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田舎住まい https://blog.goo.ne.jp/onime_001

吸血鬼テーマーの怪奇伝奇小説を書いています。田舎ではスローライフをたのしんでいます。

ソニー・ロリンズは三度カムバックしたといわれています。 アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」の二人をめざしています。 ということはだいぶ歳もくたびれていますが、精神には衰えはありません。 なにせ吸血鬼作家ですから。 よろしくご愛読のほど。ズズイットおねがいします

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2007/08/13

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  • 大谷翔平選手六月から無双 麻屋与志夫

    5月30日木曜日ジイジイも無双することを夢想しています。若い時の話だが、天下無双の活躍をしていると自負していた。レストランの経営。それも二店舗。小さな田舎町としては話題を呼んだものだ。本業は「大麻商」マリファナではない。大麻の茎を精麻としてロープや真縄を製造する栃木から鹿沼周辺だけの特異な職業。それに学習塾。若さですね。よくも体がもったものだとおもいます。いまは、尾羽打ち枯らし、ただただお座敷のかからない小説を毎日書く生活。八面六臂の活躍をすることはもうないでしょうね。数え年では92歳になる。「大谷選手6月から無双」というコメントをパソコンで見て考えた。人間の運勢には絶頂期というものがあるようです。翔平さんの絶頂期が、かれの特大ホームランの飛距離のように長くつづくことを日本の野球フアンは願っていますよね。...大谷翔平選手六月から無双麻屋与志夫

  • 俳句 ややこしや乗換駅の春の蝶 麻屋与志夫

    5月24日金曜日久しぶりで東武電車にのった。車中吟。社あり関東平野の青葉かげ。ややこしや乗換駅の春の蝶利根川を斜めに渡る春の雁いたずらに過ぎ来し方の青葉影麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応援でがんばっています。俳句ややこしや乗換駅の春の蝶麻屋与志夫

  • 悪夢をみた。 麻屋与志夫

    5月22日不吉な夢をみた。どこが不吉なのかわからない。だが、夢から覚めて、妻に起こされたのだから、うなされていたのだろう。部屋の隅の明り取りの『天窓』から男がこちらをうかがっていた。わたしはベットに横になっている。男の目をみた。皮肉な視線を感じた。おまえにはこれから起きることがわからないだろう。口元には残酷な表情が刻まれている。その残忍な口元から牙でも生えてきて妻に襲いかかるのではないか。その予感にわたしはおののいたのだ。妻はこのところ足がむくみ、からだがだるいと嘆いている。またなにかの前兆のような夢をみた。雄のライオンがゆこたわっている。三越のライオンとまったく同じ姿勢で、ただし、こちらに尻を向けて座っている。ところが表情は正面からみえる。こちらに尻をむけているのだから、正面の顔が見えるわけはないのだが...悪夢をみた。麻屋与志夫

  • 君は大谷翔平になれるか 麻屋与志夫

    5月19日日曜日君は大谷翔平になれるか「だれもが大谷翔平になれるわけではないのだよ」隣のベンチの老人に話しかけられた。武尾は朝練のグランドまで走っている途中だ。いつもよりすこし早く家を出た。朝食をたべてなかった。母のつくってくれた特大の梅干しオニギリを食べるくらいの時間はあるだろうと座った街角公園のベンチだ。かぶりとやったところで隣から声がした。父にもよく言われる。同じ文句だ。おせっかいなジジイだ。それにしても、父とまったく同じセリフ。「若い時はみじかい。一日もむだにしないことだ」「野球をやることが青春の浪費だというのかよ。よけいなお世話だ」とはこたえなかった。はやくたべおわって、学校にいそがなければ。大人はみんな自分の青春のつまづきを悔いている。若者にその轍を踏ませないために助言するのがすきなのだ。返事...君は大谷翔平になれるか麻屋与志夫

  • 箴言「一生かけて自分の顔を刻め」麻屋与志夫

    5月13日箴言ひとを恨むな。じぶんの愚かさを嘆け。この歳まで生きてくると、身近の多くの人に騙されたり裏切られたりした。「バカなんだよな。おれは」ようやく言えるようになった。結局残った友人は五指に満たない。一生かけて自分の顔を刻め。子どもの時から顔のことではからかわれた。「馬面だ」「頭でっかちの布袋面(ほていづら)」「ぎょろ目だ」青年になって東京にでるまでからかわれ続けていた。「みにくいアヒルの子」だったのだ。じぶんの顔には成人してから老いるまで自分に責任がある。彫刻するように自分の顔を作り上げてきた。期待通りにはいかないが、結構気に入っている。箴言「一生かけて自分の顔を刻め」麻屋与志夫

  • 杖走る走者も走る春の暮れ 麻屋与志夫

    5月13日雨昨日は市のマラソン大会。杖をついて見物。思わず走りだしたい熱気があった。マラソンや杖が走る暮れの春。杖走る走者も走る春の暮れ杖突きてジジイ伴走春の暮れ興奮しているので、あまりできが良くない。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応援でがんばっています。杖走る走者も走る春の暮れ麻屋与志夫

  • なんべんをなんべんもする皐月風 麻屋与志夫

    5月9日木曜日午後になってうれしい五月晴れ。故、星君の家があった場所まで散歩。星豊君は「早稲田の四季」の作詞家。友の家ありたるあとの新家屋彼の悲劇的な生涯を想っていたらお腹が痛くなった。その辺の草地と思ったが、急遽帰宅。したがって妄想の句。なんべんをなんべんもする皐月風これでは、皐月風が便をしていることになりはしないか。軟便を何べんもする背に胡蝶なんべんをなんべんもする皐月風麻屋与志夫

  • 前回の「わが人生、蹉陀(さだ)たり」の続きです。麻屋与志夫

    5月8日前回の徒然草の内容です。孫引きてすが、現代語訳の先生の名前、失念しました。申し訳ありません。「人間が生きている限りしなくてはならない社交儀礼は、どれもしないわけにはいかない。だからといって、世間のしがらみを捨てきれずに、これらのことを必ずしていると、願望も多く、体も辛く、精神的な余裕もなくなって、肝心の一生が、次から次に押し寄せてくる雑事にさえぎられてしまい、空しく暮れてしまう。もう人生が暮れるような晩年になっても、まだ究めようとする道は遠い。自分の人生は、すでに不遇のうちに終わろうとしている。まさに、白楽天の「日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり」という状況だ。もうこうなったら、すべての縁を打ち捨てるべき時である。私は、約束も、もう守るまい。礼儀も、気にしまい。このような決...前回の「わが人生、蹉陀(さだ)たり」の続きです。麻屋与志夫

  • わが人生、蹉陀(さだ)たり。 麻屋与志夫

    5月8日水曜日白楽天の「日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり」をふまえた徒然草第百十二段をしみじみとGGは感じている。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たりというが、気づくのが遅かったわけではない。それなのに母や父のことを思うと、故郷を、血肉の情をきれいさっぱりすてることはできなかった。ようやく小説を書くことに一日、フルタイムの作家としての生活に入ることが出来て丸一年。たいした成果はあがっていない。まわりを安心させるために、あと二十年は生きているから、と豪語しているものの……どんなことになるやら。あせりはある。健康面での不安とたたかうだけでも、並の男では精神に狂いがしょうじてしまうだろう。並ではない、はじめから狂っているような生活をきりぬけてきたので、いまが一番幸せな気分だ。わが家に...わが人生、蹉陀(さだ)たり。麻屋与志夫

  • 雨蛙。 麻屋与志夫

    5月5日日曜日「なに、これ?」妻の悲鳴に近い甲高い声が裏のデッキでした。駆けつけてみると、彼女が外猫用の水飲み皿を手にしてのぞきこんでいた。皿の中に灰色の小豆つぶほどのものがうごめいていた。虫とも卵ともとれる。なんとも得たいしれないものだ。「気味が悪いわ」といって庭にすててしまった。後になってみると、ピクチャにとってブログにアップして識者の見識にとえばよかった。「ボウフラか、雨蛙の卵じゃないかな」わたしにはそれいがいのことはいえなかった。雨蛙。保護色で、草や木の葉の上では緑。木では茶。環境に順応して色を変えることの出来る賢いヤツだ。わたしは、この歳になってみて、全ての苦労は自我を押し通してきたことによる。と反省している。環境に応じて生活態度や発言を変えるとができない。つくづくバカなヤツだなと自嘲している。...雨蛙。麻屋与志夫

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