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お話 https://blog.goo.ne.jp/shin-nobukami

日々思いついた「お話」を思いついたままに書く

或る時はファンタジー、或る時はSF、又或る時は探偵もの・・・などと色々なジャンルに挑戦して参りたいと思っています。中途参入者では御座いますが、どうか、末永くお付き合いくださいますように、隅から隅まで、ず、ず、ずぃ〜っと、御願い、奉りまする!

伸神 紳
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2007/11/10

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  • 怪談 雨の里

    1まあ、今日も晩飯までご厄介になったんで、お返しと言うのではないけんど、思い出した話があってさ、聞いてくれるかね……そうかい、聞いてくれるかい。じゃ、話させてもらうかね……前の年のことなんだけんど、ま、見ての通りわたしゃ行商でね、ここからだいぶ遠く……そうさなあ、山五つくらい隔てておるかなあ……そんな所を歩いていたんだ。そんな辺鄙な所だけんど、わたしにとっちゃ馴染みの場所でさ、わたしを待ってくれてるお馴染みさんも少なくない。でもそん時に、ちょっと欲を出して、新しいお客でも作ってみるべえって気になってね、今まで通ったことのない道を行くことにしたんさ。初めての道だったから、思うようには進まれん。熊でも出た日にゃ、お陀仏だからな。……え、そんなひどい道だったのかってかい。……そうなんだよ。いつも通い慣れてる道が...怪談雨の里

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 148

    「はい、はい、はい」ドアチャイムに返事をしながらコーイチは立ち上がった。ドアに向かった。鍵を開け、ドアを押し開いた。立っていたのは逸子だった。昨夜と打って変わって、ジーンズに白のTシャツと言った普段着姿だった。心配そうにしていた表情が、ドアの所に現れたコーイチの顔を見たとたん、ほっとした表情になり、ついには涙ぐんでしまった。「コーイチさん……よかった。なんともないんですね……」皮製のショルダーバッグから白いハンカチを取り出すと、目頭をすっとぬぐった。笑顔が戻る。「すっかり酔いつぶれていたので、とっても心配してました。それで、父にコーイチさんのアパートの住所を聞いて、押しかけちゃいました……」「そう、それは、ありがとう……」コーイチは照れくさそうな顔で礼を言った。「自分でも驚くくらい元気になったんだ。もう心...コーイチ物語「秘密のノート」148

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 149

    コーイチが奥へ行くと、三人は豪華な椅子に腰掛けて風格のある丸テーブルを囲み、優雅な香りを立てた紅茶を風情あるティーカップで嗜みながら、談笑をしていた。「あ、来た来た」シャンが言うと、丸テーブルを囲む椅子が一脚と淹れたての紅茶の入ったティーカップが一つ増えた。「コーイチ君、さ、どうぞ」「え?あ……どうも……」コーイチは言われるままに席に着き、ティーカップに手を伸ばした。それから、はっと気付いたように立ち上がった。「ちょっと待った!このテーブルと椅子と紅茶は……」「そう……」シャンが右の人差し指をピンと立てて振ってみせた。「だって、コーイチ君のお部屋、どこに何があるか分からないし、こっちの方が手っ取り早いし……ね?」「ね?って言われても……」コーイチが文句を言うと、くすくすと逸子が笑い始めた。「良いじゃないで...コーイチ物語「秘密のノート」149

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 FINAL

    あの日からコーイチの周りでは色々な事が起こった。あの日……吉田部長と西川課長の昇進を祝った金曜日の林谷主催のパーティの席で悪酔いをし、途中で帰宅を余儀なくされ(どうやって帰ってきたのかは覚えていないが)、散々寝たらしく、気が付いたら中一日空いていて夜になっていた日曜日。まずは、印旛沼の娘の逸子が、ジーンズに白のTシャツと言った普段着姿で、コーイチの傍らで眠っていた事だ。驚いて起こし、事情を聞くと、コーイチの体調を心配した逸子は、土曜の朝にコーイチのアパート(住所は父の印旛沼から聞いたそうだ)に看病をしに来てくれた。ところが、「ドアを開けてくれたコーイチさんの大丈夫そうな顔を見たらほっとして、急に緊張が解けて、いつの間にか眠ってしまったの」と、逸子はすっかり回復したコーイチの姿にうれし泣きをしながら言った。...コーイチ物語「秘密のノート」FINAL

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 143

    「どうするのよ、どうしたらいいのよ!」シャンが倒れたコーイチを指差しながらブロウに向かって叫んだ。「どうするって言われても……」ブロウはコーイチを見ながらつぶやいた。「どうしましょ?」二人はそれぞれ腕組みをし、頭を左右にひねりながら考え込んでいた。「ドリンクの影響って、ぱっと消せないかしらねぇ……」シャンがブロウに言った。ブロウは頭をゆっくりと左右に振った。「……お姉様、魔女の世界のものには魔力は効かないわ。魔女の世界の常識よ。忘れたの?」シャンがむっとした顔をした。「そうだ!お姉様、魔力の代わりに別のドリンクでそんな効き目のあるものってないかしら」ブロウがシャンに言った。シャンは頭をゆっくりと左右に振った。「ブロウ、あなた、またドリンクをコーイチ君に飲ませちゃう気なの?今度はどうなっちゃうか、あなた、責...コーイチ物語「秘密のノート」143

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 144

    「ちょっと、ブロウ、あなた、何やってんのよ!」驚いて近寄るシャンを、ブロウは唇をコーイチに重ねたまま手で制した。シャンは止まって、ブロウの様子を見ていた。ブロウは唇を少しずつ離し、上体を起こし始めた。ブロウの唇とコーイチの唇との間を薄紅色の細い糸のような光が結んでいた。ブロウはゆっくりゆっくり上体を起こす。光が途切れそうになると、起こすのを止め、光が強まるのを待ち、強まるとまた上体を起こす。ブロウが上体を起こし終えると、光はすうっと消えた。「ふう、やれやれ……」ブロウは溜息を付きながら、額に浮かんだ汗をどこからか取り出した絹のハンカチでぬぐい、笑顔になった。「これで少しはいいかな?」「あなた、何をしたの?」シャンが改めて言った。「いくらコーイチ君が好きだからって、動けないのを良い事に、キ……キスしちゃうな...コーイチ物語「秘密のノート」144

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 145

    「あら、イヤだ!」「まあ、どうしましょ!」シャンとブロウは最後に書かれた岡島の名前を見て悲鳴を上げた。「コーイチ君!この人の名前はイヤだって言ったじゃない!」ブロウは言ったが、コーイチはすでに床の上で大の字になって、全身から湯気を立てていた。顔には大きな仕事をやり終えた後に浮かべる満足そうな笑みが湛えられていた。「仕方ないわねぇ……」シャンは腕組みをして溜息をついた。「取り合えず、何色になるか見ておきましょう」二人はスミ子を覗き込んだ。岡島の名前は紫色に縁取られた。ブロウはそれを見て驚いた顔になった。「ねぇ、ブロウ。この色の意味って何?」「紫……」ブロウがつぶやいた。「この色は『世界的著名人の色』よ……」「じゃあ、あの人、有名人になっちゃうのぉ!」シャンが思い切りイヤそうな顔をした。「スミ子に文句言って、...コーイチ物語「秘密のノート」145

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 146

    「さあ、スミ子、分かってるわね……」ブロウが言いながら、スミ子を座卓の上に置いた。コーイチの名前が書かれた最後のページが開かれていた。「始めなさいよ、スミ子」シャンも言って、スミ子を覗き込む。二人の魔女の厳しい眼差しにさらされたスミ子は、心無しかガタガタと震えているようだ。「どうしたの?大人しく言っているうちに、早くなさいな……」ブロウが静かに言った。「わたし、思っているよりも気が短いのよぉ……」「そうよ、スミ子」シャンも深刻そうな顔で言った。「ブロウを怒らせて、姿を見せなくなったって話は、ペットノートに限らず、魔女の中にもあるのよぉ……」スミ子の震えが大きくなった。ブロウは右の手の平でバンと大きな音を立てて座卓を叩いた。こわい顔でスミ子を見下ろす。スミ子の震えがピタリと止まった。「もう十分すぎるくらいに...コーイチ物語「秘密のノート」146

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 147

    「さあ、始まるわ!」ブロウが言って、床のコーイチを見た。コーイチはぱっちりと両目を開けると、上半身をむっくりと起き上がらせた。シャンとブロウに目を留めるとにっこりと笑顔を見せた。二人も可愛らしい笑顔で応えた。コーイチは満足そうに大きく伸びをした。「さすがに金色ね」シャンが魔女だけに通じる言葉でブロウにささやいた。「さっきまで湯気出して倒れていたとは思えない回復ぶりね」「純金色だったでしょ?」ブロウも魔女の言葉でささやいた。「最高のラッキーカラーよ。無意識、無自覚でも全てが良い方へと転がって行くのよ」「だから、知らぬ間にすっかり回復ってわけね……」二人はコーイチが立ち上がったのを見て話を止めた。「ああ……」コーイチは二人を交互に見ながら声を出した。「色々と二人には迷惑をかけたみたいだね。……ところで、ボクは...コーイチ物語「秘密のノート」147

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 135

    コーイチは座卓に向かい、開かれているスミ子をきっちりと左手で押さえ、ブロウからもらった金色のペンを右手でしっかりと握り、ゆっくりとペン先を近付けた。シャンとブロウも息を凝らして、じっとペン先を見つめていた。そのペン先があと少しと言う所で止まった。二人の魔女は驚いた顔でコーイチを見た。コーイチは困ったような顔を二人に向けた。「あのさ……」コーイチはためらいがちに言った。「……名前を書くように言ってくれたけど、誰の名前を書けば良いのかな?」姉妹は顔を見合わせ、大きなため息をついた。「あのね」シャンが諭すように言った。「名前なんて、誰のでも良いのよ」「そうそう」ブロウもうなずきながら言った。「誰のでも良いのよ」「じゃあ……」コーイチは腕を組んで考え込んだ。「……岡島の名前でも良いのかなぁ?」「ダメ!」「やめて!...コーイチ物語「秘密のノート」135

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 136

    名簿を開く。社長の名前を筆頭に役員たちの名前がずらずらと載っている。コーイチは名簿をを閉じた。「どうしたの?」ブロウが不思議そうな顔でコーイチを見た。「なんて言うのかなあ……あまり知らない人の名前を勝手に使って良いのかなと、ふと思っちゃってさ……」コーイチはブロウの困った顔を向けて答えた。「……」ブロウ無言のままコーイチの右手を握った。痛みは無かった。優しく握られていた。ブロウの目がきらきらと輝いている。「素敵よ、コーイチ君……何て思いやりの深い人なのかしら!私、心から感激しちゃった……」「そ、そうかい?」コーイチは、瞳を潤ませているブロウを見ながら、戸惑い気味に言った。「そんなふうに言われると、なんだか照れちゃうな……」「はいはい!」シャンがパンパンと手を叩いて入って来た。「二人で甘い世界に浸るのは良い...コーイチ物語「秘密のノート」136

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 137

    再びスミ子を左手で押さえ、ペン先を近付けた。ペン先がノートの表面に触れた。「今よ!一気に書き切るのよ!」シャンが気合の入った声をかけた。「コーイチ君なら、出来るわ!」ブロウも声をかける。二人の声に促されて、コーイチは、しっかりくっきりていねいに書き進めた。書いている間中、二人の魔女は息を詰め、コーイチが動かすペン先を見つめていた。『名護瀬富也』と書き終えると、シャンとブロウは歓声を上げた。コーイチは額に大粒の汗が浮かべ、肩を上下させてはあはあと荒々しい息を繰り返していた。「名護瀬、名護瀬……」コーイチは不意に後悔の念に襲われた。「『後悔役に立たず』……まさにそうだ……すまない、許してくれ……」「何を言ってるのよ、コーイチ君」シャンが明るい声で言った。「またそんな心配をしてるの?」「そうよ、さっきも言ったじ...コーイチ物語「秘密のノート」137

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 138

    コーイチはそろりそろりとスミ子に向かって手を伸ばした。スミ子は鼻ちょうちんをふくらましたりしぼめたりを繰り返し始めた。……こりゃあ、熟睡中だぞ。弱ったなあ、こんな状態で起こしたら、指を挟まれるだけじゃすまないぞ……「あのさ……」コーイチはゴクリと喉を鳴らしてブロウを見た。「スミ子、熟睡中なんだけど、起こしたら危険だよね?」「そうね、危険ね」シャンが楽しそうに言った。「でもね、コーイチ君も危険な状態よ」……そうだった!すっかり忘れていた!コーイチは思わず目覚まし時計を見た。「もう何時間か経過しちゃったわよぉ」シャンが言って、コーイチにぐいっと顔を寄せ、小声でささやいた。「スミ子に手間取っている場合じゃないわ……ちゃっちゃっと片付けましょうよ……」「あ、ああ、そうだね……」コーイチはシャンを見つめながらうなず...コーイチ物語「秘密のノート」138

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 139

    コーイチは目をつぶった。脳裏には、スミ子にすっぽりと頭全体を呑み込まれ、その下がコーイチのからだになっている、なんとも情けない姿が浮かんでいた。しかし、そうはならなかった。飛びかかって来たスミ子をブロウが空中でつかみ、引きずるようにして座卓の上に叩き付けたからだ。座卓の上でもがくスミ子を、ブロウはこわい顔でにらみつけながら、押さえ付けている。一見、自然に閉じてしまうノートを開いたままにしておくために軽く押さえているようだ。……魔女は基本的に力持ちだから、きっと物凄い力が加わっているんだろうな。コーイチはスミ子にちょっとだけ同情した。やがて、スミ子の抵抗が治まった。それを見届けたブロウは、コーイチに笑顔を向けた。「さ、もう大丈夫よ、コーイチ君」ブロウはコーイチを手招きした。「名護瀬って人の名前、色が変わるわ...コーイチ物語「秘密のノート」139

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 127

    閉まっているドアをすり抜けて入って来た。入って来たのは、赤いふわふわしたブラウスに赤いミニスカートの若い女性だった。長い髪が少し乱れ、ブラウスも少し汚れ、所々裂けていた。どこかから脱け出して来たばかりと言った様子だ。こわい顔をしている。……あっ!これは!コーイチは白いミニチャイナの京子に目を移した。……同じ顔をしている!どう言う事なんだ……?コーイチが考えをまとめようとする前に闘いが始まった。赤いブラウスの京子は右手を左肩より高く振り上げ、手の平を白いミニチャイナの京子に向けるようにして、一気に振り下ろした。手の平からオレンジ色をした衝撃波が発せられた。白い京子は「チッ!」と舌打ちをして横へ飛び退き、同時に空いている左手で強く床を叩いた。「うわわわわ……!」コーイチは思わず叫んだ。白い京子が床を叩いた途端...コーイチ物語「秘密のノート」127

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 128

    スミ子を抱えたコーイチのおどおどした姿が面白かったのか、赤い京子がぷっと吹き出した。白い京子も同様に吹き出す。闘いの緊張感が一気に退いた。「あのね……」赤い京子が優しく言った。「覚えている?携帯電話の事……」言われたコーイチはスミ子の表紙を無意識に撫でながら考え込んでいた。……確か、パーティ会場に入る前に、どこからか湧いて出て来た岡島を完膚無きまでに言い負かした後だ。魔女だって言われて驚いて、現われた理由が落としたスミ子を返して欲しいって事で、そして、不気味な教会の鐘のような音がして……「思い出した!ボクの命を魔女の世界へ導く音だなんて言って、からかったんだ!」「まあ。ひどい事をしたのねぇ」白い京子が呆れたように言った。「人の事を散々に言っておきながら・・・」「うるさいわね!程度が違うわよ!」赤い京子はじ...コーイチ物語「秘密のノート」128

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 129

    白い京子……いや、シャンは、やれやれと言った表情をして見せた。「ま、分かっちゃったんだから、もう仕方ないわね。妹の『ブロウ』の言う通りよ」シャンは赤い京子を指差して言った。「……コーイチ君、ゴメンね。でも、楽しかったでしょ?」「まだ、そんな事言ってるの!」赤い京子……いや、ブロウが言った。「どうせ、私に化けて好き勝手な事して、何かあると責任を全部、私に被せて消えちゃうくせに!」「失礼な娘ねぇ……妹でも言って良い事と悪い事とがあるわよ!」シャンが眉間にしわを寄せた。冷たい顔に厳しさが加わる。「今までがそうじゃない!」ブロウがこわい顔をした。「あのお侍さんの時も、あの軍人さんの時も……」……侍?軍人?「可愛い妹に幸せになってもらいたいから、変な虫が付かない様に気を遣っている姉の心が分かんないの?」「分かるわけ...コーイチ物語「秘密のノート」129

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 130

    「スミ子に名前を書いたってぇ!」ブロウが大きな声を出した。「そうよ、記念にしようと思ってね」シャンが答える。ブロウは心配そうな表情だ。「……何よ、何か問題でもあるのかしら?」「……それで、コーイチ君の名前、何色になったの?」ブロウはシャンの質問には答えずに、そう訊いた。「色?色は赤だったわ」シャンがコーイチの顔を見る。コーイチは何度もうなずく。「ほら、コーイチ君も認めているわ」「赤……、赤……」ブロウは繰り返しながら、心配そうな眼差しをコーイチに向けた。……なんだ、なんだ、赤って、良くないのかぁ?コーイチの心にイヤな風が吹き始めた。「お姉様!」ブロウは突然こわい顔をしてシャンの方に向き直った。「コーイチ君の名前、スミ子のどこに書いてもらったのよ?」「何よ?そんなこわい顔して訊くような事なの?」シャンはむす...コーイチ物語「秘密のノート」130

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 131

    コーイチは呆然として立ち尽くしていた。……『赤』は怒りが最も強い事を示しているの……いるの……いるの……コーイチの頭の中をブロウの声がこだましていた。「ところで、ブロウちゃん」コーイチは不安を打ち消すように、わざとらしいまでに明るい声でブロウに声をかけた。両手に顔を埋めて泣いていたブロウは、コーイチの声にビクッと肩を震わせた。「『赤』になると、どんな事が起こっちゃうんだい?」しばらくそのまま顔を覆っていたブロウは、涙で濡れそぼった顔をゆるゆると上げた。すんすんと鼻を鳴らしながら、うつろな視線をさまよわせていた。視線がコーイチをとらえた。無理矢理作ったコーイチの笑顔を見たブロウは、途端に顔を両手で覆って一層激しく泣き出した。「あの……」コーイチはおろおろした表情をシャンに向けた。「ボクは一体どうしたら良いん...コーイチ物語「秘密のノート」131

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 132

    「そうだ!」ブロウが、ばっと顔を上げた。顔いっぱいに涙の跡が残っているが、その瞳は双方とも明るく輝いていた。「そうよ、そうだわ、そうなのよ!」ブロウは右手をぐっと握り締めて顔の横に持って来て、すっくと立ち上がった。「何とかなるかも知れないわ!コーイチ君!……あれぇ?」ひとりで興奮していたブロウは、ようやくコーイチがおいおい泣いている事に気付いた。そのそばでシャンもしくしくと泣いていた。「ねえ、コーイチ君!お姉様!何で泣いているのよ!泣いているヒマなんてないわ!」自分がわんわん泣いていた事など無かったかのように、ブロウは二人に声をかけた。コーイチがふらふらと顔を上げた。シャンも目を真っ赤にしたままの顔を上げた。「二人とも、何て顔をしているのよ!」ブロウは呆れたと言った表情でコーイチとシャンの顔を見比べていた...コーイチ物語「秘密のノート」132

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 133

    「でもね」ブロウが優しい口調でコーイチに語りかけた。「この人たちとコーイチ君が決定的に違う点があるのよ」頭を両手で抱えオロオロしていたコーイチは動きを止め、ブロウを見た。そして、跳びつくようにして、その両肩をつかみ、激しく揺すぶった。「その違いってのは、どう言うものなんだい?悲しい結末を迎えなくても済むのかい?」「まあまあ、落ち着いて、落ち着いて……」ブロウは笑顔を作りながら肘を曲げ、両肩をつかんでいるコーイチの両手首を軽く握った。「いてててて……」コーイチは顔をしかめた。「あら、ゴメンなさい」ブロウはぺろりと舌を出し、手を離した。……相変わらず力加減が出来ないんだな。赤くなってじんじんしている手首を見ながらコーイチは思った。……でも、可愛いから(年齢は敢えて不問に付して)許しちゃおう。「二人で遊んでいな...コーイチ物語「秘密のノート」133

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 134

    「と言うわけで、はい!」ブロウは、スミ子を賞状を授与する時のような恭しい仕草で、コーイチの前に差し出した。「えっ?は、はあ……」コーイチは、差し出されたスミ子と可愛く微笑んでいるブロウとを交互に見た。「大変名誉なものを頂いたって言う表情じゃないわねぇ……」からかうようにブロウが言った。「いや、そうじゃなくて、今すぐ始めるのかい?」「コーイチ君……」ブロウはやれやれと言うように溜息をついた。「吉田って言う人、課長から部長になるまで、どれくらい掛かったかしら?」「えっと……書いた翌日だった」「そうね、つまり……」「つまり」含み笑いをしながらシャンが割って入って来た。「書いてから、一日で効果が出るって事なのよぉ」「えええっ!」コーイチは驚いて叫んでしまった。「じゃあ、明日になると……」「そうよぉ」シャンが楽しそ...コーイチ物語「秘密のノート」134

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 118

    「そうよ、コーイチ君のアパートの前。電車に乗ったり歩いたりが面倒だから、直接来ちゃいましたぁ」京子は楽しそうに言って、コーイチから手を離した。コーイチは京子の顔を見た。街灯に浮かんだ京子はにっこりと可愛い笑顔だった。……そうか、これでノートを渡したら終わりってわけか。仕方ないよな。そうなる予定だったんだものなぁ。早く返してあげよう……コーイチはため息を付きながら、階段に一歩、重くなりがちな足を掛けようとした。「ちょっと待って!」京子が言って、コーイチのスーツの裾を軽くつかんだ。しかし、元々の力が強いので、足を踏み上げたままの姿勢でコーイチは後ろに引っ張られ、危うく転ぶところを数歩よろけながら何とか踏み留まった。「……危ないなぁ、何の用だい?」コーイチが文句を言いながら、京子の方を見た。京子は目に大粒の涙を...コーイチ物語「秘密のノート」118

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 119

    階段を上り切ると、京子は急に立ち止まりコーイチの方に振り返った。コーイチは危うく京子にぶつかるところだった。「コーイチ君、あの人の部屋って、どこなの?」「南部さん?ええと、一番奥だよ」「そう、一番奥ね……」言い終わると京子は駆け出した。南部の部屋のドアノブに手をかけ、くるりと回して引いた。ドアはギギギッと油の切れたような軋み音を立てて開いた。京子はパンと手を一度叩いた。部屋の照明が点いた。そして、土足のまま室内に入った。……今日は雨は降らなかったし、南部さんの部屋は汚いし、構わないだろう、土足でも……コーイチは京子に従った。ノートは部屋の真ん中にあった。部屋が明るくなったのにも気付かず、ノートの真ん中あたりを少し開いたり閉じたりをゆっくりと繰り返していた。「寝ているようね……」京子は小声で言って、そっと近...コーイチ物語「秘密のノート」119

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 110

    コーイチは左手の皿を見つめた。……これは魔法で出したものだよな。食べても大丈夫だよな。空を飛ばされた魔法は痛くも痒くもなかったけど、食べ物に関してはどうなんだろうなぁ。コーイチの脳裏に、リンゴをかじって深い眠りについてしまったお姫様の話や、お菓子の家を食べてこき使われた兄妹の話などが浮かんでいた。……どっちの話も魔女がらみだ。食べ物と魔女、あまり良い取り合わせじゃないかも知れないぞ。コーイチは京子の方を見た。大勢の人垣に包まれていて、姿は見えなかった。……あんなに人気者になてしまって、すっかり「アイドルの京子ちゃん」だ。そんな中で、魔法とは言え、ボクに気を遣ってくれているんだ。優しい娘だよなあ。……いやいや、あの娘は、ああ見えて、結構いたずら好きなんだよな。泣いた振りであわてさせたり、携帯電話の呼び出し音...コーイチ物語「秘密のノート」110

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 111

    空腹が満たされると、気持ちに余裕が出て来るものだ。コーイチも腹の虫が落ち着くと、場内の様子をゆっくりと眺める気になった。ステージの奥からのんびりとした足取りで歩き出した。若い男の集団が二つ見えた。中心に何があるのかは見えないが、一つは京子、もう一つは逸子だろう。時々、それぞれの集団でカメラのフラッシュが光っている。カメラマンの滑川が二つの集団を行ったり来たりしているようだ。……主な目的は写真よりも、若い男の集団にまぎれる事じゃないのかな。コーイチは、「ちょっとごめんなさい、通してちょうだい」なんて言って、無理矢理通り抜けながら嬉しそうにしている滑川を想像していた。別の所には黒っぽい集団が見えた。……あれは清水さんとその仲間たちだな。それにしても、清水さんの歌は凄かったなぁ。見た目なんかはあの娘以上に魔女だ...コーイチ物語「秘密のノート」111

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 112

    極上の酒と言うものは、酔う事を禁じてでもいるようだ。立て続けにグラスを空にしたコーイチだったが、ちっとも酔った気がしなかった。……まずいぞ。このままでは『酔って前後不覚になりノートが渡せなくなってしまいました作戦』が出来なくなる!右手のグラスには相変わらず満々と湛えられたワインが注がれている。座り込んでいるステージの上に置こうとするが、グラスを持った手は離れない。これでは他の酒を飲もうにも飲めない。コーイチの脳裏に京子が振る右人差し指が思い浮かぶ。……やっぱり魔法は困ったものなんだ。目を閉じ、浮かんでくる京子の笑顔に向けて腹を立てるコーイチだった。「コーイチさん……」ふと呼ぶ声がした。目を開けた。逸子が目の前に立っていた。「あ、いや、……どうも」コーイチはしどろもどろで返事をする。にっこりした逸子がコーイ...コーイチ物語「秘密のノート」112

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 113

    京子は赤いドレスに戻っていた。と、突然、左手の甲を腰に当て、右手でジャンケンのチョキを作り、肘を横に張ったままで手の平側を外に向け、やや左に向けた顔に当て、チョキを作った人差し指と中指の間から右目を覗かせるポーズを取った。「シャーッ!」京子はそのポーズのまま決めゼリフらしき声を発し、笑顔になった。次に、腰をやや引いて、両腕を前に伸ばし、上に向けられた手の平の小指側同士を合わせたまま指を大きく開き、両肩を少しすぼめてあごを引き、上目使いでおねだりっぽい表情のポーズを取った。「シャーッ!」京子はまた決めゼリフよろしく声を発し、笑顔になる。さらに、両手を頭の後ろに回し、ふわふわとした感じにまとめた長い髪を軟らかく挟み、あごを突き出しやや目を細め、腰を右にくねらせ、ぷっくりした形の良い唇を優しく突き出すポーズを取...コーイチ物語「秘密のノート」113

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 114

    口を離そうとした。しかし、離れなかった。手を動かそうとした。しかし、動かなかった。結果として、コーイチはビールの一気飲みをしている格好になった。……魔法だ!さっきの逸子さんとの会話で意地悪をしているんだ。「コーイチさん、大丈夫?」逸子がコーイチに言ったが、コーイチは返事が出来ない。逸子は京子に向かって続けた。「ねえ、京子さん、コーイチさん、平気なのかしら?」「大丈夫よ!コーイチ君、ああ見えて『鉄の肝臓』なのよ」「へえ~、そうなんだ」逸子は興味深そうな顔をコーイチに向けた。大ジョッキの傍らから流したコーイチの視線の先に京子の笑顔があった。優しくコーイチを見守っているような温かい笑顔に見えた。しかし、目は笑っていない。「コーイチ君、少しは思い知ってもらうわよ、んふふふ……」と、京子の目が語っている。やっと大ジ...コーイチ物語「秘密のノート」114

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 115

    「とにかく、こんなに酔ってしまったんじゃ、どうしようもないわねえ」いきり立つ逸子を無視して、座ったままふらふらしているコーイチを見ながら京子は言った。「京子ぉ……(魔法をかけたくせに何を言っているんだ!)」「はいはい、わたしはここに居ますよお~」京子はわざとらしく抱きつくようにしてコーイチのからだを支えた。「まっ!何て事をしているのかしら!」逸子がぽっと顔を赤らめながら文句を言う。「逸子ちゃんもコーイチ君を支えてみる?コーイチ君、意外と……んふふふ」京子は意地悪そうな笑顔を浮かべて、逸子を挑発するように言った。「京子ぉ……(悪ふざけもいい加減にしないと、さすがのボクも怒るぞお!)」「そ、そんな恥ずかしい事、出来ません!」逸子はぷっと頬を膨らませて横を向いた。「あら、純情ねぇ。遠慮なんかしなくて良いのに」「...コーイチ物語「秘密のノート」115

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 116

    「さ、コーイチ君、立ってちょうだい」傍目には、仲良く寄り添い合いながら立ち上がったように見え、仲良く寄り添い合いながらステージの階段を下りて来たように見え、仲良く寄り添い合いながら歩いているように見えた。しかし、実を言えば、コーイチの身体をしっかりと押さえつけた京子に逆らえないだけだった。「おやおや、仲良し二人組みの登場だね」林谷が声をかけて来た。ふらふらしているコーイチを珍しそうに見ている。「大分、ふらついているねぇ。天井近くを飛び回って、飛行機酔いみたいな感じになったのかな?」「いいえ、ビールを飲み過ぎちゃったの」京子がにこにこしながら言った。「本当、自分の限界を知らないんだから、世話が焼けちゃうわ」「ほう、京子さんが介抱役かい。……コーイチ君、良い彼女を持ったねえ」林谷は一人うなずいていた。……違う...コーイチ物語「秘密のノート」116

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 117

    京子がドアを押し開けた。「さ、コーイチ君、行きましょ」京子はコーイチを支えたまま(と言うより押さえつけたまま)ドアからロビーに出た。ロビーには誰もいなかった。「おい、コーイチ!」どこにいたのか、岡島が現われて、コーイチのスーツの裾をつかんだ。京子は足を止め、うんざりした顔で岡島を睨んだ。岡島は京子の視線を無視してコーイチを睨んだ。「何だ、あの不必要なまでに目立ったパフォーマンスは!」岡島の目が血走っていた。「空中を飛んで見せるなんて、下品な手品で客にこびるなんて、見下げ果てたヤツだ!」「京子ぉ……(おいおい、自分はまた棚に上げっぱなしかよ!)」「あら、悪かったわねぇ」京子がこわい顔で言った。「あれは私がやったのよ。コーイチ君は付き合ってくれただけ。あなた、私に文句を言ってる事になるのよ」「それに、なんだ、...コーイチ物語「秘密のノート」117

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 100

    「ボ、ボクですかあ!」コーイチは驚いた顔で社長の指先に向かって叫んだ。「そういう事。You、やっちゃいなよ!」社長が大いにあおる。社長、ほとんど思いつきで決めるからなぁ……「あらまあ、それは楽しみだわ」夫人は目を輝かせてコーイチを見ている。冗談じゃないぞ。ボクは平々凡々な男だ。他の人みたいに何か出来るものなんて持っていない。あの岡島でさえ、歌ったり、楽器をいじったり出来るのに。ボクの得意なものと言えば、想像力が豊かな事くらいだ。「じゃ、コーイチ君、準備してちょうだい。アナウンスするからね」林谷が言って、ステージに向かった。……弱ったぞ……コーイチは不安げな顔で林谷の後ろ姿を見ていた。「コーイチ君、何をやってくれるのかしら?」清水が楽しそうな声で聞いてきた。「歌でもする?もしバンドが必要なら、メンバーを使っ...コーイチ物語「秘密のノート」100

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 101

    コーイチが京子に押されながらステージに向かう途中に場内の照明が戻った。しかし、コーイチの視界の片隅に、まだ照明の戻っていない暗い場所が映った。……あそこだけ照明が壊れているんだな。コーイチは思いながら通り過ぎた。と、その時、はっと何かに気付いたように、その暗い場所をもう一度確認しようとして立ち止まろうとした。しかし、足は自力で止めたものの、京子に押されていた背中は止めようが無く、そのまま前のめりに倒れてしまった。そして、その上に京子が「きゃっ!」と短い悲鳴を上げて倒れてきた。「どうしたのよ!」京子がコーイチの背中の上で文句を言った。「いや、ちょっと……ごめん!」コーイチは謝りながら、鼻腔をくすぐる甘く優しい香りと、背中の軽くてやわらかな感触とを意識していた。「変なコーイチ君ね」京子は言いながら立ち上がった...コーイチ物語「秘密のノート」101

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 102

    「あっ、そうか!すっかり、すーっかり忘れてたよ!」林谷は笑いながら言った。……林谷さん、あまり気にしてないようだけど。今日のホスト役なのに。きっとボクのせいなんだろうなぁ……「じゃ、とにかくアナウンスしておこう」そう言って、林谷はステージに上がり、袖でスタッフと打合せしていた。しばらくすると、再び場内が暗くなった。ステージに向かってスポットライトが当てられ、マイクに前に笑顔で立っている林谷を浮かび上がらせた。「皆様、紹介が遅れまして、大変申し訳ございません。今一人、本日の主役でございます!」林谷が言って、右手を場内の一点に向けて伸ばした。スポットライトは、右手が示した先へと移動し始めた。人々の視線も一緒に移動する。スポットライトの移動が止まり、まぶしそうに顔の前に手をかざしている吉田部長を浮かび上がらせた...コーイチ物語「秘密のノート」102

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 103

    何か割り切れ無い表情のままステージの階段を降りて来た岡島は、照明の戻った場内でコーイチを見つけると立ち止まった。腰に手を当て上半身を反らし、それほど身長の差が無いのに、コーイチを見下ろすような姿勢をとる。「コーイチ、どうだ見たか、ボクのユニークなステージパフォーマンス!」いや、あれは魔法だよ。お前は遊ばれただけなんだよ。コーイチは思ったが、面倒になりそうなので、口に出さなかった。「ボクには笑いの才能が先天的に備わっているんだよ。絶妙なタイミングで、弦が切れたり、蓋が閉まったり、ドラムセットが崩れたり。本当に自分の才能が恐ろしいよ!」長々しゃべった岡島は、その時になってコーイチの背後に立っている京子に気づいた。京子はこわい顔で岡島を睨みつけていた。岡島はわざとらしく視線をあちこちへと動かして、京子の方を見な...コーイチ物語「秘密のノート」103

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 104

    京子は軽い足取りでステージの階段を上がって、ステージの袖に入って行った。コーイチは逆に足取り重く階段を上がった。……本当に大丈夫なのかなぁ。きっと魔法を使うんだろうけど、まさか、何かに変えられたりしないだろうな(コーイチは黒猫になって「ニャ~」と鳴いている自分を想像していた)。それとも、岡島みたいに何かの動作を延々と繰り返させられたりしないだろうな(コーイチは十歩ごとに飛び跳ねている自分の姿を想像していた)。「コーイチ君、どうしたんだい?」林谷が声をかけてきた。コーイチが我に返ると、階段の途中で右足を上げたままの姿で止まっていた。「コーイチ君、まさかとは思うけど、そのままのポーズが出し物ってわけじゃあ、ないだろうね……」林谷はからかうような、しかし、少し心配しているような表情で言った。「え?はああの……」...コーイチ物語「秘密のノート」104

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 105

    拍手が湧き上がった。……え?何でこんなに大きな拍手が起きているんだ?コーイチの鼓動が一気に早まった。不安そうな顔を京子に向けた。京子はステージへ進むように手振りをした。すっかり動揺しているコーイチは、京子の手振りに促されるまま、ステージへ一歩踏み出した。一瞬、目がくらんだ。暗くなった場内の奥から照らしているスポットライトが、まぶしかったのだ。拍手はまだ続いていた。ステージの床を踏みしめているはずなのに、ふわふわした感触しか伝わって来ない。林谷が待っているステージ中央のマイクの所へ早く行こうとしているのだが、自分だけがスローモーションになってしまったようで、一向にマイクへたどり着けない。まさか、これは魔法じゃないだろうな。コーイチは必死に足を動かしながら思った。背中を冷や汗がつつつと流れた。鼓動が耳元でどど...コーイチ物語「秘密のノート」105

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 106

    コーイチと京子は並んで立った。「よっ!コーイチ!」大きな掛け声がかかった。……この馬鹿でかい声は名護瀬だな。あいつ、一体ワインボトルを何本空けたんだろう。「きゃーっ、京子さあん、その服、素敵ぃ!」これは逸子さんだな。服が変わった事には全然疑問を持たないんだ。多分、用意してあったとでも思っているんだろうな。これが魔法だと知ったらどうなるかな。……教えちゃおうかな。何故か変な事を考えているコーイチだった。「えーっと、ところでコーイチ君は何をしてくれるのかな?」林谷がマイクに向かって言った。「え?」……すっかり忘れていた!そう言えば、ボクは何をするんだろう?コーイチは戸惑った顔で林谷を見ていた。林谷の笑顔が段々と薄れ、困惑した表情へと変わり始めた。「コーイチ君、まさか、……まさかとは思うけど、何をするのか、決め...コーイチ物語「秘密のノート」106

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 107

    「ちょっ、ちょっ、ちょっ……」コーイチは言いながら、ステージ後方へと後退した。背中が壁に当たり、もうこれ以上下がることが出来なくなった。それでもコーイチの足は後方へ後方へと進もうとしていた。京子はそんなコーイチを笑顔で見つめ、右手でおいでおいでと手招きをした。コーイチは首を左右に振り、拒否のアピールをした。「どうやらコーイチ君は高所恐怖症のようです」林谷がからかうように言った。場内から失笑が漏れた。高所恐怖症?そんなんじゃないですよ、林谷さん!空中を飛ぶんですよ!いいや、飛ばされるんですよ!ボクはそんな経験なんか過去に一度もないんですよ!「さあ、コーイチ君。皆さんお待ちかねよ。んふふふふ……」京子は言って、さらに手招きをした。笑顔は変わらないが、目が笑っていなかった。……あきらめて、こっちへいらっしゃい。...コーイチ物語「秘密のノート」107

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 108

    力の加減が出来ない京子に思い切り押し出されたコーイチは、もはや自分を止めることはできなかった。足が勝手に走り出していた。思わず目を閉じる。魔法が失敗しても、そんなにステージは高くないし、ふかふかじゅうたんを敷き詰めているし、落っこちても怪我はしないだろう。さらに、「いやいやいやいや、まいったなあ」なんて言っておけば、ボクが笑われるだけで済む。魔女だとバレないし、その後であのノートを返せば終了だ。世は全て氷菓子、何事もなく終わるだろう。さよならするのは辛いけど……それにしても、こんなにステージって奥行きあったっけ?コーイチは目を開けた。目の前には果物をあふれ出さんばかりに盛った大きな皿があった。果物一つ一つも通常のものより相当大きい。……なんだ!何がどうなっているんだ!「よっ、コーイチ!」名護瀬の声だ。しか...コーイチ物語「秘密のノート」108

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 109

    「飛ぶのって、なんとも言えず気分がいいわあ!」楽しくてたまらないと言った口調で京子は言った。「コーイチ君もそう思うでしょ?」「まぁ……ね」高所恐怖症と言うわけではないが、足の下に何も無いのは落ち着かない。やはり人は大地にしっかりと立って生きるものなのだ。そんな事を考えていたので、コーイチの答え方は身の入ったものではなかった。「……あんまり楽しそうじゃないわねえ」コーイチの答えが不満だった京子はこわい顔をした。「自分の立場を分かってる?」……そうか、ボクは飛んでいるんじゃなくて、魔法で飛ばされているんだった。イヤな思いをさせて、もし魔法を止められたら、ボクはどうなってしまうんだ。コーイチの脳裏にあれこれと最悪な場面がよぎった。思わずゴクリとのどが鳴る。「いやいやいやいや、楽しいよ、嬉しいよ、最高だ!」コーイ...コーイチ物語「秘密のノート」109

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 88

    「なんて失礼なヤツなんだ、あなたは!」岡島は立ち上がり、グラスをテーブルの上に置き、名護瀬に右人差し指を突き付けて言った。「ボクがあなたに何をしたと言うんだ。全く、こういう乱暴な人には困ったものだよ」「オレにしたんじゃねぇよ。『キョンちゃん』にしたんじゃねぇか、このヴェークァ!」名護瀬も両手に持っていたワインボトルをドンと音を立ててテーブルの上に置いた。「あのチャイナ服の娘に何かされたのは、ボクの方だ」「お前が先に何かしたんじゃねぇのかぁ?」「な、何を下品な事を言っているんだ」「下品ななのはお前の顔だぜ。ヴェーーーークァ!」名護瀬が一際大きな声で言った。周りの人たちが何事かと振り返る。「おんや~?」急に名護瀬が酔った目を細めて岡島をしげしげと見つめた。「お前、さっきステージに立ってたヤツか?」「そうだ。酔...コーイチ物語「秘密のノート」88

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 89

    「なんだか、すっかり酔いがさめちまったぜい」名護瀬は、得意げに川村たち「盲目的オカヲタ」に近付いて行く岡島の後ろ姿を見ながら言った。「ところで、コーイチ」改まった口調で言うと、名護瀬はコーイチの方を向いた。酔いが覚めたと言うわりには、まだ目が据わっている。「な、何だ。キスはするなよ!」コーイチは後退さった。過去何度か危険な目に遭わされている。「ヴェークァ!いつオレがそんなたわけた事をしたってんだ!そんなんじゃねぇよ!」酔った名護瀬は多分記憶を無くしていたんだろう。都合のいい脳ミソだよな……コーイチは思った。「じゃ、何だよ」「あの、へんてこりん野郎の前にやったバンドがあっただろう、女性バンド。あのボーカルの人、お前と同じ課の人だよな?」「そうだよ、清水さんだ。黒魔術に凝っている、ボクの先輩だ」「紹介してくれ...コーイチ物語「秘密のノート」89

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 90

    「そのライブ、ボクが出てやってもいいぞ。ま、ボクにふさわしいステージならばだけどね」岡島が言って、黒ビールを少し飲んだ。「いや、いらない」名護瀬は岡島をちらっと見て、短く答えた。岡島はむっとした顔になった。「ボクのマルチプレーヤーとしての才能は、あなたも評価したじゃないか。周りの人たちも評価せずにいられなかったじゃないか。ボクの投げる愛の歌は、宇宙の根幹を支えている真の哲学なんだよ。ボクと言う人間を通して大宇宙が語っているんだよ。分かるだろう?」「いや、全然」名護瀬が短く答えた。二人の間に険悪な空気が漂い始めた。「そうそう、川村さんたちファンと話していたようだったけど……」コーイチが話題を逸らせた。名護瀬を怒らせると大変な事になる。聞いた話では、スナックでケンカになって大暴れをし、そのスナックの入っている...コーイチ物語「秘密のノート」90

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 91

    「西川課長、改めまして、昇進おめでとうございます!」岡島が、これ見よがしに言った。それからコーイチの方を見た。やれやれ点数稼いで出世街道驀進か、コーイチは苦笑した。「コーイチ、ちゃんと食べてるか!」西川はコーイチの肩をパンパンと叩いた。岡島はコーイチを睨んだ。睨まれてもなぁ……「林谷さん、司会、ご苦労様!」岡島は林谷に親しげに声をかけた。自分にメリットのある人には、親友的付き合いを示すのが岡島のスタイルだものな。「コーイチ君、幼なじみの京子ちゃんはどこへ行ったのかな?」林谷はきょろきょろしながら言い、それからコーイチの肩をパンパンと叩いた。岡島はまたコーイチを睨んだ。睨まれてもなぁ……「まあ、コーイチ君、彼女がいたの!私の予言が当たったじゃないの!もっと早く言ってくれなくちゃ!」清水も目を輝かせながらコー...コーイチ物語「秘密のノート」91

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 92

    出入り口のドアが勢いよく開けられた。周囲の人たちが何事かと驚いてドアの方を見た。コーイチたちも思わずドアの方を見た。入って来たのは、胸元と背中が大きく開き、腕が肩からすっかり出ていて、左右に長めのスリットの入った膝丈までの赤いドレスを着て、素足に赤いハイヒールを履いた、長い髪を頭の上でふわふわとまとめた若い女性と、同じ形をした白いドレスに白いハイヒール、短い髪に白くて幅の広いヘアバンドをぴちっとあてがった若い女性だった。えっ、まさか……コーイチは目をぱちくりさせて見直した。赤いドレスは京子で、白いドレスは逸子だった。思い切りセクシーなドレスを着た美女二人組み(端から見れば)は、腰を屈めたり、背伸びしたりと、きょろきょろ辺りを見回していた。何をやっているんだ?コーイチは呆れた顔で二人を見ていた。やがて、二人...コーイチ物語「秘密のノート」92

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 93

    「女の子にしがみつかれたくらいで痛がるなんて、日頃どんな生活をしているんだ。基礎がなってないんだよ」岡島は腰に手を当てて、コーイチを指差した。岡島のヤツ、ちょっとでも優位に立てそうだと、前後の見境なく、すぐに飛びついてくるよな。「……なんですって!」痛さのあまり座り込んでしまったコーイチを介抱していた逸子が。岡島を睨みつけながら立ち上がった。それから岡島を指差し、同じくコーイチを介抱している京子の方を向いて言った。「あれ、なに?」「ほら、いきなりステージに上がって、わけの分からない事を言って……」京子が笑いながら言った。逸子も思い出したらしく、笑いながらうなずいた。「ああ、あの『愛を、ボクの投げた愛を、オ~イェイ、イェイ』って、念仏してた人!」「そうそう、コーイチ君の同僚で、世界を乱舞する予定の岡島って名...コーイチ物語「秘密のノート」93

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 94

    「そう言えば、オフィス街で歩いていると、女の人に声をかけられたって言っていたじゃない」京子が笑いながら言った。「言ってた、言ってた」逸子が言って、岡島を見た。「あなた、何て言われたのよ!」逸子と京子が岡島を睨んでいた。酔った女の人、特に魔女と免許皆伝だから、眼力は凄いものがあるんだろうな。岡島、怖がっていないか……コーイチは少しだけ心配した。「『岡島さんですか?』って言われたと思う」岡島はむすっとした顔で言う。「えええ!名前だけしか聞かれなかったの?」逸子が驚いて言った。「他には何を聞かれたの?」京子がすかさず聞く。「かなり前の事だから、よく覚えていない」岡島はぼそっと言った。「かなり前って……そのわりのは、つい最近の事みたいに言ってたじゃない!それに、いかにもモテモテって感じの言い方だったわね?」逸子が...コーイチ物語「秘密のノート」94

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 95

    「岡島君がケガしたら、どうするつもりなのよ!」川村静世が言って、逸子を睨みつけた。「なによ。こんなんで転ぶなんて、さっきの本人の言葉じゃないけど『日頃どんな生活をしているんだ。基礎がなってないんだよ』ってところかしら」逸子も静世をにらみつけた。「何言ってんのよ。岡島君はね、繊細で傷つきやすいのよ!」「誰がそんな事言ってるのよ?」「岡島君自身よ!」「大の男が、繊細で傷つきやすいなんて自己申告すると思うのぉ?単なる甘ったれじゃない」「岡島君はね、私たちが守ってあげなくちゃいけないのよ」静世が言うと、その友人の一団も「そうだ、そうだ」と相槌を打った。逸子は右人差し指を立て、左右に振り、抗議を示した。「守ってあげなきゃあ?そんなに過保護にしてどうするのよ。繊細?傷つきやすい?そんな人が頼まれもしないのにステージに...コーイチ物語「秘密のノート」95

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 96

    「父から聞いたんだけど、あの人はやたら『企画書』を提出するのが好きらしいわ」逸子が言った。「凄いじゃないの!岡島君の頭の中にはアイデアがいっぱいなのよ。それこそ、クリエーターの証明よ!」静世が自分の事のように胸を張った。「そんな事言っちゃって良いのかしら?『企画書』の内容を知ってる?」「聞かなくても、きっと素晴らしいものに決まってるわよ!」「何億円もしたあるイベント用の巨大なテントを燃やしてイベントの最後を飾ろうとか、改築したある県庁舎の壁に改築記念として自分の手形をべたべた付けようとか、そんなどうしようもなくて、絶対採用にならないものばっかりなんだって。本当に役に立ってないのは、そっちじゃない?」「何を言ってるのよ!誰も考えつかない事を考えつくのが才能よ」「考えついたって、出来る事と出来ない事くらいは分...コーイチ物語「秘密のノート」96

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 97

    「パスポートですか?それなら、つい最近、パリへ行ったので持っています」岡島は社長に向かって、はきはきと答えた。好印象を与えようと必死だな、ま、がんばってくれ、コーイチは思った。「パスポートあるんだね?じゃ、ちょっと外国へ行っちゃってよ」社長が言う。岡島は大きくうなずいてから聞いた。「社長、外国と言っても、どこの国へ行くんですか?」「それは、Youが決める事だよ」「え?どう言う事ですか……」岡島は社長や重役たちを見た。重役の一人が軽く咳払いをして言った。「君は、社員でいながら会社を批判するような事を言っていたそうだね」別の重役が続けた。「同僚の悪口を――聞くところによると、作り話が多いようだね――誰彼構わずするそうじゃないか」別の重役も言った。「自分は何か特別だと思い込んでいるようだ。以前はともかく、今はど...コーイチ物語「秘密のノート」97

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 74

    パーティ会場は広かった。天井が高く、軟らかな光のシャンデリア(多分、どこかの国の最高級品なんだろう)が、幾つも下がっていた。壁の高い所にはどれも料理を静物画にした大きな油絵(多分、どこかの国の最高級品なんだろう)が、幾つも飾られ、壁の中ほどからは、心弾ませる感じのややオレンジ色がかった壁紙(多分、どこかの国の最高級品なんだろう)が、張り巡らされていた。床には品の良い濃さの赤いじゅうたん(多分、どこかの国の最高級品なんだろう)が、一面に敷き詰められていた。長方形になっている会場は、短い辺の一つがステージになっていて、それに向かう三方に壁際には両側を人が通れるような配置で長テーブルが置かれ、テーブルの上には様々な料理を盛り付けた様々な形の器と、様々な種類の飲み物(主に酒類だが)が、ぎっしりとずらりと並んでいた...コーイチ物語「秘密のノート」74

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 75

    「それじゃ、また後でね!」赤い顔の社長はコーイチの肩をパンパンと叩いて行ってしまった。岡島のヤツ、やっぱり名前を覚えてもらえなかったんだな。ふと妙な視線を感じて振り返ると、岡島がもの凄い顔でコーイチを睨みつけていた。……まったく、ボクのせいじゃないのに……岡島は、自分の思う岡島像と実際の岡島像とに大きな隔たりがあることに気付いていないようだ。もう少し自分自身を客観的に冷静に見ることが出来れば良いのに……コーイチは岡島に背中を向け直して、溜息をついた。なんとなく、岡島に一生つきまとわれそうな、イヤな気がした。「お客様、お皿をどうぞ」そばを通りかかったウェイトレスが、コーイチに皿とフォークとを渡した。「あ、どうも、スミマセンです……」コーイチは礼を言い、まさかと思いつつ、ウェイトレスの顔を覗き込んだ。ウェイト...コーイチ物語「秘密のノート」75

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 76

    会場が水を打った様に静まり返った。皆の視線はステージへと注がれている。林谷に当たっていたスポットライトがゆっくりと消えて行き、音量を絞られていたドラムロールが徐々に大きくなって行った。やけに気を持たせるなぁ……林谷さん、こういう演出が好きだからなぁ……コーイチはそう思いながらも、ワクワクしながらステージを見つめていた。ドラムロールが高まり、とどめと言う様にシンバルがジャーンと鳴り響いた。残響が次第に消えて行く。急にステージが明るくなり、そこにオフィス街を思わせるセットが組まれていた。軽やかでダンサフルなスウィング調のビッグバンドの音楽が流れ出し、ビジネススタイルの衣装に身を包んだ男女のダンサーが、ステージ両袖からそれぞれ十名ほど、一分の隙もない、見事に揃ったステップを踏みながら登場した。ダンサーたちは中央...コーイチ物語「秘密のノート」76

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 77

    会場が次第に暗くなって行き、ステージにスポットライトが当たり始めた。ライトに浮かび上がってきたのは開いたドアの付いたドア枠だった。他には何もない。不意にドアがバタンと大きな音を立てて閉まり、直ぐに元の通りに開いた。すると、そこに印旛沼が、白の燕尾服に白いステッキ姿で立っていた。会場から驚きの声と拍手が起こった。「お待たせいたしました。営業四課、印旛沼陽一によります、ミニマジックショーでございます」林谷のアナウンスが、オーケストラの奏でるフレンチポップスに乗って流れた。印旛沼は一礼しながらドアから出てきて、ステッキから手を離した。すると、ステッキはゆっくりと上昇し、印旛沼の頭上より高い位置で止まった。それからステッキは横向きになった。印旛沼がパンと手を叩くと、ステッキは白い絹のスカーフになって落ちてきた。印...コーイチ物語「秘密のノート」77

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 78

    会場がまた暗くなった。しかし、ステージも暗いままだった。会場内は深い闇に閉ざされた。「皆様……」暗闇の中で不意にささやくような林谷の声が流れた。エコーがかかり、深く暗い洞窟の奥から響いてくるような声だった。その声にある女性客が短い悲鳴を上げた。「お待たせいたしました。営業四課、清水薫子と黒仲間によるミニライブをお楽しみくださいませ。……そうそう、好い加減に聞いていると、呪われてしまうそうですよ……では、お聞き逃しのないように。清水薫子とデーモンウィッチーズで『降魔の時』……」アナウンスが終わっても、しばらくステージは暗いままだった。そのうち、うっすらとした明りが一つ、ステージの天井から床に向かって放たれ、明るさが増すにつれて、顔の半分はどの高さの襟をピンと立てた黒マントで全身を覆った、スタンドマイクの前に...コーイチ物語「秘密のノート」78

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 79

    コーイチがステージを見ると、岡島が立っていた。まだ片づけが終わっていない中で、岡島はスタンドマイクの前に歩み出た。しかし、段取りには入っていなかったらしく、会場内もステージも明るいままだった。林谷もステージから降りてオレンジジュースを飲んでいた。会場の人々もステージに気付かず、各々談笑をしていた。岡島がマイクに向かって何か喋ったが、マイクは入っていなかったため、何も聞こえなかった。「……でありまして、えっ?」音響係があわててマイクを入れたので、岡島の声が急に会場内に流れ、会場内も岡島本人も驚いてしまった。会場は静まり返り、ステージの岡島に注目した。林谷は残りのジュースを飲み干すと、ステージ袖に走った。「さて皆様」林谷の少しあわて気味のアナウンスが流れた。「これより、飛び入りではございますが、営業四課の若手...コーイチ物語「秘密のノート」79

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 80

    「やあ、コーイチ君!」京子が盛ってくれた料理をフォークで刺し、口元まで運んだ時に後ろから声をかけられた。そのままの姿勢で振り返ると、印旛沼が立っていた。ステージの時とは違い、いつもの地味目なスーツ姿だった。「見ていてくれた?私のステージ?」「はい、もちろん!いつ見ても凄いですね!」コーイチは素直に感想を言った。「本っ当、凄かったわぁ……魔女も顔負けって感じね」印旛沼はコーイチの横に立つ京子に目を向けた。「こちらの可愛いお嬢さんは?」「わたし、コーイチ君の幼なじみの京子です」京子はにっこりと笑顔を作った。「ほう、コーイチ君の幼なじみの京子さんですか」印旛沼は大きく頷いた。「そうです、コーイチ君の幼なじみの京子です」……きっとこの会話で相手に魔法をかけちゃうんだろうな。コーイチは京子と印旛沼を交互に見比べた。...コーイチ物語「秘密のノート」80

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 65

    パーティ会場のレストラン「ドレ・ドル」に着いたのは、七時四十分だった。会社でもたついてしまったため、結局何も食べる事ができなかった。それでも西川は「パーティ会場にも食べる物はあるだろうから、折を見て食べるとするか」と言っていた。コーイチもそうするつもりでいた。レストランに到着すると、入り口の自動ドアの前に、タキシードに蝶ネクタイをした林谷が立っていた。その隣には同じような格好をした中年男性がいて、林谷にすがりついていた。「おや、やっと主役のお出ましですね」林谷は西川とコーイチに手を振りながら言った。「主役とは言い過ぎだぞ!」西川は文句を言う。しかし、林谷は平気な顔をしている。「林谷さん、その格好は?」コーイチが興味深げに林谷を見た。林谷は蝶ネクタイの位置を直す仕草をしながらコーイチにウインクして見せた。「...コーイチ物語「秘密のノート」65

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 66

    とにかくパーティ会場に行こう。コーイチはエレベーターに乗り込んだ。ドアの向かい側の壁に背中をぴたりと付け、ドアの方をにらむ。こうしておけば、背後から声をかけられることもないし、途中の階で誰が乗り込んで来ても確認できる。これだけしておけば例の赤い服の彼女も、いきなり現われたりできないだろう……きっと、多分、おおよそ……。少々不安なコーイチだった。それにしても、あの赤い服の娘は誰なんだろう。引き出しから現われたり、電話をして来たり、非常階段に居たり、サイフを拾ってみたり、ウエイトレスになったり……ひょっとすると、人間じゃないのかもしれない。そう、どう考えても人間じゃない。現われるだけならまだしも(現われ方も普通じゃないが)、突然消えてしまうんだものな。あの消え方は人間業じゃないよな。でも、どうしてボクにつきま...コーイチ物語「秘密のノート」66

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 67

    コーイチはドアの前に立ち、丸い形をしたノブに手をかけた。とたんに内側からドアが勢い良く開けられた。ドアノブがみぞおちに命中し、コーイチは屈み込んでうめいた。しかし、ドアを開けたどこかの会社の女子社員はそんな事には全く気付かず、今日解散した「KinKiraBondz」の一方の堂下津予樹の「エンジョリケロロ・エンジョリケロロ」名義のソロ曲「レインジャー・スター」を鼻唄で歌いながら出て行った。ドアは静かに戻り、閉じた。コーイチはやっと立ち上がった。どうもボクは人の多い所に来るといつもこんな目に遭うなぁ。ドアが開いたときに洩れて来た会場内の騒がしさからすると、かなりの人数が集まり、あちこちで歓談をしているようだな。……本当、人ごみって苦手だよなぁ。このまま帰っちゃおうかな。腹の虫が文句を言うように大きく鳴った。そ...コーイチ物語「秘密のノート」67

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 68

    「おやおや、これはこれは……」林谷が目を丸くして、現われた彼女をしげしげと見つめて、つぶやいた。それからコーイチの脇腹を肘で小突いた。「こんな可愛い彼女だとは……コーイチ君も隅に置けないねぇ」「え、はあ、どうも……」コーイチはとりあえずの返事をした。一体どういうつもりで現われたんだろう。ノートに関した何か話でもあるんだろうか。それとも、またボクをからかうつもりなんだろうか。コーイチはとびきり可愛い笑顔を振りまいている彼女を見ながら不安を感じていた。「ところでお嬢さん、お名前を伺ってもよろしいですか?」林谷の丁寧な問いかけに、彼女は笑顔のまま、こっくりとうなずいた。「初めまして。わたし、コーイチ君の幼なじみの京子と言います」「ほう、コーイチ君の幼なじみの京子さんですか」「ええ、コーイチ君の幼なじみの京子です...コーイチ物語「秘密のノート」68

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 69

    ドアの前で京子は立ち止まった。組んでいた腕を離す。コーイチは締め付けられていた腕を何度も振って、血の流れを戻していた。ジンジンとしびれが広がって来る。「あらあら、ごめんなさい。力加減がいまひとつ分からなくて……」京子はペロッと舌を出した。コーイチは腕をさすりながら、その可愛い顔を見つめた。この顔にごまかされちゃうんだよなぁ。でもそうも言っていられない。「えーっと、そうだ、さっきもそんな事を言っていたよね。『力加減が分からない』ってさ。それって、どう言う事なんだい?それに、ボクの知っている幼なじみの京子さんと君とは全くの別人だ。それに、あちこちに現われては消えるなんて、どう考えても普通の人間とは思えない」コーイチはここまで一気にしゃべり終えると肩で息をし、呼吸を整えた。「君は一体どこの誰なんだ?」コーイチは...コーイチ物語「秘密のノート」69

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 70

    「こんな所まで来て、何をしているんだ!」岡島は大声を出した。さも自分が大変な場面を押さえたかのようだ。「大体、この席に女を連れてきて、ドアの前で、そんな、イヤらしい真似をして!」岡島は大股で歩み寄って来る。「何の話だ?」コーイチには岡島の言う意味が全く分からなかった。何を言っているんだ?何がイヤらしいんだ?「あらあら、あなたには、耳元で話す仕草が、頬にキスでもした様に見えたのかしら?」コーイチの陰から京子が顔を覗かせた。岡島の歩みがぴたりと止まった。「欲求不満ってヤツかしらね。……ま、仕方ないわね。何をやっても、何一つ成果が上がらないんだもの、あなたは」京子は言いながら一歩前に出た。無意識に岡島が一歩下がった。「だから、あなたは誰かを格下にでも見ないとやって行けないのよ。そして、それをコーイチ君にしている...コーイチ物語「秘密のノート」70

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 71

    「えっ?」コーイチは少し考えた。「意地悪魔女」-「意地悪」=「魔女」……「魔女!魔女!魔女!魔……」コーイチは叫びながら後退った。なんてこった!……でも……「本当に魔女?」コーイチは恐る恐る聞いた。京子はにっこりしながら頷いた。「本当に魔女よ」「だって、だって、魔女って、黒いマントを羽織って、ぼさぼさの長い白髪頭に黒いとんがり帽子を被って、しわしわの顔の真ん中に長い先の曲がった鼻をつけて、かけた歯並びを不気味に見せながら『ケッケッケー』と笑って、柄が曲がったようなホウキにまたがって、夜な夜な空を飛び回って、魔法の薬とか作って、呪文を唱えてとかしてるんだろう?」京子は呆れた顔でコーイチを見た。「あのねぇ……」京子がコーイチの背後から声をかけた。コーイチは振り返り、京子の笑顔を確認すると、硬く目を閉じて天井に...コーイチ物語「秘密のノート」71

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 72

    「え、これ何の音?」コーイチは不安そうな顔で周りを見た。京子は急に不機嫌な顔になった。「いいのよ、放っておきましょ!さ、パーティ、パーティ」しかし、歪んだ音はなおも続いた。コーイチはさらに不安そうな顔をした。血の気が引いて青ざめている。「よかぁないよ。とても気になる。なんか命が吸い取られそうだ」京子は今度は意地悪そうな笑顔を浮かべてコーイチを見つめた。「んふふふふ、分かっちゃったんだ。そうよ。これは、わたしたちの世界へ全ての命を導く鐘の音よ。鳴り終った時が、命が導かれる時なのよ……」「そ、そんなぁ……」コーイチは両手で両耳をふさいだ。……それでも聞こえる!「一体、幾つ鳴るんだ?」耳をふさいだままコーイチは聞いた。京子はコーイチの手首ををつかんで左右に拡げた。鐘の音が待ってましたとばかりにコーイチの耳に流れ...コーイチ物語「秘密のノート」72

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 73

    コーイチは不思議そうな顔で京子を見た。「携帯電話って……君は魔女なんだろ?」「そうよ」「じゃあ、何も電話なんか使わなくても、パッと相手が目の前に現われたり。こっちがパッと相手の所へ行ったりすれば良いじゃないか」京子は呆れた顔をしてコーイチを見た。それから、ぺチンと大きな音を立ててコーイチの額に手の平を当てた。「熱は無さそうね……」コーイチは痛さにうめき、涙目になってしまった。……まだ力加減が分かってないみたいだなぁ。「いい?魔力を使うより文明の利器を使う方が、ずっと楽じゃない!そんな事も分かんないの?」「だって、魔法の方が文明の利器より数倍も便利じゃないか。パッと消えたり現われたり、何かを出したり消したり、変えたり戻したり……」「そうか、コーイチ君は知らないんだっけ。あのね、魔力は、こっちの人たち風に言え...コーイチ物語「秘密のノート」73

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 55

    「あのう、新課長(「仮課長だ!」すかさず西川が言う)、一応、吉田元課長の私物をまとめましたが……」コーイチが印旛沼の出した二個の段ボール箱を机の上に重ねた。「こりゃあ、すごいねぇ。一体何をそんなに溜め込んでいたんだろうねぇ」林谷がパンパンになっている箱を軽く叩きながら呆れたように言った。「林谷さん、開けないでくださいよ。万が一中身が出てしまったら、もうしまえそうにありません」コーイチがまだ額から流れ落ちて来る汗をハンカチで拭いながら言った。「分かった、分かった。……それにしても、どんな物があったんだい?ちょっと教えてくれないかな?」「そうですねぇ……たとえば、洗面道具一式、替えの下着数枚、歯ブラシと歯磨き粉が幾つか。あとは鍋やら茶碗やら」「おやおや、生活必需品ばかりだね。やっぱり奥さんが恐くて帰れない時も...コーイチ物語「秘密のノート」55

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 56

    昨日からショックだ!コーイチは思った。思えば昨日、変なノートを拾い、それに吉田課長の名を書いたら、浮かび上がって消えてしまい、妙な夢を見て、ビクビクしていたら、なんと吉田課長が部長になってしまった。しかし、薄~く書いたせいなのか、存在も内容も薄~い部長になってしまった。それだけじゃなく、清水さんの呪いの化学反応とやらで、引き出しに女の人が浮かんでくるし(ちょっと可愛い人だったなぁ……)、あわや引きずり込まれそうになるし……みんなはそんなに気にしてないみたいだけど、どうなんだろう。「あのう、林谷さん……」コーイチは林谷を見た。昼食時、行き付けの食堂『座長』のスペシャルランチを上手そうに頬張っていた林谷が手を止めた。「なんだい、コーイチ君。さてはライスのお代わりかい?」すでに食べ終わっているコーイチの膳を見な...コーイチ物語「秘密のノート」56

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 57

    昼食後も引き続き電話によって西川新課長(仮課長だ)昇進の報告と今夜のパーティへの案内が行われた。コーイチは主に先方から掛かってくる電話の応対係だった。「もしもし、こちら……」コーイチが話し出す前に、相手がわっはっはっはっはと高笑いをした。「いやいや、今回は昇進おめでとう。彼ならこんな日が来るのもそう遠くはないと思っていたよ。今後も順調に進んで欲しいものだね」「失礼ですが、どちら様でしょうか?」「わっはっはっはっは、これは失敬、失敬。わしは現職の総理大臣の倉井と言う者だよ」「は、そうですか、ゲンショク株式会社様で。……えっ、総理大臣って……えっ?えっ!」「コーイチ、ちょっと電話を渡してもらおうか」西川が固まってしまったコーイチの手から受話器を取って応対を始めた。「やあ、これは倉井さん。……はい、ありがとうご...コーイチ物語「秘密のノート」57

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 58

    「清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん!」必死で叫ぶコーイチを清水が冷ややかな眼差しで見上げた。「また何か出たのかしら?」のん気な声で清水が言う。コーイチは持った受話器を清水に向かって突き出し、口をパクパクさせている。やれやれと言った表情で清水は立ち上がり、コーイチの受話器を取り、耳に当てた。「もしもし……あらあら切れちゃってるわ。これじゃ何だか分からないわね」清水がつまらなさそうに受話器をコーイチに渡した。「女の人の声が、若い女の人の声が、声が、声が……」コーイチは落ち着きを失っていた。それを見ていた印旛沼が寄って来て、両手をパンとコーイチの耳元で打ち鳴らした。コーイチは飛び上がった。「わっ、わっ、わっ、わっ、わ……あれ?」正気に戻ったようだ。清水が心配そうな顔をして...コーイチ物語「秘密のノート」58

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 59

    終業時間になった。何かといえばコーイチを見てニタニタ笑っていた林谷が立ち上がった。その時は真面目な顔になっていた。「西川新課長(「仮課長だ!」すかさず西川が言う)、今日のパーティの準備をしたいと思いますので、これで帰ります。八時にまたお会いしましょう」それからコーイチのそばに寄って「彼女も連れておいでよ」とウインクしながらささやいた。コーイチが「ですから、あれは清水さんの勝手な予言話で……」と言う前に林谷は出て行った。「さあて、西川新課長(「仮課長だ!」すかさず西川が言う)、私もそろそろ失礼しようかな。なにせ娘とその友達とを連れて行かねばならないんでね」印旛沼も言って立ち上がった。「なんでも雑誌の撮影がさっきまであって、それから着替えて化粧してどうしてこうしてとあるようで、かなり時間がかかるらしい。ひょっ...コーイチ物語「秘密のノート」59

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 60

    「おい、コーイチ、そんな所で何をやってるんだ!」上から声がした。転げ落ちた階段を見上げると、扉のある踊り場に岡島が立っていて、コーイチを見下ろしていた。「お前がパーティに行くように言いに来たくせに、そんな所で転げ回ってホコリまみれになっていちゃあ、お前の方がパーティに行かれないぜ」部長と二人して書類の山から飛び出したせいじゃないか、自分が悪いとは全く思わない性分は相変わらずだな。「ま、どっちにしてもだ、お前は居ても居なくても変わらないけどな」岡島は自分の髪の毛をやたらと触りながら言った。「今夜のパーティでボクがあちこちのお偉いさんたちに認められ、近いうちに世界を乱舞するほどに有名になるのさ。ボクの名を誰もが知るようになり、すべての面でリーダー的な存在になるんだ……おい、コーイチ、聞いているのか?」無表情で...コーイチ物語「秘密のノート」60

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 61

    コーイチは踊り場から下へ向かう階段を覗いた。しかし誰もいなかった。彼女はどこへ行ったんだろう。本当にいたのかなぁ……上を見るとへたり込んでいた岡島がいつの間にかいなくなっていた。……本当に岡島もいたんだろうか。コーイチは腕を組んで深刻な表情で考え込んでしまった。しかし、すぐにいつもの表情に戻った。「ま、いいか。考えても分からない事だし」コーイチは自分に言い聞かせるように声を出した。変なノートを拾ったり、引き出しに顔があったりしたんだから、いまさら変な事が増えたって、ちっとも困りはしないじゃないか。みんなまとめて面倒見てしまえ。コーイチはついたホコリをパンパンと掃い、階段を上った。扉を開けて廊下に戻る。書類の山は相変わらずだったが、二つの大きな穴が目に付いた。やっぱり吉田部長と岡島は、ここにいたんだよな。じ...コーイチ物語「秘密のノート」61

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 62

    コーイチと西川はエレベーターで一階まで降りた。守衛がじろりとにらむ。が、すぐに正面入り口へと顔を戻した。「ううむ、彼は守衛の鑑だな。いや、守衛をやるために生まれて来たと言っても過言ではないな」西川は感心したように言った。コーイチは「はいはい」と適当な相槌を打っていた。不意に西川が立ち止まりコーイチの方を真剣な顔で見た。「コーイチ……」いい加減な返事をしたことをとがめられると思い、コーイチはビクッとした。「パーティに出席すると、多分あいさつ回りに終始するだろうから食べるヒマもないだろう。今のうちに軽く食事をしておこうと思うんだが」なんだびっくりした。でも、食事の事くらいでそんなに真剣な顔をするなんて、西川さんらしいなぁ……「で、コーイチはどうする?」「え、あ、はい。ボクも大勢の所では隅で小さくなるタイプなん...コーイチ物語「秘密のノート」62

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 63

    コーイチはパッと後ろを振り返った。しかし、そこには書類棚があるばかりだった。そういえば、ボクの後は人一人やっと通れるくらいしか幅が無いんだっけ……じゃ、今聞こえた声はどこから?コーイチは辺りを見回した。「こっちよ。こ・っ・ち!」またコーイチをからかうように背後から声がした。「頼むよ、姿を見せてくれよ!」コーイチが堪らずに叫んだ。「あらあら、ずいぶんとヘタレさんなのね。もっと根性あるかと思ってたのに」「いや、そうじゃない。人と待ち合わせをしているんで、あまり待たせちゃ悪いと思ったもんだから」「あらあら、優しいのね。ますますカワイイ!」声が止んだ。コーイチはもう一度辺りを見回す。赤いふわふわしたブラウスに赤いミニスカート、腰まである長い黒髪の、引き出しと電話の彼女がドアの所に立っていた。後ろ手のままニコニコし...コーイチ物語「秘密のノート」63

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 64

    「おい、コーイチ」いつの間にか西川がドアの所に立っていた。「あ、西川新課長(「仮課長だ!」すかさず西川が言う)、心配して来てくれたんですか?」「そう、サイフが見つからず悲観して最上階から身投げでもしたのかと思ってね。もしそんな事になると色々と大変だ」「……はぁ、そうですか……」コーイチは憮然とした顔で答えた。「まっ、無事と言う事は、サイフが見つかったと言う事だな。良かった、良かった」西川は大きく頷きながら言った。コーイチはやれやれと言うように頭を軽く振る。頭を振ったせいなのか、ふと思い出し事があった。「そうだ、新課長(「仮課長だ!」すかさず西川が言う)、廊下で誰かに会いませんでしたか?赤い服の新入社員くらいな感じの女の子なんですが……」「いいや、会ってないな。その娘がどうしたんだ?」「サイフを見つけて届け...コーイチ物語「秘密のノート」64

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 49

    社長は「ではでは」と言いながらボースカウトの歌らしきものを口ずさんでビルから出て行った。「さてと……」やっと咳き込みが止まった北口は、大きく伸びをした。「僕は営業三課に戻るよ。課員をいつまでも放っておけないからね」林谷は北口に向かって拍手をした。「さすが、北口課長は『課長の鑑』ですねぇ!……じゃ、夜にお会いしましょう。そうだ、三課のみんなも都合が付いたら連れて来て下さいね!」「分かった。多分大勢でお邪魔することになるだろうが、よろしく!」「はいはい、どうぞどうぞ!」林谷はエレベータに乗り込む北口に手を振りながら言った。エレベーターのドアが閉まり、上へと上って行った。それを見ながら、西川が大きく伸びをした。「さてと……」西川は林谷清水印旛沼そしてコーイチと順番に見回した。それから思い出したように岡島にも顔を...コーイチ物語「秘密のノート」49

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 50

    営業四課のドアを開けると、川村静世が鼻の下と上唇の間にシャープペンを挟みながら、お菓子を並べたデスクにむっちりとした両腕で頬杖をついてボーッとしている姿が飛び込んで来た。川村静世は別にあわてた様子もなくこちらを見返した。「あ、おかえりなさ~い……」少々太めの川村静世は、声を出すのも面倒くさそうに言った。「川村君」西川が優しい口調で言った。「あの吉田課長が部長に昇進した。いま資料保管室を片付けている。手伝いに行ってくれないか?」「はぁ……分かりましたぁ……」川村静世は返事をしたものの立ち上がろうとしない。いや、立ち上がるのも面倒なのかもしれない。相変わらず鼻の下と上唇の間にシャープペンを挟んだままだ。「静世ちゃん」林谷がニコニコしながら言った。「今夜八時から無国籍レストラン『ドレ・ドル』でパーティがあるんだ...コーイチ物語「秘密のノート」50

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 51

    コーイチは吉田部長のデスクの大引き出しを開けた。途端にコーイチは引き出しの中を見ながら固まってしまったかのように身動きが出来なくなってしまった。机の中は底知れぬ濃い闇で満ちていた。邪悪な気配がその闇からむらむらと立ち上ってくる。しばらくすると、闇の中心のはるか底の方から白い小さな点が浮かんできた。点は浮かんでくるにつれ大きさを増して行く。見たくもないのに、目が離せなくなっている。点は楕円形の面になっている。何か模様のようなものが見えてくる。楕円の上半分の真ん中あたりに、二本のくっきりとした黒い短い線が横一列に並び、その少し下にこれも二本、しかし細い線が同じように横一列に並んでいる。下半分の丁度中央に赤い線が横に一本あった。その線の両端がゆっくりと上がり始めた。それに合わせるかのように、上半分の細い線の一本...コーイチ物語「秘密のノート」51

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 52

    清水はコーイチの額にぱちんと手の平を当てる。「うーん、熱はなさそうね……」それからコーイチの両の目の下を親指でぐいっと下げる。「うーん、目に異常はなさそうね……」次いでコーイチの鼻をぎゅっと掴む。息苦しさに思わず口を開ける。「うーん、舌も荒れてなさそうね……」最後に両の頬をびにゅっと引っ張った。痛さに涙目になる。「うーん、反応にもおかしな所はなさそうね……」清水は頬を引っ張ったまま天井を見上げた。何か考え事をしているようだった。「うご……うが……うぎ……」頬を引っ張られたままコーイチがうめいた。「あら、ごめんなさい!」はっと気がついた清水はぱっと手を放した。頬を真っ赤にし、目に大粒の涙を溜めたコーイチの顔があった。「清水さん、突然ひどいじゃないですか!」「本当、ごめんなさいね。だってコーイチ君がいきなり訳...コーイチ物語「秘密のノート」52

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 53

    闇の中に再び顔が現われた。今度はウインクはしていなかったが、にっこりと笑った顔が妙に可愛らしく見えた。コーイチは思わず微笑み返した。しかし、はっと我に返って真顔になり、手袋をはめた両手の平をぱふんと合わせた。「一、二、三……」コーイチは正面の壁上方に掛けてある時計の秒針の動きを数え始めた。「……十四、十五!」合わせた手をパッと離し、手の平を闇に浮かんだ笑顔に向けた。笑顔が消え、驚いた表情になった。しかし、すぐにまた笑顔になった。今度は可愛らしさよりもいたずらっぽいそれだった。「うわっ!」コーイチが悲鳴を上げた。闇に向けた両手が何か得体の知れないものにつかまれ、ぐいっと引っ張られたのだ。肘までが急に闇の中へと吸い込まれる。「清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん清水さん!」コーイチ...コーイチ物語「秘密のノート」53

  • コーイチ物語 「秘密のノート」 54

    西川はさらに続けた。「冗談は好きではないんだがなぁ……」「でも、この抜けなさ具合は冗談ではなさそうですよ」林谷が言った。しかし、顔は笑っている。「一体何が原因なんだ?」西川は歯を喰いしばっているコーイチに問いかけた。「私の呪いのせいですの。吉田元課長の私物のあれこれに呪いをかけておいたのが、一種の化学反応を起こして、未知の呪いを生み出してしまったらしいんですの。コーイチ君には悪い事をしたわ」清水が言った。しかし、悪い事をしたと言う顔ではなかった。「ただ言えますのは、どの呪いとどの呪いとが反応し合ったのかを調べたら、今後の呪い活動の励みになると言う事ですわ。うふふふふ……」「なんだ、薫子ちゃんの呪いだったのかい、私はてっきり新作手品をコーイチ君が考案したと思っていたんだがねぇ……」印旛沼は残念そうに言った。...コーイチ物語「秘密のノート」54

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