chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
柳居子徒然 https://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/

六十歳を過ぎた 若くは無いが、年寄りでもない。要は気持ちの持ち様だ 好奇心未だ衰えず。

柳居子徒然
フォロー
住所
京都府
出身
京都府
ブログ村参加

2008/03/18

arrow_drop_down
  • 恒例 紅白

    大晦日 恒例のNHK紅白歌合戦の放送が終って、突然画面が切り替わって、お寺の除夜の鐘が鳴り響き 番組画面は ゆく年 くる年のタイトル お寺や神社の迎春の模様を伝えだす。僅か十五分経てば元旦の午前零時

  • 声掛け

    朝の日課 珈琲屋から帰って、夕方までの客待ち仕事、終えると何処へ行く訳でも無く自宅へ一目散 其の生活パターンを変えないで、よく人間関係を築く事が出来ますね。と言う意味の事を時々言われる。 人を迎

  • 会話・対話

    泣いても笑っても 今日を含めて後三日 一年経つのは早い。先日も同年配の客人との対話の中で、『年取ると 何故月日の経つのを早く感じるのだろう』という話しが出た。本サイトで度々描いているが、原初体験と既体

  • 行先と、移動手段のアンバランス

    昨晩 二十七日 夕食を,祇園新橋のお茶屋の大女将 若女将の招待を受けていた。柳居子の紹介で、色々と其のお茶屋の催事のお手伝いをした友人と二人の招待だったが。床屋稼業の暮れの二十七日 一寸時間取れない

  • 隠れ読者

    相変わらず お眼に掛った記憶が無いとか 忘れた人から声掛けられる事が多い。昨日は店の前 三輪自転車に乗ろうとした時、妙齢の御婦人から『こんにちは』と声を掛けられた。まつたく何方か判らなかったので『マ

  • 食材 魚篇

    昔 蝦夷地は、米が出来なかったと言われたが、品種改良も進んで道産米が結構巾を利かせている。 暖地では二毛作という労働が過酷な作業を今でも行っているのだろか? あらゆる食材の調達が、長年の伝統とか習

  • 些事 忘年会

    昨夜は、馴染みの割烹屋の クリスマスパーティと贔屓客との忘年会を兼ねた会合に出掛けた。プリント版の読んでくれている人も沢山来るから、読後感等も聞く事の出来る格好の機会なのだ。 漢字が多い 難解な表

  • 東寺創建の頃の事情

    明日二十五日は『終い弘法』数多くの露店が並び 多くの人が集う。寺・神社の縁日・忌日・祭礼等は、人集め・金集めの結構な日に違いない。吉田神社の節分会に、露店の出店を取り仕切っているテキヤの親分に声掛けた

  • コロナの影響

    コロナ禍は、一時的な禍(わざわい)と捉え難い部分が有る。 感染者・患者が居なくなると終息 終わったという事になるのだろうが。一番大きな影響を受け その対応が将来の人格形成にまで影響を及ぼすのは、教育の

  • 昨日も二人

    遠来の客人が相変わらず多い。此処は一体何処かと云う様な思いがする。昨日はロンドンから見えた客人が帰ったら 入れ替わりタヒチからやってきた人。確かこの人の髪の毛切ったなぁと思いながら 髭を剃り出して前

  • 古色

    五十年程前 日中国交正常化を記念して、中国文物展という催しが 京都国立博物館で開かれた。 中国が誇る国宝の展観とあって、どの様な物が展示されるのか、期待を込めて出掛けたのだが、国宝中の国宝と言われ

  • 米露最接近

    昨日は 少し遅めの昼食をほぼ食べ終わったタイミングで、立派な体格の遠来の客人が、奥さんと思しき女性を伴って店にやってきた。「ソーリ― ランチタイム ナウ」と言いながら食事の後片付けを素早く済ませて

  • 些事 ガールフレンド

    毎日曜日の午後 所用で出かける祇園町の道筋に在る 喫茶店で、よく出逢う何人かの人と親しくなって 其の中の最長老 「失礼」 老という言葉はこの地域では禁句 お母さんと親しくなってガールフレンドと呼んで

  • 陰陽 月と太陽は スケール(定規)

    徒弟奉公という言葉 殆ど死語領域に入る言葉と思うのだが 柳居子の若かった業界入りした頃は、日常会話にも良く出て来ていた。仕事を教えて頂くから徒弟 年を期っての奉公が終ると、御礼奉公と言って無給で暫く

  • 先走り

    以前 人口減少と、都心部のドーナツ化現象に対応して、少・中学校の統廃合が続いた時、残存校と廃校になる住民意識を考えて、統合されて残った学校には 全く新しい校名を公募して数の多かった名前を新校名に付け

  • 知りたいけど 知らされない事

    旧統一教会の献金問題の終息を、亀のように首を竦めて、心待ちしている人が沢山居る様に思う、信者からの献金の組織的関与の検証とやらで。宗教法人法に抵触せぬ様な状況を作り 組織ぐるみの犯罪か如何かの検証

  • 六千九拾四

    楽天のウェブログ ブログの連載を始めて五年め よく五年も続いたと,自讃の意味も含めて、読者から五周年連載おめでとう というコメント集の冊子を友が作ってくれた。 五年で止まらず 十年続けられたのは立派

  • 餓鬼極道

    古典を読む時、その読み物が書かれた時代の世相とか平均寿命とか 通信手段 人の移動にどの位の時間が掛ったか 又男女間のスタンスの問題等 今の時代とはかけ離れた時間がゆったりと流れていた事を、先ず頭に入

  • 北垣国道の事績

    明治十九年の学制改革の時 東京大学を 東京帝国大学と改称して、関西にも分校を開くという事が 漠然と取沙汰されていたそうだ。当初 大阪に開校する様な開校の原案が 京都市民挙っての誘致運動も有り 京都に

  • 客人様々

    先日お越しの客人は、柳居子の店へは、初めてのご来店。 『散髪屋さんで、料金払って髪の毛切って貰った事が無い。』と、仰る。 色々とお話を承ると、同業理髪店の息子さん 年子の兄が父の後を継いで、自分

  • 敗軍の将

    サッカー ワールドカップ ドーハ大会に於ける日本チームの動静やサポーターとして現地に繰り出した日本人の事を海外メディアが大きく取り上げている。試合の幾つかは最終PK戦で勝ち負けが決する事を少し違和感

  • テレビ無し生活 実証

    十二・三年程前に、テレビが壊れて新しく買い替える事無く テレビ無し生活を続けている。見たい番組が有る訳でも無く 又 どの様な番組が人気が有るのか 其れすら何も判らない。 十年以上のギャップと言うのは

  • 師走の風景 事始め・白朮(おけら)参り

    京都で「事始め」と言うと十二月十三日。其の日は、正月の準備を始める日という意味が有る。朝・昼・晩と 一日三食食べる様になったのは比較的新しい事で、昔は一日朝一食だったのがいつの間にか三食食べる様に

  • 十二月八日

    八十一年前の今日 十二月八日 午前三時一九分『ニイタカヤマ ノボレ』という暗号電報から、真珠湾攻撃が始まり。太平洋戦争の開戦記念日である。ある一定の世代の人と言っても今日が会戦の記念日と知る人も少な

  • 十大ニュースに思う事

    今年の十大ニュースが取沙汰される頃になった。国内外共に波乱含み。日本は嵐の前の静けさという思いもする。 十大ニュースのランク付けは、然るべき人があれこれ考えて決めるのだと思うだが まだ一度もお眼に

  • 記憶力 残存

    昨日の午後 お越しになった客人は、何年か前 麩屋町御池下がるの 柊屋旅館の紹介でお越しになった。柊屋の南 姉小路角に平野豆腐店が有る。柊屋のお店の人に平野豆腐店迄送ってもらって 真っ直ぐ西に二筋目の

  • 十大ニュースに思う事

    今年の十大ニュースが取沙汰される頃になった。国内外共に波乱含み。日本は嵐の前の静けさという思いもする。 十大ニュースのランク付けは、然るべき人があれこれ考えて決めるのだと思うだが まだ一度もお眼に

  • 取材協力

    このところ 毎朝出掛ける珈琲屋に対するメディアの取材に付き合わされることが多い。お客様代表になるとは思わないが、同じ時間帯 変らず同じ席に座り続けて六十年と言うのは柳居子以外でも僅かな数 珈琲屋の

  • 古本

    蔵書は多い方だと思う。座右として置いてある本 立ち上がって一歩進めば棚には辞書・事典の類が二十冊ほど。広辞苑だけでも三分割した初版も含めて三冊有る。 正価で買い求めた物も有るが、頂もの 何故手許に有る

  • 昔話

    遠来の一見さん以外の御常連との店での会話 話題は、「月日の経つのが増々早く感じる様になったねぇ」と仰る事が多い。世間は既に歳末商戦真っ盛り 迎春という言葉も方々で踊っている。 まだ十二月始まったとこ

  • 七十七年の歳月

    今から七十七年以前の四十年間、外地と呼ばれる日本が 日本の最北端 稚内の北 僅か四十キロ先に在った。今はサハリン ロシアの版図だが『樺太』と呼ばれていた。 水産資源に恵まれ 良質の石炭が出て 木

  • 駄文

    柳居子自身は、取り留めのない駄文を 長々と書き続けていると思う。 何故駄文かと考えると、テーマを考え書きはじめても前段に興が乗り書き進めていくうち、本来書こうと思っていた事がだんだん細く消えてしまう様

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、柳居子徒然さんをフォローしませんか?

ハンドル名
柳居子徒然さん
ブログタイトル
柳居子徒然
フォロー
柳居子徒然

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用