建久一〇(一一九九)年二月一四日、源隆保に対する噂が一つの結末を生み出した。この日、後藤基清、中原政経、小野義成の三名の武士が六波羅在中の鎌倉幕府の雑色に捕…
源頼朝の手にした征夷大将軍の称号は武家のトップの称号ではない。天叢雲剣の新たな形代こそ征夷大将軍という称号であった。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時
<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書
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さらに源義経には奥州藤原氏が欲していたもう一つの弱点である軍勢指揮能力が存在する。源義経は軍勢を率いて平泉に戻ってきたのではなく、単身とまでは言えないにして…
トップですら従五位上という特筆することのない位階である奥州藤原氏は、いかに財力を有していても朝廷とまともな交渉をすることもできないのが現状なのだ。位階を得て…
奥州藤原氏にとっての源義経は貴重な切り札であった。承安四(一一七四)年に鞍馬寺を出て新天地を求めた源義経を奥州藤原氏が受け入れたのも、源義経が源義朝の実子で…
先に、源平合戦は奥州藤原氏にとって勢力拡張のチャンスであったと記した。そして、関東地方はともかく日本海沿岸に沿って軍勢を進めるチャンスがあったと記した。ただ…
日本国内に目を向けると、奥州藤原氏が無視できない存在として目に入る。 奥州藤原氏の本拠地である平泉は日本海より太平洋のほうが近い土地であるが、奥州藤原氏自身…
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源平合戦期の日本は奇跡が二つ起こっている。 一つは国外からの侵略を受けなかったこと。 そしてもう一つが、奥州藤原氏が特筆すべき動きを見せなかったことである。…
後鳥羽天皇の教育をきっかけとして自身の栄達を成し遂げようとする貴族達がいる一方、既に権勢の側に加わっている貴族達は政務を遂行しつつあった。 その中心となって…
源義経の在処が奥州平泉であることが判明しつつある頃、京都では一つの騒動が起こっていた。騒動の中心は例によって例の如く後白河法皇である。 後白河法皇の寵愛する…
文治三(一一八七)年二月一〇日、鎌倉に衝撃的な情報が届いた。 源義経の消息が判明したというのだ。なお、この時点では未確認情報であり、断言とはなっていない。 …
年が明けた文治三(一一八七)年一月、未だ源義経の消息は把握できずにいる。しかし、源義経の逃げ道は、一つ、また一つと封鎖されていた。源義経を捉えよとの院宣が発…
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結果はどうあれ、少なくとも京都の貴族達の間では、源義経に対して公然と協力するという光景が消失した。ただし、既に一年以上にも亘って動静が不明となっている源義経…
京都で起こっていたのは、位階は持っていても役職は持っていない、すなわち公的には権力を持たないはずの源頼朝に対する忖度であった。源頼朝に率先して従うことが自分…
北条時政に代わるために一条能保が京都に送り込まれたのち、一条能保が京都で調査をし、一条能保がまとめた調査結果を鎌倉に送り、鎌倉の源頼朝から京都の一条能保へと…
京都とその周辺とで文字通りの一触即発の事態へと発展していた一方、鎌倉でも一触即発の事態になりつつあった。もっとも、鎌倉における一触即発とは比喩的な意味である…
政治家としての源頼朝は、有能ではあっても冷酷である。そして、支持率となると、特に農村部で高いものがあったとするしかない。源義経を捕縛しようとしているために都…
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文治二(一一八六)年閏七月、吾妻鏡の記述に従えば静御前に生ませたばかりの我が子が殺された頃、源義経は南都、すなわち奈良にいたという。また、南都においても多く…
自分の名が改名させられたことを同時点で知らなかったと推測される源義経であるが、自分に関係する悲劇についてもやはり同時点では知らなかった可能性が高い。 その悲…
源頼朝は、前年に獲得した権力とアイデアが白紙になったのに、藤原摂関家の勢力が弱まったのに、院政に対する牽制が成功してしまったことを知って苦笑した。 ただ、中…
源頼朝はこの空気感の漂っている京都に一人の人物を送り込むことに成功した。文治二(一一八六)年七月一二日、中原広元、上洛。このときは公文所のトップとして鎌倉方…
源義経を捜索するためとして各地に守護と地頭を設置する権利を得たと吾妻鏡が記しているのは文治元(一一八五)年一一月二八日のことである。それでいて、源義経の捜索…
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源頼朝の突然死の知らせが京都を混迷に招いたことは既に記した通りである。それは二月になってある程度鎮静化してきたものの平穏が取り戻せたというレベルにはほど遠い…
鎌倉幕府は源頼朝という上流貴族が鎌倉に滞在し、その上流貴族の周囲に多くの御家人が集まって形作られている組織として誕生している。 そのトップにある人間が、権大…
建久一〇(一一九九)年一月の源頼朝の死の知らせは京都を混迷に陥らせたらしく、特に土御門通親への反発は強かったようで土御門通親は二二日に後鳥羽院のもとに避難せ…
どういうことか? 忘れてはならないのは、前年の後鳥羽天皇から土御門天皇への譲位である。 土御門天皇は三種の神器が揃わない状態で即位した。ただし、公式見解とし…
源頼朝の後継者は源頼家と決まっている。ただし、それは源頼朝が五三歳という若さでこの世から退場することを前提になどしていない。 源頼朝亡き後の鎌倉幕府をどのよ…
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鎌倉幕府の御家人の一人である稲毛重成は、北条政子の亡き妹を妻としていたことから源頼朝とは義兄弟の関係にあたる。その稲毛重成が、亡き妻を供養するために相模川に…
鎌倉幕府の圧力が利いて興福寺の強訴が鎮静化した。 この事実は朝廷に、そして後鳥羽院政に対する一つの現実を突きつけることとなった。 鎌倉幕府の武力はどうあって…
後鳥羽院政に武力無し。 この知らせが広まっただけでも、およそ五〇年間、はじめは平家の武力の前に、その後は鎌倉方の武力の前に沈黙させられていた寺社勢力の武装デ…
熊野御幸から戻ってきた後鳥羽上皇は、今なお宗教問題が片付いていないことを知ることとなった。 話は同年六月に発生した遠江国の赤土荘の騒動まで遡る。赤土荘はもと…
後鳥羽上皇は、自らの院政が成功のもとでスタートしたことを周囲にアピールした後に従来の院政の継承をした。 藤原定家の日記には後鳥羽上皇が連日連夜、ときには蹴鞠…
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上皇となり院政を始めるメリットは多々ある。責任からの回避や政治的自由も無視できないメリットであるが、忘れることのできないメリットとして資産がある。天皇は皇室…
さて、建久九(一一九八)年二月二〇日に土御門天皇の即位の儀のために、父である後鳥羽上皇も、内裏の中に入れないにしても大内裏には行こうとしていたこと、そして、…
忘れてはならないのは鎌倉幕府の存在である。源頼朝が遠く離れた相模国鎌倉にいながら、その距離を感じさせないレベルで京都内外の情報を収集していたことは後鳥羽上皇…
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奥州藤原氏に対するさらなる追い風が吹いたのが文治三(一一八七)年九月二七日のことである。この日、畠山重忠の所領四ヶ所が没収となり、千葉常胤の長男である千葉胤…
奥州藤原氏のもとに源義経がいるという話を、藤原秀衡が公的に認めたわけではない。鎌倉では源義経が平泉にいるのは既定路線となっていたが、京都ではまだ源義経が平泉…
京都は治安悪化についての対処を一通り終えた源頼朝のもとに東北地方から不穏な知らせが飛び込んできたのは文治三(一一八七)年九月四日のことである。 源頼朝は源義…
四つと記しておきながら三つしか記していないと思うかもしれないが、四番目はしっかりと存在する。それも、何よりも最優先で対応しなければならないこととして存在して…
結論から言うと、畠山重忠に対する処罰は九月まで引き延ばされた。安田義定のときと違い、畠山重忠の家臣についての実情を調べなければならなかったことに加え、他の問…
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鎌倉武士のやらかしの第二弾の記録として他に残っているのは、文治三(一一八七)年六月二九日の出来事である。 このときに責任を追及されたのは、畠山重忠。ただし、…
もっとも、鎌倉側のほうにも京都から見下されるに値する理由がある。源平合戦の勝者となった鎌倉の御家人達がやらかしていたのである。 文治三(一一八七)年五月二六…
この里内裏である閑院の復旧工事を、源頼朝が資材を投入し、人員も用意して再建すると発表したのだ。源頼朝は既に東大寺再建工事について木材を提供すると公表しており…
ここまではいいのだが、政権にかかわる人物が九条兼実の政策に同意するかどうかではなく、後白河法皇にとりいって役職と位階を求めることを優先させる人物だらけである…
だからこそ、歴代の摂政や関白、そして院は、自らの意見の代弁者となり人物を、最低でも議政官の過半数を占めることができるだけの規模で用意している。これを貴族の立…
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京都では、摂政九条兼実が主軸となった政治の立て直しが進みつつあった。源頼朝の推薦した一〇名の貴族を中心に、それまでの後白河院政から、藤原道長の時代を理想型と…
まず中原基兼についてであるが、この人が奥州藤原氏のもとにいたのは、鹿ヶ谷の陰謀の際に平清盛によって陸奥国への配流となったことが理由である。しかし、源平合戦に…
平泉に源義経がいることを奥州藤原氏は隠しきれなくなっているものの、あくまでも公的には認めていない。鎌倉にしても、平泉に源義経がいることを把握していながらも、…
以下、吾妻鏡に記している面会の様子である。尋問ではなく源頼朝と聖弘との一対一の会談の様子である。 まずは源頼朝。 「源義経は日本を破滅させようとしているテロ…