中原中也ファンのブログです。
およそ80年前の東京の街を孤独な魂は歩いた。その日の魂に見合う詩(うた)を探して…。その歌は2013年の今、数々の文庫として書店の棚にある。ポケットに歌を! さあ、中原中也の魂と会いに出かけよう!
ラスコリニコフは、冷酷無情、ニヒルというより、情熱の人であったのだ、と思い直すこともできた
罪と罰1970年ソ連原作 フョードル・M・ドストエフスキー 脚本 ニコライ・フィグロフスキー 脚本・監督 レフ・クリジャーノフ 撮影 ヴャチェスラフ・シュムスキー 美術 ピョートル・パシケーヴィチ 音楽 ミハイル・ジフキャストラスコーリニコフ ゲオルギー・タラトルキンボルフィーリー インノケンテ...
冷戦構造の崩壊後の現在に、これらの映像を見ているという、どこかしら安心感みたいなものが、作品との距離を縮めているとでも言ったらいいものか。
アレクサンドル・ネフスキー1938ソ連監督・セルゲイ・エイゼンシュテイン、脚本・セルゲイ・エイゼンシュテイン、出演・ニコライ・チェルカーソフ、音楽・セルゲイ・プロコフィエフ60年も、70年も前に作られた映画が、2002年の今見ても、輝きを失わず、いっそう輝いて見える。セルゲイ・エイゼンシュテイン...
言葉のやりとりの中に、演出家と女優の実存的関係のドロドロが回収されてしまうから、観客は、視覚や官能といった生物学的な身体を解放されない。
リハーサルの後で1984年スウェーデン大晦日の夕方に「ひいたかな」と感じた風邪が年を越して元日、および今日2日に頭をもたげ、眠りに眠った2日間。「去年今年貫く棒の如きもの」は、子規だったか虚子だったか、ひょっとして、俳人も風邪で年を越したのではないかと、この句に妙な共感を覚えた。やり残したことを...
死んでしまった恋人(妻)との日々を回想する作品の眼差しには、悔いが漲(みなぎ)っている
歓喜に向かって1949年スウェーデン「歓喜に向かって」は、1949年作。1918年生れのベルイマンだから30歳の作品ということになる。ベルイマンの長い映画製作のキャリアの中での初期作品だ。日本では劇場未公開だが、NHK・BS2ミッドナイトシアターで放映した。2003年現在の眼で見ても、DV(ドメ...
「もだえ」その3 「もだえ」には、ぎっしりと、あちこちに、人がしばし考え込み、しばし対峙するであろうテーマが散りばめられている。
もだえ1944年スウェーデン監督:アルフ・シェーベルイ、助監督:イングマール・ベルイマン、脚本:イングマール・ベルイマン、撮影:マルチン・ボデイン。出演:スティーク・イェレル、アルフ・ケリーン、マイ・ゼッタリング、グンナール・ビョルンストランド。日本語字幕:桜井文ときどき、容易に通り過ぎることの...
「もだえ」その2 この作品は、反抗する青春を描いたものではないのだ、と考え直す。社会へ旅立つ青年たちの、いわば通過儀礼としての女性体験、あるいは、人生の大いなる謎への初体験を描いたのだ。
もだえ1944年スウェーデンイングマール・ベルイマンが脚本・助監督を担当した「もだえ」は1944年の作品。日本公開は、アート・シアター・ギルド(ATG)草創の年、1962年だ。ベルイマンは、この脚本で映画界デビューした。公立専門学校の最終学年生のヤーンは、サディスティックなラテン語教師カリギュラ...
もだえ1944年スウェーデン「もだえ」(イングマール・ベルイマン脚本、助監督)には、ニーチェが2度、語られる。前半の、同級生サンドマンとヤーンが、劇場映画を見た後、コーヒーを飲みながら話す場面で、ちょっとした人生観を語り合う時が1回目。サンドマンが、今見たばかりの映画のように、「山ほどの食い物と...
カウリスマキの平凡ならざる眼差しは、平和な農民夫婦に都会の悪の手がしのび、家庭が崩壊するという悲劇をとらえながら、夫も妻も、最後には、一種の解放に辿りついている点にある
白い花びら1998年フィンランド監督・脚本・製作:アキ・カウリスマキAki Kaurismaki、原作:ユハニ・アホJuhaniAho、撮影:ティモ・サルミネンTimo Salminen、音楽:アンシ・ティカンマキ。 出演:サカリ・クオスマネンSakari Kuosmanen、カティ・オウティネン...
ロドルフォにとって、その花束は盗んだものではなく、ミミのためにだけ存在する。
ラヴィ・ド・ボエーム La vie de boheme1992年フィンランド監督、製作、脚本:アキ・カウリスマキ、原作:アンリ・ミュルジェール、撮影:ティモ・サルミネン、音楽:ダミア、セルジュ・レジアニ。出演: マッティ・ペロンパー、アンドレ・ウィルム、カリ・ヴァーナネン、イヴリーヌ・ディディ、ジ...
フランスのフィルム・ノワール的クールさに、イギリスのアンガー・ジェネレーション的熱情をプラスし、その上に北欧独特の独立心旺盛な正義漢が加わったような人物が登場する
真夜中の虹1988年フィンランド監督・製作・脚本:アキ・カウリスマキ、撮影:ティモ・サルミネン、音楽: ヨウコ・ルッメ。出演: トゥロ・パヤラ、スサンナ・ハーヴィスト、マッティ・ペロンパー、E・ヒルカモ。日本語字幕:細川直子フィンランドの監督アキ・カウリスマキ「真夜中の虹」は1988年の製作で、...
ふと、こんな女性をどこかで見た覚えがある気がして来るのである。――アキ・カウリスマキ「浮き雲」のイロナのこと
浮き雲1996年フィンランドアキ・カウリスマキ脚本・監督、ティモ・サルミネン、エリヤ・ダンメリ撮影、シエリー・フィッシャー音楽。カティ・オウティネン、カリ・ヴァーナネン、エリナ・サロ浮き雲とは、「ものごとの落ち着きの定まらない状態」の比喩表現であることが辞書に記されてある。二葉亭四迷や林芙美子...
「連帯」は、一人の男の力で成し得た運動であるはずもない。無数のマチェックが、1989年のポーランド革命に結集したのである。
鉄の男1981ポーランドアンジェイ・ワイダ監督、アレクサンデル・シチボル・リルスキー脚本、エドワルト・クオシンスキー撮影。イエジー・ラジビオビッチ、クリスチナ・ヤンダ、マリアン・オバニアポーランドの長い、長い冬は、グダニスクに結集した自主管理労働組合「連帯」によって打ち破られ、やがてこの運動の波...
きょうも、まだ、イヴィカ・マティック監督「遺書―女のいる風景」のことを考えている。思いついたのは、イソップ寓話の「アリとキリギリス」である。森林監督官=芸術家がキリギリス、村人たちがアリという図式になぞらえて、この作品を解釈できるのではなかろうかと思い至った。どこか見覚えのある物語だなあと感じてい...
そこにあるのは、酸いも甘いも分別できず、誠実さが愚鈍の域にまで達した「芸術家」への批判であると同時に――と、19日付けで記したが、もしかして、「そこにあるのは、絵を描くことのいかなるものにも変え難い崇高さへの賛歌であると同時に」と、するべきであったかもしれない。イヴィカ・マティックという監督の作品...
遺書―女のいる風景1976ユーゴスラヴィアイヴィカ・マティック脚本・監督。ストーレ・アランデロヴィック、ボジタルカ・フラート。イヴィカ・マティック監督「遺書―女のいる風景」は、エミール・クストリッツアが「私が死ぬ時、このフィルムを一緒に埋葬してくれれば死ぬ事も怖くない」というオマージュを冒頭に掲...
西側の女性マギーとスーザンは、それぞれ東側の男性と恋に落ち、結婚するが、エルジは行き過ぎる人々の「幸福」を支援しながら、自分自身の空しさにとらわれたままだ。
カフェ・ブダペスト1995年ハンガリー/ドイツ「カフェ・ブダペスト」は、1995年作のハンガリー映画である(ドイツ合作)。フェケティ・イボヤという女性監督は、長い間、ドキュメンタリーを撮ってきた。この映画にも、ドキュメンタリーの要素がみなぎるが、「劇映画」デビュー作である。ベルリンの壁が崩壊した...
夜と霧1955年フランス「夜と霧」は1955年の作品。アラン・レネ監督の名を世界に知らしめた30数分のドキュメンタリーである。アウシュビッツ、ベルゼン、ダッハウなどで行われた、ナチスの残虐行為の記録映像をモンタージュしつつ、廃墟と化し雑草のはびこる強制収容所の現在に立ったカメラが、「捉え得るものは...
その2 偽夫婦を装った二人が、いつしか共感し、ついに結ばれてしまう
コンフィデンス 信頼1980ハンガリー 監督 イシュトヴァン・サボー(Istvan Szabo)、原作エリカ・サント 、脚本イシュトヴァン・サボー、エリカ・サント 、撮影ラホス・コルタイ。出演イルディコ・バンシャーギー、ペーター・アンドライ 日本語字幕 竹松圭子 「ハンガリアン」(ゾ...
ハンガリアン 1977 ハンガリー ゾルタン・ファーブリ監督 約1年の出稼ぎから解放され、ようやく帰郷したハンガリアンへ、泣きっ面の蜂さながら届けられる召集令状。かれらは、やぶれかぶれに祖国の歌を肩を組んで歌う。召集列車に乗り込んで、窓から顔を出したところを、パチリと記念撮影すると、...
「コンフィデンス」(イシュトバン・サボー監督)と「ハンガリアン」(ゾルタン・ファーブリ監督)の二つの作品のエンディングは、解放の瞬間で終わる。解放とは、この場合、ナチスの敗北を意味する。 しかし、この解放の瞬間に、「コンフィデンス」は主人公の女性が夫と再会しているさなかに、離れ離れになった愛人が...
パサジェルカ1963ポーランドアンジェイ・ムンク監督、ゾフィア・ポスムイシュ脚本、タデウシ・バイルド音楽。アレクサンドラ・シュロンスカ、アンナ・チェピェレフスカ、ヤン・クレチマールカンヌ映画祭国際批評家連盟賞ポーランド カポ--。囚人の中から選ばれた看守。その「よじれた」加害者性と被害者性を凝視...
Z1969年フランス=アルジェリアコスタ・ガブラス監督、バシリ・バシリコス原作、ミキス・テオドラキス音楽。イブ・モンタン、イレーネ・パパス、ジャン=ルイ・トランティニャアン、ジャック・ペラン軍政下のギリシアを1974年、ぼくは旅した。軍事クーデターがどのように起こったか。その前段階の左翼政治家暗...
青年は、ゾルバにより、女を知り、世界の入口に立った。生きているうちに、エーゲを渡るものは幸いなるかな。
その男ゾルバ1964ギリシアマイケル・カコヤニス監督・脚本、ニコス・カザンザキス原作、ミキス・テオドラキス音楽。アンソニー・クイン、アラン・ベイツ、イレーネ・パパス、リラ・ケドロワ「生きているうちにエーゲを渡るものは幸いなるかな」――と、原作にあるカザンザキスのことばを読んだのは、ぼくがギリシア...
ルー・サロメ 善悪の彼岸1977年、イタリア・フランスリリアーナ・カバーニ監督、アルマンド・ナンヌッツィ撮影。ドミニク・サンダ、エルランド・ヨセフソン、ロバート・パウエルニーチェは、神の死を猛々しく宣言したのではない。そんな当たり前のことが理解されていないことが不思議でならないが、カヴァーニの視...
ビクトル・エリセ「マルメロの陽光」とモ-パッサン「ピエールとジャン」の序「小説について」 ――日本語を書くために
<1>「ピエ-ルとジャン」は、モ-パッサンが1887年12月から88年1月に雑誌に発表した。同年、それを単行本化するにあたって、「小説について」という小説論をこの作品の序として冒頭に置いて刊行された。川端康成が引用したのは、この「小説について」からであった。モ-パッサンが、なぜ小説作品の前に小説...
エル・スール ー南ー1983スペイン・フランスビクトル・エリセ監督、アデライダ・ガルシア・モラレス原作、ホセ・ルイス・アルカイネ撮影。オメロ・アントヌッティ、ソンソレス・アラングーレン、イシアル・ポリャン、オーロール・クレマンスペイン内戦が終結したころに生まれた娘エストレーリャは、内戦そのものを...
ミツバチの羽音の奥底から湧き起る悲しみの旋律……。やがて、光満ちるときが訪れる。
ミツバチのささやき1972年スペインビクトル・エリセ原案・脚本・監督。アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメスこういう映画をぼくは映画と呼びたい。こういう映画が好きである。無駄のない画面、巧みな展開、詩情あふれる映像、見終えたものに問いが残される物語--100枚程度...
「愛し合うのに互いを知る必要なんかないわ」とビットリアが語るときの、男の戸惑いがなんとも可笑(おか)しい。
太陽はひとりぼっち1962年イタリアミケランジェロ・アントニオーニ監督、トニーノ・グエッラ脚本、ジョバンニ・フスコ音楽、。モニカ・ビッティ、アラン・ドロンビットリア(モニカ・ヴィッティ)が心を開くとき、目が数段、大きくなる。いつもは、うすら笑みを浮かべた物憂い表情が、感情をあらわにすることがある...
恋人サンドロが娼婦を抱いているところに出くわしてしまったクラウディアの悲しみと不安が、サンドロをいたわるクラウディアの手のアップに映し出される
情事1960年イタリアミケランジェロ・アントニオーニ監督、トニーノ・グエッラ、エリオ・バルトリーニ、ミケランジャロ・アントニオーニ脚本、アルド・スカバルラ撮影、ジョバンニ・フスコ音楽、。モニカ・ビッティ、ガブリエル・フェルゼッティ、レア・マッサリ、ドミニク・ブランジャールモノクローム クラウディ...
ブリジッド・バルドー演じる脚本家・ポールの妻カミーユが、濃いアイラインを強調した巨大な目で、夫に軽蔑の眼差しを送るシーンが、こ・わ・い。怖い。恐ろしい。
軽蔑1963フランスジャン・リュック・ゴタール監督・脚本、アルベルト・モラヴィア原作、ラウール・クタール撮影、ジョルジュ・ドルリュー音楽。ミシェル・ピコリ、ブリジッド・バルドー、ジャック・パランス、フリッツ・ラング「勝手にしやがれ」(1959)と「気狂いピエロ」(1965)の間に撮った、ゴタール...
文学性は豊穣であるが、映像と拮抗し、拮抗の果てに映画の中に後退していくといってもよい。
気狂いピエロ1965フランスジャン・リュック・ゴタール監督・脚本、ラウール・クタール撮影、アントワーヌ・デュアメル音楽。ジャン・ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ、サミュエル・フラー、レイモン・ドボスピエロは現代のランボーなのだろうか。日本の年代でいえば、「勝手にしやがれ」は60年安保、「気...
パトリシアが抱え込む不安や疑問や苦悩は、その都度、ミシェルの「言葉」によって、受け止められ、応答され、パトリシアは次第にミシェルを「獲得」していくのである。
勝手にしやがれ1959フランス ジャンリュック・ゴダール監督・脚本、ラウール・クタール撮影。ジャン・ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ、ダニエル・ブーランジュ この映画を見ていない者は「モグリ」だ、などと言うつもりはないが、現代映画の最高峰にあり続けることは間違いない。映画史上の金字...
パトリシアが抱え込む不安や疑問や苦悩は、その都度、ミシェルの言葉によって、受け止められ、応答され、パトリシアは次第にミシェルを獲得していくのである。
勝手にしやがれ1959フランス ジャンリュック・ゴダール監督・脚本、ラウール・クタール撮影。ジャン・ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ、ダニエル・ブーランジュ この映画を見ていない者は「モグリ」だ、などと言うつもりはないが、現代映画の最高峰にあり続けることは間違いない。映画史上の金字...
CINEMA DIARY(1992~2002) ファー・ノースサム・シェパードの監督第1回作品。思わず、声をあげて笑って見た。D・リンチに負けない面白さである。(1992・9・28) フランス軍中尉の女苦しさを紛らすために、「フランス軍中尉の女」を、5、6軒のレンタル...
秋の夜に、湯に浸り 秋の夜に、独りで湯に這入(はい)ることは、 淋しいじゃないか。 秋の夜に、人と湯に這入ることも亦、 淋しいじゃないか。 話の駒が合ったりすれば、その時は楽しくもあろう 然(しか)しそれというも、何か大事なことを わきへ置いといてのことのようには思われないか...
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