本日のエッセイは、2025.06.07付朝日新聞「耕論『頑張ると言う前に』」より社会学者大川清丈氏による「能力平等観報われぬ社会」から題材を得よう。それでは早速、当該記事を以下に要約引用しよう。「頑張る」との辞書的な意味は、忍耐と努力の要素がある。ここに誰でもやればできるという「能力平等観」が関係している。生まれつきの能力はあまり違わないという見方だ。差があっても後から挽回でき、結果は「頑張り」次第、となる。(中略)平等も、「頑張り」を生む一つの条件になる。不平等だとあまり頑張る気がしないが、平等だと頑張る気になる。(中略)そんな「頑張り」は高度成長期に浸透していく。会社のために頑張ればそれだけ年収が増える時代だった。その流れが変わったのはバブル期だろう。濡れ手にあわのようにかね儲けができると、まじめに働...私は「頑張る!」タイプの人間かもしれないが、それを周囲に「認めろ」と言ったことは無い