↓やや雲が多い朝になっている。 ↓…
国内各地で撮影のモノクロ写真を展示中。一部、ロシア・サハリンの写真も在り。
住んでいる稚内や、その他の訪問先の気に入った風景やモノの写真を展示中。
D51 398号機:<排雪列車「キマロキ」編成>…(2024.05.11)
↓蒸気機関車の運転台である。ボイラーを焚いて蒸気を起こして、それを調整して動輪を動かす訳だが、石炭を投入する場所が設けられ、その蒸気の調整を担う機器類が搭載されている場所だ。
↓「名寄」とでも聞くと「コレ!」を思い出す。名寄駅から旭川方向に列車で少し進むと、車窓にコレが見える場合も在るが「一瞬見える」という様相だ。近くに足を運んで少しゆっくり眺めるのがより好い。
稚内駅から乗り込んだキハ54ディーゼルカーは順調に南下を続けた。車内は空いていた。美深駅以降は、名寄駅を目指す人達が若干乗り込んだが。 ↓早朝の列車で名寄駅に着くと、何となく大き目な安堵感が湧く。
前日迄、出先で活動する等していた数日間を過ごした。前夜は早目に強めな眠気を催し、それに抗うことなく直ぐに眠った。横になった場所の灯りが点いたままで、一旦眼を開けた時に消した。そして気付けば午前3時台であった。 薄明るい感じに誘われるように早朝の戸外へ出てみた。 ↓少し風が強い中、稚内港北防波堤ドームの屋蓋が見える辺りに足を運んでみた。海鳥が風に舞っているような様子だった。
早朝に散策に出た。 ↓何時も見掛ける自販機だ。
↓「安着祝い」と号し、未だ暗く成り切らない夕刻に「ハイボール(少し濃い目)」のグラスを傾け始めた。
朝に旭川駅で特急列車に乗込み、昼に稚内駅に着いた。酷く寒いとも言い悪いが、やや強めな風が冷たかった。 ↓荷物を持ったまま、拙宅への道筋に在る御店に立寄ることとした。
↓到着した稚内駅で戸外に出てみた。
旭川駅へ足を運んで、<花たび そうや>というイベント列車を眺めた。 ↓イベント列車を眺めた後、戸外は少し風が強かったが、駅周辺を歩き廻り、ここに至った。
<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>を興味深く見学した。普通列車を乗り継いで塩狩駅で下車し、また塩狩駅から移動するということになると、事前に列車運行時刻を少し調べてメモでもして、それを頭に入れながら動き回る必要はあるであろう。が、幾つもの小説を愉しく読んだ自身として…
拙宅の居室で寛いで居る。 前日は、岩見沢駅からの列車で旭川駅に到着後、宿へ引揚げずに街へ出て、少し馴染んだ御店に立寄って食事を愉しんでから宿へ向かった。直ぐに眠気が強くなり、何やら深く眠った。 眼が開けば未だ午前3時台だった。結局そのまま起きて居た。そういうのも「休日らしい」というものだ。やがて窓の外が明るくなって来た。前々日の曇天、前日の雨交りに対して好天だ。朝に散策には出なかったが、明る…
栗山駅から歩いた。小雨が交って濡れる中、左折すべき場所を通り越してかなり歩いた。やがて左折すべき正しい場所に引き返し、更に歩を進めた。 ↓在った!小林酒造である。
雨も交じる様子の中で<岩見沢レールセンター>の建物を眺めるというようなこともしていた。やがて乗る予定の列車の発車時刻が近付いた。 ↓窓口で切符を求めた。
岩見沢駅で北口への連絡通路に足を踏み込み、歩を進めた。 ↓こういう様子が見えた。
岩見沢駅は跨線橋から通じる改札口が2階に設えられ、辺りに窓口と駅員の積める事務所や待合所が設けられている。 ↓その辺りにこういう出入口が在る。
早朝の旭川駅で乗込んだ737系電車の列車は、通勤・通学と見受けられる人達の乗降が多く見受けられるような様子で進み、岩見沢駅に到った。 ↓所謂「ワンマン運行」だが、岩見沢駅で乗務員が交代する。
↓平日だが、未だ朝が早いので旭川駅辺りも静かだ。小雨が交っている。
↓宿の居室で、早朝の戸外へ出る前に窓から眺めた。
結局、旭川駅に近い、勝手ながら「別宅」と呼んでみる場合も在る馴染んだ宿を「前線拠点」として動き回っていた。栗山を訪ねた日も、最後は旭川へ引揚げる。 ↓旭川駅へ向かう列車を岩見沢駅で待っていれば、その姿が見えた。
連日、早朝に行動開始であった。宿に入って休む前に寄道で夕食を愉しみ、宿に引揚げた後は「以後は何時でも御休み頂いて結構」ということにしようと思った。 ↓居室に入り、窓を観た。
未だ天に些かの明るさが残る午後7時台に街を歩き廻るのは心地好い。 ↓それでも店舗の灯りや電飾看板の光が少し目立つ。
「映り込み」…:平和通買物公園:旭川駅周辺(2024.05.13)
↓夕食後に宿へ引揚げようと歩いた際に眼に留めた。
5月11日は早朝5時台に発車の列車で発ち、一日動き回って旭川に到った。5月12日は早朝6時台の列車で発って上富良野を訪ねて歩き廻った。5月13日も早朝6時台の列車で発って、岩見沢を経由して栗山を訪ねて歩き廻った。そして旭川に泊って翌朝に稚内へ引揚げるという段取りだ。 岩見沢駅を出た列車が旭川駅に着いた。直ぐに宿へ引揚げず、そのまま寄道で食事を愉しんでみようと、午後5時半前の街を歩いた。 ↓看板を眼に留め…
結局、土曜日、日曜日に続いて月曜日も歩き廻った。累計で存外な距離である。 前日の午後から夜は風が強い様子だった。12階に在る宿の居室では、夜間に強風の音が少し聞こえていた。 前日は曇天で、天候は下り坂な傾向であるようだった。そういう中で深く眠った。典型的な「早寝早起き」である。早朝、雲が覆寝な戸外を窓から伺ったが、道路面が湿っている様子だった。それはそれとして、朝から動き回ることとした。 早…
小林酒造を訪ねてみようということであれば、栗山駅前の辺りの道路を左へ進み、行き当たりのような場所で左に進めば敷地が見えるという様子が地図から判った。 その経路を進んだが、「左に進めば敷地が見える」という場所を間違え、少し先に行って左に進み、雨に濡れながら見当違いな辺りを彷徨った。「間違えた…」と思って引き返した。 ↓「左へ進む道?」と探して、こういう場所に行き当たった。
「翌日からの…」ということで気持ちが昂る感の夕べに、夕食を愉しみに出た。 ↓御近所の御店で、気に入っている手羽先揚げを摘んだ。
「三浦商店」の面影…:<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>(2024.05.11)
小説『塩狩峠』の「クライマックス」の御当地である塩狩の地に<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>が在る。作者の三浦綾子が御夫妻で住んで居た家を移築した部分と新築部分からなる資料館である。 ↓建物にこういう往年風な看板が掲出されている。
キハ40:急行<花たび そうや>:旭川駅…(2024.05.12)
JR北海道は旭川・稚内間で<花たび そうや>というイベント列車を運行している。土曜日に旭川から稚内へ向かい、日曜日に稚内から旭川に戻るというように運行されている。 今般はその列車が、キハ54ディーゼルカーの2輛連結の前後にキハ40ディーゼルカーを加えた4輛編成で運行されると聞いていた。前日に稚内入りしたその編成が旭川に引揚げて来る。駅に眺めに行くことも出来る様子だったので、足を運んで入場券を求めてホー…
旭川駅を発とうとしていた時だった。 ↓見慣れない車輛が在るので、乗車する訳でもないのだが、一寸近くへ行ってみた。
「何時でも御休み頂いて結構…」という態勢で寛いでいる。宿の居室に在る。簡単に綴っておきたい。 前日の宿の居室では、「何時でも御休み頂いて結構…」という態勢で寛いだ。そして早目に休んでしまった。宿に入った後、別段に居室から出ていない。 そういう感じで深夜帯に目覚めた。少し長く眠っているので、速やかに再度眠るということも叶わず、暫く起きて居た。やがて眠気が射し、ベッドに横たわった。 そして早起…
<十勝岳爆発災害復興60周年記念 『泥流地帯』>の文学碑…(2024.05.12)
↓こういう碑が在る。
随分と広大な地域が含まれる「上川地方」というモノは旭川を核に拡がる。その「上川地方」では様々な種類の米が栽培されている。米飯として消費する米ばかりではなく、もち米や酒米も栽培しているようだ。 「上川地方」や、北海道内の他の地域では、概ね5月中に水田に水を入れて田植えを始める。水が入ったばかりのような水田は美しいと思う。 ↓そういう様子を見掛けた。暫し佇んで様子を眺めた。
十勝岳を遠くに望む…:上富良野の風景…(2024.05.12)
『泥流地帯』、『続 泥流地帯』という、実質的に「上下巻」のようになっている小説が在る。 上富良野の少し北に在る美瑛を訪ねたことが何度も在る。
↓静かな駅ながら、富良野方面へ出ようとする高校生位と見受けられる若者達が何人か乗車した。彼らが乗車しようと待っている中で下車した。そして彼らが乗り込んで車輛の扉が閉まった。
↓日曜日の午前6時台である。旭川駅の辺りは殊更に静かな感じだ。
建物…:<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>(2024.05.11)
↓塩狩駅の直ぐ傍に看板が在る。 <…
↓静かな駅で下車した。 …
旭川に着いて、街を歩き廻った。旭川銀座商店街に至り、そこから9条、8条に至って西側に進み、更に駅の辺り迄、随分と歩いた。 ↓いい加減に足取りが重くなった辺りで旭川駅に到った。安堵感のようなモノを覚える。
↓旭川駅に到着した。
↓古色蒼然という感じで少し驚き、注目した。
↓旭川銀座商店街で少し不思議な看板の御店を眼に留めた。「サウナ?」と思い、入ってみた。
ランチ…(兼朝食):<ramo けいなのおばんざい>:旭川銀座商店街(2024.05.11)
旭川駅に到着したのは12時35分だった。5時21分に稚内駅を発つ列車に乗り、名寄駅で乗換列車を待つ間―稚内・名寄間で乗っていた車輛が待機していて、旭川行の列車になる…―に「キマロキ」を見学し、乗り込んだ列車で塩狩駅に到り、塩狩駅傍の<塩狩峠記念館 三浦綾子旧宅>を見学し、そこで列車に乗って旭川駅に到ることとなったのだ。 その旭川駅から東側の方向へ歩を進め、旭川銀座商店街の辺りに至った時には午後1時15分…
「やや早い?」と思いながら、「何時でも御休み頂いて結構…」という態勢に入った。8℃程度であった地元を発ち、点いた場所では20℃を超えていて、何やら汗もかいた。サウナを利用して、敢えて汗をかいた場面も在ったが、20℃を超える中で歩き廻り、自然に汗もかき、衣類も湿った。 「多少勝手知った(つもりになっている)他所」という感の旭川、更に勝手ながら「別宅」と呼ぶ程度に馴染んでいる宿の居室で寛いで居る。 早朝…
随時使えるように、X100Fを持っていたが、移動後に名寄でX-Pro2を使おうと思った。 ↓そのX-Pro2を引っ張り出し、列車内で陣取った席の辺りのテーブルに何となく置いた。
↓夕刻、少し暗くなったような頃に御近所の御店に立寄った。
少し今年のこれまでを振り返ってみる。 2024年は出先で迎え、1月冒頭は出先から引揚げる道中という時間を過ごした。 2月には、旭川に寄道もしながら札幌へ所用に出るという機会が在った。 3月には、別段に他地域へ出掛けたということは無かった。他方で各地で催される松山隆宏公演が稚内へやって来たので愉しんだというような機会は在ったのだったが。 4月には、旭川に寄道もしながら札幌へ所用に出て、その際に小樽…
↓「寒い…」という感じも残る中、夕刻の街に出た。
何時の間にか「午後6時過ぎ」が明るい感じになったと思いながら辺りを歩き、市内線のバスに乗ろうと大黒3丁目停留所の辺りを歩き廻っていた。 ↓何気なく見上げた天だ。提げていたカメラを何となく使った。
少し「キツい…」と思う程度に寒い感じの数日間だったので、余り辺りに出歩かずに居た。漸く天候が穏やかになったので、少し歩き廻ってみた朝だった。 ↓稚内港の繋留濠である第一副港辺りに至った。
「多少、寒い…」は免れないものの、穏やかで朝の光に包まれた感の中で歩いた朝だった。 ↓「少し考え事をしながら歩を進めると、何時の間にか…」という様子で稚内駅前に至った。
↓朝、辺りの様子を伺った。拙宅近隣の空地に水溜が出来ていた。
酷く寒い様子になって辟易していたが、前日の午後辺りから、温かいとは言い難いものの、少し落ち着いた天候になった。早朝に起き出せば、薄暗い曇天や雨交り、場合によって強めな風という、戸外に出たくない様子が少し続いていた。そういう様子を免れたと見受けられたので、思い付いて早朝の戸外へ出てみた。 ↓天の高い辺りに雲が多い他方、低い辺りに雲が少ない。早朝に「より明るい」という感じがする様子だと思った。
↓前日の「嘘や…信じない!信じられない!信じたくない!!」という「冬!!」な様子を免れたとは思うが、「寒い…」は未だ免れていない。
夕刻、バス停に少し佇んで冷たい雨と風、加えて低温に晒されて濡れ、バスで移動して、下車後に少し歩いてまた濡れた。「外出無用!」と帰宅直後には思ったが、濡れた上着を脱ぎ捨て、湿った服を替えて少し経つと、何やら空腹感が込上げる。 ↓半ば雪のような冷たい雨が強風に乗って吹き付けるような酷い状態の中、「負ケズ!」と御近所に出た。
小樽で夜を明かし、早朝に散策を愉しんだのだった。 ↓堺町通で、見掛ける足を停めて眼を向ける場合が多い建物だ。
低温と強風と雨で、戸外を歩くと酷く草臥れる。個人的には、雨天時にも傘を使わずに、濡れても構わない上着を引っ掛けてキャップ着用という感じで戸外を歩き廻る。が、そういう傾向とは別に、風が強くて傘を使うと煽られて危ないというように感じられる様子だった。 ↓そんな朝、建物の中に入って「やれやれ…」と一息入れると、こういう様子が見受けられた。
エゾヤマザクラ…:稚内市立図書館周辺(2024.05.07)
↓強風に枝が揺れ、半ば雪のような冷たい雨が、咲いている桜に当たっている。
雨が交じっていた。風が冷たく、気温が下がっているのが実感出来た。多少温かい衣類を着込んで戸外に出てみた朝だった。 ↓何か「冬季の荒天時」のように、慎重な足取りでゆっくり進み、妙に時間が掛かって稚内駅辺りに至った。
休業日なのは好いが、小雨が交るような様子が続いた。その小雨が冷たく、些かの冷たい風が気になる。気温も5℃を伺うような様子だ。「5月6日」の当地は何時もこういう様子であったであろうか?「多少寒い」ではなく「ハッキリ寒い」という様子だ。地域によっては、この日の当地のような様子を「冬季」と呼ぶ筈だ。 こういう様子の中では動き悪いと、早朝から居室で静かに寛ぐ「寝て曜日」的な様子で、午前11時頃に空腹を覚えた…
「寝て曜日」的な様子を続ける期間となってしまっている。 ↓昼食に近所の御店へ立寄った。
↓鉄骨のようなモノで足場が組まれて、それに囲われてしまっていた建物だが、何時の間にかネットが足場に着けられた。
↓休業日に「遅いランチ」のような「早いディナー」のような、妙な時間帯に食事を摂った。
休業日が続く。今般、特段に予定という程の事柄も無く、何となくゆっくりしている。 ↓御近所での昼食だ。
↓辺りを歩き廻った足で、稚内駅の辺りに至った。
↓何か建物が「囚われてしまった?」というように見えなくもない。
御近所で夕食を愉しもうと、自身は休業日であったので午後5時半頃から出た。が、祝日はそういう時間帯に辺りの宿泊施設に滞在する人達等が出るようで、何となく辺りが混み合うような具合になっている。そういう中、何とか入り込んだ場所で食事を愉しむことにした。 ↓ハンバーグカレーだ。
明るい気はしたが、少し雲が多い早朝だった。戸外へ出た。 ↓少し忙しく雲が流れるような感じな中、時々雲の間に月も覗いた。画の右端側の上寄りに見えている。
朝、辺りを少々歩き廻った。 ↓稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに至った。
↓丘を下る道を歩いていた時、桜が少し好い感じになっている辺りで足を停めた。
街の後背の丘陵が、整備が施された稚内公園である。 ↓久し振りに上がって、眺望を愉しんだ。
北門神社の辺りから、稚内の街の後背に在る丘陵、「稚内公園」に入って行くことが出来る。少し急な坂道を往来しながら公園に出入りすることになるのだが。 ↓急な坂道を上った辺りにこういうモノが在る。
祝日等が重なる期間である。 随分と以前、何かの仕事をすべく国外の皆さんがこの時季に大勢やって来たということが在って、そういう皆さんの御話しを耳にしたことも在ったのを思い出した。色々な場所が「祝日で休業」という様子で一寸した用事が足りないので、彼らは「よく判らない、長過ぎる“週末”という感である…」というように状況を表現していた。色々な国や地域で、祝日等が少し集まって、間隔となっている日を休業に…
エゾヤマザクラ…;稚内市立図書館周辺(2024.05.02)
↓「おっ?!」と少し注目し、提げていたカメラを使った。
Одуванчики(アドゥヴァンチキ)…:タンポポ…(2024.05.02)
未だ風が冷たい。戸外に出る際には、一定程度の防寒という意図も在る感じの、風除けの上着は欲しい。そして自身はベースボールキャップ等を着用で出るという場合が殆どである。 こういう中で戸外を歩くが、未だ「花」には間が在る感じだ。花が咲いていている植物が在れば、酷く目立つ感じである。 ↓こんなモノを眼に留めた。路線バスの市内線、大黒3丁目停留所で下車して、辺りの川に沿って歩いた時だった。
5月に月が改まっても、然程温かいという感じでもないと思った。そういう情況とは無関係に、夕食は欲しくなる。 ↓御近所に出て、馴染んだ御店の中の1軒に立寄った。
屋内用には余り着込まなくなって来たように思う昨今だ。他方、戸外に出る際には、一定程度の防寒という意図も在る感じの、風除けの上着は欲しい。そして自身はベースボールキャップ等を着用で出るという場合が殆どだ。 ↓明るい朝、稚内駅の辺りに至った。
早朝の戸外は未だ空気が冷たい。そういう程度に思いながら、東寄りな天の明るさに誘われて戸外に出た。 ↓日出時刻までにやや間が在るが、それでも日出が遠いというのでもない。少し明るく、光は独特な色合いを帯びている。
↓夕刻に御近所へ出た。少し空気は冷たいままだ。日中には若干の雨も交っていた一日でもあった。
↓朝に戸外へ出て、少し空気が冷たいと感じながら稚内駅の辺りに至った。
↓夕食を愉しもうと出たのは午後6時頃だった。未だ暗い感じでもない。寧ろ明るい。そういう時季が巡って来ている。
日頃から日曜日と月曜日が休業日である。今般は土曜日が加わって3連休となった。 ↓3連休の第3日ということになった昼、食事を愉しもうと出てみた。「祝日は?」と思っていたが、時々立寄る御店が営業中であった。
↓稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに至ると、海水目な鏡面のような様相を呈していた。
↓卓上に何となく置いた。最近はコレを所望する場合が多いように思う。特段に「コレでなければならない!」という拘りのようなものも無いのだが。
何か「寝て曜日」的な過ごし方になった日曜日、午後からサウナを利用した。 ↓午後5時半近くに道草だが、何か凄く明るい。
↓休業日の夕刻、普段よりもやや早目に御近所に出て夕食を愉しもうとした。明るい。午後6時前だった。
休業日の昼だった。 ↓御近所の御店に立寄って昼食を愉しんだ。
休業日ということになった日だった。朝から雲が多い感じであったが、多少は天候が好転したので戸外に出た。 ↓少しだけ空気が温くなった気はしたが、気温が上がっていた。
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↓やや雲が多い朝になっている。 ↓…
↓午後7時頃だが、暗くならない。そういうような時季だ。
↓出入口も設けられている硝子張りな壁面に、雲と天と種々の構造物が映り込んでいる。
↓多少、雨が交じって寒々しいように思った朝だった。
↓小雨でやや風が強めな中で戸外へ出た。濡れた路面の一部に灯りが跳ね返るような感じだった。
↓小雨が交っているような中で戸外に出た。
↓Tシャツの背中に華々しい画が入っている。 ↑着物姿の女…
↓午後7時を過ぎた頃、戸外へ出た。未だ明るい感じだ。
↓気に入っているワークパンツを洗濯した。 ↓デニム素材…
↓何年か前に東京で入手したモノと記憶する。 ↑温かいとい…
↓天が少し明るい感じになった中で戸外へ出た。
↓辺りを歩いた時、使われなくなって時間が経過しているように見受けられる建物だと思いながら眼を向けた。
↓休業日であったので午後5時台に戸外へ出た。 ↑時間帯は…
↓デザインが好いと気に入って求めたTシャツだ。 ↑プロ野…
↓何時の間にか、少し長く愛用し続けていると思いながら、何となく眺めてしまったTシャツだ。
↓コインランドリーで衣類を洗うと、何となく並べて写真に撮ってみたくなる場合が在る。
↓タラバガニやズワイガニが折り重なるように集まって水槽の中に在る。
↓気に入っているキャップを何となく卓上に置いた。 ↑コイン…
午後7時台になっていた。 ↓サウナの後に道草をして、そこから引揚げようとしていた。
↓午後5時頃だが、凄く明るい。 ↓未だ明るいが、午後5時…
↓朝、何となく立寄った。 ↑このチェーンの方々に在る数多…
↓厚い生地、「25oz」と言うそうだが、そういうジーンズは乾き悪いので、洗濯の後に更に別途乾燥する。そしてそれが出来上がった。
↓これもかなり長く愛用しているモノになると思う。
少し詳しい感じな街地図が刷り込まれたTシャツというモノが在る。何枚か入手して愛用している。 ↓その1つである。大阪市大正区の地図が入っている。
休業日、午後からサウナを利用して寛いだ。夕刻に道草に及ぶ。 ↓午後5時台が未だ明るい。が、少し雨が交じる感じだった。
↓稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに至った。
↓土曜日の夕刻、何となく湿った空気の中で御近所に出た。
↓大変に身近な存在だ。
7月3日に新紙幣が市中に出るようになったのだという。当地では「そう言えば未だ御目に掛っていない」というような調子で話題になる場合も在る。 ↓そういう中、偶々持っていたこれに眼が向いた。福沢諭吉の画が入った1万円紙幣だ。
↓雲が多目だった感じから、天候が好転していた。
少し気温が上り、20℃を超えたという感じになった時間帯が長かったかもしれなかった1日であった。 御近所は祭の出店に存外な人出であったが、それはそれとして何時もの調子で食事を摂ろうと出てみた。 ↓馴染んだ御店に立寄ってみた。
昼食に出た際、何となくカメラを持って出ていた。 ↓そういうことになると、食事に際して一寸撮ってしまう。
↓時にはこの顔に会いたくなる。 ↓「彼」は何時もこの場所…
夕刻に、大黒3丁目停留所から市役所前停留所へバスで移動した。普段から利用する機会が多い時間帯のバスだが、車内が妙に混み合っていた。座席は全て埋まり、立っている人も多かった。漸く立つ場所を見出してバスに揺られた。 「妙な様子?」と思えば、北門神社の境内での催事や中央地区での出店ということになっている日であった。それを目掛けて移動する人達が見受けられた訳だ。 ↓そういう変わった様子の他方で、御近所…
↓こういう具合に供されるランチを愉しんだ。 ↓塩ラーメ…
↓少し空気が温いとも感じた朝だった。 ↓この朝は半袖Tシ…
言葉を交わした知人に「新しい1万円札、見ました?」と御尋ね頂いた。「“渋沢栄一”?実物は見ていない…」と応えた。 ↓入手したばかりと、モノを見せて下さったので、持っていたカメラで一寸写真に収めておいた。
↓バス停で見掛けた。
↓7月初め頃、稚内の街中で多く見受けられる。
↓稚内港の繋留濠である第一副港の辺りに至った。 ↓天候の…