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  • オヤジのあくび322

    道、動力、地図1 私なりに「考え方×熱意×能力」を置き換えてみました。道は今歩いている道。ナビを使えば、最短でたどり着く道を案内してくれるが、実際の人生はそんなにうまく進むとは限らない。道徳とか倫理とか、いかにも正しい進み方を示しているようだけど、結局はどこをどう進むか? 自分で決めるしかないのだと思う。率先して道なき道をゆく、そんな人が新しい時代を切り拓くのかもしれない。時々脇道とか、横道に逸れる人がいる。かくいうボクも迷子の一人かも? 「熱意=動力」を飛ばして「能力=地図上の情報」。ここに書いてあることが、生きていく上で必要な情報だが、実際にはそんな便利な地図はない。そこで義務教育では、前…

  • オヤジのあくび321

    中山涙「浅草芸人」を読む3 川田晴久と言えば、浪花節からオペラまで何でも歌った人というイメージを持っていました。きっかけは益田キートンに広沢虎造の真似を勧められたことなんですね。本当は二枚目路線で行きたかった川田が結果何でも歌いこなせる芸人になり、美空ひばりに師匠と呼ばれるのですから、運命ってわからないものです。あきれたぼういずは、川田の浪花節、坊屋三郎のポパイ、キートンのヨーデル、芝俊英の二枚目路線で当たるのです。 エノケンとロッパが東宝へ去ったあとの人気者が三人登場する。シミキンこと清水金一。地方巡業から浅草へ成り上がっていったデン助=大宮敏光。そしてたけしの師匠、深見千三郎は流行歌手美ち…

  • オヤジのあくび320

    中山涙「浅草芸人」を読む2 もう一人の中心人物は、古川緑波。彼は元々男爵家の出身で、菊池寛の文藝春秋で働いていた。ところが担当していた「写真時代」という雑誌の廃刊と共に、運命が急展開。宴会で声帯模写が上手かったことから菊池寛より役者への転身を勧められる。さらに輪をかけて、阪急電鉄のというより、宝塚歌劇団の創始者小林一三にまで、推されてしまう。そこで宝塚唯一の男優として、ステージに立つが、何ともダンスが上手くいかなかったらしい。けれど浅草に立ち上げた劇団「笑いの王国」で当たり始める、 やがてロッパは丸の内に有る東宝に拠点を移す。浅草という枠の中に収まることの窮屈さがあったのかもしれない。 現在の…

  • オヤジのあくび319

    中山涙「浅草芸人」を読む1 浅草と聞いて、ボクが気になるのは「浅草オペラ」。丸の内の帝国劇場ではイタリア人ローシーによる帝劇歌劇部のオペラ上演があったはずだが、興行的には不振でローシーも去り、人々の関心は浅草オペラに傾いていく。エノケンこと榎本健一もスタートは浅草オペラのコーラスボーイであった。 関東大震災による打撃やこの業界特有の集合離散によって、大正の間に浅草オペラは消えてしまう。本場の立派な正統派オペラからすれば、浅草オペラを陳腐な演芸と見下す人がいるかもしれない。でもボクには、外国からの直輸入文化を日本の大衆にもウケるように四苦八苦した一種のチャレンジとも感じられる。 エノケンは本書の…

  • オヤジのあくび318

    その場で勝負する勘 何が起きるか、そんなこと結局わからないのだから、勘で勝負すればいいんじゃない? と感じている。ガチガチに準備予習しておくのも時には大切だろうけれど、それは反対に状況によって柔軟に判断できる勘を鈍らせているようにも思う。 例えば教員としての授業。その朝どのような気分で子どもたちが教室に入ってくるか? なんてわからない。一人ひとりの顔を見て、会話して、こんな言葉がけをしてみようかなぁ・・を考え始めるのだ。いわばそれは勘である。 そんなこと一般化できないし、後輩に伝えられないじゃん! その通り! でもだからこそおもしろいわけじゃないですか! 想定外を楽しまないと、これからの時代面…

  • オヤジのあくび317

    平尾誠二「理不尽に勝つ」を読む2 同志社大学時代の恩師岡先生から言われた言葉が出てくる。高校時代から勝つラグビーを志向して、実際高校日本一にも輝いていた平尾誠二が「おもろない」と評されたのだ。「勝ち負け」ではなく「おもろいかおもろくないか」。言葉を変えれば「ワクワクするか、しないか?」と言い換えていいかもしれない。 本書を一貫している主題は、タイトルそのものの理不尽に屈しない! これは一種の教育論だろう。理不尽から子どもを守ろうとしている立ち位置からすれば、私とか平尾さんの時代に比べて、温室育ちの子どもたちが冷たい風や強い雨から手厚く保護されているのは、事実でしょう。 ラグビーのボールが転がる…

  • オヤジのあくび316

    平尾誠二「理不尽に勝つ」を読む1 人は皆、理不尽な経験に日々晒されている。ボクなんか、本業は学校の先生だから自分自身が子どもの目から見たら理不尽なことをかなりしてきている気がします。予測不能なラグビーボールのように。 ラグビーの話は伏見工業のキャプテンで苦労した体験談から始まり、神戸製鋼の頃の話も当然出てくる。 弱みを強みに変えるための工夫を語っている。 まずスクラムが弱いので、組む機会を減らすように試合を進める。具体的にはノックオンやスローフォワードなどを減らす。つまり持ち続けて走る、あるいは前に蹴ることだろう。だから自陣の22メートルをゴールラインだと考えてそこで絶対止める。 またいいキッ…

  • オヤジのあくび315

    戸井十月「植木等伝 わかっちゃいるけど、やめられない!」を読む2 月給制の渡辺プロダクションに所属して、クレージーキャッツが少しずつ売れ始めた頃、フジテレビ「おとなの漫画」という運命の出会いがある。当時はまだ無名の若手放送作家青島幸男と出会うのだ。この番組のプロデューサーは、すぎやまこういちさんだから、いやはや後世名をなすいろいろな人が出てきます。ちなみに青島幸男とすぎやまこういちは、中学の同級生! 話は、猛スピードで時代を走り抜けていく植木等を語る。ご存知の通りテレビにレコードに舞台に映画に、クレージーキャッツと植木等は日本中の人気者になる。映画出演の凄まじいエピソードなど、よく大怪我しなか…

  • オヤジのあくび314

    戸井十月「植木等伝 わかっちゃいるけど、やめられない!」を読む1 植木等の等は、父親が人々は皆平等であるべきだと考えていたことから名付けられている。つまり芸名ではなく本名なのだ。父親の生き様を短くまとめるのは至難の業だが、等が生まれた頃、父親は僧侶だった。だから等自身も子どもの頃からお経をあげることができたし、上京してお寺で修行している。だから芸能界に入ると言い始めた時に、「坊主は死んだ人間を供養する。芸能人は生きた人間を楽しませる」などと見栄を切って、身内から怒鳴りつけられたり泣かれたりしたのは何となくわかる。 ここで等の関係者として萩原哲晶という、すごい人についてふれないわけには、いかない…

  • オヤジのあくび313

    三浦裕子「能や狂言の音楽入門」を読む3 間の取り方について。「教えられる間と教えられない魔」という歌舞伎役者九代目市川団十郎の言葉が引用される。間は客観的に測れるが、魔は聴き手には予想不能とも言えるだろう。どうやら秘伝らしい。 西洋音楽では音楽をコントロールするテンポ感があるが、能楽では、謡がリードする、笛がリードする、謡が入らない、それぞれの場合で、拍から自由になったり、拍節感を保って音楽が進んだりする。実に変幻自在な音楽なのだ。さらに複数のリズムが共存したり、拍をわざとずらすなどの技があるという。ポリリズムは元々日本にあったのだ。 最後に、なぜ、このようなある意味ミステリアスな主題と複雑な…

  • オヤジのあくび312

    三浦裕子「能や狂言の音楽入門」を読む2 能管という楽器に実際に触れた経験がないのですが、全く不思議な音を奏でる。劇そのものの主題が幽玄とか現世と死後の世界を行き来するストーリーなわけで、なるほど合っている気もする。ヒシギと言われる高音は、縄文の頃から吹かれている石笛に似た音色というが、神社に奉納されることもある石笛と夢幻の世界を奏でる能管には共通点があってもおかしくはない。 さて打楽器。雛飾りの五人囃子はそのまま能楽の楽団であります。小鼓は適度な湿り気が、大鼓は極端に炙って乾燥させないといけないとされ、音色の変化は結局奏者の手加減によるわけで、指にかなりの圧がかかるのだろう。プロテクターのよう…

  • オヤジのあくび311

    三浦裕子「能や狂言の音楽入門」を読む1 能。私ごときが言わずとも、劇も舞と音楽が融合した総合芸術であることは誰もが知っている。本書はその音楽部分にスポットライトを当てている。 まず声楽部分の謡。演者が謡う部分と横に座っている地謡が謡う場合がある。音の構造やノリについて詳説されていて、私が習っている琵琶うたとの共通点もあり、勉強になりました。ノリとは元々は謡出身の言葉なのですね。初めに楽譜ありきの西洋音楽と違うのは、まず語る内容、つまり物語優先なのです。演劇に付随する音楽だから当たり前だとも思われますが、音楽劇と言えばオペラやミュージカルがイメージされる時代なのだから、今私たちが感覚として忘れよ…

  • オヤジのあくび310

    「さっさと帰る。」ができない学校の先生方へ2 昔ある時(=最近ではなくて20年位前の話)年下の同僚にこう言われた。「武部さんって、ふだん仕事中(=学校にいる間)は酔っ払っているみたいなのに、酒の席になると真剣に教育の話とか始めちゃう。」ちなみに私はアル中ではありませんよ。念のため。 ほとんどの先生は、真面目な、いわゆるカタブツです。かくいうボクもその一人のつもりなのに、そんなことを言われちゃう。 でも私のテキトーさ加減を指摘した言葉だとすれば、これはひょっとすると賛辞なのかもしれない。真面目も一生懸命も悪いことじゃない。むしろ美徳でしょう。けれど、真面目過ぎる、一生懸命過ぎるとよろしくない。テ…

  • オヤジのあくび309

    「さっさと帰る。」ができない学校の先生方へ1 超過勤務が多い代表的な職種として、公立学校教員を取り上げます。 そりゃ、帰りたい。だけど帰れないでしょ! 間髪を入れずに返答が返って来そうです。さっさと帰る、年休等で休む、これらが何とも実行しにくい職場なのです。 帰れば、その分の仕事を結局いつかは自分自身がやらないといけない。休めば、同僚の負担が増える。それらの呪縛から未だに逃れられないのです。分業のあり方が昔から変わっていないのです。 そもそもこの仕事は、オンオフの切り替えも困難なのです。自宅に帰ろうが旅行に出ようが、気になっている学校とか授業のことはずっと気になってしまう。しかも年度途中で自分…

  • オヤジのあくび308

    「川田晴久と美空ひばり」を見て読む 世阿弥本の後に、不世出のエンターテイナー川田晴久さんと美空ひばりの本を読むと、結局舞台芸能って何だろう?と言った疑問が湧いてきます。でも今はそちらに深入りするのは我慢して、まずこの貴重なドキュメンタリーについて、書いてみよう。 本書は三部構成+一枚の付録CDで構成されている。前半が川田晴久と美空ひばりのハワイ+アメリカ西海岸公演の記録写真集。時は1950年5月、日本はまだGHQの統治下にあった時代。ハワイでの大歓迎、熱狂ぶりと西海岸でのドサ回りに近い状況が好対照だ。 続いて、橋本治さんのエンターテイメント論。川田晴久が何を取り込み、自分の芸を創り上げていった…

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