孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
久し振りに四条高島屋百貨店を覗いて見て廻った。別に特別買いたい物が有る訳では無い。衣料品や履物靴は お客さまからの頂もので充分間に合っている。自分のお気に入りを買い求めて満足という性質では無い 加え
接客会話で柳居子と一緒に大笑いというシーンが出てくると、先ずは成功という事にしている。 昨日お越しの客人 始めてみるお顔 柳居子より十歳程若いと見た。 先ずは形通り『若い時は 散髪上手で鳴らしたの
ブログの記事ネタと言うのは、探して出てくるモノでは無いと言うのが柳居子の流儀。人との会話とか、新聞の見出し。以前読んだ本の其れこそ ほんの一部分を思い出したりして、何となく膨らみを付けると 毎日一話
最近は、身辺に体の不調を訴える人が続出している。柳居子とて万全の体調では無いが 自転車に乗って自宅・店の間を毎日往復 ブログ記事の掲載 珈琲屋への顔出し セレモニーの様に続いて その流れに乗れている
新京極の銭湯 桜湯の事に付いては、色々な視点で本サイトに度々取り上げている。風呂仲間 同じ時間帯に顔馴染みになって、風呂上り朝の珈琲屋へ柳居子が連れて行って其れが珈琲屋の常連になる。枚挙暇ない。 カ
俳句と川柳 どちらが好きかと問われると、川柳と答える。 若い時は、誘われて句会に出た事も有ったが、馴染めなかった。蛙が水に飛び込むタイミングとか、蝉の泣声が岩に染み入ると云う様な形容や気付きは出来な
小学生の頃、 夏休みや 冬休み前の生活指導の様な意味で『盛り場へは行かない様に』とか 『近づかない様に』と指導された方が多かったのではと思うが、京都随一を誇る繁華街 新京極の直ぐ傍の柳居子の通ってい
床屋稼業は、客待ち仕事 営業に係る外出は皆無 道具材料も全て業者が持って来てくれる。ましてや車に乗って外出は考えも及ばぬ事 床屋に車は不要と一旦決め込んだら動かない。生涯自転車使いで終わりそうだ。
時々、漢字を減らして平仮名を増やして下さい。多くの読者の共通の願いですよ。と言われる事が有る。決して漢字を数多く知っていると誇っている訳では無い、取りとめなくダラダラ長い文 起承転結の則に従っている
残る、残される。 続く、続けられるという事、戦災に遭って一面焼け野原になった他の大都市に比べると かなり意識の差とか時間間隔が違うように思う。例えば建物 西洋建築 洋館という木造洋風建物も創建時と
先週日曜日は、小中学校時代同窓だつた仲間四人と お昼をご一緒した 足の具合の悪い女性 外へ出辛いと思い 彼女の家に集合 仕出しの弁当を取っての会食だったが、食事の始まる前三十分間が。柳居子の本番だっ
地元紙 京都新聞は購読歴が長い事に加えて、関係者を数多く柳居子の店へお迎えした事も有って、一般の読者よりは内実を知っていると思う。楽天ブログサイト 『柳居子徒然』を検索すると30件程の記事が出てくる。
ある一定の年代以上 一休さんの名を知らない人は居ないと思われるほど 知れ渡った禅僧である。子供の頃とんちの走る小僧さんとか 悪戯が過ぎて縄で縛られ 落した涙で 足の指先で書いた絵が動き出したとか 言
息子さん 息子さんと呼んでいた人が 社長職を退いて会長になりましたとか お父さんが若い時はなぁと旧い話を若い人に持ち出すと 若しかしたら祖父の事ですねと言われる事が有る。 社長退任とか引退も、柳
堀川北大路上がる(北行)二つ目のバス停少し北西側に『鳳飛』という屋号の中華料理屋が在る。今年丁度開店四十周年を迎えた。店主は小学校時代からの同級生。この店の事 少し書き記す。 七十年程前 同じ町内の西
万券の代名詞のように使われた聖徳太子 其の事跡を知る人は僅かな数の歴史の専門家 しかしその名号は万人の知る伝説の人。伝記も後世の人が色々と書き改めるとか 権威づけをするような配慮も有ったかと思う。何
あっという間に季節は夏の様になった。夜明け前 ペダルを漕がなくてもい下り一方の通勤往路は、未だ寒いが 昼はクーラーが要る程の暑さ 夜は又冷えてくる。暑さ寒さに即応できるのは、若者の特権の様な感じがす
週に一度 昼ご飯を食べに出掛ける料理屋『松長』の大女将から、『柳居子さんは一体何者? お話をすればするほど 謎の人という思いがする』と言われた。 得体の知れない 怖い人と云う意味では無さそうだが、同
1年は365日を刻む事で新しい年度を迎える。 16,年間は何日になるか365×16は 5840 日になる。16年間には閏年4日が加わって 5844日 2006年から書きはじめたブログ記事が 昨日丁度16年目5844連載を越えて、今
人に誇る様な事でもないが、麻雀の腕はキャリアが有る。日本麻雀連盟認定の四段を持っている。 五段位昇段の資格も得たのだが、段位取得に二十歳代当時としては、大金が要ると言われて たかがお遊びに何故? の思
朝の寝覚め一番 吃驚するようなメッセージがアメリカから飛び込んできた。 世界中の理髪店巡りをしているユーチューバー Haircut halleyさんの撮影された 柳居子の顔剃りの動画 度々本サイトにもアップして
お顔が広いですね。とか大変な人脈を築きあげましたね。という趣旨の話を受ける。正直言って人脈を築く必要等全く無い仕事。仕事内容気に入って貰ったら其れでほぼ充分な職域である。 顔の広さとか人脈云々の
このところ 毎日一人 昨日は二人 海外出身の髭の濃い肌の色の違う客人がやって来る。 日本在住か留学の人達だと思う。皆日本語をそこそこ喋る。 一昨日は ロシアから来た ウラジーミルさん 遠来と名付けた
何が飛び出すか、判らないのが朝の珈琲屋の卓で出てくる話題。 座る仲間の平均年齢が高い事も有るから,今々の若い人の交されている話題と云うのは余りで無いのだが、完全門外漢を決め込まねばならない話
お花見に出掛けなくとも、桜の名所と言われる所を、毎日往復している。 今年の桜は、お天気のお蔭と言うのか 満開になってからの花持ちが 例年より長い様に思う。未だ 散り初めの気配 路上に花びらが落ちてい
文のタイトルを付けるのは、考えれば考える程難しい。 拙い書き連ねでも五千八百回を越える 一話完結の文の連載 又内容も多岐に渡るから 書いた自分自身でも前に書いた事を忘れ よく似た文を書く事が有る。タ
日曜日の午後 小半時 最近は恒例の様に祇園町に在るコーヒー屋さんで過ごす。 お茶屋の女将さん連中が入替り立ち代わり珈琲を飲みに来る。顔ぶれも大分馴染みが出来てきた。 接客の第一線で活躍か、少し現役か
今 自分達が住んでいる町でも、刻々様子が変っていく。住民が変っても建物が残っている場合は、過って住んでいた人との顔や交流を想いだすものだが、建物が無くなると、記憶を呼び戻す手立てまで消えてしまうのか
電動アシストの三輪自転車通勤に変えてから、復活した事が有る。往復とも経路は其の日に依って替わるのだが、概ね慣れ親しんだ道である。家並の連なりも有れば 鴨川の堤 寺の塀 公園や 学校 京都御苑も塀の内
コロナ騒動は、人々の生き方革命を招来するほど大きな影響をもたらした。従前 当たり前の事と思っていた事が無駄な事になったり 大分前から高まって来た販売・購入と言うのが店を構えなくても良いネット販売が
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や
先日 誘われてカラオケに出掛けた時、同行は柳居子より年嵩の女性と 同年配の男性との三人 カラオケシニア割引客だった。 何を唄うのか 出掛ける前 一応準備曲名を書いた紙切れを持って行くのだが、今宵
昨日お越しの客人は、全身刺青の髭面の男性。 顔を剃ってくれというスマホ画面の 日本語表記を見せられて、黙って理容椅子に招じ上げて 仕事に取り掛かった。 全身刺青が 如何いう状態かと言うと 顎から
国立奈良博物館で、開催中だつた『空海展』 最終日九日に出掛ける予定が叶わず残念な事だった。 柳居子の戸籍名『國弘』の一字『弘』が、弘法大師の諡号弘が付いている事から 何となく親しみを覚え 伝記と
朝の珈琲屋で出る話題、テレビの連続ドラマの影響が有るのか、源氏物語が頻繁に出てくる。 今の時代 歴史ドラマに対する理解も 何か一つ疑問が出ると 即スマホの検索をすると 何となく判った様な気がす