テレカ捨て記憶の中に沈みゆく赤い電話も緑の電話も(短歌)記憶の中に沈みゆく赤い電話も緑の電話も
私のふるさとの五島の福江では、城や寺や神社などにある石の階段を「がんぎだん」と呼んでいた。同い年の友人たちも使う人はまれな古い表現だった。あまり聞かない言葉ではあるが、石でつくった階段状の港湾施設を「雁木」というそうだ。時おり、出かけた先や散歩の途中に「がんぎだん」を見かけるたびに、この言葉を思い出す。子供のころ、家の近所の観音寺の、広くて大きな「がんぎだん」で遊んだこと、和尚さんに叱られたことなども、合わせて思い出す。今思えば、冬の外遊びの定番のコマまわしで使う「たぐりひも」の糸くずを散らかし放題にして逃げ散った後の掃除をさせてしまったことなど、和尚さんが怒るのも当たり前だと赤面汗顔の限りだ。・・・・・・(写真は、佐賀県嬉野市塩田の古刹で撮ったものです)がんぎ段・・・雁木段
映画「リンカーン」を観た。映画(歴史)の時代は日本では明治維新直前のころ、人間が人間として自由に生きることができる世の中をつくろうという志士がアメリカでも日本でも力を尽くしていたことに思いを馳せ、歴史の転回点を擬似体験することに感動した。今の今でもアメリカでは人種対立で流血事件が頻発していることは残念なことだ。このところは信じがたいような議会襲撃なども発生し、内戦までも想起されるようなおどろおどろしい状況になってきている。今年の秋に選挙があるアメリカ大統領は、人類にどのような未来を開く決断と行動をするのか注目したいし、その決断と行動には日本も巻き込まれ、日本人も影響を受ける。国連がかかげた人類の未来に続く幸福のための持続可能な開発目標17項目というものは人々が努力すれば実現可能な理想だ。戦争を最たるものと...映画「リンカーン」から米国大統領選挙を思う
学生のころ、町のレストランでアルバイトをしたことがある。ある日のこと、老夫婦のお客様がみえて食事をされたが、注文した料理を食べきれなくて残してしまった。そのお客様がコックさんを呼んでくださいというので、コックさんにお客様の席へ行ってもらった。お客様は、料理がたいへん美味しかったことをコックさんに伝え、食べきれなかった分を家族に食べさせたいから持ち帰りたいとコックさんにお願いした。私は、コックさんが怒るんじゃないかと心配したが、コックさんはとても上機嫌になり、私に下げさせたお皿から、鼻歌でも飛び出しそうな楽しげな表情で、飾り野菜をつけたりして、見事なオードブルのようなパックを作って客席に持っていった。その時の楽しげだったコックさんの姿は今でも印象に残っている。美味しかったと喜んでもらったこと、食べ残しをしな...嬉しそうだったコックさん
初恋の味と聞いてカルピスを連想するのは何歳ぐらいまでの世代だろうか。カルピスのホームページを見てみたら「初恋の味」より「カラダにピース」が現在のメインコピーのようだ。子どもの頃の思い出として、夏の飲みものは麦茶がほとんどで、コーラやサイダーがたまにあって、薄めて氷を入れて飲むカルピスはちょっと「よそ行き」気分の飲みものだった。夏休みは外で遊んでいることが多かったが、今日では気温の環境が違ってしまい、日ざしの性質さえ違うようで、外で遊びたくても遊べないだろう。梅雨入り前から秋が終わるくらいまでは日が出ている時間は外を出歩きにくい。子供たちとて同じだろう。数文字の言葉や商品名からなんとなく甘美な思い出がよみがえるというのはよいものだ。子供たちはもうすぐ夏休み。・・・・・この写真は、波佐見焼(はさみやき)のふる...夏が来れば初恋の味カルピス・郷愁・夏休み
米粉と砂糖を材料にして型押しでつくられる落雁の一種を口砂香と呼ぶのは長崎県内の限られた地域だけのようだ。傷みにくい菓子ということで仏壇に年中供えられていて、食べるものというより飾るものという捉え方をしていたし、いまだにその感覚は抜けない。お供えものの交換をするときに食べた、お線香の香りがついたボソボソした食感の菓子は「食べるとご先祖さんのご加護がある」といった祖母の教えもあって、やむなく服用する薬を飲むような気持になりながら食べたことを思い出す。お盆が近づくと、九州北部のスーパーの特集コーナーにはお盆関連商品がならび、そのなかの供物菓子の口砂香は定番の商品だ。祖母は、桃の形や花の形をしたその菓子をコウサコと発音しており、父母もそのように発音していた。五十歳ころになってはじめて口砂香と表記することを知って、...コウサコ・こうさこう・口砂香
そうめんに酢味噌をつけて食べる地域があることを知った。これまでにわかめとあわせた酢の物として食べたことがあったことを思い出した。夏場に冷たくさっぱりしたものを食べたくなった時によいなと思った。そうめんに合うなら、細めが特徴の五島うどんにも合うはずと思いつき、さっそく 試してみた。佐賀県のスーパーでも五島うどんが手に入る流通環境に関心する。 酢の物・和え物の一種ということになるのだろうが、相性よくおいしくいただくことができた。 ビールのつまみに清涼感あり。冷酒にも合いそうだ。暑さをやり過ごし、気持ちよく過ごす一助となる日本の味だ。五島うどんを酢味噌でいただく
カワイイ・センパイ・モッタイナイ・ネマワシ・オマカセ・ガイジンといった言葉が外国人でも使う言葉として浸透してきているという。私はローガイも浸透し活用されればよいと願っている。戦争や侵略を企てるのはありうべからざる非道だが、現在それを引き起こしたり引き起こしかねない指導者はおおかたが老人である。あらゆる人の集まりでローガイが起こっているように感じる。私の長老という言葉のイメージは、どうにも困った時に相談や決定を求められておだやかに答えを出し、結果として将来のためになる答えを出す人というものだが、隠居とか勇退といった言葉も死語化している現代では70になろうが80になろうが俺が俺がと我を張って、親分子分の関係よろしく生殺与奪の鍵を握り続けて時代が求める変化を阻害する困った人のイメージに変わってしまっている。往生...ローガイを世界語に
ドナルド・キーンの大著「明治天皇」を読了~など波風のたちさわぐらむ
ドナルド・キーンの大著である「明治天皇」を読了した。記録にもとづく誕生前から崩御にいたるまでの国内外の情勢の変化、時代の動きを明治天皇とその周辺という視座から概観することができた。心に重い何かを残してくれた著作だった。明治天皇は1904年に、ロシアの「武力による現状変更」から日本を守るための対ロシアとの開戦に踏み切らざるをえなかった年に、四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむと詠まれて平和的解決へのお気持ちを表された。昭和の戦争を諮る御前会議の席で、昭和天皇はこの御製を詠じ、開戦反対のお気持ちをあらわされたという。ドナルド・キーンの大著「明治天皇」を読了~など波風のたちさわぐらむ
「懐中電灯」を久しぶりに使いながら、この道具の言葉の響きが面白く思えてきた。現代では日常ほとんどの人が「懐」のある衣服を身につけていないなか、誰しもがそのものを的確に認識できる命名に、新たに発生したものや海外から紹介されたものにカタカナ命名する風潮が蔓延しているなかあらためて関心した。英語ではflashlightとかtorch言うらしいので、我が国への紹介者はふさわしい国語訳を考え、名付けたのだ。おそらく、発明されて販売されはじめた明治末ころは、まだ着物を着ている人がけっこういたので「カイチュウ」といえばどういう状態をさすかがほとんどの日本人にわかったのであろう。明治期に訳語として創案されて今日も使われている外来語は数知れずあるようだが、野球・哲学・社会・恋愛・美術も「懐中電灯」の仲間だ。近年「日本版ライ...懐中電灯から思う日本版〇〇〇は恥ずかしい
役人が滅ぼす食文化。焚書ならぬ焚食である。(レバ刺し・漬物・・・)
食品衛生法の改正施行で先月6月から製造販売要件が強化され、個人や小規模製造者の、いわゆる「手作り」とか「おふくろの味」と言われるたぐいの手に入る人だけが楽しみにしている漬物に店頭から消えたものがあるという。私も、知人を介してそうした「梅干し」を何度も買って、その質の良さの恩恵を受けた経験を持つ一人であるが、法改正による設備投資をしてまで家庭消費の副産物の販売はしないだろうから手持ちを食べてしまったらその梅干しは幻となる。牛レバーの刺身が提供を禁じた法改正が施行されたのは2012年のことで、干支でひとまわりほど愛好者の怨嗟と渇仰の怨念が厚生労働省に向かって放たれ続けている。現在高級な食べ物として楽しみを享受できるフグ食は、明治維新の後に伊藤博文がよき食文化として制度を定めて安心して食べることができ、世界も注...役人が滅ぼす食文化。焚書ならぬ焚食である。(レバ刺し・漬物・・・)
佐賀の郷土料理「かけあえ」から思い出した「煮あえ」・そして吉田焼
佐賀の郷土料理シメサバや酢じめした魚介類を野菜とゴマたっぷりの酢味噌で和えた「かけあえ」を食べて、子供の頃に時おり食べることがあった「煮あえ」を思い出した。「煮あえ」は今ではあまり聞くこともない料理名になってしまったが、どちらも塩分さえ調節すればお酢を使った料理でもあり、とても健康によい料理だ。常備菜にもよいので見直したいが子供たちは嫌がるかもしれない。ちなみに、写真の平小鉢は、嬉野の吉田地区の琥山窯作。吉田地区は有田焼を形成する窯場のなかの「大外山」のひとつで、有田焼として流通しているが、吉田焼としてのブランド確立の動きも出てきているようだ。地域ブランドの確立は一朝一夕にできることではない道のりではあろうが、生産者の思いが形になることは尊いことだ。生産地がイメージしやすいように嬉野吉田焼と二文字足すのも...佐賀の郷土料理「かけあえ」から思い出した「煮あえ」・そして吉田焼
先月から建て替えになる嬉野市役所嬉野庁舎の解体が進んでいます。新庁舎は再来年の7月ごろに完成する予定とのことです。塩田町の庁舎や広大な医療センターの跡地がどう活用されるのかも興味あるところです。・・・・・・◆以下は本年1月31日の佐賀新聞のウエブニュースからの引用です◆「現在、2カ所に分かれている嬉野市の庁舎を集約し、新たな庁舎を建てる計画について、31日検討委員会が設計案などをまとめた報告書を市長に手渡しました。31日、嬉野市の村上市長に報告書を手渡したのは、新庁舎建設検討委員会の三島伸雄委員長です。報告書によりますと、現在、旧嬉野町と旧塩田町にある2つの庁舎のうち、新たな庁舎は嬉野庁舎を解体して建設。鉄骨4階建てで延べ床面積は約5760平方メートル、総事業費50億円余りを見込んでいます。温泉街や塩田津...解体進む嬉野市役所嬉野庁舎
高倉健が男の哀愁を画面に薫らせる「駅STATION」を久しぶりに見た。駅の改札で切符に鋏を入れるシーンがあり、その音がとても懐かしかった。今でも鋏を使うところがあるのかもしれないが、スタンプに替わり、磁気式で無人化し、ICカードやスマートフォンが使えるようになり、ついには顔認証で改札を素通りして鉄道に乗ることができる時代に突入した。旧作映画を見る楽しみのひとつは、自分が確かに経験したことの既視感を楽しむこともその一つだが、今では消え去ってしまった物事を思い出すことにもある。懐かしみというものは、甘美であることが多い。記憶に間違いなければ門司港駅の改札にBGMのように鋏の音が流れていたような気がする。また訪ねたい場所なので、確認しておこう。鉄道キップ・・・硬券に鋏を入れる音が懐かしかった
行政がやたらカタカナ言葉を使うのにはうんざりするとともに、誤解や不便を経験したことさえある。この国に暮らす誇りをもって胸を張って可能な限り日本語を使うのが望ましいと考えている。さて、誰が言い出して定着したのか知らないが、ライフラインというカタカナ語が気に食わない。「電気ガス水道」。発音しにくいことはないではないか。なんのことだかわかりやすいではないか。言葉の普及定着には放送や出版やウエブ媒体の力は絶大だ。ニッポン放送のあるアナウンサーは、閣僚や国会議員の海外訪問を一般的な外遊という言葉を使わずに海外出張と表現する。考え、行動している人だなと思うとともに好感をもつ。一語からでも、言葉のよいあり方の追求を絶大な力には期待する。「電気ガス水道」発音しにくいことはない(ライフライン)
昨年暮れに「ほしあひ」という古語を知った。建礼門院右京大夫集を読む機会があり「さまざまに思ひやりつつよそながらながめかねぬる星合の空」という七夕を詠んだ歌と出会ったのがきっかけだ。七夕のつかの間のの出逢いを「ほしあひ」と表現したいにしえびとのやさしくみやびなこころを感じる言葉だ。先月、羽田空港に短冊に願いを書く七夕飾りのサービスがあったので「ほしあひ」の単語を思い出して写真を撮った。照れてないで短冊に願いを書いて下げればよかったと反省中だ。世界中から戦争がなくなりますように、と。ほしあひ・(星合)・七夕
「あの世」とか「極楽」とか「浄土」とか「冥土」が終了しそうな昨今
日本人がこのところ死後の行先のたとえとして「あの世」とか「極楽」とか「浄土」、「冥土」と言わず「天国」と言うようになったことに、お寺の教えや影響力が希薄化、もしくは無力化したと感じてしまう。子どもの頃をちょっと思い返してみたが、お寺が二軒近所にあって、一つは菩提寺で、祖母に連れられて保育園がわりによくお参りに行っていた。寺の境内の六地蔵や本堂の六道輪廻図を身近に感じられたので、今となってはそれが物理的にあるのかどうかはともかくとして地獄も極楽もわが身に迫ることに感じられていた。天国という言葉の定着は、おそらく娯楽クリスマスや挙式だけクリスチャンの普及も大きかろうが、葬式仏教と揶揄される教え希薄の僧侶たちが日本の仏教文化を自滅させているのも大きかろう。敗戦後18年目に生まれ育った私の遠い記憶では、「天国」と...「あの世」とか「極楽」とか「浄土」とか「冥土」が終了しそうな昨今
食品ロス問題は、製造・流通・消費者それぞれの意識の変化と行動でよい方向へ向かっているのを感じている。買い物につきものの袋持参も定着し、環境保護につながっていることだろう。さまざまに工夫をして持続可能な地球にするのは人類の正義だ。食品ロスとともに食品装飾ロスもなくさなければならない。仕切り機能のある樹脂製疑似バラン(馬蘭・葉蘭)はまだしも、飾るために捨てるだけのプラスチック製品に消費意欲や食欲をそそられる人もいるのだろうが、やめてほしい悪趣味悪習慣であると日々ゲンナリしているのは私だけだろうか。食品ロス、そして食品装飾ロスもなくそう
ホテルの予約サイトや宿泊したホテルの表示に「Wi-Fi無料」というのを見かけないことのほうが珍しいのだが、目にするたびに「冷暖房完備」とか「カラーテレビ」という言葉を思い出す。宣伝文句が差別化されたサービスである間は効果もあり選択肢に優位性をもたらすのであろうが、社会に定着し当然となってしまった後では懐かしのフレーズになることをいくつも経験する。その数だけ生きて来たのをあらためて感じる。その数だけ進化や発展の恩恵を受けてきている。ありがたい時代を生きていることを実感する。(画像は佐賀県嬉野市の嬉野温泉)Wi-Fi無料・冷暖房完備・カラーテレビ
近所の図書館が平家物語絵巻の書籍化されたものを所蔵していて、その恩恵を受けている。12冊組で三十数万円の書籍を手にすることができるのはとてもありがたい。原文は小学館の全集を手前において筋を追っている。ところどころ絵巻の地の文も読みながら雰囲気を味わっている。武者たちも女性たちもしょっちゅう涙にむせぶ物語だが、私もしょっちゅう目をうるませている。全長940メートルにおよぶという絵巻物語は、平家が西へ落ちて戦闘場面にさしかかった。今のペースで読み進めると、運命の壇ノ浦は一月後くらいに訪れそうだ。平家物語絵巻を楽しむ
電波・東京まで1000キロ離れたあの島であこがれは朝の光に寄り添って大人の気分を運んでくれたいつかそのうちカッコイイ男になれる予感がしていた始めて聞くような物語始めて聴くような音楽にまだ見ぬ景色を思い描いてラジオを浴びてた十三歳のころ東京まで1000キロ離れたあの島で驚きは閉じた窓から忍び込む世界で起きてるいろんな出来事いつかそのうち放送で名前を呼ばれる気がしてた素敵な暮らしや人々や素敵な出会いや出来事が自分に起こると夢を描いたラジオを浴びてた十五歳のころ東京まで1000キロ離れたあの島でダイヤルは見えない電波に光を当てる息をひそめてゆっくり回すジャミングや混線の矢をくぐりぬけかすかに聞こえるあのあこがれのスターの話や歌う声スターの笑顔も目に浮かびいつか会えると信じ始めたラジオを浴びてた十七歳のころ東京ま...電波・東京まで1000キロ離れたあの島で(歌詞)
今年から森林環境税を国税として徴収されるようになった。徴税目的はさまざまだろうが、過去の政策が裏目に出た花粉症という国民的公害病の解決にも有効に使ってもらいたいものだと思う。先日買った羊羹を開けたところ、経木に包んであった。近頃では経木の模様の樹脂製の包材もあるなかで、天然の木製の経木がなんともなつかしかった。木の香りが嬉しくて鼻に近づけて大きく息を吸った。半世紀ほど前の子供のころには経木は包装材料として大活躍だった。魚のすり身や肉などの、ウエットな食材を包むのによく使われていた。はじめて食べた納豆も経木にくるんであったのを今でもおぼえている。経木の材料は杉やヒノキが使われるという。自然の香りが食べるものをいっそう美味しくしてくれるような気がする。経木と森林環境税
梅雨入りでしょうか、雨の日々が始まるようです。一首詠みます。ようやくに梅雨来たるらし水田に水満ち満ちよ豊作を祈る水田に水満ち満ちよ豊作を祈る(短歌)
ほとんどの建物の解体が終わった佐賀県嬉野市の嬉野医療センター跡地だが、ドクターヘリのヘリポートは解体されずに残っている。もちろん移転先の新病院にはヘリポートは設置されており、私も数回発着を目にしたことがある。旧病院のヘリポートだが、推測ではあるが緊急時に備えて機能を温存し、時が来るまで解体しないようにしているのかもしれない。もしそうであれば、企図した方々の配慮をたたえたい。解体後も残るドクターヘリポート(嬉野医療センター跡)
吉田拓郎のアルバム「ライブ’73」は私が十歳のころのライブ録音盤だ。誰に録音してもらったのか覚えていないが、十代のころテープを持っていた。いつしかそのテープもどこかへ行ってしまったが、どうしても折に触れ思い出す曲があった。「都万の秋」(岡本おさみ作詞吉田拓郎作曲)である。都万の秋を聴きたくて再発のCDを買った。都万は島根県の隠岐の島の漁村のようだ。歌詞の概要は、風来坊のような旅人が隠岐の島を旅する。そこで漁師の夫婦と出会い、とくに「おかみさん」の生き様に感銘する。歌はこう締めくくられる「海の機嫌をとってきた都万のおかみさんたちひと荒れすりゃひと年も老けてきた明日の朝は去ってしまおうだってぼくは怠け者の渡り鳥だから」海という危険な場所での仕事はまさに命がけの仕事だ。また、個人営業の漁師はいくらか危険でも危険...吉田拓郎の「都万の秋」と志ん生の「大津絵冬の夜」
省略語では「ギョニソ」は好きなほうです。なぜかトキメキます。こどもの頃の弁当や、学校から帰って小腹がすいた時にまるかぶりした記憶が甘美に意識をくすぐるのでしょうか。もちろんギョニソそのものも大好きです。なぜか「ソーセージ」という寛大な分類も大人の味付けと言えましょう。ギョニソ
「可及的速やかに」という政治家発言が「とりあえず何もしない」の言い換えと揶揄されたことがあったが、このところよく耳にするが実感を伴わない表現に「スピード感をもって」とか「スピード感が大事です」といったのがある。急いでやるとかすぐにとりかかっていついつまでに答えを出すと言うのなら意思も覚悟も伝わってくるが、「感」をもってと言われると「可及的速やかに」と言っているのだと思えてくる。スピード・スピード感
孤独死という言葉は最大手放送局が番組名につけたことから拡がり定着したという。視聴率を高めるために知恵者がおどろおどろしい言葉をあみだしたのだろう。好きではない言葉であり、何らかの価値観から蔑視の意識すら感じるこの言葉の反対語はあるのだろうか。思いつかないから即興でつくってみる。・看取られ死・衆人環視死・集合死・人中死・・・孤独死の反対語は・・・
ラジオから「ポイ活を始める人が増えています」という声が聞こえてきて、てっきり「断捨離」のくだけた言い方なのかと思っていたら、意識してポイントを貯める行動とのこと。就職活動から終活が連想され定着して久しいけれど、初めて「終活」の2文字を見たときには部活の後片付けのことかと思ったことだった。部活といえば、これは●●部の活動の略ではなくてクラブ活動の略じゃないかと思うのだが、ブは漢字が定着している。おもしろくも不思議な慣習だが、「月極」みたいなものかと思えども、見るたび聞くたびすっきりしない。「ポイ活」「終活」「ブ活」
自宅から30分ほど歩いたところで見つけた懐かしみ。半世紀近く風雪に耐えてきた看板だろうか。瓶の中央の赤いシールに「一級酒」と表示されているのは平成の初期まであった酒税の区分によるもの。二級酒もあった。焼酎の製法区分の甲類乙類という品質の優劣を誤認させる用語は健在だ。#レトロ#看板#レタリング#嬉野温泉駅#懐かしみ一級酒二級酒甲類乙類などの用語を思い出した古い看板
島原の乱(島原一揆)の籠城戦があった世界遺産指定地域の原城跡を歩いてみた。キリスト教禁教の背景から考えてみると、ポルトガルなどからの植民地化や反乱勢力から国を守ったことがあった史跡であるという国防の遺産であること認識した。また、乱のころはすでに廃城となっていたという城域の広大さに、戦国武将と家臣団の生き残りをかけた命がけの備えの緊張感と真剣さを強く感じた。国防の遺産でもある世界遺産(原城跡・島原の乱)
まもなく紙幣が新札に切り替わる。一万円札の肖像は渋沢栄一だという。邪推と妄想をたくましくするのであるが、この肖像選定は現金を使わせなくするための深謀遠慮の策略ではないかと勘ぐっている。時代が許したとはいえ、妾を複数もち、子供も二十人は居たとされる人物を現代感覚からすれば、ウラヤマしくも、ネタマしくも、イヤラしくもあり、あまりご尊顔を再三再四拝みたくはないだろうと思うのは拙者のみみっちさからだろうか。新札肖像選定の裏舞台(邪推編)
朝日浴び往来見守るお地蔵さん今日一日の無事祈りたもう今日一日の無事祈りたもう(短歌)
生活圏では鯉のぼりと一緒に名前を記したのぼり旗を立てるところも多い。ほぼ毎日あちこち車で移動するのでいくつもののぼりを見かけるのだが、近年記された名前が判じ物化していて、読み方を考えるのにけっこう労力を使ってしまう。宣伝ではないので他人様には読めなくてもいいことではあるが、半世紀後には病棟のベッドの名札がひらがな表示されるようになるのだろうなと思うと看護師の呼びかけが幼児対応仕様になりそうな妄想をしてしまう。五月雑感
田植え前のこの時期に、一面秋の稲田のような景色を初めて見たときには新鮮な驚きに目を瞠ったものだが、いまでもその感覚はなくならない。写真は嬉野市塩田町の麦畑だが、用事があって毎日のように行く場所からさながら定点観察のように眺める芽吹きから緑が広がり黄金色に変わっていくさまには驚きをともなう感動がある。農家の方は、祝日も土日も仕事をされている。また、仲間との協働する姿も見かけることがある。この麦は焼酎やビールになるということだが、この景色や働く方を思い出しながら感謝の乾杯とともに味わいたいと思う。麦秋の佐賀平野
先月(4月はじめ)に佐賀県嬉野市塩田町で撮影しました。近所のかたがボランティアでなさっているのか、かわいい帽子と前掛けをつけていました。花曇りの花見地蔵
昨日、たまに買っていたスコッチを買おうとしたら、価格が前に買った時の1.3倍になっていて買おうか買うまいかとためらっているうちに「舶来品」という古い言葉を思い出した。このところの侵略戦争や円安の影響あってのことでもあろう。「舶来」もふだん使うことがない言葉なので、本当にそんな言葉があったかなと不安になって手もとの漢和辞典(角川新字源)を引いてみたら、和製漢語ということなので、いつかの時代にか誰かが言い出して「箔が付く」高級イメージとして定着したのだろうが、今では死後に近い。舶来品
不祥事と蛮行ヤジはさておき、国民負担増だけは決める国会のありかたに、「タイパ」重視の世代は政治は独裁者に任せて国会議員を大幅に減らしたほうがタイパもコスパもいいじゃんという気運が醸成されそうな気がしています。くわばらくわばら・・・タイパと独裁者
新年度のはじまりで、歓迎会やら懇親会も処々方々で行われていることだろう。宴席といえば「返杯」という風習があって、嬉しいものではなかったが、コロナ禍で駆逐されたのではないかと想像している。また、年長者がとっくりを差し出し、断ろうものなら「俺のサカズキが受けられないのかぁ」と怒り出すこともおうおうにしてあったやに聞いたおぼえがある。日本酒の消費量が減っているというからとっくりの出番も減っているのだろうが、瓶ビールやワインを差し出されたら、内心飲みたくなくても圧力に押されてやむなく受けざるをえない場面もあることだろう。イッキっイッキっイッキっイッキっとはやしたてて飲ませる余興もあったが、今思えば集団での殺人未遂もしくは自殺ほう助ではないかと思っている。自分は大酒呑みみではあるが、自分の調子で呑めない席には出向き...イッキっイッキっイッキっイッキっ
時満ちて纜(ともづな)ほどき漕ぎいだす未知訪ねゆく岸遥かなり~新しい日々の始まりに詠む~未知訪ねゆく岸遥かなり~新しい日々の始まりに詠む~
ひばり鳴きうぐいす歌う田園に時はのどかに春を運べり時はのどかに春を運べり
ちはやぶる神も愛でなむさくらばな令和六年春は来にけり・・・佐賀県武雄神社にて・・・ちはやぶる神も愛でなむさくらばな(短歌)
大寒の厳しき日にも萌えいずる梅の香ほのかに春ささやけり梅の香ほのかに春ささやけり(短歌)
流れ去るエンドロールを見るように時を映した雪降り積もる流れ去るエンドロールを見るように(短歌)
今回のオープンAIのアルトマンの復帰劇にニヤッとした日本人はけっこういるのではなかろうか。あっぱれの忠臣蔵みたいで。忠臣蔵みたいなアルトマンの復帰劇
恥ずかしと日陰を選び咲くツワは奥ゆかしくてそして美しツワの花を褒める歌一首(短歌)
秋草を分けて眺める十三夜いにしえ人の野遊びかくや山の端に昇り初めにし十三夜今年も秋は深まりてゆく冬越してまず咲き初め(そめ)よ山桜霜雪風はただ辛くとも近詠数首令和五年秋(短歌)
いやいやながらやることを恩着せがましく表現するのは多くの人に見透かされるようなので気をつけようと「先生」に教わりました。#代議士#減税#増税#財務省に忖度#財界に忖度現内閣の支持率低下
あ~あ、昼休みの社員食堂のテレビニュースが兇徒の愚行に占領される。いやだいやだ。郵便局立てこもりの86歳男が容疑認める刃物2本、液体入り容器など押収埼玉県蕨市中央の蕨郵便局に立てこもり、拳銃のようなものを使って郵便局員を人質に取ったとして、人質強要処罰法違反容疑で男が逮捕された事件で、逮捕された鈴木常雄容…産経ニューステレビニュースが兇徒の愚行に占領される
歯狼雨飲とやらで髑髏や南瓜の化け物や棺桶を近ごろあちこちで見かけるが、嫌悪の情否み難し。キタナイ。ハロウインもまた横並び意識を利用した商売の所産
冬越してまず咲き初め(そめ)よ山桜霜雪風はただ辛くとも#山桜#落葉#わくら葉#病葉#越冬#紅葉冬越してまず咲き初め(そめ)よ山桜(短歌)
「減税」と「還元」のそれぞれ二文字に、「陽動作戦」の四文字を連想するのは私だけでしょうか・・・#減税#陽動作戦陽動作戦
キンモクセイ秋の刹那を浄土にす#キンモクセイ#きんもくせい#金木犀キンモクセイ秋の刹那を浄土にす
いわし雲たなびく空に入り残る十六夜越しの丸い輝き十六夜越しの丸い輝き(短歌)
酷熱の夏を乗り越え実り得た粒粒辛苦の秋の刈穂田粒粒辛苦の秋の刈穂田(#短歌)
外に出ぬ無精の言い訳・・・月は隈なきをのみ見るものかは #短歌
外に出ぬ無精の言い訳こじつけて月は隈なきをのみ見るものかはと#短歌外に出ぬ無精の言い訳・・・月は隈なきをのみ見るものかは#短歌
満ちてきた昨夜(ゆうべ)とは違う月を見て進もうとする道を信じる進もうとする道を信じる(短歌)
佐賀県立のSAGAアリーナ開業から問題になっている駐車場問題に対する認識が甘かった。楽しみにしていた佐賀市文化会館での催しに開演の二時間前に行ったら「文化会館での催し専用」の駐車場も満車。開演時間ぎりぎりまで待ったが空かない。隣にできた県立アリーナでは何かの大会が行われていた模様。服装からして結婚式会場に行くために乗り合わせるためとおぼしきものも数台「催し専用」駐車場を埋めている。やむなく公演をあきらめて帰る。佐賀県知事は駐車場問題はマナーの問題と発言していることを報道で知ったが、公演鑑賞をあきらめる心の無念さとトイレを我慢する膀胱と県が新たに設けた施設の構造の問題に対する不満を膨らませながら、佐賀市文化会館は行ける場所でなくなってしまったと悲しい気持ちを持つ佐賀県民になった日曜日だった。佐賀市文化会館でのイベントにはもう行けない。
近所の図書館に行って静かな時間を過ごしていると、学習エリアに新聞を持ち込んだ推定古希老がバサッバサッと耳障りな音を立てて数ページを騒がした後に電話の着信音しばし。「何ね?何ね?もしもし、もしもし(電波状態が悪いらしい)俺や、市内におる。もしもし、もしもし、何ね、用のあるけん電話したとやろが、うん、うん、うん」と友好的とは思えない会話が轟く。畢竟ヨメか子供に叱られる要件でもあったのだろう。通話後バサッバサッバサッと手荒く新聞をめくる音がして私に蔑老の日を制定させた人生の先輩は去っていった。蔑老の日という言葉が浮かんだ敬老の日
東アジアサミットではこの資料は配布されたのでしょうかね。言いがかりとの闘い
旧ツイッターのXという表現を見聞きするたびに某宗教団体を思い出します。あの団体は今でも報道では素直に本名で呼んでもらっていないようです。旧ツイッターのX
今宵には精霊送る盆の日に朝露を置く出穂(しゅっすい)を見る精霊送る盆の日に(短歌)
とある施設のお知らせ掲示板に「ツイッターはじめました」というポスターが貼られていたが、「Xはじめました」だと、なにか謎めいた怪しいことが始まった感じがしそうです。Xはじめました
入道はまだかまだかと蝉たちが声を合わせて空を震わす入道はまだか(短歌)
時を超えなごみ与える手仕事が放つ魂我が背中押す手仕事が放つ魂我が背中押す(短歌)
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◆やたくっやたくり・・・過剰なおしゃべり【用例】あん人んやたくりちは聞いちょったばって、話のなんかなんか。逃げ出すとに苦労したよ。 【一般語訳】あの人がおしゃべりだとは聞いていたけれども、話が長い長い。逃げ出すのに苦労したよ。 (五島弁)やたくっやたくり
◆のっぺづらのっぺのっぺ・・・鉄面皮ツラの皮が厚い【用例】あら、見て見れち。あっだけ人に笑わるっこっばしちょってのっぺのっぺしたツラして人になんじゃろ言いよっよ。じゃっーげだ。【一般語訳】ほら、見てみろよ。あれだけ人に笑われることをしておきながら何くわぬツラの皮が厚い態度で人に何か言っているぞ。気色悪いな。(五島弁)のっぺづら
◆どあってんこあってん・・・どうしてもこうしてもなにがなんでも【用例】◎◎は痛風でいたかめにおーちょっとけ、どあってんこあってん、食ぶごちゃっもんは食ぶっとちゆっ、真子や白子ばしゃーしゃ食ぶっとで、再発が心配ち奥さんのくどめっじょったよ。【一般語訳】◎◎は痛風で痛い目をみているのに、どうしてもこうしても、食べたいものは食べると言って、真子や白子をしょっちゅう食べるので、再発が心配だと奥さんがグチってたよ。(五島弁)どあってんこあってん
◆つんび・・・独楽の芯【用例】やすりでツンビばしっかっ研いであっどが独楽ば片っ端かっこっかってくるって!【一般語訳】やすりで独楽の芯をしっかり研いであいつらの独楽を片っ端から打ち割ってやるぞ!☆子供の遊びは大人の世界の予行演習の側面もあったのか、弱肉強食の厳しさとルールには悔しくても従い恨みを残したりしないし、汚いことをする奴は仲間に入れないということもあった。私たちのこどもの頃の投げ独楽では、負けた順に場に出し、後から場に出す物は場に出ている独楽に当ててキズを付けたり割ったりするのが勲章だった。さながら果し合いのようなことをやっていたのだから、今思うと恐ろしい。でも楽しかった。(五島弁)つんび(思い出話の余談付き)
◆ぼっば・・・神社のお祭りの時に現れる獅子【用例】子どもん時はボッバに噛んでもらえば病気ばせんちいう迷信のあって、よう親にボッバんところに連れて行かれよったよ。【一般語訳】子どもの時はボッバに噛んでもらえば病気をしないという迷信があって、よく親にボッバのところに連れて行かれていたよ。☆祭りの時に神輿の巡行に随伴する天狗とボッバを小学生高学年になるとはやし立てて怒った天狗とボッバに追いかけられるスリルを楽しんでいました。天狗に追いつかれると容赦なく杖で叩かれるので必死で逃げました。(見出し画像は五島市福江の石田城近くの五島家家中屋敷遺構)(五島弁)ぼっば
◆ぼうまんふっ・・・のぼせるあわてふためく我を見失う頭が真っ白になる【用例】はよせれ、はよせれ、ちせかされっ、ぼうまんふって出てきたらスマホも財布も忘れっしもちょってオージョコージョしたっち。【一般語訳】早くしろ、早くしろってせかされて、あわてふためいて出てきたらスマホも財布も忘れてしまっていてニッチモサッチモいかなかったよ。(五島弁)ぼうまんふっ
◆かとっぽ・・・ハコフグ(魚名・顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区棘鰭上目スズキ系フグ目フグ亜目ハコフグ科ハコフグ属)【用例】かとっぽん味噌焼は名物でうんまかち評判じゃばって、魚屋さんで売っちょっとは見たこっのなかてんなかなか食べられんね。【一般語訳】ハコフグの味噌焼は名物で美味しいって評判だけれども、魚屋さんで売っているのは見たことがないからなかなか食べられないね。(見出し画像は友人提供のもので五島市の海)(五島弁)かとっぽ
◆ぼっくっ・・・たっぷり多めに必要より多く過剰に強く【用例】ラーメンにニンニクばぼっくっ入れたてん、我ながら臭(くさ)かよ。【一般語訳】ラーメンにニンニクをたっぷり入れたから、我ながら臭いよ。(見出し画像は五島市福江の石田城の舟入遺構)(五島弁)ぼっくっ
テレカ捨て記憶の中に沈みゆく赤い電話も緑の電話も(短歌)記憶の中に沈みゆく赤い電話も緑の電話も
私のふるさとの五島の福江では、城や寺や神社などにある石の階段を「がんぎだん」と呼んでいた。同い年の友人たちも使う人はまれな古い表現だった。あまり聞かない言葉ではあるが、石でつくった階段状の港湾施設を「雁木」というそうだ。時おり、出かけた先や散歩の途中に「がんぎだん」を見かけるたびに、この言葉を思い出す。子供のころ、家の近所の観音寺の、広くて大きな「がんぎだん」で遊んだこと、和尚さんに叱られたことなども、合わせて思い出す。今思えば、冬の外遊びの定番のコマまわしで使う「たぐりひも」の糸くずを散らかし放題にして逃げ散った後の掃除をさせてしまったことなど、和尚さんが怒るのも当たり前だと赤面汗顔の限りだ。・・・・・・(写真は、佐賀県嬉野市塩田の古刹で撮ったものです)がんぎ段・・・雁木段
映画「リンカーン」を観た。映画(歴史)の時代は日本では明治維新直前のころ、人間が人間として自由に生きることができる世の中をつくろうという志士がアメリカでも日本でも力を尽くしていたことに思いを馳せ、歴史の転回点を擬似体験することに感動した。今の今でもアメリカでは人種対立で流血事件が頻発していることは残念なことだ。このところは信じがたいような議会襲撃なども発生し、内戦までも想起されるようなおどろおどろしい状況になってきている。今年の秋に選挙があるアメリカ大統領は、人類にどのような未来を開く決断と行動をするのか注目したいし、その決断と行動には日本も巻き込まれ、日本人も影響を受ける。国連がかかげた人類の未来に続く幸福のための持続可能な開発目標17項目というものは人々が努力すれば実現可能な理想だ。戦争を最たるものと...映画「リンカーン」から米国大統領選挙を思う
学生のころ、町のレストランでアルバイトをしたことがある。ある日のこと、老夫婦のお客様がみえて食事をされたが、注文した料理を食べきれなくて残してしまった。そのお客様がコックさんを呼んでくださいというので、コックさんにお客様の席へ行ってもらった。お客様は、料理がたいへん美味しかったことをコックさんに伝え、食べきれなかった分を家族に食べさせたいから持ち帰りたいとコックさんにお願いした。私は、コックさんが怒るんじゃないかと心配したが、コックさんはとても上機嫌になり、私に下げさせたお皿から、鼻歌でも飛び出しそうな楽しげな表情で、飾り野菜をつけたりして、見事なオードブルのようなパックを作って客席に持っていった。その時の楽しげだったコックさんの姿は今でも印象に残っている。美味しかったと喜んでもらったこと、食べ残しをしな...嬉しそうだったコックさん
初恋の味と聞いてカルピスを連想するのは何歳ぐらいまでの世代だろうか。カルピスのホームページを見てみたら「初恋の味」より「カラダにピース」が現在のメインコピーのようだ。子どもの頃の思い出として、夏の飲みものは麦茶がほとんどで、コーラやサイダーがたまにあって、薄めて氷を入れて飲むカルピスはちょっと「よそ行き」気分の飲みものだった。夏休みは外で遊んでいることが多かったが、今日では気温の環境が違ってしまい、日ざしの性質さえ違うようで、外で遊びたくても遊べないだろう。梅雨入り前から秋が終わるくらいまでは日が出ている時間は外を出歩きにくい。子供たちとて同じだろう。数文字の言葉や商品名からなんとなく甘美な思い出がよみがえるというのはよいものだ。子供たちはもうすぐ夏休み。・・・・・この写真は、波佐見焼(はさみやき)のふる...夏が来れば初恋の味カルピス・郷愁・夏休み
米粉と砂糖を材料にして型押しでつくられる落雁の一種を口砂香と呼ぶのは長崎県内の限られた地域だけのようだ。傷みにくい菓子ということで仏壇に年中供えられていて、食べるものというより飾るものという捉え方をしていたし、いまだにその感覚は抜けない。お供えものの交換をするときに食べた、お線香の香りがついたボソボソした食感の菓子は「食べるとご先祖さんのご加護がある」といった祖母の教えもあって、やむなく服用する薬を飲むような気持になりながら食べたことを思い出す。お盆が近づくと、九州北部のスーパーの特集コーナーにはお盆関連商品がならび、そのなかの供物菓子の口砂香は定番の商品だ。祖母は、桃の形や花の形をしたその菓子をコウサコと発音しており、父母もそのように発音していた。五十歳ころになってはじめて口砂香と表記することを知って、...コウサコ・こうさこう・口砂香
そうめんに酢味噌をつけて食べる地域があることを知った。これまでにわかめとあわせた酢の物として食べたことがあったことを思い出した。夏場に冷たくさっぱりしたものを食べたくなった時によいなと思った。そうめんに合うなら、細めが特徴の五島うどんにも合うはずと思いつき、さっそく 試してみた。佐賀県のスーパーでも五島うどんが手に入る流通環境に関心する。 酢の物・和え物の一種ということになるのだろうが、相性よくおいしくいただくことができた。 ビールのつまみに清涼感あり。冷酒にも合いそうだ。暑さをやり過ごし、気持ちよく過ごす一助となる日本の味だ。五島うどんを酢味噌でいただく
カワイイ・センパイ・モッタイナイ・ネマワシ・オマカセ・ガイジンといった言葉が外国人でも使う言葉として浸透してきているという。私はローガイも浸透し活用されればよいと願っている。戦争や侵略を企てるのはありうべからざる非道だが、現在それを引き起こしたり引き起こしかねない指導者はおおかたが老人である。あらゆる人の集まりでローガイが起こっているように感じる。私の長老という言葉のイメージは、どうにも困った時に相談や決定を求められておだやかに答えを出し、結果として将来のためになる答えを出す人というものだが、隠居とか勇退といった言葉も死語化している現代では70になろうが80になろうが俺が俺がと我を張って、親分子分の関係よろしく生殺与奪の鍵を握り続けて時代が求める変化を阻害する困った人のイメージに変わってしまっている。往生...ローガイを世界語に
ドナルド・キーンの大著である「明治天皇」を読了した。記録にもとづく誕生前から崩御にいたるまでの国内外の情勢の変化、時代の動きを明治天皇とその周辺という視座から概観することができた。心に重い何かを残してくれた著作だった。明治天皇は1904年に、ロシアの「武力による現状変更」から日本を守るための対ロシアとの開戦に踏み切らざるをえなかった年に、四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむと詠まれて平和的解決へのお気持ちを表された。昭和の戦争を諮る御前会議の席で、昭和天皇はこの御製を詠じ、開戦反対のお気持ちをあらわされたという。ドナルド・キーンの大著「明治天皇」を読了~など波風のたちさわぐらむ
「懐中電灯」を久しぶりに使いながら、この道具の言葉の響きが面白く思えてきた。現代では日常ほとんどの人が「懐」のある衣服を身につけていないなか、誰しもがそのものを的確に認識できる命名に、新たに発生したものや海外から紹介されたものにカタカナ命名する風潮が蔓延しているなかあらためて関心した。英語ではflashlightとかtorch言うらしいので、我が国への紹介者はふさわしい国語訳を考え、名付けたのだ。おそらく、発明されて販売されはじめた明治末ころは、まだ着物を着ている人がけっこういたので「カイチュウ」といえばどういう状態をさすかがほとんどの日本人にわかったのであろう。明治期に訳語として創案されて今日も使われている外来語は数知れずあるようだが、野球・哲学・社会・恋愛・美術も「懐中電灯」の仲間だ。近年「日本版ライ...懐中電灯から思う日本版〇〇〇は恥ずかしい
食品衛生法の改正施行で先月6月から製造販売要件が強化され、個人や小規模製造者の、いわゆる「手作り」とか「おふくろの味」と言われるたぐいの手に入る人だけが楽しみにしている漬物に店頭から消えたものがあるという。私も、知人を介してそうした「梅干し」を何度も買って、その質の良さの恩恵を受けた経験を持つ一人であるが、法改正による設備投資をしてまで家庭消費の副産物の販売はしないだろうから手持ちを食べてしまったらその梅干しは幻となる。牛レバーの刺身が提供を禁じた法改正が施行されたのは2012年のことで、干支でひとまわりほど愛好者の怨嗟と渇仰の怨念が厚生労働省に向かって放たれ続けている。現在高級な食べ物として楽しみを享受できるフグ食は、明治維新の後に伊藤博文がよき食文化として制度を定めて安心して食べることができ、世界も注...役人が滅ぼす食文化。焚書ならぬ焚食である。(レバ刺し・漬物・・・)
佐賀の郷土料理シメサバや酢じめした魚介類を野菜とゴマたっぷりの酢味噌で和えた「かけあえ」を食べて、子供の頃に時おり食べることがあった「煮あえ」を思い出した。「煮あえ」は今ではあまり聞くこともない料理名になってしまったが、どちらも塩分さえ調節すればお酢を使った料理でもあり、とても健康によい料理だ。常備菜にもよいので見直したいが子供たちは嫌がるかもしれない。ちなみに、写真の平小鉢は、嬉野の吉田地区の琥山窯作。吉田地区は有田焼を形成する窯場のなかの「大外山」のひとつで、有田焼として流通しているが、吉田焼としてのブランド確立の動きも出てきているようだ。地域ブランドの確立は一朝一夕にできることではない道のりではあろうが、生産者の思いが形になることは尊いことだ。生産地がイメージしやすいように嬉野吉田焼と二文字足すのも...佐賀の郷土料理「かけあえ」から思い出した「煮あえ」・そして吉田焼
先月から建て替えになる嬉野市役所嬉野庁舎の解体が進んでいます。新庁舎は再来年の7月ごろに完成する予定とのことです。塩田町の庁舎や広大な医療センターの跡地がどう活用されるのかも興味あるところです。・・・・・・◆以下は本年1月31日の佐賀新聞のウエブニュースからの引用です◆「現在、2カ所に分かれている嬉野市の庁舎を集約し、新たな庁舎を建てる計画について、31日検討委員会が設計案などをまとめた報告書を市長に手渡しました。31日、嬉野市の村上市長に報告書を手渡したのは、新庁舎建設検討委員会の三島伸雄委員長です。報告書によりますと、現在、旧嬉野町と旧塩田町にある2つの庁舎のうち、新たな庁舎は嬉野庁舎を解体して建設。鉄骨4階建てで延べ床面積は約5760平方メートル、総事業費50億円余りを見込んでいます。温泉街や塩田津...解体進む嬉野市役所嬉野庁舎
高倉健が男の哀愁を画面に薫らせる「駅STATION」を久しぶりに見た。駅の改札で切符に鋏を入れるシーンがあり、その音がとても懐かしかった。今でも鋏を使うところがあるのかもしれないが、スタンプに替わり、磁気式で無人化し、ICカードやスマートフォンが使えるようになり、ついには顔認証で改札を素通りして鉄道に乗ることができる時代に突入した。旧作映画を見る楽しみのひとつは、自分が確かに経験したことの既視感を楽しむこともその一つだが、今では消え去ってしまった物事を思い出すことにもある。懐かしみというものは、甘美であることが多い。記憶に間違いなければ門司港駅の改札にBGMのように鋏の音が流れていたような気がする。また訪ねたい場所なので、確認しておこう。鉄道キップ・・・硬券に鋏を入れる音が懐かしかった
行政がやたらカタカナ言葉を使うのにはうんざりするとともに、誤解や不便を経験したことさえある。この国に暮らす誇りをもって胸を張って可能な限り日本語を使うのが望ましいと考えている。さて、誰が言い出して定着したのか知らないが、ライフラインというカタカナ語が気に食わない。「電気ガス水道」。発音しにくいことはないではないか。なんのことだかわかりやすいではないか。言葉の普及定着には放送や出版やウエブ媒体の力は絶大だ。ニッポン放送のあるアナウンサーは、閣僚や国会議員の海外訪問を一般的な外遊という言葉を使わずに海外出張と表現する。考え、行動している人だなと思うとともに好感をもつ。一語からでも、言葉のよいあり方の追求を絶大な力には期待する。「電気ガス水道」発音しにくいことはない(ライフライン)
昨年暮れに「ほしあひ」という古語を知った。建礼門院右京大夫集を読む機会があり「さまざまに思ひやりつつよそながらながめかねぬる星合の空」という七夕を詠んだ歌と出会ったのがきっかけだ。七夕のつかの間のの出逢いを「ほしあひ」と表現したいにしえびとのやさしくみやびなこころを感じる言葉だ。先月、羽田空港に短冊に願いを書く七夕飾りのサービスがあったので「ほしあひ」の単語を思い出して写真を撮った。照れてないで短冊に願いを書いて下げればよかったと反省中だ。世界中から戦争がなくなりますように、と。ほしあひ・(星合)・七夕
日本人がこのところ死後の行先のたとえとして「あの世」とか「極楽」とか「浄土」、「冥土」と言わず「天国」と言うようになったことに、お寺の教えや影響力が希薄化、もしくは無力化したと感じてしまう。子どもの頃をちょっと思い返してみたが、お寺が二軒近所にあって、一つは菩提寺で、祖母に連れられて保育園がわりによくお参りに行っていた。寺の境内の六地蔵や本堂の六道輪廻図を身近に感じられたので、今となってはそれが物理的にあるのかどうかはともかくとして地獄も極楽もわが身に迫ることに感じられていた。天国という言葉の定着は、おそらく娯楽クリスマスや挙式だけクリスチャンの普及も大きかろうが、葬式仏教と揶揄される教え希薄の僧侶たちが日本の仏教文化を自滅させているのも大きかろう。敗戦後18年目に生まれ育った私の遠い記憶では、「天国」と...「あの世」とか「極楽」とか「浄土」とか「冥土」が終了しそうな昨今
食品ロス問題は、製造・流通・消費者それぞれの意識の変化と行動でよい方向へ向かっているのを感じている。買い物につきものの袋持参も定着し、環境保護につながっていることだろう。さまざまに工夫をして持続可能な地球にするのは人類の正義だ。食品ロスとともに食品装飾ロスもなくさなければならない。仕切り機能のある樹脂製疑似バラン(馬蘭・葉蘭)はまだしも、飾るために捨てるだけのプラスチック製品に消費意欲や食欲をそそられる人もいるのだろうが、やめてほしい悪趣味悪習慣であると日々ゲンナリしているのは私だけだろうか。食品ロス、そして食品装飾ロスもなくそう
ホテルの予約サイトや宿泊したホテルの表示に「Wi-Fi無料」というのを見かけないことのほうが珍しいのだが、目にするたびに「冷暖房完備」とか「カラーテレビ」という言葉を思い出す。宣伝文句が差別化されたサービスである間は効果もあり選択肢に優位性をもたらすのであろうが、社会に定着し当然となってしまった後では懐かしのフレーズになることをいくつも経験する。その数だけ生きて来たのをあらためて感じる。その数だけ進化や発展の恩恵を受けてきている。ありがたい時代を生きていることを実感する。(画像は佐賀県嬉野市の嬉野温泉)Wi-Fi無料・冷暖房完備・カラーテレビ
近所の図書館が平家物語絵巻の書籍化されたものを所蔵していて、その恩恵を受けている。12冊組で三十数万円の書籍を手にすることができるのはとてもありがたい。原文は小学館の全集を手前において筋を追っている。ところどころ絵巻の地の文も読みながら雰囲気を味わっている。武者たちも女性たちもしょっちゅう涙にむせぶ物語だが、私もしょっちゅう目をうるませている。全長940メートルにおよぶという絵巻物語は、平家が西へ落ちて戦闘場面にさしかかった。今のペースで読み進めると、運命の壇ノ浦は一月後くらいに訪れそうだ。平家物語絵巻を楽しむ