「お待たせいたしました。生ビール3つと上カルビです。 空いているお皿、お下げしまーす」 真面目な話を賑やかな飲食店でというのは良し悪しだろう。 勢いに乗じて話せる事もあれば、絶妙な間合いで中断される事もある。 イツキは、自分が言った言葉はさして重みが無かったかのように、会話を中断し、店員から皿を受け取る。 黒川は、イツキの言葉に返事をする間合いを…
「お待たせいたしました。生ビール3つと上カルビです。 空いているお皿、お下げしまーす」 真面目な話を賑やかな飲食店でというのは良し悪しだろう。 勢いに乗じて話せる事もあれば、絶妙な間合いで中断される事もある。 イツキは、自分が言った言葉はさして重みが無かったかのように、会話を中断し、店員から皿を受け取る。 黒川は、イツキの言葉に返事をする間合いを…
「…イツキくん、最近お仕事の方はどうですか?」 「最近は……ちょっと暇です。ミカちゃんも戻って来たので…」 焼けた肉を裏返しながらビールを飲みながら、イツキと一ノ宮で近況報告。 ミカは産後三ヶ月。本格的に復帰という訳にはいかないのだが 近所に住んでいる義理の母親が非常に好意的で、週に1日、2日、ミカの気分転換も兼ねて 仕事に出ることに協力してくれて…
「カルビとタン塩。ハラミはタレで。あとサンチュとオイキムチ。 ビールが3つ。…あ、ビールで良かったですか?一ノ宮さん」 「ええ」 イツキと黒川の焼肉屋に、一ノ宮も同席していた。 イツキが強く誘ったからだ。 もちろん一ノ宮は最初は断ったのだが…多少は、イツキと黒川の普段の様子というものに興味はある。 黒川は、……何かやましい事があるのだろうか、イツキ…
「社長、飛行機のチケット、先にお渡ししておきます。13時羽田です」 「ああ」 「車は手配しますか?運転手付きでも…」 「いや、タクシーで十分だろう。あそこはホテルから近いし…」 週末の予定について黒川と一ノ宮は打ち合わせ中。 数日滞在し、地方のお偉い方とアレコレ交友を深める、一応仕事なのだ。 ふいに、黒川がスマホを取り出し耳に当てる。 それはイツ…
「……週末から出掛ける。一週間程だ」 と、黒川が言った。 イツキはコーヒーの入ったマグカップを口に寄せたまま、黒川を見る。 「…仕事だ」 「え?俺?」 「いや、違う。お前は留守番だ」 「はぁい」 何の仕事でどこに行くのか、誰と行くのか、など特に説明のなまいまま 互いにチラチラと顔色を伺うだけで業務連絡は終了した。 最近の2人は良くも…
待ち合わせた場所からホテルの部屋まではお互い無言だった。 これといった話題が無い、というか、イツキはまるで怒っている風だった。 部屋に入ると上着を脱ぎ、ふうとため息をつき、ソファに深く座る。 相手の男は困ったように薄く笑い、備え付けの冷蔵庫からビールの缶を取る。 「飲む?」の返事も待たずに、それをイツキに渡す。 イツキは黙って受け取り、とりあえず一…
イツキが家に帰ったのはまだ日付が変わる前。 結局清水とは何もなくするりと別れてしまった。 どうにも、消化しきれない想いを抱えたまま部屋に入ると 丁度、その間合いで顔を見たくない相手がいるもので 「……ただいま」 黒川は仕事が早く引けたのか、もうリビングのソファに座り 適当なツマミを広げ、酒を飲んでいる所だった。 帰りの遅いイツキを責め…
「…ははは。…何だよ、もうそんなに黒川さん一途になった訳?」 「……そんなんじゃ…ないです。でも……」 気まずそうに口籠るイツキを、それでも、清水は愛しそうに見つめる。 誘いに簡単に乗るようでは、清水の好きなイツキでは無いのだけど まるでその気が無いというのも…それはそれで、寂しいものだった。 「…まあ、…それ抜きにしても、…また飲みに行こうぜ…
「……イツキ、…この後どうする?」 そう清水が尋ねて来たのは、酒も程よく回った頃。 ふとイツキが、本当に無意識に、店内の時計に目をやった時だった。 テーブルの食べ物もほぼ無くなり、お開きにするにはちょうど良い間合い。 この後のどうにかする何かは、当然、酒のお代わりなどではない。 「…そろそろ、帰ります。明日も仕事なので」 「……そっか」 …
「…最初の一年は寮に入ってたんだけど、今はアパート借りてる。 …オヤジ?オヤジとは関係無いよ。 ああ、でも、車、買わせたけどな。はは。 跡なんか継がないよ。今どき、そんなんじゃねぇだろ。 まあ、連絡は取ってるけどさ……」 酒を飲みながら近況報告。 清水が西崎の息子だという事は、やはり気になる所なのだが 一定の距離は空けているようだ。 「…
「お、おう。久しぶり」 「お久しぶりですー」 突然、清水から連絡があった。 清水は、高校を出たあとは少し離れた地方に働きに行っていて 実際に会うのは久しぶりだった。 駅前の大衆居酒屋で待ち合わせる。 「…卒業して以来か?…2年ぶり?」 「やだ、そんなになりますか?…ああ、でも、俺たちもう21ですもんね…」 ダブリの2人は同い年。 そしてお…
「あ、おかえりなさい、マサヤ。今日は早かった…?」 「………ああ」 日付が変わらない内に部屋に帰って来たマサヤは、 何だか少し、不機嫌顔だった。 もう、寝る支度をして、最後にレンジでホットミルクを作っていた俺は ちらりとマサヤを見て、そして、何も気づかないフリをする。 マサヤの、仕事の、アレコレは あまり干渉しないのが一番。 「…お前…
その日。 黒川が仕事に伴い連れていたのは、ユウという少年だった。 「…あれ? 黒川くん、今日はあの子じゃないんだ?……ほら、イツキくん、だっけ…?」 「はは。若い子の方がよろしいでしょう?……イツキはもう引退ですよ」 とある案件の関係者を集めた会合は、広々とした、一泊何十万とするホテルの部屋で行われる。 手前の、景色の綺麗なリビングで、それらしい話…
真夜中に帰宅した黒川は珍しく、リビングのソファで寝付いてしまった。 そう酔っていた訳でもないのだが、逆にそのせいで、持ち帰った書類にもう一度目を通し… …そのまま、横になってしまったのだ。 睡魔に襲われてしまえば抗うのは難しい。 頭のどこかは冴えているのに、もう、指先一本ですら起こすことは出来なかった。 ぺたりぺたり と足音をさせて、イツキ…
「こんにちわー」 ノックと同時に軽い感じで入って来たのは、イツキだった。 昔からの馴染みがある場所とは言え、一応、ヤクザの組事務所。 室内にいた強面の、いかにもチンピラといった数名の男たちは「ああぁ?」と訝しむ声を上げる。 中には、もう、イツキを知らない面子もいるのかも知れない。 奥のデスクにドンと構えていた西崎が、珍しい客に顔を上げる。 「…
「…何だ、これは? 馬鹿か? 一体、何をどうしたら、こんな事になるんだ? 何も出来ないくせに下手に手を出すから、こういう事になるんだ。 ……馬鹿が!」 大晦日。 いつもの、お約束の流れるような黒川の悪態が部屋に響く。 イツキは、それは言われなくても解っていると、若干不機嫌顔。 リビングのテーブルに置かれたお椀には 見て解るほどの、麺のふやけた…
翌日。 昼過ぎになってようやく起きて来た黒川を見て、イツキは呆れたため息をつく。 「……飲み過ぎだよ。楽しいお酒ならいいけどさ」 イツキの言葉に一瞥だけくれて、黒川はキッチンに入る。 冷蔵庫に冷たいスポーツドリンクが入っているのは、イツキがコンビニに行ったお陰。 「……松田の阿呆が……、…調子に乗りやがって……」 「……そお?」 黒川は…
黒川も松田も、酒は、まあ強い。 その2人がそこそこ酔ったかな、と思う時は、かなりの量を飲んだという事だ。 店は、閉店時間。 ラストオーダーを告げて、大してごねもぜず、退店した2人を見送り 店員はほっと胸を撫で下ろしたことだろう。 「…じゃあな、松田」 「ええ?黒川さん、ここでお終いですか?次、行きましょうよ」 「……行くかよ」 「……おウチで、イツ…
松田は酒も手伝ってか、少し口が軽すぎたようで ……黒川の機嫌を損ねたかと、そっと、様子を伺う。 黒川は少しむっとした顔を見せたが、それも一瞬で 日本酒のグラスに口をつけながら、ふふふと、小さく笑う。 「……確かにな。エロくてユルのが、イツキの取り柄だからな…」 「そう、そう。…まあ、危い目に遭わないのが一番だけどさ。 ハーバルの周りは、もっと…
「あの、お隣さんの揉め事は俺も想定外だった。悪かったよ」 飲みながら、素直に松田が謝罪する。 「…ハーバルの店を構えるにあたって、あの辺り一帯、調べたんだけどね…。 割と新しい土地柄で、ハバを利かせてる組も無かったんだけど…」 三浦に関するトラブルは、あの場所と言うより三浦個人のもので さすがにそこまでは、松田に予知出来るものでも無かったのだ…
「……景虎の純米を冷やで2合。あと、ハムカツ。 肉豆腐は2つ、…あ、大きい? じゃあ、1つにしようかな。 そうそう、黒川さん、ハーバルの話は聞いてる?」 追加の注文と一緒に松田がサラリと話を振る。 松田は良く言えば軽い。その分、相手の懐に入ることに長けている。 「…どの話だよ。イツキが偉そうに仕切っている話か?」 「店長代理で頑張ってるからね…
「一ノ宮さんも誘えば良かったかな。 あの人とも、ゆっくり話してみたいんだよね。 ……黒川さんの、裏話とかさ」 ビールから日本酒に切り替えて、松田は、黒川にも同じ酒を注ぐ。 松田は、たまに冗談を言ったり、無遠慮に踏み込んだことを聞いてみたり。 それでも黒川が怒る事はない。 おそらく、黒川より10歳ほど年下の、その明らかな差が丁度良いような気がする…
「…いや、マジ、助かったよ、黒川さん。植原さんトコと繋がりつけて貰って。 上が関西系だろ?ナカナカ手が出せなかったんだよね。俺も親父も…」 「別に。こちらにも利があってやった事だ。…東駅開発は役所絡みで面倒だったろ?」 とりあえず、飲み始めは真面目な仕事の話から。 主に北関東で仕事をする松田は都内に進出するにあたり、黒川に手助けして貰ったらしい。 …
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常夜灯の薄い光をたよりにイツキは廊下をぺたぺたと歩き キッチンへ入ると、流しで水を一杯飲み、ふうと息を吐く。 身体の芯が熱い。けれど、シャワーを浴びる程ではない。 この熱は冷めるのだろうかと少し考えるのだけど 生憎、頭もぼんやりとしていて、答えは出ない。 水をもう一杯飲み、そして、もう一度新しく汲み直して それを持って、寝室へと戻る。 寝室のベッ…
「…何を話していたんだ? 一ノ宮と」 「んー」 事務所からの帰り道。 歩いてマンションまで向かう途中で黒川が聞く。 イツキは適当な返事をし、何かを思い出したかのように微笑み、黒川はさらに訝しむ。 「どうせ俺の悪口なんだろう、くだらん。…お前は暇でいいな」 「…まあね。…あー、じゃあ、マサヤ…俺、明日の仕事、手伝う?」 「ハァ?」 「どっか行…
確かに。 高校2年生の終わりに行った修学旅行で、黒川に頼まれ、誰かのお見舞いに行った。 黒服の男達が警護する中、物々しい雰囲気だったのを覚えている。 ……黒川は…、何と言っていただろうか……、『昔、世話になった人だ』と言ったような…… 自分にはありがとうと、……珍しく、感謝されたような気がする。 「……そうなんだ。 ……なんで、俺に、……行かせ…
「…会った? 俺、その人に?……俺、その人と……した?」 「いえ、…していないと思いますよ」 「俺が会った人の中で、してない人なんて、いないよ。いつ、どこでだろう…」 黒川の「親」の話にイツキは思った以上に驚き、慌て、興味津々といった様子。 一ノ宮は少しお喋りが過ぎたかと、口をつぐみかける。 後は適当に誤魔化し、はぐらかしても良かったのだが …
「……一ノ宮さんは、マサヤのこと、よく知ってるよね」 「はは。まあ、長い付き合いですから……」 そうして 向かい合ってお茶を飲みながら、イツキと一ノ宮はお喋りを続ける。 考えてみれば、この二人の距離感も珍しい。 イツキにとって一ノ宮は、身の回りいる男の中では実に珍しく、身体の関係が無いし 一ノ宮にとってイツキは、正直、厄介な存在だったものが…今…
黒川が自分を愛している、と言われて 思い当たらないことも、無いわけではないけれど それらを全て丸のみ鵜呑みで、納得は出来ない。 「いや、でも。まあ、最近のマサヤは…そうかなって感じも…あるは、あるけど… でも、こうも態度が変わると、ちょっと…付いていけないと言うか… 俺も、どう応えていいのかわかんなくて……困る」 イツキの困惑の半分は、照れ、…
「最近、マサヤが変」 ある日。 仕事帰りのイツキが事務所に寄ると、そこには一ノ宮のみ。 黒川は外に出ていて、戻るのはまだまだ先だと言う。 別に、特に、約束をしていた訳でもない、ただ帰り道に寄っただけなのだし 待っている必要もない。帰って、部屋で待っていても同じなのだけど ソファに座ったイツキに一ノ宮はコーヒーを淹れ、イツキはふうと深く息を…
イツキは確か夕方までは、黒川に怒っていた。 女物の香水の匂いをさせて真夜中に帰ってくる不誠実な男に。 ハーバルの社長との待ち合わせが無ければ三浦の誘いに乗って、自分も、何か悪い遊びをしてやろうとさえ考えていたのに ギックリ腰の社長の介抱で、もう、そんな事はどうでも良くなっていた。 「……マサヤだって、昨日は遅かったのに…」 「ああ。だから…、悪…
イツキは帰って来ないかも知れない。 裏を返せばそれは、他の男と会っているのかも知れない。 そうでな無かったとしても、昨夜の喧嘩の後だ、気まずい空気が流れるのだろう。 愛だの恋だの思いやりだの、そんな言葉には反吐が出る。 一ノ宮に何を言われようとも、真面目に取り合う気はサラサラ無いぞ、と 黒川は斜に構え、イツキを迎えるつもりだった。 「…た…
黒川がマンションの部屋に戻って来たのは深夜2時。 事務所での仕事を終えて、一ノ宮と裏の焼き鳥屋に行って もう一件どこかにと誘うも断られ、渋々、帰って来たのがその時間だったが イツキはまだ、帰宅していなかった。 何の連絡も無しにイツキが帰らないことは稀だったが 昨夜の喧嘩の後の軽い嫌がらせなのだろうと、黒川は思う。 大体、どこに行くだの、何時に帰る…
事務所での仕事も一段落つき、黒川はデスクを離れ、ソファに座る。 テーブルの上に置いたままになっていた洋酒のボトルに手を伸ばし、グラスに注ぐ。 一ノ宮も一息ついたのか立ち上がり、部屋の隅の流しに向かうとグラスに山盛りの氷を入れ 戻ると、黒川のグラスに氷を半分分けてやり、残りのグラスに洋酒を注いだ。 「…お疲れさまです。…今日はもう、終わりにしまし…
「駄目です。俺、この後、予定があります」 と 三浦の下心はバッサリ切り捨てられてしまった。 その頃の黒川は、事務所で真面目に仕事に励んでいたのだが ため息と鼻息の多さと大きさに、一緒に仕事をしていた一ノ宮が若干、呆れていた。 不機嫌さを滲ませる理由は、大概が「イツキ」絡みなのだろうと解っている一ノ宮は 特に話を振る訳でもなく、淡々…
三浦は良くも悪くも、世間一般の常識というものにそう囚われない人種で 同性同士の恋愛や、少し変わった趣向にもあまり偏見は無かった。 そういったものを好む友人もいたし、そちらに、誘われた事もある。 自分はあくまでもノーマルだが、気持ちは、解らなくはない。 それでも、先日の 目の前でイツキが犯された光景は、衝撃的だった。 三浦の中の深い場所には、楔のよ…
イツキは別に、そこまで黒川に怒っている訳では無かった。 黒川が飲みに行くのも、帰宅が何時になるか解らないのも どこかで女性に会って、何かをしているかも知れないのも 今までにもよくある事だったし、ある程度は諦めも付いている。 ただ、腹立たしいのは黒川が、それらをイツキが許すというのを解っていて 適当な誤魔化しやおべちゃんらで、流そうとしている事だっ…
喧嘩の理由は大した事ではない。 イツキが夕食を作った日に、黒川が連絡も無しに飲みに出ていたとか泊まって来たとか。 スーツのポケットにクラブのカードが入っていたり、避妊具が入っていたり。 機嫌を取るために買ってきた和菓子が、イツキの苦手な柚子入りのこし餡だったり。 「…俺がコレ、苦手なの知ってるじゃん?」 「そんなのイチイチ気にするか!…嫌なら食う…
食事も終わってセックスも終わって一眠りした後。 イツキは変な時間に目が覚めてしまい、ベッドを抜け出した。 キッチンで水を一杯飲んでから、リビングのソファに座り テレビを付けると、静かな語り口の、ドキュメンタリーのようなものが流れていた。 『………誘拐され、監禁されていた彼女は、その極限下において いつしか、その犯人に同情し、愛情を感じていると…錯…
「……なんだ?」 「……何でもない」 イツキと黒川は焼肉屋にいた。 昔から変わらず、肉を焼くのは黒川の仕事。 変わったことと言えば、イツキが堂々と酒を飲めるようになった事ぐらいか。 網の上に肉を並べ、ひっくり返し、焼けたものからイツキの皿に乗せていく。 黒川の手際と顔をイツキはまじまじと見つめ、黒川に訝しがられる。 「……ちゃんと焼けてる。…
「…イツキさんも、すごい嫌だったんでしょ? …なのに、今は、好きになったのって……何でですか?」 「…え…、何でだろう。…ちょっと、優しかったり…したかな…」 「そんなのあり得ない。あんな……男……!」 色々と思い出すことがあったのか、ユウはわっと泣き出してしまう。 イツキは少し戸惑うのだが、棚にあったタオルを見つけるとソファの隣りに座り …
「……聞いたんです。 イツキさんも以前、俺と同じように…仕事、してたって。 それで、その内、恋人同士になったって……」 「まあ、そう……かな」 「そんな事、あるんですか?だって…、あの人…酷いッ」 そこまで話して、ユウは何かを思い出したようで 身を強張らせ、唇を噛み締めた。 話を聞かずとも想像はつく。 何も知らない素人の少年をこの道に引…
勿論、すぐに扉を開けた訳ではない。 少し様子を伺い、覗き穴から景色を確認し、消え入るような声を聞いて ようやく、鍵を開け、客を招き入れた。 「………1人で来たの?……ユウくん」 「…下まで、……誰か、タクシーで送ってくれて…、……ここで待ってろって……」 それは今、絶賛売り出し中の、ユウだった。 どこかで『仕事』の後、とりあえず誰かと一緒にホ…
最近になってようやく、イツキは事務所の鍵を貰った。 今まで持っていなかったのが不思議なくらいだが、そこは、それ。 黒川と良い仲とは言え、仕事場に自由に立ち入られては困ることもあるのだろう。 それらの懸念も、もう構わないと思ったのか どうしてもの留守中に、電話番や、荷物の受け取りをさせたかったのか。 「……まだ、いないんだ……」 待ち合わせの…
ある日の夕方。イツキは黒川の事務所に向かっていた。 仕事上がりに待ち合わせ、どこか食事にでも行こうと言われたのだ。 最近、黒川は良くイツキを誘う。 一緒に暮らしているのだし、そんな必要も無いのにと…思う。 「…少し、束縛気味なんじゃない、マサヤ。俺が浮気でもすると思ってる? 別に、しない。たまに、えっちしちゃう時はあるけど、それは違うでしょ? …
「……イツキ。今日は、仕事は?」 キッチンのカウンターで黒川は、イツキの焼いた焦げた目玉焼きを突きながら、聞く。 イツキはすでに朝食は済ませたようで、コーヒーの入ったマグカップを持ち、ソファに座っていた。 「俺、今日は、休み。…買い物に行くけど、何か足りないもの、ある?」 「いや。……ああ、この間あった…胡桃のパンが美味かったな……」 「あの…
翌日。 黒川が目を覚ました時には、隣にイツキは寝ていなかった。 起き上がり寝室を出ると、キッチンから物音が聞こえ… どこかへ行ってしまってはいないのだと、少し安堵する。 けれど、それも束の間。 黒川と目を合わせたイツキはニコリともせず、ついと視線を逸らせ 何かを炒めているのか、フライパンをガツガツと揺する。 怒っているのだろうか。 黒…
「…やだ、マサヤ、酔っ払い…、重い……」 イツキにしてみれば急に腕を回され、ベッドに倒され、まるでプロレス技でも掛けられている気分。 のしかかる黒川はすでに半分眠っているようだ。 けれど、イツキが黒川の身体を押し除けようとすると、さらに腕に力を込めてくる。 「も……う、重い…ってば……」 「…イツキ、……松田に会うなよ」 「ええ?…会わないよ。…
「洗って返せば問題ない」 それは、かつてイツキに酷い仕事をさせていた時に 黒川が言っていた言葉だった。 そこにはありきたりの倫理観など無く、それがあるのだと、気付かせる事もなく ただの道具として、行為をさせるための言葉だった。 今のイツキがどれだけ、その言葉を忠実に守っているのかは解らない。 遊ぶための言い訳なのかも知れない。 それでも、あ…
黒川は、イツキが外で遊んで来る事を禁止している訳ではない。 イツキも、何かがあったとしても、そうそう表に出す事もないのだけど まあ、気配で解る時もある。 その相手が誰なのか、問いただしても良いが あまり詮索が過ぎ、嫉妬でもしているように見えるのも嫌で 薄く探りを入れつつ、気にならない素振りを見せつつ、不機嫌になりつつ。 けれど、そのあたりの加…
さて。 新店の視察が終わり、接待がてら、黒川と松田はそのまま店で飲む。 ホールの奥、一段高い場所にあるVIP席。 席では、店のナンバーワンと、ツーが、黒川と松田のためのグラスを作り ライトに照らされた正面のステージでは、ほぼ裸のダンサーが腰を揺らしていた。 「……下品な店だな…」 ごく小さな声で漏らした黒川の言葉を、松田は律儀に拾う。 「まあ、…
事務所には一ノ宮と、……松田がいた。呼んだ覚えはない。 訝しむ目つきで眺めていると、それを察したのか松田が弁明する。 「…いやっ、黒川さん。大久保の新店の視察に行くってゆっててじゃん。 俺も行こうかな…と、俺も関わったんだし……」 「…あんたも、暇だな…」 黒川はふんと鼻を鳴らし、ソファに座る。 先日立ち上げた店は、土地の売買などを黒川が、店…
蕎麦屋を出て事務所まで、歩く。 これから黒川は仕事なのだ。 「…お前はどうする?そのまま帰るのか?」 「ん。買い物して帰ろうかな。デリのサラダ、買っておく……」 「……パクチーが入っているのは止めろ。臭い」 交わすのは、そんな他愛もない会話ばかりで 肝心なことはなかなか、話せるものではない 黒川の今の仕事はどんなものなのか。あの少…
「俺、車の免許、取ろうかな……」 昼食にと訪れた事務所の近くの蕎麦屋で イツキが突然そんな事を言い出した。 黒川は蕎麦猪口を手に持ったまま、あやうく、麺を吹き出しそうになった。 「……馬鹿か。……お前の運転する車なんて…恐ろしくて乗れる訳が無いだろう」 「でも便利じゃない?何かと。マサヤの事、迎えに行ってあげられるよ?」 「死んでも乗るかよ」 …
ふと黒川が目を覚ますと、自分の腕の中にイツキが収まっていた。 昨夜はいなかったはずだ。 帰りの遅い自分を待てずに、イツキは巣箱で眠っていた。 途中で、こちらに移動したのか。 少し体勢を変えるとイツキも目を覚ます。 「……何時?」 「…知らん。……まだ、早い」 「……ん」 それだけ言って、後はまたお互い目を閉じ、身体を寄せた。 次に…
ホテルを出て、裏の細い路地を並んで歩く。 実は意外と、事務所からもマンションからも近い場所。 誰かに出会したら何と弁明しようかと、佐野は頭の片隅で考える。 そんな佐野の怯えを、イツキは察したようだ。 「…ごめん、なんて言わないでよ?佐野っち。 …別に、悪いこと、してないんだから。 …俺、今日は、良かった。佐野っちと会えて……話せて…」 「……
終わった後はしばらく恋人同士のように、抱き合ったまま余韻に浸っていたのだけど 退室時間を告げる電話が鳴って、現実に戻る。 「……もう、時間か。……帰んなきゃだな……」 「………ん」 佐野もイツキも、さすがにこれ以上は駄目なのだと解っている。 ぴたりと寄せていた身体を離し、重なっていた足を解き、絡んでいた指先を離した。 身支度を済ませて部屋…
佐野がイツキと最も親密だったのは、イツキがまだ15、6歳だった頃。 その頃に比べれば、イツキの身体も大分変わった。 肌は相変わらず滑らかで無駄な毛の一本も生えていなかったが 肉質というか質感というか、張りのある、男っぽい体つきになっていた。 声変わりも一応、したのだろうか。少し、低くなった。 それでも咄嗟の時に出る声は艶があり、落ち着いたトーンの分、…
手慣れた様子でホテルのチェックインをし、部屋へと向かう。 部屋は、過度な装飾もない、普通の質素な部屋だった。 浴びるほど酒を飲み、異様に盛り上がり、 ギラギラとしたライトが瞬くベッドルームにやって来たのなら そのままの勢いで、コトに及ぶのだが 部屋に入った所で、2人、手を繋いだまま ……一瞬、正気に戻り……妙な気恥ずかしさを覚えてしまう。 …
佐野がイツキと出会った当初。黒川の、イツキの扱いは酷いものだった。 イツキは客を取らされ、「仕事」の後はベッドから起き上がることも出来ないほどで。 送迎を任されていた佐野は、もろもろ、後始末も仕事の内で 最初の頃は仕方なく、汚れたイツキを洗い、痛みで泣くのをなだめたりしていた。 次第に、一緒に過ごす時間が長くる。 イツキは、佐野のアパートの部屋にも…
「…お前の『仕事』の後、よくメシ、食いに行ったよなぁ…」 「…行ったね」 「何年前だ?」 「……5年、くらい?……昔話だねぇ…」 イツキは佐野と目を合わせると、くすくすと笑う。 それはごく最近のことのようで、それでもやはり、昔の話で。 けれど忘れてしまうには、あまりに深く生々しい思い出だった。 「…佐野っち、…俺の面倒、良く見てくれたよね。…後…
「……イツキ。本当にいいのか?」 「良いって言ってんじゃん。…佐野っち」 街の外れの昔からある古いホテルの前で、佐野はもう一度確認する。 酒を飲み過ぎた訳でも、特別に嫌な事があった訳でもなく、 普通にお互い同意の上で、この建物に入るというのは……実はなかなか新鮮で 佐野は、繋いだイツキの手をぎゅっと握り、植え込みの奥にある入り口へと向かった。 …
「……昨日ね。ユウ、くん?に会ったんだよ」 「………は?」 「…仕事の後。……ホテルで」 イツキが重い口を開いたのは翌日の朝。 キッチンでコーヒーを淹れるイツキに、黒川が近寄った時だった。 それでも。 昨日の夜は、することはしたのだ。 若干、機嫌の悪いイツキを黒川は抱き締め、寝室へと連れ込む。 イツキはどこかのタイミングで、その話をしよ…
その後。 イツキとレノンとユウはホテルを出て レノンはユウを送ると言って、タクシーに乗り込み それを見送って、イツキも別のタクシーに乗り自宅へと戻った。 何だか妙に疲れてしまったのは、身体、よりも心で 青ざめた顔で肩を振るわせていたユウの姿が、思い出したくもない過去の自分に重なった。 「……なんだ。遅かったな」 マンションの部屋に戻…
「…それにしたって、こんな仕事。レノンくん、まだ、…学生でしょ」 「もう17だよ。学校も行ってない。働くのは別にいいんだけどさ。 ……今日のは、佐野さんに言われて、たまたま来ただけだし…… でも、なんか、自分もされたことだし…妙に生々しくってさ… 色々、思い出しちゃって……テンパっちゃった。 …来てくれて助かったよ。ありがと…」 やっと安…
風呂場にいたのは、小柄な若い男の子だった。 以前、黒川と一緒にいた子に似ている気がした。 裸で、バスタブに寄りかかり、吐瀉物と排泄物にまみれ それでも嗚咽を繰り返し、満足に呼吸も出来ない状態だった。 何をされて、どうしてこんな事になったのかは 説明されなくても、イツキは知っていた。 なだめすかし、とにかく身体の汚れを洗い流し、風呂場から連れ…
タクシーでホテルに向かい、指定された部屋の前まで来て イツキは一応、警戒する。 ……ここはでは以前、レノンと間違われて、拐われて乱暴された事がある。 ……それに限らず、捕まって、犯されては……何度も経験しているのだ。 ベルを鳴らそうと上げた手を止めて、もう一度確認してみようとスマホを取る。 「……レノン君?……ドアの所まで来てるんだけど……
『……あー、イツキ? 悪いんだけどさ、ちょっと出て来てよ』 「……え?」 電話の相手は聞き慣れない、若い男の声だった。 イツキは不審がり、一度、スマホを耳から離して画面を確認する。 知らぬ番号からの電話に、出るはずはない。 画面には「レノン」と表示されていた。 『……もう、無理でさ。タクシー飛ばせばすぐだろ……、って、おい、聞いてるのかよ』 …
それから暫くは平穏な日が続いた。 新しい黒川の「仕事」の相手が気にならない訳では無かったが 特に波風も立たず。 帰りが遅い日などには土産にと、イツキの好きな和菓子や寿司などを持ち帰るので なんとなく、それで許してしまっていた。 松田は、3日に一度はハーバルに顔を出し、2回に一度はイツキを飲みに誘った。 まあ、それだけで、別にそれ以上のこともない。 …
「……うわ、酒臭いっっ、マサヤ…飲み過ぎ……」 真夜中を少し過ぎた頃、黒川が帰宅した。 イツキはすでにベッドに入っていたのだが、物音で目覚める。 どさり、と自分の隣に横たわる黒川は、珍しく酒に酔っているようで 片手でイツキの肩を抱き寄せると、顔を近づけ、酒臭い息を吐く。 「何?どうしたの?……大丈夫?」 「ああ。…くそ、松田のやつ。……調子…
「松田、お前、こっちに居過ぎじゃないのか?自分の仕事はどうした?」 飲みの途中で黒川は仕事の連絡を挟み、思いついたように松田にそう尋ねる。 松田も地元では、そこそこの組の幹部だ。それにしては、随分とのんびりしている様に見える。 「はは。こっちには週に2、3、顔出してるだけだ。ちゃんと、仕事はしているよ」 「……暇人だな…」 「黒川さんが忙し過ぎ…
「……仕事で使うのに、…仕込んでいる最中だ。お前のところだってあるだろう、そんな話。 ただの商売道具だ。それ以上の感情はない。 …まあ、楽しませては貰ってるがな……」 事務所の近くの焼き鳥屋に黒川を連れ出し、日本酒を数杯飲んだところで ようやく、言い訳がましい話を口にする。 松田は、空になった黒川のグラスに酒を注ぎ、自分も飲み 次は熱燗にしようと、…
「……何?今の子?」 「……。まあ、ちょっと、な」 松田はなんとなくそのまま事務所の中に入り込む。 事務所の中をぐるりと見渡し とりあえず、今、ここで情事が行われていたかどうかだけ確認し ソファの上が妙に濡れていないと解ると、そこに腰を下ろした。 黒川も無下に追い返すのは格好が付かなかったのか、ふん、と鼻息を鳴らし デスクの椅子に座ると書…
『イツキちゃん、気にしてたぜ? 赤ん坊、見に行きたいけど、自分は駄目だって。 まあ、気持ちは解らなくもないけどな。 世界に生まれたての、まっさらサラサラ。綺麗で純粋なところに 肉欲まみれのドロドロで穢らわしいモンを近づけちゃ駄目だってな。 相談された?黒川さん。されないか、そうだよな。 イツキちゃんを、そんなドロドロにした張本人だもんなぁ。 …
ハーバルの事務所に松田が来ていた。 あれこれ、仕事に関係がありそうな話をするのだが 単純に、イツキと話がしたいだけだった。 それでも、ミカが無事に出産を終えた事を伝えると 意外に素直に喜び、穏やかで優しい空気になる。 子供が産まれるというのは、そういう事なのだろうと、イツキは思った。 「会いに行くの? 病院…は、さすがにアレかな。でも、落…
その日 黒川が珍しく早い時間に部屋に戻ると イツキはキッチンで、鼻歌混じりに鍋を掻き混ぜていた。 テーブルには他にもデリカの惣菜やサラダ、良いワインなどが並ぶ。 「ミカちゃん、産まれたって。女の子。 すごいよね、俺、知ってる人が子供産むなんて、初めてで… ちょっと感動した」 「ミカ?……ああ、石鹸屋の女か。…ふぅん」 黒川にすれば別に…
黒川に抱かれながらイツキは こんなにも黒川の挙動が気になるのはなぜなのだろうと考えていた。 好きだの嫌いだの。もう、そんな感覚はどうでも良くて。 仕事で、黒川が他人を抱くのも、まあ仕方がないのだと割り切ってはいる。 …自分だって、他で身体を開いているのだ。今更、セックスの有無は問題ではない。 とりあえず今は、一緒にいたいと思って一緒にいる。それ…
以前から黒川の周りには、商売上の付き合いのある女性や男性の姿がチラついていた。 こういった稼業なのだから、ある程度は仕方が無いだろう。 イツキのような「商売道具」にするといって訳アリの子供を引き入れ その教育という名目で、何かをしていることも解っている。 そんな相手をイチイチ気にして、腹を立てたところで仕方がない。 嫉妬と言われても、癪なだけだ。自…
「……イツキくん?」 急にイツキに抱きつかれたミツオはきょとんとする。 別れが惜しくて、という訳でも無さそうだが…とりあえず、イツキの肩に腕を回す。 「……どうしたの?………、もっと話し、聞く?」 「いや、……あの。…違います」 2、3分間を置いて、イツキはミツオから身体を離す。 ゆっくりと通りの方を振り返り、先ほど見掛けた人影が、もう無いこと…
食事も済み、ボトルのワインも飲み干し、イツキとミツオは店を出る。 少し酔っているのか躓きそうになるイツキの、腕を、ミツオが支える。 「…こういうさ、2階のお店って、酒飲むと階段が怖いよね」 「…俺、そんなに酔っ払って無いですよ…」 「……そ?」 言いながら、絡めた腕でそのまま壁に押し当てて、唇を重ねる流れが実にスマートで 何の不自然もないような気…
その夜のイツキは、ミツオに合っていた。 ミツオの勤めている美容院に予約を入れた流れで、食事に誘われたのだ。 ハーバルで働くようになったのも、元々は、ミツオのお陰という事もあり 今でも、たまに連絡を取り、近況を報告するような距離感だった。 「……ちょっと短く切り過ぎちゃったかな?」 「いえ。俺、ちょっとちゃんとしなくちゃって思ってたトコなの…
黒川は、イツキに隠れて何か悪いことをしている意識は、まるでなかった。 あくまでこれは「仕事」なのだ。 黒川の元には度々、負債を抱えた…あるいは負債を抱えた者の身内が そのツケを身体で返すためにやって来る。 それらは商品のように、適所に回されて行く。 店を斡旋したり、直接、人に渡したりするのだが、当然 その前に、その状態を確認する必要がある…
「…特に何って訳じゃないんだけど、なんか…変なんだよね」 「ふふふ。イツキくん。…女の勘?」 「女……じゃ、ないよ……」 夕方。 ハーバルに顔を出した松田に、イツキはひとしきり黒川の愚痴。 松田の軽口に口を尖らせ、そっぽを向き、手だけは動かし石鹸の箱詰めなどをする。 「まあ、あんな稼業の人だし、…何かしらやましいことはあるんだろうけど。 ……
「…おかえりなさい。…割と早いね。仕事、忙しかったんじゃないの?」 夕食を終えたイツキがリビングの…コタツで寛いでいる時に、黒川が帰って来た。 イツキは声だけ掛け、それでもそれだけで、飲み掛けのビールを飲み、面白くもないテレビに視線を向ける。 黒川はネクタイを緩めながら適当に「ああ」と返事をして キッチンのカウンターに置かれていた、何かの紙袋を…
「イツキ。今日はウチの事務所には近付くな。…少し、立て込んでいる。 …ヤバい奴らの出入りも多い。……夕方には来るなよ」 ある朝。 黒川はわざわざイツキに念を押して、出掛けて行った。 イツキは「はぁい」と気の抜けた返事をしたものの、 よくよく考えると、何か、おかしいような気がするのだった。 日中。ハーバルで仕事をしていても、黒川の言葉が気…
「……なんだ、これは……」 ある夜。 部屋に帰って来た黒川はリビングの様子を見て声を上げる。 中央に置いてあったソファは窓際に追いやられ 代わりに、コタツが置かれ、その上にはカセットコンロと鍋が置かれていた。 キッチンの内側からイツキが声を掛ける。 「おかえり、マサヤ。ちょうど良かった」 「…何だ、これは…」 「モツ鍋」 「…そう言う事…
真夜中に帰って来た黒川はキッチンで水を一杯飲み ジャケットを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、寝室へ向かう。 ベッドの真ん中にイツキが眠っていたので 少し体を押し、空いた場所に潜り込む。 その動きでイツキは目を覚ましたのか、んん、と声を上げ薄く目を開く。 「……マサヤ…。おかえりなさい」 「…ああ」 「…………マサヤ」 まだ寝ぼけているようで、イツキは黒…
「……イツキちゃん、二条虎松とヤったの?……それを黒川さんに話したの?」 「…うん」 数日後。 ハーバルの店舗に顔を出した松田は、そのまま閉店まで付き合い 帰りがけに軽く、食事へと誘う。 イツキも、軽くなら良いですよと近くの店に入るのだが、まあ、軽くで済むはずもない。 何杯か飲み、近状を報告し、その話しになる。 「…黒川、…怒ったでしょ?…
「……はぁ?」 「…だから、大したこと無かったって。二条虎松。 俺、あの時、なんか感じが違って……、何かなって思って、確かめてみたんだけど… ……気のせいだったみたい。2回目は普通だった」 イツキがそんな事をポロリと告げたのは、夕食にと入った焼き鳥屋で すでにビールを数杯飲み、次は日本酒にすると、コップに並々注がれた酒を飲み干し 空いたグラスを傾…
夕方。イツキは黒川の事務所に向かう。 中では一ノ宮が1人、パソコンで作業をしていた。 お互い、ぺこりと頭を下げ、イツキはソファに座る。 この後、黒川と落ち合い、食事に行く予定だった。 「…いかがですか?、もう、問題は起こりませんか?」 「…ん?うん。…ああ、三浦さんがありがとうございましたって。 一ノ宮さん、向こうに少し言ってくれたんでしょう…
黒川がマンションの部屋に帰って来たのは、もうすぐ日付が変わる時間だったが イツキはまだ起きており、風呂上がりなのか濡れた髪をタオルで拭きながら「おかえり」と言う。 キッチンでは何か料理でもしたのか、皿と、フライパンと焦げた臭いが残り 飲みかけの、ワインのボトルが置いてあった。 「……1人でこんなに飲んだのか?」 「違う、違う。お肉焼くのに使った…
イツキが『仕事』で客を取らなくなって、暫く経った。 黒川との関係も概ね良好。 意にそぐわない行為の時には、ふいに黒川を思い出して、困る。などと 可愛い事を言ってみたりもする。 実際、二条との行為も、嫌だった。 三浦のとばっちりで、乱暴に組み敷かれ、された訳だが 嫌だと思う反面、身体は、異様に感じていた。 「なあ、店長さん。本当にさ、悪…
ひとしきり喋り、謝罪し、後は静かになる。 謝罪が済めば他に用事は無いはずだが、当然それで終わるはずはなかった。 「…なあ。…この後、付き合わねぇ? メシか酒でも、どうよ?」 「付き合いません」 「……じゃあさ、もう一回、やらせてくれねぇ?」 あまりにストレートな誘いに、予想はしていたが、イツキは呆気に取られる。 それで、了解の返事を得られ…
数日後。 1人でハーバルにいた昼間、ふいに、二条虎松が姿を現した。 イツキは当然身を強張らせ、カウンターの奥に行き、助けを呼べるようにとスマホを握りしめたのだが 二条は、何もしないよと両手を上げ、穏やかに笑いかけるのだった。 「いや、どうも。…この間は……悪かったね。はは」 「……何のご用ですか?」 「そう警戒しなさんなって。何もしないよ。……
ハーバルでの仕事を終え、横山を帰し、店を締める。 さすがに本社からの無茶振りはキツかったが、イツキにはまだ一仕事残っていた。 小さくため息をついて、少し歩く。 向かった先は、カフェみうら、だった。 「…ああ、おつかれさま。イツキてんちょ…」 「…おつかれさまです…」 店は、営業はしていないものの明かりが付き、珈琲の良い匂いが漂っていた。 …
イツキがハーバルに出社したのは翌日の午後になってからだった。 留守を任されていたパートの横山は、その間の業務をざっと報告し 部屋の隅に山積みになっている、本社から届いた段ボールを指差した。 今週中にすべてのラベルを貼り替えたのち、小分けにして送り直さなければいけないそれを ため息まじりに確認していると、 気配を察したのか何なのか三浦が挨拶に訪れた。 …
「…起こしてくれても良かったのに」 風呂上がりにそのまま寝てしまい、次に目を開けた時はもう翌朝だった。 イツキはせっかくの夜を無駄にしたと、不満げに口を尖らせる。 黒川はすでに着替えを済ませ、ネクタイまで締めていた。 「…それだけ休めたって事だろう。…それが目的なんだから良いじゃないか」 「……でも」 「どうせ、ヤれなかっただろ? ケツが…
狭い湯船の中でイツキは黒川の腕に身体を預ける。 コポコポとお湯の溢れる音だけが響く静かな空間。 周りを囲う植栽の合間から街明かりが見えなければ、本当に どこか遠くの、誰もいない星にでも来たようだ。 「……ああ、マサヤ……」 何か言い掛けて、イツキは口を噤む。 三浦のことや、ハーバルの店のこと。…松田に連絡をしようか、などなど 話しておきたい…
食事も終わり、黒川が軽く酔い覚ましにと風呂に入ると そこに、イツキも入って来た。 大人2人でも余裕のある内風呂。バルコニーには小さな露天風呂まである贅沢な造りだ。 「……なんだよ。風呂には入らないんじゃ無かったのか」 一応、黒川は一言いい、イツキはムッとした顔を見せる。 内風呂でパシャパシャと身体に湯を掛けたあと、露天風呂があるバルコニーの扉を…
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「お待たせいたしました。生ビール3つと上カルビです。 空いているお皿、お下げしまーす」 真面目な話を賑やかな飲食店でというのは良し悪しだろう。 勢いに乗じて話せる事もあれば、絶妙な間合いで中断される事もある。 イツキは、自分が言った言葉はさして重みが無かったかのように、会話を中断し、店員から皿を受け取る。 黒川は、イツキの言葉に返事をする間合いを…
「…イツキくん、最近お仕事の方はどうですか?」 「最近は……ちょっと暇です。ミカちゃんも戻って来たので…」 焼けた肉を裏返しながらビールを飲みながら、イツキと一ノ宮で近況報告。 ミカは産後三ヶ月。本格的に復帰という訳にはいかないのだが 近所に住んでいる義理の母親が非常に好意的で、週に1日、2日、ミカの気分転換も兼ねて 仕事に出ることに協力してくれて…
「カルビとタン塩。ハラミはタレで。あとサンチュとオイキムチ。 ビールが3つ。…あ、ビールで良かったですか?一ノ宮さん」 「ええ」 イツキと黒川の焼肉屋に、一ノ宮も同席していた。 イツキが強く誘ったからだ。 もちろん一ノ宮は最初は断ったのだが…多少は、イツキと黒川の普段の様子というものに興味はある。 黒川は、……何かやましい事があるのだろうか、イツキ…
「社長、飛行機のチケット、先にお渡ししておきます。13時羽田です」 「ああ」 「車は手配しますか?運転手付きでも…」 「いや、タクシーで十分だろう。あそこはホテルから近いし…」 週末の予定について黒川と一ノ宮は打ち合わせ中。 数日滞在し、地方のお偉い方とアレコレ交友を深める、一応仕事なのだ。 ふいに、黒川がスマホを取り出し耳に当てる。 それはイツ…
「……週末から出掛ける。一週間程だ」 と、黒川が言った。 イツキはコーヒーの入ったマグカップを口に寄せたまま、黒川を見る。 「…仕事だ」 「え?俺?」 「いや、違う。お前は留守番だ」 「はぁい」 何の仕事でどこに行くのか、誰と行くのか、など特に説明のなまいまま 互いにチラチラと顔色を伺うだけで業務連絡は終了した。 最近の2人は良くも…
待ち合わせた場所からホテルの部屋まではお互い無言だった。 これといった話題が無い、というか、イツキはまるで怒っている風だった。 部屋に入ると上着を脱ぎ、ふうとため息をつき、ソファに深く座る。 相手の男は困ったように薄く笑い、備え付けの冷蔵庫からビールの缶を取る。 「飲む?」の返事も待たずに、それをイツキに渡す。 イツキは黙って受け取り、とりあえず一…
イツキが家に帰ったのはまだ日付が変わる前。 結局清水とは何もなくするりと別れてしまった。 どうにも、消化しきれない想いを抱えたまま部屋に入ると 丁度、その間合いで顔を見たくない相手がいるもので 「……ただいま」 黒川は仕事が早く引けたのか、もうリビングのソファに座り 適当なツマミを広げ、酒を飲んでいる所だった。 帰りの遅いイツキを責め…
「…ははは。…何だよ、もうそんなに黒川さん一途になった訳?」 「……そんなんじゃ…ないです。でも……」 気まずそうに口籠るイツキを、それでも、清水は愛しそうに見つめる。 誘いに簡単に乗るようでは、清水の好きなイツキでは無いのだけど まるでその気が無いというのも…それはそれで、寂しいものだった。 「…まあ、…それ抜きにしても、…また飲みに行こうぜ…
「……イツキ、…この後どうする?」 そう清水が尋ねて来たのは、酒も程よく回った頃。 ふとイツキが、本当に無意識に、店内の時計に目をやった時だった。 テーブルの食べ物もほぼ無くなり、お開きにするにはちょうど良い間合い。 この後のどうにかする何かは、当然、酒のお代わりなどではない。 「…そろそろ、帰ります。明日も仕事なので」 「……そっか」 …
「…最初の一年は寮に入ってたんだけど、今はアパート借りてる。 …オヤジ?オヤジとは関係無いよ。 ああ、でも、車、買わせたけどな。はは。 跡なんか継がないよ。今どき、そんなんじゃねぇだろ。 まあ、連絡は取ってるけどさ……」 酒を飲みながら近況報告。 清水が西崎の息子だという事は、やはり気になる所なのだが 一定の距離は空けているようだ。 「…
「お、おう。久しぶり」 「お久しぶりですー」 突然、清水から連絡があった。 清水は、高校を出たあとは少し離れた地方に働きに行っていて 実際に会うのは久しぶりだった。 駅前の大衆居酒屋で待ち合わせる。 「…卒業して以来か?…2年ぶり?」 「やだ、そんなになりますか?…ああ、でも、俺たちもう21ですもんね…」 ダブリの2人は同い年。 そしてお…
「あ、おかえりなさい、マサヤ。今日は早かった…?」 「………ああ」 日付が変わらない内に部屋に帰って来たマサヤは、 何だか少し、不機嫌顔だった。 もう、寝る支度をして、最後にレンジでホットミルクを作っていた俺は ちらりとマサヤを見て、そして、何も気づかないフリをする。 マサヤの、仕事の、アレコレは あまり干渉しないのが一番。 「…お前…
その日。 黒川が仕事に伴い連れていたのは、ユウという少年だった。 「…あれ? 黒川くん、今日はあの子じゃないんだ?……ほら、イツキくん、だっけ…?」 「はは。若い子の方がよろしいでしょう?……イツキはもう引退ですよ」 とある案件の関係者を集めた会合は、広々とした、一泊何十万とするホテルの部屋で行われる。 手前の、景色の綺麗なリビングで、それらしい話…
真夜中に帰宅した黒川は珍しく、リビングのソファで寝付いてしまった。 そう酔っていた訳でもないのだが、逆にそのせいで、持ち帰った書類にもう一度目を通し… …そのまま、横になってしまったのだ。 睡魔に襲われてしまえば抗うのは難しい。 頭のどこかは冴えているのに、もう、指先一本ですら起こすことは出来なかった。 ぺたりぺたり と足音をさせて、イツキ…
「こんにちわー」 ノックと同時に軽い感じで入って来たのは、イツキだった。 昔からの馴染みがある場所とは言え、一応、ヤクザの組事務所。 室内にいた強面の、いかにもチンピラといった数名の男たちは「ああぁ?」と訝しむ声を上げる。 中には、もう、イツキを知らない面子もいるのかも知れない。 奥のデスクにドンと構えていた西崎が、珍しい客に顔を上げる。 「…
「…何だ、これは? 馬鹿か? 一体、何をどうしたら、こんな事になるんだ? 何も出来ないくせに下手に手を出すから、こういう事になるんだ。 ……馬鹿が!」 大晦日。 いつもの、お約束の流れるような黒川の悪態が部屋に響く。 イツキは、それは言われなくても解っていると、若干不機嫌顔。 リビングのテーブルに置かれたお椀には 見て解るほどの、麺のふやけた…
翌日。 昼過ぎになってようやく起きて来た黒川を見て、イツキは呆れたため息をつく。 「……飲み過ぎだよ。楽しいお酒ならいいけどさ」 イツキの言葉に一瞥だけくれて、黒川はキッチンに入る。 冷蔵庫に冷たいスポーツドリンクが入っているのは、イツキがコンビニに行ったお陰。 「……松田の阿呆が……、…調子に乗りやがって……」 「……そお?」 黒川は…
黒川も松田も、酒は、まあ強い。 その2人がそこそこ酔ったかな、と思う時は、かなりの量を飲んだという事だ。 店は、閉店時間。 ラストオーダーを告げて、大してごねもぜず、退店した2人を見送り 店員はほっと胸を撫で下ろしたことだろう。 「…じゃあな、松田」 「ええ?黒川さん、ここでお終いですか?次、行きましょうよ」 「……行くかよ」 「……おウチで、イツ…
松田は酒も手伝ってか、少し口が軽すぎたようで ……黒川の機嫌を損ねたかと、そっと、様子を伺う。 黒川は少しむっとした顔を見せたが、それも一瞬で 日本酒のグラスに口をつけながら、ふふふと、小さく笑う。 「……確かにな。エロくてユルのが、イツキの取り柄だからな…」 「そう、そう。…まあ、危い目に遭わないのが一番だけどさ。 ハーバルの周りは、もっと…
「あの、お隣さんの揉め事は俺も想定外だった。悪かったよ」 飲みながら、素直に松田が謝罪する。 「…ハーバルの店を構えるにあたって、あの辺り一帯、調べたんだけどね…。 割と新しい土地柄で、ハバを利かせてる組も無かったんだけど…」 三浦に関するトラブルは、あの場所と言うより三浦個人のもので さすがにそこまでは、松田に予知出来るものでも無かったのだ…
「…お前の『仕事』の後、よくメシ、食いに行ったよなぁ…」 「…行ったね」 「何年前だ?」 「……5年、くらい?……昔話だねぇ…」 イツキは佐野と目を合わせると、くすくすと笑う。 それはごく最近のことのようで、それでもやはり、昔の話で。 けれど忘れてしまうには、あまりに深く生々しい思い出だった。 「…佐野っち、…俺の面倒、良く見てくれたよね。…後…
「……イツキ。本当にいいのか?」 「良いって言ってんじゃん。…佐野っち」 街の外れの昔からある古いホテルの前で、佐野はもう一度確認する。 酒を飲み過ぎた訳でも、特別に嫌な事があった訳でもなく、 普通にお互い同意の上で、この建物に入るというのは……実はなかなか新鮮で 佐野は、繋いだイツキの手をぎゅっと握り、植え込みの奥にある入り口へと向かった。 …
「……昨日ね。ユウ、くん?に会ったんだよ」 「………は?」 「…仕事の後。……ホテルで」 イツキが重い口を開いたのは翌日の朝。 キッチンでコーヒーを淹れるイツキに、黒川が近寄った時だった。 それでも。 昨日の夜は、することはしたのだ。 若干、機嫌の悪いイツキを黒川は抱き締め、寝室へと連れ込む。 イツキはどこかのタイミングで、その話をしよ…
その後。 イツキとレノンとユウはホテルを出て レノンはユウを送ると言って、タクシーに乗り込み それを見送って、イツキも別のタクシーに乗り自宅へと戻った。 何だか妙に疲れてしまったのは、身体、よりも心で 青ざめた顔で肩を振るわせていたユウの姿が、思い出したくもない過去の自分に重なった。 「……なんだ。遅かったな」 マンションの部屋に戻…
「…それにしたって、こんな仕事。レノンくん、まだ、…学生でしょ」 「もう17だよ。学校も行ってない。働くのは別にいいんだけどさ。 ……今日のは、佐野さんに言われて、たまたま来ただけだし…… でも、なんか、自分もされたことだし…妙に生々しくってさ… 色々、思い出しちゃって……テンパっちゃった。 …来てくれて助かったよ。ありがと…」 やっと安…
風呂場にいたのは、小柄な若い男の子だった。 以前、黒川と一緒にいた子に似ている気がした。 裸で、バスタブに寄りかかり、吐瀉物と排泄物にまみれ それでも嗚咽を繰り返し、満足に呼吸も出来ない状態だった。 何をされて、どうしてこんな事になったのかは 説明されなくても、イツキは知っていた。 なだめすかし、とにかく身体の汚れを洗い流し、風呂場から連れ…
タクシーでホテルに向かい、指定された部屋の前まで来て イツキは一応、警戒する。 ……ここはでは以前、レノンと間違われて、拐われて乱暴された事がある。 ……それに限らず、捕まって、犯されては……何度も経験しているのだ。 ベルを鳴らそうと上げた手を止めて、もう一度確認してみようとスマホを取る。 「……レノン君?……ドアの所まで来てるんだけど……
『……あー、イツキ? 悪いんだけどさ、ちょっと出て来てよ』 「……え?」 電話の相手は聞き慣れない、若い男の声だった。 イツキは不審がり、一度、スマホを耳から離して画面を確認する。 知らぬ番号からの電話に、出るはずはない。 画面には「レノン」と表示されていた。 『……もう、無理でさ。タクシー飛ばせばすぐだろ……、って、おい、聞いてるのかよ』 …
それから暫くは平穏な日が続いた。 新しい黒川の「仕事」の相手が気にならない訳では無かったが 特に波風も立たず。 帰りが遅い日などには土産にと、イツキの好きな和菓子や寿司などを持ち帰るので なんとなく、それで許してしまっていた。 松田は、3日に一度はハーバルに顔を出し、2回に一度はイツキを飲みに誘った。 まあ、それだけで、別にそれ以上のこともない。 …
「……うわ、酒臭いっっ、マサヤ…飲み過ぎ……」 真夜中を少し過ぎた頃、黒川が帰宅した。 イツキはすでにベッドに入っていたのだが、物音で目覚める。 どさり、と自分の隣に横たわる黒川は、珍しく酒に酔っているようで 片手でイツキの肩を抱き寄せると、顔を近づけ、酒臭い息を吐く。 「何?どうしたの?……大丈夫?」 「ああ。…くそ、松田のやつ。……調子…
「松田、お前、こっちに居過ぎじゃないのか?自分の仕事はどうした?」 飲みの途中で黒川は仕事の連絡を挟み、思いついたように松田にそう尋ねる。 松田も地元では、そこそこの組の幹部だ。それにしては、随分とのんびりしている様に見える。 「はは。こっちには週に2、3、顔出してるだけだ。ちゃんと、仕事はしているよ」 「……暇人だな…」 「黒川さんが忙し過ぎ…
「……仕事で使うのに、…仕込んでいる最中だ。お前のところだってあるだろう、そんな話。 ただの商売道具だ。それ以上の感情はない。 …まあ、楽しませては貰ってるがな……」 事務所の近くの焼き鳥屋に黒川を連れ出し、日本酒を数杯飲んだところで ようやく、言い訳がましい話を口にする。 松田は、空になった黒川のグラスに酒を注ぎ、自分も飲み 次は熱燗にしようと、…
「……何?今の子?」 「……。まあ、ちょっと、な」 松田はなんとなくそのまま事務所の中に入り込む。 事務所の中をぐるりと見渡し とりあえず、今、ここで情事が行われていたかどうかだけ確認し ソファの上が妙に濡れていないと解ると、そこに腰を下ろした。 黒川も無下に追い返すのは格好が付かなかったのか、ふん、と鼻息を鳴らし デスクの椅子に座ると書…
『イツキちゃん、気にしてたぜ? 赤ん坊、見に行きたいけど、自分は駄目だって。 まあ、気持ちは解らなくもないけどな。 世界に生まれたての、まっさらサラサラ。綺麗で純粋なところに 肉欲まみれのドロドロで穢らわしいモンを近づけちゃ駄目だってな。 相談された?黒川さん。されないか、そうだよな。 イツキちゃんを、そんなドロドロにした張本人だもんなぁ。 …
ハーバルの事務所に松田が来ていた。 あれこれ、仕事に関係がありそうな話をするのだが 単純に、イツキと話がしたいだけだった。 それでも、ミカが無事に出産を終えた事を伝えると 意外に素直に喜び、穏やかで優しい空気になる。 子供が産まれるというのは、そういう事なのだろうと、イツキは思った。 「会いに行くの? 病院…は、さすがにアレかな。でも、落…
その日 黒川が珍しく早い時間に部屋に戻ると イツキはキッチンで、鼻歌混じりに鍋を掻き混ぜていた。 テーブルには他にもデリカの惣菜やサラダ、良いワインなどが並ぶ。 「ミカちゃん、産まれたって。女の子。 すごいよね、俺、知ってる人が子供産むなんて、初めてで… ちょっと感動した」 「ミカ?……ああ、石鹸屋の女か。…ふぅん」 黒川にすれば別に…
黒川に抱かれながらイツキは こんなにも黒川の挙動が気になるのはなぜなのだろうと考えていた。 好きだの嫌いだの。もう、そんな感覚はどうでも良くて。 仕事で、黒川が他人を抱くのも、まあ仕方がないのだと割り切ってはいる。 …自分だって、他で身体を開いているのだ。今更、セックスの有無は問題ではない。 とりあえず今は、一緒にいたいと思って一緒にいる。それ…
以前から黒川の周りには、商売上の付き合いのある女性や男性の姿がチラついていた。 こういった稼業なのだから、ある程度は仕方が無いだろう。 イツキのような「商売道具」にするといって訳アリの子供を引き入れ その教育という名目で、何かをしていることも解っている。 そんな相手をイチイチ気にして、腹を立てたところで仕方がない。 嫉妬と言われても、癪なだけだ。自…
「……イツキくん?」 急にイツキに抱きつかれたミツオはきょとんとする。 別れが惜しくて、という訳でも無さそうだが…とりあえず、イツキの肩に腕を回す。 「……どうしたの?………、もっと話し、聞く?」 「いや、……あの。…違います」 2、3分間を置いて、イツキはミツオから身体を離す。 ゆっくりと通りの方を振り返り、先ほど見掛けた人影が、もう無いこと…
食事も済み、ボトルのワインも飲み干し、イツキとミツオは店を出る。 少し酔っているのか躓きそうになるイツキの、腕を、ミツオが支える。 「…こういうさ、2階のお店って、酒飲むと階段が怖いよね」 「…俺、そんなに酔っ払って無いですよ…」 「……そ?」 言いながら、絡めた腕でそのまま壁に押し当てて、唇を重ねる流れが実にスマートで 何の不自然もないような気…