孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
毎朝出掛ける珈琲屋の近く、堺町三条上がる 元酒造会社の営業店舗だった大きな土地が、メモリアルとなる酒屋の社屋の一部分残して、雰囲気の有る黒を基調としてホテルに生まれ変わった。勿論新築部分が大きいのだ
随分前 写真週刊誌に『フォーカス』と言う雑誌が有った。表紙絵を極く親しい人が描いていた事も有って、毎号欠かさず近所の本屋さんが届けてくれていた。某年某日の写真記事に 有力な国会議員でもあつた『中川一
放火・殺人傷害で、三十六人の死者を含む数十人の被害者を出した 京都アニメ会社事件の実行犯が、311日めに逮捕された。本人も重傷を負い治療中だったという。事件の概要は、今迄度々報じているから 重ねて書
市立芸術大学学長や 日文研(国際日本文化研究センター)の所長を務められた 梅原猛氏は、自分だけが讀み下す事の出来る独創的な字の書き手だったそうだ。数多くの出版物は、編集・校正者泣かせの判読不可能の元
昨日 初めてお迎えした客人は、学生さんか、社会人かの見定めのつかない世代。ぼちぼち孫の世代かと思われる体躯の大きい髭の濃そうな人だった。 例によって 仕事上のジェレネーション・ギャップを こちらから
色々な情報に 皆が一喜一憂する 今回のコロナ大戦。 いつ果てるとも 予測・予断を許さないが、国は緊急事態宣言を今日・明日にでも解除する方針の様だか、此の侭終息すれば其れに越した事は無いが。 元々 今回
着る物・身に付けるもので、自分が持っていないものを、他人が持っていることを、うらやましい等と余り思った事が無いが、若い人の活発なアクションとか 新しい事を直ぐ自分の物に取り込む事の出来る 柔軟な頭な
京都・大阪・兵庫の三府県に出ていた コロナ対策緊急事態宣言が解除された。 全く安全というレベルには未だ程遠いとは思うが、諸々の活動がようやく動き始めたという段階。 コロナウイルス禍発生前の状態に戻るに
栗塚旭さんとの交遊も、随分長くなった。最初にお眼に掛かったのは、鴨川二条畔 ホテルフジタの地階に在った『石水』というバーだった。最下段カウンター席に座っていた柳居子のすぐ後ろの席に女性3人と着席して
明確な主義主張がある訳では無く、只見たり聞いたり思い付いた事を書き連ねて随分の歳月が流れた。 〖徒然なるままに 日暮パソコンに向かいて〗というキャッチフレーズで始めたのだが、何故長きにわたって続いて
いつまでも生き長らえる命と云うのは無い。『命有るもの 必ず滅する』は。哲理。宗教も 日常の些末な営みも、命が有るか 無いかが大前提。死後の事を説くと言っても 今 命ある人に垂れる言葉以外の何物でもでも
途切れず、絶やさずに守り続ける事に、京都の人は異様 他には無い拘りを持つように思う。 近所に出来た抹茶スイートの店静岡からの出店らしいが、暖簾に大きく1907年(明治40年)創業を高らかに謳っている
流行り歌と言うのは、何れ廃れ歌となる定めが有ろうかと思う。NHKの早朝歌番組を、寝床で屈伸体操をしながら聞いていて、ふと気づいた事がある。流行り歌 唄い手 歌手が主役であることは言うまでも無いが、どれ
『貫録』という言葉 辞書を紐解くと 「身に備わった威厳とかおもみ・ 身体 人格から感じられる人間的な重々しさ。」と云うような説明がされている。 この時代オンラインを使って自宅で仕事が出来て、少なくと
年配のお客様が多い柳居子の店で、交される話題は。当然の事ながら 昔は良かったという 懐旧談が多い。 苦労した事は忘れ 楽しかった事を色濃く覚えているというのも、人間が長く生きながらえる身に付いた 一
『失敗が有っても、儂が責任を負うから、皆 頑張ってくれ。』 田中角栄氏が 大蔵大臣に就任した時 大蔵官僚を前に訓示の結語と言われている。又 大臣室の扉を開け放ちにする 誰でも意見の有るものは役職関係
コロナ騒動が無ければ、 今の季節の京都は? と言う事を書くとすれば、やはりコロナ関連記事と言う事になるのだろうか。 青葉・若葉の季節 京都の五月は、祭りに始まり ずっと其れが月中何処かで続けられ
時々 本サイトの読者から『大変な人脈を築かれましたね。』とか、『京都の限られたエリア 客を待つ仕事をしていて、随分多くの人と交遊が有るのですね。』と人脈とか出逢いの多さを言われると戸惑う そう言う思
東京都内でのコロナウイルス罹患率が30%台に達したという数値が発表された様だ。集団免疫力を付けると言われる数値に近付いてきたと思う反面 今迄発表してきた数値と言うのは 一体何の数字だったのか 公式とか
読売歌壇 栗木京子さん選の筆頭に、 『長嶋茂雄さんと 握手したから洗わない なつかしきかな 泡をたてつつ。』 ≪憧れの人と握手をしたから、手は洗わない。そう思った日は今も輝いているが、ウイルス感染
ブログのプリント版何枚かと 交換で頂いたリーフレット 『STAY HOMEの眠り方』 自宅待機とか オンラインの会議 授業 ・・・・ コロナ騒動が一段落しても 従前の生活スタイルが、確実に変化すると
若い頃 同業者仲間と 『人間の頭には、何故髪の毛が生えているのか?』根源的少々哲学的な議論を交わした事が有った。 『大事な頭を守るため』と言う論に対して『坊主は生涯ツルツルに剃りあげて頭守る毛が無く
政 (まつりごと)は、我々がこの人ならと託した人が、託された多くの人の意に沿うような形で為されるものだと基本的には考えているのだが、諸々 次から次にと起る事象に対して、託した人がちゃんと働いているか等
人(他人)が読む事を前提に,途切れる事無く 文を書き続けると言う事を十四年間以上続けているのだが、今日は何も書く事が無いと 呻吟(しんぎん)うめき苦しむ様な事は無かった。しかし時間が来ればスラスラと
自粛という言葉も、今年の流行り言葉の一つになると思う。 町を歩いていて「自粛休業」の張り紙がいたる所 軒並みに見受ける。 自分自身で 自分の行いを律するとか 慎むという意味の言葉では有るが、今回のコ
何十年も前の話し 鋏と剃刀を手にして 一応の体裁が整ったと思われる頃 又接客会話の最重要点は、相手の関心の深い所にどれだけ近づけるか 先ず相手に関心を持つ事と考え お客さんの電話番号や誕生日を頭に叩
史記の南越列伝に、『禍福は糾(あざな)える紐(ちゅう)の如し』という一文が有る。糾えるは、縄を縒(よ)り合せるの意味が有る。禍が巡り廻って福の因になったり。福が逆に禍を招来する 禍福が絡み合って世の中は廻
行政改革の要諦は、定めた法が 制定時の当初目的を果たして、役目を終えたら 其の法を閉じる事 其れが一番肝心と、或る人に話した事が有った。 法を作る時は、目的が有り、其れが機能してシステムとして定着す
毎朝出掛ける珈琲屋が営業自粛してから もう二週間程経った。朝のスタートを遅らせばよいのだが、相変わらず 始発のバスに乗り込んで一日がスタートする。 5時34分 今の季節 空は完全に明けて、夜の気配は全
コロナ騒動が 起らなかったら、順風満帆・用意万端 今頃は華やかな世界のひのき舞台に登る事を心待ちにしていたと思われる人が居る。東京オリンピック2020の主催国総理大臣安倍晋三氏である。 政治家は一寸
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孫娘の結婚式 バージンロードを手を繋いで歩くのが 目下の目指す目標という友が居る。 しかし在宅で九十歳を越えた母親の面倒を見ている 七十歳手前の彼は 至って元気で 現役で仕事をしている。 朝の珈
昨夕 最後の客人送り出して、バタバタとして中断していた昼食を食べ終わり もう営業終了と決めた。午後五時四十分ころ 見た事も無い髭面の巨漢が入って来た。例によって『私自身は 貴方をお迎え出来て 有り難
大阪で始まった 万国博覧会に 身近に居る人や 友人・知人が早々と出掛けた話しを聞いたり 予約を取る手段とか 会場内はキャッシュレスオンリーだとか柳居子の世代には 出掛けるまでに今の時代対応を身に付け
あっという間に、月日が経つと思う事が多い 『石の上にも三年』とか『艱難汝を玉とする』 苦労が人間を作ると教わった世代は、もう今の時代には通用しない事ばかり。誰もが一業専一 自分に与えられた仕事を精
日曜日恒例の ブログプリント版の配達 街歩きならぬ自転車配達は、電動アシストの三輪自転車が、自分の足以上に頼りになる。長距離を物を持って歩くのはもう無理な事だが 大きな籠の付いた三輪車は荷物の量 軽
日米間の関税交渉の最中に 日本の安全保障に アメリカが果たしている負担に対して 日本の感謝の意が足りないとか そういう話しが出てくるのは、 トランプ米大統領が アメリカと言う国は どの様な場所で何を
何十年も前 確かソニーの盛田昭夫氏が 『学歴無用論』という本を出され よく売れてベストセラーとなった。無学歴の柳居子には 関心を呼ぶ様な タイトルだったので 読んだ覚えが有る。 盛田氏は 技術系
今迄 何の気負いもなく 出来ていた事が出来なくなる。又 時間が掛かる。後体の何処かが 痛まぬか 等と考え 引っ込み勝ちになる。 其の事自体が 年取って身を守る事になるのだとは 判っていても寂しい事であ
歴史の始まりは 口伝 紙に書かれた事とか 石に刻まれて伝わった物と言うのは、それ以前の信じられない程長い人間の営みの結果と言えるのでは無かろうか 二足歩行が可能となって、手や指先が、他の生物と
京都の街は 歴史が長い分 色々なものが残っている。又 先の大戦で火空襲によって灰燼に帰すと言う事も無かった分 眼に見えない言葉使使いや 地名・町名・通り筋名 等 厳然と今も残っている これ等全ては
1日 · 我乍 下らない話しとは思うのだが お眼を煩わす。 昨晩 いつも通り 自転車で帰宅の心算が 大粒の雨が降ってきた。 雨合羽も持たず 傘差しての自転車帰宅は 無理と判断して 市バスで帰る事を
日本全国を新幹線網で結ぶ事 地域格差を是正するとか 一極集中の排除とか どれも根拠とする理由づけにはなる話だが、何十年も前 山陽新幹線が開通した時 店の御常連で 岡山の 天満屋という百貨店の貴金属
3日 · 河原町四条上がる東側、軒数は図かだが『黒川タバコ店』が在った 大正時代から続く老舗の煙草やだった。 柳居子がこの店を知った時は タバコ屋は廃業して『フランセ』という 当時流行の洋酒喫茶とい
3日 · 変遷というような大層な表題の記事では無い。久し振りに河原町四条から三条迄歩いて 覚えていた店が何時の間にか消え 新しく開店した店も 売上見込みが達成できないし直ぐに撤収するから どの様な
5日 · 今朝の自宅前 哲学の道沿いの 桜の開花状況は、『満開』『散り初め』が昨日までの事で 落花盛んと言ったところ 少し道を下った京大時計台前 東一条 吉田神社参道沿いの桜は 『散り果て』同じ種
4月5日 · テレビ局も巻き込んで 大騒動になっている 中居某の事とか 広末某というタレント 又 入浴中に死んだ女性歌手かタレントの事 柳居子は 名前も顔も全く知らなかったし 同じ世界 日本の事とは判
4月9日 6:39 · 料理屋 『松長』出入りの仲間で、西の親分と呼ばれる神戸在住の T氏が久し振りに店にやって来た・柳居子より少し年嵩だが 元気一杯 京舞篠塚の社中の一人が おさらいの会を開くと聞いて
4月8日 10:22 · 同じ場所 同じ時間 毎日変わらぬ営みをしていると、場所・時間を共有するような 人間関係の出来る事がある。 始発のバス通勤をしていた時 週一回 同じバスに乗り合わせて 口をきく
4月7日 11:46 · 桜 満開 眼の保養を満喫とは言わないのかも知れないが、日曜日恒例の プリント版配達に出掛ける先 何所もかもが 一斉に咲き 枝に蕾無く 地面に落花も無く 今日辺りが盛りの様に 咲き
4月6日 6:56 · 一見という言葉は、初対面 もとは遊里の遊女と客が初めて出逢う様子を表すことばだったという 柳居子は 一限と一字改めて 一回限りの客人と解釈している。遠来の客人は、殆どが一限さんだ
兼好法師 徒然草 第百二十二段に 「人の才能は」という一文を載せておられる。 人の才能は、文明らかにして、聖のおしえを明らかにするを第一とする。次に字を書く事 上手に書けなくても学問には書ける事
母が昔使っていた言葉を、自分も使っていると気付いた時、切なく胸に迫る様な想いと 昔を懐かしむ気分になる。 「ありあわせ」で済ませとこか。 店に住込みの従業員が未だ何人か居た時だから 今から七十年
未だ日も経たないから お目に掛れない人が居る。一万円札「渋沢栄一」と千円札「北里柴三郎」の両名である。 その国を象徴する様な 札に登場する人の条件と言うのはどの様に 誰が決めるのか? 時代背景を感じ
柳居子の店には、時々 思いも掛けない客人がやって来る。ユーチューブの動画を見て、ニューヨークからやって来た理髪師 自分の目 自分の髭で確かめたくなってやって来た客人 又 先日やって来たのは 通信制
昨日は 折角やって来た遠来の客人を断るという 後から考えると残念な事をした。厳つい若者四人連れが入って来て 一人だけカットだけをしてくれと言う。其の髪型と言うのが 柳居子が苦手とする 今流行りの段カ
京都の地名・町名・通り筋名等については、度々色々な視点で記事を書いているが、職とか業が集まっていたとか、名の有る大店が有ったとかで 付けられた町名は、何百年を経ても変らずに残っているのは まさしく歴
一年の半分が終わった。月日の経つのが若い時と比べて早く感じると言うのは、 残余の年数を無意識だが 生理学的自覚をしているのか? 同年代の誰に聞いても早く日が経つは 異口同音 若い時は日の経つ事等
アメリカは、若い溌剌とした政治家が、国のリーダとして頑張る国と言うのは、ケネディ大統領の時代の事が、頭に強烈に焼き付いているからだろうか? テレビの国際中継 リアルに飛び込んできた最初の画面 ケネデ
広辞苑第三版に 宵山の事を『祭日の前夜に行う小祭 特に京都祇園祭りの宵宮(よみや)』という説明がされているのだが、歴史的背景を考えない言葉足らずの部分が有る様に思うのだ。 以前 八坂神宮の年中行
1952年 昭和三十二年 英国ロンドンに未曾有の北海からの高潮が襲い大きな被害を受けた。 高潮対策では、地震に伴う津波の研究で、一歩先を進んでいた 日本の『石黒鎮雄氏を、対策研究所に迎え 石黒
海外旅行の土産になるかと 『ポツダム会談』を取り上げた 未開封のCDを珈琲屋に持ってきた人が居た。「アメリカのルーズベルト大統領は 其の会談にン参加して直ぐに亡くなったのだよ」と話したら CDの表の画
ブログ記事のプリント版を、発刊毎 届けているから ご家族皆顔見知り。娘さんとよく話しを交し FB繫がりも有る。 昨日朝から二人目の客人として娘さんを迎える事になった。随分前 一度か二度顔剃りに見
朝の珈琲屋は、人間観察の勉強の場でもある。 この人は 今 何に関心が有るのか 又 今日は何を喋ろうとやって来たのか? 聞き役にだけ徹している訳でも綯い。 顔見知りには、此方から色々と声掛ける事も
祇園祭を彩るハイライトは、山鉾巡行が一番 京都以外から見て 祇園祭をイメージするのは 山鉾巡行に尽きるかと思う。 祇園祭の山鉾は、以前は町家(ちょういえ)と言って鉾山を出す庁内は町所有の土地建物を
殉職という言葉は、今も時々眼にするし聞いたりもする。職務上 仕事を全うするために死ぬ事。 主君の怨みを晴らして、後追い切腹の赤穂浪士も 殉死と言うのだろう。殆ど使われなくなった言葉に 『殉節』が有る
ブログ記事のプリント版を 在京の新聞社に三部ずつ 発刊毎に届けている。新聞休刊日の月曜日 大勢の人数で新聞を出しているのに 休みが有るのだね。私は十八年間 一日も休まず一人で記事を書き続けて休み無し
又 面白い体験をさせて貰った。昨日も遠来の客人の多い日で、午前中に集中した。 その仲の一人 小柄な人だが肌色は真っ黒 黒い髭を蓄えている。当初 髪の毛は短いから 髭のトリミングかと思ったのだが、頭髪
子供の頃 親に時々連れて行って貰った 寿司屋さんの湯飲みには。魚の名前と振り仮名を打った 自分の店で扱う魚を漢字柄にした湯呑だった。 漢字の篇・造りに 何が書き加えて字を作るという 母親が考え
『あんた 何時までも 一寸も変らんと げんきやなぁ』と言われ『元気そうに見せる元気だけは、未だ少し残ってる様です。』『鬱陶しい雨やね こんな土砂降りの日は 店までどうして来るの?』と聞かれ『雨合羽の
毎朝出掛ける珈琲屋 いきなり常連席五番テーブルの座るのではない。 開店三十分程前 未だ扉は自動開閉では無い。「只今開店準備中」の立札の横を通って 『開店準備中のお邪魔をして済みませんね。』という顔を