冷や麦を食べたくて生活圏のスーパーの四軒目でやっと買うことができた。四軒目までの三軒には置いてなかった。手に入れた四軒目のスーパーの乾麺売り場にたまたま店の方がいたが、その方は「冷や麦」を知らなかった。夏場の定番商品だと思っていたので何かがおきているなと思ってWEB情報のいくつかに当たってみて、ざっと目を通したらいくつかのことがわかった。・昭和40年ごろは国内で8万トンほど生産されていたが近年は2万トン以下に減っている・そうめんの生産量は冷や麦とは逆に平成期に急増し、昨年は微減に留まる。・緑や赤に染めたものを混ぜていたのはそうめんとの見分けがつきやすいようにしたのが由来だが混ぜない業者が増えた(私はサービスだと思っていたが、下記五木の製品は狙って作っていると思う。私も買ったことがある)子供のころは色のつい...夏の定番商品でなくなっていた「冷や麦」
◆とどしか・・・久しぶり【用例】もしもし、日高じゃばってん、とどしかね。盆どんに帰ってんさ、せっかっじゃもんの呑もじゃん。何人か都合んつくもんば集めちょってくれんか【一般語訳】もしもし、日高だけど、久しぶりだね。盆に帰るからさ、せっかくだから呑もうと思って。何人か都合のつく仲間を集めておいてくれないか(五島弁)とどしか
言葉の「切り取り」に踊らされるのは御免です。そして危険です。
石原信一著「吉田拓郎・挽歌を撃て」刊をWEBの古書店で求め、拓郎の70年代を知りました。冤罪事件との闘いやレコード会社の社長としての真摯な取り組み、アーティストへの復帰と当時はめずらしかった海外での録音体験(シャングリラ)からの飛躍など、興奮を覚えながら読み進みました。素晴らしいドキュメントでした。・・・・・・今も昔もという、情報に接する際の態度をよくよく気を付けないとと思わせる記述があった。「インタビューというものは書く方に企てがある時、その企てに必要なコメントだけを使い、不都合なコメントは抹殺する。前後の文脈次第で同じコメントでも解釈がぜんぜん異なる場合もある。」(石原信一著「挽歌を撃て」1980年八曜社刊)からの引用です。このところ言葉の切り取りという表現をよく見聞きするようになったが、四半世紀前に...言葉の「切り取り」に踊らされるのは御免です。そして危険です。
「使用済み核燃料」と「核のゴミ」同じ物事でも用語によって受け取る印象がかなり違ったものになる。「外遊」と「海外出張」、「処理水」と「汚染水」・・・発信者の意図を推量しないと発信者に操作されてしまう。印象操作という言葉もしばらく前に流行ったのは記憶に新しい。すでに増大しているAIの稼働で電力使用量がかなり増加するのだという。冬場は余る太陽光発電の電力もすでに今夏不足の事例が発生した。先日玄海原子力発電所の展示施設を見学してきた。原発の功罪はもろもろあろう。しかし、おおかたの日本人は夏も冬も知力の結集したエアコン装置で快適に過ごしている。日本には、ガスも石油もない。「使用済み核燃料」と「核のゴミ」・・・ある種の印象操作
沖小舟貨客フェリーのあと波にくつがえらじと耐えて過ぎ行く・・・・・名護屋城博物館に行った。近くの波戸岬のほうでしばらく海を眺めた。(短歌)くつがえらじと耐えて過ぎ行く
ひぐらしのアラーム鳴るかに起こされて払暁の町を散歩してみる・・・・・薄暗い時だけ鳴く蜩のすがたを実際には見たことがない。しかし声は聞くことがある。早朝と夕暮れに最初に一匹が鳴き始め徐々に大勢が和す声がまるでオーケストラのチューニングのように思える夏の虫の音だ。ひぐらしのアラーム鳴るかに起こされて(短歌)
長崎県内の港やバスターミナルなどに数十年前から設置されていた「有害図書」や「悪書」を回収するポストの利用が減ってきて、部分的に閉鎖の試みが始まっているという。出版不況現象の一端の影響下にある出来事だ。使われていたことじたいが日本人の生真面目さを感じて驚くのであるが、人によっては気に食わない主張や捻じ曲げ記事を出す新聞を入れたりもしていたのかもしれない。回収されていた「子供に見せてはいけない雑誌類」は古紙回収に回されリサイクルされていたのか焚書されていたのか気になるところでもある。ガキのころ、誰かがこのポストに入れることを推奨されているものを入手すると、引っ張り合うようにして学習したことを思い出す。閉鎖の理由が使わなくなったパソコンやスマホが入れられ始めたというのは作り話だが、そのうちメクジラ派の教育家や対...白ポストの閉鎖始まる・時代の波か
長崎県五島列島の旧福江市時代の1960年代末ごろから1970年代初めのことを思い出したので書いておく。場所は福江の通称西町と呼ばれていた観音寺の下あたりの私が生まれ育った家の近くの、まだ、道路拡張工事でなくなってしまった藩政時代の武家屋敷の石垣が残る一角に、Kという何でも売っている小さな店があった。(見出し写真の左端トラックの幌で隠れた木造平屋)今思えば取り扱い品目の多い、現代のコンビニのようなその店は、チロルチョコをはじめとした駄菓子の数々、サイダーやファンタなどの清涼飲料や菓子パン類を買うのが楽しみだった。また、切手やハガキ、のし紙、のし袋や香典袋、歯磨きなどの雑貨をお使いで買いに行かされたものだ。食材も置いてあり、豆腐やこんにゃくは一斗缶に水を張った中で出番を待っており、長崎人が「てんぷら」と呼ぶ揚...近所にあった小店の話
◆べべんこ・・・子牛【用例】ノリ坊んウチでべべんこん生まれたっちた。ざまにみじょかてんふとなってしまう前に見に来んかち誘われたてん見に行こうで。【一般語訳】ノリ坊の家で子牛が生まれたんだって。とてもかわいいから大きくなってしまう前に見に来ないかと誘われたから見に行こうよ。(五島弁)べべんこ
見出しの写真は、嬉野川沿いにある環境保護啓発を呼びかける地元の小学生の図案をもとにした看板だ。40年ほど前にあこがれの東京に移り住んだ時にファストフードの店がショックだった。トレー以外は使い捨て。こんなことは永くは続かないと感じて、付き合い以外でファストフードの店にはほとんど行かなかった。たが、ようやく「あの時感じた予感はほんもの・・・(プリンセスプリンセスのダイヤモンドの歌詞)」と言った感じで使い捨てゴミを減らすことが法制化をともなうまでに常識化してきている。それにしても、環境に関することもカタカナ言葉が多い。リサイクル。リユース・エコ・サスティナブル・SDなんとか・云々・・・再生、再活用、節減、持続可能等々では権威を示せずカッコワルイとでも、最初に言い出だしたエラくてカシコイ人たちが思っているからだろ...かわいい呼びかけ
蓮の花見れば故郷(ふるさと)思い出す思い出多き石田の城を・・・・・五島市福江の石田城跡に高校がありました。内堀に囲まれた敷地にあった当時の校舎にはエアコンはなく夏場は窓が開いており、堀でなくウシガエルの声を聴きながらの授業だったのを思い出します。ウシガエルのことを五島の方言でバップンとかバップンジョと呼んでいました。(短歌)蓮の花見れば故郷(ふるさと)思い出す
九州のある市役所が、夏休み中の子供に食料を届けるフードドライブなるカタカナの施策名称の業務をするという。私の生活圏にも子供食堂が開設されているのを見て、交流目的ではなく困っている子供のために設けられているのだったら辛い現実だと暗い気持ちになった。まもなく旧国体の国スポがはじまり、当番県の佐賀県内では数年前からポスターが貼られたり広報がなされたり、宣伝衣類がつくられたり、のぼりがぱたぱたはためいたり、行政施設の建物内には広報装飾物が飾られたり、箱モノができたり、駐車場ができたりと、さまざまに経済効果が発揮され税から支払いがなされている。全国の県知事の9割が旧国体の新名称国スポのありかたを見直すべきと考えており、廃止を訴えた知事もいる。反対者も多いだろう内容に向かい合う勇気をたたえる。佐賀県知事は回り持ちは「...こども食堂と旧国体とかオリンピックとか万博など
いらっしゃい入道雲さんこんにちは今年もヨロシクお願いします・・・梅雨明けして夏本番になりました。外に出ればセミの大合唱。(短歌)入道雲さんこんにちは
◆のさんのさーん・・・たまらない耐えがたいよいよ毎晩ぬっだらしゅうてぬっだらしゅうてノサンねぇ。【一般語訳】まったく毎晩湿気のある暑さ続きで耐えがたいねぇ。・ぬっだらしか・・・湿度も気温も高く過ごしづらい(見出し画像は五島市福江石田城近くの五島家家中屋敷の遺構)(五島弁)のさんのさーん
黒沢映画の七人の侍の印象に残ったシーンに、農村防衛を引き受ける際に食い詰め侍のリーダー格の勘兵衛が百姓たちから謝礼としてもらう飯を手に「この飯、おろそかには食わんぞ」と言う場面がある。今日出会った光景に「この飯、おろそかには食わんぞ」という農産物への感謝の気持ちが湧いた。先日大雨警報発令中だったが用があり外に出た時に数か所で農業用水路の水門の調整をしている人たちがいた。もちろん雨に濡れながらである。自宅からの徒歩圏内には川や堤から引き込んでいる水路が何か所かあるが、一年中一定の量が流れているのを不思議に思っていたが、それぞれの地域の人たちが天候により門扉の開閉を調節していたことを知った。お米をご飯としていただけるまでには食べるだけの人が知らないさまざまな苦労があることの一端を知った。大雨の日に知った人知れぬ努力・・・農業生産者に感謝・・・
◆くひくっ・・・言いがかりをつける苦情を強く言うようやっカスハラ対策ば大手企業や行政が表明するごとなって助かっよな。ちっとづっカスハラん減っていけば世の中ん住みよーなっよな。近ごろは我が思いばっかっくどくどくどくどしゃべって人ん言うこちゃちっとも聞かんもんのおってあっしゃこっしゃうっこっのあったもんな。【一般語訳】ようやくカスハラ対策を大手企業や行政が表明するようになって助かります。少しづつカスハラが減っていけば世の中が住みよくなります。最近、自分の思いばっかりくどくしつこくしゃべって人の言うことを少しも聞かない人がいて手に負えなくてまいることがありましたからね。(見出し画像は五島市福江石田城近くの五島家家中屋敷の遺構)(五島弁)くひくっ
写真のイノシシは正当な手続きを経て狩猟されたものを専門家が調理している丸焼きである。コロナ前に参加した長崎県波佐見町であったイベントでふるまわれたものだ。豚肉みたいな感じで美味しかった。全国的に、イノシシが増えていて、農業被害が深刻とのこと。知り合いの農家の人からも、イノシシに田畑がやられた話を聞くことがある。また、飼い犬を殺されたり、走行中の車に体当たりされて廃車の憂き目にあった人もいる。私自身も、県道の脇や城跡の公園などでタケノコを掘ったりエサを物色して土を掘り返したりした跡を何回も見ているし、収穫前の稲田を体に付いたダニなどを落とすために転がりまわって稲をなぎ倒しているのを何回も見ている。イノシシたちも生きるのに必死なのだろうが、人間の立場からは攘猪を決行し、農作物を保護しなければならない。害獣対策...農作物の被害多発のイノシシ
◆えらかす・・・騙す近ごろはSNS型詐欺ち言う人ばエラカしてお金ば盗む悪か奴のおってん気をつけんばいなかっぞ。そっかっロマンス詐欺ち言うとっしょれば色恋でエラカしてお金ば盗む奴もおってん、誘いに乗って鼻の下ば伸ばしたら老後の資金ば根こそぎ持って行かるっとじゃてん気をつけんばいなかっぞ。【一般語訳】近ごろはSNS型詐欺と言って人を騙してお金を盗む悪い奴がいるからから気を付けないといけませんよ。それからロマンス詐欺と言って年をとった人を色恋じかけで騙してお金を盗む悪い奴がいるから誘いに乗って鼻の下を伸ばしたら老後の資金を根こそぎもっていかれる気を付けないといけませんよ。(見出し画像は石田城近くの五島家家中屋敷跡)(五島弁)えらかす
焼き鳥屋には戦国時代をモチーフにした名前の店が多い。武将の名とか〇〇本陣とか〇〇武者、〇〇戦国といった看板をこれまで見かけてきた。見出し写真の近所の焼き鳥屋はメニューも戦国キャラのようだ。おそらく串を槍に見立ててのイメージからではないかと推測するが、そうであれば見立ての日本文化の伝統が息づいていて奥ゆかしい。せっかく書いたついでにイメージで勝手にメニューに名前をつけてみた。織田信長(きんかん)・淀殿(ぼんじり)・今川義元(軟骨)・石田三成(ハラミ)・小早川秀秋(手羽先)・黒田官兵衛(ハツ)・明智光秀(つくね)・伊達政宗(ささみ)・前田利家(もも)・・・焼き鳥屋の戦国キャラ
あらゆる戦争行為は残虐性をもった独善だ。一首詠む。罪なきを地獄に落とす権力者よ君の正義は世界の悲しみ・・・思い余って字余り(短歌)君の正義は世界の悲しみ(思い余って字余り)
「ほっぽん」とか「ほっぽなし」という言葉ば思い出したよな。盛んに・・・する。というときに使いよったよな。「水道管の破れてほっぽなし水(みん)のあふれよったよ!」といった使い方じゃった。(見出し画像は石田城近くの五島家家中屋敷跡)(五島弁)ほっぽん・ほっぽなし
ステルス値上げとは皮肉の効いたうまい流行造語だと思う。横文字削減派の私としては隠密値上げと呼びたいところではある。食品や洗剤などの生活消耗品については可能な限り詰め替え用を買っている。先日買ったコーヒーを袋から缶に詰め替えたらぴったり入りきった。それまでは数杯分入らずに袋に残った分から先に使っていたのだ。なるほどこれがいわゆるステルス値上げかと実感した。値段も上がっていたような気がするが、すべてのコストが上がっているうえに輸入品は円安の影響も大きい。数年前にアメリカから来た方とコーヒーを飲んだ時に、その人が日本でこの値段でコーヒーが飲めるとは日本人は幸せだとしみじみ言ったのに、その意味をくみ取るのに何日かかかったことなどを思い出した。今手に入る値段で一杯のコーヒーが飲めるのはまだまだありがたいことだ。今年...ステルス値上げを実感・それでもありがたい一杯のコーヒー
年に一度くらい、いまだに紙の電話帳がポストに投函される。おそらく広告業者が電話帳の体裁の紙媒体を使って広告収入を得ようとしているのではないかと思うのだが、もはや広告効果は期待できないのではないかと心配してしまう。右から左へと資源ゴミにまわす。数年前にモノを買った企業数社(いづれも有名企業)からちょくちょくDMが来る。家電品屋さんのは雑誌くらいのが送って来る。いづれも右から左へと資源ゴミにまわす。それから郵便受けに入れられるチラシや冊子もほぼ100%右から左へと資源ゴミに。こういうものも眺めて楽しんだり再購入に使ったりしている人も少なからず居るのではあろうが、環境破壊のタネになっている側面もあることは否めない。お願いだからウチには送ってこないで。ウチのポストにはチラシを入れないで。お願いだからゴミ送ってこないで・・・DMはほとんど資源ゴミ
梅雨明け前は雷。居住地は数日前にピカッと空が光り、ごごごごごーっと重低音が聞こえた。大雨による災害は困りものだが、自然は人知を超えたところにあり、驕らぬほどに付き合っていくしかない。雷の音が大好きだ。これに勝る豪華な重低音サウンドがあるだろうかと思う。たまにYOUTUBEの雷の動画の音をステレオから出して楽しむが、本物の迫力には当然ながら劣る。タイミングが合えば、外に出たり窓を開けたりして聞きほれるが、なかなか思うようには鳴ってはくれない。はらわたの底まで染み入る音をきくたびに、果てしない広さのコンサートホールに居る気分になる。重低音サウンドの雷・梅雨明けも近い
テレカ捨て記憶の中に沈みゆく赤い電話も緑の電話も(短歌)記憶の中に沈みゆく赤い電話も緑の電話も
私のふるさとの五島の福江では、城や寺や神社などにある石の階段を「がんぎだん」と呼んでいた。同い年の友人たちも使う人はまれな古い表現だった。あまり聞かない言葉ではあるが、石でつくった階段状の港湾施設を「雁木」というそうだ。時おり、出かけた先や散歩の途中に「がんぎだん」を見かけるたびに、この言葉を思い出す。子供のころ、家の近所の観音寺の、広くて大きな「がんぎだん」で遊んだこと、和尚さんに叱られたことなども、合わせて思い出す。今思えば、冬の外遊びの定番のコマまわしで使う「たぐりひも」の糸くずを散らかし放題にして逃げ散った後の掃除をさせてしまったことなど、和尚さんが怒るのも当たり前だと赤面汗顔の限りだ。・・・・・・(写真は、佐賀県嬉野市塩田の古刹で撮ったものです)がんぎ段・・・雁木段
映画「リンカーン」を観た。映画(歴史)の時代は日本では明治維新直前のころ、人間が人間として自由に生きることができる世の中をつくろうという志士がアメリカでも日本でも力を尽くしていたことに思いを馳せ、歴史の転回点を擬似体験することに感動した。今の今でもアメリカでは人種対立で流血事件が頻発していることは残念なことだ。このところは信じがたいような議会襲撃なども発生し、内戦までも想起されるようなおどろおどろしい状況になってきている。今年の秋に選挙があるアメリカ大統領は、人類にどのような未来を開く決断と行動をするのか注目したいし、その決断と行動には日本も巻き込まれ、日本人も影響を受ける。国連がかかげた人類の未来に続く幸福のための持続可能な開発目標17項目というものは人々が努力すれば実現可能な理想だ。戦争を最たるものと...映画「リンカーン」から米国大統領選挙を思う
学生のころ、町のレストランでアルバイトをしたことがある。ある日のこと、老夫婦のお客様がみえて食事をされたが、注文した料理を食べきれなくて残してしまった。そのお客様がコックさんを呼んでくださいというので、コックさんにお客様の席へ行ってもらった。お客様は、料理がたいへん美味しかったことをコックさんに伝え、食べきれなかった分を家族に食べさせたいから持ち帰りたいとコックさんにお願いした。私は、コックさんが怒るんじゃないかと心配したが、コックさんはとても上機嫌になり、私に下げさせたお皿から、鼻歌でも飛び出しそうな楽しげな表情で、飾り野菜をつけたりして、見事なオードブルのようなパックを作って客席に持っていった。その時の楽しげだったコックさんの姿は今でも印象に残っている。美味しかったと喜んでもらったこと、食べ残しをしな...嬉しそうだったコックさん
初恋の味と聞いてカルピスを連想するのは何歳ぐらいまでの世代だろうか。カルピスのホームページを見てみたら「初恋の味」より「カラダにピース」が現在のメインコピーのようだ。子どもの頃の思い出として、夏の飲みものは麦茶がほとんどで、コーラやサイダーがたまにあって、薄めて氷を入れて飲むカルピスはちょっと「よそ行き」気分の飲みものだった。夏休みは外で遊んでいることが多かったが、今日では気温の環境が違ってしまい、日ざしの性質さえ違うようで、外で遊びたくても遊べないだろう。梅雨入り前から秋が終わるくらいまでは日が出ている時間は外を出歩きにくい。子供たちとて同じだろう。数文字の言葉や商品名からなんとなく甘美な思い出がよみがえるというのはよいものだ。子供たちはもうすぐ夏休み。・・・・・この写真は、波佐見焼(はさみやき)のふる...夏が来れば初恋の味カルピス・郷愁・夏休み
米粉と砂糖を材料にして型押しでつくられる落雁の一種を口砂香と呼ぶのは長崎県内の限られた地域だけのようだ。傷みにくい菓子ということで仏壇に年中供えられていて、食べるものというより飾るものという捉え方をしていたし、いまだにその感覚は抜けない。お供えものの交換をするときに食べた、お線香の香りがついたボソボソした食感の菓子は「食べるとご先祖さんのご加護がある」といった祖母の教えもあって、やむなく服用する薬を飲むような気持になりながら食べたことを思い出す。お盆が近づくと、九州北部のスーパーの特集コーナーにはお盆関連商品がならび、そのなかの供物菓子の口砂香は定番の商品だ。祖母は、桃の形や花の形をしたその菓子をコウサコと発音しており、父母もそのように発音していた。五十歳ころになってはじめて口砂香と表記することを知って、...コウサコ・こうさこう・口砂香
そうめんに酢味噌をつけて食べる地域があることを知った。これまでにわかめとあわせた酢の物として食べたことがあったことを思い出した。夏場に冷たくさっぱりしたものを食べたくなった時によいなと思った。そうめんに合うなら、細めが特徴の五島うどんにも合うはずと思いつき、さっそく 試してみた。佐賀県のスーパーでも五島うどんが手に入る流通環境に関心する。 酢の物・和え物の一種ということになるのだろうが、相性よくおいしくいただくことができた。 ビールのつまみに清涼感あり。冷酒にも合いそうだ。暑さをやり過ごし、気持ちよく過ごす一助となる日本の味だ。五島うどんを酢味噌でいただく
カワイイ・センパイ・モッタイナイ・ネマワシ・オマカセ・ガイジンといった言葉が外国人でも使う言葉として浸透してきているという。私はローガイも浸透し活用されればよいと願っている。戦争や侵略を企てるのはありうべからざる非道だが、現在それを引き起こしたり引き起こしかねない指導者はおおかたが老人である。あらゆる人の集まりでローガイが起こっているように感じる。私の長老という言葉のイメージは、どうにも困った時に相談や決定を求められておだやかに答えを出し、結果として将来のためになる答えを出す人というものだが、隠居とか勇退といった言葉も死語化している現代では70になろうが80になろうが俺が俺がと我を張って、親分子分の関係よろしく生殺与奪の鍵を握り続けて時代が求める変化を阻害する困った人のイメージに変わってしまっている。往生...ローガイを世界語に
ドナルド・キーンの大著「明治天皇」を読了~など波風のたちさわぐらむ
ドナルド・キーンの大著である「明治天皇」を読了した。記録にもとづく誕生前から崩御にいたるまでの国内外の情勢の変化、時代の動きを明治天皇とその周辺という視座から概観することができた。心に重い何かを残してくれた著作だった。明治天皇は1904年に、ロシアの「武力による現状変更」から日本を守るための対ロシアとの開戦に踏み切らざるをえなかった年に、四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむと詠まれて平和的解決へのお気持ちを表された。昭和の戦争を諮る御前会議の席で、昭和天皇はこの御製を詠じ、開戦反対のお気持ちをあらわされたという。ドナルド・キーンの大著「明治天皇」を読了~など波風のたちさわぐらむ
「懐中電灯」を久しぶりに使いながら、この道具の言葉の響きが面白く思えてきた。現代では日常ほとんどの人が「懐」のある衣服を身につけていないなか、誰しもがそのものを的確に認識できる命名に、新たに発生したものや海外から紹介されたものにカタカナ命名する風潮が蔓延しているなかあらためて関心した。英語ではflashlightとかtorch言うらしいので、我が国への紹介者はふさわしい国語訳を考え、名付けたのだ。おそらく、発明されて販売されはじめた明治末ころは、まだ着物を着ている人がけっこういたので「カイチュウ」といえばどういう状態をさすかがほとんどの日本人にわかったのであろう。明治期に訳語として創案されて今日も使われている外来語は数知れずあるようだが、野球・哲学・社会・恋愛・美術も「懐中電灯」の仲間だ。近年「日本版ライ...懐中電灯から思う日本版〇〇〇は恥ずかしい
役人が滅ぼす食文化。焚書ならぬ焚食である。(レバ刺し・漬物・・・)
食品衛生法の改正施行で先月6月から製造販売要件が強化され、個人や小規模製造者の、いわゆる「手作り」とか「おふくろの味」と言われるたぐいの手に入る人だけが楽しみにしている漬物に店頭から消えたものがあるという。私も、知人を介してそうした「梅干し」を何度も買って、その質の良さの恩恵を受けた経験を持つ一人であるが、法改正による設備投資をしてまで家庭消費の副産物の販売はしないだろうから手持ちを食べてしまったらその梅干しは幻となる。牛レバーの刺身が提供を禁じた法改正が施行されたのは2012年のことで、干支でひとまわりほど愛好者の怨嗟と渇仰の怨念が厚生労働省に向かって放たれ続けている。現在高級な食べ物として楽しみを享受できるフグ食は、明治維新の後に伊藤博文がよき食文化として制度を定めて安心して食べることができ、世界も注...役人が滅ぼす食文化。焚書ならぬ焚食である。(レバ刺し・漬物・・・)
佐賀の郷土料理「かけあえ」から思い出した「煮あえ」・そして吉田焼
佐賀の郷土料理シメサバや酢じめした魚介類を野菜とゴマたっぷりの酢味噌で和えた「かけあえ」を食べて、子供の頃に時おり食べることがあった「煮あえ」を思い出した。「煮あえ」は今ではあまり聞くこともない料理名になってしまったが、どちらも塩分さえ調節すればお酢を使った料理でもあり、とても健康によい料理だ。常備菜にもよいので見直したいが子供たちは嫌がるかもしれない。ちなみに、写真の平小鉢は、嬉野の吉田地区の琥山窯作。吉田地区は有田焼を形成する窯場のなかの「大外山」のひとつで、有田焼として流通しているが、吉田焼としてのブランド確立の動きも出てきているようだ。地域ブランドの確立は一朝一夕にできることではない道のりではあろうが、生産者の思いが形になることは尊いことだ。生産地がイメージしやすいように嬉野吉田焼と二文字足すのも...佐賀の郷土料理「かけあえ」から思い出した「煮あえ」・そして吉田焼
先月から建て替えになる嬉野市役所嬉野庁舎の解体が進んでいます。新庁舎は再来年の7月ごろに完成する予定とのことです。塩田町の庁舎や広大な医療センターの跡地がどう活用されるのかも興味あるところです。・・・・・・◆以下は本年1月31日の佐賀新聞のウエブニュースからの引用です◆「現在、2カ所に分かれている嬉野市の庁舎を集約し、新たな庁舎を建てる計画について、31日検討委員会が設計案などをまとめた報告書を市長に手渡しました。31日、嬉野市の村上市長に報告書を手渡したのは、新庁舎建設検討委員会の三島伸雄委員長です。報告書によりますと、現在、旧嬉野町と旧塩田町にある2つの庁舎のうち、新たな庁舎は嬉野庁舎を解体して建設。鉄骨4階建てで延べ床面積は約5760平方メートル、総事業費50億円余りを見込んでいます。温泉街や塩田津...解体進む嬉野市役所嬉野庁舎
高倉健が男の哀愁を画面に薫らせる「駅STATION」を久しぶりに見た。駅の改札で切符に鋏を入れるシーンがあり、その音がとても懐かしかった。今でも鋏を使うところがあるのかもしれないが、スタンプに替わり、磁気式で無人化し、ICカードやスマートフォンが使えるようになり、ついには顔認証で改札を素通りして鉄道に乗ることができる時代に突入した。旧作映画を見る楽しみのひとつは、自分が確かに経験したことの既視感を楽しむこともその一つだが、今では消え去ってしまった物事を思い出すことにもある。懐かしみというものは、甘美であることが多い。記憶に間違いなければ門司港駅の改札にBGMのように鋏の音が流れていたような気がする。また訪ねたい場所なので、確認しておこう。鉄道キップ・・・硬券に鋏を入れる音が懐かしかった
行政がやたらカタカナ言葉を使うのにはうんざりするとともに、誤解や不便を経験したことさえある。この国に暮らす誇りをもって胸を張って可能な限り日本語を使うのが望ましいと考えている。さて、誰が言い出して定着したのか知らないが、ライフラインというカタカナ語が気に食わない。「電気ガス水道」。発音しにくいことはないではないか。なんのことだかわかりやすいではないか。言葉の普及定着には放送や出版やウエブ媒体の力は絶大だ。ニッポン放送のあるアナウンサーは、閣僚や国会議員の海外訪問を一般的な外遊という言葉を使わずに海外出張と表現する。考え、行動している人だなと思うとともに好感をもつ。一語からでも、言葉のよいあり方の追求を絶大な力には期待する。「電気ガス水道」発音しにくいことはない(ライフライン)
昨年暮れに「ほしあひ」という古語を知った。建礼門院右京大夫集を読む機会があり「さまざまに思ひやりつつよそながらながめかねぬる星合の空」という七夕を詠んだ歌と出会ったのがきっかけだ。七夕のつかの間のの出逢いを「ほしあひ」と表現したいにしえびとのやさしくみやびなこころを感じる言葉だ。先月、羽田空港に短冊に願いを書く七夕飾りのサービスがあったので「ほしあひ」の単語を思い出して写真を撮った。照れてないで短冊に願いを書いて下げればよかったと反省中だ。世界中から戦争がなくなりますように、と。ほしあひ・(星合)・七夕
「あの世」とか「極楽」とか「浄土」とか「冥土」が終了しそうな昨今
日本人がこのところ死後の行先のたとえとして「あの世」とか「極楽」とか「浄土」、「冥土」と言わず「天国」と言うようになったことに、お寺の教えや影響力が希薄化、もしくは無力化したと感じてしまう。子どもの頃をちょっと思い返してみたが、お寺が二軒近所にあって、一つは菩提寺で、祖母に連れられて保育園がわりによくお参りに行っていた。寺の境内の六地蔵や本堂の六道輪廻図を身近に感じられたので、今となってはそれが物理的にあるのかどうかはともかくとして地獄も極楽もわが身に迫ることに感じられていた。天国という言葉の定着は、おそらく娯楽クリスマスや挙式だけクリスチャンの普及も大きかろうが、葬式仏教と揶揄される教え希薄の僧侶たちが日本の仏教文化を自滅させているのも大きかろう。敗戦後18年目に生まれ育った私の遠い記憶では、「天国」と...「あの世」とか「極楽」とか「浄土」とか「冥土」が終了しそうな昨今
「ブログリーダー」を活用して、のほほんさんをフォローしませんか?
◆やたくっやたくり・・・過剰なおしゃべり【用例】あん人んやたくりちは聞いちょったばって、話のなんかなんか。逃げ出すとに苦労したよ。 【一般語訳】あの人がおしゃべりだとは聞いていたけれども、話が長い長い。逃げ出すのに苦労したよ。 (五島弁)やたくっやたくり
◆のっぺづらのっぺのっぺ・・・鉄面皮ツラの皮が厚い【用例】あら、見て見れち。あっだけ人に笑わるっこっばしちょってのっぺのっぺしたツラして人になんじゃろ言いよっよ。じゃっーげだ。【一般語訳】ほら、見てみろよ。あれだけ人に笑われることをしておきながら何くわぬツラの皮が厚い態度で人に何か言っているぞ。気色悪いな。(五島弁)のっぺづら
◆どあってんこあってん・・・どうしてもこうしてもなにがなんでも【用例】◎◎は痛風でいたかめにおーちょっとけ、どあってんこあってん、食ぶごちゃっもんは食ぶっとちゆっ、真子や白子ばしゃーしゃ食ぶっとで、再発が心配ち奥さんのくどめっじょったよ。【一般語訳】◎◎は痛風で痛い目をみているのに、どうしてもこうしても、食べたいものは食べると言って、真子や白子をしょっちゅう食べるので、再発が心配だと奥さんがグチってたよ。(五島弁)どあってんこあってん
◆つんび・・・独楽の芯【用例】やすりでツンビばしっかっ研いであっどが独楽ば片っ端かっこっかってくるって!【一般語訳】やすりで独楽の芯をしっかり研いであいつらの独楽を片っ端から打ち割ってやるぞ!☆子供の遊びは大人の世界の予行演習の側面もあったのか、弱肉強食の厳しさとルールには悔しくても従い恨みを残したりしないし、汚いことをする奴は仲間に入れないということもあった。私たちのこどもの頃の投げ独楽では、負けた順に場に出し、後から場に出す物は場に出ている独楽に当ててキズを付けたり割ったりするのが勲章だった。さながら果し合いのようなことをやっていたのだから、今思うと恐ろしい。でも楽しかった。(五島弁)つんび(思い出話の余談付き)
◆ぼっば・・・神社のお祭りの時に現れる獅子【用例】子どもん時はボッバに噛んでもらえば病気ばせんちいう迷信のあって、よう親にボッバんところに連れて行かれよったよ。【一般語訳】子どもの時はボッバに噛んでもらえば病気をしないという迷信があって、よく親にボッバのところに連れて行かれていたよ。☆祭りの時に神輿の巡行に随伴する天狗とボッバを小学生高学年になるとはやし立てて怒った天狗とボッバに追いかけられるスリルを楽しんでいました。天狗に追いつかれると容赦なく杖で叩かれるので必死で逃げました。(見出し画像は五島市福江の石田城近くの五島家家中屋敷遺構)(五島弁)ぼっば
◆ぼうまんふっ・・・のぼせるあわてふためく我を見失う頭が真っ白になる【用例】はよせれ、はよせれ、ちせかされっ、ぼうまんふって出てきたらスマホも財布も忘れっしもちょってオージョコージョしたっち。【一般語訳】早くしろ、早くしろってせかされて、あわてふためいて出てきたらスマホも財布も忘れてしまっていてニッチモサッチモいかなかったよ。(五島弁)ぼうまんふっ
◆かとっぽ・・・ハコフグ(魚名・顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区棘鰭上目スズキ系フグ目フグ亜目ハコフグ科ハコフグ属)【用例】かとっぽん味噌焼は名物でうんまかち評判じゃばって、魚屋さんで売っちょっとは見たこっのなかてんなかなか食べられんね。【一般語訳】ハコフグの味噌焼は名物で美味しいって評判だけれども、魚屋さんで売っているのは見たことがないからなかなか食べられないね。(見出し画像は友人提供のもので五島市の海)(五島弁)かとっぽ
◆ぼっくっ・・・たっぷり多めに必要より多く過剰に強く【用例】ラーメンにニンニクばぼっくっ入れたてん、我ながら臭(くさ)かよ。【一般語訳】ラーメンにニンニクをたっぷり入れたから、我ながら臭いよ。(見出し画像は五島市福江の石田城の舟入遺構)(五島弁)ぼっくっ
吉田拓郎のアルバム「ライブ’73」は私が十歳のころのライブ録音盤だ。誰に録音してもらったのか覚えていないが、十代のころテープを持っていた。いつしかそのテープもどこかへ行ってしまったが、どうしても折に触れ思い出す曲があった。「都万の秋」(岡本おさみ作詞吉田拓郎作曲)である。都万の秋を聴きたくて再発のCDを買った。都万は島根県の隠岐の島の漁村のようだ。歌詞の概要は、風来坊のような旅人が隠岐の島を旅する。そこで漁師の夫婦と出会い、とくに「おかみさん」の生き様に感銘する。歌はこう締めくくられる「海の機嫌をとってきた都万のおかみさんたちひと荒れすりゃひと年も老けてきた明日の朝は去ってしまおうだってぼくは怠け者の渡り鳥だから」海という危険な場所での仕事はまさに命がけの仕事だ。また、個人営業の漁師はいくらか危険でも危険...吉田拓郎の「都万の秋」と志ん生の「大津絵冬の夜」
省略語では「ギョニソ」は好きなほうです。なぜかトキメキます。こどもの頃の弁当や、学校から帰って小腹がすいた時にまるかぶりした記憶が甘美に意識をくすぐるのでしょうか。もちろんギョニソそのものも大好きです。なぜか「ソーセージ」という寛大な分類も大人の味付けと言えましょう。ギョニソ
「可及的速やかに」という政治家発言が「とりあえず何もしない」の言い換えと揶揄されたことがあったが、このところよく耳にするが実感を伴わない表現に「スピード感をもって」とか「スピード感が大事です」といったのがある。急いでやるとかすぐにとりかかっていついつまでに答えを出すと言うのなら意思も覚悟も伝わってくるが、「感」をもってと言われると「可及的速やかに」と言っているのだと思えてくる。スピード・スピード感
孤独死という言葉は最大手放送局が番組名につけたことから拡がり定着したという。視聴率を高めるために知恵者がおどろおどろしい言葉をあみだしたのだろう。好きではない言葉であり、何らかの価値観から蔑視の意識すら感じるこの言葉の反対語はあるのだろうか。思いつかないから即興でつくってみる。・看取られ死・衆人環視死・集合死・人中死・・・孤独死の反対語は・・・
ラジオから「ポイ活を始める人が増えています」という声が聞こえてきて、てっきり「断捨離」のくだけた言い方なのかと思っていたら、意識してポイントを貯める行動とのこと。就職活動から終活が連想され定着して久しいけれど、初めて「終活」の2文字を見たときには部活の後片付けのことかと思ったことだった。部活といえば、これは●●部の活動の略ではなくてクラブ活動の略じゃないかと思うのだが、ブは漢字が定着している。おもしろくも不思議な慣習だが、「月極」みたいなものかと思えども、見るたび聞くたびすっきりしない。「ポイ活」「終活」「ブ活」
自宅から30分ほど歩いたところで見つけた懐かしみ。半世紀近く風雪に耐えてきた看板だろうか。瓶の中央の赤いシールに「一級酒」と表示されているのは平成の初期まであった酒税の区分によるもの。二級酒もあった。焼酎の製法区分の甲類乙類という品質の優劣を誤認させる用語は健在だ。#レトロ#看板#レタリング#嬉野温泉駅#懐かしみ一級酒二級酒甲類乙類などの用語を思い出した古い看板
島原の乱(島原一揆)の籠城戦があった世界遺産指定地域の原城跡を歩いてみた。キリスト教禁教の背景から考えてみると、ポルトガルなどからの植民地化や反乱勢力から国を守ったことがあった史跡であるという国防の遺産であること認識した。また、乱のころはすでに廃城となっていたという城域の広大さに、戦国武将と家臣団の生き残りをかけた命がけの備えの緊張感と真剣さを強く感じた。国防の遺産でもある世界遺産(原城跡・島原の乱)
まもなく紙幣が新札に切り替わる。一万円札の肖像は渋沢栄一だという。邪推と妄想をたくましくするのであるが、この肖像選定は現金を使わせなくするための深謀遠慮の策略ではないかと勘ぐっている。時代が許したとはいえ、妾を複数もち、子供も二十人は居たとされる人物を現代感覚からすれば、ウラヤマしくも、ネタマしくも、イヤラしくもあり、あまりご尊顔を再三再四拝みたくはないだろうと思うのは拙者のみみっちさからだろうか。新札肖像選定の裏舞台(邪推編)
朝日浴び往来見守るお地蔵さん今日一日の無事祈りたもう今日一日の無事祈りたもう(短歌)
生活圏では鯉のぼりと一緒に名前を記したのぼり旗を立てるところも多い。ほぼ毎日あちこち車で移動するのでいくつもののぼりを見かけるのだが、近年記された名前が判じ物化していて、読み方を考えるのにけっこう労力を使ってしまう。宣伝ではないので他人様には読めなくてもいいことではあるが、半世紀後には病棟のベッドの名札がひらがな表示されるようになるのだろうなと思うと看護師の呼びかけが幼児対応仕様になりそうな妄想をしてしまう。五月雑感
田植え前のこの時期に、一面秋の稲田のような景色を初めて見たときには新鮮な驚きに目を瞠ったものだが、いまでもその感覚はなくならない。写真は嬉野市塩田町の麦畑だが、用事があって毎日のように行く場所からさながら定点観察のように眺める芽吹きから緑が広がり黄金色に変わっていくさまには驚きをともなう感動がある。農家の方は、祝日も土日も仕事をされている。また、仲間との協働する姿も見かけることがある。この麦は焼酎やビールになるということだが、この景色や働く方を思い出しながら感謝の乾杯とともに味わいたいと思う。麦秋の佐賀平野
先月(4月はじめ)に佐賀県嬉野市塩田町で撮影しました。近所のかたがボランティアでなさっているのか、かわいい帽子と前掛けをつけていました。花曇りの花見地蔵
昨日、たまに買っていたスコッチを買おうとしたら、価格が前に買った時の1.3倍になっていて買おうか買うまいかとためらっているうちに「舶来品」という古い言葉を思い出した。このところの侵略戦争や円安の影響あってのことでもあろう。「舶来」もふだん使うことがない言葉なので、本当にそんな言葉があったかなと不安になって手もとの漢和辞典(角川新字源)を引いてみたら、和製漢語ということなので、いつかの時代にか誰かが言い出して「箔が付く」高級イメージとして定着したのだろうが、今では死後に近い。舶来品
不祥事と蛮行ヤジはさておき、国民負担増だけは決める国会のありかたに、「タイパ」重視の世代は政治は独裁者に任せて国会議員を大幅に減らしたほうがタイパもコスパもいいじゃんという気運が醸成されそうな気がしています。くわばらくわばら・・・タイパと独裁者
新年度のはじまりで、歓迎会やら懇親会も処々方々で行われていることだろう。宴席といえば「返杯」という風習があって、嬉しいものではなかったが、コロナ禍で駆逐されたのではないかと想像している。また、年長者がとっくりを差し出し、断ろうものなら「俺のサカズキが受けられないのかぁ」と怒り出すこともおうおうにしてあったやに聞いたおぼえがある。日本酒の消費量が減っているというからとっくりの出番も減っているのだろうが、瓶ビールやワインを差し出されたら、内心飲みたくなくても圧力に押されてやむなく受けざるをえない場面もあることだろう。イッキっイッキっイッキっイッキっとはやしたてて飲ませる余興もあったが、今思えば集団での殺人未遂もしくは自殺ほう助ではないかと思っている。自分は大酒呑みみではあるが、自分の調子で呑めない席には出向き...イッキっイッキっイッキっイッキっ
時満ちて纜(ともづな)ほどき漕ぎいだす未知訪ねゆく岸遥かなり~新しい日々の始まりに詠む~未知訪ねゆく岸遥かなり~新しい日々の始まりに詠む~
ひばり鳴きうぐいす歌う田園に時はのどかに春を運べり時はのどかに春を運べり
ちはやぶる神も愛でなむさくらばな令和六年春は来にけり・・・佐賀県武雄神社にて・・・ちはやぶる神も愛でなむさくらばな(短歌)
大寒の厳しき日にも萌えいずる梅の香ほのかに春ささやけり梅の香ほのかに春ささやけり(短歌)
流れ去るエンドロールを見るように時を映した雪降り積もる流れ去るエンドロールを見るように(短歌)