孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
五月 葵祭の頃に、上皇さまご夫妻が、京都御所にご滞在中 今出川を挟んだ同志社大学の上層階の窓 カーテンを閉めて視界を遮るという処置が 京都府警の要請で為された事を地元紙が伝えていた。 戦前は『高所
毎年一月二日の柳居子の掲載記事に添えて 同じ町内の平野豆腐店の初仕事の画像を載せている。 先先代良平翁から当代良明君に至るまで 豆腐作り一筋に頑張って来られた。京都の御三家と言われる 柊屋 俵屋 炭
柳居子の通っていた小学校 母校京都市立生祥小学校は、統廃合で学校は無くなったが、校舎は立派に残っている。 明治の初年から実に多くの人を世に送り出してきた。 柳居子の母も昭和一桁時代の卒業者名簿に載っ
最期にお目に掛ってからでも 十数年経ったと思う。河原町三条下がる『六曜社珈琲店』の創業ママが亡くなった。九十九歳の誕生日を目前に九十八歳の生涯を閉じられた。 名物という呼称はこの人に相応しい頑張りだ
我慢という言葉 辛抱強いとか 忍耐力が有るとか どちらかと言うと、良い意味で使われる事が多いかと思うのだが 我慢の『慢』の字を使った『慢心』という言葉が有る事を思い出し 休日の午後 徒然なる侭に 漢
昨日 香港からお越しの客人との対話は、少々感激ものだった。 二度目のご来店で、美しい女性を伴っていた。ホテルのフロントから事前に連絡の入っていた人で、入って来るなりスマホの画像をみせて 前回お越しの
お誘いが有って 昨夜は京町家を会場にした オペラの公演というのに出掛けた。演目だけは事前にしっかりと頭に入れたのだが 出演の歌手の事は 何も知らずに出掛けたのだが、真近かで聞くオペラの楽曲は素晴らし
同年配 年上の客人との会話は『若い時とは、同じ事が出来なくなりますね。この前まで出来ていた事が出来なくなることがよくあります。』と言うと『年取っても同じ様に出来ることも有るだろう。』と言う人は前向き
紫野大徳寺町に居た頃は、周辺探索とばかり 色々な所を見て廻った。銭湯「船岡温泉」に行った時 道筋の『建勲神社』へも何度かお参りに寄った。 信長か祭神であることは知っていたが。 明治の廃仏毀釈の流
ブログ記事の連載が 休みなく六千三百日近くも続くと、今日は載せる記事何も思いつかない日が有る。 連載が今日で終わっても良いとは思うのだが、何となく途切れる事にも拘りも有り、そう云う時は、横町の町並
客人と 文化庁の移転話題絡みで、東京・京都の比較関係論の様な話を交している内 『東男と 京おんな』と言う言葉が出てきた。関東圏の男性と京女とは、「相性が良いと云う様な意味で使われる事は無いと思います
昨日は,恩師を共にする 洋画家 井上よう子さんの展観に出掛けた。柳居子は、市立柳池中学校で 井上さんは市立芸術大学で 柳居子の同級生で恩師の三尾先生の教え子でもあった 古沢利弘君を誘って出掛けた。
昨日お越しの客人とは。話しがよく噛みあった。 何十年もご贔屓頂いているのだが、店にお越しになって、散髪の椅子に座ると 直ぐに深い眠りに就かれるのが常で、長年のお付き合いの割には 親しく言葉交わす事
金曜日の昼食は、外食と決めている。 Sorry Lunchtime Closed PM 1 Open 昼食で暫く外出中 申し訳ない・という張り紙残して出掛ける。 行先は高倉御池 松長と決めてある。
4月に、東京で 京都の地名の話しをした時、『上がる・下がる・東入る・西入ル』という表記の中で、今はスマホの検索を掛けると 道案内付きで、誰でも目的地に確実に辿り着く事が出来るが、町名表記だけで、その
柳居子の店は、料金表示がしていないから 初めてお越しの客人から 料金を尋ねられる事が時々ある。父柳居の時代 料金表が掲げて有って 始めて見えた客人 料金表を見るなり『ここの店 他所より三割ほど高いなぁ
先日 ピカソの愛人で夫人になって 後に離婚したという女性が 大変な高齢で亡くなったという記事が載った。 ピカソと関係が有ったのは何時ごろの事かと少し調べてみたら、丁度今から五十年前の1973年 ピカ
古い話題が続くが、もう四十年程前に公開された『居酒屋兆次』という映画の挿入歌ら『時代遅れの酒場』という曲が有る。主演の 高倉健と 作詞・作曲の加藤登紀子もリリースして。両方の音源を持っているから
後にも先にも 一度だけロールスロイスという車に乗せて貰った事が有る。未だ二十歳台の頃 店にお越しだった 馬主さんで奥さん以外にも第二夫人の居られた御大尽が居られた。 ある日 馬主仲間で 東京の馬主協
何十年も前の話し 柳居子の店から一番近い寺 御池通り堺町東 北側 真宗西派の 『明福寺』が有る。 先代住職の頭の御用を暫く柳居子の店が賜っていた。ある日 山号の双光山の言われを尋ねた事が有った。 本
毎朝出掛ける珈琲屋の5番テーブルは、常連客だけが座る事の出来る特権の様な取上げ方をされて、テレビや新聞にも度々登場するのだが、昔から常連席と云うのが有った訳では無い。 柳居子は、日曜日等 常連仲間
毎朝出掛ける珈琲屋 観光客が幾ら店外にまで溢れていても、我々仲間は、常連席5番テーブルに座る事が出来るのだが、5番テーブル以外にも もう一席 一人の客人のため席を確保してお迎えする人が居る。九十歳に
大都市に人口が集中すると、辺境の地には年寄だけを残して。 若い人は居なくなる。 年寄が消えると、今度は自分達の終の棲家が、故郷の山間りでらの墓地だと 誰も参ってはくれない。自分の入る墓を都会近くに求
小・中学校同窓だったM君が、近くまで来たからと立寄ってくれた。文化博物館の催事に出掛けたと言っていた。近所に人集めをする常設の催事会場の在る事は。思わぬ人の来訪を受ける事に繋がる。 又 柳居子の場合
毎日 仕事をしている様な 遊んでいる様な日が続く。土曜日夕刻 未だ営業時間内だったが、続けて四人の客人を送り出して 今日はもう仕事は終りと決めこんだ時、若い柳居子の孫くらいの人が入って来た。『誠に申し
昨日午後 FB繫がりがが有り 店にお迎えする客人でもある 大菅さんが、。ご自分の姓を楽団名にした様な、大津管弦楽団 略して『大菅』の定期演奏会に出掛けた。一緒に出掛ける人とは、三条京阪前 土下座前(高
世の中の流れが、早過ぎるのか? 老いの身には判らない事が 増々増えてくる。スマホも其の一つ。 元々電話は固定電話が有れば事足る仕事。 最近は仕事中の セールスの電話が,掛って来るのが迷惑至極だが、「今
京都岡崎の動物園の飼育係をされていた 高橋鉄雄氏が、飼育に苦労したフラミンゴの事を書いておられた。 春になると恋の季節 フラミンゴのつがいが出来る。 相手を決めるのは、高橋氏の観察によると 紅色の羽
終活を意識している訳では無いのだが、もう滅多に頁を捲る事は無いだろうという本は、処分している。 興味の有りそうな人に差し上げたり 古本屋へ持って行くのも憚る様な 分解した様な本は破棄処分にしている。
遠来と名づけた 外国からやって来た客人に、サイン・メッセージを書きこんで貰うサイン帳 朱印帳が、裏・表びっしりと 九冊めも表面が埋まり裏に廻る事になった。 メッセージを書く事を 快く引き受けてく
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす
日本麻雀連盟の認定 五段を持っているのだが、段位認定書は四段止まり 五段の認定に 二万円と云う金額を払えと言われ 五段位権利放棄をしたのだ。連盟の総裁は、新日鉄の稲山さんがされていた。 何十年も前の
今の時代 物事が多数決で決まる。我々の参政権の行使 なり代わって代表として選出する 議員とか首長の選出も 例え一票の差であっても 多数決という前提の決まりで、物事が動いて行く。 論議を尽くしたと