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村雨庵 茶の湯日記 https://blog.goo.ne.jp/tukiduki

日々是茶の湯

ざーっと降ってカラッと上がる通り雨が村雨 まあ 暫し雨宿りにお寄りあれ

その他趣味ブログ / 茶の湯・茶道

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村雨庵
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2009/04/21

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  • 暑気祓い

    今日は神楽坂の一文字で暑気祓いの食事会まず恵比寿ビールで乾杯その後は日本酒を三種類味わった喜三郎の銘々皿に織部の高杯峯岡豆腐とキャビア(牛乳生クリーム葛白胡麻塩)峯岡豆腐とは江戸時代の中ごろ、乳牛を輸入して、嶺岡牧で飼育を始めたことから、日本酪農発祥の地とされています。搾った牛乳は疲労回復の強壮剤などとして、最初は将軍家に献上品とされていましたが、数多く生産されるようになると庶民の間でも料理に使われるようになりました。とのことだが初めて食べた光琳蒔絵のお椀は渡り蟹のシンジョに小メロンと蓴菜、青柚子お刺身はギヤマンの小鉢明石の鯛に千に切った大葉とラディッシュ小皿に湯葉はお醤油は京都焼物は乾山写短冊皿に長良川の鮎塩焼、蓼猪口にソーメン瓜にソボロ雲丹サーモンのアスパラ巻き揚物は白魚と獅子唐檸檬竹泉の網紋様に小花...暑気祓い

  • 星月夜

    星月夜山なみ低うなりにけり龍之介今日は茶碗研究会は出雲焼朝鮮陶工の末裔の萩の倉崎権兵衛を招いて焼かれたのが権兵衛焼倉崎権兵衛は出雲楽山焼の創始者島根県松江市の松平家別邸で焼成された陶器を楽山焼と称す。出雲焼の一種。四代頃途絶えてしまった布志名の長岡住左衛門を招いて楽山焼5代として再興した五代は貞政六代空斎七代空入八代庄之助九代空味十代空処十一代空権現在は空郷わかったようなわからないようなモヤモヤ星月夜

  • 武者小路実陰

    写真は時代の色紙武者小路実陰筆と古筆了任の極めがある秋にかわる月と雪とは昔にて世に経し影をさながら笑みる情けないが意味は不明武者小路実陰ムシャノコウジサネカゲ1661-1738江戸時代前期-中期の公卿,歌人。寛文元年11月1日生まれ。西郊実信の子。武者小路公種の養子。元禄8年従三位。霊元上皇より古今伝授をうけ,中御門・桜町天皇2代の和歌師範となった。元文3年従一位,准大臣にすすみ,同年9月30日死去。78歳。今日はいつものイタリアンで友人と待ち合わせをした商店街はお祭りでいつもより賑やか往き来する人たちがドアのガラス窓から見える揃ったら生ビールで乾杯おつまみは五種類取ってランチのパスタを二種類とドリアをシェアするこのところ食べ過ぎなのに今日も食べ過ぎた武者小路実陰

  • 魂祭

    魂祭ふわふわと来る秋の蝶子規今日は土曜日神社のお祭りがあるお神輿も出て朝早くから賑わってるがお弟子様の茶事の水屋に入るのだボーッとしてはいられない汲み出しのあと挨拶してすぐ懐石が始まるのでご飯の火を入れる時間が重要だクツクツ沸いてきて水気がそろそろなくなり始めたまだ完全にご飯は炊けてないがお杓文字で掬える半煮えのちょうど良いときに左手に椀を持ちエイヤッと一文字を取ると杓文字を2本使わなくてもすいすい飯椀に盛れる自分的には両脇が少し崩れぎみでも自然でよしとしてる次はすぐみそ汁だ汁椀に冬瓜とそして辛子ものせておく熱々のみそ汁を最後にはる辛子が最後の時もあるけどまずは上手にこの折敷を出すのが眼目だ汁が熱々でなかったと言われる事もある今日はどうだったか写真を撮るのを忘れたが今月と来月はお盆がある本席は鎌倉時代の経...魂祭

  • あくまで深緑

    炎天の色やあく迄深緑子規手入れをしないので草がホウボウでも見て見ぬふりして戸を閉めようお弟子様との会話湯返しは棚に柄杓と蓋置を荘る時にするとでは棚でも荘らないときは湯返しするかそれともしないか答えは→するそして湯返しはなぜするのかお弟子様が教えてくれた棚の根本は台子にある総荘の台子には杓立がかざられているこの杓立に柄杓を戻す時露を切る意味で必ず湯返しをするゆえに普通の棚の場合も台子・長板に準じ荘る、荘らないにかかわらず湯返しをするただし、小間に仕付けられた仕付棚、あるいは地板のない直に水指を置く侘びた運びの点前は、棚に柄杓を荘る時でも湯返しはしないとのこと曖昧だったがなるほど納得したあくまで深緑

  • 雨はれて

    斎藤茂吉雨はれて心すがしくなりにけり窓より見ゆる白槿木のはなわが庭にも木槿が咲き始めた夏草が繁り木槿の木までの石の道がふさがってる虫や蚊に刺されるだろうそれが嫌でたどり着けない二階の窓から咲いてる木槿を見てる白い木槿今日は日曜日朝早く起きて毎週時代劇を見ている今は塚原卜伝塚原卜伝つかはらぼくでん戦国時代の剣士、兵法家。父祖伝来の鹿島神流(鹿島古流・鹿島中古流)養父祖伝来の天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新當流を開いた。鹿島神宮へは行ったことがない雨はれて

  • 星合の空

    俊恵法師影うつす水のこころやあさからむすむほどもなき星合の空俊恵しゅんえ永久元年(1113年)~建久2年(1191年)頃?)平安末期の僧・歌人。父は源俊頼。母は橘敦隆の娘。早くに東大寺の僧となり、俊恵法師とも呼ばれる。俊恵作と伝えられている歌、千百首あまりであるが、その多くは四十歳以降に詠まれたものである。白川の自坊を「歌林苑」と名付け、そこに藤原清輔・源頼政・殷富門院大輔など多くの歌人を集めてさかんに歌会・歌合を開催し、衰えつつあった当時の歌壇に大きな刺激を与えた。鴨長明の師である。その歌論は『無名抄』などにもみえる。風景と心情が重なり合った象徴的な美の世界や、余情を重んじて、多くを語らない中世的なもの静かさが漂う世界を、和歌のうえで表現しようとした。同じく幽玄の美を著そうとした藤原俊成とは異なる幽玄を...星合の空

  • 夏草に

    花朝女夏草に蓬もまじりのびにけり筆者は生田花朝女いくたかちょうじょ1889年(明治22年)11月22日~1978年(昭和53年)3月29日)明治から昭和にかけての日本画家。(ウィキペディアより)今日は水曜稽古白木蓮の枝がすごく伸びてきたずっと気にはなっていたが何しろ暑いし物凄く蚊がくるしやりたくないやりたくないが仕方ない今日切らないとどんどん暑くなるらしいから切ることにした朝五時に起きて長枝挟みで切る切る長い枝は切ってから手で折るたちまちごみ袋から溢れ木蓮の木はスッキリ気分もスッキリした夏草に

  • 有明の月ぞ残れる

    後徳大寺左大臣ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる後徳大寺左大臣1139~1191本名は藤原実定サネザネ大炊御門右大臣藤原公能キンヨシの子供藤原定家のいとこ。祖父も徳大寺左大臣と称されたので、区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれる。詩歌管弦に優れ、平安時代末期の平氏が栄えた時代に大臣の職にあった。今日は森金さんのお茶事の水屋跡見なのでいつもの茶事より時間も短い庭の秋海棠と高砂芙蓉を切っていくと花溜めに木槿の白とピンクに水引があった花を活ける時は誰もが真剣無口になってる花は亭主がいける花はもてなし有明の月ぞ残れる

  • 廻り燈籠の浮世かな

    風吹て廻り燈籠の浮世かな子規今日は七月十五日午後二時頃自転車に乗ってお坊さんがやってくるお盆の棚経をあげてくれるのだまずお布施の用意筆ペンを探してお金を用意銘々皿に和菓子すぐにお薄を点てられるように撫子の色絵平茶碗を用意ティフアールの温度は80度お菓子を召し上がりお薄をおまちのお坊様へ「お待たせしました」これも茶の湯懐石の献立は常にアンテナを出して新しい使えそうなものを探そう人は何でもすぐに飽きるからね味噌汁は味噌を必ず使うこと具は精進ものを一つ脇役を添えても可白味噌と赤味噌の割合を変えつつ一年の変化を見せることそれに出汁は最上の昆布と鰹節で引くこと懐石は非日常なんだから味噌汁の具風炉白玉団子焼湯葉栗焼豆腐南瓜新管牛蒡ムカゴタラの芽蓮芋アスパラガスゼンマイ舞茸しめじ小茄子ずいき胡麻豆腐子芋冬瓜丁子麩粟麩と...廻り燈籠の浮世かな

  • 夜をのみ待つ夕顔の花

    寂蓮山賤の契のほどや忍ぶらん夜をのみ待つ夕顔の花今日は文の会会員のバイ様は先週金曜日に熱中症になり救急車で運ばれたとたまたま電話をしたところ具合の悪そうな声でそう言う友達を一人失くしてしまうかと恐ろしかった今日はもう元気おつまみを頼んでワインで乾杯パスタをシェアしていつもと同じいつもと同じがいいお喋りして気づいたら三時半急いで伊勢物語を音読四時過ぎまでちょっと読んだそれで終了いつもと同じ夜をのみ待つ夕顔の花

  • たれに見せまし

    伊勢いづこにも咲きはすらめど我が宿のやまと撫子たれに見せまし茶事の取合メモ七月初旬は星祭り歌切や懐紙七夕の掛けよう梶の葉飾っても良し糸巻きギヤマン星や織姫彦星中旬はお盆の取合せ紺地金泥の古経二月堂焼経、泉福寺焼経だったら願ってもない観音、達磨、怖いけど地獄下旬は涼しいもの滝の画白紙賛でも掛けて青磁や染付どっぷりと水を含ませた南蛮の水指今日は朝日カルチャーへいく日だか暑いのなんのって暑い途中電話があった「講師の先生が高熱を出されて休講です」午後の1時は美容院予約済み時間を変更して涼しい美容院へ直行髪を短くカットと炭酸シャンプーで5,420円慣れてるのでおまかせお昼はコンビニで取りそろえ帰った家も暑い蒸し暑いエアコン強め扇風機は2台回しの涼やかな風鮪の海苔巻き鶏とポテトのナンチャラベーコンと青菜のサラダ食後の...たれに見せまし

  • 木下闇 コシタヤミ

    灰汁桶アクオケの蝶のきげんや木下闇一茶音もせで水流れけり木下闇漱石木下闇コシタヤミ鬱蒼と茂る木立の下の暗がりのこと。昼でも暗く涼しい。夏の強い日差しのもとでは闇のようである。今日は蒸し暑かった木曜稽古は朝九時から夜は九時半まで木曜は夜は二名昼間は四、五名なのにサカチカさんねこさんダブリュウさんヤチコさんクマさんアイテラさん森金さん秋さんヤマナさん雷蔵くんいのちゃん忙しいと思ったら十一名が見えたあっという間の一日そういう日もある結構な一日だ写真はいのちゃんから頂いた写真ノウゼンカズラ夏だね木下闇コシタヤミ

  • 五十鈴川

    社頭水正臣みたらしはいづくはあれど五十鈴川千歳の杉の陰うつる水みたらし【御手洗】→寺社の境内にあって、参詣者が手や口を水で清める所。ミタライとも。手水いづくはあれど→他の場所はともかくとして正臣は阪正臣バンマサオミ明治〜昭和期の歌人1855~1931尾張国名古屋花屋町別名号=茅田,樅園経歴明治6年上京し、権田直助に師事。20年御歌所に入り、28年華族女学校教授。30年御歌所寄人、40年御歌所主事となる。歌は高崎正風に学び、また書をよくした。今日は水曜稽古暑い一日だったがなぜか台子の点前をする人が多かった暑いからこそ難しい点前をしたほうが集中できるのだ五十鈴川

  • 夏野かな

    空腹に雷ひびく夏野哉一茶今日は○○研究会古鏡と古瓦古鏡は平安時代の和鏡に限る古瓦の蓮華文軒丸瓦は飛鳥時代は→素弁蓮華文白鳳時代前半は→単弁蓮華文白鳳時代後半以降は→複弁蓮華文暑い午後だもん真剣に講義を受けていたからああ疲れた写真はもうすぐ咲くであろう烏瓜カラスウリの白い蕾花咲くとレースみたいで綺麗だ別名玉章タマズサ玉梓タマズサ狐の枕キツネノマクラとも言うらしいカラスウリの根薬効は利尿、便秘カラスウリの実薬効はしもやけキカラスウリの根薬効は解熱キカラスウリのタネ薬効はせきどめ、たんきり漢方薬になってる夏野かな

  • 茂る夏草

    源順野辺ごとに茂る夏草ふかくこそ契りおきしか千歳枯れじと源順ミナモトノシタゴウ平安時代中期の貴族・歌人・学者。嵯峨源氏、大納言・源定の曾孫。左馬允・源挙コゾルの次男。官位は従五位上・能登守。梨壺の五人。三十六歌仙の一人。今日正札会へ開場の10時には入口にいた一緒のお弟子様は森金さんとサカチカさん賑やかな二人だタクシーでも大きな声でお喋りうるさいと注意私も含めてだがまずは四階から茶事に使えるようなものにジャカジャカ札を置いて行く良いね道具の買い物は実に楽しい時代の金蒔絵棗煮物椀作家物の中次へぎ目白檀塗盆明治江戸時代舟形向付呉須赤絵の皿茶杓色々などなど正札会は二万円から良いものを手頃な値段で買える場合もなにするも体力が必要だお昼抜きで集中二時半すぎ新橋亭で昼食楽しい一日だったね茂る夏草

  • とどろくなかに かがよひて

    斎藤茂吉いかづちのとどろくなかにかがよひて黄なる光のただならぬはや斎藤茂吉1882~1953明治生まれ、大正昭和前期の日本の歌人・精神科医。伊藤左千夫門下。アララギの中心人物。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。今日は土曜日銀座の古美術店で待ち合わせ私は銀毛織の出袱紗を買ったがそれぞれ買い物して近くの蕎麦屋でお昼昭和時代そのままの店構えと店内天ざるに鮪、だし巻き玉子焼に板わさをツマミにしてそれに八海山おのおのグラスで来る昔のおじさん達が蕎麦屋で楽しく一杯やっていたそのまま我らも真似っこ昼から日本酒でほろ酔いなんて世の中変わったものだやれば何でも出来る時代嬉しいね店を出て美術倶楽部での正札会へ行く出来上がっているのでゆっくり道具を味わってる暇などないただただ二階を一周してやめ新橋の喫茶店へ行くケーキ...とどろくなかにかがよひて

  • ひとふしに

    ひとふしによろずよこめてくれ竹おくふしたけをたてまつりけむ八十八媼志支婦今日は木曜日日曜日は七夕今日は高畠式部の竹の自画賛高畠式部タカバタケシキブ幕末明治初期の歌人1785~188196歳でなくなったがこの時代、誠に長命だ伊勢国松坂の商家に生まれ香川景樹のち千種有功に師事和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ式部の八十八歳で描いた竹の絵は非常に力強い見習おう我々まだまだひとふしに

  • 七重八重花は咲けども山吹の

    兼明親王(後拾遺1154)七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき(あやしき)太田道灌の雨具借りの故事に登場する古歌実がならないのは八重咲の花普通の一重の山吹は実を持つ今日は七事式の会小熊の会だ午前の班と午後の班おのおの今日は五名ずつ科目は廻り花之式それと一二三之式を二順し平花月優雅で充実した時間を共有した今回で11回めかな大分慣れてきた感じ七事式は・花月・且座 ・茶かぶき・員茶 (かずちゃ) ・回り炭・回り花・一二三 この会のお稽古あと残りは茶カブキだけだが茶カブキは濃茶四服まわし飲みゆえしばらく不可能一通りは経験した事にしよう今日集まった廻り花の茶花秋海棠木槿水引白河原撫子糸ススキ松明草薮ミョウガヤマボウシ八重ヤマブキ源氏物語の《野分》にある玉鬘のことを八重山吹の咲き乱れたる盛りに露のかか...七重八重花は咲けども山吹の

  • とはぬもつらし、とふもうるさし

    今日は読売カルチャー利休の茶の継承者達利休の「武蔵鐙の文」は織部に宛てた有名な文だがその手紙の和歌武蔵鐙ムサシアブミさすがに道の遠ければ問わぬも床し問うも嬉ししこれには本歌がある百人一首の小式部内侍の和歌大江山いく野の道の遠ければまだ踏みも見ず天橋立また伊勢物語の十三武蔵鐙ムサシアブミから武蔵国さすがにかけて頼むにはとはぬもつらしとふもうるさしそういえば伊勢物語を読んでるとき武蔵鐙ムサシアブミ聞いたことあるなぁと思っていたがこれだったんだ出かけてチョット勉強するとぐだぐだの日常が少し引き締まった気がする今日はミーちゃんを病院に連れていった爪を切ってもらってついでに血液検査もした人並みに数値が出て人間と一緒だ腎臓と肝臓の数値がチョットオーバーでも年齢を考えると健康な方ですよと言われた健康な方ねぇいやい...とはぬもつらし、とふもうるさし

  • さ庭べの

    さ庭べの草煙り居る薄暑かな龍之介墨跡をかける時にはたくぼくを末座の方へ大方はひけ利休百首絵の物を掛る時にはたくぼくを印ある方へ引きおくもよし利休百首啄木タクボクは軸を巻いておく巻き緒のことつまり巻き緒は下座に引くのだが絵の時は筆者の署名、花押、印の方へ引いても良いというピンポンが鳴るとアマゾンかお中元の季節になった写真の福みたらしというお菓子親戚の今日子から届いた物お店は滋賀県の菓匠禄兵衛滋賀県老舗醤油屋ダイコウ醤油使用とあるダイコウ醤油とは1853年(嘉永五年)【ダイコウ醤油】は滋賀県・木之本で産声をあげました。古くから交通の要衝として栄えた木之本は、伊吹山系からの伏流水で豊かな自然の恵みを一杯受けた土地で、古くから酒や醤油などの醸造業が栄えた地でもあります。ダイコウ醤油は150余年の歴史と伝統に培わ...さ庭べの

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