もしかしたら、この一連の流れは最初から仕組まれていたのかもしれない。 吾妻鏡によると、高僧を招くか否かの検討が行なわれたのは建保二(一二一四)年四月一八日の…
鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
九条兼実はさらに鎌倉方の影響縮小を図る道を選んだ。 鎌倉方における地方統治の要となっている地頭について、朝廷の名で鎌倉に対処を求めたのである。 文治四(一一…
九条兼実は鎌倉方の力を利用して後白河院を牽制しつつ、院政前の時代を取り戻そうとしていた。しかし、全てが鎌倉方の言いなりというわけではなく、九条兼実は源頼朝の…
平泉で藤原秀衡が亡くなってからおよそ半月、畠山重忠の釈放から一ヶ月以上を経た文治三(一一八七)年一一月一五日の夜、鎌倉で騒動が起こった。 畠山重忠に謀叛の疑…
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奥州藤原氏の当主交代があったという知らせが京都に届いたであろう頃、京都では摂政九条兼実の主導する時代の復旧が進んでいた。平家政権も、源平合戦も無かったことで…
能力は問題なくとも血縁に問題のある兄の藤原国衡。 血縁は問題なくとも能力に問題のある弟の藤原泰衡。 この二人のどちらを後継者に指名しても問題が起こることは目…
藤原秀衡死去の様子を、吾妻鏡の文治三(一一八七)年一〇月二九日の記事はあっさりとした記載で済ませている。藤原秀衡が陸奥国平泉で亡くなったこと、そして、既に病…
文治三(一一八七)年一〇月四日、源頼朝は一つの決断をした。畠山重忠の軟禁状態を終了させ、武蔵国の所領へ戻ることを許したのである。ただし、没収した所領について…
鎌倉で畠山重忠がハンガーストライキに突入していた頃、京都では摂政九条兼実が憂鬱に襲われていた。この頃の九条兼実の日記を読むと、自らの思い描いている政務を執り…
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奥州藤原氏に対するさらなる追い風が吹いたのが文治三(一一八七)年九月二七日のことである。この日、畠山重忠の所領四ヶ所が没収となり、千葉常胤の長男である千葉胤…
奥州藤原氏のもとに源義経がいるという話を、藤原秀衡が公的に認めたわけではない。鎌倉では源義経が平泉にいるのは既定路線となっていたが、京都ではまだ源義経が平泉…
京都は治安悪化についての対処を一通り終えた源頼朝のもとに東北地方から不穏な知らせが飛び込んできたのは文治三(一一八七)年九月四日のことである。 源頼朝は源義…
四つと記しておきながら三つしか記していないと思うかもしれないが、四番目はしっかりと存在する。それも、何よりも最優先で対応しなければならないこととして存在して…
結論から言うと、畠山重忠に対する処罰は九月まで引き延ばされた。安田義定のときと違い、畠山重忠の家臣についての実情を調べなければならなかったことに加え、他の問…
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鎌倉武士のやらかしの第二弾の記録として他に残っているのは、文治三(一一八七)年六月二九日の出来事である。 このときに責任を追及されたのは、畠山重忠。ただし、…
もっとも、鎌倉側のほうにも京都から見下されるに値する理由がある。源平合戦の勝者となった鎌倉の御家人達がやらかしていたのである。 文治三(一一八七)年五月二六…
この里内裏である閑院の復旧工事を、源頼朝が資材を投入し、人員も用意して再建すると発表したのだ。源頼朝は既に東大寺再建工事について木材を提供すると公表しており…
ここまではいいのだが、政権にかかわる人物が九条兼実の政策に同意するかどうかではなく、後白河法皇にとりいって役職と位階を求めることを優先させる人物だらけである…
だからこそ、歴代の摂政や関白、そして院は、自らの意見の代弁者となり人物を、最低でも議政官の過半数を占めることができるだけの規模で用意している。これを貴族の立…
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京都では、摂政九条兼実が主軸となった政治の立て直しが進みつつあった。源頼朝の推薦した一〇名の貴族を中心に、それまでの後白河院政から、藤原道長の時代を理想型と…
まず中原基兼についてであるが、この人が奥州藤原氏のもとにいたのは、鹿ヶ谷の陰謀の際に平清盛によって陸奥国への配流となったことが理由である。しかし、源平合戦に…
平泉に源義経がいることを奥州藤原氏は隠しきれなくなっているものの、あくまでも公的には認めていない。鎌倉にしても、平泉に源義経がいることを把握していながらも、…
以下、吾妻鏡に記している面会の様子である。尋問ではなく源頼朝と聖弘との一対一の会談の様子である。 まずは源頼朝。 「源義経は日本を破滅させようとしているテロ…
藤原秀衡が公的に認めているわけではないが、奥州藤原氏の根拠地である平泉に源義経がいるらしいことは確実である。 ならば平泉まで誰かを派遣して源義経を連れ戻せば…
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もしかしたら、この一連の流れは最初から仕組まれていたのかもしれない。 吾妻鏡によると、高僧を招くか否かの検討が行なわれたのは建保二(一二一四)年四月一八日の…
前年の和田合戦の影響で大倉御所が焼け落ちたために再建したこと、再建の後、一時避難していた中原広元の邸宅から戻る際の行列がまさに京都の貴族を思わせる壮麗さであ…
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鎌倉新仏教の開祖のうち、浄土宗を開いた法然は弾圧を受けたのに対し、臨済宗を開いた栄西は鎌倉幕府の庇護を受けたことは既に記した。 栄西といえば南宋に留学して禅…
本作ではこれまで何度か藤原定家を取り上げている。ただし、古典の教科書に登場する著名な歌人としての藤原定家ではなく、同時代を生きた貴族としての藤原定家である。…
時代は鎌倉幕府の時代となっている。 しかし、三〇年も遡れば時代はまだ平家の時代であり、この時代の人達にとっての源平合戦はついこの前のことである。源平合戦で実…
鎌倉幕府の情報網は想定以上に広がっていることを痛感したのは後鳥羽上皇や朝廷だけではない。京都における鎌倉幕府の勢力衰退を考えていた寺社勢力もまた、鎌倉幕府は…
この仕組みが存在していたところで鎌倉幕府が誕生し、国家財政が乏しい状態のまま、荘園領主や知行国主がかつての豊かさを失って、鎌倉幕府が豊かになっていったという…
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和田合戦は鎌倉で発生した事件であるが日本中を震撼させた事件でもある。 特に、源実朝が後鳥羽上皇に対し、鎌倉幕府として院や朝廷に背く意思がないと示さなければな…
そんなタイミングでやってきた名を残す絶好のチャンスである。 長沼宗政はいったん自宅に戻って支度をする時間も惜しいと、大倉御所から直接下野国へ向かったのである…
ただ、源実朝とその周辺の御家人達からなる豪奢な構図は、同じ鎌倉幕府の御家人であっても、源実朝に親しい一部の御家人と、そうでない大部分の御家人という格差を生み…
建暦三(一二一三)年八月二〇日、大倉御所の再建が完了し、源実朝が大倉御所へと戻ることとなった。吾妻鏡によると牛車を引く牛は用意できたものの肝心の牛車が用意で…
バリケードが築かれたならば、そのまま攻撃しようものなら簡単に打ち負かされてしまうことぐらいわかる。攻撃するならば状況を分析した上で計画的に行動しなければなら…
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鎌倉でクーデタが起こったという知らせは鎌倉でも唐突なニュースであったが、京都ではさらに衝撃的なニュースであった。 なぜか? これはクーデタというものの宿命で…
和田合戦の後始末は戦乱から二ヶ月を経ても完了していない。 完了していないのは当然で、反逆軍に加勢した者の中には戦場で討ち取られた者だけでなく、戦場からの脱出…
後鳥羽上皇の怒りを伝える六波羅からの書状が鎌倉に届いたのが七月二七日のことである。この知らせを受けた源頼家は佐々木経高の守護職を三ヶ国全てで罷免し、領地没収…
正治二(一二〇〇)年七月九日、京都で騒動が起こった。 佐々木兄弟の次男である佐々木経高が、淡路、阿波、土佐の三ヶ国の軍隊を京都に集めたことが後鳥羽上皇の怒り…
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宋銭を利用して比叡山延暦寺に対して圧力をかけることに成功した後鳥羽上皇は、和歌の世界への傾倒をさらに深めていった。史料の出典が藤原定家の日記なので和歌に関す…
後鳥羽上皇の正妻は、後鳥羽上皇の元から離れて暮らしている中宮任子、すなわち、九条兼実の娘である。 ただし、後鳥羽上皇は人生でただ一人の女性しか愛さなかったわ…
宋銭利用禁止は九条兼実が承諾した経済政策であり、九条兼実が失脚した後も継続する必要はない。しかし、後鳥羽院政が成立しても宋銭禁止は有効のままであり続けており…
源頼家の政治判断で最悪なものとして著名な出来事が起きたとされているのが、正治二(一二〇〇)年五月二八日の裁決である。所領をめぐる争いにおいて、係争中の地図の…
ただ、忘れてはならないのは、この出来事が吾妻鏡の記事であるという点である。吾妻鏡は鎌倉幕府の正式な歴史書である一方、編纂時の権力者である北条家を称揚するため…
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一三人の合議制が早々に九名へと減ったこと、そして人員の入れ替えをしていないこと、すなわち、永続的な組織体ではなく一時凌ぎ牽制の末の妥協でしかないことは、一三…
一三人の合議制のうち既に二名が命を落としており、かつ、誰かが後を埋めたわけではないので最大で一一名ということになる、はずであった。 この人数がさらに減る出来…
また、朝廷からの視点で捉えると、正治二(一二〇〇)年四月一日の人事は複数の意味が重なったものであることが読み取れる。 鎌倉では北条時政の国司就任が話題になっ…
しかし、正治二(一二〇〇)年四月一日の発表は今後の趨勢を大きく変更する内容であった。北条時政が従五位下の位階を獲得した上で遠江守に補任されたのである。北条時…
一三人の合議制が誕生した鎌倉幕府であるが、まず梶原景時が命を落とし、次いで三浦義澄もこの世の人ではなくなっていた。 一三人の合議制は明瞭な政治機構ではなく、…
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式子内親王は、現存する和歌こそ少ないものの歌人としても有名であり、藤原定家との関係も深いものがあったことがわかる。治承五(一一八一)年には既に式子内親王のも…
梶原景時が粛正されたという知らせを受けたとき、後鳥羽上皇が護摩炊祈祷を執り行ったという記録がある。これを以て梶原景時が後鳥羽上皇とつながりがあった、あるいは…