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剣の形代(平安時代叢書第十九集)月〜金18時 https://ameblo.jp/tokunagi-reiki/

源頼朝の手にした征夷大将軍の称号は武家のトップの称号ではない。天叢雲剣の新たな形代こそ征夷大将軍という称号であった。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時

<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書

德薙 零己
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緑区
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川口市
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2008/01/03

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  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 206/272

    奥州遠征を終えて平穏無事に源頼朝らが鎌倉に戻ったのは文治五(一一八九)年一〇月二四日のこと。吾妻鏡によると、鎌倉に到着して間もなく、源頼朝は吉田経房と一条能…

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  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 205/272

    土御門通親こと源通親は姓を見てわかるとおり、源氏である。ただし、今や時代を手にするまでになっている清和源氏の源頼朝と違い、これまでの歴史において、源氏の中で…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 204/272

    奥州藤原氏が苦境にあることの知らせが京都に届き、間もなく奥州藤原氏が滅びそうであることは朝廷でも把握できていた。厳密に言えば、源頼朝からもたらされた書状によ…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 203/272

    奥州遠征完了を宣言した鎌倉方の軍勢は、文治五(一一八九)年九月一九日に厨川を出発し、全軍で鎌倉へ向かって凱旋しはじめた。 途中、平泉で論功行賞を行い、この遠…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 202/272

    さらに注目したいのが、どの史料を探してもこの兄弟、さらにその息子達が記録に登場するのがこのタイミングだということである。考えられるのは、藤原泰衡が平泉を焼き…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 201/272

    厨川で一晩を過ごした翌文治五(一一八九)年九月一三日、源頼朝は厨川で一つの指令を出した。 この戦乱で損害を被った東北地方の全ての一般庶民に対し、安全の保証と…

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  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 200/272

    どんな国でも侵略を受け入れることはしない。侵略されても降伏すればいいじゃないかという主張をする人もいるが、侵略されたときに待っているのは、通常であれば略奪、…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 199/272

    源頼朝という人は情報の重要性に関係なく情報そのものを定期的に収集し、同時に発信してきていた人である。それはこのときの奥州遠征でも例外ではない。二階堂行政に書…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 198/272

    文治五(一一八九)年九月八日、源頼朝は書状を安達清恒に託して京都へ戦況を報告させた。なお、このときの書状は源頼朝の直筆ではなく、主計允二階堂行政が代筆して権…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 197/272

    さて、藤原泰衡の首を河田次郎が持参したことについて別の視点からアプローチをした研究者がいる。岩手県立平泉世界遺産ガイダンスセンターの羽柴直人博士である。羽柴…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 196/272

    北陸道軍の立場に立つと、長い行軍を経た上で味方と再会できるかどうかわらかないという行軍より、何月何日に比爪で大手軍と合流できるということが事前にわかっている…

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  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 195/272

    文治五(一一八九)年九月四日、源頼朝らは奥六郡のうちの一つである紫波郡に到着した。目的地である厨川までは一日もあれば到着できる地点である。 紫波郡は奥六郡の…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 194/272

    このときの奥州遠征そのものは関東の武士達の間にとって栄光の歴史の再現という側面もあった。関東地方の武士達が思い浮かべる武士の歴史となると、平将門でも、平忠常…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 193/272

    見つけ出された奥州藤原氏の関係者の心情を支配していたのは失望である。藤原泰衡が源義経を殺害したこと、藤原泰衡の弟達の命を奪ったことは、納得できるものではなか…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 192/272

    平泉に到着した鎌倉方の軍勢は、想像していなかった、それも悪い方向に進んでしまっていた平泉を目の当たりにした。 平泉にあった藤原泰衡の邸宅にして、奥州藤原氏が…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 191/272

    文治五(一一八九)年八月二〇日、鎌倉方の軍勢が多賀城を出発して平泉に向けて出発した。ただし、平泉に直行するのではなく平泉に至るまでの途中の陣地を攻略しながら…

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  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 190/272

    鎌倉方の奥州遠征は、源頼朝の率いる大手軍と太平洋岸を進軍してきた東海道軍の他に、日本海岸を行軍する北陸道軍がある。現代の日本で関東地方から新潟県に行くのは、…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 189/272

    文治五(一一八九)年八月一二日に出発した鎌倉方の一行は、八月一三日に多賀城に到着した。多賀城は陸奥国の国府のある地であり、行政上の陸奥国の中心地である。同日…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 188/272

    さらに平泉側によって不都合な事態となっていたのがこの日の天候である。朝から霧が出ていたのだ。視界が悪くなり鎌倉方がどのような規模でどのような攻撃を仕掛けてく…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 187/272

    文治五(一一八九)年八月八日の早朝と同時に鎌倉方の軍勢が目のしたのは、厚樫山の前に金剛別当秀綱が軍勢を強いている光景であった。 鎌倉方の軍勢は、畠山重忠、結…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 186/272

    その結果が、厚樫山山麓から阿武隈川までの総延長およそ三キロメートルに亘る長大な防衛線であった。幅一五メートルほどの堀を掘削して阿武隈川の水を引き込んでいた上…

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  • 飢餓(12)

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