10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は神楽坂の一文字で暑気祓いの食事会まず恵比寿ビールで乾杯その後は日本酒を三種類味わった喜三郎の銘々皿に織部の高杯峯岡豆腐とキャビア(牛乳生クリーム葛白胡麻塩)峯岡豆腐とは江戸時代の中ごろ、乳牛を輸入して、嶺岡牧で飼育を始めたことから、日本酪農発祥の地とされています。搾った牛乳は疲労回復の強壮剤などとして、最初は将軍家に献上品とされていましたが、数多く生産されるようになると庶民の間でも料理に使われるようになりました。とのことだが初めて食べた光琳蒔絵のお椀は渡り蟹のシンジョに小メロンと蓴菜、青柚子お刺身はギヤマンの小鉢明石の鯛に千に切った大葉とラディッシュ小皿に湯葉はお醤油は京都焼物は乾山写短冊皿に長良川の鮎塩焼、蓼猪口にソーメン瓜にソボロ雲丹サーモンのアスパラ巻き揚物は白魚と獅子唐檸檬竹泉の網紋様に小花...暑気祓い
星月夜山なみ低うなりにけり龍之介今日は茶碗研究会は出雲焼朝鮮陶工の末裔の萩の倉崎権兵衛を招いて焼かれたのが権兵衛焼倉崎権兵衛は出雲楽山焼の創始者島根県松江市の松平家別邸で焼成された陶器を楽山焼と称す。出雲焼の一種。四代頃途絶えてしまった布志名の長岡住左衛門を招いて楽山焼5代として再興した五代は貞政六代空斎七代空入八代庄之助九代空味十代空処十一代空権現在は空郷わかったようなわからないようなモヤモヤ星月夜
写真は時代の色紙武者小路実陰筆と古筆了任の極めがある秋にかわる月と雪とは昔にて世に経し影をさながら笑みる情けないが意味は不明武者小路実陰ムシャノコウジサネカゲ1661-1738江戸時代前期-中期の公卿,歌人。寛文元年11月1日生まれ。西郊実信の子。武者小路公種の養子。元禄8年従三位。霊元上皇より古今伝授をうけ,中御門・桜町天皇2代の和歌師範となった。元文3年従一位,准大臣にすすみ,同年9月30日死去。78歳。今日はいつものイタリアンで友人と待ち合わせをした商店街はお祭りでいつもより賑やか往き来する人たちがドアのガラス窓から見える揃ったら生ビールで乾杯おつまみは五種類取ってランチのパスタを二種類とドリアをシェアするこのところ食べ過ぎなのに今日も食べ過ぎた武者小路実陰
魂祭ふわふわと来る秋の蝶子規今日は土曜日神社のお祭りがあるお神輿も出て朝早くから賑わってるがお弟子様の茶事の水屋に入るのだボーッとしてはいられない汲み出しのあと挨拶してすぐ懐石が始まるのでご飯の火を入れる時間が重要だクツクツ沸いてきて水気がそろそろなくなり始めたまだ完全にご飯は炊けてないがお杓文字で掬える半煮えのちょうど良いときに左手に椀を持ちエイヤッと一文字を取ると杓文字を2本使わなくてもすいすい飯椀に盛れる自分的には両脇が少し崩れぎみでも自然でよしとしてる次はすぐみそ汁だ汁椀に冬瓜とそして辛子ものせておく熱々のみそ汁を最後にはる辛子が最後の時もあるけどまずは上手にこの折敷を出すのが眼目だ汁が熱々でなかったと言われる事もある今日はどうだったか写真を撮るのを忘れたが今月と来月はお盆がある本席は鎌倉時代の経...魂祭
炎天の色やあく迄深緑子規手入れをしないので草がホウボウでも見て見ぬふりして戸を閉めようお弟子様との会話湯返しは棚に柄杓と蓋置を荘る時にするとでは棚でも荘らないときは湯返しするかそれともしないか答えは→するそして湯返しはなぜするのかお弟子様が教えてくれた棚の根本は台子にある総荘の台子には杓立がかざられているこの杓立に柄杓を戻す時露を切る意味で必ず湯返しをするゆえに普通の棚の場合も台子・長板に準じ荘る、荘らないにかかわらず湯返しをするただし、小間に仕付けられた仕付棚、あるいは地板のない直に水指を置く侘びた運びの点前は、棚に柄杓を荘る時でも湯返しはしないとのこと曖昧だったがなるほど納得したあくまで深緑
斎藤茂吉雨はれて心すがしくなりにけり窓より見ゆる白槿木のはなわが庭にも木槿が咲き始めた夏草が繁り木槿の木までの石の道がふさがってる虫や蚊に刺されるだろうそれが嫌でたどり着けない二階の窓から咲いてる木槿を見てる白い木槿今日は日曜日朝早く起きて毎週時代劇を見ている今は塚原卜伝塚原卜伝つかはらぼくでん戦国時代の剣士、兵法家。父祖伝来の鹿島神流(鹿島古流・鹿島中古流)養父祖伝来の天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新當流を開いた。鹿島神宮へは行ったことがない雨はれて
俊恵法師影うつす水のこころやあさからむすむほどもなき星合の空俊恵しゅんえ永久元年(1113年)~建久2年(1191年)頃?)平安末期の僧・歌人。父は源俊頼。母は橘敦隆の娘。早くに東大寺の僧となり、俊恵法師とも呼ばれる。俊恵作と伝えられている歌、千百首あまりであるが、その多くは四十歳以降に詠まれたものである。白川の自坊を「歌林苑」と名付け、そこに藤原清輔・源頼政・殷富門院大輔など多くの歌人を集めてさかんに歌会・歌合を開催し、衰えつつあった当時の歌壇に大きな刺激を与えた。鴨長明の師である。その歌論は『無名抄』などにもみえる。風景と心情が重なり合った象徴的な美の世界や、余情を重んじて、多くを語らない中世的なもの静かさが漂う世界を、和歌のうえで表現しようとした。同じく幽玄の美を著そうとした藤原俊成とは異なる幽玄を...星合の空
花朝女夏草に蓬もまじりのびにけり筆者は生田花朝女いくたかちょうじょ1889年(明治22年)11月22日~1978年(昭和53年)3月29日)明治から昭和にかけての日本画家。(ウィキペディアより)今日は水曜稽古白木蓮の枝がすごく伸びてきたずっと気にはなっていたが何しろ暑いし物凄く蚊がくるしやりたくないやりたくないが仕方ない今日切らないとどんどん暑くなるらしいから切ることにした朝五時に起きて長枝挟みで切る切る長い枝は切ってから手で折るたちまちごみ袋から溢れ木蓮の木はスッキリ気分もスッキリした夏草に
後徳大寺左大臣ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる後徳大寺左大臣1139~1191本名は藤原実定サネザネ大炊御門右大臣藤原公能キンヨシの子供藤原定家のいとこ。祖父も徳大寺左大臣と称されたので、区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれる。詩歌管弦に優れ、平安時代末期の平氏が栄えた時代に大臣の職にあった。今日は森金さんのお茶事の水屋跡見なのでいつもの茶事より時間も短い庭の秋海棠と高砂芙蓉を切っていくと花溜めに木槿の白とピンクに水引があった花を活ける時は誰もが真剣無口になってる花は亭主がいける花はもてなし有明の月ぞ残れる
風吹て廻り燈籠の浮世かな子規今日は七月十五日午後二時頃自転車に乗ってお坊さんがやってくるお盆の棚経をあげてくれるのだまずお布施の用意筆ペンを探してお金を用意銘々皿に和菓子すぐにお薄を点てられるように撫子の色絵平茶碗を用意ティフアールの温度は80度お菓子を召し上がりお薄をおまちのお坊様へ「お待たせしました」これも茶の湯懐石の献立は常にアンテナを出して新しい使えそうなものを探そう人は何でもすぐに飽きるからね味噌汁は味噌を必ず使うこと具は精進ものを一つ脇役を添えても可白味噌と赤味噌の割合を変えつつ一年の変化を見せることそれに出汁は最上の昆布と鰹節で引くこと懐石は非日常なんだから味噌汁の具風炉白玉団子焼湯葉栗焼豆腐南瓜新管牛蒡ムカゴタラの芽蓮芋アスパラガスゼンマイ舞茸しめじ小茄子ずいき胡麻豆腐子芋冬瓜丁子麩粟麩と...廻り燈籠の浮世かな
寂蓮山賤の契のほどや忍ぶらん夜をのみ待つ夕顔の花今日は文の会会員のバイ様は先週金曜日に熱中症になり救急車で運ばれたとたまたま電話をしたところ具合の悪そうな声でそう言う友達を一人失くしてしまうかと恐ろしかった今日はもう元気おつまみを頼んでワインで乾杯パスタをシェアしていつもと同じいつもと同じがいいお喋りして気づいたら三時半急いで伊勢物語を音読四時過ぎまでちょっと読んだそれで終了いつもと同じ夜をのみ待つ夕顔の花
伊勢いづこにも咲きはすらめど我が宿のやまと撫子たれに見せまし茶事の取合メモ七月初旬は星祭り歌切や懐紙七夕の掛けよう梶の葉飾っても良し糸巻きギヤマン星や織姫彦星中旬はお盆の取合せ紺地金泥の古経二月堂焼経、泉福寺焼経だったら願ってもない観音、達磨、怖いけど地獄下旬は涼しいもの滝の画白紙賛でも掛けて青磁や染付どっぷりと水を含ませた南蛮の水指今日は朝日カルチャーへいく日だか暑いのなんのって暑い途中電話があった「講師の先生が高熱を出されて休講です」午後の1時は美容院予約済み時間を変更して涼しい美容院へ直行髪を短くカットと炭酸シャンプーで5,420円慣れてるのでおまかせお昼はコンビニで取りそろえ帰った家も暑い蒸し暑いエアコン強め扇風機は2台回しの涼やかな風鮪の海苔巻き鶏とポテトのナンチャラベーコンと青菜のサラダ食後の...たれに見せまし
灰汁桶アクオケの蝶のきげんや木下闇一茶音もせで水流れけり木下闇漱石木下闇コシタヤミ鬱蒼と茂る木立の下の暗がりのこと。昼でも暗く涼しい。夏の強い日差しのもとでは闇のようである。今日は蒸し暑かった木曜稽古は朝九時から夜は九時半まで木曜は夜は二名昼間は四、五名なのにサカチカさんねこさんダブリュウさんヤチコさんクマさんアイテラさん森金さん秋さんヤマナさん雷蔵くんいのちゃん忙しいと思ったら十一名が見えたあっという間の一日そういう日もある結構な一日だ写真はいのちゃんから頂いた写真ノウゼンカズラ夏だね木下闇コシタヤミ
社頭水正臣みたらしはいづくはあれど五十鈴川千歳の杉の陰うつる水みたらし【御手洗】→寺社の境内にあって、参詣者が手や口を水で清める所。ミタライとも。手水いづくはあれど→他の場所はともかくとして正臣は阪正臣バンマサオミ明治〜昭和期の歌人1855~1931尾張国名古屋花屋町別名号=茅田,樅園経歴明治6年上京し、権田直助に師事。20年御歌所に入り、28年華族女学校教授。30年御歌所寄人、40年御歌所主事となる。歌は高崎正風に学び、また書をよくした。今日は水曜稽古暑い一日だったがなぜか台子の点前をする人が多かった暑いからこそ難しい点前をしたほうが集中できるのだ五十鈴川
空腹に雷ひびく夏野哉一茶今日は○○研究会古鏡と古瓦古鏡は平安時代の和鏡に限る古瓦の蓮華文軒丸瓦は飛鳥時代は→素弁蓮華文白鳳時代前半は→単弁蓮華文白鳳時代後半以降は→複弁蓮華文暑い午後だもん真剣に講義を受けていたからああ疲れた写真はもうすぐ咲くであろう烏瓜カラスウリの白い蕾花咲くとレースみたいで綺麗だ別名玉章タマズサ玉梓タマズサ狐の枕キツネノマクラとも言うらしいカラスウリの根薬効は利尿、便秘カラスウリの実薬効はしもやけキカラスウリの根薬効は解熱キカラスウリのタネ薬効はせきどめ、たんきり漢方薬になってる夏野かな
源順野辺ごとに茂る夏草ふかくこそ契りおきしか千歳枯れじと源順ミナモトノシタゴウ平安時代中期の貴族・歌人・学者。嵯峨源氏、大納言・源定の曾孫。左馬允・源挙コゾルの次男。官位は従五位上・能登守。梨壺の五人。三十六歌仙の一人。今日正札会へ開場の10時には入口にいた一緒のお弟子様は森金さんとサカチカさん賑やかな二人だタクシーでも大きな声でお喋りうるさいと注意私も含めてだがまずは四階から茶事に使えるようなものにジャカジャカ札を置いて行く良いね道具の買い物は実に楽しい時代の金蒔絵棗煮物椀作家物の中次へぎ目白檀塗盆明治江戸時代舟形向付呉須赤絵の皿茶杓色々などなど正札会は二万円から良いものを手頃な値段で買える場合もなにするも体力が必要だお昼抜きで集中二時半すぎ新橋亭で昼食楽しい一日だったね茂る夏草
斎藤茂吉いかづちのとどろくなかにかがよひて黄なる光のただならぬはや斎藤茂吉1882~1953明治生まれ、大正昭和前期の日本の歌人・精神科医。伊藤左千夫門下。アララギの中心人物。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。今日は土曜日銀座の古美術店で待ち合わせ私は銀毛織の出袱紗を買ったがそれぞれ買い物して近くの蕎麦屋でお昼昭和時代そのままの店構えと店内天ざるに鮪、だし巻き玉子焼に板わさをツマミにしてそれに八海山おのおのグラスで来る昔のおじさん達が蕎麦屋で楽しく一杯やっていたそのまま我らも真似っこ昼から日本酒でほろ酔いなんて世の中変わったものだやれば何でも出来る時代嬉しいね店を出て美術倶楽部での正札会へ行く出来上がっているのでゆっくり道具を味わってる暇などないただただ二階を一周してやめ新橋の喫茶店へ行くケーキ...とどろくなかにかがよひて
ひとふしによろずよこめてくれ竹おくふしたけをたてまつりけむ八十八媼志支婦今日は木曜日日曜日は七夕今日は高畠式部の竹の自画賛高畠式部タカバタケシキブ幕末明治初期の歌人1785~188196歳でなくなったがこの時代、誠に長命だ伊勢国松坂の商家に生まれ香川景樹のち千種有功に師事和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ式部の八十八歳で描いた竹の絵は非常に力強い見習おう我々まだまだひとふしに
兼明親王(後拾遺1154)七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき(あやしき)太田道灌の雨具借りの故事に登場する古歌実がならないのは八重咲の花普通の一重の山吹は実を持つ今日は七事式の会小熊の会だ午前の班と午後の班おのおの今日は五名ずつ科目は廻り花之式それと一二三之式を二順し平花月優雅で充実した時間を共有した今回で11回めかな大分慣れてきた感じ七事式は・花月・且座 ・茶かぶき・員茶 (かずちゃ) ・回り炭・回り花・一二三 この会のお稽古あと残りは茶カブキだけだが茶カブキは濃茶四服まわし飲みゆえしばらく不可能一通りは経験した事にしよう今日集まった廻り花の茶花秋海棠木槿水引白河原撫子糸ススキ松明草薮ミョウガヤマボウシ八重ヤマブキ源氏物語の《野分》にある玉鬘のことを八重山吹の咲き乱れたる盛りに露のかか...七重八重花は咲けども山吹の
今日は読売カルチャー利休の茶の継承者達利休の「武蔵鐙の文」は織部に宛てた有名な文だがその手紙の和歌武蔵鐙ムサシアブミさすがに道の遠ければ問わぬも床し問うも嬉ししこれには本歌がある百人一首の小式部内侍の和歌大江山いく野の道の遠ければまだ踏みも見ず天橋立また伊勢物語の十三武蔵鐙ムサシアブミから武蔵国さすがにかけて頼むにはとはぬもつらしとふもうるさしそういえば伊勢物語を読んでるとき武蔵鐙ムサシアブミ聞いたことあるなぁと思っていたがこれだったんだ出かけてチョット勉強するとぐだぐだの日常が少し引き締まった気がする今日はミーちゃんを病院に連れていった爪を切ってもらってついでに血液検査もした人並みに数値が出て人間と一緒だ腎臓と肝臓の数値がチョットオーバーでも年齢を考えると健康な方ですよと言われた健康な方ねぇいやい...とはぬもつらし、とふもうるさし
さ庭べの草煙り居る薄暑かな龍之介墨跡をかける時にはたくぼくを末座の方へ大方はひけ利休百首絵の物を掛る時にはたくぼくを印ある方へ引きおくもよし利休百首啄木タクボクは軸を巻いておく巻き緒のことつまり巻き緒は下座に引くのだが絵の時は筆者の署名、花押、印の方へ引いても良いというピンポンが鳴るとアマゾンかお中元の季節になった写真の福みたらしというお菓子親戚の今日子から届いた物お店は滋賀県の菓匠禄兵衛滋賀県老舗醤油屋ダイコウ醤油使用とあるダイコウ醤油とは1853年(嘉永五年)【ダイコウ醤油】は滋賀県・木之本で産声をあげました。古くから交通の要衝として栄えた木之本は、伊吹山系からの伏流水で豊かな自然の恵みを一杯受けた土地で、古くから酒や醤油などの醸造業が栄えた地でもあります。ダイコウ醤油は150余年の歴史と伝統に培わ...さ庭べの
「ブログリーダー」を活用して、村雨庵さんをフォローしませんか?
10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨
宵々の雨に音なし杜若蕪村今日はエフ先生の研究会雨が凄い音を立てて降ってる最近は早起きなので五時に起きて朝は六時に食事お昼までの時間が長いから10時のおやつ九時半に珈琲とミニ羊羮食べたおやつは八つ刻ヤツドキ午後の2時から4時に食べる間食午前中だとなんというのか朝のおやつは「モーニングティー」または「リトルランチ」、午後のおやつは「アフタヌーンティー」とオーストラリアでは呼ばれるとのこと、ネットで見た江戸時代、日本人の食事は朝と夜の1日2回だった。途中でお腹が空く。そこで中食(ちゅうじき)、あるいは間食(かんじき)、小昼(こびる)と呼ばれる間食をやつどきに取るようになった。それがおやつの起源。とネットで見た。さあ出かけないと宵々の雨に音なし
ラルースの言葉を愛すわたくしはあらゆる風に載りて種蒔く今日は日帰りで北上へ朝早く新幹線着いたらタクシーで詩歌文学館一回りしてタクシーで北上駅お昼を食べて新幹線四時には家に着いたが疲れた年だねあらゆる風に載りて
公達の手ならひの間や若楓涼菟リョウト岩田涼菟イワタリョウト1659年(万治2年)~1717年6月7日(享保2年4月28日))江戸前期から中期の俳人、神職。本姓は秦、名は正致。通称は権七郎。別号に団友、神風館等がある。伊勢の生まれ。初め伊勢神宮の下級神職となったが後に松尾芭蕉の晩年の門人となり俳諧を学ぶ。1694年(元禄7年)に各務支考らと親交を持ったことにより、「伊勢派」と呼ばれる平明で新しい作風の俳諧を生み出した。とのこと今日は東茶会暑くも寒くもなく空があおいもう会員ではなくさも行くことないと思ったが薄茶席の席主の方にお誘われた点心には久しぶりにお酒も付いたし茶会が終わると新橋のケーキセットを食べなかなか良かった手ならひの間