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田舎住まい https://blog.goo.ne.jp/onime_001

吸血鬼テーマーの怪奇伝奇小説を書いています。田舎ではスローライフをたのしんでいます。

ソニー・ロリンズは三度カムバックしたといわれています。 アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」の二人をめざしています。 ということはだいぶ歳もくたびれていますが、精神には衰えはありません。 なにせ吸血鬼作家ですから。 よろしくご愛読のほど。ズズイットおねがいします

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2007/08/13

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  • ピーターパン症候群の90歳のGG 麻屋与志夫

    12月27日火曜日ピーターパン症候群の90歳のGG今日はピーターパンがロンドンで童話劇として初演された日だそうです。詳細はぜひ検索してください。ピーターパン症候群という言葉があるのも初めて知りました。わたしは数え歳で、葛飾北斎の享年90歳です。翁は死ぬまで青年のような旺盛な創作意欲を持ちつづけた。P症候群の人ではなかったかと思いませんか。いつまでも、わたしも12歳の少年のころの思い出に生きています。だから、連載中の『超短編小説2』の舞台は12歳のぼくとその周辺にいたなつかしい竹馬の友です。「もう、子どもみたいなんだから」よくカミさんにしかられます。言いて妙。普通だったら、とうの昔に見捨てられてしまっているのだろうが。そこはありがたい天の配合。彼女もめずらしく永遠の少女趣味。ふたり仲良くおままごとのような暮...ピーターパン症候群の90歳のGG麻屋与志夫

  • 9 千手院観音堂の仁王門 麻屋与志夫

    9千手院観音堂の仁王門拝殿より仁王門のほうがケバカッタ。観音堂は立派な彫刻で四方を飾られていたが。無垢。色彩はほどこされていなかった。剥げ落ちてしまっていていたのかもしけない。仁王門は存在感があった。みごとな朱塗り。その年、12歳だった。ぼくとヒロチャンは仁王門の庇におおきな蜂の巣を発見した。クマンバチの巣。黒と黄金色にみえる縞。ブンブンする音がみえた。その姿がきこえた。幼いぼくらはそう感じた。ハチがとんでいたということは春から夏にかけての季節。戦争がおわるまでには数か月を要した。そうした季節と風景のなかでぼくらとのびのびとあそんでいた。ぼくはぼくらか、オッパイ蜂の巣の命名したきょだいなでっぱりに向かって投げた。拳大の石だ。ズボツとめりこんだ。一発で的中した。それを誇るよりもおどろいた。石は落ちてこない。...9千手院観音堂の仁王門麻屋与志夫

  • 6 トマト 麻屋与志夫

    6トマトぼくらは空腹ではなかった。宝蔵寺にいる集団疎開の友だちがたえず狂気じみた餓狼のようなあさましいうめき声あげていたので、彼らがぼくにしめしてくれたた優しい連帯の友情にたいしても……むくいなければといった気持ちから、野菜畑に略奪者である彼らを案内するといった役割をひきうけてしまったのだった。野生の禽獣のように食べ物をあさることにかんしては、かれらはあまにも柔弱な都会育ちであり、たとえぼくが運動神経のにぶいため……魚屋の店頭で鉤にかれられた『マグロ』のように鉄棒にぶざまにぶらさがったままであったり、矮小なからだのためともかくすべての競技に劣性のみにくさを開示してしまうような生徒であったとしても、彼らを援助できないほどひ弱くはなかった。彼らが大挙して疎開してくるまでは、ぼくは、ともかく、朝鮮人の金とともに...6トマト麻屋与志夫

  • 7 母猫 麻屋与志夫

    7母猫悲しい夢を見た。いつも夢にでてくる町の氏神様の裏の薄暗がりだった。ケヤキや杉の巨木があるのでそのあたりは昼でも暗かった。道の向こうに味噌蔵が並んでいた。高いところに、格子のある窓がある。暗くぼっかりと空いた窓に影がある。だれかが手まねきしている。どうやらわたしが子供のころの風景だ。道端に泉があった。清らかな水のわきでる泉ではなかった。生きているものを溶かしてしまう酸をふくんだ水がふきだしていた。子猫がその泉にどっぷりと浸かっている。下半身はもう粘液化していた。ニャアニャア、悲しくないている。子猫が前あしですがっているのは母猫だ。泉のほとりの木の根元に釘付けにされている。四肢を展翅板にかけられたように固定されている。猫の皮はこんなに展性があったのか……。うすっぺらにひきのばされている。手足を止めてある...7母猫麻屋与志夫

  • 横穴壕に咲いた麹の黄色い花 麻屋与志夫

    12月11日横穴壕に咲いた麹の黄色い花鍵屋という屋号の麹屋さん所有の山だった。ぼくらは『かぎやま』と呼んでいた。いまどき、麹屋などといっても知らないひとがほとんどだろう。え、麹そのものをしらない。そっか。こういう時代までぼくは生きてこられたんだな。だってね、これから話そうとしているのは、62年もまえのことなんだ。まず、麹。糀ともかく。麹は米、麦、豆を蒸し、麹かびを繁殖させたもの。インターネットで調べれば細かく書いてあるよ。現物は大手のスーパーなら売っていると思う。でも、それは白いもので、麹花の咲いた淡黄色になったものはみたことがないんじゃないかな。母が買ってきて、ドブロクや味噌をその麹を使って自家製していたんだ。すぐに使わないで古くなると黄色いカビが繁殖してしまった。それを麹花と言っていたようだ。まあいっ...横穴壕に咲いた麹の黄色い花麻屋与志夫

  • 5 蠅 麻屋与志夫

    5蠅戦争が末期をむかえようとしていた。その切迫した空気は、幼いぼくらにはとうてい予感することはできなかった。昭和二十年の夏、軍隊の駐屯していたぼくらの国民学校では、ようやくそれでも空虚な日々がその傷口をひろげはじめていた。どうしたことか、その日は運転手がキーをぬくのを忘れ、ぼくがアクセルをふみこむと、校庭に置き去りにされていた軍用トラックは筋肉のにぶいこすれあう音をたて不意にめざめた犀のように巨体をゆすって動きだした。予期しなかった始動にぼくはすっかり動転し、にぎりしめた黒い魔法の輪、ハンドルから手をはなすことができなくなっていた。フロントウインドにきりとられた光景……空ドラムやぼろ布の山積された校庭のそれは、この瞬間からいままでのぼくらの楽しい遊戯の広場とは異なった局面をみせはじめた。空ドラム。重油のし...5蠅麻屋与志夫

  • 4 ロープ 麻屋与志夫

    4ロープ幼い知覚のなかでぼくらがそだてあげた幻影の群にあって、ひときわ神秘的で残酷な光景にいろどられている、木立の葉ごもりで朝鮮人部落のひとびとが屠殺する牛。幻影におびやかされたあげく、ぼくらはそれを実在の空間でたしかめようとしていた。――すでに犠牲となったものたちの白骨が累々とちらばっている森への冒険にでかけよう。その信憑性を確認しようとしてN建設所有の材木置場にひそかにつくりあげた<そうくつ>に集合したその夜になって、部落のの若者が流言蜚語、ひとびとの戦争への確固たる勝利の信念をゆさぶるような攪乱的活動をして憲兵に射殺されたことが知らされた。だが、彼は即死ではなかった。ぼくに医学の知識があれば、あるいは彼が傷ついていることをもっとはやく察知できていれば……彼は死ななくて済んだかもしれない。その事件の後...4ロープ麻屋与志夫

  • 空の珊瑚 麻屋与志夫

    3空の珊瑚ふいにやってきた雷雨のため――北関東特有の雷は空のはてで光った一条の稲妻とともにおそってくるのだが、ぼくらの戦場行軍は最悪の事態に遭遇していた。のぼりつめた山の尾根で暗雲をきりさく光をみたとき体操教師のHはぼくらを避難させるべきだった。山腹に穿たれた軍用物資隠蔽庫をかねた横穴壕にどうにか逃げこむことができたはずだ。Hの髪はポマードでぎとぎとしていた。銀だし油付けているとぼくらはいっていた。そのべったりと頭皮にへばりついている髪を中央から櫛目がわかるほど丁寧にわけていた。刃物でそぎおとしたようなほほと分厚い唇に一瞬あらわれて消えた加虐的な微笑をぼくは見逃すわけにはいかなかった。昼間の光の中にいるのに、覚醒した時なのに、ぼくは悪夢をみているような恐怖を感じた。あのことを目撃しているために、……ぼくは...空の珊瑚麻屋与志夫

  • 2 青鬼の面

    2青鬼の面千手堂の向って左の漆喰の外壁に『青鬼』の面が掛けられていた。頭からは金色の鋭くさきのとがった二本の角がはえている。口は耳までさけて鋭い歯がはえていた。とくに、上下二本ずつの歯が長く、牙のようだった。見ているだけでも、鳥肌が立った。恐怖のあまりぶつぶつが全身にあらわれるものもいる。ぼくもヒロチャンも毎日遊びに来ているので、そんなことはなかった。でも、こわいことは怖かった。「この堂の周りを息もつかずに回ってきて、鬼を見上げると『赤鬼』に変わる」「挑戦しよう」ぼくはすぐに応えた。後生車のかわりに新しい遊びをみつけだした。ヒロチャンが走りだしていた。ぼくは青い面を見上げて、待った。なかなかヒロチャンはもどってこない。ぼくは心配になって逆まわりで走りだした。ヒロチャンは鰐口の緒にすがって肩で息をしていた。...2青鬼の面

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