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  • オヤジのあくび234

    司馬遼太郎「街道をゆく 北海道の諸道」を読む 司馬遼太郎の本は、よく読まれているし、読むべきとさえ言えるかもしれない。亡くなったオヤジが、昔、何故か「坂の上の雲」を勧めてきたことを思い出す。ちょうど司馬史観とか、世間で言われ始めた頃だったかな? 司馬遼太郎の書くものは「きっとそうだったのかもしれないな」と読者に思わせてしまう説得力を持っている。もちろん小説は、作者の想像力で書くのだけれど、司馬さんの場合、それを裏打ちする取材がハンパじゃないのだ。(まぁ、司馬ファンならみんな知っているだろうけど) そして志を抱き、それに向けて邁進する人々を多く描いてきた。特徴的なのは、いわゆる優等生タイプのデキ…

  • オヤジのあくび233

    川口素生「途中下車で訪ねる駅前の銅像」を読む 銅像について思うこと 似ている似てないは、二の次?西郷隆盛の奥さん糸子さんの「うちの人はこげなお人じゃない!」発言は何ともストレートだが、釈迦の仏像やキリスト肖像だって、どこまで似ているのかわからない。 だから像に残すことは、製作者やそれを眺める人々にとって何なのか?結局はその方への思いとか祈りの表し方ということなのだろう。 円空の木像など、デフォルメされているけれど、確実に何かを伝えている。 ところで私は、銅像をどれだけちゃんと見ていただろうか? 土肥実平 湯河原駅前 伊奈忠治 川口駅前 キュポ・ラ内 岡倉天心 横浜市開港記念会館の場所で生まれる…

  • オヤジのあくび232

    本田宗一郎「やりたいことをやれ」を読む 社員に垂れた訓示を集めたような本である。自分が社員だったら、頑固一徹のオヤジ社長の話をどんな気持ちで聞いただろう? と想像しながら読んでみた。 渋茶一杯で鈴鹿市に工場。どこにバイク工場を作ろうか?考えていた時の話。大宴会で接待した都市ではなく、渋茶一杯だけだった鈴鹿市に決めたという。饗応に応じない姿勢は、見習うべき点ありである。 本田宗一郎少年はかなりのいたずら小僧であったことが、巷間よく言われ書かれている。けれど悪い子を、仮性的な悪い子を真性的な悪い子にしないために差別をしないことが大切だという。別のところでは、人種、家柄、学歴で人を判断することを、徹…

  • オヤジのあくび231

    斎藤茂太「ゆっくり力」でいい人生を送る を読む 本書の最初に登場するのはガンディー。例の塩の行進のことが語られる。そして「善きことはカタツムリの速度で動く」とくる。 作者斎藤茂太さんは通称モタさん。大歌人斎藤茂吉の長男であり、北杜夫のお兄さんである。 本書は見開き二頁毎に全88話が収められている。26番目に貝原益軒の養老訓が引用され「自然を楽しむ」「読書を楽しむ」「人とともに楽しむ」「旅を楽しむ」を勧めている。どれも大袈裟なことを考えなければ、すぐに実行できそうだ。さらにモタさんは「趣味を楽しむ」を付け加えるとよいと言っている。忙しいという字は、心を亡くすと書くが、ゆとりをもつとはどういうこと…

  • オヤジのあくび230

    アルノ・グリューン「人はなぜ憎しみを抱くのか」を読む3 本書の後半で、作者は憎しみに対する罰について語る。許さないときっぱり言うことと罰を与えることは違うのだと。断固とした態度を取ることで、自分自身の姿に気づくきっかけになると作者は言う。 例えば仮想敵をつくることで、人々を分断を助長し、憎しみを煽るリーダーがいるが、彼らの手のひらの上にいては、自分自身のあるべき本当の姿に気づけない。ロシア軍の捕虜を殺すように命じられたドイツ兵の話が出てくる。ドイツ兵は目の前にいるロシア兵に自分と同じ姿を見て、殺せなくなると言うエピソードだ。憎しみの呪縛から逃れるために、他者への共感が必要であると言う例なのだが…

  • オヤジのあくび229

    アルノ・グリューン「人はなぜ憎しみを抱くのか」を読む2 権威は服従を強いる。どんな残虐な行為も「自分は命令に従ったまでのこと」で済まされてしまう。丸山真男が戦後「現代政治の思想と行動」で指摘したように、どこにも責任の所在がない仕組みが出来上がる。本書ではナチスの事例について述べている。さらに責任を直視できない人は、こんな困難にも耐えている自分を憐れむのだから始末が悪い。 話は飛んでしまうけど「負け組でこそ本当に人間らしく生きられる」と言う発言が出てくる。私自身は人生に勝ち負けがあるか? 64にもなって未だによくわからないし、あったとしてもそれは資産や地位ではないだろうと自分に言い聞かせている。…

  • オヤジのあくび228

    アルノ・グリューン「人はなぜ憎しみを抱くのか」を読む 自分の中に本来的に持っていたはずの「内なる他人」と対立することから憎しみが生まれると作者は言う。それは、従順を装い親とその背後にある社会に適合し育ってきた日常の世間的な自分。つまり偽りの姿を装っている自分を守るためらしい。 だとすれば、親に従順で社会にもうまく適合したリーダーほど、本来の「内なる他人」への憎しみが巨大化してしまう。本音と建前を使い分ける日本の学校で、一向にいじめがなくならない理由や過去の歴史上の英雄たちが悉く残虐な面を持っているのは、内なる他人との対立が故なのか? 幼児期の親と子の関係、親からの愛を信じなければ生きていけない…

  • オヤジのあくび227

    ダライ・ラマ/相馬勝「ダライ・ラマ 語る」を読む 現在、中国の最高指導者である習近平は、おそらくは毛沢東に比肩する権力を手中に収めている。少数民族に対する圧力が報じられるたびに、ダライ・ラマは毛沢東のことを、どう思っていたのか? 気になっていた。ところが本書の第一章は、ダライ・ラマは毛沢東を尊敬していた・・・から始まるのだ!人を人として丸ごと見る。澄み切った心の在り方を高く評価し、政治や人間関係のしがらみから生じるドロドロした部分を邪心として感じるのかもしれない。とはいえこれまで散々な目に合わされた相手=中国共産党の首領である毛沢東を評価するのは、徳が高いとはこういうことを言うのだろうか? ご…

  • オヤジのあくび226

    鈴木松美「あの人の声はなぜ魅力的なのか?」 学校の音楽で教えられている発声は「無理のない自然な発声」ということになっている。合唱部やさらには社会においての一般合唱団の発声もその延長線にあり、ビブラートが過度にかからない正しいピッチが求められていると思う。私自身45年間、一応そのような発声を良しとして、音楽を教えたり、合唱を続けてきた。 ところが我が国の伝統的な歌謡は、かなり対極的な発声をしている。謡、義太夫、長唄・・。局所的な技術としての「こぶし」。琵琶を始めて5年間、琵琶うたに適した発声を模索する日々が続いている。 日本人は従来欧米人にも比べて背が低かった。本書第三章に出てくるファントの法則…

  • オヤジのあくび225

    磯田道史「素顔の西郷隆盛」を読む タイトルの通り、西郷隆盛の生涯を追いかけた本なのだが、今まで知らなかった史実と出会えた。それが歴史家が書いた本を読む面白さなのだろう。 鳥羽伏見の戦いの時、錦の御旗を押し立てて官軍となった薩長軍に、幕府軍が追い込まれたのは有名な話。その後徳川慶喜が夜中こっそり大坂城を抜け出して江戸に帰ってしまい、総大将が軍を見捨てた話として有名だ。 しかし、この背景にイギリス公使パークスが動いていたという。もし朝廷側が日本の主権者であるならば、局外中立を解き、官軍に加担する場合があり得ると。これがどうやら慶喜が逃げた大きな一因らしい。薩長軍でさえ手に負えないのに、欧米列強まで…

  • オヤジのあくび224

    「高橋英樹のおもしろ日本史」を読む やりやりの信長より忍耐と我慢の家康の方が演じにくい。負ける勝負をしないから、逃げるのが上手かった宮本武蔵・・・とこんな話が続くわけです。 私が習っている薩摩琵琶にも歴史上の人物が登場する。西郷隆盛、織田信長、義経に弁慶etc・・高橋英樹さんのように自分が演じる(琵琶の場合は語る)人を調べ抜いて、表現することはとても大切だと感じ入った次第。 本の中には、え〜っ!と思うようなエピソードも出てくる。当初日活でアクション俳優を演じていた高橋さん、きっかけは石原裕次郎のケガと赤木圭一郎の死による代役だったという。有名な指揮者が代役でデビューすることが多い事実に似ている…

  • オヤジのあくび223

    田原総一郎「僕はこうやって来た」を読む 左翼とか右翼とかに括られることを、いざきよしとしない人々は、実存主義系の本にどっぷり浸かっていた時期がある。そんな気がしている。田原総一郎もサルトルやカミュにかぶれていた青年だったらしい。 今やらないでいつやるんじゃあ!やるなら思いっきり全存在を懸けて突き進む。東京12チャンネルでディレクターをしていた頃の、田原さんにはそのような勢いを感じる。「便所の下駄」と容貌を揶揄されようが、好奇心の赴くまま、今面白いと思ったことを自分の仕事に変えていく。時に人を怯ませ、時に本音を吐き出させてしまう迫力の源泉は、思いっきりのよさにあるのかもしれない。 この手のドン・…

  • オヤジのあくび222

    石弘之、安田喜憲、湯浅赳男「環境と文明の世界史」を読む5 実は三人の鼎談は、もう20年前の話。まぁその間、人類が何とか生き延びたとも言えるかな? 昨年総理が「2050脱炭素社会」を打ち上げた。けれどそれだけでそのスケジュールでいいのか? 地球環境の歴史について、義務教育段階の学校で教えられている気配はあまりない。けれどこれは同じ轍を繰り返さないための、大切な教訓なのだ。 持続可能な経済成長を語る前に、まず地球環境の歴史を振り返ることを勧めたい。本書はそのためのとてもわかりやすい参考書になり得るだろう。

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