に翼」に違和感を感じるという記事をアップされていた。りぼんさんは「昭和初期の家庭内で女性の生理について大っぴらに会話するなどあっただろうか」という主旨だった。実は僕も見ていて同じことを感じていたのでさっそくコメントを入れさせていただいた。同意を伝えると、りぼんさんからリプライがあり、その中に「ドラマでは、生理痛の時に、三陰交のツボ押しの話は出てくるが、「中将湯」の話が出て来ないのはなぜ…」という疑問を抱かれたようだ。「中将湯」というのは生理痛など女性特有の症状に幅広く用いられる生薬のこと。女性ならではの気付きだと思うが、たしかに「中将湯」は明治26年に発売されたとあり、昭和初期にはかなり普及していたはず。僕らが子どもの頃、あちこちで「中...中将湯と中将姫

  • 父が生きた時代

    来る5月19日はわが父の祥月命日である。今年は没後24年になり、コロナで23回忌を見送ったかわりに、今年25回忌を行なうことを菩提寺のご住職と相談して決めた。これまで父の祥月命日には父が書き残した備忘録の中から選んで記事を投稿してきたが、今回は戦前の3題をあらためて再掲することにした。昭和11年3月、天草上村で・・・(2011.5.19)今日は父の11回目の祥月命日。先日、母を連れて、かつて父が赴任していた上天草市の上小学校を訪問したが、その後、父の古いアルバムの中に、その当時の写真があるのを発見した。当時の上村尋常高等小学校の教職員の集合写真だった。昭和11年3月撮影と記されていた。ということは父が24歳、教員になってから既に5年ほど経った頃のようだが、真ん中で腕組みをしているところを見ると、結構生意気...父が生きた時代

  • 来春の愉しみな公演

    先日「城彩苑」で行われた「春の熊本城坪井川園遊会」の「舞踊団花童&はつ喜」の公演を見に行き、終演後、舞踊団主宰の中村花誠先生にご挨拶した際、別れ際に先生が「来年はよろしく!」とおっしゃった。一瞬何のことかと思ったが、すぐに来春計画されている特別公演のことだなと気付いた。舞踊団結成25周年と先生の還暦を合わせて祝う公演の計画は何度か伺っていた。どんな公演になるのか楽しみだが、2018年・2019年に行われ、その後、新型コロナの影響もあって途絶えている八千代座での「山鹿をどり」をしのぐ公演になることを期待している。2019.5.12山鹿八千代座第二回山鹿をどり作詞・作曲:本條秀太郎作調:中村寿誠・中村花誠笛作調:藤舎元生振付:藤間珠寿恵【立方】:藤間誠申・はつ喜月若・花童きみか・花童じゅの・麻生朱里【地方】三...来春の愉しみな公演

  • 今日の散歩 ~寺原・坪井・内坪井界隈~

    今日は瀬戸坂を下り、眞光寺の前で右折し、かつて家鴨丁(あひるちょう)と呼ばれた小路に入った。家鴨丁を抜けると左折し坪井川に架かる庚申橋に向かう。流長院の裏手の民家の脇で初夏の花「スイカズラ(忍冬)」の花を見つけた。最近、スイカズラの花を見なくなったなぁと思っていたのでちょっと嬉しい発見だった。ジョン・フォードの「荒野の決闘」を思い出して花の香りを嗅いでみたが、あまり匂いはしなかった。「荒野の決闘とスイカズラ」スイカズラの花庚申橋を渡って右折し、坪井川に沿ってひとつ下流の空壷橋で県道を横切り、坪井1丁目公園でひと休みした。ついでに近くの小泉八雲・坪井西堀端旧居(熊本第二旧居)跡の記念碑を見に行った。今は邸の痕跡もなく道路を挟んだ向かいにあった八雲ゆかりの東岸寺跡地蔵堂も数年前に撤去された。公園近くの民家の庭...今日の散歩~寺原・坪井・内坪井界隈~

  • 代継宮 ~曲水の宴~

    今日5月4日は代継宮(熊本市北区龍田)で毎年恒例の「曲水の宴」が行われ、会場を取り巻く観客は雅な平安絵巻を楽しんでいた。代継宮の「曲水の宴」は今年で12回目。色鮮やかな十二単など平安時代の衣装を身に纏った歌人たちが庭園内の「遣水(やりみず)」沿いに座り、酒杯が目の前を通過するまでに与えられた歌題の和歌を詠んだ。今回の歌題は「うぐいす」と「あやめ」。歌人に扮した熊本の民放テレビ各局から選ばれた女性アナウンサーらが思い思いの歌を詠んでいた。歌人に扮した女性アナウンサーたち巫女による祭祀舞「豊栄の舞」榊を手に舞う。「天の浮橋」を渡ってそれぞれの歌詠みの席へ向かう歌人たちまさに平安絵巻を思わせる「曲水の宴」代継宮~曲水の宴~

  • 熊本城坪井川園遊会 ~花魁三分二朱~

    現在、熊本城の観光施設「城彩苑」では「春の熊本城坪井川園遊会」が連日開かれており、今日は「舞踊団花童&はつ喜」6名の出演。「元禄花見踊」など4曲を披露したが、花魁、振袖新造、禿の衣装で踊り、雰囲気を盛り上げた。公演が終わった後、舞踊団主宰の中村花誠先生にご挨拶したが、「今日は春の園遊会なので花魁づくしでやりました」とおっしゃっていた。以前は春の園遊会でも花魁道中が行われていたが、近年は秋の園遊会だけになった。今日の演目の中から「花魁三分二朱(おいらんさんぶにしゅ)」をアップしてみた。この曲はお馴染みの江戸端唄「奴さん」である。端唄「奴さん」には多くの替え歌があり、この「花魁三分二朱」はいわば「奴さん」の花魁バージョンといったところ。「花魁三分二朱」とは花魁の揚げ代が三分二朱かかるという意味だが、今日の金額...熊本城坪井川園遊会~花魁三分二朱~

  • 城彩苑の賑わい

    今日は少し距離を伸ばして熊本市民会館辺りまで歩いた。帰りは熊本城の観光施設「城彩苑」を通り抜けて二の丸広場へ上って帰った。城彩苑は大型連休中とあって大勢の観光客で賑わっている。そして聞こえてくる会話は中国語がほとんどだった。帰ってから夕方のRKKテレビのニュース情報番組「夕方Liveゲツキン!」を見ていると、さっき通ったばかりの城彩苑の話題が取り上げられていた。それによると、城彩苑の来場客数が過去最多になったという。昨年3月から1年間の売り上げが、前年比では155%、コロナ前の2019年よりも140%だという。来場者数は前年から68万人ほど増え、過去最多の226万2000人、店舗の販売高は去年の1.5倍以上と過去最高を記録したそうだ。好調の要因は、台湾からの観光客の増加だそうで、TSMCの進出効果もあるの...城彩苑の賑わい

  • 今日聴きたいと思った音楽

    ♪あなたの思い出(MemoriesofYou)今年に入ってから、送られてくるブリヂストンのOB会報に知人の訃報が多くなった。かつての上司や同僚など、お一人お一人の在りし日のお姿を思い出し、その人と接した場面の思い出に浸っている。肥薩おれんじ鉄道♪銚子大漁節先日、熊本県と鹿児島県の間で運行している第三セクターの「肥薩おれんじ鉄道」と千葉県の「銚子電鉄」との間で事業連携の協定を結んだというニュースが流れた。一瞬「?」と首をかしげたが、きっと何かメリットがあるのだろう。いや是非メリットを生み出してほしい。今日聴きたいと思った音楽

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