10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
藤原定家影宿す程なき袖の露の上に馴れても疎き宵の稲妻台風十号は迷走中遠雷が聞こえる雨はまだ先月のカルチャーの勉強会下記は『茶禅録』よりそもそも茶の根本は、道具の善悪ヨシアシを選ばず、点茶の型の美醜を論ぜず、ただ茶器を扱い三昧の境地に入って自己の本性を感ずる修行にある茶事に際して時制を求める方法とは心を一点に向け雑念を払う集中心を持って茶器を扱う三昧のことである点前に集中扱う茶道具に集中普段のお稽古でもそうありたいね写真は八月二十日の東博の表慶館ヒョウケイカンなんと美しいことか宵の稲妻
野分して盥に雨を聞夜哉芭蕉台風が来てると具合がわるいやる気がなくなる身体を動かしたくない文字を見たくないゴロゴロしていたいでも大丈夫今日は食事会綱島のふくもと四名で会食とうもろこしとお豆腐に蓴菜のたれ美味しい八寸は干菓子盆のよう美しく盛られてるやってきたのは鱧と松茸の土瓶蒸し秋の気配もちらほら感じ始めた松茸の香り歯ごたえがうれしいお造りはイキイキとして見事雲丹は苦手なので辛子さんへ大きめの鮎お一人は召し上がらないとのことで鮎と薩摩芋と交換有り難く二匹をムシャムシャ完食香ばしく頭からかぶり付いた夏野菜の冷製ごま和えこのあとは蟹と玉蜀黍のご飯香の物にナメコの赤だしさすがにこれは入らない赤だしだけ飲んでご飯と香の物はお土産にしたお菓子は竹流し盛り込んだ器が魅力的だ水羊羹が入ってる上品な美味元気になったぞ雨を聞く夜
与謝野晶子流れ星うつくしかりき君とわれくつは虫啼く原にかかりぬ今日はサカチカさんちの茶事の水屋逆勝手の正午茶事茶道口をいつもと変えると逆勝手の点前ができるからやってみようではないかと席が逆勝手でもそれをお客様に強制はしない普段通りにお願いしよう待合は森村宜稲本席は寂蓮の古筆懐石は晩夏の献立初炭のあと菓子虎屋の黒梨中立し銅鑼で入る御座は唐物籠にムクゲと糸薄と金水引濃茶は各服点濃茶茶碗がいくつか使われるかつては一つの茶碗で回しのみこれこそ一座建立だがまだ抵抗がある流れ星
修理寮の雨にくれゆく木槿哉蕪村今日は水曜稽古夕方になると雨が降ってきた遠くに雷の音も聞こえてくる朝切った木槿はお昼頃には頭を垂れてしぼんでしまった余りの暑さに茶席に入れる花がない写真は新井勝利の巻物をひろげている姫ぎみ巻物をよく見ると鶴と波の絵が描かれている新井勝利アライショウリは1895-1972大正-昭和時代の日本画家。明治28年3月6日生まれ。梶田半古,安田靫彦にまなび,昭和5年「葡萄」が院展に初入選。15年から19年まで法隆寺壁画模写に従事した。24年多摩美大教授。昭和47年6月21日死去。77歳。東京出身。本名は勝利(かつとし)。雨にくれゆく木槿哉
法師蝉到るところに日影かな汀女今日は神護寺展へ東京国立博物館神護寺創健1200年記念特別展9月8日まで空海も見つめたご本尊寺外初公開とか平安貴族祈りと美神護寺経は紺紙金字一切経五千巻のうち二千巻余りが現存する截金文様きらめく平安仏画の名品は後期の展示で拝見できなかったかわりに有名な源頼朝像光る君への大河ドラマにも飾られていた山水センズイ屏風を拝見密教の灌頂カンジョウの場で用いられたと書いてあった天気も良く日中は暑い博物館は涼い有難い仏像に囲まれて過ごす夏休み降るように蝉が鳴いてた久しぶりに法隆寺館に寄ると小学生の子供が摩耶夫人のところに急ぎ足でやってきてああコレコレだよ真剣に飛鳥の観音像を見ているお母さんらしき人に博士ちゃんかしらと声をかけるとそうなると良いのですがと返事があったいつかテレビに出るわね...神護寺展
藤原定家さえのぼる月のひかりにことそひて秋のいろなるほしあひのそら今日は土曜日待ち合わせして出光美術館の「日本・東洋」陶磁の清華有楽町から歩いて五分位エレベーターで九階に降りるとすでに十名くらいが開場を待っていた五分待って入場した出光美術館は帝劇ビルの建替計画にともない、令和六年末で休館する展覧会はあと一回開かれる玉澗「山市晴嵐図」、無準師範の額字「選佛場」拝見したその後は銀座へ松屋をウロウロレストラン階の銀座アスターで中華美味しかったその後は六階の珈琲ショップ「キャンティ」でケーキセットたべて満足新しいサンダルで痛いのなんの早くに帰ろうさえのぼる月のひかりに
流星の俄ニワカに太し月の空播水播水バンスイとは五十嵐播水俳人・医者。兵庫県生。名は久雄。京大医学部卒。神戸市民病院副院長。ホトトギス同人。平成12年(2000)歿、101才。今日は金曜日台風の為もろもろの用事はキャンセル電車が止まったりして帰れなくなっても一大事残念だがキャンセルが安心昨日は木曜稽古夜の部の稽古は旧暦のお盆でお休み三時半で終了した楽チン写真は巻物をひろげている平安の姫君描かれている鶴と波の絵が見える新井勝利アライショウリ1895-197277歳。大正-昭和時代の日本画家。明治28年3月6日東京に生まれ。梶田半古,安田靫彦に学ぶ昭和5年「葡萄(ぶどう)」が院展に初入選。15年から19年まで法隆寺壁画模写に従事した。24年多摩美大教授。昭和47年6月21日死去。流星の
人里とひらけゆかむか中々におしまるるかな千草咲く野辺芳田老人芳田老人とは阪正臣バンマサオミの事安政2年3月21日(新暦1855年5月7日)生~昭和6年(1931)8月26日歿名古屋花屋町(愛知県)の農家に生まれる。名は正臣、字は從叟、幼名は政之介。号は茅田小民・木隠弟鬼・観石・桃坪その居を樅屋と称した。歌人・書家。高崎正風門下で書を坂広雄に、歌を富樫広厚に学び、宮内省御歌所寄人を務め、漢字と仮名の調和にかけては及ぶ者無しと称された今日は水曜稽古今日のお稽古ありますかと御弟子様とお菓子屋さんから問い合わせお盆でもお稽古有りますいつもと同じです写真は今日の掛けもの阪正臣の自画賛千草咲く野辺
北原白秋高々とのうぜんかづら咲きにけりただにあはれと観つつ籠コモらむのうぜんの暮月曜日は研究会だった会員の辛子さんがお持ちになったもの写真がそれの裏側ネットで調べると蟠桃核バントウカクという墨だった中国上代伝説中の西王母が持つと言う桃の核を模した墨。明代になると戯曲にまでなり、三月三日には西王母を祀る蟠桃会が催されるように民間行事にまでなった。その故かこの墨はかなり多い。良い墨は少なく粗雑なものが多いが、形が変っていて喜ぶ人もいる。『文房古玩事典』とのことただにあはれと
梶の葉を朗詠集の栞かな蕪村今日は文の会いつものイタリアンは予約が取れずいつもの中華屋へ開店と同時に入ったバイ様と二人なので端の席に座ると外は次々と満員になってきた生ビールに餃子油淋鶏セットともやしと豚バラ炒めセットスープにご飯と冷奴最後に杏仁豆腐合計で2,940円くらいだった家に帰ってフルーツ葡萄と桃を食べて珈琲とお煎餅何でもいくらでも食べられるのに驚く食べられるうちは元気だ文の会では集中して伊勢物語を音読するが集中力はたいして続かない次へのしおりは梶の葉朗詠集の栞
紀貫之ひとしれず空をながめて天の川波うちつけにものをこそおもへ今日は金曜日お豆腐料理のお店へ好きな食べ物は何だろう好き嫌いが多いと回りから思われているが本人は何でも食べられると思ってる嫌なのはまずホルモン系レバー類は食べられないそれから鰻は無理ウニも駄目イクラもいらないだけだけど鮑は食べられる以外の貝類は駄目そうそう好きな食べ物は湯葉ゆばだった今日はお豆腐料理湯葉のお鍋や御料理がたくさん出てくるおなかに丁度良い満腹でたんぱく質をたっぷり取ったひとしれず空をながめて
与謝野晶子水盤に紅おとすよりあてやかに早くひるごる星月夜かな昨日水曜日今日は木曜日八月でも稽古はある暑い中フーフーしながら稽古にやって来てくれる幸いを味わっている桔梗の短冊は中村岳陵ナカムラガクリョウ1890年3月10日-1969年11月20日)、日本画家。静岡県下田市生まれ。本名は恒吉。芸術院会員。毎日芸術大賞・朝日文化賞受賞。文化功労者。文化勲章受章。星月夜かな
与謝野晶子くろぐろと鉄をよそほひ生りいでし茄子を打ちぬあけがたの雨今日は読売カルチヤー1828文政11年寂庵宗澤の著作「禅茶録」この書は柳宗悦をして「凡ての茶人の座右に置くべき名著だ」と言わしめた古典的作とのことだが知らないこと知るのは楽しいランチはつばめグリルで和風ハンバーグステーキにはおろしが乗ってるなすと万願寺唐辛子のグリル添えジャガバターもついてるそれにプラス丸々のトマトサラダもそれから紅茶で完了茄子ナスビを打ちぬあけがたの雨
命なりわずかの笠の下涼ミ芭蕉今日は月曜日2回目の丑の日とか宮川から鰻取りますとのこと友人のおうちへ食事会四名で夏のお宅訪問皆さん四十年からの友人性格は変わっていない私は鰻いらないからと幕の内まずは食事をして先を争ってお喋り暫くするとテーブルクロスを変えて後座になると九州の「鈴懸」のお菓子に美味しいお煎茶その後フルーツいろいろお片付け中の色々からエス先生から頂いた志野のお茶碗と蓋置それと電熱器あるのに火起こしと十能またまた増えてしまった道具笠の下涼ミ
和泉式部ありとしもたのむべきかは世中をしらする物は朝顔の花今日は朝日カルチヤーへくずし字を読む教室終わるのは二時半カルチヤーで午後二時半にサカチカさんと待ち合わせて駅ビルのアフタヌーンティーでフルーツクレープとアイスクリームと紅茶のセットわりとおなかが一杯だがこれは別腹ペロッと食べて満足写真は加賀千代女といどの朝顔に釣瓶取られて貰い水朝顔の花
藤原有家夕立の雲の水脈より伝ひきて軒端に落つる滝の白糸藤原有家フジワラノアリイエ1216.~1155平安時代末,鎌倉時代初期の歌人。藤原氏北家末茂流。父は大宰大弐重家。母は藤原家成の娘。幼名は仲家。従三位大蔵卿に至り,建保3(1215)年に出家。法名は寂印。建久5(1194)年『六百番歌合』,建仁3(1203)年『千五百番歌合』など多くの歌合,歌会に出詠。六条家の人でありながら,藤原俊成・定家の御子左家に近い立場をとり,「夢かよふ道さへ絶えぬ呉竹の伏見の里の雪の下折」などの秀歌を残した。『新古今和歌集』の選者のひとり。『続歌仙落書』は,その歌風を「雪積もれる富士の山」の情景に譬えている。(朝日日本歴史人物事典ヨリ)写真は今日の朝ごはんお弟子様からのお土産金目鯛の干物一枚食べたらご飯は入らなくなった滝の白糸
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
俊恵法師影うつす水のこころやあさからむすむほどもなき星合の空俊恵しゅんえ永久元年(1113年)~建久2年(1191年)頃?)平安末期の僧・歌人。父は源俊頼。母は橘敦隆の娘。早くに東大寺の僧となり、俊恵法師とも呼ばれる。俊恵作と伝えられている歌、千百首あまりであるが、その多くは四十歳以降に詠まれたものである。白川の自坊を「歌林苑」と名付け、そこに藤原清輔・源頼政・殷富門院大輔など多くの歌人を集めてさかんに歌会・歌合を開催し、衰えつつあった当時の歌壇に大きな刺激を与えた。鴨長明の師である。その歌論は『無名抄』などにもみえる。風景と心情が重なり合った象徴的な美の世界や、余情を重んじて、多くを語らない中世的なもの静かさが漂う世界を、和歌のうえで表現しようとした。同じく幽玄の美を著そうとした藤原俊成とは異なる幽玄を...星合の空
花朝女夏草に蓬もまじりのびにけり筆者は生田花朝女いくたかちょうじょ1889年(明治22年)11月22日~1978年(昭和53年)3月29日)明治から昭和にかけての日本画家。(ウィキペディアより)今日は水曜稽古白木蓮の枝がすごく伸びてきたずっと気にはなっていたが何しろ暑いし物凄く蚊がくるしやりたくないやりたくないが仕方ない今日切らないとどんどん暑くなるらしいから切ることにした朝五時に起きて長枝挟みで切る切る長い枝は切ってから手で折るたちまちごみ袋から溢れ木蓮の木はスッキリ気分もスッキリした夏草に
後徳大寺左大臣ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる後徳大寺左大臣1139~1191本名は藤原実定サネザネ大炊御門右大臣藤原公能キンヨシの子供藤原定家のいとこ。祖父も徳大寺左大臣と称されたので、区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれる。詩歌管弦に優れ、平安時代末期の平氏が栄えた時代に大臣の職にあった。今日は森金さんのお茶事の水屋跡見なのでいつもの茶事より時間も短い庭の秋海棠と高砂芙蓉を切っていくと花溜めに木槿の白とピンクに水引があった花を活ける時は誰もが真剣無口になってる花は亭主がいける花はもてなし有明の月ぞ残れる
風吹て廻り燈籠の浮世かな子規今日は七月十五日午後二時頃自転車に乗ってお坊さんがやってくるお盆の棚経をあげてくれるのだまずお布施の用意筆ペンを探してお金を用意銘々皿に和菓子すぐにお薄を点てられるように撫子の色絵平茶碗を用意ティフアールの温度は80度お菓子を召し上がりお薄をおまちのお坊様へ「お待たせしました」これも茶の湯懐石の献立は常にアンテナを出して新しい使えそうなものを探そう人は何でもすぐに飽きるからね味噌汁は味噌を必ず使うこと具は精進ものを一つ脇役を添えても可白味噌と赤味噌の割合を変えつつ一年の変化を見せることそれに出汁は最上の昆布と鰹節で引くこと懐石は非日常なんだから味噌汁の具風炉白玉団子焼湯葉栗焼豆腐南瓜新管牛蒡ムカゴタラの芽蓮芋アスパラガスゼンマイ舞茸しめじ小茄子ずいき胡麻豆腐子芋冬瓜丁子麩粟麩と...廻り燈籠の浮世かな
寂蓮山賤の契のほどや忍ぶらん夜をのみ待つ夕顔の花今日は文の会会員のバイ様は先週金曜日に熱中症になり救急車で運ばれたとたまたま電話をしたところ具合の悪そうな声でそう言う友達を一人失くしてしまうかと恐ろしかった今日はもう元気おつまみを頼んでワインで乾杯パスタをシェアしていつもと同じいつもと同じがいいお喋りして気づいたら三時半急いで伊勢物語を音読四時過ぎまでちょっと読んだそれで終了いつもと同じ夜をのみ待つ夕顔の花
伊勢いづこにも咲きはすらめど我が宿のやまと撫子たれに見せまし茶事の取合メモ七月初旬は星祭り歌切や懐紙七夕の掛けよう梶の葉飾っても良し糸巻きギヤマン星や織姫彦星中旬はお盆の取合せ紺地金泥の古経二月堂焼経、泉福寺焼経だったら願ってもない観音、達磨、怖いけど地獄下旬は涼しいもの滝の画白紙賛でも掛けて青磁や染付どっぷりと水を含ませた南蛮の水指今日は朝日カルチャーへいく日だか暑いのなんのって暑い途中電話があった「講師の先生が高熱を出されて休講です」午後の1時は美容院予約済み時間を変更して涼しい美容院へ直行髪を短くカットと炭酸シャンプーで5,420円慣れてるのでおまかせお昼はコンビニで取りそろえ帰った家も暑い蒸し暑いエアコン強め扇風機は2台回しの涼やかな風鮪の海苔巻き鶏とポテトのナンチャラベーコンと青菜のサラダ食後の...たれに見せまし
灰汁桶アクオケの蝶のきげんや木下闇一茶音もせで水流れけり木下闇漱石木下闇コシタヤミ鬱蒼と茂る木立の下の暗がりのこと。昼でも暗く涼しい。夏の強い日差しのもとでは闇のようである。今日は蒸し暑かった木曜稽古は朝九時から夜は九時半まで木曜は夜は二名昼間は四、五名なのにサカチカさんねこさんダブリュウさんヤチコさんクマさんアイテラさん森金さん秋さんヤマナさん雷蔵くんいのちゃん忙しいと思ったら十一名が見えたあっという間の一日そういう日もある結構な一日だ写真はいのちゃんから頂いた写真ノウゼンカズラ夏だね木下闇コシタヤミ
社頭水正臣みたらしはいづくはあれど五十鈴川千歳の杉の陰うつる水みたらし【御手洗】→寺社の境内にあって、参詣者が手や口を水で清める所。ミタライとも。手水いづくはあれど→他の場所はともかくとして正臣は阪正臣バンマサオミ明治〜昭和期の歌人1855~1931尾張国名古屋花屋町別名号=茅田,樅園経歴明治6年上京し、権田直助に師事。20年御歌所に入り、28年華族女学校教授。30年御歌所寄人、40年御歌所主事となる。歌は高崎正風に学び、また書をよくした。今日は水曜稽古暑い一日だったがなぜか台子の点前をする人が多かった暑いからこそ難しい点前をしたほうが集中できるのだ五十鈴川
空腹に雷ひびく夏野哉一茶今日は○○研究会古鏡と古瓦古鏡は平安時代の和鏡に限る古瓦の蓮華文軒丸瓦は飛鳥時代は→素弁蓮華文白鳳時代前半は→単弁蓮華文白鳳時代後半以降は→複弁蓮華文暑い午後だもん真剣に講義を受けていたからああ疲れた写真はもうすぐ咲くであろう烏瓜カラスウリの白い蕾花咲くとレースみたいで綺麗だ別名玉章タマズサ玉梓タマズサ狐の枕キツネノマクラとも言うらしいカラスウリの根薬効は利尿、便秘カラスウリの実薬効はしもやけキカラスウリの根薬効は解熱キカラスウリのタネ薬効はせきどめ、たんきり漢方薬になってる夏野かな
源順野辺ごとに茂る夏草ふかくこそ契りおきしか千歳枯れじと源順ミナモトノシタゴウ平安時代中期の貴族・歌人・学者。嵯峨源氏、大納言・源定の曾孫。左馬允・源挙コゾルの次男。官位は従五位上・能登守。梨壺の五人。三十六歌仙の一人。今日正札会へ開場の10時には入口にいた一緒のお弟子様は森金さんとサカチカさん賑やかな二人だタクシーでも大きな声でお喋りうるさいと注意私も含めてだがまずは四階から茶事に使えるようなものにジャカジャカ札を置いて行く良いね道具の買い物は実に楽しい時代の金蒔絵棗煮物椀作家物の中次へぎ目白檀塗盆明治江戸時代舟形向付呉須赤絵の皿茶杓色々などなど正札会は二万円から良いものを手頃な値段で買える場合もなにするも体力が必要だお昼抜きで集中二時半すぎ新橋亭で昼食楽しい一日だったね茂る夏草
斎藤茂吉いかづちのとどろくなかにかがよひて黄なる光のただならぬはや斎藤茂吉1882~1953明治生まれ、大正昭和前期の日本の歌人・精神科医。伊藤左千夫門下。アララギの中心人物。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。今日は土曜日銀座の古美術店で待ち合わせ私は銀毛織の出袱紗を買ったがそれぞれ買い物して近くの蕎麦屋でお昼昭和時代そのままの店構えと店内天ざるに鮪、だし巻き玉子焼に板わさをツマミにしてそれに八海山おのおのグラスで来る昔のおじさん達が蕎麦屋で楽しく一杯やっていたそのまま我らも真似っこ昼から日本酒でほろ酔いなんて世の中変わったものだやれば何でも出来る時代嬉しいね店を出て美術倶楽部での正札会へ行く出来上がっているのでゆっくり道具を味わってる暇などないただただ二階を一周してやめ新橋の喫茶店へ行くケーキ...とどろくなかにかがよひて
ひとふしによろずよこめてくれ竹おくふしたけをたてまつりけむ八十八媼志支婦今日は木曜日日曜日は七夕今日は高畠式部の竹の自画賛高畠式部タカバタケシキブ幕末明治初期の歌人1785~188196歳でなくなったがこの時代、誠に長命だ伊勢国松坂の商家に生まれ香川景樹のち千種有功に師事和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ式部の八十八歳で描いた竹の絵は非常に力強い見習おう我々まだまだひとふしに
兼明親王(後拾遺1154)七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞかなしき(あやしき)太田道灌の雨具借りの故事に登場する古歌実がならないのは八重咲の花普通の一重の山吹は実を持つ今日は七事式の会小熊の会だ午前の班と午後の班おのおの今日は五名ずつ科目は廻り花之式それと一二三之式を二順し平花月優雅で充実した時間を共有した今回で11回めかな大分慣れてきた感じ七事式は・花月・且座 ・茶かぶき・員茶 (かずちゃ) ・回り炭・回り花・一二三 この会のお稽古あと残りは茶カブキだけだが茶カブキは濃茶四服まわし飲みゆえしばらく不可能一通りは経験した事にしよう今日集まった廻り花の茶花秋海棠木槿水引白河原撫子糸ススキ松明草薮ミョウガヤマボウシ八重ヤマブキ源氏物語の《野分》にある玉鬘のことを八重山吹の咲き乱れたる盛りに露のかか...七重八重花は咲けども山吹の
今日は読売カルチャー利休の茶の継承者達利休の「武蔵鐙の文」は織部に宛てた有名な文だがその手紙の和歌武蔵鐙ムサシアブミさすがに道の遠ければ問わぬも床し問うも嬉ししこれには本歌がある百人一首の小式部内侍の和歌大江山いく野の道の遠ければまだ踏みも見ず天橋立また伊勢物語の十三武蔵鐙ムサシアブミから武蔵国さすがにかけて頼むにはとはぬもつらしとふもうるさしそういえば伊勢物語を読んでるとき武蔵鐙ムサシアブミ聞いたことあるなぁと思っていたがこれだったんだ出かけてチョット勉強するとぐだぐだの日常が少し引き締まった気がする今日はミーちゃんを病院に連れていった爪を切ってもらってついでに血液検査もした人並みに数値が出て人間と一緒だ腎臓と肝臓の数値がチョットオーバーでも年齢を考えると健康な方ですよと言われた健康な方ねぇいやい...とはぬもつらし、とふもうるさし
さ庭べの草煙り居る薄暑かな龍之介墨跡をかける時にはたくぼくを末座の方へ大方はひけ利休百首絵の物を掛る時にはたくぼくを印ある方へ引きおくもよし利休百首啄木タクボクは軸を巻いておく巻き緒のことつまり巻き緒は下座に引くのだが絵の時は筆者の署名、花押、印の方へ引いても良いというピンポンが鳴るとアマゾンかお中元の季節になった写真の福みたらしというお菓子親戚の今日子から届いた物お店は滋賀県の菓匠禄兵衛滋賀県老舗醤油屋ダイコウ醤油使用とあるダイコウ醤油とは1853年(嘉永五年)【ダイコウ醤油】は滋賀県・木之本で産声をあげました。古くから交通の要衝として栄えた木之本は、伊吹山系からの伏流水で豊かな自然の恵みを一杯受けた土地で、古くから酒や醤油などの醸造業が栄えた地でもあります。ダイコウ醤油は150余年の歴史と伝統に培わ...さ庭べの
心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花源氏物語、夕顔今日は日曜日大河ドラマの光る君へ毎週楽しみにしてるむしろこの為の一週間でもあるそれとアニメ怪獣8号これがとてつもなく良い流れる音楽も激しい画面も眼を話せないテレビっていつまでも見ていられるのだ好きでない番組もあるが録画してあるものを見ればほとんど飽きないときたま居眠りガクンと首を反らしてしまいムチ打ちの心配何度もだ妹がコロナで入院して一週間が過ぎた熱も下がり陰圧室から普通の病室に変わったひとまず安心外出もできずひとりで暇だったのでアイスクリームにお菓子に菓子パン栄養も考えず好きなものばかり食べ好きなときに寝てゆっくり起きてたいくらでも自堕落になれるものだ写真は六月の17日のパレスサイドホテルの白鳥心あてに
ひるがほやあぶなき橋に水鏡千代女午前11時から日本陶磁協会のオンライン講座講師は宮武慶之氏[同志社大学研究員「”目利き”とはをテーマに」第1回は「江戸の材木商・冬木屋-ふたつの唐物茶入の流出後-」時間になりズームを見る油屋肩衝と冬木弦付の茶入のお話し知らないことばかり勉強になったひるがほや
源経信五月雨に玉江の水やまさるらむ蘆の下葉の隠れゆくかな源経信ミナモトノツネノブ平安時代後期の公家・歌人。官位は正二位・大納言。桂大納言と号す。小倉百人一首では大納言経信。主君は後一条天皇→後朱雀天皇→後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇外は激しい雨が降っているパラパラと脇にある茶のノートを手に取ると塗師の道志と道恵のことがかいてあった道志は満田石州の定塗師満田道志ミツダドウシ道恵は近藤加賀前田家代々ご用絵師近藤道恵コンドウドウエ江戸初期から続く塗師の家系がたどれるのは中村宗哲家のみ満田道志家近藤道恵家も明治維新後には家業が成り立たなくなったようだ蒔絵の山本春正家も江戸初期から十代続いたがやはり明治期に絶えていると私のメモ蘆の下葉の隠れゆくかな
夏河を越すうれしさよ手に草履蕪村先週の稽古のあと朱色の帛紗を誰か忘れていった名前は書いてないけど多分○○さん帛紗を腰につけるのは中国の風習の悪気からの護身のため腰につける「佩玉ハイギョク」からきてるとの説がある茶では亭主であることの表示と清浄心を現すため腰につけると言う帛紗袱紗服紗福紗とも書きもとは寸法も色々だった茶で使う帛紗は武野紹鴎の頃からあったようで利休が小田原出陣の際妻の宗恩が棗を包むのに作った寸法が手頃であったので寸法として一定し五寸の古帛紗も宗恩が考案したとかは有名な話し帛紗は使い捨てが本来だが古帛紗や出し帛紗は鑑賞の対象とも茶人は帛紗と古帛紗や出し帛紗を常に所持つけるときは帯のラインに垂直になるようにする業躰先生にまず注意されるところだ夏河を越す
曽禰好忠野中にはゆきかふ道も見えぬまでなべて夏草繁りあひけりわが庭はすでに夏盛り夏草が背が高くなった奥の方には宗旦木槿が花咲いた秋海棠も花さいて松明草に高砂芙蓉今週は稽古も休んだのでせっかくの花が使えないがまた咲いてくれるだろう今日行く今日用がある老人に必要なキョウイクとキョウヨウ教育教養と言われるが妹の関係でしばし外出できずお茶のお稽古のお弟子様をもおやすみとなると必須なのはゴミ出しの曜日だけその他のことは何もない幸い自分は熱もなく喉も痛くないボーッとしてビデオを見る黒澤明の白黒映画「生きる」主演の志村喬が祖父に似てた写真は松明草ゆきかふ道も見えぬまで