孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
歌は世に連れ 世は歌に連れという歌謡番組のオープニングナレーションが有った。 流行り歌と言うのは、その曲を知っている人が居なくなったら、歴史に名のみ留めるという事になる。 たまたま亡き父母や祖父母が
秀吉が乱後(応仁)京都の町の再構築する時、条・坊の『坊』南北に貫通する大路・小路の間にもう一本通りを開き、碁盤の眼ならぬ空から見た展開で 縦に長い長方形の街区を作った。新しく通す道路を塞ぐように大き
千年王都と呼ばれる京都は。連綿と続く権力者闘争の現場でもあつた。 世襲制の絶対権威皇帝『天皇』と、世俗性の絶対権力皇帝『征夷大将軍』が鬩ぎあいの場 今我々が歴史教育で学ぶ『徳川・豊・織 室町・鎌倉・
日曜日は例によって 朝から沢山の人に逢って、色々な話を交す。其れの出来る事を嬉しく有り難い事だと思う。仲間内でも もう人と逢うのが煩わしいという人も居る。 元々一人が良いという質の人も居るが 仕事の
自分自身 敬語が完全に使いこなせているとは微塵も思わないし、仕事柄 名や職分に遜っていては、手や指先が動かなくなるから 先生 先に生れたか遅れたか位の使い分けは身に付いている様に思う。 尤も柳居子よ
近代日本政治史がご専門の御厨貴氏が、地元紙夕刊の『現代のことば』欄に「あさま山荘事件」に思うという一文を寄せておられた。学者としてでは無く 時代の証言者としての記事依頼だった様だ。 あさま山荘
柳居子徒然 古くからの読者は、毎日の連載が当然の事として、掲載時間が少し遅れたりすると 柳居子の体調を心配して頂くのだが、最近始めて本サイトを開けてご覧の方は、よく毎日まいにち書きネタが尽きませんね
京都の町は、掃いて捨てる程 老舗と言われる店が有る。残るという事は何某のスクラップ&ビルド 当世に媚びるのでは無く 伝統を守りつつ改良を加えているからこそ残るものだと思う。只製造業とか販売業の様に
随分前 『セカンドオピニオン』に付いての私見を本サイトに書いた。 セカンド オピニオンという言葉は、医療の現場で使われる事が多い。病に対して、複数の意見とか 別の見方と云う様な意味かと思う。検査機
昨日は春分の日で、店は定休日。 午後から愛用の電動アシスト三輪車に乗って、街中徘徊に出掛けた。大体東・南に向かう事が多いのだが、昨日は 西・北の方向に向かった。 誰かに何かの用事が有るとか、買い物
座右の友 などと書くと大変な読書家の様に見えるかも知れないが、折々手に取って頁を捲る一冊が有る。本サイトでも何度か取り上げている 佐藤一齋著の『言志四録』教え導くという書では無い。人格形成に資する書
十六年近く前から始めた楽天ウェブサイトに 毎日一文を載せる様になった当初の契機は、小学校の同窓会を開いた時。母校の教室を使い 恩師を最前列に座らせて、教え子が教壇に立ち 師弟逆転の授業をした。その時
毎朝出掛ける珈琲屋は、堺町三条下がる(みなみ)西側 道祐町に在るのだが、三條通り東入るに在る三条支店が、もうすぐ取り壊して全面建て替えと報じていた。 柳居子の母の実家から近い事もあり 又店からも近く
不動では無い大地 という地震関連の記事を 昨日の朝書いて。夕刊の地震報道 其の後どの程度の被害が有ったのか? 一面タイトルは『2人死亡 160人超えけが』 宮城・福島で震度6強 マグニチュード7・4 東北新
九月一日が防災の日と決められた由縁を知る人が少なくなった。生きていたら今年百才になる母が産まれて一年目 大正十二年九月一日お昼前 関東地方を襲った大地震 関東大震災を何時までも忘れない様にと『防災の
床屋稼業は 指先命である。柔らかくしなやかで、力強く指先が動く事で成り立っている。 しかし経年劣化は致し方無く進んでいると思う。始めてお越しの客人には、若い時は仕事が早くて上手でしたと言い訳気味な話を
昨日 最終お越しの客人は、柳居子より丁度一年年上の御婦人。 お顔剃りをお願いと言う事と、顔剃りが終ったら カラオケ一緒に行こう 顔剃り・カラオケ同行予約客。もう一人誰か誘ってはと言ったのだが 自分が
季節の移ろいは早い。ストーブ用の灯油を買うか買うまいかと迷ったのは 先週の事 もう扇風機が出て来てもおかしくない様な陽気。世上の雰囲気は左程陽気でも無い。コロナはぼちぼちピークアウトを迎えたのか? そ
コロナ騒動が起こる少し前、新町通りに在る 逓信病院に入院中の客人の頭を刈りに出掛けて 後 烏丸五条辺りに所用が有って 滅多に通らない綾小路を東に向かっていた時 室町西の南側に『本居宣長先生修学の地』
推薦と言うほどの大層な話ではないが、時々パソコン画面を開いては楽しく過ごすゲームが有る。四字熟語ゲームというサイトである。 柳居子のサイト記事は、画像が無く漢字が矢鱈と多い 画像載せて平仮名表記
電電動アシストの三輪自転車で、店と自宅を往復する様になって 定点観測では無いが 往復する間の体感温度と言うのがよく判る様になった。 毎朝五時前後に家を出るのだが、極寒は 手袋二枚重ねても指先が痺れる様
自宅には月捲りのカレンダーを二つ掲げているのだが、四年に一度の閏年以外は、二月は二十八日で 月は替われど日と曜日は一緒 あれ明日十一日は何の祝日だったかな? 頭は三月に切り替わっているのだが。つり下
朝早く家を出て、陽がとっぷりと隠れてしまってから帰る生活を続けていると、今の季節 庭に咲いている筈の梅の花にもなかなか眼が行かない。先日 同じ琵琶湖疏水傍 哲学の道前で宿泊施設の運営に携わっておられ
心中という事件の記事タイトルも滅多に見る事も無い 一番印象深く残っている「天城山心中」事件も昭和三十二年に起こった事 満州国という国が有った事を知ったという思い出が有る。皇帝愛新覚羅溥傑の弟 溥儀と国
時々 長芋の甘酢漬けというのを作る。 例によって柳居子の口に入るのは、作る量のほんの僅か 出来上がりの味見をする程度だが 殆どは人に差し上げる。二月のチョコレートを頂いた日も ホワイトデーは何もお渡
三寺(さんてら)と言っただけで 柳居子の近辺 旧生祥小学校・柳池中学校の通学区域内に住む人は、京都府警中京署管轄の 寺町三条巡査派出所の事を指す 馴染み深い交番である。繁華街の新京極にも近い事も有っ
世迷い事を書き連ねているとは思わないが、大所高所から世を見るという高邁でも無い。一寸お喋りの過ぎる浮世床の親爺か隠居と言う事を自認している。 口下手な分を書き物で補完しているという思いも有る。 他
以前はメインストリートに店を張っていた本屋だが、今は退きこんだ横道で小売りは殆ど無く 昔馴染みに配達するという商いをしている本屋 古くからよく知っている。以前は新刊書ばかり並べていたが 最近は古本も
先日 お金持ちと貧乏人という 柳居子の見解を二日間に渡って掲載した。お金持ちだけを取り上げて 貧乏人の事を書かないと『片手落ちになるか』という言葉を使った。これは差別用語になるのかな? と書いておいた
些細な事でも感心を持つのは、大事な事だと思う。些細に捉われて大事の抜ける事が再々ある.人に聞いた話し 自分が詠んだ本 そして自分で考えた事 これは東京で「床屋談議」なるお話をする機会を頂いた時、必ず
成人の年齢規定が引き下げられた様だが、只 或る一定の年齢に達したら成人という考え方には 少し違和感を持つ。 新しく既定の十八歳という年齢は 大人の庇護か応援が無ければ成り立たず 未だ稼ぐという年台では
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす