10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
如月や電車に遠き山の手のからたち垣に三十三才ミソサザイ鳴く木下利玄木下利玄キノシタリゲン1886-1925明治-大正時代の歌人。明治19年1月1日生まれ。伯父の木下利恭の養子。はやくから佐佐木信綱に師事し,「心の花」同人となる。明治43年「白樺」創刊に参加。口語的な発想,四四調の破調など,利玄調とよばれる作風で知られた。大正14年2月15日死去。40歳。岡山県出身。東京帝大卒。本名は利玄(としはる)。歌集に「銀」「紅玉」「一路」。いよいよ二月の晦日ミソカだ一月は往イぬる二月は逃げる三月は去る冬も終わり春になるその春はあっという間に時が経って四月五月もそう先の事ではないだろう今日は四月に招かれた茶事への手紙を書く下手な字だがお習字をちょっと習ったからってそうそう治らない下手のまま出すしかない諦めた如月や
紅梅や文箱差出す高蒔絵漱石今日は昨日の茶事の御礼を書く日巻き紙に封筒を用意硯に水を数滴おとし墨をすり文章を考える穏やかな陽射しの腰掛に座ると足元には苔の緑に藪柑子の赤色見上げると紅梅が可憐に揺れておりましたなんと風雅なことでせうこのたびの茶飯釜の茶事しばし悠楽の時を過ごさせて頂きましたゆったりお茶席におりますと俗世の塵芥が清められ心から癒される思いでございました素敵なお道具の取合せを味わい回り花には緊張しながらも楽しく参加し立派なお茶入とその箱書も興味深く先生のお話しはとてもわかりやすく楽しゅうございましたありがとうございました。また必ずお目にかかれると信じております乱発乱文お許しの程時節柄御身お大切にご自愛下さいませかしこという感じでどうだろう文箱差出す高蒔絵
紅梅や式部納言の話聲子規式部納言とは紫式部と清少納言だろう今日は他流の茶飯釜の茶事へ待合せの時間よりだいぶ早く着いたので駅近のスターバックスでアメリカンワッフルと珈琲で時間調整青い髪の女性スタッフさんにキャラメルソースを掛けてもらったその人の対応する感じがとても好ましい茶事は待合から腰掛、紅梅が見事蹲そして本席へ挨拶のあと初炭手前お持ち出しの長盆に、蓋置と釜敷、柄杓に建水、しゃもじと箸に火吹き竹が乗ってる茶飯釜にお米のサラサラと落ちる音折敷が運ばれる向付に四つ椀と朱杯一献やがて炊き上がったご飯を杓文字で三角に取り、飯器に盛り手鞠麩のみそ汁煮物椀は真丈焼物は引重で鰤の幽庵預けは鴨丸と山芋にスナップエンドウ和え物は蛍烏賊とうど、うるいのぬた相伴の後の小吸物はたらの芽八寸はコゴミと子持鮎香の物は沢庵に赤かぶと大...式部納言の話聲ハナシゴエ
紀貫之なきとむる、花しなければ鶯もはてはものうくなりぬべらなり茶入の蓋の金箔がなあ蓋は象牙かつて名人と言われる象牙蓋の作者が江戸にいた立佐リュウサ立古リュウコ印斎インサイ半清ハンセイなどが知られるまた茶入の盆として若狭盆、松の木盆、羽田盆、存星、キンマ、俱利、ハシカ彫、堆黒、堆朱、紅華緑葉、青貝花しなければ鶯も
猫の恋やむとき閨ネヤの朧月オボロヅキ芭蕉今日は金曜日午前中は予約したクリニックへコブシの花芽が空を向いて立ちあがるあと十日くらいしたら蕾もほころぶかも我が家の椿も咲き始めたお弟子様が読めないからと写真を送ってきた少しクセがあるが読みやすい人声は紅葉の奥に聞こゆれど影こそ見えね庭広くして庭紅葉寄人ヨリウド源英一杣人ソマビトも帰りはてにし夕山ユウヤマの霞カスミの奥に鴬の鳴く夕鶯筆者は長野生まれの遠山英一トオヤマエイイチ御歌所寄人ヨリウドである。文久三年生まれ昭和三十年93歳で亡くなった。号に篁堂・虚心園。はじめ小出粲、のち高崎正風に師事。新聞雑誌に携わる傍、和歌の研究に従事した。猫の恋
春めくといふ言の葉をくりかへしみどり女今日は裏千家東京道場コロナ禍でずっとおやすみしていた好日会が三年ぶりに復活以前と少し異なりつも始まった二月初旬には大宗匠百寿の茶会が披かれまた今日は天皇誕生日の祝日それら三つの祝意を込めて取合せたとう黒田和哉先生の濃茶席茶会記は淡交に掲載されるが引き締まった格の高いお道具広間に御客様は二十名濃茶を頂いた後もみごとなお道具に皆様離れがたく大寄せとは思えぬほどゆっくり茶席に留まるそれぞれのお道具の詳しい説明を受け晴れの茶を堪能し満ちた薄茶席も終ると午後一時過ぎ点心は辻留のお持帰り同行のお友達十名では近くに食べるところは無いお弁当は重たい心は満足でもおなかはしきりに訴える茶会の余情残心を語りあいゆっくりと頂戴したいものしばし後にはおなかは収まり賑やかに御開きした春めく
源実朝わが宿の八重の紅梅さきにけり知るも知らぬもなべてとはなむ写真は光琳屋敷満開の紅梅が見事だった今日は熱海MOA美術館の光琳茶会へ品川から朝八時ちょい過ぎの新幹線こだま八時四十二分熱海着濃茶席に薄茶席が二席そのあと昼食は三友居早めに着いたのでどの席も待たずスムーズにまわれた晴天の茶会日和を七名で廻るも楽し茶席の床はみな素晴らしくマスク常備ゆえ近ずきて拝見長次郎の茶碗も手に触れらるる至福眼福の一日あとはゆっくり美術館の展示拝見してから熱海駅ビル珈琲にシナモンロールも難なくお腹におさまりお喋りは途切れず続くが明日もあるからその辺で家に着いてもまだまだ早い時間早起きの日は一日が長い明日も茶会だ八重の紅梅さきにけり
下もえをうらからのぞく土橋かな千代女お茶の点前は習う先生によって異なる事があるその先生の付いている業躰先生によっても違うしね最近では大炉の雪輪瓦を羽箒で掃く時さらっと私は掃いていたが雪輪の花弁をひとつずつくるりくるりと掃く人もあるとお弟子様に聞いた聞いたことないなぁ好奇心強く、物事を深く知ろうとしてる友人に聞くとそれはずっと昔にあったかもよ今はさぁーと掃きますよと聞いてスッキリ今日は昨日の続きの確定申告の書類を揃えることは何とか整ったあとは会計事務所へ届けるだけほっとした良かったうれしいスッキリした明日は茶会で熱海へ行くので朝早いのでここまで下もえを
白魚に己れ恥ぢずや川蒸気漱石写真は土曜日のお料理白魚の卵寄せ春は白魚だ白魚は大きくなったらなんと言う大人になっても白魚は白魚だと教えてもらったそうなんだ今日はお習字細字を一枚書いて、終了残りの時間は確定申告の準備決まったところにいれてある申告関係の書類を揃えるだけなのに非常に疲れる続きはまただ明日頑張ろう白魚に
にがにがしいつまで嵐ふきの塔宗鑑山崎宗鑑ヤマザキソウカン室町後期の禅僧、連歌師。俳諧選集「犬筑波集」の撰者。氏名、出生など諸説があり未詳。出家して禅林に入り、諸国を遍歴行脚し、晩年は山崎に庵を結び閑居したと伝えられる。生没年未詳。天文八年(一五三九)以降に七五歳以上の高齢で没したらしい。昨日のお料理の焼物は寒鱒カンマスと蕗の薹フキノトウの天麩羅テンプラそれを食べた後蕗の薹の苦味がずっとずっと残っている今も記憶に残っている春は苦味を盛るすごく美味しいと思うのは大人になったんだいや老人だ老人でも今までどおり楽しいことけっこう有るよ若者よ安心したまえ今日は文の会いつものイタリアンの店でバイ様と待ち合わせ席は満席予約してあったから良かった赤ワインとおつまみパスタを二つそれにサラダなどランチを食べてから家で伊勢...いつまで嵐ふきの塔
白魚や黒き目を明く法の網芭蕉今日は毎月の楽しみいつもの食事会白魚の卵寄せが出た四人で玉乃光を二合飲んでいい気分可愛いものだ写真はコースの中の鯉こく絶品だ白魚や
源実朝わが宿の八重の紅梅さきにけり知るも知らぬもなべてとはなむなべて→全般に。総じて。すべて。一般に。ひととおり。あたりまえ。普通。今日は朝日カルチャー。講義がおわりテーブルに並べられたお茶碗を手にとって拝見するのだが道具の扱いがわからない人が多い会員の一人が、後ろの方から片手を伸ばし机から離れて拝見してる。机の上で見れば万が一落としても10センチか20センチ。机を離れれば床まで1メートル以上。落としたらこなごなです。私は片手で取ってはダメです。又、他のお茶碗が有るのにその上で見たら、落としたら二つ割れますよ。と見知らぬ人に注意しました。道具を拝見するマナーを知らないと、見知らぬおばさんに。みんなの前で注意されますよ。八重の紅梅さきにけり
ものの葉のまだものめかぬ余寒かな千代女もの‐の‐め【物の芽】萌え出るいろいろの植物の芽。《季春》もののめのあらはれ出でし大事かな虚子今朝は寒かった今日は木曜稽古二ヶ所の炉に炭をおこし早めに炉に釜を掛けたがなかなか暖まらない二月の大炉は今日でおしまい来週のお稽古は個人的都合でおやすみだ逆勝手のお点前は案外記憶が体に残り、本勝手に戻ってもどちらが正しいか迷ったりするやはりなんと行っても本勝手が楽だ二月は大炉か逆勝手又は八炉の色々を各自が決めて点前をするのだがずっとコロナの影響で予定どおりに稽古はできなかった面白そうなら行ってみよう体力などなど可能ならばあれこれ忘れて行動あるのみだまだものめかぬ
今日は水曜稽古大炉の点前は何より炭手前が面白い初炭もまた後炭も面白い月はじめの大炉の茶会をインスタにアップした宜しければご覧ください写真は今日の掛物古筆筆者は一条内経一条内経イチジョウウチツネ1291-1325鎌倉時代の公卿,歌人。正応4年7月17日生まれ。一条内実(うちざね)の長男。母は一条実経の娘。正安2年従三位。権大納言などをへて,文保2年内大臣にすすみ,ついで関白となる。従一位。「玉葉和歌集」などの勅撰集に23首おさめられている。正中2年10月1日死去。35歳。法号は芬陀利華院。歌集に「内経公百首」。歌は新古今集二月雪落衣といふことをよみ侍ける康資王母むめちらす風もこえてやふきつらんかほれる雪のそてにみたるゝ題しらす西行法師とめこかしむめさかりなるわかやとをうときも人はおりにこそよれ百首哥たてま...二月雪落衣
躬恒春の夜のやみはあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるるこのうたは謡の詞章に確かにあったがすぐには思い出せない梅の花が咲くまで15年かかるらしい桃栗3年、柿8年、梅は酸い酸い13年、柚子は大馬鹿18年、林檎ニコニコ25年だそうだ今日はお習字硬筆のペン字を練習する日何枚か書いて今月分はとりあえず完成した小さな満足写真はうちの胡蝶ワビスケやみはあやなし梅の花
春なれや名もなき山の薄霞芭蕉日没がだんだん伸びてきた今日は5時21分コロナ禍でお休みしていた研究会が四月から再開する会員の皆さんにメールで連絡するとすぐに何通か返信を頂いた短いメールの文章でもその方の声や姿が浮かんでくる四月が楽しみだ茶道具の箱で杉箱は苦手だ台子の箱台目棚の箱三友棚の箱杉箱だと非常に重たい取り出すのも大変だし兎に角邪魔なので新しいものは破棄した古いものも覚悟を決めて破棄中身だけだと気楽で使う回数が増えた箱は桐箱が一番良い柔らかくて軽い加工に便利衝撃を緩和させる白くてきれいだ少し凹んでも湿すと戻るとか節が少なく木目がきれい上等になるほど細かくて平行柾目マサメと言う古い茶道具に桐だけど柾目でないものがあるそれは根っこを使ったもので根目ネモクといい面白がって使ったとお道具屋さんに聞いたことがある...春なれや
藤原定家春の夜は月の桂もにほふらむ光に梅の色はまがひぬ月の桂古代中国の伝説で、月の中にはえているという高さが五〇〇丈(約一五〇〇メートル)の桂の木。月の中の桂。月桂(げっけい)。転じて、月、月の光などをいう。《季・秋》今日はお弟子様のお茶事の水屋を担当このお弟子様は御客様をお招きして毎月茶事を披いている今日の御客様は三名茶事は亭主も水屋もすることが次から次へと沢山あってあっという間に一日がすぎた茶事が人生を豊かにする帰りに今日のお菓子を貰った春の夜は
眠れねば香きく風の二月かな水巴渡辺水巴ワタナベスイハ1882-1946明治-昭和時代の俳人。明治15年6月16日生まれ。昭和21年8月13日死去。65歳。東京出身。日本画家渡辺省亭ワタナベセイテイの長男。内藤鳴雪の門人。のち高浜虚子の教えをうけ,「ホトトギス」で活躍。本名は義(よし)。古い茶道具を買うとその箱に何か紙が貼ってあることがある銘や伝来が書いてあれば→貼紙品番や季節、所蔵印など整理札が貼ってあれば→貼札また箱の甲や裏に箱書があったり中に極めが入っていたり箱の材質や形真田紐の種類や皮紐の位置知らないこともたくさんある道具やさんに教えて貰ったりして少しずつ知識が増えてくるのも買わずともいや買えなくとも古い道具を見るという楽しみがある眠れねば香きく
三味線に冴えたる撥バチの春浅し漱石今日は雪が降るというので出かける予定は早めに取り止め先生にメールを送る電車が止まったりして帰れなくなったら大変雪で転んでも大変家に静かに居よう寝坊して昼寝して早寝しようさて分かりにくいものに落款と花押がある花押カオウとはなにかこれはサインのことで、自署のかわりに書く記号で、書判カキハンとも言う。主な茶人や流儀の歴の宗匠など知らないと困ることある若いうちに覚えておくと、その後ずっと使える見れば人物がわかり、時代や趣味がわかる昔の誰だか不明な花押が付いた茶道具もいくつかある有名でない人はこの後ずっと不明のままだ印とはいわゆる「はんこ」のことだが在印ザイインとは、箱に判子がおされてる後の人が箱書押印したものも含むようだそれでは落款とはウィキペディアには落成款識(らくせいかん...春浅し
西行春あさみ篠のまがきに風さえてまだ雪消えぬしがらきの里明日は雪の予報だが本とに降るのか今日は木曜稽古二月は大炉の点前を稽古する大炉は一尺八寸四方実に暖かい点前は逆勝手躰を動かすにも頭を使う春あさみ
大伴家持うち靡ナビく春ともしるくうぐひすは植木の木間を鳴きわたらなむ今日は水曜稽古掛けものは一行山家富貴銀千樹サンカノフウキギンセンジュこれには対句がある漁夫風流玉一簑ギョフノフウリュウギョクイッサ意味は「雪景色を詠じた詩。この現成そのまま悟りの妙趣。この天然の風流は何物にも喩え難い」『禅林句集』柴山全慶編とあるお稽古に届いたお菓子は鶯の練切と草餅春だ春ともしるく
与謝野晶子あかしやに柔き芽をはこび来る二月の雨の白き足もと乾燥してる雨が降らないから喉も肌も声もカラカラ今日は読売カルチャー小座敷に衝上ツキアゲ窓をつけたのは北向道陳。床の寸法を四尺三寸に縮めたのは道庵だったが、利休もそれをよしとして、その通りにした。また灰匙も昔は竹に土器カワラケなどをさしはさめるを、道庵は金にして柄をつけた。利休はそれを飯杓子のようだとわらったが、のちに利休も金に柄をつけた。と茶話指月集にあった利休様を倣ナラって良いところはためらわず取り入れよう二月の雨
素性法師春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く今日はお習字のお稽古久し振りまず書道道具を出す必要がある硯を用意水の用意紙に文鎮セットしてみると筆がない探したが見つからないとりあえず前回使って干したままの筆を使って楷書を三枚書いて行書二枚仮名とペン字提出する事に意義がある春たてば
紀貫之袖ひちてむすびし水のこぼれるを春立つけふの風やとくらん今日は立春朝日カルチャーのくずし字入門住吉物語を読んだ【住吉物語】鎌倉初期の物語。2巻。作者・成立年未詳。源氏物語・枕草子に名がみえるが、現存の物語は改作といわれる。中納言の姫君は継母の悪計を避けて住吉の尼のもとに身を寄せるが、長谷観音の利益で少将と結ばれる。継子ままこいじめの物語の代表作。絵巻にも作られる詞書コトバガキのところをほんのわずかだが読んだお勉強は午後1時からその前に大江戸線で築地へかつおぶしを買った土曜日のせいか歩けないほど混んでた春立つけふの風やとくらん
節分や鬼もくすしも草の戸に虚子今日は節分節分は立春の前日だが立夏、立秋、立冬の前日も節分旧暦では立春が一年のはじまりなので、その前日の節分の日は大晦日となる重要な日でもあったようだ今日はみんなと待ち合わせて茶道具屋さんの節分茶会へ名品を拝見し堪能した帰りは中華料理円卓でシェアするのも久し振りだ三年ぶり以上だ頗る美味で満足最後は写真の杏仁豆腐店を出て今度は珈琲私だけケーキセットだったけどお喋りは尽きない茶道具屋の小さな旅何時もながらああぁ楽しかったね鬼もくすしも草の戸に
真青な柊挿せる軒端かな青邨柊を挿すひびも古フり軒柱ノキバシラ青邨山口青邨ヤマグチセイソン1892-1988大正-昭和時代の俳人,鉱山学者。明治25年5月10日生まれ。古河鉱業などをへて母校東京帝大の教授。高浜虚子にまなび,大正11年水原秋桜子らと東大俳句会をおこす。「ホトトギス」同人。「夏草」を創刊,主宰。昭和63年12月15日死去。96歳。岩手県出身。つい最近の事だが一畳のホットカーペットの電源がつかなくなってしまったそう古くはないのだがどこかが壊れたのだろう電源が入らなくてもふかふか暖かそうだし水屋の敷物くらいにはなるかもとずるずると引っ張って敷いてみた丁度いい感じコードが長くて邪魔なのでそこにあったキッチン鋏でガリガリとコードを切った途端にバシッと火花が出て切れたコードの先を見るとまだコンセント...真青な柊挿せる軒端かな
正月になったと思ったらもう今日は2月だ1月往ぬる、2月は逃げる、3月は去る4月は知る5月は動く6月は苦労する7月は慣れる8月ははじける9月は汲み取る10月は重ねる(10月=じゅう=重=重ねる)11月は重ねて射止める(11月=じゅういち=重射=重ねて射止める)12月はしわ寄せる(12月=しわす=しわよせる)とネットに出てた今日は2月
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10/2gooブログが終了しますのでアメーバブログに移転予定です引っ越しするのに自分では出来かねまして専門の方に頼んでおりますのでそれまで少しお休みさせて下さい5月は薫風自南来気持ちよい風に吹かれて美味しいものを食べたい麗しいお道具を拝見したいと願ってる毎日です写真は綱島のフクモトの御料理薫風自南来
今日は火曜日鶯谷で皆さんと待合せ東博特別展へ「蔦屋重三郎コンテンツビジネスの風雲児」吉原大門を入ると吉原大通の桜が出迎えるいい気分出口近くには耕書堂の店大川端から花火も見れるいい気分だ平成館2025年4月22日(火)~2025年6月15日(日)「一目千本」と「写楽」を前期21作品をたっぷり拝見他のは通りすぎるだけだったお昼はホテルオークラガーデンテラスで三時は松坂屋の二階のカフエケーキが凄くフルーツたくさんでも高いけど珈琲SETとお喋り楽しまた行きましょう東博へ東博へ行こう
名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと伊勢物語の9段『東下り』今日は茶会大磯の松月茶会へ薄茶席担当のお道具屋さんからご案内初めて参加す風情がある料亭での茶会雨の予報だったが曇晴れ上等濃茶席は胡銅花入に牡丹薄茶席は竹花入にもみじと木苺写真は今日の点心だ名にし負はば
今日は東美で和美の会へわりと空いていた感じ森金さんと待ち合せエフ先生と合流茶入茶杓を目的にとアッチコッチへうろちょろカタログにはあったが実物は売れてしまったのか姿が無かった江戸初期の茶杓は高い案外、茶入は安く買い時かもでも私は何も買えないけども楽しかった帰りはビールで乾杯しようかビアホールはシニア風な人々で溢れるばかり満員凄いエネルギーが充満してる感じみんな元気でいいね!東美和美の会
咲く花は八重か一重かおぼつかなおぼろ月夜の山蔭の道自画賛阪正臣筆4月8日火曜日はお釈迦様の誕生日その日は森金さんの水屋4月9日水曜日は大仏の日熊ショウさんちで七時式4月10日は村雨庵の稽古日明日はまた森金さんの水屋土曜日は和美の会日曜日はサカチカさんの水屋4月は何かとあわただしくこの後もずっと予定が詰まっている良いような悪いような突き進むしかないが出来なくなったら自然に止むはず咲く花は
たんぽぽや折々さます蝶の夢加賀千代女土曜日は茶事手伝い昨日の日曜日は倍様と文の会前回は1月なので久しぶり伊勢物語を音読お昼はいつものイタリアンいつもの前菜とワインそれにパスタ2種いつもでも支払い金額はだんだん増えてる新しいエアコンを買ったので午後から取付作業前のエアコンを外す我が家は古い家軒が出ている長押ナゲシの上の壁に穴をあけて一度軒ノキの上に出し軒ノキを下にと穴を開けパイプをとおして外に出す直角に曲げるので古いエアコンを外すときも据えるときもそれが大変電気屋さんはいつもの電気屋さんがお歳でお店を閉じてしまったので同じような方を紹介してもらったどうも私と同年代20キロのエアコン担いで脚立にのって一人で作業するのだが四苦八苦危うく落としそうになるので思わず下からエアコンを支えた順調にはいかない「どうぞ勉...タンポポや
今日はサカチカさんと銀座谷庄の茶会へ買うものは無いし見るだけだそれでも楽しいお互いどこかでお目にかかったようなと目が合い先日の柿伝の茶飯釜でご一緒だと気がついたまた護国寺で御目文字した竹とんぼさん達ともご縁ですね思いがけぬ場所での遭遇は嬉しいその後は歩いてぜん屋へ雨草履を買うつもりが低反発の草履を買ったそして歩いて「司」へ見るだけそれから歩いて京橋の「婆娑羅」で昼食ここは美味しいオープンキッチンでよくみえるそして歩いて東京駅大丸のイノダへ我慢できずケーキセット今日はよく歩いたらしく足裏に豆ができた有楽町、銀座から京橋、東京駅
花冷やはるかに燃ゆる花篝草城昨日は火曜日火曜日は南方録のお勉強今回は覚え書二十一飯台は机の如くして2人3人4人も台一つにて食する、これ禅林日用の作法なりしかるを紹鷗、宗易、大徳寺、南宗寺の衆を茶の時、折々飯台を出されしなり2畳3畳4畳別して四畳半によし茶立口の他に今一つ口ある座敷ならでは茶立口より出し入れは好まざることなり亭主まず台を座へかかえだし布巾にて清めさて食の椀に物相の飯を入れ蓋をし下に汁椀を重ねかくの如く客の数次第、引き盆に並べる出て台の上に上げ汁は汁次にて出す菜も鍋にても鉢にても出すその品次第の見合せなり酒は一、二返にてすむべし食椀の蓋にしたるものにて飲むなり客の食いよう別してきれいに喰うべし惣じて飯台の料理は殊更軽くすることなり汁一つ菜一つ、強いて二つ、茶うけのものなど出さざるもよしまた一様...花冷えや
今日はエイプリルフール4月の冷たい雨が降って懐炉を持っていないことに悔やんだ昨日はお茶碗研究会仁清乾山どの分野でもそうだがわかっているようでまだまだだと思い知らされる古清水は仁清以後~奥田頴川以前とか道具屋筋は明治でも古清水と言うと奥田頴川はトーハクに呉須赤絵の重要美術品色絵飛鳳文隅切膳がある陸方山とも号した建仁寺の南に開窯明の渡来人の子孫中国意匠の作品が多い特に呉須赤絵を得意京焼に磁器を導入,京焼黄金時代の因となった今日は読売カルチャーの南方録へ奥田頴川オクダエイセン
西行おしなべて花のさかりになりにけり山の端ごとにかかる白雲今日は川崎で食事会12名が賑やかにお喋りワイワイとお酒を飲んであっという間にお料理が並んだが誰もがムシャムシャ完食した身体も胃袋も元気帰りにお花見しながら帰ると言う人もみんな元気だねえ明日も元気で出かけようじゃないのおしなべて
今日はサカチカさんの茶事私は玉ちゃんと水屋担当今日の茶事は飯後の茶事菓子の茶事とも言う茶事は食事をお出しする朝茶正午夜咄の茶事が一般的だが飯後はその言葉どおり食事の合間にする茶なので3時間以内でするすると進めるでないとその後の食事にさわり不都合となる汲み出初炭香合をご覧に入れてその後吸い物八寸菓子椀中立となる後座の床は花となり続き薄茶でお開きだどんな茶でも一献あればそれは茶事になるとエス先生は仰ったお酒ばかりでは宴会と変わらない何事も程ほど写真は待合の床田中訥言筆「猫に蝶図」復興大和絵の祖といわれる江戸後期の画家中国では猫と蝶々の取合せは長寿を表す猫と蝶々の中国語maoとdieは70歳と80歳の発音が似てるそうなと亭主サカチカさんのお話しありサカチカサンノ飯後の茶事
桜狩り雨は降りきぬ同じくはぬるとも花の陰にかくらむ正二位季忠七十二歳画並書藤浪季忠フジナミスエタダ昨日はうちで茶事だった後期高齢者にしてはオーバーワーク亭主は身体と頭をフルに使うこと・1ヶ月前から手紙を書く・前日までに庭の点検(前日前には蹲や庭をする綺麗に掃除、枝をととのえる)炭を洗っておく・前日には茶事の道具箱から棚に並べる掛軸を掛ける(当日でも可)・当日2時間前に来て水撒き30分前にも水撒きする暑くなると15分前にも水撒きあとはいつものように炭、濃茶、薄茶の準備腰掛と待合の火入を出汲出を用意しておくお客様が挨拶に見えたら→汲出を出して「お腰掛けまでお出ましを」お客様が腰掛けに移られたら迎付け濡れ釜掛けて手掛かりを開ける挨拶→初炭手前炭斗下げたら後炭の用意炭道具はまだ乗せない後座の花を見積る香合をご...桜狩り
藤原良経春風の吹きにし日よりみ吉野の雪間の草ぞ色まさりゆく今日はほの暖かい春風が心地よい明日は自宅で社中の茶事だベテランの御弟子様たちは各自で茶事をひらくがコロナ禍前後に入門した若い御弟子様たちは安居の会という村雨庵の茶会を19回ひらいたがそれは虫養いムシヤシナイと菓子のあと中立濃茶後炭薄茶と続く小寄せの茶会懐石の部分を経験していない招待の手紙を出すところから始まりつくばいの掃除海の石を取り出し底をよく掃除回りの木々を整え庭の掃除わが家の濡れ縁を腰掛代わりにしているので外から窓を拭き網戸を拭きぬれ縁を拭いてもらうとっても助かる家の回りが清められて気持ちが良い炭を洗ったし明日の準備は良いかしらね亭主は暮れちゃんお客様は三名水屋は二名自分のおうちから道具を何回か運んだこの和歌は九条良経くじょうよしつね嘉応元~...春風の吹きにし日より
今日は広尾の茶会へ先月も伺ったが結構なお道具が出て勉強今日も尊円法親王の和漢朗詠集の3月3日「春来遍是桃花水不辨仙源何處尋」王維書き下し文は「春来っては遍ねくこれ桃花の水なれば仙源を弁(わきま)へず何れの処にか尋ねむ」王維十九歳陶淵明の影響を受け詠む「桃源の行」の一節尊円法親王は伏見天皇第6皇子。永仁6年8月1日(1298年9月7日)-延文元年/正平11年9月23日(1356年10月17日))は、青蓮院第十七世門跡。茶会は遊びのようで遊びでないかも濃茶のお菓子は富ヶ谷の岬屋金団薄茶のお菓子は伊織春来遍是桃花水
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶芭蕉今日はいつもの茶事水屋手伝いなー朝から春の明るい日射し何年か前は足が大変だったが元気になってよかったですねとご正客の言葉に膝が悪く辛い日々を思い出した喉もとすぎるとすぐ忘れる鈍感力起きよ起きよ
19日と20日は村雨庵の稽古日釣釜と透木釜どちらでも炭手前を出来るように稽古二碗物の茶通箱に続き薄茶教える方も習う方も能がよく働く茶通箱に利休好み薬籠蓋に仙翁好み桟蓋と玄々斎好み出会い桟蓋がある出会い桟蓋は持ってないので桟蓋の茶通箱で稽古茶通箱は焼物の茶入と棗を袋に入れた茶入を入れ薄器は棗と形の違うものを稽古では四滴の中から選んで使うはじめの濃茶を飲み茶名を伺うまではよいがそのあと正客はのんびりとしてるわけにはいかないよく言う茶巾袱紗で「今一種」塵打ち聞いたら出会いで返す二碗目の加減を問われて水が入ると「後の茶名」「前の茶入お仕服拝見」茶碗返しつ茶入に仕服を引く茶筅清めば拝見をする水指の蓋で拝見かけてそれを引くとき茶入仕服を返すというわけで気を抜く暇はない茶通箱
寄付は短冊森金さんが福田行雄先生より頂戴したもの待合は狩野派の桜に霞本席はお公家の桜の懐紙春永のひねもすをのたりとすごされてらっしゃるご様子楽しそうなお声が途切れない今日は4時半に起きたそろそろ眠たし昨日の茶事先生がそれでは春永ハルナガにお目にかかりませうと春分がすぎ日が長くなったらとのことだ是非とも森金さんの飯台茶事
今日は柿伝の茶飯釜の茶事初炭は管炭と枝炭は残し増やしたぎっちょと割りを丸くつぐサラサラと釜にお米を入れ炊ける間に香合の拝見あっという間にご飯は炊き上がり香ばしい良い香りが広がるまず一口の嬉しい時間だ今日は彼岸の入り生きてる生かされていることに感謝した一日写真は新宿のホームお茶らしい写真を撮れず茶飯釜の茶事
朝から雨だ今日は五島美術館美の友の茶会早めに行ったので44番三席目に入れた濃茶席は高野切の二の手水指はノンコウの桐紋薄作だそうだがこの茶会では何度も拝見する茶入は住吉茶碗は井戸九重茶杓は空中作釜はあられ釜五島の美の友には20代に入った昔のこの茶会は道具にたいして敬意をひょうし紋付きでと先輩にご指導あったが時代ともに色々変わる現在も全てが変更中振り落とされないようにしっかり五島美術館美の友茶会
今日は昔の友人と食事会お互いに誕生会を開いて60年今回は京橋の婆娑羅ランチ3,410円トマトすき焼が有名とか私は魚ゆっくり贈り物交換などは出来ないが美味予算内で友人の一人が肉が全てダメで場所を探すのも大変年に三回だから次からは金額はほどほどなら良い何でも値上がりこのご時世三千四千円ではなかなか難しいお昼のあとは銀座五丁目のトリコロールのケーキセット1,670円すごく良いのだがすごく混んでるそして外人が多い階段でならんで待つひたすら待つ次は山の誕生会六月予算が上がってどこになるかな楽しみ京橋~銀座
青うめをうてばかつ散る青葉かな蕪村今日は水曜稽古新聞を取りに木戸を開けようと歩くと両脇から木々が迫り狭い通路が益々狭く前の日の雨にしとどに濡れた葉の露に触れずには行けない花鋏を取りに戻って伸びてる枝をパシパシ切っていく新聞を取ると帰りも左右を切って戻る時間がないので足元に落ちた枝は足でジャカジャカ左右に押込み掃除は又だ木槿がまだ咲かずアジサイもうちにはない水引が順次かわいい花をさかせてはいるが主にはならない半夏生も白くなり始めたそれに今年始めてさいた松明草の三種でお弟子様に花をいれてもらった木槿がさかないと毎回花には不自由する公園の木槿は咲き始めたようだが我が家は日陰のためまだまだ花を何にするかいつも苦労する友人宅では野草園のように茶花を育てていたが狭い狭い庭では限られたものだけ日頃の回りの植物は良く観察...散る青葉
短夜のともし火残る御堂哉子規今日は山の誕生日会場所は東京駅すぐのpommed'Adamポムダダン丸ノ内ホテルの八階外の景色はすこぶる良い珈琲のあとプレゼントも交換してないし喋り足りないし少し歩いてパレスホテルへ珈琲を注文して御祝を渡してお菓子などの物々交換今日のお料理などのお喋り次は11月今度はイタリアンが良いと言うことになった短夜のともし火残る
大伴旅人橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き今日は跡見の茶事水屋は大したことをしないが私めは一応水屋担当茶会には7種類の方式がある茶事七式という暁の茶事、朝の茶事正午の茶事夜咄の茶事不時フジの茶事飯後ハンゴの茶事跡見アトミの茶事今日はその跡見茶事朝茶事または正午茶事の後引き続き行なうまたは日時をかえて行う茶事参会できなかった招待者や当日招待されなかった人々の申込みにより茶事の趣向や道具を使って披露ただし懐石は同様にせずその時々で考慮する融通無碍な茶事だ下記は2016/3/5の拙ブログの記事跡見の時知らせの鳴り物うたぬ事なり鳴らさぬように客は早くはいる濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶立ち炭をしても良い中立なくば諸荘又は濃茶の後花を軸に買えてもよし軸の所望をしても良い茶の順などは決まってなく薄...たちばなの花散里
藤原有家後の世を知らせがほにも篝火のこがれて過ぐる鵜飼舟哉藤原有家フジワラノアリイエ久寿二~建保四(1155-1216)藤原重家の3男。母は藤原家成の娘。従三位,大蔵卿となる。六条家の有力歌人で,和歌所寄人,「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。今日は水曜稽古届いたお菓子は練切の撫子と生麩まんじゅう夏らしい美味しかった写真はうちの猫ミーちゃん後の世を
樋口一葉飛鳥川あすは知らねど水色に今日はにほへるあぢさゐの花昨日の話し昨日は土曜日銀座の古美術店の茶会があると先生からのお誘いあり12時の席入夏向きの設え狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ使われた道具は手にとって拝見したその後もう一軒目の茶道具店のお茶会茶道具の拝見箱も回ってくる私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさってご満悦何か欲しかったけど家の道具の山をみるとくじけたあすは知らねど水色に
明易きみずに大魚の行き来かな龍之介茶道具にも色々あるが棚は実に嵩張る特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる前に紫兎先生から譲って頂き炉の季節に使ったが日常に使えず階段下の納戸に入れたり障子の後ろの廊下に置いたり出すのも大変仕舞うのももっと大変差し上げるからと言ってもお弟子様やお友達快い返事はない紹鴎棚はちょっとした家具和室においても違和感無い炉開きや初釜に相応しい塗師は茶平一斎だし良いものですよ勧めるがなかなかこの棚は二年前の茶会で使ったあと桐の箪笥のような外箱に入ったまま四畳半の隅にずっと置いてあるその上には座布団やら紙袋お習字の紙などなど山積みになっている酷い状態だダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると欲しいと言う返事気の変わらない内に早くとりに来てと思っていたら金曜日行きますとライン今日の午後...明易きアケヤスキ
紫陽花に雫あつめて朝日かな千代女今日は小熊の会七事式の稽古「花月」「且座」「廻り炭」「廻り花」「茶カブキ」「一二三」「員茶」今日は「且座」のお稽古花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順且座之式は、臨済宗の宗祖臨済義玄の語録「臨済録」の「且座喫茶」からとられた雫あつめて朝日かな
与謝野晶子六月は酒を注ぐや香を撒くや春にまさりて心ときめく三井記念美術館展示室1にあった黒楽茶碗重要文化財「俊寛」シュンカン俊寛は平安時代の僧侶。僧都。康治2(1143)~治承3(1179)祖父は大納言源雅俊。父は仁和寺法印寛雅。後白河院の信任を得た。藤原成親,師光らは俊寛の鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘に会合して平氏打倒のための相談をしたが(→鹿ヶ谷事件),多田行綱の密告によって発覚し,治承1(1177)年6月逮捕されて共謀者藤原成経,平康頼らとともに薩摩鬼界ヶ島に流された。翌年中宮御産の大赦により,成経と康頼は京都に召還されたが,俊寛は許されずに島に残された。俊寛は能の曲名でもある。四番目物。五番立の能の神,男,女,狂,鬼の狂にあたる。中宮の安産祈願のため,大赦を伝える赦免使(ワキ)が鬼界ヶ島へ下る島では...六月は酒を注ぐや
与謝野晶子円山の杉のみどりの蔭に吹く真葛が原の六月のかぜ今日から六月六月朔日ツイタチは鮎の日、気象記念日、牛乳の日、矯正歯科月間の日、景観の日、国際親の日、総務の日、チューインガムの日、電波の日、バリ舞踊の日、防災用品点検の日、リードオルガンの日一年は早い半年はすぐくるひと月はまばたき一日はもちろん一生は六月のかぜ
五月雨や色帋シキシへぎたる壁の跡芭蕉今日は東京大丸のサバティーニでいつものメンバーとランチその後は三井記念美術館へ展覧会は茶の湯の美学利休・織部・遠州の茶道具6月16日まで○展示室1・黒大棗千利休在判桃山時代○展示室4・紹鴎黒大棗秀次室町時代○千利休在判の茶道具・黒中棗追銘影法師利休在判宗旦極書(桃山)・黒中棗金砂文字入利休直書、隨流斎直書在判・町棗千利休在判また・伝盛阿弥造の一文字椀展示室6・利休形茶器十二桃山時代、江戸初期の棗は四百年を経てもなお形良く艶があり美しい棗写真はランチの前菜五月雨や
今日は木曜稽古を休んで村雨庵四十五周年記念食事会村雨庵の茶道教室をひらき今年の三月で四十五周年五年毎に茶会をひらいていたがもう茶会はしないから美味しいものでも皆で食べよう場所はいつもの綱島のふくもとかつては村雨庵にお稽古に来ていたお二人にお世話になり美味しいお料理と美味しいお酒まずふくもとさんからの見事なご挨拶に思わず落涙幹事の森金さんのスムーズ司会慣れてる乾杯の挨拶は今年米寿の数先生生き方も立派挨拶も立派です初めの一杯で真っ赤なお顔のアイテラ氏はじめからお開きまで休まずお喋り話すこと沢山あるんだ写真はお店の床に掛かってた一行徳は孤コならず必有隣ヒツユウリン(論語)徳は孤ならず、必ず隣あり徳のある人には、必ず理解者や協力者が現れる、ということ。徳のあるなしに関わらず理解者や協力者、楽しい仲間と一緒にお茶を...徳不孤必有隣
杜若にたりやにたり水の影芭蕉今日はお茶碗研究会高取、上野アガノ、八代、小代焼先月は薩摩、その前は唐津を勉強した九州は今月で終了来月は萩焼だ高取焼は黒田長政が招いた朝鮮陶工八山(高取八蔵)が永満寺・宅間に窯を築いたのに始まる黒田藩の御用窯だが窯場は時代で変わる古高取と言われる永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯内ヶ磯は織部好遠州高取は白旗山窯で焼かれた上野アガノ焼は細川忠興が文禄・慶長の役で招いた朝鮮陶工尊楷ソンカイ(上野喜蔵)が釜の口窯に窯を築いたのに始まり細川家、小笠原家の藩窯として栄える九州のこの辺りの焼物はとても好きな焼物だがその歴史というと私には難しい一度も行ったことが無い土地勘がないからなのか難しい水の影
みじか夜の闇より出て大ゐ河蕪村土曜日の茶事の花茶事の花はその日の朝の花溜めから集中して花を選ぶ亭主の真剣な顔も茶事ならでよく入ったら傍らでみても安堵するみじか夜の
三井寺や日は午ゴにせまる若楓与謝蕪村今日はお弟子様の茶事の水屋へ初風炉の正午茶事挨拶のあとは懐石定石どおりに終わり四つ椀が戻る初炭手前があるのでそのあいだに道具を洗い片付けた焦らずともよく気分が良い懐石の箸洗いは何にしますか一汁三菜のあと改めて八寸を持ちだし千鳥の盃となるがその前に箸を洗い、口中を清める主客献酬のための「箸洗い」中身は使用した材料の一部梅肉のへいだもの海藻類の一片種子の核など箸にかかるかかからぬ程度のものをごく少量お湯仕立てと言われるくらい薄味の清し汁にする箸洗い小吸い物は美味しくしては良くないと習った今日の箸洗は水前寺海苔蕗→三月~春花山椒→四月つくし→春篠竹→春山葵の芽、花、葉→春海藤花→四月独活ウド→三月~五月ちぎり梅→二月、六月茗荷→初夏青梅→六月鱧の笛(ハモの浮き袋)針生姜→...三井寺や日は午ゴにせまる
池五月雨晴れやらぬ池の□のいぶせさも濁るに見ゆる五月雨のころ宣長□は読めないいぶせさ→鬱陶しい本居宣長モトオリノリナガ享保15年5月7日(1730.6.21)~享和元年9月29日(1801.11.5)18世紀最大の日本古典研究家。伊勢国松坂の人。木綿商の家に生まれるが、医者となる。医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する。主著は他に『源氏物語玉の小櫛』、『玉勝間』、『うひ山ふみ』、『秘本玉くしげ』、『菅笠日記』など。鈴と山桜をこよなく愛し、書斎を「鈴屋」と呼び、また山室山にある奥墓には山桜が植えられている。(本居宣長記念館のホームページより)晴れやらぬ
杜若にたりやにたり水の影芭蕉火曜日出かけるつもりだった三井記念美術館の「茶の湯の美学」利休織部遠州の茶道具2024/4/18(木)〜6/16(日)10:00〜17:00桃山時代から江戸時代初期、茶の湯界をリードした、千利休・古田織部・小堀遠州の美意識を、三井家伝来の茶道具のなかから探ります。千利休の「わび・さびの美」、古田織部の「破格の美」、小堀遠州の「綺麗さび」、3人の美意識を以上のようにとらえ、書画、茶碗・茶入・花入・水指・釡・茶杓など、各人の美意識から生まれた茶道具の名品・優品を多数展示いたします。と美術館のホームページにあったが夏用の着物の裾上げなどしてたら時間がかかり過ぎて出かけるのはやめた残りの時間は昼寝とおやつ水の影
草の雨祭の車過てのち蕪村今日は月曜日巻さんが灰型の勉強にみえた私は灰型が苦手風炉の時はどうしても嫌だと避けるわけにはいかずやむを得ず眉風炉と道庵風炉の二文字をつくり続けてる私のお茶の先生は灰型大好きいつまでもやっていたいそう仰っていたが無理まず灰を細かい篩でこすこれが案外重要だ台所のお料理のザルなどでは目が荒く灰匙で押してもサラサラ壊れてしまうから必須前の谷以前習ったときは左から中央へ三匙で仕上げ次右から中央へこれまで三匙もう触らないと習ったがそれは案外難しいカルチャーでご指導受けた先生は同じ場所だったら何度でも灰匙を引いていいとのことだ内容は先生によって色々自分に合ったようになさるべく私は時間を短縮するを優先し多少整っていないのには目をつぶる几帳面かズボラ器用かどうかは十分関係あるだろうが治らないものは...草の雨
サリーちゃんのパパが豆腐を買うぜい佐理、東風、行成三跡小野東風894~966野席藤原佐理944~998佐跡藤原行成972~1027権跡894遣唐使廃止その100年前は794ウグイス平安京894から50年経ち佐理が生まれる行成は道長の亡くなった同じ日に亡くなった写真の扇子は住吉物語絵巻三跡
源氏物語・花散里橘の香をなつかしみほととぎす花散る里を訪ねてぞとふ土曜日は何かと用事が入って行けなかったが今日は朝日カルチャーの崩し字入門いつもより教室が広い与えられたレジメを読み下しあとから一文字ずつ分解説明をうけるのだそのときはなるほどと思うのだが「亭」の文字でテだとおもったら「帝」の文字のテだった橘タチバナの
橘曙覧タチバナアケミ(幕末の歌人)明日よりは夏の暑さもあらひこしなごみわたれり瀬々の川かぜ今日は東京美術倶楽部での日本陶磁協会の茶会濃茶は当代随一の数寄者・潮田洋一郎氏五名ずつの回しのみ薄茶が二席官休庵の宗屋宗匠と陶磁協会の席また特別観覧の部屋筋切が正面に掛かっていた筋切って何伝承筆者は藤原佐理だが研究で藤原行成の曽孫にあたる藤原定実(活躍期、1077~1119年)と言われている定実は『元永本古今和歌集』(東京国立博物館蔵)『巻子本古今和歌集序』(大倉集古館蔵)『西本願寺本三十六人家集』の「貫之集上」(西本願寺蔵)の筆者筋切ってなにもとは古今集を書いた二冊の粘葉装デッチョウソウ粘葉装は糊綴じなので糊をはずして紙の表裏をはがすと(相剥ぎアイヘギ)2枚になり表の銀泥で天地に界線(筋)があるのを筋切裏の篩...日本陶磁協会の茶会