孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨日は、毎朝の珈琲屋 柳居子の隣りに座る人が主宰する健康に関する市民講座に出掛けた。タイトルは『新しい肺炎の時代を生きるために』昨今のコロナ禍で関心も高く、京都駅前の会場には大勢の人 八十人程がつめ
店を二階に上げて、テナントビルにする前 一階で店を開いていた頃だから、今から二十年以上前の事。近所に不動産屋の看板を掲げているが、一寸危ない組事務所の様な店が出来た。絶えず人の出摺りが有り 誰が主人
度々話題にする接客会話の難しさと言う事を、未だに改めて思う事が有る。失敗事例の殆どは、長年お越しの常連客相手が多い。御縁が長く何もかも知っているという奢りが、言ってはならない事 特にご来店の其の日に
自宅前 道路挟んで向かい側 南から北へ流れる水路は琵琶湖疏水松ヶ崎支流 京都市内で北に流れる水は人工構築のこの水路だけだと思う。 疏水は京都の人達にとっては馴染みの深い 何よりも日常の用水を疏水
寺町鳩居堂は、27日までの4日間 臨時休業している。新しく建てた新社屋での28日からの営業に具えてへの商品の納入とか展示に4日間掛けている様だ。 東国の武将「熊谷次郎直実」が遠祖 20代目の直心が始めた店
一業専一と言って、一つの仕事に脇目もふらず頑張り抜くと言うのが一つのモラルとして尊い事とされてきた。余技が過ぎると本職放ったらかしと、色目で見られる事も多かった。余技にウェイトが大きくなり、其れが本
昨日 祭日の定休日だつたが、店に迎えた客人は、名前知らず 年も四十半ばか 仕事も知らず 家族も何処に住んで居るかも知らぬのだが、随分前からの顔馴染み。以前毎夜のように通っていた河原町の珈琲屋で知り
昨日 いつもと変わらぬ日曜日 午前中山科に所用が有って出向き、大勢の人にお眼に掛かり 言葉を交わしたのだが、比較的早く家に帰り着いたので、前から気になっていた事に手を付けた。 柳居子の仕事のバイ
朝の珈琲屋の卓話 時々柳居子の参加できない話題で盛り上がる日が有る。 日本国内はおろか京都の町の外へ殆ど出ない身 北ヨーロッパのスエーデン・フィンランド・ノルウェー・デンマークの国々の話題とか 町の
最近は手作りの野菜や 有機栽培の逸品とかの、野菜類を頂く事が多い、其れもかなりの量目で頂く。 何かに調理して持ってきてんか、加工して頂き主に届ける事も有る。 小蕪は、葉を落し皮を剥き スライサ
先日出掛けた 草津本陣での展示物を見た時、本陣の説明文の中に、徳川家降嫁の 皇女和宮の行列が三日間続いたという僅か三行程の文が眼に付いた。和宮が東海道では無く 中山道を経由して東下りをした事は知って
自分以外の他人と言うのは、何等かの縁を以って繋がっているのだと思う。社会の構成員としての関係の内 最も密なるのは、親子とか夫婦 兄弟 叔父伯母従妹などルーツを共にする血縁関係が有る 又 隣同士 同じ
未だ夜明けには間が有ると、次から次に場所を変えて飲み歩いた梯子酒は、古い若い時の思い出だが、仲間と一緒に出掛けた店も殆ど閉じてしまった。もうハシゴは無いと思っていたのだが、医者・医院のハシゴをするな
楽天のブログサイト『柳居子徒然』フェイスブック併載の読者から『毎日毎日よく書きネタが続きますね。』と 半ば呆れ顏で声掛けられる事が有る。2006年4月25日から 今日5332連載 我ながら書きも書いたりと言う思
一昨日お越しの客人と仕事をしながらの会話は、同世代だけが判り合える懐旧談。呉服屋老舗の御主人 柳居子よりほんの少し年嵩 『あんたとこは。大晦日は 徹夜で仕事していたなぁ。私は2時間も順番待ちした事
ノーベル物理学賞を受章された 小柴昌俊氏の死を伝える記事が載っていた。2002年度の受章だから、もう18年も前の事になる。鉱山の廃鉱跡を使ったとは言っても、地下1000メートルに3000トンの水を蓄えた観測装置を
随分前 黛敏郎氏が受け持っていた番組に、北島三郎氏が登場して 不思議な組み合わせと見ていたら、黛氏は北島氏の声域の広さに注目して 4オクターブの声が出るとか言っていた。作曲家は当然の事だが、五線紙に
科学万能の時代と思いきや、隔離とか遮断という古来からの方法が一番コロナに有効と言う事は 人間の知恵など知れたもの。地球上に人類だけが70億人と数が多い 他の生物への蚕食も甚大 少し間引きすると地球も傷
京都の学校教育の揺籃期を伝える面白い新聞記事を見つけたので紹介したい。 明治4年6月『新聞雑誌』第5号掲載の記事。 【 方今文明日に進み 学校の盛んなる事 古来未だかつて あらざるところなり。なかん
手は 人類が二足歩行 四つ足から解放されてから最も頼りになる部位。あらゆる動作は、手によって叶う事が多い。不幸にして手の機能の無い人 極端に弱って来た人の事を見たり思ったりすると、その難儀は眼が見え
小・中学校同窓だった友の訃を知る。何度か同じクラスにもなり、ご両親もよく知っている。一度だけだが父君が柳居子の店にお越しになった事も有る。 客人と言うのは面白いもので、同業とか会社の上司など 自分
改竄の「竄」という字 改めかえると言う意味が有る。公文書や証書の字句をかえたり 改め書き直すという事だが 概ね悪しき目的の爲使われる事例が多い様だ。正しい事 正確な事を書き変える事は 悪しき事に違い
通っていた小学校 校庭の東側麩屋町通り 学校の外塀の中程に『八文字屋自笑』旧跡の石碑が建っている。数多ある大店や名だたる旧跡でも 個人の店名が残る事は珍しい。三井とか住友の様に現在も確固たる名や実を
今日は 越路吹雪さんの40回目の祥月命日 1980年56歳で亡くなって、もう40年もの歳月が流れた。昭和30年代から40年代初めころ サルバトーレ・アダモの作った唄 岩谷時子さんの翻訳意訳歌詞が、当時の柳居子の琴
解体新書と言う本 杉田玄白 前野良沢たちの尽力で、蘭書『ターヘル・アナトミア』の和訳本として広く世間に知れ渡っている。明和八年(1771)に発刊されて、仲間の御典医を介して将軍に献上されている。日本人が
このところ朝の珈琲屋の話題は、アメリカ大統領選挙の事が、連日俎上に上がる。 我々日本人の多くが認識するところのアメリカ・アメリカ合衆国と 現実のアメリカとは随分掛け離れた部分が結構大きく多い様だ。
祝祭日と日曜日を店の定休日と決めてはいるのだが。予備と言うのか後備と言うのか 定休日に仕事をする事が結構ある。昨日朝一番にお越しの客人は、本来土曜日の夕方にお迎えする人だった。夕刻電話が掛かって来て
今日 十一月三日が、『文化の日』であることは。日本国民なら誰でも知っている事だが、何を記念しての文化の日なのか? 其の制定の由来を知る人はもう誰も居ないと思う。この日は戦前から祝日だった。 明治天皇
毎日曜日の常だが、昨日も随分沢山の人に逢い 言葉を交わした。 人に上下は無いが、歩んできたキャリアは千差万別 ブログプリント版配達に伴う人との出逢い これが結構面白いしブログネタになる事も有る。
『クリスマス いつの間にやら ハロウィンに 取って替わられ 今は昔か。』 クリスマス商戦を謳う事が、何となく時代遅れになってきた感じがする。子供達がサンタクロースから貰うプレゼントを大喜びしたの
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を
昨日 朝の珈琲屋の柳居子の 隣りの席にやって来たのは、近畿大学準教授 「韓勝旭」工学博士 久し振りにお目に掛り 色々と面白い話で盛り上がった。 日本と韓国との歴史感 捉え方の違いとか 京都から東
観光ガイドを束ねる様な仕事をしている友人が、「西陣」の事を詳しく書いた本を 上梓出版する事になった。 下書き原稿を渡されて、何かご意見 アドバイスをと言われた。 『学術書では無いのだね?』と 尋
一寸強い髭剃り後 柳居子の店は、父の代から メンソレータムが常備してあって、肌の消炎効果を 良く知っている。 今はロート製薬から販売されているが、長く近江兄弟社の人気商品だった。最初に販売した人
小・中学校 同窓同級だった女の子の訃を 彼女の旦那さんから履いた。 ご主人は、朝の珈琲屋の同卓の仲間だから 同級生の奥さんの容態は聞いていたから 突然亡くなったという感じはしないのだが 残された旦那
並べて論じる絵画では無いとわかっているのだが、写生図と、版画の下絵と判っていても 日本人の多くが知る、伝わった安藤広重の『東海道五十三次』と雪舟の『天橋立図』 二点の絵を論じるのではなく 感じた事や