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2007/07/31

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  • 寒さに体を慣らす。

    今週のお題「これで冬を乗り越えました」 私の肉体は、年々寒さに強くなってきているようだ。 私は寒さに耐えられる体を作ろうと意識的に寒さに体を晒すように暮らしている。 寒さに体を慣らさせるためである。 この肉体を甘やかせてはならない。 肉体は、すぐにつけあがる。 図に乗って、一層の保護を求めてくる。 私は、その要求をはねつける。 北欧の人たちは、乳児の頃から寒さに慣れるように育てられている。 そのため、厳しい寒さにも対応できる肉体が作り上げられていく、 日本在住の日本人でも、彼らに倣うことは可能だと思う。 寒さを少しでも我慢して、寒さに強くなるように仕向ける。 この努力は、わずかずつではあるが実…

  • 今週のお題「これで冬を乗り越えました」 私の肉体は、年々寒さに強くなってきているようだ。 私は寒さに耐えられる体を作ろうと意識的に寒さに体を晒すように暮らしている。 寒さに体を慣らさせるためである。 この肉体を甘やかせてはならない。 肉体は、すぐにつけあがる。 図に乗って、一層の保護を求めてくる。 私は、その要求をはねつける。 北欧の人たちは、乳児の頃から寒さに慣れるように育てられている。 そのため、厳しい寒さにも対応できる肉体が作り上げられていく、 日本在住の日本人でも、彼らに倣うことは可能だと思う。 寒さを少しでも我慢して、寒さに強くなるように仕向ける。 この努力は、わずかずつではあるが実…

  • 長期ご無沙汰信徒の来会。

    いつもの集いに行った。 今日の集いには、先日57歳の娘さんを亡くされた女性が出席した。 その葬儀の司式を、この教会の牧師に依頼し執り行われた。 この女性は、この教会の古い信徒であるが、もう何十年もご無沙汰だった。 だが、娘の葬儀を機に、久しぶりに教会を訪れようと思い、今日の出席となったそうだ。 娘さんを亡くされて日も浅く、動揺が治まっていない様子である。 この方が、今後も教会行事に出席されるのか、されないのか。 元々信仰心があれば、年に一回でも顔を出していたであろう。 信仰心が枯渇し、足が遠のいていたのであろう。 教会に行くことは、結構面倒だからである。 そんな長期ご無沙汰信徒でも、暖かく迎え…

  • 薬物耐性の経験。

    私は、基本的に薬は飲まない、塗らない。 薬を否定しているわけではない。 本当に危険な、どうしようもなく悪くなれば、飲むと思う。 その時のために、普段は飲まないし、塗らない。 耐性がつくことを恐れているからである。 薬は、飲めば飲むほど効かなくなる。 これを「耐性がつく」という。 私は、この耐性がつく経験を既にしている。 私はかつて、ヘビースモーカーだった。 タバコを吸い初めの頃は、一本吸っただけで頭がクラクラした。 それが次第に慣れていく。 一本から二~三本と徐々に増えていく。 一日最低40本は吸わないと、物足りなくなった。 60本を超える日もあった。 タバコの耐性がついたのである。 タバコは…

  • 秘密の薬との距離。

    私が「秘密の薬」と呼ぶ薬品とは何か? 以前から当ブログをお読みいただいている方ならご存知であろう。 その秘密の薬とは、養命酒である。 日本を代表する薬用酒である。 簡単に手に入るこの薬用酒は、私には絶大な効用がある。 風邪のひき始めに飲めば、一発で治る。 大変な効果があるので、逆にあまり飲まないようにしている。 耐性をつけたくないのだ。 服用が習慣になると肉体が「これだけ体調不良になれば、あの薬を飲んでくれるに違いない」と認識してしまう。 肉体は本質的に馬鹿で怠け者で享楽的ある。 そのため基本的に薬好きである。 服用して良くなるのなら、辛さを感じずに済む。 それで、すぐに楽な方向を望むのだ。 …

  • 未成熟な私。

    いつもの集いに行った。 今日はTさん息子が欠席だった。 そして、休暇を終えた牧師が2週間ぶりの出席だった。 牧師は、何かハイだった。 気分の浮き沈みがある人なので、特に珍しいことではない。 教団としては牧師だが、一宗教家としては疑問点が多い人なのだ。 いつものように行事は進行していく。 私は非基督教徒として、今回の聖書を読んだ感想を述べる。 普通の基督教徒とは、視点が異なるので、出席者の刺激になっているのかも知れない。 牧師を刺激しすぎると面倒なので、適当な程度で留めておく。 そして、行事は終わった。 雑談の時間に、牧師がトンチンカンなことを言うので、訂正の意見を言ってみた。 面倒になりそうだ…

  • アロエの万能認定。

    私にとってアロエは大切な植物である。 万能の薬草である。 薬学的には決して万能ではないのだろう。 だが、私の世界では万能認定を受けており、故に万能なのである(笑) 特に皮膚の不調には卓効がある。 患部に塗れば、即時~数時間で治る。 「当人が治ると信じているから治るのだろう」という声があるかも知れない。 ハハハ、そう思うだろうな。 まぁ、世間の声はどうでも良い。 私が治ればそれで良いである。 体調全般の不調の際には、食べる。 生のままで、緑色の皮ごとである。 切らずに、掴んで食べる。 それで良くなる。 食べてすぐに効果が実感できる。 私の世界においては、アロエの効用には限界がないのだ。 私が体調…

  • 蜂蜜の力で克服するアロエの苦さ。

    我が家には、道沿いにアロエが生えている。 手入れは一切していないのだが、土が合っているのか、恐ろしいほどの生命力で増え続けている。 道にはみ出しているので、その部分は撤去することが常識である。 この冬も余裕で乗り切り、夏に向けて一層の繁殖が予想される。 そこで、少しずつ消費していく事を考えている。 邪魔だから、ただ切って捨てる、ということは出来ない、したくない。 アロエは強力な薬草である。 無駄にすることは、罪に近い。 今日は、葉肉を一本、引きちぎってきた。 立派な生育状態である。 緑色の皮を剥いて食べようと思ったが、皮にかなりの栄養があることは間違いない。 野菜でも果物でも、最も栄養が豊富な…

  • シャットアウトはしない。

    先日の大リーグ・ドジャースとカブスの来日に伴う日米のオープン戦や、ドジャース対カブスの公式戦が大いに話題となっていたようだ。 野球の興行として「大成功」と大リーグ関係者がコメントした。 試合のテレビ視聴率もかなり高かったようだ。 「日本中が注目」と言った状態だったようだ。 だが、私は、それらの試合を一つも観ていない。 翌日のニュースで軽く確認する程度だった。 何故、観なかったのか? 興味がなかったからである。 正直なところ「どっちでもいい」のだ。 しかし、世間の人と話を合わせるために、一応簡単に知識として仕入れておく。 会話の相槌や返答ができる程度には、しておく。 「興味ありません」とシャット…

  • 教会のはしご。

    いつもの教派神道の教会に参拝するために、家を出る。 今日は日曜日なので、基督教の教会でのいつもの集いがある。 普通ならそちらに行くのだが、今日は教派神道の教会で大きな行事開催されるので、そちらを優先する。 教派神道の行事が終わったら、その足で基督教の教会に行くつもりである。 教会のはしごである。 教派神道の教会に着いた。 開始時刻よりも30分ほど早い。 私は席に座って開始を待つ。 他の信者さんは、それぞれおしゃべりをしている。 聞きたくなくても耳に入ってくる。 話題は、健康情報が主で「◯◯を食べると体に悪い」と言ったことである。 その内容は大きく間違っている。 だが、私は口を挟まず、黙って聞い…

  • AIでFFmpegを使えるように。

    私は、ここ数日ffmpegに取り組んでいる。 何とか使えるようにならないか?と思ったからである。 私はffmpegはかなり前から知っている。 やってみても、動かない。 使うことができなかった。 私は諦めて、そのままだった。 数年後に再挑戦してみたのだが、駄目だった。 「FFmpegは、マルチメディア処理における強力なツールキット」とあらゆる場面で称賛されており、一度使ってみたかったのだ。 私が使いたい機能は、動画から音声を抽出する、音声をMP3変換するといったことだけである。 私は、普段はそれらの作業を別のソフトを使っている。 しかし、大本命とされるffmepgでやれないものか? さて、数年ぶ…

  • 健康でも正直に言えない。

    これは先日の町内の集いでのことである。 この集いは世話人リーダーのM君と女性お二方により運営されている。 来年度から女性お二人が交代となる。 お二方には無理を言って年度延長して世話人をお願いしていたのだが、この度無事に後継者が見つかり、バトンタッチとなった。 行事開始前、その来年度の世話人お二方とM君と私とで雑談となった。 新しい世話人のうちAさんの旦那さんは、M君と私とは同じ小中学校の同級生である。 もう一人の世話人Kさんの旦那さんは、私よりもひとつ下である。 奥さんも含めて同じ年齢、世代なのである。 M君が世話人Aさんに「旦那さんの病院の検査結果は、どうだった?」と尋ねた。 この世代から多…

  • 二人だけの集い。

    いつもの集いに行った。 気温は昨日の続きで低めだった。 当地迷物の大風が吹き、冬の寒さだった。 自転車を向かい風の強風に逆らって走らせる。 教会に着く頃には、肉体はすっかり冷えていた。 今日の集いは、牧師が冬季休暇中で不在、常連出席者の殆ども欠席だった。 出席者は、Tさん父と私だけだった。 二人だけの集いは、これまでにもあった。 さすがに二人というのは、寂しい感じがする。 だが、一人だけよりも遥かにマシである。 いつも通りに行事は進行していく。 牧師がいないので、その運びはスムースである。 行事は終わり、雑談の時間となった。 Tさんは、いつもよりも饒舌である。 Tさん息子が欠席でいないので、気…

  • 世俗の集いだが。

    町内の集いに行った。 昨夜の雷の連打が明け、今朝は一段と気温が下がった。 冬の気温である。 加えて当地迷物の大風が吹き、体感的には真冬となっている。 幸いにも、会場である町内の集会所は我が家から歩いて5分のところにある。 5分であれば、私でも我慢できる(笑) 会場に着いた。 今日は3月の集いで、年度末ということで、二名の担当者交代の挨拶があった。 町内の役職なので当然、無給の奉仕活動である。 ご自分の時間を割いての尽力である。 私には務まりそうにない。 当ブログでは偉そうなことを記しているが、リアルの私はその程度の輩である(苦笑) 今回は新規の出席者もおられた。 なるべく大勢の出席者があるほど…

  • 注意しない。

    私は、身近に注意やアドバイスをした方が良さそうな人がいたとしても、何も言わないことにしている。 言っても聞き入れてくれないからである。 以前は、そうではなかった。 良かれと思い、最適と思われる言葉を選び話していた。 だが、その多くの場合、残念な結果に終わった。 反発されるか、理解されずに放置された。 疎まれるようになったこともある。 不愉快になることもある。 注意に正しく反応してくれる人は、想像以上に少ないようだ。 私は、こうした状況に飽き飽きした。 彼らと関わる義務は、私にはない。 私に対し実際的な被害が及ぶ際には、注意や意見をする。 だが、それ以外では、何も言わない。 ただ見ているだけであ…

  • 噴火から始まる。

    昨日、紙の読売新聞を読んだ。 書籍広告に「2025年に大きな事が起こる」といった予言をテーマにした本が載っていた。 著者は、その界隈では有名な人である。 私も知っていた。 SNS等では、今年2025年に惨事が発生すると予言する人が多数おられる。 では、私はどう考えているのか? 2025年だから特に何かが起こる、とは考えてはいない。 今が大きな変化が起こる前段階であることは間違いない。 しかし、私は、それがいつなのか、明確にはわからない。 ただ次のことは言える。 「噴火から始まる」 阿蘇山や桜島のような活火山ではなく、休火山が噴火し始める時が来る。 その時から目に見えて大きな変動が始まる。 特に…

  • 提供されればマスクは付ける。

    いつもの集いに行った。 行事が始まる前、役員のKさんが私のところに来て、こう言った。 「今、いろいろと感染症がとても流行っていますので、私、マスクたくさん持っていますから」 あぁ、マスクをしてくれないか?ということか。 私はマスクは、普段から非装着で、持ち歩いてもいない。 政府の非マスク解禁以降、一回も付けていない。 「もし、今お持ちでなかったら、差し上げますから」 Kさんは、私に不織布マスクを手渡した。 私は、すぐにマスクを付けた。 私の方針としては、①日常生活においてはマスクは付けない。 ②だが、マスクを無料で提供されれば、すぐに付ける、である。 「私はマスクはしません」などと言って抵抗し…

  • 克己心はオプション。

    今日の気温は正午の時点で11℃である。 二桁気温である。 だが、体感的には真冬並みの冷えを感じる。 気温が5℃位しかないように感じる。 これは、今朝からの急な気温低下による。 前日まで20℃に迫る気温の日が続き、体はそれに慣れてしまった。 「もう春だ。暖かいなぁ」 そのまま、温暖な日が続くと思ったのであろう。 肉体は楽な方向に容易に流される。 疑問もなく流される。 それが「自然なこと」と喜んで受け入れる。 肉体は基本的に快楽主義である。 楽が大好きである。 姿勢が甘いのだ。 肉体は間抜けである。 今日の陽気に驚いている。 マイナス10℃の落差に体が対応できていない。 どうしたら良いのか、わかっ…

  • 乾屎橛。

    いろいろと探求の道を歩いていると、禅にも行き合うことになる。 禅は、無視できない。 巨大な山脈である。 だが、私はこれまでの人生の成り行きから、意図的に避けてきた。 先日、次の禅語を見直した。 乾屎橛(かんしけつ)である。 その意味は「乾いた(犬の)糞」である。 禅の言葉は、わざとインパクトが強い表現を用いている。 これはその中でも最も強い表現(笑)になっている。 リンク先をお読みになると、この言葉にはいくつもの解釈がある。 そのいずれもに説得力がある。 仏教では、このように異なる解釈があっても、それを排除することはない。 それらを並列していく。 ヒンドゥー教でも、同様である。 「違う解釈であ…

  • 牧師不在の平和な集い

    いつもの集いに行った。 今朝は、昨日までよりも格段と暖かい。 出かけるのに冬の服装でなくとも、いいかな? 否、慌てることはない。 念の為、今日も冬の格好で行こう。 自転車で家を出ると、すぐに当地名物の大風が吹いてきた。 これにより体感温度は5℃マイナスとなった。 何だ、昨日までと同じじゃないか。 あぁ、良かった。 装備を軽くしたら、寒さに震えるところだった。 私は大風に逆らって前進する。 そして、教会に着いた。 今日は、牧師が冬季休暇で留守だった。 まぁ、あの牧師なら、いない方が気を使わなくても良いので、楽である。 平和な集いになるだろう。 今日は、Tさん息子も欠席だった。 明日からの入院準備…

  • 筋トレ愛好者が聞く雑音。

    昨日の「踊るさんま御殿」では、筋トレを熱心に励んでいるタレントらがエピソードを披露した。 その中で興味深い発言があった。 「筋トレで体を鍛えていると周囲から『何を目指しているの?』『どういう方向に進みたいの?』と、度々尋ねられる。煩わしい。」 この発言は出演者の全員の共感を得ていた。 なるほど。 筋トレ愛好者に不躾に「何故鍛える?筋肉をつける?」と問いかける人は多そうだ。 私は言ったことも言われたこともないが(笑) 「筋肉つけるくらいなら、もっと本業を頑張れ」と言った趣旨の意見を受けることもよくあるそうだ。 これは、一体何なのか? 筋トレに励むことにより、周囲に迷惑がかかるわけでもない。 当人…

  • ブログ更新が止まると。

    私には、有り難いことにリアルでもやり取りのあるブログ友達が数人おられる。 いずれも遠方にお住まいである。 普段はブログやSNSで互いの近況を確認している。 意見のやり取りもある。 そのうちのお一人のブログ更新が何日も途絶えていた。 ひょっとして? その方は、70代である。 日頃元気な方ではある。 だが、突然お迎えがきても不思議な歳でもない。 昭和の頃なら、普通に死んでいる年代である。 どうされたのだろう? 直接連絡をとるべきか? どうしようかなぁ? 考えるなぁ。 そして昨日、久しぶりにブログが更新されていた。 「ご心配おかけしました」 特にトラブルに見舞われていたわけでもないそうだ。 あぁ、良…

  • 大人になり始めた。

    私は今生の大半において、青臭かった。 なかなか大人になれなかった。 いい年になっても、他者の間違った言動に我慢ができず、それらを正そうと指摘し、論争してきた。 争って、損ばかりしてきた。 正義を貫き、満足しても、実生活上では大損害ばかりだった。 それでも、自己満足により、その姿勢を改めることはなかった。 「大人になれよ」と多方面から諭されてきた。 だが、私はそれを聞き入れることはなかった。 「正しいことが一番だ」と信じてきたからである。 しかし、近年、漸く目が覚めてきたようだ。 愚か者は、消え去ることはなく、その増殖は止まることはない。 私は、彼らに関わることは止めた。 ただ、眺めるだけにしよ…

  • 奇跡に焦点を置かない説教。

    いつもの教会に行った。 朝は未だ気温は上がらず、寒気の中を自転車で走る。 ほどなく教会に着いた。 今日は、新型コロナ罹患により二週続けて欠席だったKMさんが出席された。 「熱は出ないんだけれど、寝ていると苦しくて・・・」 KMさんは、ハリのない声で答えた。 健康自慢のいつもの強気の姿勢ではない。 こんな様子のKMさんを見るのは、初めてである。 新型コロナの病状は、個々により異なる。 KMさんは、戸惑っておられるようだった、 今日の聖書箇所でも、イエス・キリストの奇跡が描かれている。 だが、今回も牧師はその奇跡に重点を置くことなく説教を展開する。 「重要なのは、奇跡ではなく、私達がどう救われたか…

  • ヴィム・ホフ・メソッドと工藤夕貴さん。

    女優の工藤夕貴さんは、ヴィム・ホフ・メソッドを実践しているそうだ。 これはなかなかなことである。 ヴィム・ホフWim Hofはオランダの健康法提唱者で、その方法は特殊である。 彼は、極寒の中でも耐えられる体を作り上げる方法を考案、実践、提唱している。 私は寒さに弱く、克服したいと考えている。 ヴィム・ホフ・メソッドについては、私はかなり前から知っていた。 実行したい健康法の候補の一つであるが、実践する度胸がない(笑) 少しずつ冷たさに耐え、体を慣れさせていくのだが、その最初の一歩が踏み出せない。 寒い、冷たいは苦手なのだ(笑) 工藤夕貴さんは、実践されておられるのか。 大したものである。 この…

  • 熱狂とは?

    先日のレッド・ツェッペリンの記事でも記したが、「人は自分の好みを自分で決めているのか?」と思っている。 「皆が『良い』と言っているし、自分も良いと思っているので、好き」という言う人が殆どではなかろうか? 「否、自分は他人の意見には左右されない」という人でも、深く内省してみると、その好みの決定には他者の意向が大きく影響していることを見つけるであろう。 大きな会場でライブを行いビッグヒットを飛ばしている有名ミュージシャンだから、高視聴率作品の出演者だから、ベストセラー本だから、行列ができる店だから、美味しいと評判の店だから、有名ブランドの服だから、等など、、いくらでも思い浮かぶ。 だが、無名だと誰…

  • 鬱病の人には、どう対応したら良いのか?

    いつもの集いに行った。 気温は平年並みだが、当地名物の大風が吹いている。 向かい風に逆らって自転車で走る。 大風=-5℃の法則により(笑)、体感温度は大いに奪われる。 教会に着くと、Tさん父が既におられた。 Tさん息子にクルマで送ってもらってきたそうだ。 Tさん息子は、集いには参加せず、そのままUターンして家に帰ったそうだ。 「波があるもので」 Tさん息子は、鬱病だそうだ。 鬱になると、人と会いたくなくなるらしい。 このいつもの集いは気心が知れた仲なので、何も気にすることは無い。 それでも会いたくないらしい。 そういうものなのか。 私は鬱病については、疎い。 無理解に近いかも知れない。 従って…

  • 久しぶりの参拝。

    この前の土曜日、三月一日にいつも参拝している教派神道の教会に行った。 元日の参拝以来なので、約2ヶ月ぶりである。 行かなかった理由は明白である。 冬で寒かったからである。 寒空と当地名物の強風の下で、自転車で走るのはそれなりに辛い。 同じ市内であっても、少しでも距離があると、もう行きたくないのである(苦笑) だが、メールではやり取りしていたので、音信不通というわけでもない。 久しぶりに教会長先生と会いお話をする。 先生は、私と違って常識がありマトモな人である。 私とは大違いである。 そのためか、話していても和む。 人は自分にない資質を持つ人に惹かれるのだろう。 会話は楽しく進む。 直近に起こっ…

  • 半分冬。

    当地の今日の最高気温は、正午の6.3℃であろう。 気温が朝から少しも上がらない。 20℃に迫る気温だった日から、二日ほどで、この気温である。 急落である。 「もうすっかり春だなぁ」から「真冬並だ」の気温である。 当地で最高気温6.3℃は、冬でも十分低い気温である。 この乱高下は、数日前から予報されていた。 それなりに覚悟はできていたつもりである。 しかし、それを実際に体感すると、想定を超えている。 寒い。 冷たい。 おまけに雨も降っている。 日は当たらない。 雪ではないだけマシなのだろう。 だが、冷たい雨である。 3月は、これがあるからなぁ。 やっと春だと思っていたら、こんな日もある。 春だと…

  • 評判と熱狂。

    It was in 1969 when a small rock band became known as Led Zeppelin.The rest is history. pic.twitter.com/r0x0O1StfI — 🎸 Rock History 🎸 (@historyrock_) 2025年3月2日 ツイッターXで、レッド・ツェッペリンの映像が流れてきた。 69年3月デンマークで行われたスタジオライブの一部分である。 バンドが自己紹介している。 だが、少しも盛り上がっていない。 私はツェッペリンには、特に詳しくもない。 好悪の感情は持っていない。 偉大なミュージシャンと言う認…

  • 呆れる姿勢。

    いつもの集いに行った。 今日は、多くの常連さんが欠席だった。 いずれも「コロナになった」のだそうだ。 当ブログでは、最近では新型コロナ関連、新型コロナワクチン関連について、あえて記さないようにしている。 キリがないからである。 さて今回の聖書箇所も、イエスの奇跡が出てくる。 だが、牧師は、それに触れようとしない。 ただ読み進めるだけである。 こうなると、「彼ら福音派の牧師はイエスの奇跡を避けている」というようにしか見えない。 おそらく彼らは、イエスの奇跡について理解が出来ないのであろう。 理解力を持っていないのだろう。 私は呆れるばかりである。 開祖様が奇跡の代名詞的存在なのに、それを語ろうと…

  • テレビドラマ鑑賞は自己逃避。

    今週のお題「ドラマ」 今週のお題に沿って記す。 ここで言うドラマとは、テレビドラマのことであろう。 私は、それらを一切観ていない。 かつては、観ていた。 楽しみにして観るというよりも、ほぼ惰性で観ていた。 だが、もうその時期は通り過ぎた。 テレビドラマ鑑賞による時間消費は、時間の無駄使いだと考えるようになった。 他人が作った空想世界を観ても、空想を共有しているだけである。 幻想に浸り、自分の現実から逃れているだけである。 人として退歩するだけである。 これは、大きな時間の無駄使いである。 時間の無駄使いは、生命の無駄使いである。 それは、後々自身の悲劇として認識されることになる。 私は既に一生…

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