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剣の形代(平安時代叢書第十九集)月〜金18時 https://ameblo.jp/tokunagi-reiki/

源頼朝の手にした征夷大将軍の称号は武家のトップの称号ではない。天叢雲剣の新たな形代こそ征夷大将軍という称号であった。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時

<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書

德薙 零己
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緑区
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川口市
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2008/01/03

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  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 185/272

    ニーアル・ファーガソン氏はその著書「大惨事(カタストロフィ)の人類史」(東洋経済新報社・二〇二二年)において、軍事的無能の徴候として以下の傾向を挙げている。…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 184/272

    それでも源頼朝はギリギリまで粘っていた。朝廷が鎌倉方の軍事行動にお墨付きを与えてくれれば、この戦いは私戦ではなく朝廷が認める内乱鎮圧となる。朝廷への譲歩の意…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 183/272

    京都では後鳥羽天皇のもとに摂政九条兼実が娘を入内させるかどうか、入内させるならいつ頃が最善かという議論が繰り広げられていた頃、平泉では絶望が悲劇を生み出して…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 182/272

    藤原泰衡は追い詰められていた。 日本中の視線が奥州平泉に向かっているならまだいい。無視されていたのだ。 このときは奥州平泉に対して源義経を差し出すように命令…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 181/272

    平泉が存亡の危機に直面していた頃、京都では平泉とは対比を為すかのような平穏な話題にあふれていた。 後鳥羽天皇の元服だ。 後鳥羽天皇は文治五(一一八九)年時点…

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  • 飢餓(11)

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  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 180/272

    文治五(一一八九)年三月二二日、奥州藤原氏第四代当主藤原泰衡から、鎌倉の源頼朝を経由して朝廷に届ける請文が届いた。現実はそうでなくとも、朝廷の職制上、源頼朝…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 179/272

    この頃、一つの時代の終わりを告げる知らせが次々と飛び込んできた。 まず、文治五(一一八九)年二月二四日に、平時忠が配流先の能登国で亡くなった。源義経に縋って…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 178/272

    源頼朝が戦闘停止を宣言したのが文治四(一一八八)年二月一三日のこと。それが、一年間の戦闘停止なのか、それとも文治四(一一八八)年末までの戦闘停止なのかは不明…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 177/272

    京都における源頼朝の評判の向上は比叡山にも届いていた。 ここで源頼朝に逆らうことは得策ではない。かといって、比叡山延暦寺の内部に鎌倉方の勢力が深く入り込むこ…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 176/272

    京都でも奥州藤原氏に対する処罰は不可避と考えられるようになってきていた。 源義経を匿っていることは特に問題とならない。それどころか同情の対象である。 しかし…

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  • 飢餓(10)

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  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 175/272

    安倍氏や清原氏と言った面々が支配してきた東北地方の混迷を平穏にし、前九年の役から続いてきた戦乱に終止符を打って平和な日常を作り上げたのが奥州藤原氏である。初…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 174/272

    文治四(一一八八)年の秋を迎えたが、平泉からはこれといったアクションは起こっていない。 奥州藤原氏のもとにいる源義経を差し出すように命じる宣旨が平泉に届いて…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 173/272

    では、源頼朝は自分の娘を本当に後鳥羽天皇のもとに入内させようとしていたのか? 源頼朝の長女である大姫はもともと木曾義仲の息子である源義高と結婚する予定であっ…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 172/272

    文治四(一一八八)年九月一二日、九条兼実が本格的に政務に復帰した。 息子を亡くした父の哀しみは誰もが理解できることであったが、時代はもう、藤原氏という巨大氏…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 171/272

    平和の達成と書くと壮大な理想の実現のように感じるが、実際のところは武力で犯罪を押さえつけることである。犯罪者ではないごく普通の一般人にとっては特に何の問題も…

  • 職務設計 33

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  • 飢餓(9)

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  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 170/272

    源頼朝が殺生禁止を名目に軍事行動を止めたことは平泉の藤原泰衡のもとにも届いている。当然ながら、それで鎌倉との間の軍事衝突は永遠に回避できると考えるわけはない…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 169/272

    政治家としての評価はただ一つ、庶民生活が以前と比べてどれだけ良くなったかだけで決まる。これはどんな時代であってもどんな世界であっても例外はない。 庶民生活の…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 168/272

    そんな最中の文治四(一一八八)年四月一三日、後白河法皇が院御所としていた六条殿が火災に遭った。後白河法皇は一時的に白河押小路を法皇御所とすることとして六条殿…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 167/272

    鎌倉方と後白河法皇との奇妙な絡み合いは、相互の利益を得るための妥協の産物であったと捉えることができる。後白河法皇は鎌倉方に対抗しうる存在として源義経に目を向…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 166/272

    摂政九条兼実不在の間も、朝廷は最低限の政務を取り仕切ることが可能とはなっていた。ただし、それは九条兼実の望んだ形での政務遂行ではなく、従来の後白河院政に鎌倉…

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  • 飢餓(8)

    おじいちゃんといっしょ 徳薙 零己[著] Amazon Kindleインディーズマンガにて無料公開中! S…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 165/272

    本来なら源義経追討の宣旨は摂政九条兼実が主導して発給するところであった。実際、文治四(一一八八)年二月一四日に発給した宣旨については摂政九条兼実が主導してい…

  • 覇者の啓蟄~鎌倉幕府草創前夜~ 164/272

    源義経が奥州平泉にいることは周知の事実になっていたが、京都に住む人の中にはもっと別の場所、具体的には京都にもっと違い場所にいるはずという思いもあったようで、…

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