10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
ぢりぢりと向日葵枯るる残暑かな龍之介昨日は水曜稽古寄付には渡辺清のイタチの画渡辺清ワタナベキヨシは谷文晁から「名古屋の上手」と評された絵師。安永7年(1778年)~文久元年5月7日(1861年6月14日))尾張国名古屋出身の復古大和絵画家。イタチとは、食肉目イタチ科イタチ属の哺乳類の総称。体は細く、脚が短く、尾は長い。夜行性でネズミやニワトリ、昆虫などを捕食。敵に襲われると肛門腺から悪臭を放って逃げる。イタチの語源は諸説あるが、1.魚を捕らえるのが上手く、食い尽くしてしまうため「ウオタチ(魚絶ち)」の説。2.イタチは体毛が赤く、前足を上げて立ち上がった姿が火柱に似ることから、「ヒタチ(火立ち)」の説。3.獲物を捕らえる時、息をしないで近づくことから、「イキタチ(息絶ち)」の説。4.敵に襲われると屁を放っ...向日葵枯るる残暑
紀貫之からごろも打つこゑきけば月きよみまだねぬ人を空にしるかな友人からのメールに砧の絵は秋に掛けますか砧って何かしらという質問だ調べたウィキペディアの説明をメールした砧とは、洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ棒や槌でたたいて柔らかくしたり皺をのばすための道具。また、この道具を用いた布打ちの作業を指す。古代から伝承された民具であり、古くは夜になるとあちこちの家で砧の音がした。その印象的な音は多くの和歌にも詠まれ、また数多くの浮世絵の題材とされてきた。日本の家庭では、炭を使うアイロンが普及した明治時代には廃れたが、朝鮮では1970年代まで使われていた。現在では完全に廃れている。厚布を棒に巻き付け、その上に織物の表を内側にして巻き付け、さらに外側を厚手の綿布で包み、これを木や石の台に乗せ、平均するように槌(つち...まだねぬ人を空にしるかな
式子内親王草枕はかなく宿るれ露の上をたえだえみがく宵の稲妻式子内親王ショクシナイシンノウ又はシキシナイシンノウ久安5年(1149年)~建仁元年1月25日(1201年3月1日))日本の皇族。賀茂斎院。新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。後白河天皇の第3皇女母は藤原成子(藤原季成の女)で、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王は同母兄弟。.高倉天皇は異母弟にあたる。萱斎院、大炊御門斎院とも呼ばれた。法号承如法。写真はなだ万のお弁当古いお友達がお二人お弁当とスイカそれにバナナ加えてクッキーのお持たせ何気ないお喋りを楽しむお弁当も美味しくあらかじめ用意した無花果イチジクお持たせのスイカインスタントの珈琲午後には生菓子にお薄でほっとするやはりお茶は良いねFw:宵の稲妻
匂欄の擬宝珠に一つ蜻蛉哉夏目漱石今日は土曜日茶事の予定だったが取りやめになった何の用事もない日は何するのと聞くと家事が終わったら片付けそして何でもいいから捨てるのとアドバイスありでもってコンビニにアイスクリームを買いに出たがあまりの暑さにボーテレビと昼寝これ擬宝珠に一つ
蓼の穂を真壺に蔵す法師かな蕪村真壺は呂宋壺の事蓼の穂は塩漬けにして食用にするようだ法師は僧侶の事真壺にお茶でなく蓼の穂が入ってるようだ今日は金曜日何もない日だがお客様が見える予定ひとりはお弟子様のサカチカさんもう一方は生命保険屋さんパジャマではいられない写真は水曜日お弟子様のチコさんのお土産金沢うら田の愛香菓と言うお菓子包装もお味もお洒落真壺に蔵す
初秋の芭蕉動きぬ枕元漱石今日は木曜稽古お休みのお弟子様もいて昼間の稽古が早く終わってもう読まないお茶の本やいらない本など片付けたがちっともスッキリしない写真は松坂帰庵マツザカキアン筆「萬里浮雲巻碧山青天中道流孤月」萬里浮雲碧山を卷き青天中道孤月を流すその時、萬里の遠きに亙れる雪げの雲は、碧山を捲き去り、青天の中間に、ずっと道を開いて、そこから、弧月が流れ出した。李白の詩李白は701-762盛唐の詩人。杜甫と並び称される。蜀の錦州彰明県青蓮郷の人で青蓮居士と号した。幼にして俊才、剣術を習い任侠の徒と交わる。長じて中国各地を遍歴し、42歳より44歳まで玄宗皇帝の側近にあり、のち再び各地を転々とし多くの詩をのこす。安禄山の乱に遭遇して、罪を得たがのち赦される。62歳病のため没す。松坂帰庵はマツザカキアン真言...初秋の芭蕉動きぬ
寝る外に分別はなし花木槿一茶今日は水曜稽古先週は珍しくお休みにした一週間だけだが久しぶりの気がする庭の真っ白な遠州木槿に水引を添える花入は織部木槿のその花びらはなんとも言えない清潔な白さ惚れ惚れ感心す今日の掛けものは松坂帰庵お弟子様に江戸後期の僧だと嘘を言ってしまった松坂帰庵マツザカキアン1891-1959明治24年4月5日生まれ。岡山市の真言宗法界院住持。書をはじめ絵画,短歌,陶芸にすぐれた。法界院の石造十三重塔,梵鐘,鐘楼などをととのえた。昭和34年8月23日死去。68歳。岡山県出身。真言宗聯合京都大(現種智院大)卒。名は旭信。知ってるつもりだったが違っていたやはり何事も確認してから言おうテレビを観ていたら少し困難な道を選んだ人の方が運がつくと頑張ろう頑張る頑張ればなんとかなる写真は月曜日の帝国ホテ...花木槿
修理寮の雨にくれゆく木槿哉蕪村うちの木槿はもうおしまい今日は食事会帝国ホテルのレ・セゾンフランス料理のランチ非日常の世界だ嬉しい食事のあと出光美術館の券があるので歩いて行くところが月曜日は休みなのを忘れていたタクシーでサントリー美術館へ【虫めづる日本の人々】2023年7月22日(土)~9月18日(月・祝)あらゆるところに虫が登場してる宋元画から絵巻物虫の歌合着物の模様やかんざし硯箱や香箱ゆっくりたっぷり美術品を拝見した雨にくれゆく木槿哉
与謝野晶子流れ星うつくしかりき君とわれくつは虫啼く原にかかりぬ今日は日曜日「どうする家康」「日曜劇場『VIVANT』」毎週楽しみにしてるこのところ片付けを結構したつもりでもステロ捨てろと人の言う古びても美ハしき唐子の遊ぶ柄捨つるも惜しき羽織その裏村雨庵くつは虫啼く
樋口一葉寂しさもまぎれなくこそなりにけれ更けてさやけきこほろぎの声今日は茶事正午茶事森金さんの茶事の水屋を担当もう一人サカチカさんと二人で水屋お客様は久しぶりのA子さんと四十年来のお友達謡い仕舞いは喜多流の対さんと毎月ご一緒のヤワラさんの三名様お目にかかるのが何より嬉しいね写真は待合の軸探幽タンユウ筆の文徴明の臨画コオロギの画のようだ文徴明ブンチョウメイ1470―1559中国、明代中期の文人、書画家。初名は璧(へき)、字(あざな)は徴明。号は衡山(こうざん)。長洲(江蘇省蘇州)の人。科挙の試験に数度失敗したが、1523年(嘉靖2)翰林待詔(かんりんたいしょう)を授かる。ほどなく致仕して帰郷、詩書画の世界に没入した。彼の人徳とその才を慕って多くの文人が集まり、詩書画に華を咲かせることとなった。書は李応禎(...更けてさやけきこほろぎの声
本名は頓とわからず草の花夏目漱石福永武彦の「草の花」という本が確かあった今日は五時に起きて昨日出たゴミの類い段ボールなどゴミ収集場所に出す段ボールが3箱ビニールの袋のごみが7袋紙ゴミが5袋ほど家の中スッキリしたかと思えばたいして変わりない片付けたのは天袋の中だから草の花
古りけりな道風の額秋の風夏目漱石小野道風オノノミチカゼ道風の作品は、雄渾豊麗、温雅で優れ、草書は爽快で絶妙を極め、その筆跡を「野跡」という。醍醐天皇は深くその書を愛好され、醍醐寺の榜や行草法帖各一巻を書かせた。真跡・三体白氏詩巻-(国宝)正木美術館蔵・智証大師諡号勅書-(国宝)東京国立博物館蔵・屏風土代-三の丸尚蔵館蔵・玉泉帖-三の丸尚蔵館蔵・絹地切-東京国立博物館ほか分蔵古来、道風を伝承筆者とするが、疑問視されているもの・継色紙-東京国立博物館蔵・秋萩帖-(国宝)東京国立博物館蔵・本阿弥切・愛知切・綾地切・小嶋切・大内切・八幡切今日も片付けの日捨てるものを袋に入れて一部は外に出すそういえば昨日は人を頼んだので玄関を開けたり閉めたりしていた皆さんが帰ってからふと気がついたミーちゃんどこミーちゃんどこにい...道風の額
送り火やわかれた人に別れあり也有今日は五山の送り火この時期に京都へ行ったことはない混んでるんだろうね今日はいつもの掃除の手伝いの方が見えて天袋の荷物をみな下ろしてもらったお習字の半紙と条副の束通販で買った食器の箱も開けてないものが六箱捨てたのにまだ残っていたLPレコードが10枚位あった古いバックのいろいろエナメルのハンドバッグクロコダイルのショルダーバック重くて大きなボストンバッグなど忘れてた物ばかり天袋は空っぽになってスッキリした手伝いの人も見えてワイワイお稽古はお休みなのにピンポンベルがなり数さんが見えた今日のお稽古はないんですかと焦りお一人お休みの連絡を忘れたお許しを送り火や
野分して盥タライに雨を聞夜哉芭蕉写真は浜離宮のゴイサギ緑の陰に隠れている暑いから日陰にいたいのだろう今日は森金さんの茶事の水屋に入る台風が来るというので当日までどうなるのか不安こちらには来なくなった様子で茶事はなんとか開催できたまたこの熱暑では庭の花が皆無まして昨日夜中の大雨で咲きそうな木槿の花はみな落ちてしまったが本人が見つけた桃色の木槿ちょうど可憐に咲いて矢筈薄と吾亦紅と籠の花入へひとまず安心今日は水屋に古志ちゃんが入って二人で担当休む暇なく体と頭を動かし一日はあっという間に過ぎるねこの頃野分して
道のべの木槿は馬にくはれけり芭蕉今日は○○研究会暑い早めに辛子さんと待ち合わせてお昼を食べる駅から降りたらすごい雨でも駅のすぐちかくなので濡れずにお店に入れたランチのサンドイッチと珈琲食べた後は晴れて傘はいらないよしよしさて丸棗を清める時は横から持つか掌にのせるかどっち日の丸棗などの丸棗は毬棗とも呼ばれ丸い形の薄器である扱うときは甲赤茶器と同様に→左掌にのせて二引きで清める茶をいれるときも左掌にのせて蓋は草の位置茶碗と膝前の中央におくと昔の淡交写真は岡本太郎「明日の神話」描かれているのは原爆が炸裂する悲劇の瞬間。人は残酷な惨劇さえも誇らかに乗り越えることができる。そしてその先にこそ『明日の神話』が生まれるのだ。との岡本太郎の強いメッセージが込められている。のだ。木槿は馬にくはれけり
与謝野晶子流れ星うつくしかりき君とわれくつは虫啼く原にかかりぬ写真の掛軸筆者は冷泉為村年毎トシゴトに生オイそふ竹の代々ヨヨを経てかわらぬ色をたれと彼は見む冷泉為村はレイゼイタメムラ江戸時代中期の公卿・歌人。権大納言・冷泉為久の子。官位は正二位・権大納言。上冷泉家15代当主。上冷泉家中興の祖とされている。歌人としてのみならず茶の湯も嗜み、自作の茶杓や竹花入などが現存している。(ウィキペディアヨリ)流れ星うつくしかりき
禅定ゼンジョウの僧を囲んで鳴く蚊かな夏目漱石わが庭は草ぼうぼう蚊がたくさん昨日は蚊取り線香の大箱を2つ買った今日は文の会写真はいつものイタリアングラスワインとおつまみこのあとパスタが二皿が来る帰ってから珈琲と凛さんから頂いた葡萄をたくさん食べた秋の味覚だその後ゆっくりのんびり「伊勢物語」を読むが声がかすれてる近頃は歌も謡いも何もしてないからだろう禅定ゼンジョウの僧
柿本人麻呂天の川安の渡りに舟浮けて秋立つ待つと妹に告げこそ安の渡り=安(やす)の河(かは)」の渡し場。天の川の渡船場。今日は木曜稽古久し振りにKABA.ちゃんがお稽古にやってきた乗馬と弓道は続けてるとのこと元気で良かったね安の渡り
古今集・夏凡河内躬恒オオシオウチノミツネ夏と秋と行きかふそらの通路はかたへすゞしき風やふくらん今日は水曜稽古8月は逆勝手の点前やってみよう頭を使って暑さを忘れよう写真は烏丸光廣読んでる最中だそらの通路
藤原敏行秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる今日はお習字の日先生の森金先生は10時にお弟子様の大豆様は1時にいらして仮名と細字などを書かれた様子私めはちょっと片付けお習字の道具も出さいきあずさわらずほかのことをしていた学校のと気とす朝ドラの「らんまん」を毎日、楽しみに観ている写真のわが庭の植物もどんどん茂って益々道を狭くしてる、秋きぬと。
藤原定家さえのぼる月のひかりにことそひて秋のいろなるほしあひのそら今日は日曜日御弟子様のところで懐石と茶事の稽古一汁五菜それぞれの下ごしらえ小吸物八寸湯桶と香の物写真は今日の主菓子銘は「夏休み」ほしあひのそら
星月夜山なみ低うなりにけり龍之介今日は土曜日午前中はいつもの病院へお盆休みがあるので早めに薬をもらいに行った午後は朝日カルチャーの講座へそのあとは寄り道しないでまっすぐ帰る今日の教材は狭衣物語。【狭衣物語】とはサゴロモモノガタリ平安中期の四巻からなる物語。作者は禖子内親王宣旨(ばいしないしんのうせんじ)。延久・承保(一〇六九‐七七)ころ、狭衣大将の、いとこの源氏宮とのとげられぬ恋を中心に、女二宮や飛鳥井の姫君との悲恋を述べる。写真は横浜駅のホームで撮った何だろう星月夜
花むくげはだか童のかざし哉芭蕉今日はふくもとの食事会トウモロコシ豆腐八寸はふぐ翡翠銀杏の塩煎りチーズ博多枝豆コケモモ鮎一夜干し鴨ロース煮あわび海老真丈酢蓮サーモン煮物椀すっぽん真丈、サーベルいんげん芽ネギ、茗荷鱧落とし鮪トロ鯛山葵、胡瓜焼物賀茂茄子二色田楽万願寺唐辛子、ケシの実焼物笹敷いて太刀魚、薩摩芋、茗荷カボストウモロコシご飯汁蜆汁香の物お菓子練切銘「水芙蓉」お薄満足お店を出るとサウナのようバスから降りるとコンビニ寄って冷やし中華とアイス三個家に帰るとついつい昼寝爆睡で起きたら冷やし中華それも美味だった花むくげ
向日葵も油ぎりけり午後一時芥川龍之介今日は木曜稽古掛物は読むのも難しい清風匝地有何極せいふうそうち何のきわまりかあらん『碧巌録』第一則匝地ソウチ…すべての大地匝ソウ、メグル…1.めぐる、めぐらす。2.あまねし、一そろい清風セイフウ…清らかな風。涼しい風。さわやかな風。すずかぜ。すがすがしい風。清新な空気・気分。「古往今來清風の吹き通しじや。心に掛る事は微塵もない」『禅語字彙』碧巌録では清風(真理)はあらゆる場所(匝地)をめぐりだれの窓にも吹いているのだがただ人がその存在に気づかないだけであるとのことだ一行も読みにくいしその意味も分かりにくい向日葵ヒマワリも
町行けば思はぬ空に花火かな龍之介今日は水曜稽古月に一度の七事式をクマショウさんちで出張稽古涼やかな八畳床の間に「雲収山岳青」が掛かってる日出乾坤輝ヒイデテケンコンカガヤク雲収山岳青クモオサマッテサンガクアオシ対句になっている雲収山岳青は山を仏性雲を煩悩とみれば本来の仏性本来の己は煩悩をぬぐい去り悟りの境地に至ればありありと見えてくるのだ写真はねぶた絵クマショウさんの姉さんは言った「義経がほしかったけどこれは弁慶なのよ」東北三大祭のひとつねぶた祭りはネットでみると2023年8月2日(水)~8月7日(月)なるほどね元気になる気がする思はぬ空に花火かな
式子内親王夏の夜はやがてかたぶく三日月の見る程もなく明くる山の端今日は読売カルチャー茶話指月集を読むと侘び寂びという言葉が出てくる紹鴎は侘びを「正直に慎み深くおごらぬ様」『南方録』では、侘が「清浄無垢の仏世界」岡倉覚三は「茶道の根本は‘不完全なもの’を敬う心にあり」さびは→動詞「さ(寂)ぶ」の連用形から》1古びて味わいのあること。枯れた渋い趣。2閑寂枯淡の趣。3声の質で、低く渋みのあるもの。4謡曲・語り物などの声の質で、声帯を強く震わせて発する、調子の低いもの。5連歌・俳諧、特に、蕉風俳諧で重んじられた理念。中世の幽玄・わびの美意識にたち、もの静かで落ち着いた奥ゆかしい風情が、洗練されて自然と外ににおい出たもの。閑寂さが芸術化されたた句の情調。(ウィキペディアヨリ)写真は2017の8月朔日の紫兎先生の玄関夏の夜は
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会
昨日は水曜稽古だがブログも書けずねてしまった木曜稽古松波資之のほととぎすの和歌を掛ける湖遠郭公遊山から崎のまつとはなしにほととぎすききつるばかりうれしきはなし松波資之マツナミスケユキ1831*-1906幕末-明治時代の歌人。天保元年12月19日生まれ。安芸広島の商人岡田集介の次男。京都徳大寺家につかえ,のち北面の武士松波家の養子となる。香川景樹にまなび,景樹没後はその子の景恒をたすけて東塢塾を主宰。維新後は皇太后宮の内舎人ウドネリ,雑掌をつとめた。明治39年9月13日死去。77歳。通称は直三郎,大学大允。号は遊山,随所。歌集に「花仙堂家集」。(日本人名大辞典ヨリ)唐崎というと近江八景の「唐崎夜雨」を思い浮かべる唐崎は『万葉集』の「さざなみの志賀の辛崎幸あれど大宮人の船待ちかねつ」『蜻蛉日記』では都人が唐...唐崎夜雨